2025.5.19 (月) タイ日記(8日目)
きのう一昨日とおなじ理由により、5時30分にロビーに降りる。そしてきのう一昨日とおなじくソファに座った膝の上にコンピュータを開き、ローカルのエディタにてきのうの日記を書く。また、部屋の電源はテレビのそれ以外は死んでいるため、ソファの横のコネクタにてiPhoneを充電する。
さて最終日の今日にすべきことで欠かせないのは、きのう洗濯屋に預けた洗濯物の回収、および土産の購入だ。ウチはおじいちゃんが土産を配ることを好んだたため、その習いが今にまで続いている。業界の旅行に行くと、社員に土産を買うのは僕くらいのものだから、世間一般がウチと同じ、というわけではないらしい。
8時がちかくなったところでIKEAのトートバッグを提げて外へ出る。洗濯屋は大通りを挟んではす向かいにあるものの、横断歩道の無いところで道を渡ることは、この通りに限っては危なくてできない。よってアソークの大きな交差点まで戻って反対側の歩道を北へ歩く。洗濯屋にはきのうとおなじ女の子がいて、僕の持つ控えと仕上がった洗濯物の伝票を注意深く照合し、洗い上がった衣類を手渡してくれた。
その、結構な大きさのプラスティック袋を部屋へ置き、ふたたび外へ出る。そして最初の、大通りの店には思うような品が無かったため、麺やお粥の屋台がふたつみっつ出ているだけのソイカウボーイを抜けてsoi23に出る。そして2軒目となる店で、できるだけ嵩張らないものを買い物カゴに入れる。
それらを提げて部屋へ戻る。そして洗濯屋が仕上げた衣類を圧縮袋に詰め、また買ったばかりの土産もスーツケースに納めて、荷作りのあらかたを終える。
ここで時刻は9時がちかくなった。腹は減っているものの、今日は近場では済ませない。先ずは部屋のコンセントが役に立たないことをレセプションのオネーサンに説明し、その上で、コンピュータに充電をしてくれるよう頼む。
部屋に戻って今度はタイのセブンイレブンのエコバッグに本と財布とiPhoneを入れて外へ出る。そしてBTSで東にふた駅のトンローに移動をする。ホテルを出るときの弱い雨は、雷雨に変わっていた。閉じていた傘を再び開いてsoi53とsoi55のあいだの狭い道を北へ歩く。しかしトンローのsoi1までは行かない。右手のカフェの名は”Herringbone”。ここで朝昼兼用の食事を摂る。
僕の着いた大テーブルの端では「君、そんなにたくさんのもの、食えるわけねぇだろ」という量の、いかにも見ばえのする料理と飲み物を、若い女の人がいつまでもDJIのカメラで撮っている。その行いは、僕が注文した品をすべて食べ終えても、なお続いている。「つまり彼女は客ではなくて、広告代理店のカメラマン、ということか」と納得しかけたところでその女の人はふたり分の料理と飲み物を隣のソファ席に移し、そこで男の人と食べ始めた。
「見ばえのする料理の動画をSNSに上げ、多くの承認を得ることによる満足感の方が、作りたてを愉しむよりより上」という価値観を否定するものではない。しかし料理を作る人からすれば、それは面白いことでは決してないだろう。「男の方も、よくもまぁ黙って待っているものだ」と、大いに感心をする。というか、呆れる。
カフェのテーブルでは2時間ほども本が読めた。次はBTSでひと駅を戻ってプロンポンで降りる。そしてこの旅で3回目となるマッサージ屋に傘を返す。ここで「それでは」と去ればお金を使わずに済むところ、窓の無い湿気た部屋に戻る気もしない。天井の灯りのよく届く寝椅子を指定して、2時間の足マッサージを受ける。料金は600バーツ。オバサンには150バーツのチップ。
バンコクに来て以降、盛り場の鮨屋を訪ねるなどの「よそ行き」を除いては、ユニクロの緩いズボンを穿いている。そのズボンに大きな油染みのあることにきのう気づいた。油気のあるものをいくら食べこぼしても、これほどのシミはできないだろう。しばらく考えて、それは脚をマッサージされたときの油によるものと考えが到った。シミは、普通の洗濯でも落ちるだろうか。
帰国日の残り時間はいまだ潤沢にある。プロンポンの駅の北側を広範囲に歩き、あれやこれやを見る。看板は日本語がほとんど、という通りもある。スクムヴィット線のサイアムからトンローのあいだに宿を取れば、便利さはこの上ない。しかしそこここで日本語を目にする、あるいは耳にする、そのことにより旅の感興が削がれる、ということはあるだろう。
午前に洋風の食事を摂ったら、午後にはもうタイ料理が恋しくなった。プロンポンからアソークの部屋へ戻り、シャワーを浴びて外へ出る。アソークの大通りをはす向かいの角へ渡るには、横断歩道を渡るより空中歩道を伝った方が時間は節約できそうだ。しかし今回は敢えて横断歩道を選ぶ。そして夜の駅から眺め降ろせばいつも満席の人気店で、早めの晩酌を始める。空港まではスーツケースを曳きつつ電車で行くことを考えて、ラオカーオは封印してビールにしておく。
料理ふた品とビール2本の料金は500バーツちょうど。物価の低い田舎が主戦場の僕からすれば、仰天するほどの高値だ。その値段でも日の暮れるころには観光客と在住外国人で鈴なりになるのだから、店側の値付けは正解なのだ。客は多分、バンコクの真ん真ん中にあるにも関わらず古き良き時代のバンコクを味わえる、そんなところが気に入ってこの店に来るのではないか。ホテルまでは横断歩道は使わず、駅から伸びる空中歩道を伝って戻る。
19:07 シャワーを浴び、歯を磨く。
19:37 ホテルを出る。
19:44 MRTの車両がスクムヴィットを発。
19:45 その車両がペチャブリーに着。
19:55 エスカレータと空中歩道を使ってエアポートレイルリンクのマッカサン駅へ移動。スワンナプーム空港までの料金は35バーツ。頭と顔は既にして汗まみれになっている。
19:58 ARLの車両がマッカサンを発。次のラムカムヘンから座れる。空港の3駅手前のラックラバンでほとんどの乗客が降りるわけは何だろう。
20:21 ARLの車両がスワンナプームに着。
20:34 4階のDカウンターで、タイ航空の職員の手を借りてチェックイン、そして荷物預けを完了。スーツケースの重さは13.9キログラム。
20:43 エスカレータを上がって保安検査場を通過。羽田とは異なって、コンピュータはバックパックから出すよう言われる。今回はトリッペンの、ブーツではなく短靴を履いてきたため、靴は脱がされずに済む。
20:45 出国審査場を通過。
20:52 シャトルトレインの車両がメインターミナルを発。
20:54 その車両がサテライトターミナルに着。
21:05 3月にはカードの会員証で入場を断られたミラクルラウンジに、今日はiPhoneに仕込んだデジタル会員証を見せて受付を通過。腹は減っていなかったものの「折角だから」と、いささか乾き気味のサンドイッチを肴にして南アフリカ共和国のカベルネソーヴィニョンを飲む。また、空港に来る途中で汗をかいたため、シャワーを借り、半袖のTシャツを、襟の高い長袖のシャツに着替える。
21:52 ミラクルラウンジを去る。
21:53 ボーディングパスに指定されたS112Aゲートに着く。ここでジャージー地のカーディガンとウインドブレーカーを長袖のシャツに重ねる。
22:40 なぜかS112Bゲートから搭乗開始。
自分の背もたれの後ろには空間があるばかりの70Hの席に着く。そして最後尾のギャレーにいた男の客室乗務員に「薬を飲むのでコップの水をください」と声かかける。彼は水のペットボトルをひとかたまりにしているプラスティックの幕を専用の器具で切り裂き、その中から1本を取り出して、手渡してくれた。
23:11 Boeing777-300ER(773)を機材とするTG682は、定刻から26分おくれてスワンナプーム空港を離陸する。
朝飯 ”Herringbone”のクロックムッシュ、ソルティカラメルラテ
晩飯 “Suda Restaurant”のホイライパットプリックパオ、バミーヘン、シンハビール