2020.7.6(月) 小さなクラス会
自由学園男子部36回生は、この時期にこぢんまりとしたクラス会を企画した。一行は、きのうの午後に日光入りをした。日光や鬼怒川へ遊びに来るときの一番の要諦は、お彼岸、ゴールデンウィーク、シルバーウィーク、紅葉の見ごろなどの、観光シーズンを外して計画を立てることだ。僕はきのう、彼らと街の居酒屋から洋食屋に流れ、楽しいひとときを持った。
幹事のヒラマツシューヘー君は本日、11時30分に「汁飯香の店 隠居うわさわ」を予約してくれていた。しかし一行はそれより数十分もはやく店に現れた。東照宮の見物は既に済ませたという。「クルマで1キロを進むのに1時間」という観光シーズンさえ外せば、誰もが自由自在である。
「熱海館の朝メシは美味い。だからごはんを3杯も食えば隠居の昼メシは苦しくなる」と、彼らには伝えておいた。彼らは「隠居」で、90分ほどもくつろいでくれた。環境にも食事にも過分の評価をいただけて有り難かった。彼らは店で買い物をしてくれた後、4台のクルマに分乗して去った。
それはさておき「隠居」には、下級生は続々と来てくれるものの、同級生はいまだひとりも現れない。誰か泊まりがけで来てくれないか。旅は気楽で忙しくないのが一番だと思う。
朝飯 スパムと空心菜のソテー、しょうがのたまり漬、人参のぬか漬け、メシ、若布と玉葱の味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」のサンドイッチ、アイスコーヒー
晩飯 レタスとブロッコリーのサラダ、牛すじ肉のジェノベーゼ、トマトとしらすとブラックオリーブのスパゲティ、Petit Chablis Billaud Simon 2016、ホイップクリームを添えたアースケーキ、コーヒー
2020.7.5(日) 泊まりがけ
地元の勉強仲間イトーヒロミさんが、友人のドーゾノアサコさんを「汁飯香の店 隠居うわさわ」にお連れくださった。「隠居」の照明は数十年前の古色蒼然としたもので、部屋は薄暗かった。それを解決すべく採り入れたのが、ドーゾノさんのご主人が経営される「てるくにでんき」の小さなLEDである。
材木屋のコバヤシハルオさんによれば「玄関に続く6畳間、その奥の6畳間はケの部屋、庭に面した6畳間は家族にとってのハレの場、床の間が南面する8畳間は客間。部屋の格は、天井板を観れば分かる」とのことだった。その天井に傷を付けることなく、既存の照明も活かしつつの増光が実現できたのは幸運だった。
午後、事務室にて、人の視線を感じて顔を上げると、自由学園男子部36回生、つまりひとつ下の面々が僕を眺めて笑っていた。彼らのうちのひとりヒラマツシュウヘー君は小さな同窓会を企画して、ひと月ほど前から「隠居」を予約してくれていたのだ。
夕刻、泊まりがけで来た彼らを、帰省中の次男と共に旅館「熱海館」へ迎えに行く。そして計9名にて夕食のひとときを持つ。
朝飯 小泉武夫先生が「100人中103人がおいしいと言う」と自賛する焼き納豆丼、しょうがのたまり漬、胡瓜と人参のぬか漬け、若布と菠薐草の味噌汁
昼飯 「日光の庄」の盛り蕎麦
晩飯 「和光」のあれや、これや、それや。他あれこれ。麦焼酎「吉四六」(ソーダ割り)
2020.7.4(土) 馬々虎々
「日記は翌日の早朝に書いて、その日の昼に公開する」というリズム、まぁ外来語はできるだけ使いたくないから時間的規則とでもしようか、とにかくそのような規則性を以て日記を更新していた時期がある。しかしここ数年は多く「日記は翌日の早朝に書いて保存し、既に完成しているおとといの日記を公開」している。自分の行動の理由を都度、考えることはしない。多分、在庫の余裕が欲しいのだと思う。
今朝は、おとといつまり7月2日の日記の「公開」ボタンをクリックして後は、そこにも書いた開高健の「玉、砕ける」を読む。そしてその冒頭より、これまで自分が読み違えていたところのあることに気づく。
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ある朝遅く、どこかの首都で眼がさめると、栄光の頂上にもいず、大きな褐色のカブト虫にもなっていないけれど、帰国の決心がついているのを発見する。
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という書き出しの「首都」を、僕はこれまでサイゴンとばかり思ってきた。それは多分、開口の一連の著作、および香港の三助が発する「アイヤー」という感嘆詞からの連想に拠ったものだろう。しかし数行先の
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焼きたてのパンの香りが漂い、飾り窓の燦めきにみたされた大通りへでかけ、いきあたりばったりの航空会社の支店へ入っていき、東京行きの南回りの便をさがして予約する。
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まで読み進めば「首都」がサイゴンでないことは明白だ。あるいは以前に読んだときには、そのような誤読はしていなかったかも知れない。それから何十年かのあいだに、自分の脳が勝手に「変換」を起こした可能性は、ある。
ところで僕は「澡堂」は、台北でしか経験をしたことがない。香港には、いつごろまで存在しただろう。
「玉、砕ける」はむかしの小さな活字によるものとしても、文庫本で15ページたらずの短さだから、端から端まで読んでも30分はかからない。そしてこれを本棚に戻せば、早朝の仕事に従うべく、エレベータに乗って1階のボタンを押す。
朝飯 若布と玉葱の酢の物、スパムと菠薐草のソテー、しょうがのたまり漬、メシ、若布と万能葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の広東麺
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、チーズオムレツのカレーライス、ドライマーティニ、Tio Pepe、家に帰ってからのエクレア、Old Parr(生)
2020.7.3(金) 鬼田平子
地元の産品を詰め合わせた商品「おうち料理応援!味噌汁セット」は、春に企画して以来、今もなお、お客様からご好評をいただいている。これに含まれる完熟トマトの、6月分の代金を支払う必要がある。もうひとつ、毎週土日月に営業する「汁飯香の店 隠居うわさわ」のためのトマトを、今日は仕入れる必要がある。よって朝、ユミテ農園のユミテマサミさんに電話を入れる。呼び出し音10回は時間にして30秒。応答は無い。ユミテさんは僕とおなじく、携帯電話を携帯しないらしい。
電話が通じなければ、6月の支払いがいくらになるか分からない。もうひとつ、ユミテさんは朝は畑にいるから、釣り銭などは持たないだろう。そういう次第にて、1万円札から1円玉までを納めた手提げ金庫をホンダフィットの助手席に乗せ、農園のある森友地区へ向かう。
茎からもいだばかりのトマトは、いまにも爆ぜそうなほどに熟している。会社に持ち帰ったそれは即、隠居の厨房に運んだ。
来週の月曜日、 隠居には後輩7名が予約を入れてくれている。子供のころから寮で揉まれていれば、食べ物に好き嫌いは無いはずだ。味噌汁の具は、思い切って冒険をしてみても、良いかも知れない。
朝飯 納豆、菠薐草のソテー、大根おろしを添えた厚揚げ豆腐の網焼き、炒り豆腐、生のトマト、しょうがのたまり漬、メシ、万能葱の味噌汁
昼飯 熱い汁で食べるざる饂飩
晩飯 胡瓜と若布と蛸の酢の物、長芋のたまり漬、しらすおろし、豚の冷しゃぶ、豆腐としらすと溶き卵の味噌汁、「片山酒造」の酒粕焼酎「粕華」(お湯割り)
2020.7.2(木) 玉、砕ける
焼肉「板門店」のはす向かい、書店”TSUTAYA”のとなりにあった「正嗣」の今市店は、しばらく前に店を閉めた。だから日光市今市地区の住民は「まさしの餃子」を、これまでのように気軽に食べることはできなくなってしまった。
その「まさしの餃子」を先般、宇都宮の駒生店から送ってくれた人がいる。そして今夜は、それを鍋で煮るという。食器棚に置いた白酒は、底から3センチほどのところまで減っている。よって2階の倉庫からあたらしい1本を食堂に運び、万全を期す。
お客様にいただいた百德食品公司の豆板醤は、いよいよ残りすくない。よって今夜はそれは使わず、プリックナムプラーを冷蔵庫から取り出す。バンコクから持ち帰ったナムプラーに日光産の青唐辛子を加えたもので、こちらの在庫は充分だ。
それはさておき九龍醤園は、いまだ豆板醤を量り売りしているだろうか。自分が香港島のそこへ行く機会があれば、10年分くらいは買って戻りたい気分だ。
ところで香港の自由、闊達、放埒、あるいは2階建てのバスやトラムの頭上に煌めくネオンサイン、そういうものの好きだった人は、開高健の「玉、砕ける」を読んで損はない。テレサ・テンの「私の家は山の向こう」に歌われるのが「張おじさん」なら、この短い小説に登場する男の名も偶然、また「張」である。
朝飯 椎茸のおひたし、スペイン風目玉焼き、炒り豆腐、納豆、大根と胡瓜のぬか漬け、しょうがのたまり漬、メシ、豆腐と油揚げと万能葱の味噌汁
昼飯 冷やし中華
晩飯 ブラッディメリー、胡瓜のぬか漬け、キムチ豆腐、春雨サラダ、隠元豆の胡麻和え、「まさしの餃子」による水餃子、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)
2020.7.1(水) 笹づくし
朝、家の竹藪から長男が竹を伐り出してきた。その枝を落とすところまでは僕も手を添えた。以降は家内や社員が手伝って、七夕の飾りを店の中に据えようとする。
竹を床に立てると、その先の高さは天井を遥かに超えてしまう。よって外へ出して地面に寝かせ、下から4節ほどをノコギリで落としてふたたび店の中に入れる。すると枝葉は大きくしなって、今度は隨分と短く感じられる。先ほど切り落としたばかりの4節を更に半分に縮め、その太い方に店の中の竹を接ぐと、ようやく格好が付いた。
この飾りは旧暦の七夕まで置くつもりと、長男は言う。カレンダーによれば、今年は8月25日がその日に当たっている。暦に則っている、とはいえ盆を過ぎての七夕飾りは、いかにもおかしい。というか、このような季節の行事を新暦で行うところに無理があるのだ。そしていくら無理があったとしても「御一新」以来の定めであれば、それも仕方がないのだ。
夕刻、必要に迫られて隠居へおもむく。すると玄関に続く6畳間の大壺に、笹の、今朝おとしたばかりの枝が大量に投げ込まれていた。ひと仕事を終えて母屋に戻ると、4階の廊下には、おとといサイトー君からもらった竹籠に、これまた何十本もの笹が枝をしならせていた。
膝のあたりにつきまとう孫に「笹の葉の歌、知ってる」と訊く。「知ってるよ」と彼女は答えて「ささのはさーらさらー」と歌い始めたと思うと、いきなりきびすを返して食堂に駆け戻った。「軒端に揺れて」から先も知っているかどうかは、明日にでも確かめてみようと思う。
朝飯 山芋と茗荷の酢の物、油揚げと小松菜の炊き合わせ、大根おろしを添えた揚げ茄子と揚げパプリカ、炒り豆腐、椎茸のおひたし、しょうがのたまり漬、メシ、若布と蕪の茎の味噌汁
昼飯 らっきょうのたまり漬、しょうがのたまり漬、3種のぬか漬けによるお茶漬け
晩飯 コーンポタージュスープ、スパゲティナポリタン、Petit Chablis Billaud Simon 2016、チョコレート、Old Parr(生)
2020.6.30(火) ストレージがどうのこうの
1990年代も終盤に差しかかるころ、自由学園の卒業生を会員とするメイリングリストの管理人を務めていた。管理人は何人かいて、月に1度の会合は、神保町のカレー屋「ボーイズ」の上階で持たれていた。ある日、僕の持参したThinkPadの容量を訊かれて「4ギガです」と答えた。するとその、当時は巨大らしかった数字に、僕より30歳ほど年長の先輩は「4ギガ…」と絶句した。
このところTikTokに朝食の動画を上げている。撮影にはiPhoneを使う。上げる動画の「尺」は短くても、削ぎ落とす部分があるから、75秒ほどは撮る。ところが今朝は、そこまで達しないうちに「ビデオ」はその働きを止めた。
音は、街の騒音、人々の交わすことば、鳥の啼き声など、自然と耳に入ってくるもののみに触れていたい。だからiPhoneに音楽を保存してそれを聴く、ということはしない。iPhoneで写真を撮ることも、ほとんどしない。だから現在の6s Plusを買うときにも、容量は最低の16ギガバイトを選んだ。最低とはいえ1990年代に先輩を驚かせた「4ギガ」の4培である。ところがその16ギガバイトも、2020年の今では鼻クソほどのものらしい。
夕刻、食堂の食器棚のコンセントにiPhoneを繋ぐと、フワリと明るくなった画面に「ストレージがどうのこうの」と文字が出てきた。よってその指示に従って、ゴミ箱の「最近削除した項目」からすべての画像を「完全に削除」する。これで明日からはまた、75秒の動画を撮ることができるだろう。
朝飯 刺身湯波、納豆、菠薐草と榎茸のおひたし、大根おろしを添えた油揚げの網焼き、生のトマト、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 紅生姜の代わりに「生姜のたまり漬」を添えた冷やし中華
晩飯 炒り豆腐、「らっきょうのたまり漬」とブロッコリーと帆立貝のサラダ、茗荷と長芋の酢の物、玉蜀黍の炊き込みごはん、薩摩芋と玉蜀黍の天ぷら、海老とズッキーニのかき揚げ、「片山酒造」の「粕華」とNoilly Prat Dryの東京下町風、チーズケーキ、Old Parr(生)
2020.6.29(月) 方便
サイトー君と夜遊びをしていたのは、たしか1982年から83年にかけてのことだ。僕より年長らしいサイトー君を「サイトー君」と気やすく呼んでいたのは、まわりの人が「サイトー君」と言っていたからだ。
いつの間にか、その夜遊びを僕はしなくなった。みな次々と結婚をして、遊んでいる場合ではなくなったせいかも知れない。あるいは遊びの拠点としていた店の移転がきっかけだったかも知れない。遊び仲間の中でも、特にサイトー君については忘れがたいものがあった。そして16年前のちょうど今ごろ、僕は「サイトー君のメルセデス」という文章を書いた。
サイトー君とは、夜遊びを止めてから今日までの約37年のあいだに3回、顔を合わた。1回目は何十年か前に東武日光線の上り列車の中で、2回目は数週間前にウチの店で、そして3回目は今日だった。
昼ごろ事務室にいると、店からガラス窓を通して僕に手を振る人がいる。サイトー君だった。カゴを集めるのが趣味だと、サイトー君は僕にとって初耳のことを告げた。「カゴは、気持ち悪くなるほど持ってるの。これ、隠居の床の間に似合いそうだから」と笑いながら、サイトー君はやおらひとつの竹籠を差し出した。轡昭竹斎の、それは作品だという。僕はその、とても自分ごのみのカゴを、ボンヤリしたまま受け取った。
僕は収集家の性質を知っている。傍から見て気持ちが悪くなるほどの数を持ちながら、なお集めようとするのが収集家の性である。「気持ち悪くなるほど持ってる」とは、サイトー君の、僕に気を遣わせまいとする方便に過ぎない。
「それで、サイトーさんの連絡先は知ってるの」と、僕と共にサイトー君を見送った長男の声で我に返る。「メールも電話番号もSNSも知らない」と答える僕に「下の名前は」と長男は重ねて訊いた。「いや、サイトー君としか知らない」と、僕は去りつつある黒いワゴン車を目で追うのみだ。「それではお礼のしようがないでしょう」という長男のことばはもっともだ。
銀座でばったり会うようなことでもあれば、鮨をおごるくらいはできる。そのような機会のあることを、僕は強く望んでいる。
朝飯 油揚げと小松菜の炊き合わせ、茄子とオクラの揚げびたし、らっきょうのたまり漬、胡瓜と人参のぬか漬け、納豆、じゃこ、メシ、トマトと万能葱の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の冷やし中華
晩飯 カポナータ、ブロッコリーと白隠元豆のスープ、白魚と人参の葉のオムレツ、玉蜀黍と玉葱とベーコンのパン、Petit Chablis Billaud Simon 2016、花林糖、Old Parr(生)
2020.6.28(日) それをそのまま
毎日欠かすことなくウェブログを書き続けてきた人の中で、新型コロナウイルスの感染が拡大して以降は、その更新の途絶えがちになる例が散見される。そのことを、何週間か前のこちらに書いた。僕の日記には、その「途切れ」がない。わけは、いくつか、ある。
「探すとか発見の人なんだ、写真屋さんは。街が表現してる。それをそのままフレーミングすればいい。美術館に行かなくても美術は街に転がっているし、演劇を観にいかなくても演劇空間はある。そこで演じればいいんだ、自分が!」
とは荒木経惟の、1984年10月25日に第1刷が発行された写真集「東京は、秋」の帯の文字だ。その荒木の言葉をウェブログに転じれば「日常が表現してる。それをそのまま文字にすればいいんだ」となる。
僕の日記の途切れないわけのひとつは、まさに「何もしなくても、諸々は向こうから来てくれる」からだ。それ以外の4つか5つについては、僕に会ったときにでも、訊いてください。
と、ここまで書いて、今日の文字数は362。400字は書こうと考えているものの、長ければ良いというものでもない。「ジャズと蕎麦は短いに限る」と、いソノてルヲは言った。日記についてもおなじと思う。
朝飯 きのうの「鰻弁当」のおかずの一部、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、生玉子、らっきょうのたまり漬、胡瓜のぬか漬け、メシ、獅子唐の天ぷらと若布の味噌汁
昼飯 「ふじや」のタンメン(バターのせてね特注)
晩飯 ユミテマサミさんの畑のトマトを搾ったトマトジュース、茹でたブロッコリー、ズッキーニの素揚げとキャロットラペを添え「にんにくのたまり漬」を薬味にしたビーフステーキ、San Pedro Castillo de Molina Carmenere D.O.Valle del Maule 2018
2020.6.27(土) ガーベラ
おととい銀座でまわった9ヶ所には鳩居堂が含まれていた。風鎮を買うためである。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」の床の間には3月の開店以来、松竹梅の軸が掛けてある。しかしその風鎮は、そこいら辺のものを組み合わせたあり合わせのものだ。家に風鎮の無いはずはないものの、どうにも見つからなければ、いずれ整えなくてはならない。
鳩居堂の2階に提げられた風鎮のうち、もっとも気に入った一対にはもっとも高い値札が付いていた。もうひとつ、僕は不覚にも隠居の壁の色を思い出せなかった。それでは風鎮も選びようがない。更には「汁飯香の店 隠居うわさわ」が正常運転になる6月27日より、床の間には2011年から今年の春までそこにあった、今井アレクサンドルのガーベラをふたたび掛けることとしていた。
そうであれば、風鎮の購入は後日に回しても差し支えはない。僕は鳩居堂の、階段の踊り場に設けられたベンチを「まるで旧帝国ホテルの一角みたいだ」と驚き見ながら1階に降りた。
今朝は、梅雨の晴れ間を逃さないようにして、母屋の倉庫から今井アレクサンドルのガーベラを隠居に運んだ。ガーベラは多分、秋の中ごろまでは、隠居の床の間にあると思う。
朝飯 油揚げと小松菜の炊き合わせ、納豆、冷や奴、しょうがのたまり漬、胡瓜のぬか漬け、生のトマト、メシ、大根と蕪の葉の味噌汁
昼飯 冷やしつけ麺
晩飯 夏野菜の揚げびたし、胡瓜のぬか漬け、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、「魚登久」の鰻弁当、「渡邉佐平商店」の「純米地酒焼酎」とNoilly Prat Dryの東京下町風








































