2020.7.16(木) イークラ先生
高等学校のときの英文法の教師はイークラ先生だった。先生の陰々滅々として孤独そうな印象は、文法という学問に似合っている気がした。先生はまた、大変なヘビースモーカーだった。つまりは「重症のニコチン中毒患者」というわけだ。
先生は講師でいらっしゃったから、受け持ちの授業を終えればすぐお帰りになる。先生は、学校内では一切、喫煙はされなかった。我慢に我慢を重ねて、正門を去ると同時にタバコを取り出し、歩きながらそれに火を点けるのだ。まさかその後を追って確かめたわけでもないだろうけれど、同級生のひとりが言うには、先生は1本目を吸い終えると即、2本目を取り出して、性急にそれを吸い始めるのだという。
夕食の最後に、甘い西洋菓子を肴にしてウイスキーを飲んだ。すると妙にタバコが欲しくなった。よって食器棚の、薬を収めた引き出しから、いつ買ったか覚えていないピースの箱を取り出す。そして仏壇からマッチを借り、階下に降りて外へ出る。
タバコには曰く言いがたい、抽象的な美味さがある。「生まれてこのかた、タバコは1度も吸ったことがない」という人もいるけれど、この美味さは知っておいて損はない。そして店の駐車場のベンチに腰かけ、ことし2本目のタバコをイークラ先生とおなじほどの速度で、吸う。
朝飯 生のトマト、切り昆布と細切り人参の炒り煮、納豆、唐辛子の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、大根と人参と胡瓜のぬか漬け、肉味噌、メシ、三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 らっきょうのたまり漬と鶏笹身肉とレタスのサラダ、“LE COFFRET”のパン、夏野菜と茸のスパゲティ、Petit Chablis Billaud Simon 2016、“LE COFFRET”のケーキ、Old Parr(生)
2020.7.15(水) 送料
日本とは異なって、南の国には正札の無い例が目立つ。あるいはあっても、掛け値をしている。その値段の交渉、有り体に言えば値切ることを無上の楽しみとする人がいる。そのような人は、人と人との触れ合いが好きなのだと思う。
南の国ではまた、正札があっても、売り手がハナからそれを無視して、自分の理想とする価格を示してくることがある。メーターを備えながらそれを使わないタクシーなどは、その代表だろう。
僕は、旅先では心付けを渡すことを好む。しかしメーターを使わないタクシーは好まない。だからそのような運転手にはメーターを使うよう言う。それに従わなかった運転手には、ことインドシナにおいては、これまで遭遇したことはない。
メーターを使おうとしない運転手には、それを使うよう言う。しかし掛け値をしていると明らかに思われる商人と、丁々発止のやりとりをしながら値を下げさせようとする、ということはしない。それは多分、人との接触を、僕がそれほど好まないからだと思う。
そのような性格によるものかどうかは不明ながら、僕はウェブ上で買い物をすることが好きだ。ところが困ったことに、送料を支払うことは好まない。よって「〇円以上のお買い物については送料サービス」という店側の提案に、僕は乗りやすい。
味噌汁の出汁には煮干しを使う。煮干しは長崎の店で買ったり築地の店で買ったりする。先般、その築地の店で煮干しを買いながら、どうにか送料をサービスしてくれる水準まで買い物をしようとして、煮干しに加えて若布も買い物カゴに入れた。その若布には「ヤケに高けぇな」と感じる値段が付けられていた。しかし「健康のためなら死もまた辞せず」という人とおなじく、送料をサービスさせるためなら、僕は高い買い物も厭わない。
そしてこの若布を数日前から使い始めたところ「ヤケに高けぇ」どころか「ヤケに安い」ことが分かった。肉厚で歯ごたえの良いことに加えて、水にさらすと異常にかさを増すのだ。
そういう次第にて今朝も、その若布を流水にさらして塩を抜き、味噌汁の具にする。若布は、これから数ヶ月は、冷蔵庫の中で保つと思う。
朝飯 鮪の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け丼、オクラのおひたし、青葱の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、若布とアルファルファの味噌汁
昼飯 「金谷ホテルベーカリー」の2種のパン、コーヒー
晩飯 じゃがいもと胡瓜と鯖のサラダ、刺身湯波の餡かけ、キャベツの千切りとトマトを添えた串カツ、「渡邉佐平商店」の酒粕焼酎「SEIKAI ALCOHOL 77%」(ソーダ割り)
2020.7.14(火) 次は月のころに
背骨と右肩胛骨のあいだの痛みが徐々に強くなり、我慢できないところまで達したのは、おととしの年末だった。外科の病院を訪ねると、レントゲン写真を撮られ、診察をされ、背中にブロック注射を打たれた。注射は数日をおいて2度うけたが、効果はせいぜい半日しか保たなかった。
年明け、その外科から宇都宮の総合病院に、MRIによる患部の撮影を予約してもらった。インターネットを介して返送された画像をコンピュータのディスプレイに凝視した外科の先生は「脊柱管が狭窄しているようにも見えますね」と言った。その言葉の調子は、僕には「脊柱管が狭窄しているように見なくもない」と聞こえた。
処方された鎮痛剤で痛みを鎮める日々が続いた。しかしいつまで鎮痛剤に頼ることは、僕にはとてもではないけれど、不気味でできない。
そんなある日「からだを妙な具合にひねり、どうにも痛みが去らないため、神の手により一発で治してもらった」と、facebookに上げた人がいた。僕は即、メッセンジャーで自分の窮状を訴え、その整体院について教えてもらった。
はじめその整体院には1週間に2度の割合で通った。治療の頻度は症状が軽くなるにつれ1週間に1度、10日に1度、2週間に1度と低くなっていった。背中の痛みは数ヶ月で霧消した。
「大きな痛みが去ると、それまで隠れていた別の痛みの出てくることがあります」という先生の予言を裏付けるように、今度は左肩にひどい痛みが浮上した。それもまた、先生は根気よく解かした。以降は右膝の不調を治しながら「次は2ヶ月後で良いでしょう」と言われるまでに、僕のからだは持ち直した。
昨年の正月から数えて今日は47回目の施術だった。9,000ボルトを発する電子ペンによる治療は、症状の重いときには、肌に突き立てたボールペンに10キロの重石を載せたほどの痛みを伴う。しかし今日はからだのどこに押し当てられても、ただ触れているだけにしか感じなかった。
先生は現在の施設を閉じ、来週から2ヶ月のあいだ勉強に没頭するという。宵の空に月の綺麗に上がるころになったら、また先生の携帯電話を鳴らしてみようと思う。
朝飯 切り昆布と細切り人参の炒り煮、納豆、茄子とオクラの炒め煮びたし、胡瓜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、大根と人参と胡瓜のぬか漬け、刺身湯波、メシ、揚げ湯波と菠薐草の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 手巻き鮨、「松瀬酒造」の「松の司特別純米」(冷や)、水羊羹、Old Parr(生)
2020.7.13(月) 鮨くらいでは済まない
妹は1972年に14才で病没をした。その祥月命日が近づくと、毎年、南半球から花を届けてくれる人がいる。「日本に来たら、ぜひ連絡してください」と、その都度お礼のメールを送る。しかしその人はいつも黙って日本に来て、黙って南半球に戻ってしまう。銀座で鮨を差し上げるくらいでは済まないはなしだ。
きのう届いたその花は、仏壇の前に日光彫りの台を置き、その上に飾った。と、ここまで書いて「ひとつの文に『その』が重複してはおかしいだろうか、英文であれば、ひとつのセンテンスに”the”の重複する例はあるけれど」と、しばしキーボードを打つ指が止まるも、日記が長くなるので先へ進む。
「墓参りは朝にするものだ」という考えが僕にはある。家内は「汁飯香の店 隠居うわさわ」の仕事で現場を離れることができない。そういう次第にて9時すぎに会社を出て、先ずはJR通りの「花一」で白菊10本を購う。そして如来寺の、桜の古木のちかくにホンダフィットを駐めて、墓地の砂利を踏む。
会社に戻ると10時を5分だけ過ぎていた。ひとりによる墓参りは、結構、時間のかかるものだ。
お墓に供えた花が、人知れず枯れている景色はわびしい。これからしばらくは、数日おきにお墓へ通おうと思う。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、切り昆布と細切り人参の炒り煮、大根と人参と胡瓜のぬか漬け、青葱の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、メシ、玉葱とズッキーニの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 レタスと南瓜とトマトとパプリカのサラダ、漬物の盛り合わせ、カレーライス、Old Parr(ソーダ割り)、自由学園のクッキー、Old Parr(生)
2020.7.12(日) 助け合いの方向
9時に上がった花火の音は、事務室にいても聞こえた。「八坂祭だ」と言うと「えっ、もうそんな時期」と、長男は飛び上がらんばかりに驚いた。
先週の日曜日は、町内の公民館に祭壇を設けた。またカキダレのための和紙を、集まった役員で手分けして折った。そのカキダレは今年の分ではなく、コロナ禍が去るか、あるいはワクチンが開発されるかして、お祭が元の形で行えるようになったときの準備である。
今年4月、総鎮守瀧尾神社の春の大祭は、お囃子もなく渡御の行列もなく、神事のみで静かに終わった。そしてこのたびの八坂祭も、家の前の飾りつけは無し、渡御の行列も無し、御神輿の巡行も無し。今朝は花火は上がったものの、宮司と当番町の三役がクルマで各町内の会所を回って終了だという。
今年の当番町である大谷向町は、戸数も多く、お祭に際しては満々の気持ちで臨んだことだろう。当番町は、12年に1度しか巡ってこない。お祭の大幅な縮小は、12年後に町内の中枢でお祭を仕切るべき若い人の勉強の機会を、ほぼゼロにする。現在の三役は、12年後には引退をしている可能性が高い。
各町内は、お祭に関しては今後ますます、助け合いの方向を目指していくだろう。
朝飯 切り昆布と細切り人参の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、青葱の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、しょうがのたまり漬、しいたけのたまり炊によるお茶漬け
昼飯 冷やし中華
晩飯 ズッキーニの味噌汁、茄子とピーマンの素揚げ、ルッコラと水菜のサラダを添えた鶏の唐揚げとコロッケ、大根と人参と胡瓜のぬか漬け、蕪のぬか漬け、甘らっきょう、「渡邉佐平商店」の酒粕焼酎「SEIKAI ALCOHOL 77%」(ソーダ割り)、桜桃のヨーグルト和え、Old Parr(生)
2020.7.11(土) これは簡単
朝は日記を書いたり本を読んだりする。時には明日の日記も書く。あさっての日記については、よほどの予定でもない限り書かない。音の無い、あるいはせいぜい鳥の啼き声くらいしか聞こえてこない時間は貴重だ。
土、日、月は上澤梅太郎商店が運営する朝食専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」の営業日だ。この3日間は、その日の予約に従って、家内は4時とか5時に起きてくる。そして高橋義孝風にいえば「それが天の命令ででもあるかのように」テレビのスイッチを入れる。そうなると、ものを書いたり読んだりは、もうできない。
そういう次第にて僕は席を立ち、今日は料理をすることにする。
きのう製造顧問のフクダナオブミさんに、家庭菜園で採れた唐辛子をもらった。唐辛子とはいえ梅雨の最中のそれはまったく辛くないという。その、艶やかに膨れた紡錘形を水で洗い、縦に二つ割りにして種を除く。そしてフライパンに油を敷き、弱火で炒める。
唐辛子は徐々に丸まり縮んでくる。生らしさの消えた頃合いを見計らってキッチンペーパーの上に移し、油切りをすると同時に冷ます。そして適当な保存容器に収めて「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」を注ぐ。「朝露」の量が「ひたひた」ではしょっぱくなりすぎるから、半分くらいのところで抑えておく。これで「たまり浅漬け」の仕込みは完了である。
家内は6時に隠居へと去った。僕は「30分だけ」と決めて、ふたたび本を開く。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、切り昆布と細切り人参の炒り煮、温泉玉子、夏葱の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、刺身湯波、メシ、トマトとズッキーニの味噌汁
昼飯 肉味噌納豆うどん
晩飯 冷やしトマト、もやしのナムル、キムチ鍋、「渡邉佐平商店」の酒粕焼酎「SEIKAI ALCOHOL 77%」(ソーダ割り)、バナナプリン、Old Parr(生)
2020.7.10(金) ひさかたの
朝の明るい今ごろは特に、目を覚まして食堂に出れば、即、空を望めるよう、カーテンを巻き上げる。しかしここ数日はその行いを、しばしば忘れた。それはとりもなおさず、空はいつも、鉛色に塗りつぶされていたからだ。
今朝は、ここ10日ほどの例に反して、すこしばかりではあるものの、東の空に明るみがうかがえた。よって両側を本棚に挟まれた狭い廊下を進み、その先にある、北東に面した窓のカーテンを少しずらしてみた。すると東方のオレンジ色の上には雲が層を成し、そこから上手、否、芝居ではないから上手はおかしい、北へ寄ったところには青空さえ望めた。時刻は4時37分だった。
その空の写真を撮り終えて食堂に戻り、既にして書けていたおとといの日記を整える。ただしその最上部に置く画像はいまだ用意できていないから「公開」ボタンはクリックしない。そしてきのうの日記に取りかかり、これをあらかた完成させる。
9時にホンダフィットのハンドルを握り会社を出る。農家を訪ね、ふたつの銀行でそれぞれの用事を済ませる。途中、東武日光線の下今市駅に寄り、次は道の駅で2種の野菜を仕入れる。帰ると時刻は10時になりかかるところだった。空は結局のところ晴れず、また雨が降ってくる。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、舞茸のソテー、切り昆布と細切り人参の炒り煮、ピーマンとスパムのソテー、夏葱の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、肉味噌、メシ、大根の味噌汁
昼飯 朝のおかずを流用した弁当
晩飯 ポテトフライ、トマトとレタスとアボカドのサラダ、エリンギのソテーと茹でたブロッコリーと「にんにくのたまり漬」の薄切りを添えたビーフステーキ、San Pedro Castillo de Molina Carmenere D.O.Valle del Maule 2018、バナナプリン、Jagermeister(生)
2020.7.9(木) それは1982年の
このところ太陽の見える日は一切、無い。きのうの午前には強い雨が降った。それ以外の日々も、止んだと思えばまた降り、の繰り返しだ。
最後の墓参りは先月の23日。お婆ちゃんの祥月命日だった。盛夏には、お墓の花は水を小まめに換えつつ数日のうちに片付ける。しかし日照りのない今であれば、花は雨の中でいまだ生きながらえているだろう。そう考えて、本日ようやくお墓を訪ねてみる。花は、誰かの手により既にして片付けられていた。
自由学園の中等科と高等科の、1学期の終業式は7月17日と、いまだに覚えている人がいる。その人によれば、そのころ梅雨は既にして上がっていることが多かったという。そう言われてみれば僕も、傘を差しつつ帰省をした記憶はない。ただしその数年後、いつまでも梅雨の上がらない夏のあったことは覚えている。
列島の上空に弧を描くようにして前線が停滞している。太平洋の高気圧に押されてそれが北に遠ざかれば、それがすなわち梅雨明け。しかし今年はその高気圧の勢いがさほど強くないと、今朝のテレビの気象予報士は説明をしていた。
「夏をあきらめて」と検索エンジンに入れてみる。それは果たして1982年のはやり歌だった。今年の梅雨明けは、いつになるだろう。
朝飯 納豆、島豆腐と玉子とズッキーニのチャンプルー、茄子と獅子唐のソテー、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、万能葱の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、らっきょうのたまり漬、しょうがのたまり漬、メシ、ズッキーニの味噌汁
昼飯 冷やし中華
晩飯 夏葱の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、冷やし醤々うどん、「渡邉佐平商店」の「純米地酒焼酎」(お湯割り)、李のゼリー、チーズケーキ、Old Parr(生)
2020.7.8(水) 線状降水帯
おなじ日に買った菊でも、その保つ日数には大きな開きがある。菊の、駄目になる形にはふたとおりがある。ひとつは、首のところから90度ほども、いきなり頭を垂れる。もうひとつは、花の中心部から外へ向けて、徐々に黒ずみが広がっていく。
駄目になった菊は、次々と処分をしていく。そうするうち、もっとも寿命の長い1輪が残る。「いまある1輪は、どれだけ保っているだろう」と考えて、小遣い帳を見る。それは果たして、昨月の15日にJR通りの「花一」で購ったものだった。梅雨寒とはいえこの時期に3週間以上も保つとは大したものだ。そして明日こそは新しい5輪を求めようと決める。
2015年9月10日、日光地方は「50年に1度の大雨」に見舞われた。そのころより「50年に1度」は耳に珍しいものではなくなった。「50年に1度の大雨」は毎年、列島のどこかしらで発生をしている。ここ数日のそれは特に、広い範囲に甚大な被害をもたらした。何十年ものあいだ丹精をし続けた農地が一瞬のうちに流される。愛着のある家や会社や生命を維持するために必要な施設を泥流が襲い、その機能を失う。人も勿論、流される。目を覆う惨状である。
「雨よ、早く止め」と祈る以外のことも人間はできる。しかし人間のできることは、あまりに小さい。
朝飯 万能葱の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、冷や奴、「日光味噌梅太郎白味噌」を練り込んだ松かさ焼き、生のトマト、メシ、胡瓜と若布の味噌汁
昼飯 2種のパン、アイスミルクコーヒー
晩飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ポテトサラダ、焼き鮭、島豆腐と玉子とズッキーニのチャンプルー、胡瓜のぬか漬け、「渡邉佐平商店」の「純米地酒焼酎」(お湯割り)
2020.7.7(火) 褒美
毎年、2月の後半にタカシマヤ東京店の「老舗名店味紀行」に、また9月の後半にはタカシマヤ新宿店の「美味コレクション」に、それぞれ1週間の出店をさせていただいてきた。今年の2月も、また例年のとおりだった。しかしその直前から広がり始め、いまだに収束しない社会の混乱については、誰もが知るところだ。それを受けてのことだろう、夏から秋にかけての催しに変化が出てきた。
タカシマヤさんでの出張販売に際しては、毎回、お知らせをお客様にお送りしている。その催しに変化が生じれば、お知らせの内容や方法も、それに合わせて調整をする必要がある。
午前、きのう長男と錬った内容を2枚の紙に印刷し、それをコンピュータと共に持って4階の食堂に上がる。「ちかくまで参りましたので、お寄りしてみました」などという人がやたらに来る事務室では、精密な仕事はできない。そして小一時間ほどもかけて「条件付き小計」や「繰り越し演算」や「検索と消去」などを繰り返すうち、端正な結果が得られた。
そういう次第にて昼は「大貫屋」のタンメンを、自分への褒美とする。
朝飯 獅子唐の天ぷら、スペイン風目玉焼き、ホウレンソウのソテー、万能葱の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、しょうがのたまり漬、メシ、蕪の茎の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のタンメン
晩飯 トマトのすり流し、椎茸と菠薐草のおひたし、鰆の「日光味噌梅太郎白味噌漬け」焼き、夏野菜の炒め煮びたし、松かさ焼き、「渡邉佐平商店」の「純米地酒焼酎」(お湯割り)










































