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清閑 PERSONAL DIARY

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2025.6.27(金) 「梅雨明けですね」

「2025年 関東 梅雨」と検索エンジンに入れてみたのは先月の31日と今月の7日。先月末の予報は関東の梅雨入りを6月8日とし、梅雨明けには触れていなかった。今月7日の予報では、関東の梅雨明けを「平年は7月19日」として、しかし今年のそれについては言及していなかった。

僕からすれば「いきなり」という感じをきのうは受けた。「明日以降、続々と梅雨明け。九州から近畿は6月下旬、関東甲信を含む東日本から北日本は7月上旬」の文字がウェブ上に現れたからだ。

この時期には毎年、農産物の出来が心配になる。昨年は雨が多すぎたことにより、雨を好む生姜さえ不作になった。梅も不作、栗も不作だった。梅は今年も不作と、2年続きの凶作を業界紙は伝えている。九州では収穫を終え、栃木県ではこれから収穫に入る畑もあるらっきょうの、品質の良いことを祈るばかりだ。

「梅雨明けですね」の言葉が今日は事務室を訪れた人の口から聞かれた。早い梅雨明けは、夏が好きな僕にとっては大いに嬉しい。しかし農産物のことを考えれば「諸手を挙げて」というわけにはいかない。胡瓜と茄子についても、日々、情報を得ていくことになるだろう。


朝飯 ブロッコリーのソテーを添えたスクランブルドエッグ、納豆、めかぶの酢の物、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、椎茸と若布とベビーコーンの味噌汁
昼飯 納豆のつゆで食べる素麺
晩飯 キャベツとパプリカとエリンギと豚薄切り肉の鉄板焼きソース焼きそば、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、麦焼酎「こいむぎやわらか」(ソーダ割り)アイスバー、Old Parr(生)


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2025.6.26(木) 支払いは迅速に

早朝、食堂の丸テーブルにコンピュータを開き、メーラーを巡回させると、3日前の23日の日記に書いた、旅行社からの返信が届いていた。羽田からバンコクのスワンナプーム乗り換えでウドンタニー、そこからバンコクを経由して羽田に戻るタイ航空の予約確認書には、以下の明細があった。

エコノミークラス運賃 88,200円
燃油サーチャージ 17,630円
外国諸税 5,540円
羽田空港施設利用料 3,180円
海外航空券発券手数料 5,700円
計 120,250円

席は、羽田とスワンナプームの往復は、最後尾または最後尾の直前の通路側、スワンナプームとウドンタニーの往復は、最後尾の窓側が確保できた。6時間30分を飛ぶ国際線で通路側を選ぶのは、席の立ちやすさによる。1時間10分を飛ぶ国内線で窓側を選ぶのは、熱帯の空と雲を眺めたいからだ。

メールに請求書は添付されていなかったものの、スマートフォンを手元に引き寄せ、120,250円を、登録済みの、旅行社の口座に振り込む。支払いは迅速に、そして現地では何もせず、が僕の旅のスタイルである。

なお今日の仕事について記せば、9時30分より昼食を挟んで16時50分までは、隠居にて会議に徹した。


朝飯 鮭の昆布巻、目玉焼き、納豆、揚げ湯波の甘辛煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、椎茸と玉葱と若布の味噌汁
昼飯 おむすび弁当、蕗と豚肉の炊き合わせ、胡瓜と蕪の塩漬け
晩飯 キャベツと菠薐草の胡麻和え、細切り大根のポン酢和え、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、蒸し焼売、メシ、麦焼酎「こいむぎやわらか」(ソーダ割り)


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2025.6.25(水) 伊豆治療紀行(37回目の2日目)

「伊豆高原痛みの専門整体院」での治療はいつも、治療台にうつぶせの状態でかかとを両側に倒され「響きませんか」と訊かれることから始まる。次に足首、ふくらはぎ、膝の直下を両手で押され、膝の両側をやはり両手で掴まれ、更に首の両側を指でグリグリと押される。

次は治療台に座り、頭を垂れた姿勢で第二頸椎のズレを直される。きのう補正したはずの頸椎がずれているのは、ホテルの枕が僕のからだに合っていないことが原因と先生は言い、安くて有名なホテルの名を挙げて、そちらに泊まった方が良いのではないかと笑った。

大きな荷物を嫌う僕は、このところ、携帯用の枕を持参しなかった。「きのう治したからだが元に戻ったら勿体ないよ」と先生は言う。おっしゃる通りにて、次回はその枕をトートバッグに入れることにしよう。

僕の次の治療はひと月後。しかし今年のはじめから右膝に異常を来している家内は、それをかばって歩くうち今度は左膝の具合が悪くなり、2週間後の来院を先生には促された。

電子ペンによる治療さえ終えれば気分は楽だ。伊東駅前にレンタカーを返し、熱海駅には11時58分の着。時間が短すぎるため乗り換え案内のアプリケーションには表示されない4分間の乗り換えを僕のみこなして新幹線の上りプラットフォームに上がると、12時02分発のこだま712号が、ちょうど入線してくるところだった。

新橋からアップルショップまではもちろん歩いて行く。現在のiPhoneは、昨年の6月2日にこの店で手に入れたものだ。そのとき液晶に貼ってもらった分厚いガラスの保護フィルムに、つい先日、ひびが入った。そのフィルムを剥がし、新しいフィルムを貼ってもらう。料金は1年前と変わらない6,800円だった。

17時に待ち合わせた家内は、既にして居酒屋のカウンターに着いていた。そこであれやこれやと飲酒活動をし、浅草19:19発の下り特急にて帰宅の途に就く。


朝飯 「伊東小涌園」の朝の其の一其の二其の三、ごはん、漬物
晩飯 「シンスケ」のあれや、これや、それや、他あれこれ、「両関」の本醸造(冷や)、純米大吟醸(冷や)


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2025.6.24(火) 伊豆治療紀行(37回目の1日目)

「伊豆高原痛みの専門整体院」については、これまでもこの日記にあれこれと書いてきた。「寒いのはイヤ」と、宇都宮から伊東市八幡野に仕事場を移した先生は先月、更に、おなじ伊東市の中でも吉田に転居をした。新しい治療院へ行くには伊豆急行線の伊東駅前からレンタカーを借りるのがもっとも合理的と判断をして、昨月よりこの方法で通うこととした。

1日目は16時の予約にて、治療院が八幡野にあったときより遅い出発で間に合う。家内と乗った特急リバティきぬ122号が下今市を発車したのは10時53分。伊東に着いたのは14時41分。15時に予約しておいたレンタカーで伊東駅から8キロメートルの治療院に着くと、いまだ直前の患者が治療中だった。

家内に先んじて治療台にうつぶせになった僕の両足首、ふくらはぎ、膝の直下と両手で触れていき、次は頭の方へ回って首の両側を押した先生が「大丈夫ですね」と言ってくれると安心をする。その安心とは「今日の治療はそれほど痛まないだろう」という気持ちによる。しかしシャツを脱ぎ、ふたたび治療台にうつぶせになった僕を見おろして「若干、張りが」などとつぶやかれれば、安心は小さな不安に変わる。

背中のツボに押し当てられる、9,000ボルトを発する電子ペンによる痛みは、しかし直前に「あわやギックリ腰」という瞬間を経験した先月のそれよりは、よほど弱かった。とはいえそれを皮膚に押し当てられたときの、まるでお灸のような熱さには、いつまでも慣れない。

一方、膝については昨月のそれより治療に於ける痛みは強かった。もっともそれも、2022年の1月から夏までの、背中はエビのように丸まり、声を発することもできず、額には脂汗が浮かび、脇からは汗がしたたり、吐き気さえ覚える拷問まがいの激痛にくらべれば、いかほどのものでもない。

治療を終え、伊東の市街に戻る途中の18時02分に電話が入る。未知の番号ではあったものの、静岡県から発せられていると思われるその呼び出しに応じると、相手はホテルの人だった。予約時に指定した18時30分の夕食が迫っているため、心配になったのだろう。よって右手の海に目を遣り、これから10分ほどで着く旨を説明して、その会話を終える。


朝飯 菠薐草のおひたし、ベーコンエッグ、納豆、切り昆布の炒り煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、椎茸と若布の味噌汁
昼飯 「紀伊國屋」の「国産鶏のやきとり弁当」、国産有機黒烏龍茶
晩飯 「伊東小涌園」の夜の其の一其の二其の三其の四其の五其の六、日本酒(燗)


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2025.6.23(月) 電話予約

メシ屋やホテルの予約を電話で行う、ということが極端に苦手だ。それは「当日は生憎と満席(満室)を戴いていまして…」と相手に言わせるのが忍びないということと、満席(満室)により断られた自分を惨めに感じるという、ふたつの理由による。苦手だから先へと延ばし、メシ屋なりホテルなりを使う日が迫ってから仕方なく電話を入れ、すると当然のことながら満席や満室で断られる確率は高まる。そのことにより、それを苦手とする意識がますます強くなる。悪循環に他ならない。

だから、ホテルをインターネットで予約できる時代の到来は、僕にとっては大いなる福音だった。しかしメシ屋については、いまだ「すべての店が」ということにはなっていない。

メシ屋の電話による予約が苦手、とはいえひと月に幾度となく訪れる店や、電話への対応がしごく良好と分かっている店については、僕も例外的に、楽な気持ちで電話をすることができる。

今朝は、秋にタイへ行く際の航空券を、馴染みの旅行社にメールで注文した。「馴染み」に加えて「メール」であれば、心理的な重圧は皆無だ。席は最後尾の通路側を指定した。その場所を他よりマシと感じる理由は以下の三点。

後ろの席の人に気兼ねすることなく背もたれを最大に倒せる。
機内食のトレーを自らギャレーに下げられることにより食後すぐに歯が磨ける。
左右に乗客が少なく、後方の乗客は皆無だから圧迫感が少ない。

「だったらビジネスクラスに乗ればいいじゃねぇか」と言われれば「着く時間が変わらねぇのに高けぇ金を払うのはバカバカしいじゃねぇか」というのが僕の答えだ。もうひとつ、僕はあれこれ世話を焼かれるのが好きでない性格である。

さて、席を予約した深夜便が羽田を発つまでに三ヶ月。「長いなぁ」とは思うものの、その日は意外に早く来るかも知れない。


朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と椎茸と玉葱とベーコンの味噌汁
昼飯 納豆と玉葱のつゆで食べる素麺
晩飯 “THE FLYING-GARDEN”のマッシュルームサラダ「若鶏のガツンとにんにく焼き」デカンタの白ワイン家に帰ってからのエクレア、Old Parr(生)


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2025.6.22(日) 新しい天体

事務机の左手に提げたカレンダーの今日の余白には、11時より6名様の蔵見学、15時40分よりバスのご予約が記してある。よって普段のあれこれの予定を、それらふたつに合わせて組み替える。

お客様を蔵へご案内する日が晴れていれば、写真を紙芝居のようにしてご覧に入れつつご説明する「たまり漬」の歴史は「汁飯香の店 隠居うわさわ」の庭で行う。薄暗い蔵の中でそれをするよりは、お客様も、よほどお気持ちが宜しかろうと想像するからだ。

そして今日もそのようにして隠居の門をくぐり、池泉に渡された石の橋を渡る。座敷は「汁飯香」の朝食をお召し上がりになるお客様で満席。その中には、海外からと思われるお二人様もいらっしゃった。

今日は9時30分より、英語のファーストネームによるお二人のご予約をいただいていた。11時過ぎという現在の時刻からすれば、今いらっしゃるお二人は別の方で、混み合うはざまに運良く席を確保されたのだろう。

隠居の庭から出て蔵の中をひととおりご案内した6名様は満足をされ、蔵から店にお戻りになると、少なくない買い物をしてくださった。

さて3時40分にご予約くださったバスは、30分ちかく遅れて鬼怒川方面から到着をした。ちょうど混雑の去った直後だったため、店に最もちかい駐車場には空きがあって助かった。こちらのお客様もみな様あれこれと買い物をしてくださって、とても有り難く感じた。

夕刻、家内から聞いたところによれば、隠居の、本日ふた組目の海外からのお客様は「汁飯香」のお決まりの他に2種のおかずを注文され、それをお持ちすると、その食べ方をお訊ねになったという。つまりお二人は、どのようなものか分からないままそれをご注文になった、ということだ。「好きですねー、そういう方」と、僕は思わず声を発した。そういう方のみが「新しい天体」には出会えるのだ。


朝飯 白胡麻、塩鮭、なめこのたまり炊、刻み茗荷、梅干のお茶漬け
昼飯 茗荷と大葉のつゆで食べる素麺
晩飯 スパゲティプッタネスカChablis Billaud Simon 2018


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2025.6.21(土) 水の取りかえ

夏至の朝は晴れた。

「夏至って、一年で一番、昼が長くなるんですよね」などと天文に詳しい人に訊けば、彼または彼女は微に入り細を穿って一時間ほども熱弁し、しかし当方は最初の一分ほどで聞き飽きて、以降は生返事をくりかえすばかりになることが分かっているから、そのような迂闊なことは決してしない。

夏至の日のSNSにはかならず、明日からは昼の短くなることを嘆く人が現れる。その気持ちは分からないでもないけれど「夏はこれからではないですか」と、僕は言いたい。梅雨が去れば、光輝燦然とした夏が、どこまでも青い空、どこまでも白い積乱雲と共にやってくるのだ。

深夜便は時間を節約するには便利でも、本来であれば横になって眠っている時間に椅子に座り、更にはジェットエンジンの轟音にさらされているから、どうしても疲れる。昼の便のテーブルに本を開き、時にページを繰る手を休めて機窓から巨大な積乱雲を眺める、そんな飛行機にいつまでも乗っていたい気持ちも最近は起きてきた。

夏を追いかけるようにして行く秋のタイでは、滞在すべき田舎を決めた。ちかくに絶景や旧跡はあっても、時間が勿体ないから出かけることはしない。ほぼ丸一日を、本を読んで過ごすことになるだろう。

梅雨の最中とはいえ気温の高い日が続いている。よって午後は如来寺のお墓を訪ね、きのう供えたばかりの花の水を取りかえる。


朝飯 納豆、冷や奴、生玉子、、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 納豆のつゆで食べる素麺
晩飯 めかぶの酢の物、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、なめこのたまり炊、豚肉と菠薐草のしゃぶしゃぶうどん、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)


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2025.6.20(金) 麺つゆの作成

グズグズすれば5時になる。5時台の起床は著しい「損した感」を僕に与える。それでも特にふくらはぎのあたりがだるい。自分の中の怠惰な部分が、横になっている時間を先へ延ばそうとしている。しかし「そうだ、麺つゆだ」と、いきなり思い出して飛び起きる。

最高記録はひと晩に3杯、それを除いても週に複数回を食べるほど好きだったラーメンだが、2022年の初冬を境として、これを欲しいという気持ちが消えた。食べものの好みがこれほど急に変わるとは信じがたいことではあるけれど、事実は事実。原因は加齢にあると思う。

僕の昼食は「これ」と決めたらしばらくはそれの続くことがここ数年は多かった。そして2023年の8月からは、夏は素麺、それ以外の季節はにゅうめんが専らとなった。「飽きませんか」と訊かれたときには「朝食はトースとコーヒー、という人のことを考えれば、汁や具の調整ができるだけ、変化に富んでいるとは思います」と答えることにしてる。質問をしたすべての人は「確かに」と納得をしてくれる。

きのうおとといの最高気温は日光でも30℃を記録した。しかし昼食は熱いにゅうめんだった。それはとりもなおさず「つゆ」が無かったからだ。材料は4月のうちに整えてあったものの、今年は5月の半ばを過ぎても気温が上がらず、素麺のためのつゆを作る気は起きなかった。それに加えて麺つゆの作成には「寝かし」も含めて十数時間を要するため、億劫な気持ちが常につきまとうのだ。しかしとにかく最高気温は30℃、である。

麺つゆ作りは2023年から始めて、昨年は6回を重ねた。その6回目に一応の決定版ができたから、今回はそのレシピに従い、しかし今回は水の量を昨年のそれの1.4倍とした。すぐに使い終えては面倒だからだ。

きのうの夜はその水に、昆布と干し椎茸を、やはり昨年のそれの1.4倍の量を計って沈めた。今朝は5時すぎよりその続きに着手し、おばあちゃんの祥月命日の墓参り、そして朝食を挟んで7時25分に麺つゆは完成した。今日の昼の麺つゆには、何も加えず素麺を食べてみようと思う。


朝飯 切り昆布の炒り煮、厚揚げ豆腐と小松菜の炊き合わせ、スクランブルドエッグ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、豆腐と若布と玉葱の味噌汁
昼飯 素麺
晩飯 大根おろしとポン酢で食べる牛肉と野菜の鉄板焼き麦焼酎「こいむぎやわらか」(ソーダ割り)


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2025.6.19(木) 安逸と再挑戦

きのうの店休日に出勤をした社員は、通常の業務に加えて2階の倉庫の片づけをしたという。その際に何やら古いお金が出てきたとのことで、それが今朝は食卓に載せられていた。

スリランカ航空に名を変える前の、エアランカのエチケット袋には、インドとスリランカとネパールの、それぞれ小額紙幣と硬貨が入っていた。エアランカを使ったのは1982年のいまだ寒いころ。タイのバンコクからスリランカのコロンボ、コロンボとモルジブの首都マーレの往復、そしてコロンボからインドのマドラスへの移動が、そのすべてはなかったか。

この旅ではタイ、スリランカ、モルジブ、インド、ネパールと巡ってふたたびバンコク。そこから香港へ渡り、何日かすごしてから帰国をした。エアランカの袋にモルジブの通貨が無いのは、当時の日記をひもといてみれば、使ったのは米ドルのみだったからと判明した。タイバーツと香港ドルが残っていない理由は分からない。

興味をそそられたのは、マドラスの”INDIA OVERSEAS BANK”の、1982年2月2日の日付けのある換金証明書。そこには40米ドルを363.2インドルピーに換えたことが手書きの数字で残っていた。当時の相場に照らせば1ルピーは27.5円。「まぁ、そんなところだったな」と、古い記憶が甦る。

今のインドは、当時とくらべてどのように変わっているのだろう。コーチンの小さなホテルのプールサイドで本が読めるなら、行ってみたい気もする。それとはまったく別の理由から、カルカッタに雪辱を果たしたい気持ちも、また無いわけでは無い。


朝飯 生のトマト、厚揚げ豆腐と小松菜の炊き合わせ、ハムエッグ、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、玉葱と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 ベビーリーフのサラダパン其の一パン其の二マッシュドポテトとズッキーニのソテーを添えた鶏のトマト煮Chablis Billaud Simon 2018


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2025.6.18(水) 第1回マイツール全国フォーラム

上澤梅太郎商店は、月のなかばに1日だけお休みをいただいている。その水曜日は、店は休みでも、どうしても都合のつかない者を除くすべての社員が出社をして、話し合いや摺り合わせ、また社内の整備を行う。6月のその日は今日に当たり、僕も出社をしなければならないところではあった。しかし同じ日に「マイツール全国フォーラム」という催しの開かれることを、既にして向こう半年の店休日が確定していた春に知った。

マイツールとは、古くはLOTUS1-2-3、今ならEXCELのような知られた存在ではない。しかしとてつもなく強力な稀代のデータベースソフトにて、ひとたび身につければ鬼に金棒、もっともそのためには当方が鬼になる必要があるものの、とにかく強力な道具に他ならない。その黎明期から現在に到るまでが縦横無尽に語られる集まりであれば、これに参加をしないわけにはいかない。

千代田区の会場には8時40分に入った。開会は9時30分に設定をされていたものの、受付の手順の良さにより、また参加者も早くに集まったため、9時25分には始まることができた。以降は昼食を挟んで6名の方々がマイツールを様々な断面から論じ、あるいは事例の発表をしてくれた。僕にとっては至福の一日だった。

マイツールは、使い手が未熟であれば鈍刀。しかしひとたび名人上手の手に渡れば快刀乱麻の切れ味を見せる。僕は、1992年の春にこのソフトに出会うことができて本当に幸いだった。

というわけで会のお開きになった後は地下鉄でふた駅の日本橋へ移動し、しばしカウンター活動をしてから家路を辿る。


朝飯 「よもだそば」の「とろろ朝定食」
昼飯 「崎陽軒」のシウマイ御弁当
晩飯 「一平」の空豆2種の串焼きおでんの盛り合わせ「齋彌酒造店」の「雪の茅舎山廃純米」(冷や)


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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