2025.5.12 (月) タイ日記(1日目)
00:00 搭乗。駐機場の黒く光る様を見て、雨の降っていることを知る。
昨年9月にチェンライのセブンイレブンで買った、効くか効かないか不明の睡眠導入剤は、ラウンジで飲んでおくべきだった。63Hの席に着いてからそのことに気づき、すぐ後ろのギャレーに水をもらいに行く。いつかの女性客室乗務員は「ペットボトルでは上げられない」と紙コップの水を差しだしたけれど、今日の男性客室乗務員は、330ccのミネラルウォーターをすぐにくれた。
00:35 席でうとうととするうち、Airbus A350-900(359)を機材とするTG661は定刻に15分おくれて羽田空港を離陸。
02:55 窓ぎわの乗客が手洗いに行くとのことで、3人並びの席の、通路側の僕と真ん中の女の人が通路に出る。当然、ここではっきりと目が覚める。機は沖縄の上空を飛行中。
04:21 機内はいまだ暗いものの、背後のギャレーで朝食の準備を始めたらしい音がする。機は台湾南部を抜けて南シナ海上を飛行中。
04:55 アイマスクを完全に外す。機内は薄明るくなりつつある。
05:00 機内が完全に明るくなる。
05:30 朝食が席に運ばれる。この便は離陸直後から小刻みに揺れ続けていたが、ここに来てその揺れが一層、激しくなる。コーヒーをこぼしては面倒だから、カップは手に持ったままでいる。「客室乗務員のサービスは一時中断」とのアナウンスが流れる。「いつまで持ったままではいられない」と、コーヒーを飲み干そうとして、むせて咳が出る。
05:50 客室乗務員の来る前に、朝食のお膳を自分でギャレーに片づける。その足でラバトリーに入り、備えつけの歯磨きセットで歯を磨く。
06:06 「バンコクまで55分」の表示がディスプレイに出る。
財布の日本円はすべて封筒に収め、前回の訪タイ時に余らせたタイバーツの封筒から当座の分のみ財布に移す。睡眠導入剤は飛行機に乗り込む前に飲んでおく。使い捨てカイロを腰に貼る。そういう、きのうラウンジで済ませておくべきことは、すべてし忘れた。それらを箇条書きした紙を、次回はポケットに入れておく必要があるだろうか。
前回の反省から、今回は搭乗の前に、襟の高い長袖シャツにジャージー地のカーディガン、それにウインドブレーカーを重ねたものの、機内はなお薄ら寒い。帰国に際しては、カイロはかならず腰に貼ろうと心に決めるものの、また忘れてしまうかも知れない。
06:25 「スワンナプーム空港まで30分、現地の気温は27℃」とのアナウンスが流れる。
06:48 雲に阻まれて見えなかった地上の灯りが見えてくる。機はしかしすぐにまた雲の中に入る。
06:50 車輪が降ろされる。
06:56 TG661は定刻に6分おくれてタイ時間04:56にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。
05:22 TDACのQRコードをディスプレイに出したスマートフォンとパスポートを入国審査場のカウンターに並べる。両手の親指と右手の中指にはアカギレにバンドエイドが巻かれているものの、指紋の採取は問題なし。「何日滞在するか」と係官に訊かれて、特に指折り数えたわけではなかったものの、咄嗟に「8日間」と答えておく。
05:25 11番の回転台ちかくのソファに落ち着き、封筒の、前回に余らせた6,700バーツから1,700バーツのみを財布に移す。
05:33 回転台から荷物が出てくる。
05:39 地下1階のエアポートレイルリンクの乗り場に降りる。「始発は6時だから」と、椅子で待つうち、市中心部から来たらしい乗客が向こうから集団で歩いてくる。それを見て「もう乗れるのか」と、席を立つ。
券売所では、自動販売機を使わず、窓口に1,000バーツ札を出して「マッカサンまでひとり」と係に告げる。釣銭は915バーツ。大きなお札は迷惑にならないところでくずしておくことが肝要である。
06:02 ARL(エアポートレイルリンク)の始発が空港駅を発車。地上には霧が濃い。
06:25 ARLの車両がマッカサンに着。地下鉄のペチャブリー駅までは、空中の歩道を往く。
ペチャップブリー駅では500バーツ札を出して「ワットマンコンまでひとり」と係に告げる。釣銭は465バーツ。とはいえすべての紙幣や硬貨を細かく数えているわけではない。
06:38 MRTの車両がペチャブリー駅を発。日本の近距離列車の吊り革は、窓際の長座席に平行して2列のあるのみだ。しかしタイの地下鉄のそれは更に車両の中心にも1列があって「これは混雑時には、すごく有り難い設備だ」と、大いに感心をする。
06:54 MRTの車両がワットマンコンに着。出国前に見たGoogleマップを頭に浮かべつつ地下鉄の構内を歩き、1番出口から外へ出る。ヤワラーの大通りに続くPlaeng Nam Rd.は目の前にあった。道の両側には、いずれ劣らず美味そうな店が軒を連ねている。
07:02 駅から徒歩3分にしてホテルに着く。このホテルの定めたチェックインの時間は14時のため「部屋に早く入れるなら、その分の支払いはもちろんする」旨の添え書きを予約時にしておいた。レセプションのオネーサンはその金額を500バーツと僕に伝えた。「安いじゃないですかー」である。しかしこのあと、オネーサンはおなじ口から「なお、スイミングプールはお使いいただけません」と、衝撃的なことを事務的に発した。
僕は南の国に旅することが好きだ。その楽しみの過半、否、大半はプールサイドでの本読みが占める。このホテルは屋上のスイミングプールがいかにも良さそうなため予約をした。しかしてそのプールが現在は閉鎖中だという。今回の旅で最初の「タイ、あるある」である。
とにかく部屋に入り、気を取り直して身のまわりを整える。そして机の上で財布を逆さにし、大きな札を細かくした、その金額を確かめる。
空港で財布に入れたタイバーツは1,700バーツ。ARLの運賃は85バーツ。MRTの運賃は35バーツ。1,700-85-35=1,580のところ、財布には1,630バーツがあった。ということは、ARLかMRTの係が釣銭を50バーツ多くくれた、ということになる。今回の旅で2回目の「タイ、あるある」である。
それはさておき旅の初日の日記は長くなる。それに備えて先ずは革靴をサンダルに履き替え、シャワーを浴びる。きのうの日記のほとんどを書き上げると、なぜか少々の空腹を覚えた。
「こんなものは自分には不要」といつも考えている、そして眠っていれば置かれないこともあるタイ航空の夜食であるチーズとポテトサラダの丸パンが、今朝は半分だけ開いたテーブルにあった。だから今日の朝食はその丸パンと機内食だった。充分以上に食べたとは思うけれど、小腹の空いているのも事実。よって外へ出てしばらくの徘徊の後、ホテルはす向かいの、建物と建物のあいだに雨除けを施しただけの、地元の人で賑わっている汁麺屋に入る。
鍋の横を席へ向いつつ、ちかくのオジサンに「バミーナムをお願いします」と声をかける。それが席に届けられたところでオジサンに100バーツ札を手渡す。戻った釣銭は30バーツ。「70バーツかー、高くなったなー」と驚きつつその簡素な汁麺を食べる。魚丸ルークチンのひとつは中に豚の挽き肉を仕込んだ凝り様だが、しかし70バーツはいささか高い。壁の品書きにもその金額があるから別段、ボラれているわけでもないだろう。第一、高くて不味ければ地元の人は来ない。
バンコクの汁麺の値段が50バーツになって驚いたのは2018年。それから7年が経てば、そんなものなのだろうか。昨年6月7日にプロンポンのミシュラン店”Rung Ruang”で食べたバミーナムトムヤムの価格は残念ながら、記録をしていない。
部屋に戻って日記の続きを書くうち、タイ在住の同級生コモトリケー君から「到着はいつ?」とLINEが入る。部屋の窓からは、コモトリ君の住むコンドミニアムが見えている。東京でたとえれば、僕のホテルは浅草ビューホテル。そしてコモトリ君の家は隅田川の向こうのアサヒビール本社。そんな位置関係である。
もう部屋に入っている旨を返信すると、電話をくれと、ふたたび返信がある。よってLINEを使って電話をし、スイミングプールが使えなくなったことにより変更した今日の予定を伝える。すると「ヤワラーの船着場ラーチャウォンから渡し舟で対岸に渡れ、自分はそこで10時40分に待っている」というような意味のことを言う。現在の時刻は10時。まったく忙しい。
素肌に羽織ったガウンを脱ぎ、服を着る。足元はサンダルではなく革靴を履く。iPhoneのGoogleマップでラーチャウォンまでの経路を調べ、外へ出る。IKEAのトートバッグには、金曜日の夕食に使うべき上澤梅太郎商店の商品が納めてあり、これが結構、重い。
ヤワラーの大通りからは、古き良き時代のバンコクの風情が残る裏通りを辿り、10分ほどでチャオプラヤ川の船着場ラーチャウォンに着く。下流からは、展望デッキに観光客を満載した大型船が遡ってくる。その波に翻弄されつつ小さな渡し舟が対岸からこちらに近づきつつある。「大きな観光船に乗って有名どころを回る」と「小さな渡し舟で知らない街を訪ね、さしたるあてもなく逍遥する」のどちらを選ぶかは、人それぞれだ。
対岸の船着場ディンデーンが近づいてくる。時刻は10時50分。コモトリ君の手を挙げる姿が目に入る。バンコクの盛り場のひとつサラデーンの英語の綴りはSala Daeng。そのデーンの意味は「赤」。しかしディンデーンのデーンの綴りはDandだから、また別の意味があるのだろう。
前にも書いたように、今朝のバンコクには霧が濃かった。時が経つにつれて霧は晴れたものの、空は曇り、湿度はとても高い。ディンデーンの船着場から15分ほども歩くと上半身は汗だくになった。よってコモトリ君の家では真っ先にシャワーを借り、冷たい水をもらって飲む。
コモトリ君の家からは、12時の専用船でサパーンタクシンまで行く。途中で雨が降ってくる。サパーンタクシンから乗った高架鉄道BTSの中で眠りに落ち、気づくと終点の国立競技場前に来ていた。とはいえ乗り過ごしはひと駅のみだから大したことはない。サイアムに戻ってBTSをシーロム線からスクムビット線に乗り換える。雨は雷をともなう驟雨に変わっている。僕の旅の荷物の一覧表には傘も含まれているののの、実際に持参したことはない。
東へ延びるBTSがプロンポンに着く。ほんの十数分、ほんの数キロメートルを移動しただけで、雨は傘を必要としないほどに弱まった。駅構内の両替屋”SUPER RICH”に掲げられたバーツ円のレートは1万円あたり2,250バーツ。スクムビット通りからsoi22を南下して右手の小さな両替屋”KF Exchange”のバーツ円のレートは1万円あたり2,255バーツ。ここで邦貨10万円を22,550バーツに換える。ところで両替の「かえ」は「替」にもかかわらず「兌換紙幣」となると「換」の漢字が充てられるのは、日本語の「両替」に対して「兌換」は中国由来の熟語だからだと思うけれど、どうだろう。
プロンポン近辺のスクムビット通りには横断歩道はないから、駅のエスカレータとエレベータを使って北側に渡る。そして行きつけのミエマッサージで足の角質けずりとオイルマッサージを組み合わせた2時間のコースを頼む。料金は900バーツ。オバサンには200バーツのチップ。
マッサージ屋を去ったのは15時。雨は完全に上がった。ふたたびBTSで、先ほどのサイアムに戻る。
今年の3月7日にプロンポンのショッピングモール「エンポリアム」で予期せずコンバースのチャックテイラー70を目にしたときには「やっぱかっこいいーなー」の言葉が自然に漏れた。日本に戻って調べたところ、バンコクのコンバースの旗艦店はサイアム駅直結のショッピングモール「サイアムセンター」にあることを知った。
そのサイアムセンターに駅から一歩を踏み入れれば、前述のエンポリアムなどとはまったく異なって天井は低く、人は多く、その庶民的な様子には懐かしささえ覚えた。そしてコンバースの店は、何と言うことはない、すぐ目の前にあった。
ためらうことなくその店に入り、棚の右奥にチャックテイラー70を見つける。「そうそう、これ」と見入るとすかさず店のオニーチャンが近づいて来て「チャックテイラー、良いですよね」と、この上ない笑顔で話しかけてくる。「これ、試したいです」と答えるとオニーチャンは各国対応のサイズ一覧表を出して「普段のサイズはどのあたりですか」と訊く。「日本では26センチかな」と教える。
オニーチャンは店の奥へ行き、ふたつの箱を持って戻る。そして僕の左足にはサイズ9、右足にはサイズ9.5を履かせてくれ、更には紐まで締めてくれて、鏡の前に立つよう促す。僕はすこし考えて「右の方は大きすぎるかな」と感想を漏らす。「かしこまりました」とオニーチャンはふたたびスツールに腰かけた僕の両足からチャックテイラー70を脱がし、床のトリッペンをコンバースの箱に仕舞おうとするので「いや、その革靴で帰ります。そして箱は要りません」と伝える。オニーチャンは礼を言いつつサイズ9のチャックテイラー70を薄紙で包み、それを手に勘定場へ向かった。驚くべき親切さ、驚くべき笑顔、そして驚くべき速度である。価格は定価が3,290バーツのところ何やらのキャンペーン中で1割引き。支払いは2,961バーツ。良い買い物ができた。”MADE IN JAPAN”のコンバースは、僕には幅が広すぎるのだ。
サイアムからはBTSでサラデーン。そこからMRTのシーロムへは空中歩道を移動。シーロムからホテル最寄りのワットマンコンまではわずか3駅。ただしMRTは利用者の数の関係によるものか、運行している本数はそれほど多くない。よって駅での待ち時間は東京の地下鉄とおなじ、というわけにはいかない。
さて美味い食べもの屋の密集するヤワラーではあるけれど、雨がふたたび降り始めている。しかしその勢いは、傘を借りるほどでもない。18時を過ぎたところで外へ出る。そしてこの日記に検索をかければそれは2019年6月24日のことと知れる、コモトリ君と訪ねた笑笑酒楼の扉を押す。
この店の、天井の蛍光灯に照らされる内装はいかにも古くさく、いかにも寂しい。しかし今回はふたつのテーブルに先客がいて、店員の数も揃っている。僕の注文はオースワンとソーダとバケツの氷。しばらくして届いたオースワンの量を見て一驚を喫する。6年前のそれとくらべて明らかに多い。今夜はこれのみにて、他は食べられないだろう。後半は片栗粉による煮こごりのようなところとモヤシは避け、蠣のみを箸で選って食べる。
インターネット上の動画で見る夜のヤワラーは大賑わいだが、雨の降る今日に限っては熱帯の夜気もなく、大きな屋台も閑古鳥のありさまだ。嬉しいのは、あたりにドリアンの香りの満ちていることくらいだろうか。
部屋に戻ったのは19時すこし過ぎ。シャワーを浴びて歯を磨き、即、就寝する。
朝食 ”TG661″の夜食の丸パン、同機内食、「ウンペンチュンルークチンプラー」のバミーナム
昼食 プロンポンの名前を知らない店のカオカームー
夕食 「笑笑酒楼」のオースワン、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)