2025.6.3(火) ガーベラ
上澤梅太郎商店が運営する朝食の専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」のインターネットを介してのご予約は「ぐるなび」で承っている。この管理者は、現在の月を含めて4ヶ月分のカレンダーを操作できる。今いただいているもっとも先のご予約は9月末のもので、しかしこれは電話によるものだったため「ぐるなび」における当該の日の当該の席は、管理者が手動で塗りつぶす必要がある。これを怠ると発生するのが、いわゆるダブルブッキングである。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」は数ヶ月も前からご予約のいただける店だけに、当日いきなりいらっしゃったお客様は、満席によりお断りせざるを得ないことが多い。
と、ここまで書いたところで現在、隠居の床の間に飾っている、東日本大震災に際して今井アレクサンドルが進呈してくれた「ガーベラ」は、いつまで置くべきかと考える。ウチに、僕の目に叶う掛け軸はほどんど無い。よって洋画に頼らざるを得ない月がしばしばある。コンピュータにデータベース化した掛け軸の一覧を見ても、これから7月の末までは、洋画のみになるだろう。
朝飯 ソーセージエッグ、からし菜のおひたし、めかぶの酢の物、ミズの煮物、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 めかぶの酢の物、ミズの煮物、冷やしトマト、胡瓜と蕪のぬか漬け、焼き鳥、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2025.6.2(月) 時間貧乏
月のはじめには複数の預貯金通帳を持って複数の金融機関をまわり、通帳記入をする。この、長男がすることもあれば事務係がすることもある仕事を、今日は人員の都合により僕が行うことになった。その最中に、先週月曜日からの一週間分の売上を集金に来る銀行の人に頼むべきことのあったことを思い出す。僕が銀行をまわっているあいだにその人が来てしまっては、それを頼むことができない。すると僕の仕事が増える。心配しつつ会社に戻ると、しかしその人はいまだ来ていなかったため、小さな安心を得る。
「経営者は時間貧乏だ、ということが独立をしてはじめて分かった」とは、勉強仲間の社会保険労務士の言ったことだ。時間貧乏から抜け出すには、時間を節約するか、時間を作り出すかのふたつの方法がある。そしてこの両者が時に連動するところはお金に似ている。
6月10日の夕刻より東京で開かれる勉強会の案内が、先月の23日にメールで届いた。おなじ報せを、今日はfacebookで目にした。参加をしたいと考えたものの、その日、長男は6月4日から新宿高島屋で開かれる「味百選ウィークリーステージ」に出張をしていて不在。更には家内も不在ということが分かって参加は見送った。自営業者にはこのようなことがたびたび起きるけれど、まぁ、仕方のないことだ。
夕刻、店の犬走りに置いた6鉢のマーガレットに水を遣る。この花は水を異常に必要とするため、日に3度の水遣りが欠かせない。それが分かるまでは萎れさせることもあったものの、このところは10日に1度の施肥も効いて、たくさんの花を咲かせている。秋のはじめまで保ってくれれば幸いと思う。
朝飯 胡瓜のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、じゃがいもと玉葱と菠薐草とウインナーソーセージの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「大昌園」のあれや、これや、それや、他あれこれ、「田苑酒造」の麦焼酎「田苑シルバー」(オンザロックス)
2025.6.1(日) 二宮デー
タイから戻ると「留守中、二宮デーのための軍手3ダースを用意するよう、ウカジシンイチ自治会長が頼みに来た」と、長男に言われた。よって即、シバタ荒物屋に注文をして、それは現在、僕の事務机の脇にある。市民が朝に集って街を掃除する、その二宮デーは現在、クリーン大作戦と名を変えているものの、旧名の方がなにかと通りが良い。行われるのは6月の第一日曜日。しかし何時に始められるかを記した回覧板は、僕は見ていない。
早朝、この日記に検索をかけてみれば、過去の二宮デーにおいては6時55分に公民館へ行った記述があった。よって自ら整えた朝食は、6時30分から食べることを始めた。その食事の最中に携帯電話が鳴る。相手は自治会長。既にして人が集まり始めているため、できるたけ早く軍手を持ってきてもらいたいという。
町内役員の親睦旅行で温泉旅館へ行ったりすると「明日の朝食は大食堂で7時から」などと、チェックインの際にレセプションで教えられたりする。「7時から」と言われたにもかかわらず、老人はその何時間も前から目を覚ましている。また気も短いため、6時45分に大食堂へ出かけ、しかしやはり入ることはできず、苦笑いと共に部屋へ戻ってきたりする。今朝の「既にして人が集まり始めている」も、また同じことだろう。
とはいえまぁ、町内の人たちがひとところに集まり、軍手とゴミ袋を受け取って三々五々、町内のゴミを拾う、という行いは、悪いものではない。僕は箒とちり取りを持って参加をしたから軍手もゴミ袋ももらうことはせず、歩道や車道のちいさなゴミを集めつつ家に戻った。
ちなみに「二宮デー」とは報徳の思想を以て600の地域の復興に尽くした二宮金次郎の名をいただいたもの。お墓は日光市今市の二宮神社に現存している。
朝飯 生玉子、揚げ玉を薬味にした冷や奴、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、菠薐草と若布の味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」のおこわ弁当、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、「日光味噌」のフリーズドライ味噌汁”with LOVE”
晩飯 からし菜のおひたし、カツ煮、胡瓜と蕪のぬか漬け、ごはん、SMIRNOFF VODKA(ソーダ割り)
2025.5.31(土) 梅雨
上澤梅太郎商店が運営する朝食の専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」は土日月の週に3日の営業。その朝は、家内は早くから隠居の厨房に入る。よって僕の朝食は、自分で用意をする。このところは、1日は納豆、冷や奴、生玉子という調理を必要としないおかずによる一汁三菜、1日は具だくさんの味噌汁による一汁ゼロ菜、1日はお茶漬けと、その内容が決まってきた。
今朝のごはんは炊きたてのものではないからお茶漬けにしようとして、それに添えるものを考える。定番は「なめこのたまり炊」に、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」。油のコクが好きだから揚げ玉も加える、しかしこれだけでは寂しい。赤い色の何かがなかったかと頭を巡らせ、冷蔵庫に「丸赤」の塩鮭があったことを思い出す。
塩鮭はガスオーブンの火力をもっとも低くしてゆっくり焼く。今回の切り身の形は四角柱にちかいから、オーブンからチリチリと音が聞こえてくるたび横に倒し、遂に全面を焼き上げる。それを箸で挟み、床に落とさないよう注意をしつつ皿に載せる。
塩鮭からは信じられないほどの塩が噴き出している。この朝食をTikTokに上げれば「死にますよ」「バカじゃないの」などのコメントが相次ぐかも知れない。心配には及ばない。いちどに食べる量は、幅にして数ミリメートルに過ぎないのだ。
外から何やら音が聞こえてくる。時刻は13時になりかかろうとしている。意識しないまま、耳に入るままにしていたその音が雷と気づくまでにはしばらくの時間がかかった。「梅雨は雷に始まり、雷に終わる」という。7月の雷は嬉しくても、5月末のそれは嬉しくない。
「2025年 梅雨 関東」と検索エンジンに打ち込んでみる。するとその入りは6月7日ころ、明けはいまだ発表はされていないものの、平年では7月22日ころと出た。
夏という季節のほとんどは僕にとっては好ましい。「すべて」ではなく「ほとんど」なのは、梅雨があるからだ。更に、このところの梅雨には線状降水帯による豪雨がたびたび発生し、列島に被害をもたらす。夏の農作物の健やかに育つことを、祈るばかりである。
朝飯 塩鮭、揚げ玉、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」によるお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 ベビーリーフと茸とベーコンのスパゲティ、パン、2種のチーズ、飲みさしの白ワインと赤ワイン
2025.5.30(金) 好きな道具
ここ数年は体力の消耗を避けるため、泊まりがけで出かけるときにも、コンピュータは持たなくなった。しかしきのうおとといは必要があって、それをバックパックに入れた。今朝はそのコンピュータを食堂のテーブルに開き、おとといの日記を書き始める。電源から離れること3日にしていまだ容量を残しているLet’s noteのバッテリーは有り難い。
コンピュータの電源といえば、ことし2月のタイ行きでは、純正のACアダプターと共に、新たにAnkerの急速充電器を持参した。充電器はスーツケースに、しかしACアダプターはロストバゲージを恐れてこれまで通りバックパックに納めた。双方を持ったのは、はじめて使う充電器が役に立たないことを懸念したためだ。その結果、今月のタイ行きでは充電器のみに頼って不自由は無かった。時として例外は発生するものの、僕の持ち物は今後、ますます軽くなるだろう。
きのうまでの4日間を振り返ってみれば、時間を調整する場所は常に、本屋か山の道具屋だった。山の道具は軽さも含めて、機能を追求して作られている。そこのところが好きだ。オマル・ハイヤームは、酒を売る人が腑に落ちないと詠んだ。僕は、バックパックにぬいぐるみをぶら下げる人が腑に落ちずにいる。
朝飯 めかぶの酢の物、トマトのスクランブルドエッグ、胡瓜と蕪の塩もみ、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、レタスと揚げ湯波と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 レタスとポテトとマカロニのサラダ、2種のパン、無花果と葡萄のパン、鶏肉のトマト煮、2種のチーズ、Chablis Billaud Simon 2018
2025.5.29(木) 伊豆治療紀行(36回目の2日目)
寝床は和室に低い台を設え、その上に布団を重ねた疑似ベッドのような作りになっている。高さはベッドよりも低く、畳に敷いた布団よりは高い。そこから、普段に比べればよほど注意をしながら降りる。もちろん、おとといの朝に傷めた腰を気にしてのことだ。
「伊豆高原痛みの専門整体院」ではきのうに引き続いて腰の治療から始まった。その最後のころに先生は、腰の左側の靱帯に9,000ボルトを発する電子ペンの先端を打ち込もうとして、しかしその部分が馬の背のようになっているためか、ペン先が滑って逃げてしまう。よって先生はそこにヒジを当て、体重をかけて平らにした。ジリジリと不気味な音を発するペン先は、ようようツボに食い込んだ。後は痛みに耐えるのみ、である。
僕の腰、家内の膝ともに状態が悪く、今日の治療はふたりで2時間を要した。更に家内はひと月の後ではなく、2週間後にもまた来るよう先生に言われた。ことによると、膝には古傷があったのかも知れない。
家内とは14時ぎに日本橋で一旦別れ、16時55分に入谷の駅で落ち合う。そして僕は飲酒、家内は食べることに専念をして、北千住19:33発の下り特急に乗る。
朝飯 「伊東小涌園」の朝のお膳、鯵の干物、ごはん、昆布の佃煮と梅干、味噌汁
昼飯 「祇園」の「おにぎりランチボックス」
晩飯 「オオイリヤ」のあれや、これや、それや、他あれこれ、「新亀酒造」の純米酒「真穂人」(燗)
2025.5.28(水) 伊豆治療紀行(36回目の1日目)
出かける用事があっても、その朝に家にいれば、会社のことも、すこしは手伝うことができる。店を開け、出社してくる順に今月の給与明細を手渡し、朝礼の時間を迎える。道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への本日最初の配達には、配達係のイザワコーイチさんと共に行った。
道の駅から戻ったら、そそくさと普段の仕事着からズボンのみ履き替え、靴は、きのう傷めた腰を慮って、トリッペンのSHEET PULLを履く。そして下今市09:33発の上り特急に家内と共に乗る。北千住を経由して東京11:57発の下りこだまが停車中の16番プラットフォームに上がるのは、いつもの通り。
人のからだには、どこかが良くなれば、別のどこかが悪くなる、というか、それまで隠れていた問題が顕在化する、ということがあるらしい。2018年の10月に白内障の手術を受けた。目が良く見えるようになったら、翌月から背骨と右の肩胛骨のあいだの筋肉が痛むようになった。その痛みは徐々に増し、そのうち耐えがたいほどになった。行きつけの整骨院、鍼灸院、街の外科、国立病院、更には隣県の「手かざし」にまで足を延ばして、すべて埒が明かなかった。そんなときfacebookで知って、そのコメント主にあれこれと教えてもらったのが「宇都宮肩腰痛みの専門整体院」だった。
1週間に2度の通院を言い渡されたその整体院には2020年7月までの1年半のあいだに47回を通った。背中の痛みが消えれば次は肩、その次は膝と、長年の無理が次々と現れてきたためだ。そしてとうとう「次は2ヶ月後で大丈夫です」と言われるまでに回復をした。しかしその「2ヶ月後」の2020年9月には、ワタナベマサヤス先生は「寒いところはイヤ」と、宇都宮から伊豆に引っ越してしまっていた。
伊東市八幡野の新しい場所に僕と家内が行けたのは「2ヶ月後」ではなく9ヶ月後の2021年4月だった。次はそこからまた9ヶ月を経た2022年1月だった。そのときの、膝への治療の痛みは筆舌に尽くしがたかった。数千ボルトを発する電子ペンの先端を患部に押し当てられたときの痛みは症状の重さに比例する。それに懲りて2022年3月からは、ほぼひと月に1度の頻度にて伊豆に通うことを始めた。そしてその回数は、先月までに35回を数えるに到った。
35回も通って最後に辿り着いた現地での宿泊は、伊豆高原の駅前に専用のバスを待機させ、且つ治療院までは歩いて行けるホテル亀の井伊豆高原と、このところは定まっていた。「ところが」である。僕よりひとつ年下の先生はできるだけ長く仕事の続けられることを考えて、住まいと仕事場を一体にすべく、今月からはおなじ伊東市でも吉田に治療院を移した。
そこへ行くためには川奈からタクシーを使う必要がある。しかしその台数の少なさ、送迎の手間と時間、経費を考えれば伊東駅前でレンタカーを借りるのが最上との結論に達した。
新しい治療院は、伊東駅から8キロメートルと少々の場所にすぐ見つかった。いつもは5,000ボルトの数字が点滅する機械に今日は9,000ボルトの数字があったから訊ねれば「この症状だと5,000ボルトでは無理」との返事が戻った。そうして僕は主に腰、家内は左膝に荒療治を受け、ふたたび8キロメートルの道を戻って予約済みのホテルに入る。
朝飯 ジャコと山椒の乾煎り、ミズの甘辛煮、納豆、温泉玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと玉葱と若布の味噌汁
昼飯 「やまやのうまだしおにぎりせっと」、JAVA TEA
晩飯 「伊東小涌園」の其の一、其の二、其の三、其の四、ごはん、漬物、味噌汁、日本酒(燗)、甘味
2025.5.27(火) 作法
ソーマ歯科医院の予約は朝一番にて、先ずは大井町に移動し、駅前で朝食を摂る。その際、向かい合わせの椅子に置いたトートバッグのポーチにPASMOを仕舞おうと、テーブル越しに手を伸ばした瞬間「あわやギックリ腰」という衝撃に見舞われる。
世の中の様々な作法は姿勢をも規定する。「テーブルの向こうにあるものに中腰で手を伸ばす、などという無理な姿勢は、あらゆる指南書にも皆無に違いない」などということを考える。無理な姿勢でピアノを弾いた代表はビル・エバンスとグレン・グールドで、まぁ、彼らくらいの水準になればそれもまた許されるのだろうけれど、すくなくとも僕は、気をつけなくてはならない。
時間の余裕があったため、大井町から京橋に移動をして、そこからは日本橋まで歩く。丸善のエスカレータを3階まで上がることはほとんどしないものの、いざ行ってみれば、置いてある本には興味をそそられるものが複数あった。更に川瀬巴水の小さな展覧会が開かれていたため、それも観る。
江戸時代の浮世絵に対して川瀬の作品は「新版画」と呼ばれるものだったという。新派、新劇、新国劇。こうして並べてみると「新」の付く諸々は、いまや歴史の彼方に去った感がある。ヌーベルバーグやニューシネマもしかり。茅場町の飲み屋「ニューカヤバ」については、よく知らない。
神田の皮膚科に行ったら臨時休業ということがあって、しかし薬は必要だから検索エンジンに頼って根津の皮膚科を見つけた。するとここで処方された塗り薬が存外に効いたため、今日は午後に予約を入れておいた。前回「なぜそんなに必要なんですか」と渋られた一か月分の飲み薬も「前回とおなじだけ」と頼むと先生はすんなり処方をしてくれた。
さて明日と明後日はカイロプラクティックによる治療を伊豆で受ける。「帰らなくても構わない」と家内は言ってくれたものの、帰れば手伝える仕事もある。よって浅草19:19発の下り特急に乗って、21時すぎに帰宅を果たす。
朝飯 “BECK’S COFFEE SHOP”のホットサンドイッチ、コーヒー
晩飯 「もつ焼きけいすけ」の冷やしトマト、もつ刺し盛り合わせ、タマポテサラダ、おまかせ五本盛り、白れば、くつべら、チューハイ、それを濃くするためのナカ
2025.5.26(月) 何度くり返しても治らない
ふと気づくと下今市13:44発のけごん32号は、どこかの駅に停車中だった。そのプラットフォームの様子を眺めて、しかし頭の中には直前まで読んでいた本の余韻が残っている。そこが降りるべき春日部だったことに気づくまでには、数秒を要した。
即、読みさしの文庫本とテーブルに置いたiPhone、そしてトートバッグを鷲づかみにして席を立ち、通路を後方へ急ぐ。トートバッグから、これまた読みさしの新聞が落ちる。それを拾ってまた走る。降車口のドアは閉まっている。「遅かったか」と、しばし呆然と立ちつくす。
するとプラットフォームにいた、次の普通列車に乗ろうとしていたオジサンが僕の様子に気づいて前方を指す。東武線の上り特急は、春日部においては、すべての昇降口は開かない。「ここは開かない口だったか」と、今度は通路を前方に走る。先ほど新聞は拾ったものの、同時に落ちた、早月くらの短歌が4首ばかり並んでいる、文庫本のしおりに使っていた紙片はいまだ通路にある。しかしそれを拾い上げる余裕は無い。
ひとつ前の昇降口が見えてくる。プラットフォームに立つ駅員が、車両の先頭から最後尾までを確認しつつ、赤い旗を棒に丸めた状態で振っている。ここでドアが閉まっては、今日の予定はすべて狂う。そのドアは、僕がプラットフォームに降りた数秒後に閉まった。僕は後方へ歩き、先ほどのオジサンに礼を述べる。
2018年の10月に白内障の手術を受けた。以降は、半年から1年のあいだをおいて診察を受けることが義務づけられている。春日部からは東武アーバンクラインで数駅を下る。七里の眼科には無事、予約した時間の20分前に入ることができた。
電車の中で本を読みふけり、降りるべき駅に着いても気づかず乗り過ごす、ということが僕にはしばしばある。駅と駅のあいだの短い路線ならともかく、今日の春日部では何とか降りることができて良かった。「今後は気をつけよう」と思っても、何度も繰り返すのが過ち、というものである。
朝飯 納豆、切り昆布の炒り煮、梅干、揚げ玉、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、なめこのたまり炊のお茶漬け
昼飯 「カルフールキッチン」のおこわ弁当、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、日光味噌のフリーズドライ味噌汁”with LOVE”
晩飯 「フレンチ食堂ぶどう」のメヒカリのフリット、グリーンサラダ、パン、羊のロースト、フランスの高くないメルロー
2025.5.25(日) 朝の時間
夢をふたつみつ見た気はするものの、それがどのようなものだったかは思い出せない。目を覚まして気分の落ち着いたところで時刻は3時56分。きのう寝に就く前に確かめた時刻は20時38分だから、眠っていたのは7時間と十数分。まぁまぁの睡眠時間だ。
服を着て顔を洗って食堂に来ると時刻は4時。仏壇に花と水とお茶と線香を供えて4時15分。日記を書くためコンピュータを起動し、ブラウザを開いて4時25分。今日の日記の数行を書いたところでキーボードから離れ、夜のあいだにTikTokにいただいたコメントに返信をつけて4時28分。雨が結構な勢いで降っている。
その日記を中断して事務室へ降り、壁に貼った「汁飯香の店 隠居うわさわ」の予約表を取って4階の食堂へ戻って4時47分。きのうの夜から今朝のあいだにいただいたご予約に、それを承った旨の返信をお送りして4時49分。
今日の日記のここまでを書いてからおととい金曜日の日記に戻って文章を書き足し、画像を添えて「公開」ボタンをクリックして時刻は5時13分。大したマルチタスクぶりである。その勢いに乗って昨日の日記も完成させる。
今日は「汁飯香の店 隠居うわさわ」の営業日にて、家内は早くから隠居の厨房へと去った。よって朝食は具だくさんの味噌汁にて簡単に済ます。食後にもなお時間があったため、電磁調理台の、グリルからの熱を逃がす開口部にアルコールを噴霧してティッシュペーパーで拭く。更に、細く入り組んだ部分の油汚れは楊枝の先で掻き出す。
と、ここまで書いたら文字数は614。日記は最低400文字は書くこととしているけれど、今日は朝のことだけでその1.5倍。最上部の画像だけは、朝のうちには撮れなかった。
朝飯 春雨の中華風炒め、切り昆布の炒り煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトとじゃがいもと玉葱と椎茸とウインナーソーセージの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 めかぶの酢の物、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、きのこと厚揚げ豆腐と水菜と豚薄切り肉の鍋、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)