2025.5.13 (火) タイ日記(2日目)
目を覚まして枕頭のiPhoneを引き寄せる。時刻は4時19分。きのう寝に就いたのは多分、19時30分のころ。とすれば、僕としては随分と長く眠ったものだ。深夜便での寝不足をからだが取り戻そうとしたのだろう。
南の国に来て違和感を覚える第一は、夜の明ける時間について。日本では、夏が近づくに連れて、日の出は早くなっていく。しかし地球を赤道に向かって降りていくと徐々に、日の出の時間に季節の差はなくなっていく。日中は汗が滂沱の暑さにもかかわらず、つまり気温は日本の夏と同じにもかかわらず、夜明けはそれほど早くない。そのことに、いつも戸惑うのだ。
14階の朝食会場からの眺めは良い。しかし天気は優れない。食後はひとつ上の階の屋上に上り、現在は使ことのできないスイミングプールを目で確かめる。エレベータの中の張り紙によれば、工事期間は5月4日から27日まで。工事の内容はビニールライニングとハシゴの交換とあった。プールの改装工事は、今年3月28日の大地震を経験しての「できるだけ早いうちに万全を期しておこう」との考えによるものかも知れない。
プールのある屋上から11階の部屋に降りて、きのうの日記を書き継ぐ。
「タイに来ています」というような、途中経過を欠いた日記には残念な気持ちが募る。自分の旅の日記を読み返してもっとも面白いのは、移動日のそれだ。よってきのうの日記も長くなり、書いても書いても終わらない。それを一時のあいだ中断して、10時15分に外へ出る。
コモトリ君が行きつけの床屋はサラデーンのチャーンイサラタワーの中にあると何年か前に聞いた。そのときの担当者が、今はヤワラーの、ワットマンコンちかくの美容院で仕事をしているという。そういう次第にて、コモトリ君には今日の10時30分に予約を入れてもらった。
Googleマップの「ナビ」を設定したiPhoneは、ポケットの中で震えて道の分岐の近づいていることを教えてくれる。そうして辿り着いた美容院は、ワットマンコンの塀の脇にすぐ見つかった。時刻は開店5分前の10時25分。すると店の前で食事をしていたオバサンが機敏に立って、僕を店の中に入れてくれた。
2種のバリカンで髪と髭を刈り、眉を整え、顔を剃り、頭を洗う、そのすべては20分で完了。400バーツの料金は、昨年の6月6日に使った”Soi Na Wat Hua Lamphong”の小さな床屋のそれと同じではあるものの、顔剃りやシャンプーのある点、また店の設備の整っているところからして、今日は随分と得に感じた。
帰りは、細い路地の両側にびっしりと店の並んだ小さな市場を抜けていく。その路地は想像以上に長く、ようやく明るいところに出るとそこはヤワラーの大通りで、路地の入口には”Yaowarat soi6″の表示があった。
ホテルには戻らず、そのまま歩くことを続ける。歩いた距離は地下鉄でふた駅くらいのものだっただろうか。1982年に僕が逗留していた楽宮旅社は、廃墟にはなっているものの、建物は残っている。魔窟や陋巷といった言葉の好きな人は、バンコクの中華街に来るべきだ。それらは熱帯の空の下に暗い口をあんぐりと開けて、訪れる人をいまだ待ってくれている。ただし急ぐべし。近くにはグランデセンターポイントホテルを建てるための、地上げをされた大きな空き地ができていた。
部屋に戻ってシャワーを浴び、ちかくの粥屋で昼食を摂る。この簡素な粥も70バーツ。ヤワラーは東京でいえば浅草のような観光地だから、物価もそれだけ高いのだろう。昼食の後はそのままマッサージ屋へ行こうと考えていたものの、流れる汗を止めるため部屋へ戻り、シャワーを浴びる。
ワットマンコン駅1番出口ちかくのマッサージ屋「泰満足」には14時5分に入った。そして2時間の足マッサージを頼み、窓際の寝椅子を指定して、ライオネル・バーバー著「権力者と愚か者」をようよう開く。マッサージの料金は600バーツ。女の子には200バーツのチップ。プールサイドの寝椅子が使えないらマッサージ屋の寝椅子、と考えた末のことだが、当然のことながら、マッサージ屋の寝椅子には、ただで寝転ぶことはできない。
それにしても、14時5分から2時間のマッサージとは、時間の読みをちと間違えた。16時すぎに部屋へ戻り、着替えをする。足元はサンダルから革靴に履き替える。コンピュータなど起動してはますます時間が無くなる。そうして忙しなくワットマンコンの駅へと急ぐ。「タニヤプラザのスターバックスコーヒーの前に16時55分」との、コモトリ君との約束には30秒だけ遅れてしまった。
僕は、海外に来れば日本食はほぼ絶対に食べない。しかし今日は諸般の事情により盛り場の鮨屋に案内をされた。「これだけの広い店を運営するにはかなりの手腕が必要だろう」と思われる長いカウンターのほぼ中央で、あれやこれやを肴に奄美の焼酎を飲む。そこはまるで日本だった。
タニヤからヤワラーまでは、コモトリ君のクルマで送ってもらう。運転手には100バーツのチップ。今日は雨もほとんど降らず、ヤワラーの大通りにはいつもの人の波が戻っていた。そうして部屋へ戻ってシャワーを浴び、歯を磨いて即、就寝する。時刻については、よく覚えていない。
朝飯 “Hotel Royal Bnagkok”の朝のブッフェ其の一、其の二、其の三
昼飯 「陳義発」の猪肚粥
晩飯 「石司」のあれや、これや、それや、奄美の黒糖焼酎(水割り)、同(オンザロックス)