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清閑 PERSONAL DIARY

2025.5.28 (水) 伊豆治療紀行(36回目の1日目)

出かける用事があっても、その朝に家にいれば、会社のことも、すこしは手伝うことができる。店を開け、出社してくる順に今月の給与明細を手渡し、朝礼の時間を迎える。道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への本日最初の配達には、配達係のイザワコーイチさんと共に行った。

道の駅から戻ったら、そそくさと普段の仕事着からズボンのみ履き替え、靴は、きのう傷めた腰を慮って、トリッペンのSHEET PULLを履く。そして下今市09:33発の上り特急に家内と共に乗る。北千住を経由して東京11:57発の下りこだまが停車中の16番プラットフォームに上がるのは、いつもの通り。

人のからだには、どこかが良くなれば、別のどこかが悪くなる、というか、それまで隠れていた問題が顕在化する、ということがあるらしい。2018年の10月に白内障の手術を受けた。目が良く見えるようになったら、翌月から背骨と右の肩胛骨のあいだの筋肉が痛むようになった。その痛みは徐々に増し、そのうち耐えがたいほどになった。行きつけの整骨院、鍼灸院、街の外科、国立病院、更には隣県の「手かざし」にまで足を延ばして、すべて埒が明かなかった。そんなときfacebookで知って、そのコメント主にあれこれと教えてもらったのが「宇都宮肩腰痛みの専門整体院」だった。

1週間に2度の通院を言い渡されたその整体院には2020年7月までの1年半のあいだに47回を通った。背中の痛みが消えれば次は肩、その次は膝と、長年の無理が次々と現れてきたためだ。そしてとうとう「次は2ヶ月後で大丈夫です」と言われるまでに回復をした。しかしその「2ヶ月後」の2020年9月には、ワタナベマサヤス先生は「寒いところはイヤ」と、宇都宮から伊豆に引っ越してしまっていた。

伊東市八幡野の新しい場所に僕と家内が行けたのは「2ヶ月後」ではなく9ヶ月後の2021年4月だった。次はそこからまた9ヶ月を経た2022年1月だった。そのときの、膝への治療の痛みは筆舌に尽くしがたかった。数千ボルトを発する電子ペンの先端を患部に押し当てられたときの痛みは症状の重さに比例する。それに懲りて2022年3月からは、ほぼひと月に1度の頻度にて伊豆に通うことを始めた。そしてその回数は、先月までに35回を数えるに到った。

35回も通って最後に辿り着いた現地での宿泊は、伊豆高原の駅前に専用のバスを待機させ、且つ治療院までは歩いて行けるホテル亀の井伊豆高原と、このところは定まっていた。「ところが」である。僕よりひとつ年下の先生はできるだけ長く仕事の続けられることを考えて、住まいと仕事場を一体にすべく、今月からはおなじ伊東市でも吉田に治療院を移した。

そこへ行くためには川奈からタクシーを使う必要がある。しかしその台数の少なさ、送迎の手間と時間、経費を考えれば伊東駅前でレンタカーを借りるのが最上との結論に達した。

新しい治療院は、伊東駅から8キロメートルと少々の場所にすぐ見つかった。いつもは5,000ボルトの数字が点滅する機械に今日は9,000ボルトの数字があったから訊ねれば「この症状だと5,000ボルトでは無理」との返事が戻った。そうして僕は主に腰、家内は左膝に荒療治を受け、ふたたび8キロメートルの道を戻って予約済みのホテルに入る。


朝飯 ジャコと山椒の乾煎り、ミズの甘辛煮、納豆、温泉玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと玉葱と若布の味噌汁
昼飯 「やまやのうまだしおにぎりせっと」、JAVA TEA
晩飯 「伊東小涌園」の其の一其の二其の三其の四ごはん漬物味噌汁、日本酒(燗)、甘味


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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