2026.3.8 (日) タイ日記(7日目)
いつの間にか眠りについて、何かのきっかけで目を覚ます。席は、背もたれが深く倒れる点、足元が広い点により、飛行機のエコノミー席よりも、よほど快適である。いつの間にか眠れることに、有り難さを感じる。
00:15 車内の明かりが点いて、次の停留所の近いことを知らせる。7名が降りて、5名が乗ってくる。その中には10歳くらいの女の子もいて「よく起きていられたなぁ」と、一驚を喫する。
00:35 大きなターミナルに着く。きのうの出発時に毛布や水やスナック菓子やサンドイッチをくれたオジサンが、特に僕を見て「トゥウェンティミニッツ」と声を発する。バスを降りてオジサンに場所を訊くと「ピサヌローク」とのことだった。
昨夜21時30分にトイレに行けなかったこともあって、取りあえずは用を足す。大きなトイレには個室が並び、熱と湿気が充満していた。多分、シャワーを浴びることもできるのだろう。
そこから戻りつつ、建物の中を覗く。その入口の上には”VIP”の文字がある。当方は「特に必要な人」でもないものの、見ていると、バスの切符を係に差し出した人たちが中へ入っていく。僕も真似をしてみると、切符にはミシン目が入っていて、係はその一部をもぎった。
社員食堂のようなそこには、汁麺のセルフサービス、お粥のセルフサービス、そしてカオゲーンつまりぶっかけ飯のカウンターにはオバサンがいた。僕は自分の腹具合を勘案して汁麺を選んだ。汁はぬるかったものの、具の大根は熱くて良かった。
01:31 「トゥウェンティミニッツ」とオジサンに言われたため、汁麺は大急ぎで片づけたものの、バスは、ここに着いて1時間ちかくも経ってからようよう発車した。
04:20 爽快な気分と共に目を覚ます。Googleマップによれば、バスは、大ざっぱに言えば、2017年3月に訪ねたことのあるプレーからランパーンの方向を目指して、北西に進んでいた。
05:04 これまたGoogleマップによれば、バスはランパーンから国道1号線に入り、チェンライへ向けて、一直線に北を目指しはじめた。
05:29 車内に明かりが点く。
05:32 パヤオの手前で、隣の女の子も含めた8名が降りる。未明の田舎の街道筋に彼らを迎えに来ているのは、家族や友人たちだろうか。
05:50 パヤオの市街を通過。
05:51 パヤオのバスターミナルに着。8名が降りる。
隣に女の子がいたときには遠慮をしていたものの、席と席のあいだにきのうから光を発していた正体を確かめれば、それはUSBのコンセントだった。よって電源の35パーセントまで減っていたiPhoneを、これに繋ぐ。
06:15 夜が明け始める。
06:19 知らない停留所で1名が降りる。
06:31 検問所でバスが停まる。警察のいわゆる「臨検」を受ける。僕のパスポートも入念に調べられる。
07:01 “Chiang Rai Educational…” と読める建物前の停留所で、夜中に乗り込んできた母娘が降りる。朝日が東の山の上に昇る。
07:20 チェンライバスターミナル2に到着。あわよくば街の真ん中のバスターミナル1まで行くのではないかと席に着き続けるも、オジサンに下車を促される。なおオジサンの言葉に慌てるあまり、きのうもらった、いまだ手を付けていない水とスナック菓子とサンドイッチは、席の前の網袋に置き忘れた。
さてこの郊外にある、2010年9月にチェンマイ行きのバスに乗る際に使ったバスターミナル2から市内までの交通の便は、現在、どのようになっているのか。元バックパッカーとしては、馬鹿馬鹿しい金の使い方はしたくない。
トラックの荷台を客席に改造したソンテウは、遠くに2台が駐まっているものの、そのちかくに人の姿は見えない。ターミナルの中の券売所はタイ語のみの案内にて、何が何やら分からない。すこし離れたところに複数の飲食店を認め、そこまでスーツケースを曳いていく。
そのうちのひとつの店に、気の利きそうな、あるいは気の強そうなオバサンがいた。店頭のポットに気づいて、コーヒーは飲めるかと訊く。オバサンは「はい」と答えて、店の前の石の椅子を僕に勧めた。
「ターミナル1まで行きたいんだ」と、オバサンに告げる。「だったらモタサイね、50バーツ」と、オバサンは料金まで教えてくれた。熱いコーヒーの代金は25バーツだった。オバサンはバスのプラットフォームちかくにたむろすモタサイの運転手を、大きな声で呼んでくれた。
予約したホテルは、街の真ん中にあるバスターミナル1からは、徒歩の圏内にある。しかし路線バスでもなければ、モタサイはホテルに直に着けてもらいたい。僕は運転手にホテルの名を告げ、更にタイ語を含むホテルの予約表を見せた。そうして料金を訊くと「80バーツ」とのことだった。僕は喜んで、このモタサイを使うことにした。
運転手は、機内持込サイズとはいえ、僕のスーツケースをシートの前の低くなっているところに置いた。ゴム紐も掛けずに、落ちることはないのだろうか。モタサイは「何かあったら完璧に死ぬ」という速度で広い道を飛ばす。後席から運転手の肩越しに速度計を覗き込むと、それはしかし壊れていて、針は動いていなかった。
モタサイの疾走する道は、見覚えのある目抜き通りに直結していた。「なんだ、ターミナル2は、そんな位置にあったのか」と、不思議の思いに囚われる。ターミナル2からホテルまでにモタサイが費やした時間は僅々7分だった。100バーツ札を差し出すと、運転手は釣りの20バーツ札を返してよこした。その20バーツ札を僕は「お釣りはいいや」と、運転手に戻した。
さてここで時刻は7時46分。ホテルの定めたチェックインの時間は正午。フロントには見覚えのある、細くて可愛いオネーサンがいた。「二年前にも泊まったんだよ」と、オネーサンに声をかける。オネーサンはすぐに部屋の鍵をくれた。三階の部屋までは、ベルのオジサンがスーツケースを運んでくれた。オジサンには40バーツのチップ。時刻は7時50分。素晴らしい、チェンライでの滑り出しである。
しかしながら、僕にはひとつの心配があった。僕は、コンピュータとその充電器は、盗難を恐れてスーツケースには入れない。移動の際には常にバックパックに入れて手元に置く。その、赤いポーチに入れた充電器が、バスの中では見あたらなかったのだ。そして通された三階の320号室にスーツケースを開いても、それは入っていなかった。
きのうまで滞在したホテルでは、チェックアウトから完全に去るまでに2時間ちかくの時間があった。もし部屋に置き忘れたなら、メイドがフロントまで届けただろう。とすれば充電器は、どこに消えたのか。
充電器がなければコンピュータの電源は数時間で尽き、以降はこの日記を書くことができない。だったら今朝、モタサイの後席から右手に眺めたセントラルプラザの電気売場で探すしかない。「面倒なことになった」と、念のため、バックパックの中の、黒いバッグインバッグを開けてみる。すると充電器の赤いポーチは果たして、その中に収められていた。「やった、あった、あった」と、僕は小さな声で快哉を叫んだ。
きのうの日記は、そのANKERの充電器に繋いだコンピュータで10時55分に書き終えた。次にすべきは、自転車を借りることだ。
おととしの9月には、やはりこのホテルに泊まって、近くの寺ワットチェットヨットはす向かいの”Nice Rental”で自転車を借りた。昨年の2月には、別の洒落たブティックホテル「ナイヤー」に泊まった。ここには貸し自転車があって無料で借りられたものの、宿泊料が異常に上がってしまったため、今回は避けた経緯があった。
“Nice Rental”の店頭にはオートバイが目立つものの、奧には自転車も置いてある。そのうちの1日の貸し賃が100バーツの安いものを選び、書類を作ってもらう。「水曜日まで借りたい」と告げると女主人は「水曜日の現在時刻11時15分まで3日間で300バーツ」とボールペンを走らせたため「水曜日は夕方まで借りたいね」と、延長を申し出る。女主人は「だったら4日分の400バーツ」と、今しがた書いた数字の上に、訂正の数字を、より太く、濃く、書き入れた。
その400バーツと保証金の1,000バーツを支払ったところでシートを下げるよう頼む。亭主らしい男の人は、悪戦苦闘をしながら僕の脚の長さに合うところまで椅子を下げた。海外の貸し自転車は白人の体格に合わせてあることが多い。ついでに「鍵はちゃんと働きますか」と続ける。亭主はダイヤル式の鍵を回してみる。当然のようにして、それは円滑に動かない。彼はしばらくのあいだ、あちらこちらに潤滑油をスプレーし続けた。南の国の貸し自転車は、本当に、いい加減なものが少なくないのだ。
その自転車を、ナイトバザールの入口ちかくの食堂「ナコンパトム」に乗りつける。そしてカオマンガイとペットボトルの水を注文する。この店の蒸し鶏は、僕の舌が酢豆腐や「ツウ」の水準に達していないからかも知れないけれど、いつも文句の付けようがない。量も多い。だから水も含んだ料金の70バーツは、とても安く感じる。
それはさておき、この食堂の真ん前の、工事用の鉄の塀に覆われた大規模な工事現場には、以前は何があっただろう。銀行やらタイ航空の事務所が並んでいたような気もするけれど、今となっては、その記憶も曖昧である。
自転車に付属の鍵はタイヤを動かせないようにする種類のもので、そのままクルマにでも載せれば簡単に盗むことができる。よって念のため、日本から持参した鎖と南京錠を用いて、ホテルの玄関前の柱に固定した。
13時15分からは庭のプールサイドに降りて本を読む。このホテルの寝椅子は本を読むに適した形をしている。またその頭上にはプラスティック製の大きな屋根があるため、太陽の動きに従ってパラソルや寝椅子を動かす煩わしさが無い。僕がこのホテルを選ぶ、理由のひとつである。やがて昼下がりの暑さに根を上げて、遂に水に入って数十メートルを泳ぐ。部屋には14時50分に戻った。
さて次はマッサージ。行きつけの”PAI”は目と鼻の先にある。そのガラス戸を押して「オイルマッサージ、2時間」と告げる。近づいて来た女将は「今日は無理」と言う。よって足マッサージを1時間だけ頼む。驚いたことに、今日は女将みずからが僕の足をタライの湯で洗ってくれた。更にはマッサージも女将がしてくれた。マッサージ師の数が足りていないのだろうか。アカギレはふさがっているものの、平滑でない僕のかかとを女将は専用の道具で削ってくれて、そうこうするうち1時間30分ほどが経った。にもかかわらず請求は1時間分の200バーツだったから、女将には100バーツのチップを手渡した。
そして帰りしなに「明日、午後3時、オイルマッサージ、2時間、どう」と訊くと、女将は「大丈夫」と請け合ってくれた。これくらいでもタイ語で話せるようにしておくと、意思の疎通は早い。
17時の直前にホテルから自転車をこぎ出して、これまで何度も通っている食堂を目指す。この食堂は、通りに面した小さなテーブルの居心地が良く、ペットボトルのラオカーオを持ち込んでも、何も言われない。ここで通りを往く人やクルマを眺めながら本を読み、飲酒喫飯をする時間は、何ものにも代えがたい。
僕の顔を見知っているオニーチャンは、黙っていても、タイ語に中国語と英語を併記したメニュを持って来てくれる。今日はそのメニュにないモツ煮の有無を訊いてみた。元々がお粥屋であれば、それを置いている可能性が高いのだ。果たしてそれはすぐに席に運ばれた。
チェンライの、晴れた夕刻は最高だ。僕は空心菜の油炒めとメシを追加した。更にはそのメシをお代わりした。「空心菜炒めとタイ米の組み合わせは、タイで食べられる最も美味いもののひとつ」と言ったら、人は嗤うだろうか。
僕がチェンライを好む理由のひとつは、子供のころ、オフクロの、木更津の実家で過ごした日々を、何とはなしに思い出させるからだ。そんな道を辿って18時20分にホテルに戻る。部屋のシャワーは本日3度目にして、ようやくお湯が出るようになった。そして多分、19時より前に就寝をする。
朝飯 ピサヌロークのバスターミナルのセンミーナム、チェンライのバスターミナル2ちかくの食堂のホットコーヒー
昼飯 「ナコンパトム」のカオマンガイ
晩飯 「ジャルーンチャイ」のサイパロー、パットパックブンファイデーン、カオスアイ、ラオカーオ”NIYOMTHAI”(ソーダ割り)













