2025年3月の日記31本
2025.3.31(月) あらためて目を開く
今月の10日に受けた健康診断の結果が届いた。もっとも気になるγ-GTの値は50以下が合格のところ、29だった。
僕は風邪で発熱をしたなどの日を除き、酒は毎日、飲む。小遣い帳を検索してみれば、直近では昨年の6月17日に耳鼻科のセキネクリニックで解熱剤を処方されていた。念のため、日記も遡ってみる。すると体調を崩していたらしい6月15日から18日までは飲酒をしていなかった。その翌日、つまり昨年の6月19日から今般の健康診断の前日までは、タイ行きの深夜便に乗るため羽田空港へ行った9月25日を除いて酒の切れる日は皆無だったと思われる。それでいてγ-GTが29とは、よほど肝臓が強いのだろうか。
EBエンジニアリングのタシロジュンイチさんには、未明にメッセンジャーで連絡をしておいた。そのタシロさんが昼前に来たため、車庫の鍵とホンダフィットの鍵を預ける。そして昨年の12月29日に「モビリティリゾートもてぎ」でブガッティを走らせた際の、ブガッティに残ったガソリンをホンダフィットに移してもらう。
昼食の食器を洗い終えて、応接間から盲腸のように伸びた、廊下というか通路というか、そういう場所にある本棚に近づく。そして今月のはじめにタイで読み残したドナルド・キーン編「続百代の過客」の下巻を引き抜き、しおりの位置を確かめる。それは「蘆花日記」の、248ページと249ページのあいだにあった。索引を除く最終の323ページまでは、次の伊豆行きで読めるだろう。
僕は活字中毒でも、紙に印刷をされた活字は、家ではなぜか新聞しか読まない。新聞以外の活字は日常から離れたところで読みたい、という欲求があるのだろうか。ちなみに「しおり」は過去の日本経済新聞の切り抜きで、早月くらの短歌が4首ばかり並んでいる。そのうちの1首「感情はどこまで薄くなるだろう帰路ひと房のミモザを抱いて」を読んで、これが褒め言葉になるかどうかは不明ながら「まるで寺山修司じゃんか」と、改めて目を開く。
朝飯 焼きおむすび、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、トマトとキャベツと若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「大昌園」のあれや、これや、それや、他あれこれ、麦焼酎「田園シルバー」(オンザロックス)
2025.3.30(日) 梅と桜
朝食に用いた食器を洗いつつ「水ぬるむ」ということばが頭をよぎる。さてそれは、何月の季語だっただろう。
事務室に降りて、先般タイにも持参した稲畑汀子編「ホトトギス季寄せ」を開いてみれば、それは果たして「三月」のところにあった。そのままページを繰っていくと「初雷」というものがあり、とすれば今月24日の雷を僕はいかにも季節外れと感じたけれど、それは自分の浅学によるものと知れた。考えてみれば「春雷」なら珍しい語句でもなく、つまり雷は夏だけのものではなかったのだ。
はじめて目にした季語は「捨頭巾」。頭巾は今様に言えばバラクラバだから「捨頭巾」は、春にこれを脱ぐことを指すのだろう。バラクラバはむかし石井スポーツ製のものを持っていたことがある。この防寒具は、いちど経験をすると、その暖かさから手放せなくなる。しかしそれを普段にかぶれば不審者以外の何ものでもないから、冬山で遊ぶことをしなくなった今は、手元に置いていない。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」は、きのうも今日も満席。9時にご予約のお客様がいらっしゃる前に、その庭へ出かけてみる。客席の目の前の白梅は、随分と開いた。紅梅は今が盛り。その後ろの高いところにある山桜は、つぼみを大分、紅くしてきた。これに加えて染井吉野と枝垂れ桜のそろい踏みが見られるのは、来月のなかばになるだろう。
朝飯 赤魚の粕漬け、炒り豆腐、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、キャベツと若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 スパゲティナポリタン、Chablis Billaud Simon 2018、農民ロッソ COCO FIRM & WINERY 2023
2025.3.29(土) 猫も時には起きる
スマートフォンの天気予報が冬の戻りを報せている。よってベッドの下の引き出しに仕舞ったばかりの、ユニクロの超極暖ヒートテックタートルTをふたたび取り出し、着る。来週の前半は更に気温が下がり、火曜日には雪さえ降ると、週間の予報には出ている。それを見て、過去、この時期に冬物をクリーニングに出して後悔したことを思い出す。スタッドレスタイヤも、いまだそのままにしておいた方が良さそうだ。
8時からの朝礼を終えて、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に本日最初の納品をする。定時の8時30分より前に店を開け、販売係の出社する9時すこし前まではひとりで店番をする。9時を回ったところでコンピュータと10キー、自作の作業手順書と紙とペンを手に4階の食堂へ上がる。
顧客名簿から一定の条件を元に特定のお客様を抽出する仕事は、僕のもっとも好むところのものだ。先ずは4月23日からの、柏高島屋での出張販売のご案内のお送り先を特定する。日本橋高島屋や新宿高島屋のご案内とは異なって、柏の場合は対象となる地域が狭いため、作業に必要な労力も、それほどは大きくはない。ちなみに手順書の内容は最新の現状を受けて、常に更新をされる。
次は5月に投函をする、夏の贈答のご案内のお送り先を、早くも抽出する。好きな仕事に臨んでいる最中には「メシなど、どうでもよい」という気分になる。しかしそれでは食事のリズムが狂うから、実際には途中で昼食を摂る。
顧客名簿から特定のお客様を選び出す仕事は、年に5、6回はするだろうか。おとといの日記に書いた「日がな寝そべっている猫」も、そのときだけは起き上がる、というわけである。
朝飯 鈍刀煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬によるお茶漬け
昼飯 カキフライ丼、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」
晩飯 けんちん汁、菠薐草のおひたし、茗荷と白髪葱としその葉とにんにくのたまり漬を薬味にした馬刺し、薩摩芋の葱油風味、信玄餅、「山本合名」の「天杉山廃純米」(燗)
2025.3.28(金) 春の花
年末から店の犬走りに置いた鉢植えの萬両は、赤い実を鳥にほとんど食べ尽くされ、みじめな姿をさらしていた。それに代わるマーガレットシンプリーコーラルが今朝はようやく届いて、ようよう春らしくなった。萬両とは異なって、マーガレットは多くの水を求める。しばらくは気をつけて接することにしよう。
町内の会計係としては、3月の末から4月の会計監査までは、中々に忙しい。個々のお宅の町会費は毎月、地区委員長が集めて届けてくれる。しかし町内に点在する法人へは、僕が出向いて集金をする。また町内が借りている施設については、その使用料を僕が振り込む。その作業を今日は午前と午後に行った。法人の中には人の常駐していないところもあり、そこからの入金が遅れれば、未収のまま決算書を作るまでだ。
閉店が近くなるころ、ミャンマーの中部で大きな地震のあったことを知る。被害は限定的と考えていたところ、震源地から1,000キロメートルも離れたバンコクにも大きな揺れが及んでいた。
即、バンコク在中の同級生コモトリケー君にLINEで状況を問い合わせると、チャオプラヤ河畔に建つ、新建材によらない古典的なコンドミニアムの、ひび割れて床に散った漆喰を掃除する画像が送られてきた。地震に慣れている日本人とは異なって、タイ人は異常に怯えているという。
気の毒なのは、バンコクに建設中の高層ビルが崩れて、そのがれきに埋まってしまった人。そのタイは兎に角として、ミャンマーの未来は長く続く政治の混乱もあって、明るいことはひとつもないのではないだろうか。
朝飯 生のトマト、菠薐草のおひたし、ウイナーソーセージのソテーを添えた目玉焼き、炒り豆腐、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 めかぶの酢の物、甘海老の塩辛、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、豚肉と厚揚げ豆腐と椎茸と菠薐草の鍋、「山本合名」の「天杉山廃純米」(燗)
2025.3.27(木) 猫のように
血圧と血中の脂質を正常に保つため、ふた月に1度の割合で病院へ通っている。今朝も、内科の先生が定期的に出張してくるオカムラ外科に出かける。血圧計の数字を見て「随分と高いですか」と問えば「いえ」と先生は、もういちど血圧計に目を遣った。僕が170台と早とちりをした「上」の数字は117だった。ちなみに「下」は67だっただろうか。
3月10日に宇都宮で受けた健康診断の結果は、いつ届くだろう。いつものことながら、恐る恐る受けた採血の結果が、今から待ち遠しい。
歯科検診の予約は本日、ウェブ上から5月の末に入れた。大井町が最寄り駅のソーマ歯科医院は、かなり前からでなくては予約が取れないのだ。これと合わせて、2018年10月に白内障の手術を受けたオーミヤナナサト眼科にも予約を入れようとして電話をすると、こちらは木曜日でお休みだった。
「人はいつ死ぬか分からない」という意識を、僕は一般の人より強く持っているような気がする。「転ばぬ先の杖」は、できるだけ早く先へと延ばしておくべきだ。死までは到らないにしても、からだの機能はできるだけ高い次元で維持していたい。
と、偉そうなことを連ねたものの、運動だけは面倒でできない。ホテルのジムで走る人を見るにつけ大尊敬、大畏敬の念が沸き上がる。当方は猫のように日がな寝そべりながら、できるだけ長く遊んでいたい。
朝飯 鮭の昆布巻、トマトとブロッコリーのソテーを添えた目玉焼き、納豆、炒り豆腐、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布とレタスの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 パン、アスパラ菜のソテーとマッシュドポテトとキャロットラペを添えた鱈のレモンバターソース、Chablis Billaud Simon 2018
2025.3.26(水) それが「標準」にならない理由とは
ユニクロの今市店には在庫が無いから同社のウェブショップで注文し、今月23日に今市店に届けられた「ストレッチウエストリブイージーパンツ」のMサイズは胴回りが緩かった。よって同日、Sサイズへの交換の手続きをウェブ上で行った。そのSサイズはきのうユニクロの今市店に届いた。それを受け取って自宅に戻り、穿いてみると、こちらはすこしきつかった。実店舗に在庫があり、MサイズとSサイズを試着できていれば、僕は多分、このズボンを買うことはなかっただろう。衣服をウェブショップで買うときにつきまとう「よくあること」である。
今月24日にやはりウェブ上で買ったファクトリエの「エアーブルゾンジップアップスマートスリーブ」は今日、自宅に配達をされた。こちらはおととし銀座のショールームで試着をしていたから、サイズについてはそれほどの心配はしていなかった。袋から取りだして着てみると、僕の上半身をちょうど良い具合に覆った。
ウェブショップで衣服を買うについては、ほとんどバクチに近いものがある。しかしこれが、なかなか止められないのだ。
Mサイズは緩く、Sサイズはきつい、という経験を今回して感じたのは、袴や伝統的なタイパンツ、また和服など、紐や帯で締める衣服はいかにも融通が利く、順応性が高い、ということだ。それらが衣服の「標準」にならない理由とは、何だろう。
朝飯 胡瓜ともやしのナムル風、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ひじきの煮物、玉子焼き、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐とレタスの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ブロッコリーのソテーと刻みキャベツと生のトマトを添えた牡蠣フライと豚カツ、Chablis Billaud Simon 2018
2025.3.25(火) いと有り難し
楽天の、年会費1万円のゴールドカードさえ持っていれば、誰でも請求できるプライオリティパス、というものがある。「空港ラウンジとサービス総数1,700+」というのが売り文句だ。
僕が日本で使う空港は、ほぼ羽田に限られる。そこにプライオリティパスで入れるラウンジは「コロナ前」には無かった。しかし昨年は、それがいきなりできていることに気づいた。そして先月24日にも、その”Sky Lounge South”を使った。
プライオリティパスを得るための条件は低い。よって供される食事は別段、大したものではない。酒は飲み放題でも、僕は空港では飲酒をしないから意味は無い。しかしテーブルと椅子、そして安定したwifiの存在は有り難い。
今月7日には、スワンナプーム空港のサテライトターミナルで、やはりこのパスで入れるミラクルラウンジを見つけた。よってその入口でカードの会員証を差し出すと、デジタル会員証のQRコードを提示するよう求められた。プライオリティパスのアプリケーションをスマートフォンにダウンロードしていなかった僕はその場でこれを取得しようとしたものの、途中でパスワードを要求され、しかしそのようなものはハナから知らない。遂に入場を諦めた経緯があった。
僕は1992年からデータベースソフトを使い、1996年からウェブショップを運営し、2000年からはウェブ上に日記を書いたりしているから、一部の人にはデジタル能力に恵まれているように思われている。しかし実際はその逆だ。おまけに「マニュアルや取扱説明書のたぐいは読めない」という宿痾を抱えている。よってプライオリティパスの会員証をスマートフォンにダウンロードする件は「今日の仕事は午後から」という次男に任せることとした。
作業は10時40分から始められた。ウェブ上の文字情報だけでは足りず、カスタマーセンターに電話を入れる。最初に出たのは気だるそうな女の人。次は、まるでAIによる自動翻訳のような日本語で一方的にしゃべり続ける外国生まれと思われる男の人。
「これじゃぁダメだ」とふたたびウェブ上の文字情報に戻った次男はようよう、プライオリティパスのデジタル会員証の、僕のiPhoneへのダウンロードに成功した。悪戦苦闘すること1時間。まるでロールプレイイングゲームだった。次男は別途、オフラインでも見せることのできるデジタル会員カードを設定してくれた。いと有り難し。「やれやれ」である。
朝飯 目玉焼き、鮭の昆布巻、ブロッコリーのソテー、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、キャベツと若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 めかぶの酢の物、マカロニサラダ、炒り豆腐、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、なめこのたまり炊、和風ハンバーグステーキ、しじみの味噌汁
2025.3.24(月) 雷
今月20日にユニクロのウェブショップで3Dクルーネックセーターを買った。翌日はストレッチウエストリブイージーパンツを買った。双方とも自宅届けではなくユニクロ今市店での取り置きとした。
ふたつの商品がユニクロ今市店に揃ったとメールで知らされたのはきのうの昼前。店舗にはその午後に赴き、確認のためパンツのみ試着をした。Mサイズの胴回りはすこし緩かったものの、ゴムの他にヒモも付いているため「大丈夫だろう」と、そのまま持ち帰った。
自宅に戻ってもう一度、そのパンツを穿いてみた。そして脱いで、いまだ外していないタグを見ると「ウエスト76-84cm」とあった。今月10日の日記にも書いたことだが、僕の胴回りは昨年の80センチメートルから今年は73センチメートルと、驚異的に細くなっている。「76センチではダメじゃん」である。よって即、ユニクロのサイトへアクセスし、おなじ品のSサイズに交換する手続きを取った。
今朝は9時を過ぎたところで上記のパンツを手に今市郵便局へ行く。そしてレターパックライトにて東京都江東区のユニクロへ返送をした。「サイズの勘違い」は自己責任により、郵送料の430円は客側の負担である。
一方、3Dクルーネックセーターは、僕が想像していたよりよほど分厚かったため、大変に申し訳ないことながら、長男にもらってもらうことにしよう。今般の失敗は、服や靴を通信販売で買うときにつきまとう「よくあること」である。
そうして返す刀で「ファクトリエ」の「エアーブルゾンジップアップスマートスリーブ」を、これまたウェブ上で買う。「ほとんどビョーキ」という感じではあるけれど、こちらは今からすれば一昨年のことになるだろうか、銀座のショールームで試着をしているから失敗は「多分」ないだろう。
夕食の最中に、外でいきなり不可解な音がする。それが雷と気づくまでには、すこしの時間を要した。雷はしばらく鳴り続けた。落雷さえあった。冬に日本海側で食べると美味いハタハタは魚へんに雷と書く。関東北部に冬の雷は、かなり珍しいような気がする。
朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豚汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 らっきょうのたまり漬とツナの焼きカナッペ、マヨネーズとチーズの焼きカナッペ、レタスとベビーリーフのサラダ、フランスパン、豚三枚肉と根菜類のスープ、Chablis Billaud Simon 2018、農民ロッソ COCO FIRM & WINERY 2023
2025.3.23(日) おたがいさま
昨夜、次男と外食先から徒歩で春日町の交差点まで戻って来ると、上澤梅太郎商店の駐車場を泳ぐようにして歩き、軒下のベンチに「ようやく」といった体で座った男の人がいた。大酔をしているに違いない。服装は白さが目立ち、からだはかなり大きく見える。よって「目を合わさないようにしようぜ」と小声で次男に伝え、その人とはできるだけ離れたところを歩いて家に入った。
事務室のシャッターはいつものとおり7時40分に上げる。外には既にして包装係のヤマダカオリさんとタノイチカさんが立っていた。ヤマダさんはいつも、新聞受けから取った新聞を手渡してくれる。タノイチカさんは「ベンチの下に落ちてました」と、携帯電話を差し出した。
間もなくその携帯電話が着信音を発した。思わず手に取るも、iPhoneではないから、どうやって出たらよいのか分からない。おなじ名字の別人からも着信があった。こちらも、もたもたするうち切れた。静かになった携帯電話の脇に並ぶボタンをあれこれ押してみると、上手いことに着信記録が出た。よって折り返そうと、その部分をタップすると、パスワードを要求する10個の丸が浮かび上がったため「万事休す」と、開店準備に取りかかる。
9時を過ぎたところでホンダフィットの運転席に着き、1.5キロメートルほど離れた今市警察署に携帯電話を届ける。警察官が僕からあれこれを聴き取り、書類ができるまでに20分ほどはかかっただろうか。
帰社して今度は隠居に梅を見に行く。紅梅は三分咲き、白梅はその一部がようやく花を開き始めたくらいのところだった。次の週末には見ごろになるだろうか。ちなみに29日の「汁飯香の店 隠居うわさわ」は、既にして満席を戴いている。
さて携帯電話の落とし主はやはりきのうの人で、意外なほど早く店に来てくださった。ご本人みずから今市警察署へ出向き、当該の携帯電話は既にして届けられている旨を知らされたのだろう。そして少なくない買い物をしてくださった。
かくいう僕も、携帯電話は電車の中に2度も置き忘れ、2度とも無事に戻った。困ったときはお互い様、である。
朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豚汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 3種のパン、豚三枚肉と根菜類のスープ、Chablis Billaud Simon 2018
2025.3.22(土) 東京で桜の咲くころ
素肌にユニクロの超極暖ヒートテックタートルT、その上にPatagoniaのR1エア・クルー、更にモンベルのスペリオダウンラウンドネックベストを重ねて、現在の仕事着としている。なぜお彼岸を過ぎても「超極暖」なのかといえば、それより薄いタートルTは、数年前から9分袖になってしまったからだ。袖の短いシャツは好きでない。
朝こそ普段の気温とそう変わらないと感じていたものの、昼がちかくなるころには「季節はずれ」と言っても過言でないほど暖かくなった。道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に本日2度目の配達を終え、帰社して奧の通路に入るといきなりひんやりとした。屋内より外の気温の方がよほど高いとは、驚きである。
衣替えは、いつすべきか。それもあるけれど、春と秋に着るユニクロのソフトタッチタートネックTは、洗濯を重ねて袖が短くなっている。つくづく「常夏の国に住みてぇよなぁ」と思う。
夜、上野で花見をした友人について、食事を共にしている次男が話した。「花見って、今年の」と問えば「そうだよ」とのことにて「そういえば」と、東京の桜は3月から咲き始めたことを思い出す。
東京で桜が咲くころ、日光では梅が咲く。隠居の白梅は、どうなっているだろう。明日は見に行ってみようと思う。
朝飯 日光味噌「ひしお」による肉味噌、納豆、生玉子、若布の酢の物、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐とトマトと玉葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、オムレツのカレーライス、ドライマーティニ、TIO PEPE、グラスノ赤ワイン
2025.3.21(金) 這えば立て
寝室から洗面所を経由して食堂に来たのは5時9分。東の空は既にして明けつつあった。随分と朝が早くなったものだ。即、ダウンベストを身につけ、その上にダウンコートを重ねて屋上への階段を上がる。「這えば立て」ではないけれど、春分を過ぎた今となっては夏が待ち遠しい。
先般のタイでは、僕としては結構マメに朝食の動画を撮った。それらは僕がタイにいるあいだから、早くもSEによりTikTokに上げ続けられた。しかしどのようなアルゴリズム、あるいはどのような視聴者の好みによるものか、SEの奮闘努力にもかかわらず、視聴数はそれほど伸びなかった。今朝はその最後の動画の上げられていることを確認した。今月6日にホテルの係に頼んで「臓物全部入り」にしてもらったお粥である。動画の上半分には朝日に向かってコック川を下る舟も見える。これだけ手をかけても視聴数が普段の数分の一であれば、以降のTikTokは日常の朝食のみにしようと思う。
ところで冒頭に戻れば「夏が待ち遠しくてならない」とはいえ天変地異は困る。それは多くの人を不幸にするからだ。当方の商売に限れば、できるだけ質の高い農産物を仕入れたい。日照りと大雨には見舞われたくないのだ。
朝飯 生のトマト、「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 フランスパン、牛肉とトマトのスープ、農民ロッソ COCO FIRM & WINERY 2023
2025.3.20(木) 春分の日
今年の立春は2月3日、啓蟄は3月5日、そして今日は春分の日、である。立春とはいえ2月3日は、いまだ冬の最中だった。啓蟄とはいえ3月5日であれば、蠅さえいまだ飛んでいない。そして春分の日こそ、冬という暗いトンネルから遂に抜け出た日、という感覚を僕は持つ。きのうの雪は正に、ダース・ヴェイダーの衣をまとった「冬」によるライトセーバーの最後の一振だったに違いない。元旦より春分の日をめでたいと感じるのは僕だけだろうか。
9時、馴染みの旅行社に勤めるイシカワさんが、5月のタイ行きの航空券を届けてくれる。いまどき航空券などPDFのファイルをメールに添付して送ってくれれば済むところ、この会社は何ごとも律儀なのだ。
新型コロナウイルスが五類感染症に移行する以前、2023年4月の航空券は、ロシアとウクライナの戦争の影響も強く受けたのだろう、コロナおよびその戦争の前にくらべて随分と高くなった印象があった。しかし今回の価格はコロナ前のそれに近い。ちなみに僕の旅程は何ヶ月も前に決まる。決まったら即、航空券を発注する。だから僕は、世間の相場よりよほど安く航空券を買えているはずだ。
ところでこの半世紀で高くなったものといえば何だろう。ソビエト社会主義共和国連邦がアフガニスタンに侵攻をしたとき、金の価格は1グラムあたり5,000円に高騰した。以降、この数字を超えることはないと思われていた金が、現在は1グラムあたり16,000円である。
安くなった筆頭は航空券だと思う。1980年に僕が買った成田とカルカッタの、エアインディアによる往復の航空券は22万円もしたのだ。そのころ1万円で買えたタイの通貨は1,000バーツ。現在は1万円が2,250バーツ。日本の若い人はむかしほど海外へ行かなくなった、その理由はゼニカネではないような気がしている。
朝飯 鰯の梅煮、わさび菜のおひたし、生玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 3種のパン、牛肉とトマトのスープ、農民ロッソ COCO FIRM & WINERY 2023
2025.3.19(水) 東京は、雪
カーテンを開ければ曇り空。地上を見おろせば、行き交う人たちはみな傘を差している。「雨か」と、声には出さないまでも、ひとりごちる。それがしばらくすると雪に変わって、これには流石に驚いた。facebookには「11年ぶりの深い雪」と、日光在住のひとりが画像を上げている。
本日東京ですべきと考えていたいくつかは、急ぐことでもなし、後日に回すこととした。ただし新橋の大衆床屋には立ち寄った。大森駅前から見る西の空には青いところもあったものの、その後、牡丹雪の勢いは一時、増すばかりになった。
東武日光線の下り特急の座席は、北千住へ向かうJRの車内でスマートフォンにより確保した。その料金は3月15日のダイヤ改正と共にだったのだろうか、いつの間にか上がっていた。北千住の東武線下りの切符売り場には、本日の混雑を伝える立て看板があった。
今朝の雪は里雪だったのか、関東平野に積雪の痕跡は無く、下今市駅まで数キロメートルのところからようやく、田畑に雪が見えはじめた。
道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の在庫を確認しながら会社に戻ったのは15時前。以降は通常の仕事に就いて夕刻を迎える。
朝飯 「ドトール」のトースト、コーヒー
昼飯 「ポポラマーマ」のランチのスープ、きのこと吊るしベーコンのバジリコペペロンチーノ
晩飯 2種のパン、牛肉とトマトのスープ、農民ロッソ COCO FIRM & WINERY 2023
2025.3.18(火) 強力無比、競合皆無
今日の日光の最高気温と最低気温はそれぞれ9℃とマイナス1℃。明日は8℃とマイナス1℃。対して東京のそれは、今日が12℃と5℃で、明日は11℃と5℃。僕は重ね着を嫌う。その状態で汗をかけば不快さは更に増す。しかし堪えかねるほどの寒さも避けたい。この時期の服選びは本当に難しい。「暑ければ、脱げば良いではないか」と言われれば、脱いだものを持つことも嫌いなのだ。あれこれ考えた結果、現在の仕事着からダウンベストを外し、シェラデザインのマウンテンパーカを着る。そしてコンピュータと資料を詰め込んだ、決して軽くないバックパックを背負う。
湯島から乗った地下鉄千代田線を日比谷で降り、JR京浜東北線に乗り換えるべく地上に出る。有楽町阪急の弧を描いた外壁にはバレンシアガの大きな宣伝が並んでいた。そのうちのスニーカーに目を遣り「餅は餅屋、スニーカーはスニーカー屋だわな」と考えつつ、その前を通り過ぎる。
有楽町から京浜東北線の座席に着き、スマートフォンにTikTokを開く。真っ先に現れた動画はバレンシアガのスニーカーの宣伝だった。「バレンシアガ スニーカー」などと検索をしたことは生まれてこのかた一度も無いにもかかわらず、である。このような不可解な、あるいは不気味な現象は近年、決して珍しいことではなくなった。
テッド・ネルソン著、西順一郎監訳の「ホームコンピュータ革命」には「かつて神であった大形コンピュータ、そしてその司祭として民の上に君臨していたオペレータと決別し、民衆ひとりひとりがパーソナルコンピュータを手に立ち上がるときが来たのだ」という宣言があった。それから半世紀弱の時を経て我々はほとんど誰もがスマートフォンという究極のパーソナルコンピュータを持つに至った。しかしそろそろまた新たな神が出現したのではないか。その名はAI。「どうする、民よ」である。
大森駅前のホテルにて、今夜の資料を人数分のクリアファイルに仕分ける。そして5分ほど歩いて18時15分に「スマイル大森」6階の会場に入る。
マイツールという強力無比、しかし使う人は非常に少ないから競合する他者はほとんど皆無、というデータベースソフトの伝道をテシマヨーさんは17年間も続け、集会の回数は昨年100回を超えたという。その集まりに上澤梅太郎商店の事例を発表して欲しいと、僕は頼まれていた。
会は19時より始められた。驚くべきは、この17年間ではじめて、ニシジュンイチロー先生がいらっしゃってくださったことだ。僕が与えられた時間は90分間で、それほど話すことがあるかと懸念をしたものの、机上に置いた時計が20時30分にちかづくころ、僕の説明もようやく最終部分に達した。
外へ出ると「汗をかけば不快さは更に増す」どころではない、東京とは思えない寒さだった。そしてすぐにお帰りになる方以外の皆さんと手頃な店に入り、有意義な歓談の後、ホテルへ戻る。
朝飯 鰯の梅煮、わさび菜のおひたし、揚げ湯波の甘辛煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豚汁
昼飯 “Dela”のランチのサラダ、ハンバーグステーキデミグラスソース、ライス
晩飯 「サイゼリア」のあれや、これや、それや、ワインあれや、これや、それや
2025.3.17(月) 墓参
iPhoneがアラームの音をたてる。食器棚まで歩いてそれを手に取れば、時刻は6時50分。きのうのおなじ時刻にこの音は鳴らなかった。とすれば、この設定は、いつしたものだろう。特にすべきこともなければ、取りあえずは停止ボタンに触れて、その音を止める。またその設定自体も消去する。
iPhoneが、今度は電話の呼び出し音を発する。時刻は7時7分。ディスプレーに現れた発信元を見て、7時より高圧変電施設の検査の始まることを思い出す。即、その電話に出てコヤマ電気管理事務所のコヤマさんに詫びの言葉を述べる。そして大急ぎでエレベータを降り、数ヶ所の鍵や警備保障の防犯装置を解きつつ事務室のシャッターを上げる。
3月17日の朝7時より検査のあることは、この日時が決まったときにそれをポストイットに記し、事務室のカレンダーに貼っておいた。そのポストイットはきのうの終業時に4階へ持ち帰り、食堂の目立つところに張り直しておくべきだったのだ。まったくもって、粗忽の極みである。
10時30分、きのう中止をした墓参りに出かける。新旧また叔父叔母のお墓には花立てが計9対ある。これらに花と線香を供えていくについては、今日は次男が伴ってくれたため、大いに助かった。花は、お彼岸の過ぎるころにまた来て片づけることにしよう。
きのうの日記に書いた、明日に使うための自己紹介を夕刻までに作り、参加者の数だけ紙に出力をする。そしてこれをきのお準備した資料と共にまとめてWEXLEYのもっとも簡素なバックパックに格納する。試しにコンピュータも納めて背負ってみれば、結構な重さになった。海外へ行く以外のときにコンピュータを持ち運ぶのは、久々のことだ。
スープを仕込み終えたとの次男からのLINEには、終業後に気づいた。それを4階の食堂へ上がって検分する。スープというより煮込みと呼んだ方が似合いそうなそれは、明日あさっての方が美味くなるだろう。そう考えて、今日のところは次男と夜の街へ出て行く。
朝飯 ワサビ菜のおひたし、鰯の梅煮、揚げ湯波の甘辛煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豚汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「やまだ宴楽」のお通しの手羽先揚げ、刺身の盛り合わせ、揚げ出し豆腐、蟹クリームコロッケ、「三岳酒造」の芋焼酎「三岳」(お湯割り)
2025.3.16(日) 雨、雪、氷点、春
4時55分、寝室のカーテンをすこしずらして外を見る。懸念された雪は降っていない。しかしアスファルトは黒く濡れ、信号機に照らされた水たまりには、強くないながらも雨滴が落ちている。お彼岸の墓参りは今早朝に行うこととしていた。しかし取りあえずは中止を決める。
お盆のときほど細密丁寧ではないものの、花立て、線香立て、リン、金属製の蓮の花、また位牌などを仏壇から取り出し、その内側を、水を固く絞った布巾で拭く。そして取り出した諸々を元に戻し、新たな干菓子を載せた高台一対を納めて仏壇の整えを完了する。
朝食の最中に雪が降ってくる。その勢いには中々のものがあるものの、量はそれほども多くない。
あさっての火曜日に、小さな集まりで講師というか、事例の発表をする。その受講者のための資料を午前中に準備する。それに付すべき自己紹介については、これから火曜日の早朝までに作らなければならない。
夕刻に店の外へ出て、日の随分と延びたことを実感する。先週金曜日の飲み屋には若竹煮があり、僕は何よりも先にそれを注文した。最低気温が氷点を下まわる日々ではあっても、冬からは完全に抜け出したのだ。
19時より町内会の会議に出席をし、20時すぎに帰宅をしてひとり夕食を摂る。
朝飯 菠薐草とウインナーソーセージのソテーを添えたスクランブルドエッグ、若布の酢の物、鰯の梅煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と玉葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 パン、生のレタスを添えた鶏のトマト煮、農民ロッソ COCO FIRM & WINERY 2023
2025.3.15(土) 「観光」
明朝に雪の予報の出ていることを、朝礼のときの長男の発言によって知る。携帯電話のウェザーニュースは、最低気温の氷点下まで下がる日が日光では3日のあいだ続くと伝えている。よって営業後の不凍栓は必ず閉めるよう、隠居係の高橋リツコさんに頼む。
午前、「汁飯香の店 隠居うわさわ」でお客様にいただいた感想カードのうち、タイに行っているあいだに溜まった分をコンピュータに打ち込む。このような地道な作業は、楽器やスポーツの基礎練習に似ている。しかしてまたそれらとおなじく、途切らせることなく続けることが肝要である。
夕刻に店番をしながら雑貨部の品の増えていることに気づく。そのうちの小鹿田の飯茶碗を手にして、むかしのそれにくらべて随分と軽くなっていることに驚く。書籍部の棚にはラッタウット・ラープチャルーンサップの「観光」が加わっていた。長男はこれを、読んだ上で仕入れたのだろうか。小説に食指の伸びることは滅多にない僕からしても、このタイ系アメリカ人による短編集は、静かに、しかし強く、お勧めをしたい。
朝飯 鰯の梅煮、菠薐草のおひたし、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と玉葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 パン其の一、パン其の二、グリーンアスパラガスのソテーを添えた鶏とマッシュルームのトマト煮、農民ロッソ COCO FIRM & WINERY 2023
2025.3.14(金) 伊豆治療紀行(34回目の2日目)
3日つづけて9時間を眠ったせいかどうなのか、今日は3時間ほどの睡眠で目が覚めた。以降は携帯電話で動画を見たり、あるいは起きて本を読んだりしつつ朝を迎える。
「伊豆高原痛みの専門整体院」では、背中と腰の20個所ばかりに電子ペンの治療を受ける。おなじ20個所に4回ほども電子ペンを押し当てられると予想をしたものの、今日は2回のみで終わって助かった。ちなみにきのう太鼓判を押された膝については、今日は触れることさえされなかった。
新幹線を使っての移動は経験の少なさから苦手としているものの、こと東京と熱海のあいだに限っては随分と慣れた。城ヶ崎海岸から乗った伊豆急行の車両は2分の遅れを取り戻して定刻の11:58に熱海着。乗り換えがあまりに忙しいからスマートフォンの「乗り換え案内」には出てこないものの、実は熱海12:02発の東京行きがある。これに間に合うため、降りたプラットフォームから新幹線のプラットフォームまでを僅々2分で移動する。
熱海12:02発のこだま712号は、品川には12時40分に着く。プラットフォームから改札階へ上がり、ポケットに手を入れる。しかし城ヶ崎海岸から東京山手線内までの乗車券、および熱海から東京品川までの新幹線自由席特急券の感触はどこにもない。多分、乗り換えを急ぐあまり、熱海駅の自動改札機から受け取ることを忘れたのだろう。
窓口に近づいて、きのう往復の切符を買ったときの控えを出し、駅員に説明を始める。駅員は熱海駅に電話を入れるも、当該の切符は見あたらなかったらしい。もういちど荷物を調べるよう駅員に言われ、切符の隠れていそうな場所を見るも、見つからない。駅員に言われるまま、城ヶ崎海岸から品川までの運賃4,660円をクレジットカードで支払う。そして、失った切符が見つかった場合には返金を受けられる諸々を受け取って改札口を出る。
品川から有楽町へは山手線で移動。銀座でふたつの店を渡り歩くも、重複して支払った4,660円のこともあり、物を買うことはしなかった。銀座から神田へは銀座線で移動。いつもの皮膚科では、塗り薬の残りは潤沢なため、飲み薬の処方箋のみ作ってもらい、そのビルの下の薬局でそれを手に入れる。
神田から鶯谷へは山手線で移動。夕刻の住宅街を辿って未知の店に入る。品書きに若竹煮があれば、これは頼まないわけにはいかない。カウンターに携帯電話を取りだし、北千住19:33発の、座席指定券を兼ねる下り特急券を確保する。入谷から北千住へは日比谷線で移動。
東武線下り特急のプラットフォームには19時20分に入った。絶妙の時間管理である。そしてガラス張りの待合室の椅子に着く。ややあって目を覚ますと20時がちかかった。つまり19:33発の特急は眠っているあいだに行ってしまったのだ。すかさず次の20:13発の特急券を確保すべく携帯電話を操作するも、すんでのところで売り切れ。次の最終21:13発には空席が潤沢にあって助かった。それにしても、酒を「キチガイ水」とは、よく言ったものだ。
下今市から自宅までの道は寒かった。そして23時前にようよう帰宅を果たす。本日失ったお金はJRの4,660円と東武鉄道の1,850円で、計6,510円。タイの通貨に直せば1,500バーツ。これからは重々、気をつけることにしよう。
朝飯 「亀の井ホテル伊豆高原」の朝のブッフェ其の一、其の二
晩飯 「オオイリヤ」の若竹煮、たこぶつ、ネーム、マッシュルームのサラダ、鶏皮煮込み、「新亀酒造」の純米酒「真穂人」(燗)、チューハイ
2025.3.13(木) 伊豆治療紀行(34回目の1日目)
本日の日光市の最高気温と最低気温は、それぞれ17℃と4℃。対して東京のそれは20℃と9℃。随分と暖かくなったものだ。と同時に、着ていくものに悩む。日光の気温に合わせれば東京や伊豆で汗をかく。きのうの日記に書いたように、子供のころアトピー性湿疹に悩まされた者としては、重ね着をしているときに汗はかきたくない。そして結局は、木綿の長袖シャツと木綿の上着、そのあいだにいつでも脱ぐことのできるダウンベストを挟むこととする。
下今市10:34発の上り特急に乗れば伊豆高原には15:23着。ホテルの送迎バスは伊豆高原の駅前を15時30分に出るから、伊豆高原のプラットフォームから駅前のロータリーまでは急ぎ足で歩く。
伊豆高原痛みの専門整体院には大抵、家内とふたりで来る。しかし家内は1月、左膝に突然の変調を来し、僕より高い頻度で治療を受けることとなった。よって2月からは各自、単独で伊豆に通っている。
整体院は、5月に移転のためひと月を休み、6月より新しい場所で再開とのことだが、4月まではホテルから徒歩で行き来ができる。今日の予約は16時30分。タイにいるときに覚えた背中の違和感について訴えると、先生は背中と肩の10個所ほどを、9,000ボルトを発する電子ペンでほぐした。いつも書いていることながら、電子ペンによる治療は、患部の状態が悪いほど痛く、また肉の薄いところで、より痛い。昨年の2月からこのかた調子の良い膝は、今日もまた、電子ペンによる痛みは一切、感じなかった。
ホテルに帰って大風呂へ行き、19時30分より夕食を摂りつつ「続百代の過客」の、タイで読み残したところをゆっくりと読む。
朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、人参とブロッコリーと揚げ玉とコンニャクとウインナーソーセージの味噌汁
昼飯 「やまや」の「うまだしおにぎりせっと」、JAVA TEA
晩飯 「亀の井ホテル伊豆高原」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七、「澤乃井」の特別純米(冷や)
2025.3.12(水) 慈雨
「どうしたの」と、おとといを家内に声をかけられ目を覚ますと、カーテンの隙間から朝日が差し込み、時刻は6時を過ぎていた。睡眠時間は9時間ほどだっただろうか。そしてきのうも、またきのうから今朝にかけても9時間ちかくを眠った。極端な早寝早起きにより昼夜が逆転気味の僕にしては、とても珍しいことだ。これほど眠るとは、旅の疲れから回復をする途上にあるのだろうか。しかしタイにいるときの日記にも書いたことだが、現地ではひねもすプールサイドで本を読んでいただけで、疲れることなど何ひとつしていないのだ。
さて本日は月に一度の店休日。とはいえ子供の学校の都合などで来られない者を除き、ほぼすべての社員が出勤をした。そうして午前中は全体会議、午後は上長会議、以降もあれやこれやするうち雨が降ってくる。
きのうは店の犬走りが花粉で黄色く染まった。日光街道、例幣使街道、会津西街道には松平正綱の寄進による長大な杉並木がある。ちかくの里山も、杉また杉に覆われている。そこからの花粉が、時には目に見える帯になって空中を渡っていく。花粉症の持ち主にとっては恐怖の季節の到来である。しかし午後も遅くなってからの雨は、その花粉をいくらかでも抑えてくれるのではないか。
子供のころは湿疹と運動性喘息に悩まされたものの、花粉にだけは反応せず、安閑としていた。ところが1999年のことだったか、ある風の強い日に杉の森の中にいて、いきなり花粉症になった。その症状の強弱は年によって異なるものの、苦痛や焦燥を感じるほどの重症者ではない。そして現在は湿疹の症状を抑える飲み薬を服用しているため、花粉は大して感じない。有り難いことこの上ない。そして「夏よ、早く来い」と、言いたい。
朝飯 菠薐草のおひたし、ほぐし塩鮭、スクランブルドエッグ、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「辻村農園」の長葱のコンフィ、「食堂ニジコ」から持ち帰った豆腐の塩煮、エビ春雨炒め、天津丼の頭だけ、鶏もも肉の唐揚げ、エビチャーハン、TIO PEPE、「二宮堂」のきんつば、Old Parr(生)
2025.3.11(火) 櫛の歯
先月15日、amazonに古書を出品している店に、五百旗頭真による「米国の日本占領政策:戦後日本の設計図」の上下巻を注文した。理由は日本のその時代に興味のあること、もうひとつは昨年6月にサワンカロークで読み始め、同9月にチェンライで読み終えたドナルド・キーン編「昨日の戦地から」の、五百旗頭真による解説がいかにも秀逸だったことによる。ところがこの上下本がいつになっても届かない。流石に不安になって調べてみた。
受注した旨はamazonからメールで届いている。その一部は以下。
……
注文番号: 250-1705505-8869440
注文日:2025/02/15
お届け予定日:火曜日,02/18-木曜日,02/20
注文合計:\4,257
……
この注文番号をamazonの注文履歴で検索すると「検索結果が見つかりませんでした。 別の検索を行ってください。商品名、注文番号、住所、または受取人で検索できます」と案内が出たため、次は書名で検索するも、結果は変わらなかった。
「まさか、ゼニだけ取られたわけじゃねぇだろうな」と、今度はクレジットカードの使用履歴を調べてみた。当該の日に当該の金額は記録されていなかった。ということは、出品者が在庫切れの商品をamazonから消さないまま放置し、しかし僕による「買い」が発生したため、僕に連絡をしないまま受注を取り消した、ということなのだろうか。「ひとことくらい、説明が欲しいわな」である。
今日は別途、今月5日の日記に書いた、乱丁落丁のあったドナルド・キーン著「続百代の過客」の上巻をウェブ上に探し、メルカリにあった品を注文した。これで欠けた櫛の歯、つまり笹森儀助の「南島探検」と森鴎外の「航西日記」を読むことができる。「めでたし」である。
朝飯 菠薐草とウインナーソーセージのソテーを添えた目玉焼き、納豆、揚げ湯波の甘辛煮、ほぐし塩鮭、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と玉葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「やまだ宴楽」のあれや、これや、それや、他あれこれ、「三岳酒造」の芋焼酎「三岳」(お湯割り)
2025.3.10(月) 畏敬、尊敬
上澤梅太郎商店は毎年3月に健康診断を実施している。今年のその日は3月4日で、僕はタイにいた。そういう次第にて、僕のみ別途、頼みつけの病院にひとりで行く段取りとなっていた。受付は本日10時。きのうGoogleマップで調べたところによれば、その病院までの所要時間は34分と出た。しかし大事を取って、9時2分にホンダフィットで会社を出る。
当該の施設には9時38分に着いた。受付、採尿、体位測定、医師による問診、聴力検査、視力検査、心電図、採血と進んでひととおりが完了した。体位測定で僕の胴回りを測った係が「我が目を疑う」という感じで計り直したわけは、体重が変わらないにもかかわらず、胴回りのみ昨年の80センチメートルから今年は73センチメートルと、信じられないほど細くなっていたことによる。
ことし1月27日に原宿のジーパン屋へ行った。ウエスト32インチから試着をはじめて「まだ大きい」、「まだゆるい」とサイズを落としていき、28インチで落着したと感じた僕に対して「穿いているうちに緩みますので、27インチでもよろしいかと」と店の人は言った。しかしウェスト27インチといえば、僕の16歳のときのサイズである。さすがに「いや、28インチで大丈夫でしょう」と、そのサイズで決めた経緯があった。
体重は変わらず、しかし胴回りが7センチメートルも短くなっかとは、いかなる理由によるものか。脂肪が落ちた、ということはあるかも知れない。それよりも考えられるのは、筋肉の減少である。
ホテルのジムで運動する人を目にするたび「よくできるなー」と、畏敬、尊敬の気持ちが湧く。僕にはとても無理な行いである。買ったばかりのジーンズの、ゆるくならないことを祈るばかりだ。
昼飯 にゅうめん
晩飯 わさび菜のおひたし、厚揚げ豆腐と小松菜と椎茸の炊き合わせ、鰯の梅煮、薩摩芋の蜜煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2025.3.9(日) 5月の動向
昨秋のタイ行きの際に余らせた現地通貨は2,321バーツ。それに、先月25日にチェンライで邦貨7万円を両替して得た15,519バーツを加えれば17,840バーツ。今回、帰国して数えた残金は、どこかに仕舞い忘れたか、探しても見つからない硬貨数十バーツを除いて6,700バーツ。つまり使ったお金は11,140バーツ。これを全日程の11日で割ると、1日あたりの平均は1,012バーツになる。
タイにいるあいだの小遣い銭を1日あたり1,000バーツに収めるというゲームをしていたわけではないものの、惜しいところだった。しかし今回、買いすぎたラオカーオはコモトリケー君の家に預けてある。5月に控える訪タイ時には、その分が浮く。しかしてまた、5月は北の最果てのチェンライではなく、首都に居続ける。首都の物価は田舎にくらべてかなり高い。1日あたりの出費を1,000バーツ以下に納めることは、100パーセントの確率で無理だろう。
68歳になっても旅先での節約に興味があるとは明らかに、若いころバックパッカーをしていた、その感覚がいまだ残っているためだ。
アメリカは利下げを見送っている。日本の銀行は、日本銀行がことし数回の利上げを目論んでいると予想をしている。5月の円とタイバーツの関係は、どうなっているだろう。
朝飯 焼きおむすび、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、菠薐草の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 2種の茸と水菜と厚揚げ豆腐と豚薄切り肉の鍋、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2025.3.8(土) 帰国
00:08 Boeing777-300ER(77B)を機材とするTG682は、定刻に53分も遅れてスワンナプーム国際空港を離陸。席に着いてからしばらくはうつらうつらしていたものの、離陸と同時に目が冴える。
03:10 眠れたのか眠れなかったのか判然としない状態のまま覚醒していく。機は沖縄本島の上空に差しかかろうとしている。
03:38 朝食の供される旨のアナウンスと同時に機内が明るくなる。
03:40 予定到着時刻は日本時間で7時9分との案内がディスプレイに出る。
04:14 トイレにあったタイ航空の歯磨きセットで歯を磨く。
04:18 「羽田空港まで50分」のアナウンスが流れる。
04:58 TG682は定刻に3分おくれて日本時間06:58に羽田空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。
07:20 入国審査場を通過。
07:45 回転台から荷物が出てくる。
07:48 税関を通過。
07:56 京浜急行品川方面高砂行きの急行が羽田空港第三ターミナルを発車。
08:41 その車両が都営浅草線の浅草に着。
巷間声高に叫ばれていること、つまり諸外国に比べて日本が貧しくなったとは、僕は思わない。しかし都営浅草線浅草駅の薄ら寒い景色はいったい、どうだ。地上に上がるエレベータは内壁の塗装がすり減って、惨めったらしいこの上ない。浅草という大観光地のひとつの玄関口であれば、もうすこしどうにかならないか、とは思う。
駒形橋の西詰めから吾妻橋の西詰めを目指して江戸通りを北上する。スーツケースを曳く手が寒さにかじかんでくる。東武日光線の特急券を買うための「東武ネット会員サービス」は2月に廃止になったときのう、バンコクで知った。新しいシステムには、そのときは登録が叶わず、特急券は確保できていない。
東武浅草駅で券売機の前に行くと、幸いにも09:08発の特急に空席があった。座席指定券を兼ねる特急券は、僕を最後として売り切れた。
下今市の駅前には客待ちのタクシーがあったため、これを使って11時すぎに帰宅をする。タイのタクシーの運転手は大抵、スーツケースの、トランクルームへの上げ下ろしをしてくれる。日本のタクシー運転手がそれをしないのは、日本にタクシーが導入されたときからの習慣だろうか。
4階に上がってスーツケースを開き、中味を出して仕分けをする。それから事務室へ降りて、通常の仕事に就く。
朝飯 “TG682″の機内食
昼飯 にゅうめん
晩飯 若布と「なめこのたまり炊」の酢の物、厚揚げ豆腐と小松菜の炊き合わせ、鶏つくね団子、鯛の煮付け、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2025.3.7(金) タイ日記(11日目)
目を覚ましたのは2時10分。幸いにも二度寝ができて、次に気づくと5時をまわったところだった。外はいまだ暗い。「ホーイッ、ホーイッ」と、いつもの鳥が啼いている。チェンライの川沿いのホテルで毎朝感じた疲れは幸い、今朝は無い。起きて、きのうチェンライからの機内で秀丸に書いたおとといの日記の下書きをWordPressに写す。
朝食の会場には8時に降りた。部屋に戻っておとといの日記を9時40分まで書き継ぎ、外へ出る。トンローからプロンポンまではBTSでひと駅。駅前のワットポーマッサージは10時に開く。ここで足の角質削りと足マッサージを組み合わせた60分の施術を受けつつ「続百代の過客」の上巻を、落丁部分と森鴎外の「独逸日記」を除いて読み終える。即、タイのセブンイレブンのエコバッグから「続百代の過客」の下巻を取り出し、これを読み始める。施術の代金は460バーツ。オバサンには50バーツのチップ。
マッサージ屋からはプロンポンの駅を使ってスクムヴィット通りを横断し、向かい側の高級ショッピングモール「エンポリアム」で、あれやこれや見る。それからBTSでトンローに引き返し、なじみの食堂にて昼食を摂る。
ホテルは安価だから、1泊しかしないにもかかわらず、午後にゆっくり過ごすべく、予約は2泊にしておいた。部屋に戻って先ずはシャワーを浴び、バスローブを着る。僕には家でも電車の中でも、いつまでもコンピュータにかじりついている悪癖がある。しかし今日は帰国日であり、そのあたりには重々、気をつける必要がある。よって先ずは荷作りをする。
土産の「日光味噌粒みそ」をコモトリ君に手渡し、同時に買いすぎた酒類を預けたため、社員への土産やホテルで飲むためセブンイレブンで買った紅茶のティーバッグなどが増えたにもかかわらず、スーツケースの空間には余裕ができた。その面倒な作業を終えた後にはふたたびコンピュータを開き、今日の日記のここまでを書く。
さて、きのうの朝は迎えのタクシーがホテルに来ず、気を揉んだ。そして、そのようなときの危機管理にはかなり熱心な、取引先の社長のことを思い出した。その社長を見習ってフロントに降り、南部の生まれなのか産毛による髭を鼻の下に伸ばしたままの、しっかりしたオネーサンに空港までのクルマを頼む。高速道路の通行料金を含んで500バーツは安くないものの、ここでも取引先の社長を思い出して、鷹揚に頷く。
午後の時間はいまだ、たっぷりとある。しかしプールサイドに降りれば泳がなくても汗で水着が濡れる。そう考えて、以降は部屋で本を読む。窓の外の、数百坪ほどの空き地には、すこし前までは南国の木々があった。しかし今は整地をされて、土がむき出しになっている。ここに大きな建物が建てば、このホテルには一切、日が差さなくなるだろう。
天気予報は朝から40パーセントの降水確率を伝えていた。その雨が実際に降りはじめたのは、18時もちかくなるころだった。ホテルの、外の通りにもっとも近いところにいる駐車場係に傘を借りて、トンローの大通りを目指す。酔いすぎることを避けるため、エコバッグにラオカーオは持たない。
食事を終えて19時43分にホテルに戻り、部屋の鍵を開けようとして、しかしカードキーをかざしても緑の灯りは点かない。取っ手を動かしてもビクともしない。多分、フロント係がカードキーの有効性を切ってしまったのだろう。
部屋のある4階からエレベータで1階まで降りる。そして雨の中をメイン棟のフロントまで歩き、事情を説明してカードキーを復活させてもらう。そして雨の中を引き返して、ふたたび4階へ上がる。
復活させたはずのカードキーでは、またもや部屋の鍵は解除されなかった。即、ロビーのフロントへきびすを返して「まだ開けられない。急いで欲しい。当方はこれから空港へ行かなくてはならない」と、口調を強くしてみる。フロントのオニーチャンはカードのマスターキーを、ちかくにいた何係か分からない男の人に手渡した。その男の人と共に、またまた部屋の前へ。しかしそのマスターキーを以てしても、なお、部屋の鍵は開かない。男の人はその場を慌てて去った。
5分ほどすると、腰に大量の、しかし今度はカードキーではなく金属製の鍵を提げた施設係が来た。係はドアの、カードをかざす部分の下の、丸いフタを専用の器具でずらした。そして現れた穴に金属製の鍵を差し込んで回した。ドアはようよう、開いた。時刻は19時52分。施設係は詫びることなく無言で去った。まぁ、タイでは良くあることだ。
大急ぎでシャワーを浴び、それまでのTシャツから機内用の、すこし分厚いシャツに着替える。そしてバックパックを背負い、スーツケースを曳いてロビーに降りる。20時15分に予約をしたクルマの運転手は、既にして待っていた。施設係を大急ぎで呼んできた男の人が、僕のスーツケースをトヨタのSUVのトランクルームに入れる。この人には40バーツのチップ。
20:08 安心を象徴するような、いかにも頑丈そうなトヨタ車がホテルを出る。
20:19 センセーブ運河を渡る橋の上で少々の渋滞。
20:35 フワマークから高速道路”Si Rat Expressway”に上がる。
20:57 スワンナプーム国際空港に着。運転手には40バーツのチップ。
21:05 ボーディンバスとバゲージタグの双方が出力される機械でチェックインを完了。
21:12 バゲージタグを乗客みずからがハンドスキャナーで読み込ませて荷物預けを完了。
21:21 保安検査場を通過。
21:24 顔認証システムにて出国審査場を通過。
薬を飲むための水が欲しい。幸い、僕の持つプライオリティカードでも入れるミラクルラウンジがサテライトターミナルにもあったため、エスカレータを上がって受付にそのカードとボーディングパス、およびパスポートを出す。係のオニーチャンは会員資格を示すQRコードを見せてくれという。実は僕は、この会員登録にいつも失敗をして、スマートフォンにQRコードは出せないのだ。即、諦めてエスカレータを下る。
売店で売っているペットボトルの水は70バーツ。街のセブンイレブンなら15バーツで買えるミネラルウォーターに70バーツは出したくない。このあたりの経済観念については自分でも不思議に思いながら、どうにもならない。今回の旅で使ったチップの合計は1,365バーツ。しかし空港の、市中の数倍もする水は、意地でも買いたくないのだ。
22:12 S105番ゲートに達する。
23:05 搭乗開始。
23:15 63Cの席の頭上にバックパックを格納する。
23:17 タイ製の睡眠導入剤”G nite”を、室乗務員にもらったコップの水で飲む。その足でギャレーの脇のトイレに入り、使い捨てカイロを腰に貼る。
朝飯 “La Petite Salil Sukhumvit Thonglor1″の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 「東明」のバミーヘン
晩飯 “55 Pochana”のクンオップウンセン、カオパックン、シンハビール
2025.3.6(木) タイ日記(10日目)
最初に目を覚ましたのは、いまだ3月5日の22時48分。以降は短い眠りを幾度も繰り返した感覚があって、遂に6時を迎える。現在の川沿いのホテルに移ってからは、どうも早起きができない。目は覚めても、ベッドから起き上がる気力が湧かない。しかし今日ばかりは、そうも言っていられない。いよいよこの街から去ろうとしているのだ。
ようよう起きて荷作りに取りかかる。ラオカーオの4本はどうやら買いすぎだったらしく、600ccと250ccのペットボトルに移した各々2本がいまだある。これと、バンコク在住の同級生コモトリケー君から頼まれた「日光みそ粒みそ」の1キログラムの袋がスーツケースの容量を圧迫する。結局のところ、3日の夜に買った社員への土産はザックへ収めることとした。
朝食の会場には7時20分に降りた。そして「臓物全種類と生玉子入り」のお粥2杯を食べて、7時43分に部屋へと引き上げる。チェックアウトは8時3分。Tシャツ2枚の洗濯代は160バーツだった。
さて今朝の迎えは4日の日記に書いたタクシーの運転手に「3月6日、8時30分」のメモを渡して頼んでおいた。そのことは今朝、僕のスーツケースを玄関前に運んだベルボーイにも伝えた。ところが8時35分になってもタクシーは現れない。エーという運転手にもらった電話番号を見せると、ベルボーイは親切にも自前と思われるスマートフォンに、その番号を打ち込んだ。流れたアナウンスは多分「その番号は現在、使われていません」というものではなかったか。彼は念のためもういちどその番号を呼び出して、またもやおなじアナウンスが流れた。
ベルボーイは今度はフロントのカウンターに近づき、おなじ番号を固定電話から呼び出すよう、オネーサンに伝えた。しかし結果は変わらない。「タイではよくあること」とは思うものの、フライトの時間は10時15分であり、気が気ではない。その僕の顔を見てベルボーイは自信たっぷりに「心配には及びません」と確約をした。
十数分が経って、トヨタ製のセダンがポーチに横付けをされる。これまでの経緯をベルボーイから聞かされていたらしいオバチャンの運転手は、クルマの中から僕に視線を送って呵々大笑をしている。「助かった」である。親切にしてくれたベルボーイには50バーツのチップ。
08:58 タイではよく目にするところの、個人のクルマを流用しているらしいタクシーがホテルを出る。渋滞を気にしてか、オバチャンは一旦、空港とは反対側にハンドルを切った。
09:14 タクシーがチェンライ国際空港に着。料金は250バーツ。オバチャンには50バーツのチップ。
09:25 チェックインの列に並ぶ。
09:37 保安検査場を通過して、そのまま隣接の2番ゲートに入る。
09:43 搭乗開始。
10:00 58Kの席に着く。
10:25 Airbus A320-200(320/3201)を機材とするTG131は、定刻に10分おくれてチェンライ国際空港を離陸。いくらも経たないうちに「バンコクまで1時間5分」とのアナウンスがある。
バンコクとチェンライのあいだを結ぶタイ航空機の機内は、前席と後席とのあいだが狭く、ひどく居心地が悪い。そのうえ前席の、中国語が表示されているスマートフォンを見ているオネーサンは、離陸前から背もたれを最大に倒して人の迷惑などお構いなしだ。その背もたれから引き出したテーブルにコンピュータを載せ、身をかがめるようにしてきのうの日記の下書きをする。
「バンコクまで1時間5分」なら着陸は11時30分のはずだ。しかし機は、スワンナプーム空港の北方で行ったり来たりを繰り返している。滑走路が混み合っているに違いない。快晴の日にもよくあることだが大気が不安定らしく、機は小刻みに、あるいは大きく上下する。飛行機は最も安全な移動手段と言われても、どうにも気持ちが悪い。
11:37 TG131は定刻より13分はやくスワンナプーム国際空港に無事着陸。
12:11 回転台から荷物が出てくる。
12:34 エアポートレイルリンクの車両が空港駅を発。
13:24 エアポートレイルリンクをパヤタイで高架鉄道BTSに乗り換えてトンロー着。
13:34 トンロー駅から徒歩にてホテル着。
ホテルは、トンローsoi10にあるビルの一室を会場とするバンコクMGに参加をするうち見つけたところだ。駅からちかく、清潔で、部屋は狭くてもバスタブを備え、お湯の出は良く、価格は安い。先ずはシャワーを浴び、スーツケースから必要なものを取り出す。今回のホテルは1軒目から今日の3軒目まですべてバスローブを備えていたから、持参したパジャマの出番は無かった。
冷房の効いた室内でしばしゆっくりしてからトンローの通りに出て、通り沿いのショッピングモールで少々の買い物をする。炎天下をしばらく歩いてホテルに戻り、ペットボトルに入れ替えたラオカーオ、チェンライのフードコートで不要にもかかわらず買う羽目になった”Sang Som”、そして土産の「日光味噌粒みそ」をIKEAのトートバッグに入れる。
トンローから乗ったBTSのスクムヴィット線をサイアムでシーロム線に乗り換え、サパーンタクシンで降りる。駅にほどちかいロビンソン百貨店の地下にあるスーパーマーケット”Tops”に入ったのは16時45分。
酒売り場の冷蔵庫の前まで来て、フランス産の白ワインに目を付ける。しかしタイでは、酒類は17時を過ぎなければ売買ができない。腕時計とiPhoneにて17時になったことを確かめ、支払いの列に並ぶ。オネーサンは自分の腕時計にチラリと目を遣ってからキャッシュレジスターの機械にあれこれの操作を加え、ボトルのバーコードを読み込んだ。代金は699バーツ。
コモトリケー君の住むコンドミニアムの舟は、17時10分にサトーンの桟橋に来る。現在の時間は17時5分。目と鼻の先とはいえ気が急く。僕の重い荷物のほとんどは酒、である。「バカみたい」である。
今は乾季だから、チャオプラヤ川の面は低い。よって浮き桟橋への通路は急な坂になっている。それを、足を滑らせないよう慎重に下る。目指す舟は上流から来てタクシン橋をくぐり、いくつかのホテルの送迎船が去ってから桟橋に着けられた。
前述のラオカーオと”Sang Som”は、次の訪タイ時までコモトリ君の家に預かってもらうこととする。そして買ったばかりのシャルドネ、およびコモトリ君のサントリーだかどこかの酒をIKEAのトートバッグに入れて外へ出る。
コモトリ君お勧めの食堂までは徒歩で20分ほどもかかった。タイ人なら決して歩かない距離である。料理はどれにもひと工夫が加えてあって美味かった。シャルドネのほとんどは、僕がひとりで飲んだ。
帰りは歩く気にも、また公共の交通機関を使う気にもならない。コモトリ君にGrabで呼んでもらったタクシーの運転手は小さなオバチャンだった。時刻は19時43分。目指すはトンローsoi1。
オバチャンは渋滞を避けるためだろう、チャオプラヤ川の西岸を南下し、やがて橋を渡った。いつの間にか眠りに落ちる。しばらくして目を覚ますとタクシーはナナの、スクムビットsoi13を南下している。なぜこんなところにいるのか。僕はオバチャンにiPhoneでGoogleマップを見せつつ「行きたいところはトンローのsoi1ですよ」と言う。タイ人らしく言い訳をするかと思われたオバチャンは笑って、スクムヴィット通りに出るとハンドルを左に切った。
ひどい渋滞は、アソークを過ぎると幾分か収まった。トンローつまりsoi55の手前のsoi53に差しかかったところで左に折れるよう言う。次の丁字路が近づいたところで右に折れるよう言う。ホテルに着いたのは20時45分。スマートフォンに示された255バーツをオバチャンは僕に見せる。僕は100バーツ札3枚をオバチャンに渡して「おつりは要りません」と言葉を添える。
部屋は夕刻の熱気を溜めて暑かった。よって冷房を最大の風量で回し、シャワーを浴び、今度は冷房の設定温度を26℃、風量は最小に落として就寝する。
朝飯 “THE RIVERIE BY KATATHANI”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 “TG131″の機内スナック
晩飯 “ROD TIEW”の蒸し鶏、ピータン豆腐、オースワン、麻婆豆腐、クンオップバミー、Pour Le Vin Avoir la Pêche Chardonnay
2025.3.5(水) タイ日記(9日目)
目は覚めているものの、起きて日記を書く気にはならない。そろそろ旅の疲れが出てきた、ということでもないだろう。ほとんどプールサイドで本を読むしかしていないのだ。
きのう8時ころの朝食会場は、とても混み合っていた。よって今日は8時30分にロビーからレストランへの階段を降りる。南の国で飲み食いをするとき、屋内と屋外に席があれば、僕は必ず屋外で摂る。いま自分は南の国にいる、ということをできるだけ感じたいのだ。
朝食から戻って先ずは会社の、お金の入ってくる銀行口座からお金の出ていく銀行口座に資金を移す。それからおもむろに、既にして完成しているおとといの日記を公開し、きのうの日記に取りかかる。すべてをし終えると11時が過ぎていた。
プールサイドの寝椅子に仰向けになれば、頭上からは鳥の声、脇を流れるコック川からは、上り下りのモーターボートの音が聞こえてくる。「続百代の過客」の上編を読むうち、気温はますます上がる。目映いコンクリートの上をプールサイドバーまで歩き、冷たいものを注文して寝椅子に戻る。レッドチェリーを口にするのは何年ぶりのことだろう。よほどの超弩級でない限り、名所旧跡景勝地の見物は時間がもったいなくてできない。僕にとってもっとも有効な時間の使い方は、なにもしないことに他ならない。
寝椅子のパラソルでは遮れないところまで太陽が動いてきたら、ランナー風のあずまやに移動をして、ここでまた本を読み続ける。笹森儀助による「南島探検」の石垣島の部分を良い調子で読みながら「あれっ」と感じて確かめると、現在の218ページの次のページは既にして読んだ203ページだった。「乱丁か」と忌々しく感じつつ先へとページを繰ってみれば、204ページから218ページまで進んだ次はいきなり235ページで、乱丁に加えて219ページから234ページまでが落丁している。その失われている部分は森鴎外の「航西日記」で、だから続くおなじ鴎外による「独逸日記」は、後先を考えれば、これをいま読むわけにはいかない。仕方なくその先の、夏目漱石による「漱石日記」へと進む。そして15時にあずまやを去る。
ホテルからマッサージ屋”PAI”までの道のりは、およそ2.4キロメートル。30分あればたどり着けるだろうと、15時30分に部屋を出る。例のごとくロビーから数百メートルほども庭を歩いて外へ出る。崖下の大きく曲がった道を歩きつつ、ときおり後ろを振り返る。すると遠くからトゥクトゥクの近づいてくるのが見えた。どうやら客は乗せていないらしい。
僕の脇で駐まったトゥクトゥクは、かなりの古さ、かなりの傷み具合だった。「ナイトバザールのちかくまで」と伝えて返ってきた運転手の返事は60バーツで、これは2013年ころの相場である。車体の古さを気にしての、弱気な言い値なのかも知れない。
“PAI”のガラス扉にはタイ語の張り紙があった。僕はタイ語は読めない。しかしそこに”6″の数字があるところからすれば「本日の営業は18時から」ということなのだろうか。仕方なく僕の感覚からすれば二線級の”CHAMONPOND”まで引き返し、1時間のフットマッサージを受ける。料金は200バーツ、オバサンには50バーツのチップ。
きのうに引き続いて、ツバメの群れ飛ぶ下を歩いてジェットヨット通りに出る。そして小体な洋食屋の外の席に着く。料理は英語では”Chiken Parmidiana”、中国語では「芝士炸鸡排」とメニュにあるもの、またワインは白と赤とがそれぞれ1種類ずつしか無かったから、オーストラリア産のシャルドネをボトルで注文する。
やがて届いたそれは、鶏のフライの上にトマトソースとチーズを載せ、オーブンで焼いた典型的な洋食で、僕の舌を悦ばせた。次にこの街に来るときには、この店にもかならず足を運ぶことにしよう。
ふたたび目抜きのパフォンヨーティン通りに戻り、客待ちのトゥクトゥクに声をかける。ホテルまでの料金は100バーツ。部屋に戻ってシャワーを浴び、多分、19時台に就寝する。
朝飯 “THE RIVERIE BY KATATHANI”の朝のブッフェ其の一、其の二
晩飯 “surf & turf”のチキンパルミジャーナ、JACOB’S CREEK CHARDONNEY 1984
2025.3.4(火) タイ日記(8日目)
「夜が明けると共に鳥の啼き始めるのは、日本でもタイでも変わらない」と、先週土曜日の日記に書いた。しかし今朝は4時30分に「ホーイッ、ホーイッ」という例の声を聞いた。いつか地元の人と一緒にいるときにこの声に気づいたら、鳥の名を訊いてみることにしよう。
それにしても今朝は疲れていて、これまでのように起きて日記を書く気がしない。空が明るくなり始めるころにようやくベッドを降りて、先ずは水、次は持参したインスタントのコンソメスープを飲む。
このホテルの庭で朝食を摂るのは2019年以来、6年ぶりのことだ。コック川の下流側には朝日が見え、鳥は啼き、8時から集中する客の数に対して人員が不足している以外は、言うことはない。部屋に戻ってしばしベッドで休憩。以降は部屋からの眺望を楽しみつつきのうの日記を書く。
プールサイドには11時すぎに降りた。そして寝椅子で本を読む。その上に広がるパラソルで太陽の直射を防げなくなってからは木造のあずまやに移動をして、ふたたび15時まで本を読む。対岸の一部が荒れ、倒木が水に浸かっているのは、昨秋の洪水によるものだろうか。
2017年までは街までの2キロメートル弱を苦にしなかった。それ以前は、往復の4キロメートル以上を平気でこなした。しかしこれが加齢というものだろうか、炎天下の歩行は、いまやまったくしたくない。しかし18時のシャトルバスを待つつもりもない。
意を決して帽子をかぶり、首には麻のタオルをマフラーのようにして外へ出る。ホテルの敷地から出て崖下の道を歩いているときに、向かい側からタクシーが来た。手を斜め下に差し出す合図をすると、窓を開けた運転手はUターンをしてくる旨を腕で示す。この街に流しのタクシーやトゥクトゥクはほとんど見ない。上手い具合に拾えたものだ。
この街にメータータクシーはいない。いや、いないかどうかは不明ながら、僕は遭遇したことがない。1980年代のバンコクのタクシーと同じく、料金はすべて相場、あるいは交渉によって決まる。マッサージ屋”PAI”までの料金は100バーツ。ふと思いついて、あさっての朝8時30分にホテルへ迎えに来るよう頼む。ちなみに運転手の名前はエー。電話番号も受け取った。
さてその”PAI”は今日は満員。よって2日目に訪ねた”CHAMONPOND”の扉を押す。足マッサージ1時間200バーツの料金は”PAI”と同じながら、タライのぬるま湯で足を洗ってくれる古風さ、また客質の点からも、できれば”PAI”を使いたい。今日、僕の右で足マッサージを受けていた男は終始、スマートフォンから中国語の音声を消さずに動画を見ていた。
“CHAMONPOND”からワンカムホテルの手前まで来て賑やかな声に空を見上げると、そこには大変な数のツバメが飛び交っていた。正に夏、そのものである。
サナムビーン通りでの飲酒喫飯を終えて、ふたたび盛り場に戻る。そしてきのうとおなじく、そこからすこし外れたところで客待ちをしていたトゥトゥクに声をかける。料金は100バーツ。
ホテルに戻ったのは19時ごろ。ロビーのエレベータ前にはドゥシット時代からのオジサンがいた。このオジサンは、お土産屋で売っているような少数民族の服を着て、ただエレベータの「開」スイッチを押すだけのためにここにいる。しかし僕はこのオジサンの姿を認めるとなぜか嬉しくなって、日に一度はチップとして20バーツを手渡す。AI時代に淘汰されないのは正に、このオジサンのような人ではないか。
部屋に戻ってシャワーを浴び、19時台に就寝する。
朝飯 “THE RIVERIE BY KATATHANI”の朝のブッフェ其の一、其の二、其の三
晩飯 「ジャルーンチャイ」のパッマクーワ、ムーグローブ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2025.3.3(月) タイ日記(7日目)
目を覚ましたのは1時30分のころ。いつも通りである。しかし今日ばかりはそのまま寝転がってTikTokを眺めたりしているわけにはいかない。早々と荷作りを始める。
ラオカーオはいまだ3本が残っている。その体積と重さを減ずるための空のペットボトルは家から500ccのもの1本、別途、往路のタイ航空機の中で支給されたミネラルウォーターの350ccのもの2本を、後生大事にクローゼットの上の、天井にちかい棚に置いておいた。それがなんと、きのう、部屋掃除のメイドに捨てられてしまった。
そういう次第にて、3本のラオカーオのうち2本は、きのうの夜から頑張って飲んだ部屋のミネラルウォーターの空きボトルに移した。しかし1本は、瓶のままスーツケースに収める。
04:38 IKEAのトートバッグにこの2日間の洗濯物を入れて部屋を出る。
04:45 ホテルから徒歩2分の”Neko wash & dry”で洗濯機の設定を完了。冷水による30分間の洗濯は、深夜料金にて30バーツ。きのうおとといより気温は明らかに高い。
05:14 ふたたびコインランドリーへ行く。洗濯機には「あと1分30秒」の表示が出ていた。それが止まるのを待って、洗濯物を備えつけのカゴで乾燥機まで運ぶ。乾燥機の料金は昼とおなじ50バーツ。
05:52 みたびコインランドリーへ行き、既にして止まっている乾燥機から洗濯物を取り出して、ホテルに戻る。
06:25 とりあえずの荷作りを完了する。洗い上がったばかりのTシャツ2枚は生乾きながら、仕方がない。
07:30 朝食会場に降りる。プールサイドの景色を楽しむため、ロビーや食堂のある1階と部屋のある2階との行き来は、エレベータではなしに、かならず階段を使う。
気温の上がる10時にプールサイドに降りて「続百体の過客」の上巻を読む。時代は江戸の最後期から明治の初期に入り、きのうまでとは異なって、ページの捗ること疾風の如くだ。理由は、ドナルド・キーンの採り上げるいにしえの人の紀行文が、国内から国外へと場所を移したことによる。
活字を追えば時を忘れるから、iPhoneのアラームを11時30分に設定しておいた。それが鳴ると同時に寝椅子から降り、バスタオルを指定のカゴに入れて、部屋に戻る。シャワーを浴びて服を着て、サンダルはスーツケースに納めたから靴下と革靴を履く。11時50分にチェックアウト。正午に予約したタクシーは11時59分に、ロビーの玄関に横付けをされた。
2009年からたびたび使っている、以前はドゥシットアイランドリゾート、現在はザリバリーバイカタタニと名を変えた川沿いのホテルには十数分後に着いた。タクシーの料金は200バーツ。運転手には40バーツのチップ。
僕がここに直近に泊まったのは、コロナ前の2019年9月。ホテルの名は既にしてザリバリーバイカタタニになっていた。その内装の近代的になったこと、またプールサイドの充実振りには特に目を見張った。しかし人はとかく変化を嫌う。「良くなくなった」という声も聞かないではないけれど、僕はその意見には与しない。
部屋までスーツケースを運んでくれるベルボーイがあれこれと説明をしてくれるので「ここには何度も泊まっています」と伝える。「いちばん最初は2009年」と続けると「それではドゥシットの時代から」と問われたので「はい」と答える。ベルボーイには50バーツのチップ。
移動用のズボンを普段のものに穿き替え、革靴をサンダルに履き替える。そうしてこの街に入って3日目に調べておいたちかくの食堂を目指す。「ちかくの」とはいえ、ホテルの敷地を出るには、広大な庭を数百メートルほども歩く必要がある。食堂から戻ったらシャワー。朝は肌寒くても、日中の暑さは日本の盛夏と変わらない。
午後はプールサイドに降りて本を読む。そのうち日除けのパラソルだけでは太陽の直射を避けられなくなって、ランナー風のあずまやに逃げ込む。木製の椅子の座り心地は悪くなかった。なにより川風が心地よい。まったく極楽ではあるものの、旅の中日はとうに過ぎているのだ。
ところでこのホテルとナイトバザールのあいだ2キロメートル強を往復しているシャトルバスの時間は、ホテル発が17:00、18:00、20:00、21:00、22:00。ナイトバザール発は、各々の15分後だった。しかしチェックインのときに求めた現在の時刻表では、合理化なのだろう、17時の便が消えていた。仕方なく18:00発のそれに乗って街へ出る。片道の料金は60バーツ。
先ずは200メートルほどを歩いてマッサージの”PAI”へ。本を持参し忘れたのは痛かった。フットマッサージを1時間。オバサンには50バーツのチップ。車道から50センチメートルほども高い、ウィアンインホテル前の歩道を歩いてナイトバザールの入口まで戻る。時刻は19時20分。
これまでより2時間30分ほども遅い到着により、黄色い椅子とテーブルのフードコートは満席に近かった。ステージにも人がいて、僕が席に着いたときには、歌手がひとりギターを弾きつつフォークソングを歌っていた。彼が去った後は、聞き慣れているいつもの曲に合わせての、民族衣装を着た5名の女の人による踊りが始まる。ちかごろこの踊りを見ていなかったのは、僕の夕方の時間が以前にくらべて早くなったから、ということにようやく気づく。
食後はナイトバザールで社員へのお土産を買う。買い物は得意でないものの、布製品を売る店のオジサンは、2割ちかく安くしてくれた。おなじ品物が、首都の空港の制限区域内では”SPECIAL PRICE”などと札を付けられて、数倍の価格で売られているのだ。
盛り場を外れたところで客待ちをしていたトゥクトゥクのオジサンに声をかける。どれだけ吹きかけてくるだろうかと身構えていたものの、オジサンの言い値は2017年の秋とおなじ100バーツだった。勿論、地元の人は、それよりずっと安く使っているだろう。
部屋へ戻ってシャワーを浴び、以降のことはよく覚えていない。
朝飯 “NAI YA HOTEL”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 「カオソーイタオゲーエック」のパッガパオムーカイダーオ
晩飯 ナイトバザール奥のフードコートのチムジュム、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2025.3.2(日) タイ日記(6日目)
鳥の声に気づく。時刻は6時21分。「うかうかしている場合ではない」という気持ちになる。目を覚ましてから何杯目かの、しかし淹れたばかりの紅茶を慌ただしく飲む。半袖のTシャツ1枚では寒かろうと、木綿のセーターを首に巻く。そうして2階の廊下からプールサイドに続く階段を降りて外へ出る。
道のあちらこちらでは、人々の朝食のための屋台や露店が開店の準備に取りかかり、あるいは既にして商売を始めている。チェンライ病院をはじめとする病院群をひとまわりして戻ると30分が経っていた。
10時を過ぎたところでプールサイドに降りる。「百代の過客」が昨秋ほど捗らないのは、上巻にくらべて下巻が面白くない、ということではない。20時に寝れば夜中のうちに目を覚ます。以降はこの日記を書いたりして朝まで起きている。だからプールサイドでは本を腹の上に伏せたまま眠ってしまうことが度々あるのだ。
今日もそうして小一時間ほども眠る。子供の声が聞こえてくる。目を開けると隣の寝椅子には8歳と3歳ほどの白人の姉弟がいた。母親は「静かに話せ」といういうようなことを子供たちに言い続けている。僕は「気にすることはありません」と、その母親に顔と身振りで示す。
室町期から江戸後期までの日記や紀行文を集めた「百代の過客」の下巻は13時1分に読み終えた。それをしおにプールサイドから上がり、部屋に戻って外出の用意をととのえる。
自転車を借りて、先ずはきのうのフードコートへ行ってみる。南の国らしくその場所は開け放たれていたものの、日曜日だからだろう、すべての店は閉まっていた。そこできびすを返してパフォンヨーティン通りを北へ進み、途中で左に折れてジェットヨット通りに入る。そして行きつけの汁麺屋の脇に自転車を駐める。
タイ北部の麺料理「ナムニャオ」について、チェンライを幾度も訪ねている人たちのウェブ上の情報に「カオソーイポーチャイ」の名は無い。それは、この店のそれに丸い板状の納豆トナオヘンやニャオの花の芯が入っていない、つまり本格派ではないからではないか。それでも僕は、この店のナムニャオが好きだ。辛さに汗が噴き出す。価格は40バーツ。田舎の物価はまだまだ低い。
部屋を出る前に、チェンライに入ってからきのうまでに使ったお金を合計し、それを日数で割ったら700バーツ強だった。初日の両替で得た15,519バーツは、最終日まで保つだろう。そう考えたものの、汁麺屋の帰りに初日とおなじ両替屋”SUPER MONEY EXCHANGE”に寄る。換金率は初日より良い1万円あたり2,252バーツになっていた。部屋に戻ってバンコクの換金率を調べると、もっとも条件の良い店で1万円あたり2,265バーツだった。これくらいの差であれば「取りあえず使う分はチェンライで。首都で使う分はバンコクで」と、両替を二度に分ける必要は無いだろう。
午後は部屋で「百代の過客」の下巻に続く「続百代の過客」の上編を読み始め、16時がちかくなったところでロビーに降りる。そして自転車を借りてパフォンヨーティン通りを東へ進む。マッサージ屋の”PAI”ではいつものように足マッサージを1時間。オバサンには50バーツのチップ。
さてサナムビーン通りの食堂も、今日で3日連続となった。ウェブ上に見つけたメニュに「パッシーユー」つまり焼きそばがあったため、それを注文すると「ペッシーユー」とオニーチャンは訊き返した。「タイ人の発音だと、そうなるのか」と、首を縦に振った。ところが席に届いたそれは、アヒルの醤油煮をオーブンで炙ったものだった。「なるほどペッとはアヒルのことだったか」と得心をする。
それを平らげて次は烏賊の塩玉子炒め「プラムックパッカイケム」を注文する。烏賊はカタカナでは「プラームック」と表記をされるけれど、これを棒読みしても絶対に通じない。「プラ」の後は長音にせず「プラムック」。「ム」は上の前歯で下唇を噛みながら素早く発声する。タイ語の発音は容易ではないのだ。
帰りはきのうとおなじくナイトバザールの中を、自転車を押して通る。ホテルに帰り着いても、空はいまだ夕刻の色を残している。その空には旧暦2月3日の月があった。そして今日も20時より前に寝に就く。
朝飯 “NAI YA HOTEL”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 「カオソーイポーチャイ」のバミーナムニャオ
晩飯 「ジャルーンチャイ」のペッシーユー、プラムックパッカイケム、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2025.3.1(土) タイ日記(5日目)
夜が明けると共に鳥の啼き始めるのは、日本でもタイでも変わらない。聞こえるのは「ホーイッ、ホーイッ」という、こちらではおなじみのもの。それに他の鳥の声も混じる。空は晴れている。その空を見て「そうだ、今日は洗濯の日だった」と思い出す。
きのうまでに溜まった洗濯物をIKEAのトートバッグに詰めて、おとといの日記に書いた、招き猫の看板のコインランドリー”Neko wash & dry”へ行く。係のオバサンは、おとといとは異なる人だった。
洗濯機は20キログラムと15キログラムの2種があったため「こちらで充分」と、15キログラムの方を僕は指す。オバサンは僕からトートバッグを受け取り、その中味を洗濯機の中に入れていく。日本から持参の粉石鹸をその洗濯機に入れようとして「ノー」と言われる。よって昨秋にチェンライのコインランドリー”otteri”で買って余らせた液体洗剤を差し出すと、オバサンはそれを受け取り、洗濯機の上の口から絞り入れた。
タイ語が読めるわけではないけれど、15キログラム用の洗濯機の奧の壁には「7時から23時59分まで冷水洗い50バーツ、ぬるま湯洗い60バーツ、温水洗い70バーツ、0時から7時までは、それぞれ30バーツ、40バーツ、50バーツ」の表示がある。「50バーツだね」とオバサンに確かめると、オバサンは洗濯機の、硬貨の差し込み口を指で示す。そこに、これまで溜めておいた10バーツ硬貨5枚を投入する。電光掲示板に出た数字は30分。それをオバサンはまた指で差す。
外の通り、建物、樹木、人、みな朝日を浴びている。「あー、気持ちいいなぁ」と思わず声が出る。それに我ながら驚いて「自分の口からそのような言葉が漏れるときとは、自分がどのような状況にあるときだろう」と考えてみる。そしてそれが「暖かさと薄着」のふたつによることを、改めて知る。
コインランドリーのテーブルで本を読むうち洗濯機が止まる。オバサンは洗濯機の中に残したものが無いか入念に調べつつ、洗い上がった衣類をカゴに入れた。そして今度は20キログラム用の洗濯機と接している乾燥機にカゴの中味を投げ入れた。乾燥時間は25分間で、選べる温度帯は”HIGH”、”MED”、”LOW”、”DELICATE”、の4種。デフォールトは”MED”らしく、ここでもまた10バーツ硬貨5枚を機械に投入する。
おとといの日記に書いたように、月曜日からは川沿いの、つまり中心部からは離れたホテルに移る。その日の早朝には、洗濯物は2日分しか溜まっていないだろうけれど、またここに来ることにしよう。それも、いまだ料金の安い7時前に、だ。
ここ数日を過ごしてみて分かったことだが、いささか肌寒い朝の気温は、10時ころから上がり始め、昼には35℃に達する。よって今日は10時を過ぎたところでプールサイドに降りる。そうして13時30分に到ったところで腹の具合を確かめ「昼飯は抜いても大丈夫ではないか」と考える。しかし10分後には「いや、しかしそれでは夕刻まで保つまい」と、プールサイドから引き上げる。
チェンライに入って2日目の昼は、看護婦さんであふれるフードコートでカオカームーを食べた。その、ローカルの小さなフードコートにカオゲーン、つまりぶっかけメシ屋のあることは、その前をたびたび通りかかって確かめてあった。
ホテルから歩いて3分ほどのフードコートは、今日が土曜日だからだろうか、開いている店は少なかった。また既にして14時がちかいせいか、僕以外の客はひとりきりだった。僕はカオゲーン屋のオネーサンに、ごはんにのせるべきおかず2種を指で伝えた。
ごはんの盛りは良い。ごはんの左には茄子と豚の挽き肉をたっぷりの油で炒めた、タイではよく目にするもの。右には豚肉団子と葱と香り野菜の炒めものが載せられている。その右側のおかずを先ずは口にして「アッ」と、声にならない声を出す。容赦の無い辛さである。「いいじゃないですかー」である。ガイジンに忖度したタイ料理は好きでないのだ。
食べ終えてオネーサンに100バーツ札を渡し、釣銭は数えないままポケットに入れた。そして席に戻って確かめると20バーツ札が2枚、10バーツ硬貨が1枚、5バーツ硬貨が1枚の、計55バーツがあった。ということは、おかずをふたつ載せたぶっかけ飯は45バーツ。「安い」と感じても口に出さないよう努めている僕でさえ、思わず「ヤッスッ」と声が出てしまった。それにしても、この店のおかずは美味い。日曜日の明日も、取りあえずは覗いてみることにしよう。
朝に洗った洗濯物を、午後は日の当たる窓際に並べて、より一層、乾かそうとする。そしてベッドで本を読みつついつの間にか眠ってしまい、目が覚めると16時が過ぎていた。カーテンは引いていなかったため、部屋の中はとても暑くなっている。
マッサージ屋の”PAI”には毎日16時に出かけることとしていたものの、小一時間ほど遅れてしまった。今日のオバサンは足の角質をすこしばかり削ってくれた。また脛のかさぶたを指でなぞって「痛いか」と訊くので「痛くない」と答え、iPhoneの翻訳ソフトに「アレルギー性の湿疹」と入れて、そのタイ語をオバサンに読ませる。フットマッサージ1時間の料金は200バーツ。オバサンには50バーツのチップ。
きのうとおなじ食堂の外の席で「百代の過客」の下巻を読みつつ、その220ページに思わず膝を打つ個所を発見する。芭蕉の五十年忌に思い立って江戸から松島を目指した山崎北華の旅行記「蝶之遊」の章の一部分。
……
不時の用意に従者を伴うよう友は勧めるが、北華は一人旅を選ぶ。急ぐ理由はなにもないのだから、格別難儀はあるまいと考えたのだ。それに、もし従者が彼の荷物を運んでくれ、己一人大手を振って歩くのならば、まことに「風雅なかるべし」と思ったのである。
……
「なぜ旅行に出てまで安楽を遠ざけ、苦を求めるのか」と家内は言い、僕に同行することをしない。僕の答え「楽な旅行なんてカッコ悪いじゃん」はまさに「風雅なかるべし」だったのだ。
今夜はナイトバザールの中を、自転車を押して過ぎる。そうしてホテルに戻ってシャワーを浴び、20時より前に寝に就く。
朝飯 “NAI YA HOTEL”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 Ruamchittawai Road南側のフードコートのカオゲーン
晩飯 「ジャルーンチャイ」のヤムカイヨーマー、カームーパロールアムサイルアット、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)





































































































































