2023.4.26(水) タイ日記(9日目)
目を覚ましたのは5時15分。机の上には「4/26(水) 8:00 ズーム会ギ」のメモがある。絶対に忘れてはいけないため、きのうの夜に書いて載せておいたのだ。
7時すぎに外へ出て、今朝もまた、ラマ4世通りの食べ物屋の前を歩いて行く。そしてきのうとは異なったカーオゲーン屋で朝食を摂り、その動画を撮り、静止画も撮る。タイでは、これだけのことをしただけで汗をかく。部屋へ戻ってシャワーを浴び、Tシャツを着る。
タイ時間8時、日本時間10時より始まったズーム会議は予想より早く、9時15分に完了した。早朝のうちにまとめておいた洗濯物を持って、いつもの洗濯屋を訪ねる。帰りにホテルのフロントに寄って、明日のレイトチェックアウトを申し込む。18時までの延長で700バーツは悪くない。
「きのう行こうとしていたステーキ屋は休みだった」
とコモトリ君にLINEを送る。しばらくすると、イタリア料理屋”LIDO”の情報が返されてきた。それで初めて腑に落ちた。2020年3月、コロナの入りばなにコモトリ君と行ったイタリア料理屋は、そのステーキ屋の真向かいの路地にあって、今回は毎日のように、そのオレンジ色の看板を目にしていたのだ。
「LIDOならつき合ってもいいけどね」と追っつけ返信が届く。僕は同意をして、17時30分の待ち合わせを決めた。
今日しなければいけないことは、朝のズーム会議と、洗濯物を洗濯屋へ持っていくこと。それ以外はなにも無い。よって昼はステーキ屋をはじめ複数の飲食店が集まるSoi Si Bamphenまで歩き、汁麺を食べる。そして数軒を隔てたマッサージ屋で2時間のマッサージを受ける。昼前に降って止んだ雨により、気温はそれほど高くない。
雨は上がったものの、天気は相変わらず良くない。よって屋上のプールへは行かず、夕刻までは部屋できのうの日記、また今日の日記のここまでを書く。
コモトリ君は意外や早く、17時13分にホテルに着いた。電話を受けてすぐに外へ出る。黒い専用車は狭いSoi Si Bamphenから更に細い路地へと浸透した。そして11日ぶりのワインを飲む。
朝飯 名前を知らないカオゲーン屋のカオゲーン
昼飯 “Bouncing Pork Noodles”のセンミーナムトムヤム
晩飯 “LIDO”のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、焼き茄子、ハムの盛り合わせ、パン、アーリオオーリオペペロンチーノ、羊の香草焼き、Chianti Astrale 2021、エスプレッソ
2023.4.25(火) タイ日記(8日目)
額の左側の皮は3日前から、鼻の左側の皮はきのうから、そして今日からは左肩、左腕、左胸の皮がむけ始めた。すべて、ハジャイでの1日目と2日目の日焼けが原因である。「オレもいよいよ、プールサイドでは紫外線を防ぐ服が必要だろうか」と考える。しかしてまた「服を着て泳ぐほど悲しいこともない」とも思う。
きのうの朝に続いて今朝も、動画の撮影にかまけて日記用の静止画を撮り忘れた。明日からは注意をしよう。午前中はプールサイドで本を読む。そしていつもより早めに部屋へ戻る。今日はすべきことがいくつもあるのだ。
持参した米ドルすべて、手持ちのタイバーツのうちすべての1,000バーツ札、パスポート、そしてiPhoneを”WANDERLUST”のカンパラパックミニに入れる。カメラを持たなくなった今、海外での外出用小物入れはこの小さなショルダーポーチで充分だ。財布はズボンのポケットに、手拭いは買い物袋に入れて外へ出る。
タイの米焼酎ラオカーオの、僕の最も好きな銘柄は”BANGYIKHAN”だ。バンコクでこれを売っているのは、僕の知る限りピンクラオのパタデパート、ビッグC、そしてゲートウェイエカマイ1階のマックスバリューである。このうち公共交通機関を使ってもっとも早く行けるのはマックスバリュー。よってルンピニーからスクンビット、アソークを経由してエカマイでBTSを降りる。
タイは日本よりよほど酒やタバコに厳しい。酒類は8時から11時、14時から17時までの時間帯で販売が禁止をされている。明るいうちなら昼時を狙わないと、それを買うことはできない。以前は11時前にここへ来て、11時がくるまで他の店でマンゴージュースを飲みながら待ったことがある。今回の購入は1本で充分。そして他にも少々の買い物をする。”BANGYIKHAN”の価格は157バーツだった。
ところでタイは「微笑みの国」などと賞賛される一方、悲しいほどの、あるいは滑稽なほどの階級社会だ。人は地位、職業、財産により、ピラミッド状に階層を作る。クルマなら、大金持ちはロールスロイスやランボルギーニに乗り、金持ちはメルセデスやアウディに乗り、中金持ちはトヨタのハリアーに乗り、小金持ちはトヨタのカムリに乗る。夕食を食べに行く店、身につける服や靴や持ち物、利用する公共交通機関もすべて、ピラミッドの序列に従って意図的に、あるいは仕方なく選択をする。
飲む酒にもそれがあてはめられて、ラオカーオは現在、その最低のところに置かれている。有り体に言えば「車夫馬丁の酒」である。「酒席にこれを飲む者がいれば、その席の全員の沽券に関わる」とまで言う人もいる。東京で百年、数十年の歴史を持つ飲食店は、21世紀になっても焼酎を置かない例が目立った。タイ人も現在の日本人とおなじく、そのうちラオカーオの価値を認める日が来るだろう。あるいは前述の階級意識や見栄により、いつまで経っても同じだろうか。
エカマイからトンローにひと駅を戻る。そして何年も前から気に入っている店で汁麺を食べる。そこから駅へ戻る途中で散髪をする。記憶に残る床屋は姿を消していたため、別の、ヘアサロンと呼んだ方が似合いそうな店を使った。そのせいか料金は600バーツと、いささか高かった。
ほとんどすべての現金を部屋の金庫から持ち出した理由は焼き物である。トンローには気に入った骨董屋があるのだ。炎天下、額に汗を浮かべつつその店の前まで来ると、上の方だけ透けたシャッターから店内の灯りは見えるものの、シャッターの手前の鎧戸には大きな南京錠が掛けられていた。次は電話で営業日、営業時間を確かめてから来ることにしよう。
夕刻に至ってホテルちかくのマッサージ屋を訪ね、2時間のマッサージを受ける。そこから、かねてより行きたいと考えていたステーキ屋の前まで来ると、ここ何日も見ている看板には”OPEN DAILY”と書いてあるものの休みだった。仕方なく来た道を戻り、ホテルから表通りに出る途中の中華料理屋で食事を済ます。しかしどうも、気分が収まらない。
ラマ4世通りに出て横断歩道橋を渡る。クロントイ方面が渋滞を起こしている。僕もクロントイ方面へ歩き、きのうの日記に書いた、バンコク商業銀行の脇の道に入ってみる。陋屋といっても差し支えのない店で、ファランが女の人と食事をしている。僕の感想は「いいなー、こんなところでメシが食えて」だ。明日は捲土重来といくだろうか。
朝飯 名前を知らないカオゲーン屋のカオゲーン
昼飯 「東明」のバミーナム
晩飯 「日月楼」の炒土豆絲、溜肚片、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(水割り)
2023.4.24(月) タイ日記(7日目)
目を覚ましたのは2時28分。部屋は、湿度は感じないものの、暑い。冷房の電源を入れ、シャワーを浴び、以降は腰にバスタオルを巻いた姿できのうの日記に取りかかる。
「旅は準備をしているときが一番、楽しい。いざ始まったら、もう終わりだ」と家内は言う。「旅は、始まったときには、もう終わり」とは僕は考えない。しかしその半分も過ぎてみれば、旅に出る前に考えていたすべきことの「いつするか」を、そろそろ決めるべきだろう。
7時すぎに外の通りへ出て朝食を物色する。きのうは賑やかに見えた食べ物屋や屋台が、今日はより人を集めて行列ができている。そんな中に美味そうなオムレツを焼く小さな弁当屋を見つける。注文をすると、具は何にするかと身振りで訊かれ、豚の挽き肉とエノキダケとバジルを指定する。焼き上がりにはケチャップの要不要を訊かれてそれを断り、器に用意されたプリックナムプラーを自分でかける。ちかくの屋台で生搾りのオレンジジュースも手に入れ、部屋に戻る。オムレツ弁当は25バーツ、ジュースは20バーツだった。
今朝の朝食動画をSEはうまく編集することができるだろうか。僕は動画を撮ることにかまけて、日記用の静止画を撮ることを忘れた。
8時30分、「そろそろどうだろうか」と考え、溜まった洗濯物をプラスティック袋に入れる。そしておととい仕事を頼み、きのう引き取ってきた洗濯屋へ行ってみる。おとといとは異なるオバーサンは、鎧戸の奥から僕の姿を認めるとマスクをかけた。タイ人の、コロナに対する怖がりようには、いまだ強いものがある。
今日のオバーサンは、おとといより多い衣類に、おとといの半額の60バーツを示した。このオバーサンは英語を理解する。それで分かったことがある。アイロンをかけないなら1キロあたり60バーツで、できあがりは今日。アイロンを必要とするなら同120バーツで、できあがりは明朝。僕はアイロンありを選び、120バーツを払った。おとといのオバーサンが、できあがりの時間として僕の腕時計の9時のあたりを指したのは、21時ではなく9時、というわけだったのだ。
ホテルに戻って部屋経由で屋上のプールへ行く。田舎の、鳥の声の聞こえるプールも好きだが、都会の、建設現場のハンマーやドリルの音の聞こえる環境も、また嫌いではない。施設は古びてはいるけれど、ひっそりとした屋上のプール、朝食の便利さ、バス停の近さ、そして宿泊料の安さを考えれば、悪くないホテルだと思う。
雲行きの怪しくなってきた10時45分に階下の部屋へ戻る。11時に雷鳴が聞こえ、11時20分に雨が降ってくる。予報によれば、バンコクの今日の天気は以下らしい。
A morning thunderstorm; otherwise, very warm with some sun, then clouds.
外へ出る時機を逸して、金庫に仕舞ったばかりのコンピュータを出す。そして今日の日記を書き始める。ふと気づくと、青空に巨大な入道雲が立ちのぼっている。地上を見ると、人はもう傘を差していない。時刻は11時50分。意外や短い…気の乱れだった。
昼食は、朝とおなじ通り沿いのカオゲーン屋で摂ることにした。選んだおかずはパッガパオムーサップ。これをごはんにのせて目玉焼きを添えれば一瞬で、ガパオライスの完成である。
気楽なバンコク。とはいえ海外は海外だから、時間の余裕は充分にみる。そして11時30分にきのうとおなじバス停に立つ。今日は月曜日で、道の混み様はきのうの比ではない。サパーンタクシンまで直行する115番のバスは、30分だけ待ってみようと考える。先の天気予報によれば今日のバンコクの気温は38℃とのことだったが、雨上がりの街は、辛くなるほどは暑くない。
待ち始めて28分が経ったとき、遂に115番のバスが渋滞の向こうに見えた。ベンチから立ち上がり、車道に近づく。しかしなぜかそのバスは片側三車線の中央分離帯側にいて、歩道に近づく気配はない。そしてそのまま目の前を通り過ぎた。仕方なくMRTとBTSを乗り継いでサパーンタクシンへ移動する。
今日は14時10分の専用船でコモトリ君の家へ行く。気温はいまやとても高い。冷たい水で一服の後、駐車場へ降りてコモトリ君の専用車に乗る。運転手はハンドルを、一路南へ向けた。そして数十キロほども走ったところは、もうバンコクを抜けてサムットプラカーンに入っていただろうか。周囲には沼沢なのか入江なのか水が多く見え、その水の上に東屋を設けた料理屋の前でクルマはようやく駐まった。店の前には客を迎えるようにして大きなニワトリの像。一歩を踏み入れれば、生け簀には海老や蟹や魚が豊富だ。
今回の旅の大きな目的のひとつは土曜日の夕刻に果たした。もうひとつは、日光味噌のたまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」を具にしてタイ風炒飯カオパッを本職に作っててもらい、それを動画に撮る、ということだ。それがこれから始まろうとしている。
本職が英語を理解するかどうかは分からない。そして僕のタイ語では、僕の意図は伝えられない。というわけで、今回のこの目的を成就させるべく、コモトリ君は会社から、この手のことの得意そうなパンさんを連れてきてくれた。
動画は、先ずは僕が店の説明、次いで僕と通訳のパンさんが厨房に入り、パンさんが料理人に概要の説明、続いて僕が調理中の説明、更にそのカオパッを僕とパンさんが食べる、という大まかな段取りを決めた。その調理場の風景をどうにか撮り終え、東屋に席を占める。
カオパッが席に運ばれたところでふたたびiPhoneのスイッチを入れ、それをひとくち、ふたくち、みくち。とても美味い。思わず「アロイ マーク」である。iPhoneを床に置いて以降は海の幸を食べて、食べて、食べて、という至福のひとときを過ごした。なお動画の撮影ばかりに気を取られ、店の静止画を撮ることは忘れた。
ひと仕事はいまだ明るいうちに済み、数十キロを北上しても、ホテルには19時に着いてしまった。首都の夜はこれから、という時刻だが、運転手には100バーツのチップを手渡し、部屋へ戻り、すぐに寝る支度に入る。
朝飯 名前を知らない屋台のオムレツ弁当
昼飯 名前を知らないカオゲーン屋のカオガパオムーサップカイダーオドゥワイ
晩飯 「クルアトゥカターシーフード」の魚のスープ、蒸した渡り蟹、ソムタムプー、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」のカオパッ、プラムックパッポンカリー、オースワン、「片山酒造」の酒粕焼酎「粕華」(ソーダ割り)
2023.4.23(日) タイ日記(6日目)
目を覚ましたのは3時38分。部屋が暑い。即、起床して冷房を入れる。洗面所へ行くと、殊勝にも歯を磨いた跡がある。シャワーを浴びたか否かについては不明。よってシャワーを浴び、そこから出て冷房を消す。以降の数時間は、腰にタオルを巻き、上半身は裸のままでコンピュータに向かう。部屋はすぐに暑くなる。「いいねー、これでこそタイだ」と嬉しくなる。
きのう日記のあらかた書けたところでTシャツとタイパンツを身につけサンダルを履く。「メシ屋が少なかったら困るな」とホテルのある小路からラマ4世通りに出ると、そこはに屋台も含めて食べ物屋が10軒以上も並んでいたから安心をした。
その10軒ほどのうちの汁麺屋らしい店で「今朝はバミーナムだ」と注文しながら調理台の脇を抜けようとすると「バミーは無いです」とお運びのオニーチャンが言う。確かに麺は見あたらない。大きな豚肉の煮える鍋を横目に「ガオラオ」と訊くと、そうだという。すかさずガオラオとごはんを注文する。肉の種類を訊かれれば、僕は豚と答えることが多く、今朝もその通りにした。そしてガオラオは上出来だった。更に、米の美味さに驚いた。TikTokに上げる動画は、今朝もしっかり撮った。代金は55バーツ。ガオラオが50バーツでごはんが5バーツだろうか。首都の食べものの値段はハジャイのそれに比べても、むしろ安く感じる。
9時から正午までは屋上のプールで本を読む。ホテルは、屋外に寝椅子とパラソルまたは日陰のあるプールさえ備えていれば、他のことはほとんど気にしない。シャワーの温度を上げると水圧の極端に落ちる現在のホテルにも、特に不満は無い。
昼食はラマ4世通りを歩道橋で渡り、それを降りたところの豚足屋で摂った。価格は60バーツ。その豚足屋から東へ散策すると、バンコク商業銀行の脇から北に小路が延びている。その両側は、小路の入口パクソイから食堂ばかりが続いている。ソイの名前は”Pluk Chit 1″。炎天ではあるものの、興味を引かれて奥へと歩いてみる。周囲の雰囲気は、失礼ながら、まぁ、スラムだ。機会があれば、夕刻にまた来てみようと思う。
部屋へ戻り、本日、何度目かのシャワーを浴びて服を着る。移動日を除いては、服はずっと、上は白のTシャツ、下はタイパンツだ。タイパンツとはいえ屋台で100バーツで売っている、象の絵柄の入ったそれではない。プレー産の藍染めである。そして履くのは”KEEN”のゴム草履。地下鉄MRTはきのう使って、その本数の少なさに辟易した。よって今日は、ホテルからは目と鼻の先のバス停に立つ。
サラデーンへは115番のバスと、先ほど部屋で調べておいた。しかし表示によれば、おなじ方へ向かうバスは他にもたくさんある。そして間を置かずに来た46番のバスに乗る。車両は冷房を備えない古いもので、振動も大きい。
「サムヤーン」
「サムヤーンには行かない。ファランポーン行き」
「いくら」
「10バーツ」
行き先はどちらにしても、外の景色を見ていれば、降りるべきところは分かる。バスは高架を越え、シーロム通りとの交差点、次にスラウォン通りとの交差点を過ぎて直進する。「なんだ、だったらサムヤーンの脇を通るではないか」と考えつつ、その手前で停車ボタンを押す。ラマ4世通りからは、モンティエンホテルの構内を横切ってスラウォン通りに出る。簡単すぎて、呆気ないほどだ。
15時15分にマッサージの有馬温泉へ行く。入口にマスクをせよとの表示があったため、ポケットからそれを取り出しかける。すると外にいた、白いワイシャツを着たオジサンは社員なのだろうか「もー、もー、もー」と顔をしかめて見せた。「表示は表示として、もうそんなものは必要ありませんから」という意味なのだろう。
脚マッサージ1時間と耳掃除を頼んで施術室への戸を引く。広い室内は、ほぼ満員の盛況。よくもまぁ、コロナを乗り切ったものだと思う。脚マッサージは250バーツ、耳掃除は350バーツ。チップはそれぞれに100バーツと50バーツ。
そこからサラデーンまではタニヤの小路を伝っていく。日本から持参したシーブリーズは使い果たしていたから、シーロム通りに出たところの薬局Bootsでアロエのクールジェルを買う。ついでに家内に頼まれた酔い止めも買う。その薬は日本製でも、日本では売られていないものだった。もうひとつ、タイで売られている薬は日本製のものであっても日本で買うより安い。
高架鉄道BTSを使ってサトーンの桟橋には16時50分に着いた。この時間になっても日差しは衰えない。17時10分の専用線に乗って、今日もコモトリ君の家へ行く。途中、アイコンサイアムの前庭に、草間彌生の巨大な南瓜を見る。夕食は、コモトリ君の手料理と焼酎のソーダ割り。
帰りのタクシーの運転手は、きのうに続いて優秀だった。95バーツのメーターに対して100バーツ札を手渡し降りようとすると「5、5、5」の連呼。「少しばかりのお布施」と答えると、彼は愉快そうに笑った。時刻は20時52分。部屋へ戻って歯を磨き、シャワーを浴びて即、就寝する。
朝飯 ラマ4世通りとSoi Saphan Khoの角のガオラオ屋のガオラオとゴハン
昼飯 “KAMOO BONKAI”のカオカームー
晩飯 コモトリケー君の家のたぬき奴と里芋の煮ころがし、獅子唐炒め、なめたけ奴、肉味噌の焼きそば、キンミヤ焼酎(ソーダ割り)
2023.4.22(土) タイ日記(5日目)
1時30分に目を覚まし、以降はずっと起きている。きのうの就寝が20時すぎだったことを考えれば、これで睡眠は充分なのかも知れない。
既にできているおとといの日記の「公開」ボタンをクリックする。続いてきのうの日記を完成させる。それでも時間は充分ある。首都で使う予定のたまり漬、また片山酒造の日本酒は、できるだけ長く冷蔵庫へ入れておきたいところだが、それも含めて荷作りを完了させる。
片山酒造の2本は、今日の夕刻に飲むことにしている。そうすれば、スーツケースには大分、余裕ができるはずだ。その空間を満たすのは社員への土産だろうか。しかしこの土産というのが僕にとっては厄介だ。買い物は苦手なのである。
6時45分にロビーへ降り、チェックアウトをする。1,000バーツのデポジットは、シャツや下着や靴下など計7点の洗濯代を引かれて200バーツが戻ってきた。団体客のものらしい沢山のスーツケースを載せたワゴンの脇に立つベルボーイに「7時にリムジンが来ます」と声をかけてスーツケースを托す。
やがて7時が過ぎる。先ほどのオネーサンにリムジンの予約票を見せ、どうなっているかを訊く。オネーサンがどこかに電話をしはじめる。そのうち団体客を送り出したベルボーイが外から戻ってきて、リムジンが待機している旨を僕に伝える。僕はリモアのスーツケースを曳くベルボーイに、グレゴリーのデイパックも預ける。リムジンはトヨタのカムリだっただろうか。ベルボーイには20バーツのチップ。
07:05 リムジンがホテルを出発。リムジンとはいえ運転手は下はジーンズ、上はチェックの半袖シャツ。両手首には数珠やらブレスレットがいくつも巻かれている。
07:28 警官による車体検査を経てハジャイ空港着。
07:30 持ち物をエックス線装置に通し、自分は金属探知の枠を抜けて空港内に入る。
07:35 チェックインを完了。
この空港では、機内預けの荷物をチェックインカウンターちかくのエックス線のコンベアまで自分で運び、自分でそこに載せる仕組みになっている。それをタイ航空の職員に教えられ、言われた通りにする。タイ南部ではときおりイスラム教徒によるテロ行為が起きる。それゆえの、警備の厳しさだろう。
マスクの着用率は、空港の職員は全員。それ以外の人たちも、ほぼ100パーセント。よって自分もザックからマスクを取り出し、それをかける。僕はノンポリだから、頑なにマスクを着けないなどの「思想の誇示」はしない。コロナ禍におけるマスクを、僕はドレスコードと考えている。であれば、まわりに合わせるだけのことだ。
保安検査場を抜けて2階の出発ロビーへ出る。しばらくすると、あれこれの宣伝を映し出していた大きなディスプレイが、これまでとはまったく異なる音を発し始めた。時刻は8時。とすれば流れている音楽は国王賛歌だろう。それが終わるまで起立をしていたのは、僕も含めて全体の5パーセントくらいだっただろうか。
ふと右手を見ると、壁に”Coral”と書かれたラウンジがある。ひょっとして僕の持つ”PRIORITY PASS”でも入れるところではないかと考え、そこまで歩いて受付のオネーサンにカードを差し出す。そして中級ホテルの朝食、といった程度のそれを食べる。これでリムジンの800バーツのいくらかは取り返した気分になる。
08:51 搭乗開始。
09:23 “AIRBUS A320-200″を機材とする”WE260(TG2260)”は定刻に18分おくれて離陸。
今日の首都の雲は低い。というか、初日の朝にも見た霞のようなものが大気に満ちている。
10:39 定刻に4分おくれてスワンナプーム空港に着陸。沖駐めのため空港ビルにはバスで運ばれる。空港の建物に露出配管によるかなり太いパイプが吊り下げられているのは、設計時には想定していなかった雨水対策だろうか。
11:40 着陸から1時間を経てようやく荷物が回転台から出てくる。
スーツケースを曳いて1階へ降りる。表示に従って外へ出てタクシー券を発券機から排出させる。その券の番号59に従って、タクシーの列の前を歩いて行く。やがて59番の枠に駐まったタクシーを見つけ、運転手に声をかけ、その後席に乗り込む。運転手は僕のスーツケースが機内持込サイズであることから、それをトランクではなく僕の座関の脇へ置いた。
「ラマ4世通り。ルンピニー」
「500」
「メーター」
「メーターならメータープラス100。OK?」
前回がいつだったかは覚えていないけれど、そのときも、運転手には初っぱなに「500」と言われた。最近、この手の運転手が少なくない。その場で降りて発券機のところまで戻る手もあるけれど、それも面倒なため同意をする。
僕は、人に心付けを手渡すことをむしろ好む。今回、タイに入ってから使ったチップは今朝までに1,010バーツ。しかし要求されて出すそれは、あまり気持ちの良いものではない。
ホテルのある通りの名は、Googleマップでは”Ngam Duphli”と表示をされている。これを棒読みしても、タイ人には通じないだろう。よって親指と人差し指で地図を拡大し、タイ語で表記されているピナクルールンピニーホテルにフラッグを立てる。しかしそれは分かりづらいらしく、運転手は自分のスマートフォンを取り出し、こちらでフラッグを立てるよう言う。しかしその地図は航空写真に設定され、しかもすべての説明はタイ語だから、とても分かりづらい。それでも何とかホテルを探してフラッグを立て、運転手に返す。
「1時間かかるね」
「ホント?」
「そう」
11:50 タクシーがスワンナプーム空港の駐車場から空の下に出る。運転手はGoogleマップを出したスマートフォンの他にもう1台を左手に持ち、誰かと会話を始めた。視線はそのスマートフォンに落としがちで、クルマは三車線の真ん中の、しかし右に寄りすぎて疾走する。僕はあらためて、シートベルトを締め直す。
最初の料金所が迫ったところで運転手に料金を求められ、25バーツを手渡す。しばらく行くと左手にランプが見えてきて、運転手はここで降りようかと身振りで示す。僕は「分からない」と答える。場所はフワマークのちかくだった。
12:11 バンカピのランプからラマ9世通りに降りる。渋滞がひどい。
12:21 マッカサンの交差点を左折。
12:30 アソークの交差点を南へ通過。ここで道が一気に空く。
12:35 クロントイでふたたび渋滞。
12:37 ラマ4世通りに入る。
ホテルへの小路の入口が見えてくる。運転手は「どんなもんだ」と笑顔で僕を振り向く。Googleマップがあるのだから、辿り着くのは当たり前である。ホテルへの入口を過ぎたところでクルマを駐めるよう、慌てて言う。メーターは345。運転手は「450」と叫び、外へ出て右側の扉を開け、僕のスーツケースを持ち上げた。こういうところだけは、タイの運転手は感心である。僕は財布から445バーツちょうどを取り出し「445」と運転手に叫び返す。運転手はおおらかに笑い声を上げた。時刻は12時42分。空港からは52分の行程だった。
チェックインをしつつ、できるだけ高い階をフロントのオバチャンに要求する。オバチャンは屋上プール直下の13階の一室をあてがってくれた。どうやらこのホテルにベルボーイはいないらしい。エレベータで13階に上がると、廊下の窓の一部が開いている。つまり廊下の気温は外気温とおなじだ。部屋は中級ホテルのそれ、いや、中の下、といったところだろうか。しかし僕は、この手のホテルが嫌いではない。落ち着くのだ。「使わないものは要らない」のである。
部屋からは、初代がガイヤーンの屋台から身を起こしたいう珍平酒楼が真正面に見下ろせた。その右手にはラマ4世通りが走っている。部屋の冷房はなかなか効かない。ここでもまた、部屋を自分の好みに作りかえる。
そんなことをしながらランドリーバッグと洗濯物の記入表を探すも、どこにも見あたらない。フロントに降りて訊くと、このホテルはランドリーサービスをしていないと、先ほどのオバチャンは言う。更に訊ねたところによれば、ホテルを出て右手の中華料理屋の隣に洗濯屋があるという。それならそれで好都合だ。
部屋へ戻り、きのうから今現在まで身につけていたシャツや下着、靴下をプラスティック袋に入れて外へ出る。洗濯屋はすぐに見つかった。洗濯屋は洗濯機1台で商売をする小規模なもので、留守番のオバーサンはタイ語しか話さない。オバーサンは洗濯物を計りに載せる。重さは500グラムと少々。オバーサンの指す、引き戸に貼られた「1kg 120B」の紙に従い、120バーツを払う。120バーツとは実に、今朝まで泊まっていたハジャイのホテルのTシャツ1枚の洗濯代よりも安い。左腕の時計を差し示しつつできあがりの時間を訊くと、オバーサンは21時のあたりを指した。僕は時計の文字盤をクルクルと丸くなぞり、理解はされないだろうけれど「明日の朝に来ます」と伝えた。
洗濯屋を出ると、その洗濯屋やホテルの前の道を奥へ進んでみる。1982年1月にバンコクからコロンボを経由してマドラスに飛ぶ航空券を買った”J TRAVEL & TRADING”が健在で、大驚きをする。1980年の1月だか2月に泊まったマレーシアホテルは、化粧直しがほどこされていたものの、建物は当時と変わっていなかった。何もかもが懐かしい。そしてすこし先まで足を延ばし、部屋に戻ってシャワーを浴びる。
さて同級生のコモトリケー君とは事前の打ち合わせにより、16時10分発の舟に乗ることとしていた。船着場までは大した距離ではないものの、渋滞が怖いからタクシーではなく、公共交通機関を使うこととして15時10分に部屋を出る。気温は昼のハジャイに劣らず高い。地下鉄MRTと高架鉄道BTSを乗り継いで15時51分にサパーンタクシン着。そこから徒歩で15時55分にサトーンの桟橋に着く。バンコクも、ここまで来れば川風が涼しい。コモトリ君の住むコンドミニアムの舟は、16時14分に桟橋を出て、16時23分にコンドミニアムに横付けをされた。
今回の旅のもっとも大きな目的は、2020年4月30日に急逝したカタヤマタカユキさんの蔵のお酒をバンコクへ持参し、カタヤマさんの高等学校の同級生で、パタヤに住むカトリアキナリさんとそれを飲む、というものだった。世の中は狭いもので、コモトリ君はカトリさんの大学の先輩に当たる。そしてまた偶然にも、カトリさんが指定してきた店は、コモトリ君の家とはチャオプラヤ川を挟んだ目と鼻の先だった。
17時すぎの舟で対岸に渡る。バンコクの典型的な下町、いや、それ以上に込み入った細い道を、オートバイやクルマを避けつつ歩く。そして”RIVER VIEW RESIDENCE”という小さなホテルの8階へ上がる。そこは”RIVER VIBE”というレストランで、見晴らしは最高に良い。間もなくここに泊まっているカトリさんが姿を現す。先ずは4合瓶を、コモトリ君が頼んだアイスバケットで冷やす。そして日本に帰ったらパウチをしてカタヤマさんのお母さんに手渡すべく、夕陽を背に写真を撮る。冷えた「初代久太郎」は僕よりも、カトリさんの心に、より沁みただろう。
舟が迎えに来るシープラヤの桟橋に立つと、サトーンの方角に花火が上がり、それはしばらく続いた。カトリさんもコモトリ君の家に同行し、ここではおなじ片山酒造の焼酎「粕華」をソーダで割って飲む。応接間の大きなテレビからは、マイルス・デイヴィスの”Jack Johnson”が流れている。バンコクの夜が更けていく。
「こちら岸」のタクシーも「あちら岸」のタクシーも、チャオプラヤ川をまたいでクルマを走らせることを嫌う。コモトリ君とカトリさんは「300バーツ」などという運転手をジャルンナコン通りで幾人かやり過ごした後、ようやくまともな1台を見つけてくれた。ホテルに着くとメーターは105バーツ。120バーツを出すと若い運転手は「ノーノーノー、100」」と驚くべきことを口にした。仕方なく100バーツ札は手渡し、20バーツ札は彼のシャツの胸ポケットに無理やりねじ込んだ。中にはこういう運転手もいるのだ。
部屋へ戻ったのは22時26分。その記憶はiPhoneに残した画像による。以降については何も覚えていない。
朝飯 ハジャイ空港コーラルラウンジのあれこれ、コーヒー
昼飯 “WE260(TG2260)”の機内軽食
晩飯 “RIVER VIBE”の燻製鴨のサラダ、ソムタムパラー、マッサマンカレー、ローティ、「片山酒造」の「初代久太郎純米大吟醸」
2023.4.21(金) タイ日記(4日目)
隣の部屋が宴会をしている。マレーシア人だろうか、あるいは中国人だろうか。時刻を確かめる気力はない。壁越しの声は、しかしふと気づくと止んでいた。各々、自分の部屋へ戻ったのだろう。
眠れたのか、眠れなかったのか、上半身を起こして枕頭のデジタル時計を確かめる。時刻は3時6分だった。きのうやおとといのように、即、寝台を降りる気にはならない。5時をまわってようやく起床する。
あしたバンコクへ飛ぶ便は、航空券を手配した昨年末から二転三転して、9時5分発のタイスマイル航空が確定した。国内線とはいえフライトの1時間前には空港に着いている必要がある。ということは、ホテルを出発すべきは7時、あるいは7時30分。ということで、今朝は6時に外へ出てみる。
シーローの勤勉な運転手は、朝の薄暗い光の中で車体を磨いていた。しかしシーローが空港まで行ってくれるものだろうか。バスステーションには空港行きのソンテウが駐まっているとのことだが、ザックを背負い、スーツケースを曳いてバスステーションまで歩く気はしない。ホテルからバスステーションまではシーロー、バスステーションから空港まではソンテウ、そんな二度手間も面倒だ。ここはやはり、高くついてもホテルでタクシーを手配してもらった方が安全ではないのか。そう考えつつ部屋へ戻る。
朝食はカオマンガイ。お運びのオニーチャンに100バーツ札を差し出す。オニーチャンは調理台のオバサンにそれを手渡す。オバサンがオニーチャンに釣銭を返すと、オニーチャンは「えっ」という顔をする。オバサンは「いいんだよ」と目でオニーチャンに伝える。多分、正規の料金は60バーツなのだ。しかし注文時に僕は血豆腐を特盛りにするよう頼んだ。15バーツは多分、その増量分なのだろう。
今日はきのうより早くプールへ行ける。しかし首、胸、腹、太腿の日焼けは今日も真っ赤なままだ。日陰にいつづけてこの有様なら、一体全体、どうすれば良いというのか。
プールの受付には、きのう二言三言を交わしたオネーサンがいた。そのオネーサンに大型のタオル2枚をもらう。デッキチェアの1台を庇の下の日陰に引き込む。1枚のタオルはそこに敷き、1枚は掛け布団のようにしてからだを覆う。日陰にいながら手ひどく日焼けをするとは、肌がよほど衰えたということだろうか。プールサイドには9時59分から13時33分までいて「輝ける嘘」は182ページまで進んだ。
部屋に戻り、シャワーを浴び、Tシャツとタイパンツを身につけ外へ出る。通りを東へ歩きつつ、数日前に調べておいた、昼を過ぎても鍋の火を落とさない豚足屋でカオカームーを注文する。この街の軽食堂は、首都にくらべてひと皿、ひと椀の量がすこし多いような気がする。価格は60バーツだった。
部屋に戻ったら、またシャワー。タイにいると、1日に何度シャワーを浴びたか、紙に記録でもしない限り、分からなくなる。しばらくは寝台で本を読む。それから明日の出発に備えて、すこしばかり荷作りをする。明日の朝は日記を書く時間などはないだろう。よって今日のうちに、少しずつ書き足していく。
16:40 きのうに続いて雷が聞こえ始める。
16:49 空は青いまま、原色の街に驟雨が落ちてくる。
16:59 テレビがいきなり点き、wifiは切れる。
17:05 wifiが復旧する。日記は書いたところまで保存されていて助かった。
17:22 部屋の灯りに、点くものと点かないもののあることに気づく。一部の回線は切れたままなのだろうか。ドアを開くと廊下も薄暗い。
17:29 部屋の全電源が復旧する。廊下も明るさを取り戻している。
17:37 雨が上がる。
ロビーへ降り、初日にチェックインをしたときのオネーサンにタクシーの手配を頼む。スーツのオネーサンは自分より上級職なのだろうか、民族衣装に似せた制服を着た女の子を連れてきた。フライトは9時5分と伝えると、フロントの二人は話し合って、出発は7時が望ましい、ということになった。クルマはホテルのリムジン、料金は800バーツと伝えられて「ゲッ、高けぇ」と驚く。
800バーツは、タクシーなら首都の空港と市中心部を往復できる金額だ。おなじく首都の空港から南下をすれば、シラチャまで行ける金額だ。「もうすこし安いのないの」と訊くと女の子は当惑しながら微笑んだ。「金で買える安心、安全は買っておけ」と言う人は少なくない。腹を決めて1,000バーツ札を財布から取り出す。
さて、これからハジャイへ行こうとして、検索エンジンからこの日記に辿り着く人もあるだろう。センタラホテル周辺の繁華街には、小さな旅行代理店がいくつもある。そこで予約をすれば、タクシーはもうすこし安く手配できるかも知れない。朝、クルマを磨いているシーローやソンテウの運転手に声をかければ、まさか空港まで800バーツとは言わないだろう。ただし乗る場所は荷台のベンチである。
夕食は初日の晩とおなじ店へ行く。今日は時間が遅かったためか、また金曜日の夜ということもあるのか、店は大繁盛だった。一人にもかかわらず10人でも座れる丸テーブルに案内されたため「単独の客が来たら、ここで相席にしても構わないから」と、お運びの女の子に伝える。ソーダと氷と料理ふた品の代金は240バーツ。釣りの60バーツは男の店員に渡した。
きのうかおとといも書いたことだが、この街は本当に、夜は涼しくなる。インドシナの最暑期は4月、ということを忘れさせる心地よさだ。
部屋へ戻り、明朝5時30分の目覚ましをiPhoneに設定して、20時すぎに就寝する。
朝飯 「楽龍福」のカオマンガイ(血豆腐はたくさん入れてね特注)
昼飯 Tanon Saneha NusornとTanon Chi Uthitの交差点南西角の店のカオカームー
晩飯 「勿洞大人饭店 」のベトン風蒸し鶏、ヤムタレー、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2023.4.20(木) タイ日記(3日目)
起床は5時33分。きのう書き終えた初日の日記を整えて「公開」ボタンをクリックする。
朝食の動画は毎日、撮る予定にしている。ハジャイはタイの街ではあるけれど、マレーと中華の色が濃い。動画を撮る件もあって、今朝は飲茶の有名店へ行くことを決めていた。有名な店へ行くのはミーハーあるいは観光客のようで恥ずかしい。しかし「お前も観光客じゃねぇか」と言われれば、確かにその通りだ。
店の場所はおととい、知らない間に遠くまで歩いてしまった際に良い機会と確かめておいた。ホテルはす向かいの歩道に座っていたモタサイのオジサンに声をかける。僕のタイ語が通じないといけないので、店の名がタイ語で書かれたGoogleマップをiPhoneに保存しておいた。それを見せながら「チョークディー」と言ってみる。オジサンは画像をしげしげと確かめて「テーティアム」と答えた。大丈夫だ。「好運茶点」の「茶点」はタイでは「テーティアム」と発音されるのだ。店までの料金は40バーツ。
炎天下を歩けばウンザリする道のりも、朝日へ向かって走るモタサイならほんの数分の距離である。店の前は既に大賑わいで、便乗商法か、果物や宝くじの屋台も出ている。この店の注文方法は以下。
1.店の前の責任者らしいオジサンに人数を伝える。オジサンはおなじ番号を書いた紙を2枚くれる。
2.その紙の1枚を、ショーケースの前のオバサンに手渡す。オバサンは深めのバットに紙を入れてくれる。
3.そのバットにショーケースから自分の食べたいものを選んで入れる。
4.そのバットをちかくの店員に渡し、指定された席に着く。
5.別の店員に何ごとか訊かれる。多分、飲物のことだろうと見当をつけて「チャーローン」と答える。
6.ポットの中国茶が運ばれる。次いでバットの中味が蒸気で蒸し上げられて席に届く。
さて僕の席にはまたまた別の店員が、今度は練乳の沈んだグラスのコーヒーだか紅茶を運んできたので「それは頼んでいない」と言うと、店員は不思議そうな顔をしながら去った。
日本を出る前に僕が検索エンジンに当たったところ、熱い茶を頼んだら甘い茶が出てきたと書いている人がいた。つまり熱い中国茶は頼まなくても出てくるものであり、店員に訊かれて「チャーローン」と頼むと甘い別注品が届くのかも知れない。店員には悪いことをしただろうか。6品の合計は150バーツだった。あるいはここに、甘いお茶の値段が含まれていたかも知れない。
ホテルに戻って9時をまわったところでメイドを呼び、これまで着たシャツや下着の洗濯を頼む。洗い上がりが翌日になることを予想して出発の2日前に頼んだが、今日の午後にはできあがるという。メイドには20バーツのチップ。
きのうの日記を完成させてプールへ行く。きのうとおなじく寝椅子は建物の陰に入れた。そして10時48分から13時30分までのあいだに「輝ける嘘」の上巻を121ページまで読む。
南の国には様々な楽しみがある。外から戻ってシャワーを浴びたら寝台にバスタオルを敷き、そこで冷房の風を浴びつつゆっくりする、というのもそのひとつだ。しかし掃除を終えた部屋にバスタオルは無い。仕方なく小さなタオルでからだを拭き、服を着る。そしてちかくの部屋を掃除中だったメイドに声をかける。メイドは今朝、洗濯物を取りに来た人と同じだった。バスタオルが無い旨を伝えると、メイドは”finish,later”と答えた。とはいえ僕は部屋の表示に従って「交換しなくても構わない」という印に、バスタオルはベッドのサイドボードに置いていたではないか。バスタオルは数分を置かずに届けられた。
昼食はきのう目をつけておいた店で米粉の幅広麺による汁麺。部屋に戻ってシャワー。今度は寝台にバスタオルを広げて横になる。
さてプールサイドではきのう今日と日陰にいたものの、首も胸も腹も太腿も日焼けで真っ赤である。マッサージは毎日、受けようとしていたものの、こんな体をこすられては堪らない。よってセブンイレブンのエコバッグに必要なものを入れ、それを提げておとといからのマッサージ屋へ行く。そして脚マッサージを1時間だけ頼む。料金は250バーツ。
オネーサンは僕の脚を揉みながら「かかとがガサガサだね」というようなことを身振りで示し「かかと磨きを含めても400バーツだから」と指を4本、立てる。僕は「おとなしいアメリカ人」でもなく「醜いアメリカ人」でもなく、押しに弱い日本人である。きのうアカギレに萬金油を埋め込みキズパワーパッドで覆ったかかとが心配ではあったものの、オネーサンの提案を呑む。
オネーサンは奥から水玉模様のシャツとズボンを着たオバサンを呼んだ。オバサンは老眼鏡をかけるとカゴから軽石とドイツ製の角質削りを取り出し、マッサージを終えた左足を磨きにかかった。左脚はオバサンに、右脚はオネーサンに持ち上げられて、本を読むどころではない。更に、総額400バーツでは済まないのだ。オネーサンには100バーツ、オバサンには50バーツのチップを渡した。
手提げにはラオカーオも納めてきたから、その足で1本先の通りの料理屋に入る。そこで夕食を済ませ、ホテルに戻り、20時すぎに就寝する。
朝飯 “Chokdee DimSum”の飲茶あれこれ、お茶
昼飯 “Thahadsri Noodle Soup”のセンヤイナム
晩飯 「金城燕窝」のオースワン、パッセンミークン、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2023.4.19(水) タイ日記(2日目)
起床は3時13分。旅の初日の日記は長くなる。早くに目が覚めて幸いだった。顔を洗い歯を磨き、机の脇では危ないからポットは洗面所に運んで湯を沸かす。その湯で日本から持参したフリーズドライのコンソメスープを飲む。
この街は昼こそ暑いが夜は推定で20℃台のなかばまで気温が下がる。冷房は昼に外から戻ったときにしか動かさない。にもかかわらず今朝は寒い。南の国の空気調整器には冷房しかないのが恨めしい。暖房を入れたい気分である。からだを温めるため、コンソメスープに続いて部屋に備えつけのインスタントコーヒーも飲む。
鶏の声に気づいて時計を見ると4時51分。外はいまだ暗い。空が明るみ始めるのは、その1時間後だ。それにしても寒い。廊下に出てみると、ここも寒い。11階の部屋からロビーへ降りる。冷房が効きすぎていて更に寒い。ロビーの先に喫煙者用のベランダがあることに気づき、その硝子戸を引く。ここではじめて暖かい空気に触れて人ごこちがつく。タバコを吸っていたオジサンが東の空を指す。ご来光を拝め、ということだろうか。タイの朝日は薄ぼんやりと上がる。その理由は何だろう。
TikTokに上げている日本の朝食は、旅の最中には途切れてしまう。代わりにタイの朝食を上げることを、SEには提案してあった。その動画を撮るべく街に出る。店を選ぶ条件は、きのうの昼食と同じく「賑わっている店」だ。ホテルからほど近い辻に格好の店を見つけ、そこで粥を注文し、食べ、同時に動画も撮る。お粥の価格は豚の胃袋と肉団子、鶏卵1個を入れてもらって70バーツだった。
ようようからだも温まって部屋へ戻る。そして早朝からの、日記を書くことを再開する。それにしても、書いても書いても終わらない。しかしこれを完成させないことにはプールへ行けない。まるで夏休みの宿題である。それでも日記が趣味であれば苦痛でもない。タイに入って1日目、つまりきのうの日記は4,836文字を以てようやく完了した。
プールサイドの寝椅子はプラスティックの枠に網を張ったもので、とても寝心地が良い。しかしこのホテルを予約する際にウェブページで確かめたパラソルは無い。管理人の姿もないため、もっとも端にある寝椅子を建物の日陰に引き込んで横になる。そしてニール・シーハンの「輝ける嘘」の上巻を60ページまで読む。
昼食は摂らずに済むような気もしていたが、午後に至ると流石に空腹を覚えてきた。よって部屋に戻ってシャワーを浴び、Tシャツとタイパンツを身につけ外へ出る。そうしてまた賑わっている店を選んで入り、餡かけ麺を注文する。価格は60バーツ。
2016年6月にバンコクのチャルンクルン通りで汁麺を頼んだら50バーツと言われて「随分と高くなったな」と感じた。それがきのうの汁麺は80バーツ、今朝のお粥は70バーツ、そして昼の餡かけ麺は60バーツ。果たして首都の汁麺は、いくらくらいになっているだろう。
プールサイドでは日陰に居続けたにもかかわらず、脚も胸も顔も結構、焼けてしまった。よって午後は部屋の寝台で本を読む。やがて雷鳴が聞こえ始める。時刻は15時をまわったばかりだ。雷鳴は激しさを増すばかり。やがて雨は豪雨に変わる。
「参ったな」と思う。
「雷が聞こえ始めたときに行動を起こすべきだったな」とも思う。
きのうの日記に書いたマッサージの、今日の予約は16時だ。マッサージ屋は目と鼻の先。とはいえ外へ出れば一瞬で濡れ鼠になるだろう。
15時50分、飛行機の中の防寒用として持参したウインドブレーカーをTシャツに重ねる。ロビーに降りて、ベルボーイから傘を借りる。ベルボーイには20バーツのチップ。そして土砂降りの街へ出て行きながら「日本人ってのは大したもんだ」と、なかば自嘲を交えつつ感じる。
マッサージ屋に入ると、おばちゃんたちは僕が予約の客であることを認識していた。そして僕が予約をしたAoiさんは現在、接客中で、それが終わるのは17時を過ぎるという。しかし「タイ人って、やっぱりダメだな」とは思わない。これもまた「タイあるある」のひとつである。マネージャーらしいオニーチャンは脚マッサージ用の安楽椅子を壁から離し、背もたれを最大まで倒して、それを僕に勧めた。本読みも捗ろうというものだ。
19時をまわって雨はすっかり上がった。「タイの夜は、暗くなるほど明るくなる」と言った人がいる。詩人でもないのに上手いことを言うものだ。傘をホテルに返し、ウインドブレーカーは部屋に戻す。そして捲土重来、ふたたび街に出る。
今日の夕食に選んだ店は大繁盛。それは、店に入る時間がマッサージの遅れにより90分ほども後ろに倒れたこともあるだろう。オネーサンがごはんとお粥を盛った器をバットに載せて席の間を行き来しているのは、量を抑えた、味の濃いおかずでそれらを食べる店、ということだ。とすれば酒を飲むにも最適、ということになる。最初のおかずは豚の小腸の煮込み。次はタイの南に来たからには、ということで苦豆と烏賊の唐辛子炒め。
今夜の締めは青菜炒めでごはんを食べよう。そう決めて、遠くからでも大きな声で注文を通しているオジサンを呼ぶ。
「パッ(ト)パックブンファイデーン」
「パックブンファイデーン」
「ガッ(プ)カーオ」
「カップ」
一気に気分が良くなる。
夜の街はまだまだ賑やかではあるけれど、僕は早寝早起きが信条、というか、からだがそのようにできている。ホテルへ戻り、汗はまったくかいていないからシャワーは浴びず、すぐに就寝する。
朝飯 「楽龍福」の豚の胃袋と肉団子と鶏卵のお粥
昼飯 名前は分からない店のセンヤイラートナー
晩飯 「ナーイヤーオ」のサイパロー、サトーパップリックプラームック、パットパックブンファイデーン、ごはん、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2023.4.18(火) タイ日記(1日目)
00:20 “AIRBUS A330-300″を機材とする”TG661″が、ようやく牽引車により動き始める。
00:32 定刻に12分おくれて離陸。
馬が食べるほどの量をオフクロが遺したデパスとハルシオンは、使用期限を過ぎて効き目が薄くなったのだろうか、席の背もたれを最大まで倒し、アイマスクをしても、まったく眠れない。その状態に飽きてアイマスクを外すとテーブルが降ろされていて、サランラップでくるまれた丸いパンが載せられている。タイ航空の深夜便で夜食の出されることは知っていたが、眠っていれば、あるいは眠っているように見えれば、これの置かれることは、これまでなかった。ヒマに任せて食べてみれば、どうやら中味はポテトサラダらしい。時刻は1時20分だった。
03:55 人が立ったり座ったり動いたりする気配で目を覚ます。「周囲が眠っているなら、自分も静かにしているべし」という常識が、どうやら日本人にはあるらしく、そしてタイ人にはそれが薄いのではないか、というようなことを考える。
04:45 朝食の配膳が始まる。僕としては珍しいことながら、ジャムを除いてすべて食べる。
今回の機材は古く、座席のひじ掛けにリモートコントロールは供えていない。いつもはときどき確認する現在位置だが、今回のディスプレイには”Moving Map is currrently unavalable”の文字が見えるばかりだ。
06:25 バンコクの灯りが見えはじめる。
06:35 定刻より15分はやい日本時間06:35、タイ時間04:35にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。
05:05 ようやく機外に出る。これまではしつこいほど目の前に現れた”Transfer to Chiangmai,Chiangrai,Phuket,Krabi,Samui,Hatyai”の表示が今回はどこにも見えない。よって”Transfer”の案内を頼りに歩いて行く。
05:15 見慣れた小さなカウンターに行き着く。ここでハジャイ行きの便にチェックインをする。
05:22 タイの入国審査では指紋の登録を求められる。右手人差し指のバンドエイドを見せると、オバチャンの係官は残りの指だけでよろしいと言う。しかし僕の乾燥肌を、機械はなかなか読み取らない。オバチャンが差し出してくれたボトルのアルコールで指を湿らせて、ようやく完了の表示が機械に出る。
05:45 保安検査場の手前で、先ほど機内で支給された、いまだ開栓していない水のペットボトルを捨てる。ハジャイ行きだから、というわけでもないだろうけれど、女性の係のほとんどはヒジャブを着けている。これまたときどきテロ行為の起きるハジャイへ向かう飛行機の搭乗券を手にしているから、というわけでもないだろうけれど、羽田では見逃された”trippen”のハーフブーツを、ここでは脱ぐよう言われる。
05:47 A9ゲートに達する。夜が明け始める。天候は曇り。霞か霧か、遠くの景色は薄ぼんやりとしている。
06:25 搭乗開始。バスに乗せられたため沖駐めと思われたが、バスから降りてみれば、飛行機はブリッジで空港の建物と繋がれていた。理由は不明。4月はインドシナの最暑期と言われているが、気温は20℃台と思われる。
07:02 “AIRBUS A320-200″を機材とする”TG2259(WE259)”の43Hの席に着く。羽田から乗った “AIRBUS A330-300″より足元が広く、圧倒的に楽だ。
07:21 定刻に21分おくれて離陸。間もなく機窓から日が差しはじめる。今回の軽食はミートパイ。タイスマイル航空の機内食は美味い。コーヒーも美味く、お替わりをする。
08:25 地上が見えはじめる。
08:29 定刻に4分おくれてハジャイ空港に着陸。
08:40 大勢の乗客と手荷物受取所の回転台の前に立っていると「あなたはあちら」と、係員からドアの先を指される。国際線から乗り換えた乗客の荷物は別の回転台から出てくるらしい。
僕の他にはもうひとりの乗客しかいない場所で、自分のスーツケースを回転台から拾い上げる。それを足元に引き寄せベンチに座る。そして財布から日本円やPASMOを取り出し、封筒に仕舞う。別の封筒から1,000バーツ札1枚、500バーツ札1枚、100バーツ札5枚、50バーツ札2枚、20バーツ札5枚を引き抜き、先ほどの財布に入れる。
立ち上がって、エックス線による荷物検査をここでも受ける。出てきたスーツケースとザックを拾い上げながら、係のオネーサンに声をかけられる。
「ボトルが2本、入っていますね」
「はい」
「持ち込めるボトルは1本のみです。今回は見逃しますが、次からは決まりを守ってください」
「あ、はい」
そう答えたものの、スーツケースには今回、片山酒造の「久太郎」が1本、「粕華」が1本、他に2020年3月にバンコクから持ち帰ったラオカーオのペットボトル2本の、計4本が納められている。オネーサンの言う「ボトル」とは、酒類のことだろうか。タイにはこれまで何度も来ているけれど、今回のような注意を受けたのは初めてだ。
外へ出ると、ミニバスの受付小屋はすぐに見つけられた。そこでセンタラホテルまでと告げると、オネーチャンは「ミニバスは個別のホテルには行きません。タクシーを呼びます。タクシーは18番。料金は250バーツです」と言う。それに従って1,000バーツ札を出す。高額の紙幣を苦にしそうにない場所ではかならず1,000バーツ札を使い、小額の紙幣を得ることにしている。
数分を待つうち来た18番のタクシーが目の前に停まる。ヒジャブの上にピンク色のキャップをかぶった華奢な女の子が、僕のスーツケースをタクシーのトランクに入れてくれる。空港から出ると、タクシーは間もなく、タイの地方ではお馴染みの、片側三車線の道路に入った。
タクシーの速度計が100キロを超えたところでシートベルトを締める。タイの隅々まで張り巡らされた広い道路は、1960年代、インドシナのドミノ現象を防ぐためのアメリカの宣撫政策によると、どこかで読んだことがある。それが本当かどうかは知らない。
「どちらから」
「日本から」
「何泊しますか」
「土曜日にバンコクへ戻ります」
「観光の予定は」
「無いなー。プールサイドで本を読む。あとは美味いメシ。それだけですねー」
「OK、OK」
空港から街までは、結構な距離があった。繁華街の真ん中にあるセンタラホテルにクルマを寄せると運転手はすかさず降り、トランクからスーツケースを取り出してくれた。日本のタクシーの運転手は多く、客がスーツケースを持っていても、運転席に着いたままだ。なぜそれをトランクへ納めることを手伝わないか。それは日本にチップの習慣がないためだと思う。
運転手には50バーツのチップ。時刻は9時30分。そしてエレベータで6階のロビーへ上がり、チェックインを済ませる。部屋は11階の7号室。ベルボーイにも50バーツのチップ。ここで時刻は9時40分。部屋は古びているものの明るく、掃除は行き届いている。
日本のホテルでは大抵、1泊しかしないから、部屋をいじることはしない。しかし海外では何泊もするから、部屋を自分の好みに変える。
先ずは4つある枕のうち3つを窓際のテーブルに重ねる。デスクの脇には大きめの箱があって、無料のミネラルウォーターやグラスやカップが納められている。そのうちのミネラルウォーターは冷蔵庫に入れる。箱にできた隙間には、部屋に備えつけのタコ足コンセントを置き、そこにコンピュータとiPhoneの電源コードを差し込む。このホテルのコンセントは三穴にて、差し込むのにいささか苦労をする。2客のグラスのうち1客は、申し訳ないけれど、ボールペンやインク消し、コンピュータのディスプレイの埃を払うためのブラシを入れさせてもらう。持参したコンソメスープの顆粒やピルケースも、その箱に置く。そうするうち昼がちかくなってくる。
外へ出て、取りあえずは目の前の通りを東へ往く。ハジャイは2016年2月にナラティワートへ行く際に、列車でプラットフォームに停車をしたのみで、街のことはなにひとつ知らない。いくつかのメシ屋を通り過ぎながら、通りの角に混み合った汁麺屋を見つける。すかさず調理場のオヤジにバミーナムと告げ、ひとつだけ空いていた席に着く。そのまま座っていると、オネーチャンがタイ語で何ごとか訊く。先ほどのオヤジはいない。注文を繰り返して2杯が届いては困るから「既に」とだけ答えると、オネーチャンは理解をしたらしかった。
いつの間にか現れたオニーチャンが運んできた汁麺の、肉団子、薄切り肉、すじ肉のすべては牛肉だった。味の水準は高い。量も多い。ナラティワートでは、イスラム寺院の前の屋台が焼くパン以外は、すべて不味かった。この街が、その逆なら嬉しい。
ホテルへ戻り、シャワーを浴びて窓際に立つ。外には雨らしいものが見える。地上を見おろすと、人は傘を差して歩いている。その雨の弱まるのを待って7階のプールへ降りてみる。僕の旅の楽しみの随一は、プールサイドでの本読みである。しかし寝椅子のすべては濡れている。番人のオバサンに「雨が降る…」と声をかけると、オバサンは「雨が降る」と繰り返して笑った。
その雨の上がったところで外へ出る。昼の街は、まるで死んだように静かだ。タイのマッサージ師は通常、外に座って道行く人に声をかける。しかしこの街の彼らはおしなべて、冷房の効いた店内のソファに寝そべっている。そうするうち、自分の居る場所が分からなくなる。スマートフォンを取り出し位置を確かめると、何と、いつの間にかトエイ川の東岸まで来てしまっていた。
気温は高く、汗まみれで、歩いて帰る気はしない。そこに上手い具合にモタサイが来る。手を挙げると、反対方向へ向かおうとしたオートバイはそれを認めてUターンしてきた。問えば運賃は50バーツ。即、その後席にまたがってホテルに戻る。
夕刻までは寝台で本を読む。そして17時に起きて服を着る。今夜の食事の場所は日本を出る前から決めておいた。ホテルからは徒歩で7、8分くらいのところだっただろうか。いまだ外の明るい時刻であれば、客の姿はまばらだった。先ずはソーダと氷を頼み、セブンイレブンのエコバッグに入れてきたラオカーオを、それで割る。これまた持参した本を開く。ラオカーオのソーダ割りを口に含むと、高揚と鎮静が一気に、同時にからだ中に広がった。肴はこの店の名物らしいベトン風蒸し鶏、そしてあんかけ焼きそば。価格は締めて270バーツ。お釣りの30バーツはそのまま置いた。
ホテルへの帰り際に、通り沿いのマッサージ屋から声をかけられる。そのオバチャンが相手と考え、2時間のマッサージを頼む。オバチャンは僕を店の中に案内し、若い女の子を僕につけた。若い女の子では、技術は大したこともないのではないか。オバチャンの方が上手なのではないか。腑に落ちない気持ちと共に階段を上がり、マッサージ台に横になる。
マッサージの上手下手は、そのマッサージ師が自分のからだに触れた瞬間に分かることがある。そしてその女の子の技術は大したものだった。2時間が経って階段を降りるなり、先ほどのオバチャンに声をかけ、明日の16時におなじ人で予約を入れる。
マッサージ屋からホテルまでは目と鼻の先。部屋へ戻るなり、ここに来て何度目か覚えていないシャワーを浴びる。時刻は20時37分。パジャマに着替えて即、就寝する。
朝飯 “TG661″の機内食、“WE2259″のミートパイ、コーヒー
昼飯 “Ko Tum”のバミーナム
晩飯 「勿洞大人饭店 」のベトン風蒸し鶏、あんかけ焼きそば、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2023.4.17(月) 駆け足
8時の朝礼から終業後に至るまで、移動は常に駆け足、気持ちもずっと駆け足だった。
17:30 閉店
18:00 終業
18:15 すべての社員を送り出す。
18:38 風呂を出る。
18:43 いまだアカギレの残る右手人差し指にバンドエイド2枚を巻く。
18:50 着替えを完了
18:59 グレゴリーのデイパックを背負い、リモワのスーツケースを曳いて外へ出る。
19:00 予約しておいたタクシーに乗り込む。
19:04 下今市駅着
19:06 上りプラットフォームの待合室に入る。風呂上がりの暑さの消えたところで長袖のシャツに木綿のセーターを重ねる。
19:20 上り特急リバティ152号が発車。
21:02 北千住より日比谷線の車両が発車。リバティが遅れたことにより地下鉄も1本遅れ。
22:06 人形町で都営浅草線に、泉岳寺で京急本線エアポート急行に乗り換えて羽田空港第3ターミナル駅着。
頼みつけのトチギ旅行開発のイシカワヒロシさんから届けられたeチケットの控えには「羽田4/17 22:20チェックイン」の赤い太文字があった。2020年3月以来のタイ航空のカウンターに旅客の姿はほとんど無い。
22:15 チェックインを完了。荷物はハジャイで受け取る旨を確認する。
22:25 保安検査場を通過。ボーディングパスは機械による読み取りになり、荷物を流すためのコンベアも新しくなっている。
22:27 出国審査場を通過。審査の方法は、パスポートの写真のあるページを機械で読み取る式。前回の2020年3月のときは、どうだっただろう。アカギレの絶えない僕にとっては、指紋認証よりこちらの方がよほど楽だ。
ボーディングパスにある142番ゲートを目指して進む。これまでよく利用していた鮨の「魚がし日本一」はシャッターで閉じられている。だったら”BOOK & DRUG”などと看板のあるコンビニエンスストアでおむすびでも買うか、そう考えながら行くうち、それらもすべて閉まっている。近づいて張り紙を見ると、営業は22時までとある。空港がコロナ前に戻るのは、いつになるだろう。
遂にどん詰まりの142番ゲートまで歩くものの、途中には飲物と菓子の自動販売機しかなかった。よって来た道を、動く歩道も使いつつ数百メートルほども戻り、サンドイッチとビールを売る店の列に並ぶ。そして目に付いたおむすびとペットボトルのお茶を買う。おむすび2個に少々のおかずを添えたその値段は、こちらももう閉まっている「六厘舎」の味玉つけ麺より高い950円だった。
23:22 ふたたび142番ゲートに戻り、空いている椅子に腰を下ろしたところで”All passenger…”のアナウンスが聞こえる。しばらく待って、列の最後尾が自分の脇まで来たところで席を立つ。
23:35 “TG0661″の63Jの席に着く。コロナ前は日本の乗客が過半を占めていたこの便だが、今夜の大部分は、日本での旅行から帰路に着くタイ人と思われる。胸のポケットからデパスとハルシオン各1錠を出し、先ほど買ったペットボトルのお茶で嚥下する。
朝飯 蓮根と鶏とコンニャクの炊き合わせ、菠薐草のおひたし、納豆、生玉子、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、ブロッコリーの味噌汁
昼飯 トースト、ホットミルク
晩飯 羽田空港で買った「おにぎりランチボックス」








































