2025.5.28(水) 伊豆治療紀行(36回目の1日目)
出かける用事があっても、その朝に家にいれば、会社のことも、すこしは手伝うことができる。店を開け、出社してくる順に今月の給与明細を手渡し、朝礼の時間を迎える。道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への本日最初の配達には、配達係のイザワコーイチさんと共に行った。
道の駅から戻ったら、そそくさと普段の仕事着からズボンのみ履き替え、靴は、きのう傷めた腰を慮って、トリッペンのSHEET PULLを履く。そして下今市09:33発の上り特急に家内と共に乗る。北千住を経由して東京11:57発の下りこだまが停車中の16番プラットフォームに上がるのは、いつもの通り。
人のからだには、どこかが良くなれば、別のどこかが悪くなる、というか、それまで隠れていた問題が顕在化する、ということがあるらしい。2018年の10月に白内障の手術を受けた。目が良く見えるようになったら、翌月から背骨と右の肩胛骨のあいだの筋肉が痛むようになった。その痛みは徐々に増し、そのうち耐えがたいほどになった。行きつけの整骨院、鍼灸院、街の外科、国立病院、更には隣県の「手かざし」にまで足を延ばして、すべて埒が明かなかった。そんなときfacebookで知って、そのコメント主にあれこれと教えてもらったのが「宇都宮肩腰痛みの専門整体院」だった。
1週間に2度の通院を言い渡されたその整体院には2020年7月までの1年半のあいだに47回を通った。背中の痛みが消えれば次は肩、その次は膝と、長年の無理が次々と現れてきたためだ。そしてとうとう「次は2ヶ月後で大丈夫です」と言われるまでに回復をした。しかしその「2ヶ月後」の2020年9月には、ワタナベマサヤス先生は「寒いところはイヤ」と、宇都宮から伊豆に引っ越してしまっていた。
伊東市八幡野の新しい場所に僕と家内が行けたのは「2ヶ月後」ではなく9ヶ月後の2021年4月だった。次はそこからまた9ヶ月を経た2022年1月だった。そのときの、膝への治療の痛みは筆舌に尽くしがたかった。数千ボルトを発する電子ペンの先端を患部に押し当てられたときの痛みは症状の重さに比例する。それに懲りて2022年3月からは、ほぼひと月に1度の頻度にて伊豆に通うことを始めた。そしてその回数は、先月までに35回を数えるに到った。
35回も通って最後に辿り着いた現地での宿泊は、伊豆高原の駅前に専用のバスを待機させ、且つ治療院までは歩いて行けるホテル亀の井伊豆高原と、このところは定まっていた。「ところが」である。僕よりひとつ年下の先生はできるだけ長く仕事の続けられることを考えて、住まいと仕事場を一体にすべく、今月からはおなじ伊東市でも吉田に治療院を移した。
そこへ行くためには川奈からタクシーを使う必要がある。しかしその台数の少なさ、送迎の手間と時間、経費を考えれば伊東駅前でレンタカーを借りるのが最上との結論に達した。
新しい治療院は、伊東駅から8キロメートルと少々の場所にすぐ見つかった。いつもは5,000ボルトの数字が点滅する機械に今日は9,000ボルトの数字があったから訊ねれば「この症状だと5,000ボルトでは無理」との返事が戻った。そうして僕は主に腰、家内は左膝に荒療治を受け、ふたたび8キロメートルの道を戻って予約済みのホテルに入る。
朝飯 ジャコと山椒の乾煎り、ミズの甘辛煮、納豆、温泉玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと玉葱と若布の味噌汁
昼飯 「やまやのうまだしおにぎりせっと」、JAVA TEA
晩飯 「伊東小涌園」の其の一、其の二、其の三、其の四、ごはん、漬物、味噌汁、日本酒(燗)、甘味
2025.5.27(火) 作法
ソーマ歯科医院の予約は朝一番にて、先ずは大井町に移動し、駅前で朝食を摂る。その際、向かい合わせの椅子に置いたトートバッグのポーチにPASMOを仕舞おうと、テーブル越しに手を伸ばした瞬間「あわやギックリ腰」という衝撃に見舞われる。
世の中の様々な作法は姿勢をも規定する。「テーブルの向こうにあるものに中腰で手を伸ばす、などという無理な姿勢は、あらゆる指南書にも皆無に違いない」などということを考える。無理な姿勢でピアノを弾いた代表はビル・エバンスとグレン・グールドで、まぁ、彼らくらいの水準になればそれもまた許されるのだろうけれど、すくなくとも僕は、気をつけなくてはならない。
時間の余裕があったため、大井町から京橋に移動をして、そこからは日本橋まで歩く。丸善のエスカレータを3階まで上がることはほとんどしないものの、いざ行ってみれば、置いてある本には興味をそそられるものが複数あった。更に川瀬巴水の小さな展覧会が開かれていたため、それも観る。
江戸時代の浮世絵に対して川瀬の作品は「新版画」と呼ばれるものだったという。新派、新劇、新国劇。こうして並べてみると「新」の付く諸々は、いまや歴史の彼方に去った感がある。ヌーベルバーグやニューシネマもしかり。茅場町の飲み屋「ニューカヤバ」については、よく知らない。
神田の皮膚科に行ったら臨時休業ということがあって、しかし薬は必要だから検索エンジンに頼って根津の皮膚科を見つけた。するとここで処方された塗り薬が存外に効いたため、今日は午後に予約を入れておいた。前回「なぜそんなに必要なんですか」と渋られた一か月分の飲み薬も「前回とおなじだけ」と頼むと先生はすんなり処方をしてくれた。
さて明日と明後日はカイロプラクティックによる治療を伊豆で受ける。「帰らなくても構わない」と家内は言ってくれたものの、帰れば手伝える仕事もある。よって浅草19:19発の下り特急に乗って、21時すぎに帰宅を果たす。
朝飯 “BECK’S COFFEE SHOP”のホットサンドイッチ、コーヒー
晩飯 「もつ焼きけいすけ」の冷やしトマト、もつ刺し盛り合わせ、タマポテサラダ、おまかせ五本盛り、白れば、くつべら、チューハイ、それを濃くするためのナカ
2025.5.26(月) 何度くり返しても治らない
ふと気づくと下今市13:44発のけごん32号は、どこかの駅に停車中だった。そのプラットフォームの様子を眺めて、しかし頭の中には直前まで読んでいた本の余韻が残っている。そこが降りるべき春日部だったことに気づくまでには、数秒を要した。
即、読みさしの文庫本とテーブルに置いたiPhone、そしてトートバッグを鷲づかみにして席を立ち、通路を後方へ急ぐ。トートバッグから、これまた読みさしの新聞が落ちる。それを拾ってまた走る。降車口のドアは閉まっている。「遅かったか」と、しばし呆然と立ちつくす。
するとプラットフォームにいた、次の普通列車に乗ろうとしていたオジサンが僕の様子に気づいて前方を指す。東武線の上り特急は、春日部においては、すべての昇降口は開かない。「ここは開かない口だったか」と、今度は通路を前方に走る。先ほど新聞は拾ったものの、同時に落ちた、早月くらの短歌が4首ばかり並んでいる、文庫本のしおりに使っていた紙片はいまだ通路にある。しかしそれを拾い上げる余裕は無い。
ひとつ前の昇降口が見えてくる。プラットフォームに立つ駅員が、車両の先頭から最後尾までを確認しつつ、赤い旗を棒に丸めた状態で振っている。ここでドアが閉まっては、今日の予定はすべて狂う。そのドアは、僕がプラットフォームに降りた数秒後に閉まった。僕は後方へ歩き、先ほどのオジサンに礼を述べる。
2018年の10月に白内障の手術を受けた。以降は、半年から1年のあいだをおいて診察を受けることが義務づけられている。春日部からは東武アーバンクラインで数駅を下る。七里の眼科には無事、予約した時間の20分前に入ることができた。
電車の中で本を読みふけり、降りるべき駅に着いても気づかず乗り過ごす、ということが僕にはしばしばある。駅と駅のあいだの短い路線ならともかく、今日の春日部では何とか降りることができて良かった。「今後は気をつけよう」と思っても、何度も繰り返すのが過ち、というものである。
朝飯 納豆、切り昆布の炒り煮、梅干、揚げ玉、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、なめこのたまり炊のお茶漬け
昼飯 「カルフールキッチン」のおこわ弁当、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、日光味噌のフリーズドライ味噌汁”with LOVE”
晩飯 「フレンチ食堂ぶどう」のメヒカリのフリット、グリーンサラダ、パン、羊のロースト、フランスの高くないメルロー
2025.5.25(日) 朝の時間
夢をふたつみつ見た気はするものの、それがどのようなものだったかは思い出せない。目を覚まして気分の落ち着いたところで時刻は3時56分。きのう寝に就く前に確かめた時刻は20時38分だから、眠っていたのは7時間と十数分。まぁまぁの睡眠時間だ。
服を着て顔を洗って食堂に来ると時刻は4時。仏壇に花と水とお茶と線香を供えて4時15分。日記を書くためコンピュータを起動し、ブラウザを開いて4時25分。今日の日記の数行を書いたところでキーボードから離れ、夜のあいだにTikTokにいただいたコメントに返信をつけて4時28分。雨が結構な勢いで降っている。
その日記を中断して事務室へ降り、壁に貼った「汁飯香の店 隠居うわさわ」の予約表を取って4階の食堂へ戻って4時47分。きのうの夜から今朝のあいだにいただいたご予約に、それを承った旨の返信をお送りして4時49分。
今日の日記のここまでを書いてからおととい金曜日の日記に戻って文章を書き足し、画像を添えて「公開」ボタンをクリックして時刻は5時13分。大したマルチタスクぶりである。その勢いに乗って昨日の日記も完成させる。
今日は「汁飯香の店 隠居うわさわ」の営業日にて、家内は早くから隠居の厨房へと去った。よって朝食は具だくさんの味噌汁にて簡単に済ます。食後にもなお時間があったため、電磁調理台の、グリルからの熱を逃がす開口部にアルコールを噴霧してティッシュペーパーで拭く。更に、細く入り組んだ部分の油汚れは楊枝の先で掻き出す。
と、ここまで書いたら文字数は614。日記は最低400文字は書くこととしているけれど、今日は朝のことだけでその1.5倍。最上部の画像だけは、朝のうちには撮れなかった。
朝飯 春雨の中華風炒め、切り昆布の炒り煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトとじゃがいもと玉葱と椎茸とウインナーソーセージの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 めかぶの酢の物、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、きのこと厚揚げ豆腐と水菜と豚薄切り肉の鍋、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2025.5.24(土) 陶片
店の、商品の置き方は日々、販売係が工夫をしつつ変える。店の奥の、お客様が「らっきょうのたまり漬」を試食をされたりお茶をお飲みになったりする空間の模様替えは、長男がする。タイから戻ったら、そのテーブルには昨年の6月、僕がサワンカロークで拾った宋胡録の陶片が並べられていた。
先般のバンコクは雨続きだった。6月なら完全に雨期に入っていたはずだが、昨年のサワンカロークは毎日のように晴れて、素晴らしく暑かった。スコータイ王朝の時代に整備された街道には緑が濃く、美しかった。宿から窯跡までの距離は8キロメートル。その道は、宿にあった整備の行き届いていない自転車で往復をした。
サワンカロークの窯跡には2019年の3月にも行った。三たび行きたいかと問われれば、行っても構わないものの「そろそろご馳走さん」という気持ちもある。
スコータイ王朝の寺院群には観光客がたくさんいる。街も賑やかだ。しかしサワンカロークの窯跡には博物館の切符売りがひとりと、掃除のオバサンがひとり。人はそれくらいしかいない。街道はクルマではなく、徒歩か自転車で辿るのがよい。旅は、移動の速度に反比例して贅沢になるのだ。
朝飯 切り昆布の炒り煮、春雨の中華風炒め、生玉子、牛肉と椎茸のすき焼き風、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、椎茸と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「食堂ニジコ」から持ち帰ったピータン、豆腐の塩煮、焼きそば、チャーハン、鶏の唐揚げの酸辣餡かけ、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)、杏仁豆腐
2025.5.23(金) 午後の洗濯
春眠の季節はとうに過ぎたにもかかわらず、タイから戻って以降は早起きができない。今朝の起床は5時。朝食の準備を始めるのは6時30分。持ち時間が1時間30分とは、いかにも短すぎる。どうにかして早起きの習慣を取り戻さなければいけない。
仏壇と自分のためのお茶を淹れようとして、その、近所の鳥屋茶舗で買った茶葉が今朝で終わることを知る。今年の八十八夜は5月1日。とすれば、そろそろお茶農家を営むお客様から営業の手紙の届くころだ。しかし茶葉は今朝で枯渇したわけだから、すこしでも買わなければ明日の朝が困る。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」に6月と7月のご予約が入っている。それをメモに残し、別途、承った旨のメールをそれぞれのお客様にお送りする。今週末の隠居は既にして満席にちかい。その週末を狙い澄ましたような雨の予報が恨めしい。お客様の足元を温めるための暖房絨毯は、いまだ片づけられずにいる。
午後、ことし1月10日に買って、いちどお湯に通したのみのJAPAN BLUE JEANS製のチノパンツ、および1月27日に買って、やはりいちどお湯に通したのみのFULL COUNT製のジーンズを洗濯機に入れる。ジーンズは、裾を3センチメートルほど上げないとだらしなく見えると考えていたものの、洗い上がったそれを履いてみれば丈が縮み、裾上げの必要はなくなっていた。
勉強仲間のセキネヒサタケさんがしばらく前に1,000ccのオートバイを買った。準レース仕様だから時に吐き気を覚えるほど速いという。午後、そのオートバイに乗ってセキネさんが店に来てくれる。セキネさんは小倉町の旅館を予約の上で来てくれた。そのセキネさんと夜は街の居酒屋で待ち合わせて、3時間ほども歓談を交わす。
朝飯 オムレツ、菠薐草のソテー、鮭の日光味噌漬けの焼きほぐし、炒り豆腐、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、蕪と椎茸と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「やまだ宴楽」のお通しの鮪のサラダ、刺身の盛り合わせ、玉子焼き、蟹クリームコロッケ、「三岳酒造」の芋焼酎「三岳」(お湯割り)
2025.5.22(木) 忘備
上澤梅太郎商店は土曜日は平日の倍、日曜日は3倍ほど忙しい。ところがタイから戻った日、つまり今週火曜日の売上げ金額は、先週土曜日のそれに肉薄するものだった。長男に訊いても理由は不明。「そのかわり別の日に失速」とならないよう、気をつけたい。
昼からは今日も隠居へ移動をして、数時間ほども仕事をする。庭は万緑。座敷とは目と鼻の先の梅の木には直径3センチメートルほどに育った実が認められるものの、地面に落ちた実もまた少なくない。紀州の梅は、昨年は大不作だった。そして今年の状況も良くないと、業界紙は伝えていた。それは、どのような理由によるものだろう。
道の駅「日光街道ニコニコ本陣」には、配達係のイザワコーイチさんが休みの日には、日に3度は行って、売り場の掃除や納品を行う。その3度目は15時30分のころ。ふと気づくと、昼すぎにいきなり降ってきた雨が上がって日も差している。よって帰りには如来寺のお墓に寄って、タイへ出かけようとしていた11日に供えた花を片づけ、花立てと線香立ての周辺を水で洗う。
夕刻に到って、ふた月に1度ほど診察をしてもらっている病院に行き忘れたことに気づく。来週の日程を考えれば、病院には今週中に行っておく必要がある。そして「たとえカレンダーに忘備を記してあっても、念には念を入れて、その前日には机上にも追加の忘備を貼る必要があるな」と、反省をする。
朝飯 生のトマト、菠薐草のソテー、スクランブルドエッグ、牛肉と椎茸のすき焼き風、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、葱坊主の天ぷらとカラシ菜と若布の味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」のおこわ弁当、生のトマト、おかずあれこれ、胡瓜と蕪のぬか漬け
晩飯 切り昆布の炒り煮、豆もやしのナムル風、揚げ春巻き、玉子の中華風スープ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2025.5.21(水) あとはよろしく
まぶたの内側が明るい。「さては部屋の電気を点けっぱなしで眠ってしまったか」と悔やみつつまぶたを開く。明るさは天井の明かりではなく、カーテンに差す朝日だった。きのうの就寝は21時ころ。今朝の目覚めは5時。8時間も眠り続けたのは、飛行機の中での寝不足によるものだろう。すぐに起きて、仏壇へのお供えをするなどの、朝の諸々を始める。
今日は月に1度の店休日。しかし都合のつく社員はすべて出社をして、普段の仕事の他、話し合いや社内の整備を行う。午前、その話し合いのため隠居へ赴くと、座敷に差し込む夏の日の一部を遮るための、グリーンカーテンが作られていた。
午後からは全員が2階の資材置き場へ上がり、取り置くべきものには赤、捨てるべきものには青、取り置くか捨てるかについて相談の必要なものには黄色のステッカーを貼っていく。青いステッカーを貼られたものの整理は来月の店休日に行う。そのことは作業の前に知らされていたものの、皆、走り出したら止まらない慣性のようなものに取り憑かれて、階下の一角には処分すべきものが早くも山になった。
来月の店休日には、僕は不在になる。「あとはよろしく」である。
朝飯 鮭の「日光味噌と粕漬け」焼き、スペイン風目玉焼き、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、葱坊主の天ぷらとカラシ菜の味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」のおむすび弁当、いちご
晩飯 “JOHNNEY’S CAFE 638″のフォカッチャ、トリッパの煮込みブレシア風、ゆばとたけのことたまり漬「鬼おろしにんにく」と山椒のキッシュ、鰯のブカティーニ、牛テールシチュー、カラフの赤ワイン、バスクチーズケーキ、おまかせのウイスキー(生)
2025.5.20(火) 日本は5月
70Hの座席の背もたれを最大に倒し、amazonで購入した、航空会社がただでくれるものより格段に優れるアイマスクを着けても眠気は訪れない。
01:40 ふと気づいてアイマスクを外す。いつの間にか眠っていたらしい。機は南シナ海の北部を飛行中。
03:00 またまたふと気づくと僕の左手すぐ後ろに朝食を運ぶワゴンが来ている。「眠れない」と焦燥しても、またまたいつの間にか眠ったらしい。朝食は3分の1ほどしか食べられず。それはそうだ、時刻はいまだ3時。睡眠時間は2時間ほどのものだろう。機は沖縄の上空を飛行中。
03:27 最後尾ちかくの通路側に席を占めていれば、朝食のトレーは自分でギャレーに片づけられる。その帰りにラバトリーに入り、備えつけの歯磨きセットで歯を磨く。
03:32 機の揺れが激しくなる。乗客はシートベルトを締め、客室乗務員はそれぞれの席へ戻るよう、アナウンスが流れる。
03:55 機は四国と紀伊半島のあいだの数百キロメートル南方を飛行中。
04:30 「羽田空港には日本時間で7時に到着」のアナウンスが流れる。
04:55 TG682は定刻の日本時間06:55ちょうどに羽田空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。
07:10 機外に出る。
07:15 入国審査場を通過。
07:56 「まさかロストバゲージでは」と心配になるころ、ようやくスーツケースが回転台から出てくる。
07:57 税関を通過。
08:13 羽田空港第3ターミナルを京急空港線急行京成高砂行きの車両が発。
ホテルのwifiが使えない状況で、MG会場のwifiを頼りにローカルのエディタからWordPressに文章を写し、ホテルで加工した画像をはめ込み忙しなく公開した先週金曜日の日記を京急線の車内でiPhoneを使って読む。その結果、誤字のとても多いことに気づく。
09:02 京急空港線急行京成高砂行きの車両が都営浅草線の浅草に着。
09:13 京急空港線急行京成高砂行きの車内で特急券を確保したリバティ会津113号の席に着く。
09:30 リバティ会津113号が浅草を発車。次の北千住に着くまでに、先週金曜日の「タイ日記(5日目)」の誤字すべてを直す。
11:10 リバティ会津113号が下今市に着。ローカルのエディタに書いておいた、先週土曜日と日曜日の日記は画像も含めて車内で完成をさせた。駅に迎えに来てくれた家内が「暑いでしょ」と同意を求める。しかし僕は、日本の5月の爽やかさのみを感じている。
帰社して以降は自宅に上がって荷物の整理をする。ついでに素麺を煮て、これを昼食とする。そうして事務室に戻ると、僕の机の上には先週月曜日からの郵便物や書類が山になっている。遁世すればこのようなものは目にしなくてよくなるのだろうけれど、「このようなもの」からは死ぬまで逃れられなさそうな気もする。
朝飯 “TG682″の機内食
昼飯 にゅうめん
晩飯 鯛の煮付け、炒り豆腐、胡瓜と蕪のぬか漬け、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、豚薄切り肉とグリーンアスパラガスのソテー、メシ、「片山酒造」の「素顔純米吟醸」(燗)
2025.5.19(月) タイ日記(8日目)
きのう一昨日とおなじ理由により、5時30分にロビーに降りる。そしてきのう一昨日とおなじくソファに座った膝の上にコンピュータを開き、ローカルのエディタにてきのうの日記を書く。また、部屋の電源はテレビのそれ以外は死んでいるため、ソファの横のコネクタにてiPhoneを充電する。
さて最終日の今日にすべきことで欠かせないのは、きのう洗濯屋に預けた洗濯物の回収、および土産の購入だ。ウチはおじいちゃんが土産を配ることを好んだたため、その習いが今にまで続いている。業界の旅行に行くと、社員に土産を買うのは僕くらいのものだから、世間一般がウチと同じ、というわけではないらしい。
8時がちかくなったところでIKEAのトートバッグを提げて外へ出る。洗濯屋は大通りを挟んではす向かいにあるものの、横断歩道の無いところで道を渡ることは、この通りに限っては危なくてできない。よってアソークの大きな交差点まで戻って反対側の歩道を北へ歩く。洗濯屋にはきのうとおなじ女の子がいて、僕の持つ控えと仕上がった洗濯物の伝票を注意深く照合し、洗い上がった衣類を手渡してくれた。
その、結構な大きさのプラスティック袋を部屋へ置き、ふたたび外へ出る。そして最初の、大通りの店には思うような品が無かったため、麺やお粥の屋台がふたつみっつ出ているだけのソイカウボーイを抜けてsoi23に出る。そして2軒目となる店で、できるだけ嵩張らないものを買い物カゴに入れる。
それらを提げて部屋へ戻る。そして洗濯屋が仕上げた衣類を圧縮袋に詰め、また買ったばかりの土産もスーツケースに納めて、荷作りのあらかたを終える。
ここで時刻は9時がちかくなった。腹は減っているものの、今日は近場では済ませない。先ずは部屋のコンセントが役に立たないことをレセプションのオネーサンに説明し、その上で、コンピュータに充電をしてくれるよう頼む。
部屋に戻って今度はタイのセブンイレブンのエコバッグに本と財布とiPhoneを入れて外へ出る。そしてBTSで東にふた駅のトンローに移動をする。ホテルを出るときの弱い雨は、雷雨に変わっていた。閉じていた傘を再び開いてsoi53とsoi55のあいだの狭い道を北へ歩く。しかしトンローのsoi1までは行かない。右手のカフェの名は”Herringbone”。ここで朝昼兼用の食事を摂る。
僕の着いた大テーブルの端では「君、そんなにたくさんのもの、食えるわけねぇだろ」という量の、いかにも見ばえのする料理と飲み物を、若い女の人がいつまでもDJIのカメラで撮っている。その行いは、僕が注文した品をすべて食べ終えても、なお続いている。「つまり彼女は客ではなくて、広告代理店のカメラマン、ということか」と納得しかけたところでその女の人はふたり分の料理と飲み物を隣のソファ席に移し、そこで男の人と食べ始めた。
「見ばえのする料理の動画をSNSに上げ、多くの承認を得ることによる満足感の方が、作りたてを愉しむよりより上」という価値観を否定するものではない。しかし料理を作る人からすれば、それは面白いことでは決してないだろう。「男の方も、よくもまぁ黙って待っているものだ」と、大いに感心をする。というか、呆れる。
カフェのテーブルでは2時間ほども本が読めた。次はBTSでひと駅を戻ってプロンポンで降りる。そしてこの旅で3回目となるマッサージ屋に傘を返す。ここで「それでは」と去ればお金を使わずに済むところ、窓の無い湿気た部屋に戻る気もしない。天井の灯りのよく届く寝椅子を指定して、2時間の足マッサージを受ける。料金は600バーツ。オバサンには150バーツのチップ。
バンコクに来て以降、盛り場の鮨屋を訪ねるなどの「よそ行き」を除いては、ユニクロの緩いズボンを穿いている。そのズボンに大きな油染みのあることにきのう気づいた。油気のあるものをいくら食べこぼしても、これほどのシミはできないだろう。しばらく考えて、それは脚をマッサージされたときの油によるものと考えが到った。シミは、普通の洗濯でも落ちるだろうか。
帰国日の残り時間はいまだ潤沢にある。プロンポンの駅の北側を広範囲に歩き、あれやこれやを見る。看板は日本語がほとんど、という通りもある。スクムヴィット線のサイアムからトンローのあいだに宿を取れば、便利さはこの上ない。しかしそこここで日本語を目にする、あるいは耳にする、そのことにより旅の感興が削がれる、ということはあるだろう。
午前に洋風の食事を摂ったら、午後にはもうタイ料理が恋しくなった。プロンポンからアソークの部屋へ戻り、シャワーを浴びて外へ出る。アソークの大通りをはす向かいの角へ渡るには、横断歩道を渡るより空中歩道を伝った方が時間は節約できそうだ。しかし今回は敢えて横断歩道を選ぶ。そして夜の駅から眺め降ろせばいつも満席の人気店で、早めの晩酌を始める。空港まではスーツケースを曳きつつ電車で行くことを考えて、ラオカーオは封印してビールにしておく。
料理ふた品とビール2本の料金は500バーツちょうど。物価の低い田舎が主戦場の僕からすれば、仰天するほどの高値だ。その値段でも日の暮れるころには観光客と在住外国人で鈴なりになるのだから、店側の値付けは正解なのだ。客は多分、バンコクの真ん真ん中にあるにも関わらず古き良き時代のバンコクを味わえる、そんなところが気に入ってこの店に来るのではないか。ホテルまでは横断歩道は使わず、駅から伸びる空中歩道を伝って戻る。
19:07 シャワーを浴び、歯を磨く。
19:37 ホテルを出る。
19:44 MRTの車両がスクムヴィットを発。
19:45 その車両がペチャブリーに着。
19:55 エスカレータと空中歩道を使ってエアポートレイルリンクのマッカサン駅へ移動。スワンナプーム空港までの料金は35バーツ。頭と顔は既にして汗まみれになっている。
19:58 ARLの車両がマッカサンを発。次のラムカムヘンから座れる。空港の3駅手前のラックラバンでほとんどの乗客が降りるわけは何だろう。
20:21 ARLの車両がスワンナプームに着。
20:34 4階のDカウンターで、タイ航空の職員の手を借りてチェックイン、そして荷物預けを完了。スーツケースの重さは13.9キログラム。
20:43 エスカレータを上がって保安検査場を通過。羽田とは異なって、コンピュータはバックパックから出すよう言われる。今回はトリッペンの、ブーツではなく短靴を履いてきたため、靴は脱がされずに済む。
20:45 出国審査場を通過。
20:52 シャトルトレインの車両がメインターミナルを発。
20:54 その車両がサテライトターミナルに着。
21:05 3月にはカードの会員証で入場を断られたミラクルラウンジに、今日はiPhoneに仕込んだデジタル会員証を見せて受付を通過。腹は減っていなかったものの「折角だから」と、いささか乾き気味のサンドイッチを肴にして南アフリカ共和国のカベルネソーヴィニョンを飲む。また、空港に来る途中で汗をかいたため、シャワーを借り、半袖のTシャツを、襟の高い長袖のシャツに着替える。
21:52 ミラクルラウンジを去る。
21:53 ボーディングパスに指定されたS112Aゲートに着く。ここでジャージー地のカーディガンとウインドブレーカーを長袖のシャツに重ねる。
22:40 なぜかS112Bゲートから搭乗開始。
自分の背もたれの後ろには空間があるばかりの70Hの席に着く。そして最後尾のギャレーにいた男の客室乗務員に「薬を飲むのでコップの水をください」と声かかける。彼は水のペットボトルをひとかたまりにしているプラスティックの幕を専用の器具で切り裂き、その中から1本を取り出して、手渡してくれた。
23:11 Boeing777-300ER(773)を機材とするTG682は、定刻から26分おくれてスワンナプーム空港を離陸する。
朝飯 ”Herringbone”のクロックムッシュ、ソルティカラメルラテ
晩飯 “Suda Restaurant”のホイライパットプリックパオ、バミーヘン、シンハビール