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清閑 PERSONAL DIARY

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2018.7.3(火) 夏のBBQ

きのうは20時台に就寝した。そうしたところ、今朝は1時35分に目が覚めた。そのまま静かにしていても眠気は訪れない。そのことを確かめて即、起きて服を着る。

ワールドカップの日本とベルギーの試合を観るために目覚ましを設定したと言っていた家内が2時29分になっても起きてこない。よって寝室の戸を引いて声をかける。

「80点、90点と点の入るバスケットボールは、チームの実力がほぼ正確に勝ち負けに反映される」と、自由学園の高等科で一緒だった、当時バスケットボール部にいたコバヤシヒロシ君は言った。しかし2点、3点の得点で勝負の決まるサッカーも大抵は、チームの実力がほぼ正確に勝ち負けに反映される。それを裏付けるような、今朝の試合だった

終業後は社員、家内、長男の準備により、既にして繁忙期には入っているものの「これからしばらくは特に頑張ろう」という食事会を店の駐車場で開く。いま現在からお盆、そしてお盆のあいだに承ったご注文を出荷し終える8月の20日すぎまでは特に気を引き締めて、社員と共に仕事に向かっていきたい。


朝飯 大根おろしを薬味にした納豆、巻湯波の淡味炊き、茄子と2種のパプリカの炒りつけ、歩運連想と海苔のおひたし、焼きトマトを添えた目玉焼き、ごぼうのたまり漬、メシ、ズッキーニの味噌汁
昼飯 「虎屋」の味噌つけ麺
晩飯 チョレギサラダキャベツの塩昆布和えポテトサラダ茄子とトマトのマリネたまり漬「刻みザクザクしょうが」と同「鬼おろしにんにく」を薬味にした鰹のたたきおむすび包装係サイトーヨシコさん差し入れの大根の浅漬けごぼうのたまり漬(試作品)焼きそばズッキーニの炭火焼き砂肝の炭火焼き牛タンの炭火焼きホルモンと豚のスペアリブの炭火焼き、他あれこれ、芋焼酎「愛子」(ソーダ割り)


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2018.7.2(月) 奉祝

「今は5時台から明るいんですね」とfacebookに書いた人がいる。「なるほど、あの人は夜更かしの朝寝坊だったか」と、僕は「今は3時台から明るいですよ」とコメントを返した。数年前のことだ。

「早起きは三文の得」とは、いつごろできた格言だろう。貨幣の単位が「文」のところからすれば江戸時代だろうか。電気のない時代であれば、なるほどその格言のとおりだったかも知れない。しかし今は違う。前述の「夜更かしの朝寝坊」の人も、その生産性は、僕よりよほど高いことを僕は知っている。

ところでウチから眺める限り、今ほど山が綺麗に見えるときはない。今は、空が晴れればおおむね、山は綺麗に見える。しかし驚くほど美しいそれは、よほどの条件に恵まれなければ遭遇をすることはできない。ウェブショップのトップに置いた画像は、その「よほどの条件に恵まれ」た朝の1枚である

八坂祭の提灯は、お祭の初日つまり7日から提げるのが常道だろう。しかし町内の主だった道には既にして、先週土曜日の午後から注連縄が張り巡らされている。よって「奉祝」と大きく書かれた提灯は、きのうから店の前に提げることとした。これからの2週間は、これも看板のひとつとして活躍をするのだ。


朝飯 巻湯波の淡味炊き、山芋のすりおろし、ほうれん草のおひたし、トマトのスクランブルドエッグ、大根おろしを薬味にした納豆、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と胡瓜の味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 冷や奴、蛸と胡瓜と若布の酢の物、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、鶏の松かさ焼き、ズッキーニの炒め煮びたし、梅の甘煮、芋焼酎「愛子」(ソーダ割り)、抹茶ケーキ


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2018.7.1(日) 朝に撒いた水

タイから帰って以来、いつもの早起きができないでいた。しかし今朝は3時50分に目を覚ますことができた。5時台の目覚めは「寝過ごして朝の時間を無駄にした」という残念な気持ちをもたらす。4時台の目覚めは「うかうかしているうちに、すぐ6時になってしまうぞ」と気が急く。2時台の目覚めは、いかにも早すぎる。僕には3時台の目覚めがもっともしっくりくるようだ。

今年の夏至は、早朝にバンコクに着いた先月の21日だった。それから10日を経ても、夜の明ける時間が遅くなった実感はない。食堂に出て窓を開ける。鳥の声が一斉に飛び込んでくる。食器棚の引き出しからエアコンディショナーのリモートコントローラーを取り出す。そして冷房ではなく除湿のボタンを押す。朝や夜であれば、それで部屋は充分に冷える。

おとといの日記を書いてサーバに上げる。きのうの日記も、そのほとんどを書いてしまう。それでも時間はいまだ充分にあるから、きのうの新聞の、読めなかったところを読む。

今年は7月の1日が日曜日に当たっている。このような年は特に、夏のギフトの出荷が忙しい。7月はじめの着荷を望むお客様が多くいらっしゃるからだ。製造係は、きのうは終業時間の直前まで荷造りに当たっていた。日曜日の当番として出社したイトーカズナリ君とカノーガユーキ君は、これまた今朝から懸命の荷造りである。

店が混み合うたび、事務室から店舗に走って販売の手伝いをする。18時に店を閉めようとすると、道路を隔てた向かい側の駐車場に、1台のクルマが駐まる。自動ドアのスイッチを切って店舗を開け放ち、そのお客様をお待ちする。

犬走りに置いた花の鉢は、朝に撒いた水を蒸発させて、夕方には軽くなっている。その鉢を店の中に仕舞い、18時7分にシャッターを降ろす。


朝飯 茹でトウモロコシ、巻湯波の淡味炊き、茹でたブロッコリーと生のトマト、ハムエッグ、納豆、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁、梅の甘煮
昼飯 「竹美荘」の蕎麦による盛り蕎麦
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダカツレツドライマーティニ、”TIO PEPE”


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2018.6.30(土) 祭の準備

物忘れの激しいたちにより「8:00 神社」とサインペンで書いたポストイットを、きのうのうちにエレベータの中に貼っておいた。貼ってはみたものの、本日、その時間に瀧尾神社へ行くことは難しいと考えていたところ、神社へは長男が向かったと家内から聞き、安心して朝の仕事に従う。今朝は、これから7月の15日まで大御輿を安置する御仮屋を、一の鳥居の前に建てるのだ。

9時を過ぎてから自転車で神社へ行くと、その御仮屋は、当番町の春日町1丁目、そして次年度当番町である春日町2丁目が見守る中、コバヤシ営繕により着々と組み上げられつつあった。僕はその集団には加わらず、宮司や春日町1丁目自治会長との打合せに当たる。

13時すぎからふたたび神社へおもむく。大御輿は、春日町1丁目、2丁目、そして各町内から2名ずつ出てもらった人たちの手により倉庫から運び出されようとしていた。大御輿はここで春以来の埃が払われ、椿油で磨かれる。僕はまたしても、各方面への連絡に走る。

15時に、今度は町内の公民館へ行く。子供みこしはほとんど組み上がり、祭壇も、榊と供物が揃えば準備完了のところまで整っていた。15時30分より10人ほどが手分けをして、町内に荒縄を張り巡らす。気温は30℃を2、3℃上回っていただろうか。

公民館に戻ると、その荒縄から提げる幣束を、他の仕事から上がった面々が、町内の各組の戸数に合わせて数えているところだった。首から提げるための紐を木札に通す仕事も、既にして完了していた。「今日、全部おわしちゃって良かったなぁ」と、ウカジシンイチ自治会長が息を漏らす。時刻は17時45分。今の時間、店に家の者は家内ひとりのため、いとまを告げて会社に戻る。全身、汗まみれである。


朝飯 胡瓜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、巻湯波と小松菜の炊き合わせ、茄子の炒め煮びたし、納豆、ごぼうのたまり漬、メシ、浅蜊と万能葱の味噌汁、さんらんぼ
昼飯 きのう「玄蕎麦河童」から持ち帰った天ぷら「竹美荘」の蕎麦による盛り蕎麦
晩飯 「大昌園」のあれやこれやテグタンラーメン麦焼酎「田苑シルバー」(ソーダ割り)


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2018.6.29(金) 梅雨明け

今月の上旬に、栃木県味噌工業協同組合の親睦旅行で訪れたハノイは暑かった。「38℃くらいですか」と訊く僕に「37℃くらいでしょうか」と、ガイドのヅァンさんはこともなげに答えた。その気温にもかかわらず、現地の女の人は多く、強い日差しを避けるために長袖のパーカを着ていた。

ハノイよりはるか南にあるバンコクの気温は、これは計ったわけではない、僕の感覚によるものだが、せいぜい30℃ほどに思われた。そして今日の日光の気温も、それとおなじほどに感じられる。そして湿度が低いだけ、バンコクより日光の方が、幾分かは快適である。

トンローのローカルスーパーマーケット「杜泰興」で買った乾麺を昼に茹でる。そのひとかたまりはいかにも小さかったため、鍋にはふたつを投入した。そうしたところ、意外にかさがふくれてびっくりする。黄色かった麺が、茹でると白く変わったのも不思議だった。これは汁麺ではなく炒麺にするためのもの、という気もする。

関東甲信越で梅雨の上がったことを、昼のテレビのニュースで知る。6月に梅雨が明けるのは、1951年の観測開始以来、初めてのことだという。梅雨明けは嬉しいけれど、雨を好む生姜、そして米は無事に育つだろうか。それにしても、南西に向いた窓から望む、重畳と続く萬緑の向こうの鶏鳴山は、薄青い空と白い雲を背にして、いかにも爽やかだ。


朝飯 胡瓜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、山芋のすり下ろし、納豆、茄子の炒りつけ、生のトマトと茹でたブロッコリー、温泉玉子、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 「杜泰興」で買った麺による汁麺
晩飯 「玄蕎麦河童」の酒肴其の一其の二天ぷら盛り合わせ冷やしたぬき蕎麦、4種の日本酒(冷や)


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2018.6.28(木) 現地食

応接間のソファに着の身着のままで眠っているところを家内に発見される。時刻は午前2時。それから入浴をし、パジャマに着替えて、しかし寝室の灯りは点けたまま眠っているところを、またまた家内に発見をされる。このときの時刻は不明。そして朝は6時にようやく目を覚ます。

きのう夕食を済ませて後、食堂から隣の応接間に移ってソファに横になったとすれば、その時刻は22時ころだっただろう。それから朝の6時まで、入浴に費やした30分間を除けば眠っていた時間は7時間30分。バンコクで午前1時台や2時台に目を覚ましたことによる睡眠不足を、からだが急速に取り戻そうとしているのかも知れない。

10時より12時すぎまで、取引先とスカイプを介して会議を行う。13時すぎからは、新しい機械の置き場所について、その機械を売る商社の社長と打合せをする。終業後は本日出社の社員たちと、ミーティングを行う。

今朝の味噌汁は、8日ぶりの味噌汁だった。夕食は、9日ぶりの家の洋食だった。タイでは現地食で一向に苦にならない。それはタイのメシが美味いということもあるけれど、自分の食べたいものを自分で選べているということが、なにより効いているのだと思う。


朝飯 納豆、牛蒡と人参のきんぴら、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ピーマンと塩昆布の炒りつけ、生のトマト、ごぼうのたまり漬、メシ、シジミと万能葱の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の冷やし中華
晩飯 ジャガイモのグラタン茹でたブロッコリーとラタトゥイユを添えたビーフステーキチーズ“Bourgogne Hautes Cotes de Nuits Vicomte Bernard de Romanet 1988”


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2018.6.27(水) 帰国

目を覚ます。機内の灯りは落ちている。そこではじめて、離陸をする前に眠ってしまったことを知る。後ろの席を確かめてから、椅子の背もたれを最大に倒す。目の前にテーブルが引き出され、何かが置いてある。手で探ると、それはペットボトルの水とサンドイッチだった。タイ航空の機内で、眠っているあいだに深夜食を供されたのは初めてのことだ。灯りを点けることは憚られる。その、中身の知れないサンドイッチを闇の中で咀嚼し、水を飲む。時刻は1時30分。そしていつの間にか、また眠りに落ちる。

僕以外のすべての人たちは既にして起きている、あるいは働いている、そのような空気を半覚半睡のなかで感じてはいるものの、できるだけ長く眠っていたい。しかしそういうわけにもいかないだろうと諦めて目を開く。すぐ前の席まで朝食が配られてきている。時刻は3時35分。

「なんとかと、なんとかの、どちらがよろしいでしょう」と朝食の中身について客室乗務員に訊かれても、僕は目を覚ましたばかりだ。一瞬、ことばを失ってから「隣の人と同じもの」と、素早く答える。目の前のディスプレイのスイッチを入れて航路図を選ぶと、機は九州の南部沖を北西に向かっているところだった。

“BOEING 747-400″を機材とする”TG682″はタイ時間04:49、日本時間06:49に羽田空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。

07:15 パスポートコントロールを抜ける。
07:29 回転台からスーツケースを拾い上げる。

「スーツケースを小さくしない限り荷物は減らせない」と、それまでの大きなゼロハリバートンを機内持込サイズのリモアに変えたのは、2014年9月のことだ。以来、荷物を空港まで、あるいは空港から宅急便で送ることはしなくなった。しかし今日は東京での仕事を控えている。スーツケースを曳いて歩くことは避けたい。

そういう次第にて、到着ロビーで宅急便を扱う場所へ向かって歩いて行く。途中で見覚えのある顔に遭遇して、じっと見る。先方も僕の視線に気づく。おたがいに「あっ」と声を発して立ち止まる。バンコクMGの第4期に同卓で勝負をしたチクラコージさんだった。二言三言を交わして右と左に分かれる。

宅急便を扱う場所にはJAL系のABCとANA系の、ふたつの窓口があった。JAL系には10名ほどの列。ANA系にはひとりの待ち客もいない。過去に使っていたのはABCの方だ。そして料金表はABCの方にのみ掲げられている。ANA系の料金を確かめるのは面倒だ。即、ABCの列に並ぶ。僕の番が来るまで3分もかからなかった。20kg以下の荷物の栃木県までの送料は1,910円だった。

08:05 京急線の車両が羽田空港国際線ターミナルを発車。

ふと気になってプラットフォームの駅名を見ると京急川崎だった。「川崎ということは、反対方向に乗ってしまったのだろうか」という曖昧な疑問が確信に変わる。即、ザックを抱えて出口へと向かう。プラットフォームに降りる直前に「すいません、すいません」と、背後から声をかけられる。ボックス型シートの窓枠に置き忘れた僕のメガネケースに気づき、それを持って追いかけてくれた人の声だった。

品川、渋谷を経て表参道には9時5分に着いた。取引先と約束した時間は10時。骨董通りのドトールコーヒーに入り、facebookのアルバム「2018.06 タイ」に画像1枚を上げる。

仕事場で落ち合った長男と、地下鉄千代田線で北千住まで来る。13:12発の下り特急に間に合うと計算しつつ切符売り場まで来ると、何やら大きな立て札がある。それは大袋駅での人身事故を報せるものだった。

13:12発は運休。その次の13:42発は運行するかどうかを近くに立つ駅員に訊くと、確約はできないという。それはそうだろう。そそくさと昼食を済ませて常磐線に乗る。新幹線を使っても使わなくても、帰社できる時間は大して変わらない。上野から宇都宮線に乗り、JR今市には16時すこし過ぎに着く。駅には家内がクルマで迎えに来てくれていた。

終業後、レジを締めて18時40分に食堂に上がる。そそくさとハイボールを作り、これで喉を潤す。19時前に町内の公民館に入る。そして10日後に迫った八坂祭の、大御輿の運行についての話し合いを持つ。21時すぎに帰宅してようやく夕食を摂る。以降のことはよく覚えていない。


朝飯 “TG682″の機内食
昼飯 「小諸蕎麦」のたぬきそば
晩飯 焼売、山芋のすり下ろし、鶏肉と夏野菜の揚げ浸し、小松菜のおひたし、芋焼酎「愛子」(ソーダ割り)


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2018.6.26(火) タイ日記(6日目)

このホテルに着いたとき、チェックアウトの時間は13時と教えられた。それを18時まで延ばすといくらかかるかと訊くと、1,500バーツと言われた。マッサージ5時間分より高い。

午前中は屋上のプールサイドで本を読む。部屋には余裕を見て11時30分に降りた。荷造りは朝のうちにあらかた済ませておいた。そのスーツケースの隙間にPatagoniaのバギーショーツとKEENのゴム草履をねじ込む。12時30分にチェックアウトすると同時に、荷物ふたつをクロークに預ける。

トンローのsoi9とsoi11のあいだで赤バスを降りる。昼食を済ませてから”Sumalai”そして”Tiger”と、2軒のマッサージ屋をはしごする。

来たときとは逆にトンローの通りを南下する赤バスは、トンローsoi1に右折をする。突き当たりのスクムビットsoi53を左に折れる。南に進んでスクムビット通りに出たら、それを左折して終点に至る。しかし夕刻が迫るスクムビット通りは大変な渋滞にて、バスはそのsoi53からいつまでも抜け出せない。

痺れを切らせた乗客たちが、次々とバスを降りていく。いまやバスの中には、運転手と車掌を除けば、客は僕も含めて4人しか残っていない。僕が席を立たないのは「別段、急ぐ旅でもあんめぇし」と、時間に余裕があるからだ。

バンコクは、世界でもっとも渋滞のひどい街といわれている。soi53に閉じ込められたバスの中で、そのわけを考えてみる

タイ人は歩くことを嫌う。もうひとつ、これは僕の観察によることだが、タイ人は階級や収入に応じて自家用車や社用車を使う。自分の地位や収入に自信のある向きは「私は公共の交通機関を使うような身分ではございません」と密かに、あるいは堂々と胸を張る。タイ人だけでなく外国人も、この国に暮らすうち、そのようなタイ人の気質に染まっていく。

上記のような中間層から富裕層が漸増する一方で、この都市に特有のsoiと呼ばれる袋小路を含めて、交通の流れを良くするための開発や工事は進捗しない。よって動かない車列はますます長くなる。その、フェラーリやランボルギーニの混じる糞詰まりを、僕はゴム草履を履いて、南の国に特有の、敷石の割れた歩道を歩きつつ眺めているのだ。

「タクシーをお呼びしましょうか」と声をかけてくれたベル係に「歩いて行くよ」と答えてホテルから目の前のsoi49に出る。道路の端には雨水を逃がすための浅い窪みがあり、その外側の、本来は歩道として使われるべき空間には隙間なくクルマが駐められている。soiを南下するクルマと北上するクルマはひしめき合って、スーツケースを曳く幅も、路上には残っていない。

ホテルからトンローのパクソイまでは、歩きで10分かかった。道を渡って「55ポーチャナー」の前まで来ると、店は真っ暗だった。時刻は18時を1分だけ過ぎている。平日は18時30分からと、ガラスのドアにシールが貼ってある。

店の外の、土曜日に僕が使ったテーブルには既にして、良く言えば気楽な、悪く言えば気楽すぎる服を着たオヤジが座って、店の人にもらった、しかし客に出す品とは明らかに異なるものを食べている。「この手のオヤジは、銀座あたりにも結構、いるよな」と通り過ぎ、そのオヤジとは最も離れて、しかしそのオヤジと向き合う形で席に着く。開店までの20数分は、本を読んで過ごす。

店にいきなり灯りが点る。時刻は18時30分。オネーサンが近づいてくる。ソーダと氷と牡蠣の卵とじを注文する。「ソーダと氷と」の「と」にあたるタイ語をカタカナで表記することはできない。僕の「と」も単独で発音したら、オネーサンには通じない可能性が高いだろう。

今夜の牡蠣の卵とじは、土曜日のそれより油が少なくて食べやすかった。他の料理も試してみたいものの、ひとりではどうにもならない。

金色に染めた髪を風変わりにまとめた、いや、それをまとめたと言って良いかどうかは分からないが、ツボネのようなそのオネーサンに100バーツ札3枚を手渡しつつ勘定を頼む。注文は土曜日と同じだから、代金は分かっているのだ。

釣り銭の中から20バーツ札1枚をオネーサンに戻して「用を足してくるから荷物、見ていて」と頼んで店に入る。便所の扉の前で振り向くと、オネーサンは僕のスーツケースとザックから目を離さずガラスの向こうに立っていた。

19:28 店を出る。
19:48 モーチット行きの車両がようやくトンローを発車
20:21 エアポートレールリンクの車両がパヤタイを発車。いつの間に雨が、それも豪雨が降り始めている。

21:01 スワンナプーム空港の駅から出発ロビーまはエスカレーターで上がる。「55ポーチャナー」でペットボトルに残したラオカーオを、途中で処分されないよう一気に飲み干す。”BANGYIKHAN”は、やはり美味い。
21:07 タイ航空のカウンターでチェックインを完了。
21:17 保安検査場を通過。
21:30 パスポートコントロールを通過。

21:40 僕の手持ちのカードでも使えるラウンジの前まで来たものの、肝心のカードが見あたらない。直ぐに取り出せるよう、貴重品を保管するためのポーチからズボンのポケットにでも移し替えて、空港内のどこかで紛失をしたのだろう。「本来の場所から移動させることによりモノを失くす」ということが、僕にはとても多い。

22:18 ボーディングが始まる。
22:37 飛行機にはバスで運ばれる。豪雨は幸いにも止んだ
22:48 ペットボトルの水を買い忘れて、客室乗務員に紙コップの水をもらう。それを手に持ったまま離陸はできないから、デパスとハルシオンは、その場で飲んでしまう。以降の記憶は無い。


朝飯 スクムビットsoi49のパクソイから北上してすぐ左手のセブンイレブン右側のクイティオ屋のセンレックナム“ADELPGI FORTY-NINE”の朝のブッフェのコーヒー、ヨーグルト
昼飯 トンローのsoi9とsoi11のあいだの屋台のバミーヘン(大盛り)
晩飯 「55ポーチャナー」のオースワンラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2018.6.25(月) タイ日記(5日目)

ホテルで朝食を摂る限り、お金を使うことはない。しかしホテルの朝食だけでは物足りなさを感じて、今朝は外へ出る。ホテルのあるsoi49からスクムビット通りに出て右に曲がると、数軒目に古い食堂がある。今朝はここで、汁麺を食べる。

9時30分より屋上のプールに上がる。寝椅子で本を読むうち、中国人の太ったオバチャンふたりが水着で登場する。ホテルのプールに水着で来る東洋人を、僕はこれまでほとんど目にしたことが無かった。彼女たちは、僕が見る稀少な例外である。次は西洋人とタイ人のカップルで、彼らは最初から水に入り、小さなプールを数十分も往復し続けた。そのカップルが階下に降りてから僕は一往復だけ泳ぎ、他の時間はずっと、寝椅子で本を読む。

正午がちかくなったことをiPhoneで確認し、シャワーを浴びて部屋に戻る。ここでもう一度、シャワーを浴びる。

赤バスに乗って、トンローの通りをsoi9の手前まで北上する。そして初日にも来たガオラオ屋で、今日はガオラオの普通盛りを注文する。「カーオ」とオバチャンが訊くので「マイカーオ」と答えると、オバチャンはにっこりと笑った。店を出る際にはオヤジに礼を言われた。どうやら僕の顔を覚えてくれたらしい

すぐそばの、バンコクMGに参加するたびに寄る、そして今回も先週の金曜日にかかったマッサージ屋で、いつもの2時間のコースを受ける。

15時がちかくなるころ、赤バスでトンローの駅まで戻る。そして初日にラオカーオを買った小さなスーパーマーケット「杜泰興」で、社員への土産を買う。買い物を苦手とする僕は、土産の調達には常に、小さな蛮勇を必要とする。肩の荷を降ろした気分で部屋に戻り、シャワーを浴びる。さて、ここからが忙しい。

これまでよりはすこし見ばえのするシャツを着て、トンローの駅に急ぐ。多分、15:50発と思われる赤バスに辛うじて間に合う。その赤バスを降りて、soi11の突き当たりまで歩いて行く。コモトリ君と約束した時間は16時。その16時ちょうどに「てしまSEITAI」に近づくと、コモトリ君は既に着いていて、外で待っていた。

オネーサンとオバチャンのふたりが一緒になって、僕が問診票に記入した左肩と右脚を強く揉む。右脚の内側に、腿からふくらはぎにかけて延びる筋肉を、揉むというよりはつねられひねられされている感じのときには、遠慮なく「痛い、痛い」をタイ語で言わせていただく。最後はテシマ先生が、これまた僕の体を押したり引いたりひねったりする。今日の、およそ80分間にわたる施術に効果があったなら、来年のバンコクMGのときには、初日と最終日に来ようと思う。

トンローsoi11からスクムビットsoi39までは、コモトリ君の会社のクルマで移動をする。そして夕食を摂りながら、先週の金曜日の続きのような情報交換をする。

ホテルまで送り届けてもらったときの時刻は20時28分。部屋に入って即、着ているものすべてを脱ぐ。そして洗えるものすべてを洗濯機に入れる。備えつけのSUMSONGの洗濯機は、ダイヤルには英語とタイ語の表記しか無いものの、とても使いやすい。

バスタブに張った湯にゆっくりと浸かる。バスローブに着替えてベッドに横になったのは、多分、21時をすこし過ぎたころだったと思う。


朝飯 「東明」のバミーナム“ADELPGI FORTY-NINE”の朝のブッフェのコーヒー、ヨーグルト
昼飯 エイトトンロー向かいのセブンイレブン右にある店のガオラオ
晩飯 “MY PORCH”の蛸のカルパッチョトマトとレタスのサラダコールドカット鶏のパテモッツァレラチーズとベビーリーフのサラダムール貝のバターソテー鮭とトマトのクリームスパゲティ鮭とキャベツのクリームスパゲティ“SANTA CAROLINA CHARDONNAY 2015”“JIM BEAM”(ソーダ割り)プリン


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2018.6.24(日) タイ日記(4日目)

iPhoneの時刻表示は3時41分だった。この時間まで眠れれば、僕としては上出来である。お湯を沸かして粉末のスープを飲んだり、あるいはきのうの日記を書くうち夜が明けてくる

MGの、9時の開場に遅刻をするわけにはいかないから、8時10分に部屋を出る。トンローの赤バスは、曜日や時間帯により出発が5分おきから10分おきに変わる。その赤バスをsoi7のすこし先で降りる。時間の余裕は充分にある。soi19のあたりまで歩きながら、MGについていろいろと考える

MG2日目の朝の講義は決まって、利益感度分析についてのものだ。イツジリュースケさんの、まるでインストラクターの意を汲んだような質問が、参加者の意欲の増進と理解を助ける

短い休憩を挟んで、いよいよ第4期のゲームが近づいてくる。きのうの第3期に赤字を覚悟しつつ次期繰り越しした教育チップ1枚と研究開発チップ3枚を虎の子にして、今期は凌いでいかなければならない。

その第4期の成績は、損益分岐点比率64パーセントで自己資本は327円。ここまで持ち上げれば、来期の長期借り入れが楽になる。次期繰越チップは、教育チップが1枚と研究開発チップが5枚。同卓のオーサトテツヤさんが、期末の資金ショートにより材料を売りたがっていた。その材料6個を1個あたり12円で買って、在庫を20個にする。また、アタッチメント付き小型機械を、やはり同卓のスズキタカノリさんに期首簿価の58円で売却する。

泣いても笑ってもMGではこれが最後の第5期が始まる。226円の長期借り入れをして無災害倉庫ふたつを揃えると、現金残高は161円。

親を決めるジャンケンで勝って、1手目は32円で5個の販売。
2手目は「セールスマン退職」のリスクカードでセールスマンが1人になる。
3手目で大型機械を買う。
4手目は仕掛品4個と材料6個を完成投入。
5手目はセールスマンを採用。

6手目は広告宣伝チップを購入。
7手目は「セールスマン退職」のリスクカードで、セールスマンはふたたび1人。
8手目は12円の材料4個を買う。
9手目は「研究開発成功」のリスクカードで、32円で2個の販売。

10手目は仕掛品6個と材料4個を完成投入。
11手目は、ふたたびセールスマンを採用。
12手目は「各社共通」で12円の材料3個を買う。
13手目は、32円の市場に6個と28円の市場に1個を販売。ここから広告宣伝チップが活きてくる。

43手目で第5期のゲームを終了。成績は、365円という、僕としては大きめの経常利益を上げて、損益分岐点比率は58パーセント。自己資本は504円、次期繰越在庫は10個、次期繰越戦略チップは3個で、成績はSの++

MGは、第5期が終わったときに、10個以上の在庫と3個以上の戦略チップを第6期に繰り越しつつ、且つ自己資本の高かった人が勝ちとなる。勝った人が偉いという考えはMGには無いものの、勝敗はゲームに緊張と面白さを生む。

今回の最優秀経営者賞は、九州から参加のヤマモトダイスケさんで、到達自己資本は642万バーツ。優秀経営者賞は島根県から参加のウエダヒデノリさんで、到達自己資本は529万バーツ。もうひとりの優秀経営者賞は、広島県から参加のイツジリュースケさんで、自己資本は518万バーツだった。1位のヤマモトダイスケさんの巧者ぶりはグラフを見れば明らかなように、MGでは実質的な創業年にあたる第2期から一度も赤字に陥っていない

計数力、昇り竜、自己資本、PQ区間賞の「ことがら表彰」で驚いたのは、島根県から参加したブラジル人サトールシアーノさんの計数力第1位だ。サトーさんは漢字が読めない。マトリックス決算書のどこにどの数字を入れるかは、マスの位置で覚えているという。まさに異能の人である。

計数力次点のタダジュンさんの成績は自己資本マイナス244円の大型倒産だが、これは実際の会社では試すことのできない荒唐無稽な経営を、MGを使って図上演習した結果である。学びは非常に大きなものだっただろう。

原稿用紙に2枚ほどの感想文を書き上げると時刻は17時。記念写真を撮って、急いでエレベータに乗る。

僕は夜には極端い弱い。翌日にもMGを控えた1日目の交流会に出ないのは、そのことが関係しているところもある。しかし今日の交流会には参加ができる。トンローのsoi10を東に進み、エカマイの通りに出たら南に下る。そうして気楽なタイ食堂で歓談を交わしつつ、ペットボトルに詰めて持ち込んだラオカーオをソーダで割って飲む

交流会はいまだたけなわだったものの、眠気を覚えて19時15分にいとまを告げる。来た道を戻り、トンローの通りに出て赤バスを停める。裏道に入って終点に向かうバスが、その裏道からスクムビット通りに出る直前で降りる。

酔っているせいか、ホテルのあるsoi49のパクソイを見つけることができない。スクムビット通りを往って帰ってまた戻り、ようやくホテルのドアを押す。時刻は19時51分になっていた。

きのうに続いて風呂に湯を張り、からだを休める。そして足を石鹸で丁寧に洗う。以降のことはよく覚えていない。


朝飯 “ADELPGI FORTY-NINE”の朝のブッフェの目玉焼きとサラダトースト、コーヒー
昼飯 MG会場のお弁当
晩飯 「サバーイジャイ」のソムタムとカオニャオとガイヤーンのセットコームーヤーンラープモォプーパッポンカリーパックブンファイデーントムヤムクンカオパッオースワンラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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