2018.6.4(月) マサヒデさんの黄色い本を学ぶ会
鳥取へ行っているあいだに「本物のワインで漬けた本物のワインらっきょうリュビドオル」が売り切れていた。包装係のシバタミツエさんとは先週、月曜日の午後に次のロットを瓶詰めしようと決めていた。よって昼すぎに倉庫へ行き、ビンとフタを台車に積んで、瓶詰めのための場所へと運ぶ。僕の仕事はそこまでで、後はシバタさんにお任せである。
近隣の有志を集め、稀代のデータベースソフト「マイツール」の教則本「逆引きマイツール基本コマンド編」を紐解きつつ「マイツール」への理解をより深めようとする「マサヒデさんの黄色い本を学ぶ会」は、今回で何度目になるだろう。夕刻、その会場の二宮尊徳記念館に、長男の運転するホンダフィットで行く。
今日は20時までに84ページの「61.ずれた入力データを直したい」から86ページの「63.数値と文字を分けたい」までをさらった。いつもに変わることなく今夜も「急がず休まず」の進捗である。そして7月の下旬には、この会で学んだヌマオケンタ君が、自身の活用事例を東京の学会で発表する。その日が今から楽しみでならない。
勉強のあとは、都合のつく参加者のみ街の食堂に再集合をする。そして1時間と少々の交流会を持つ。
朝飯 筑前煮、油揚げと小松菜の炊き合わせ、巻湯波の淡味炊き、炒り豆腐、納豆、らっきょうのたまり漬、芹のおひたし、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 「食堂ニジコ」の春雨サラダ、胡瓜の辛子和え、海老マヨ、皮蛋、鶏の唐揚げ、サンラーメン、麦焼酎「二階堂」(お湯割り)
2018.6.3(日) 杉の精霊
ヒロオカヨシヒロ君の歯ぎしりで目を覚ます。床の間のコンセントに繋いだiPhoneをたぐり寄せると時刻は5時13分だった。しばらくうつらうつらし、またまた歯ぎしりの音を聞くことを繰り返して6時すぎに起床する。
「林新館」を、僕はリンシンカンと読んでいた。しかし正しくは「ハヤシシンカン」だという。今回の同窓会では、参加者がこの旅館の宿泊可能者数を超えたため、一部はヨネイ君の自宅に泊まらせてもらった。その一行も加えて8時より朝食を摂る。
「林新館」は鄙には希な、良い旅館だった。建物は、林業の盛んな土地柄を映してか、華美ではないものの、質実的な木材がふんだんに用いられていた。「これだけの旅館を、これだけの人口の町を維持していくのは大変でしょう」と訊くと「元々は料理屋ですので」と、我々と同年代のあるじは教えてくれた。道理で朝食が美味かったはずだ。
その「林新館」を9時に出て、先ずは「杉神社」を訪ねる。山から滝の落ちる渓谷にあり、杉の精霊をご神体としたこの神社は、ヨネイ君の祖父である米井信次郎氏が昭和30年に建立をしたものだ。湿気に耐えるためか、杉の木をかたどったらしい鳥居も祭のための建物も、また本殿代わりのオブジェもすべて鉄筋コンクリート製で、当時、名のあった人によるデザインのモダンさには、驚くべきものがある。
それにしても、会社の利益に繋がらないこのようなものを日本がいまだ貧しかった時代に建てた熱量には、感嘆を禁じ得ない。焦土と化した都市への木材の搬出により、終戦からの10年間でかなりの財を蓄えたのだろうか。しかし鳥居の左手にある「智頭の緑化は伊達では無いぞ、千萬植えて、生き抜こう」の碑文には、いささかの浮ついたところもなく、窺えるのは未来への決意のみである。
その「杉神社」から山を下って向かったのは、千葉県から岡山県に移ってきたところで、更に智頭町の移住をヨネイ君が勧めたワタナベイタルさんのパン屋「タルマーリー」だ。ワタナベさんは忙しい中、工房の奥まで我々を案内しつつ、天然菌の採取と検査について説明をしてくれた。僕が大きめのザックを背負って家を出たのは実に、この店のパンを買って帰るためだった。しかし窯から出したてであれば、しばらくは手に提げて運ぶこととしよう。
12月の上旬から3月の末までは雪のため閉めてしまう山の料理屋「みたき園」には、10時45分に着いてしまった。我々の腹の中には、いまだ朝食が残っている。よって斜面を下りて芦津の渓谷を逍遥したり、あるいは来た道を戻ってゆっくりしたりする。移築された古民家と古民家のあいだの小径を、放し飼いの鶏が歩きまわっている。僕は混ぜごはんを2杯も食べてしまった。
飛行機の時間を計算してか、シゲマツアキラ君は、食後すぐにレンタカーで去った。ヤハタジュンイチ君は座敷で昼寝をするという。そのふたり以外はすこし離れた東屋に集まり、ここで食後のコーヒーを飲む。会計係の僕が支払いを済ませると、封筒には3万円と少々が残った。きのうヨネイ君が手当した酒類、また僕が手配したワインの金額の合計に、その3万円はほぼ等しい。絶妙の残高である。
今日は朝からセキグチヒロシ君のクルマに便乗をさせてもらった。そして取りあえずは皆で智頭駅に戻った。セキグチ君は間もなく鉄道で着く奥さんと、来週末まで旅をするという。マルヤマタロー君と奥さんは、名古屋までふたりで戻る。鳥取空港へ向かう者もいれば、2012年に亡くなった同級生クロダヒロユキ君の、お母さんを加古川に見舞う一団もいる。
僕はアリカワケンタロー君、イリヤノブオ君、カゲヤマカズノリ君と共に、13:23発の「スーパーはくと8号」に乗った。姫路からは揃って14:49発の「のぞみ132号」で東を目指すものの、席は各車両に散らばっている。よって駅構内の喫茶店での小休止を経て改札口を抜け、プラットフォームに上がったところで別れの挨拶を交わす。
700系の車両は窓の狭いところが好きだ。僕は閉所に閉じ込められた状態で、本を読みつつ移動することを好む。新幹線は、17時53分に東京駅に着いた。
朝飯 「新林館」の朝のお膳
昼飯 「みたき園」の定食其の一、其の二、其の三
晩飯 「ささや」のあれや、これや、チューハイ
2018.6.3(日) 日本でも海外でも
01:20 遠州森町P.A.で10分の休憩。外へ出て背を伸ばす。
03:50 目を覚ます。きのうの日記にも書いたように、外の様子は窺えない。iPhoneのgoogleマップによれば、バスは新名神高速道路の草津田上I.C.あたりを走っているらしい。
03:56 モテナス草津P.A.で10分間の休憩。
05:18 カーテンの隙間をすこし開く。素晴らしい天気だ。バスは神戸港を左に巻きつつゆっくりと進む。船の白い連なりの向こうに神戸タワーが見えている。
05:24 定刻より16分はやく三宮に着く。「お客様、走り出してからで結構ですので、カーテンは元にお戻しください」と、運転手が腰を低くして僕に頼む。降車する以外の乗客は、眠っているのか動かない。
06:01 定刻より14分はやく明石に着く。
06:35 定刻より15分はやく加古川に着く。
07:04 定刻より26分はやく終点の姫路に着く。
今回のバスは「3列独立のびのびシート」とのことで、ほとんど眠ったまま目的地まで運んでくれると考えていた。しかし案に相違して、バスは意外と揺れる。途中、横浜駅東口で客を拾う。高速道路では何回か休憩のために停まる。「のびのびシート」とはいえ、足は大して伸ばせない。寝るなら飛行機のエコノミー席の方がよほど楽と、今回はじめて知った。
蕎麦とかごはんとか、朝は何か日本のものが食べたい。姫路の駅前をしばらく徘徊して、しかし店を開けているのはチェーン系のドーナツ屋やハンバーガー屋ばかりだ。仕方なく駅に戻り、姫路08:36発、智頭09:42着のスーパーはくと1号の切符を買う。僕の趣味からすれば鈍行で行きたいところだが、智頭線の歴史的経緯もあって、それはできないダイヤ組みになっている。
山あいにある智頭駅のプラットフォームに降りると予想外に、暑さが押し寄せてきた。即、きのうのバスの中で着たウィンドブレーカーを脱ぎ、半袖シャツ1枚になる。
改札口を抜けて駅舎を出る。駅前左手に木造の観光協会が見える。そこで、この街随一の見ものと思われる石谷家住宅への道を含む地図をもらう。外へ出て、そこに貸し自転車のあることに気づく。中に戻って3時間分の500円を支払う。
駅に背を向けて先ずは土師川、次いで千代川を渡る。空は青く、山と田は緑、そして川の水はどこまでも澄んでいる。海外でも日本でも、首都から遠く離れた小さな町を、自転車で流して歩くことが僕は好きだ。
同級生ヨネイテツロー君の家の系図を辿ればそこに行き着くという石谷家の豪壮な屋敷に、僕は1時間ちかくもいただろうか。石谷家住宅の門前には木造の消防屯所がある。その風情に惹かれて近づくと、出入り自由の表示が出ている。僕は喜んでその戸を引き、2階に上がってむかしの地図や写真を観覧する。
昭和16年だから77年前に建てられた、木造の貴重な建物に出入り自由とは、隨分と気前が良い。「火の不始末で燃えてしまったらどうするか」とか「浮浪者が住み着いたらどうするか」と普通なら考えそうなものだが、人口1万数千人規模の町であれば、そのような心配も薄いのかも知れない。
古い商家の庭先に足を踏み入れる。奥にこぢんまりとした洋館が建っている。その「西河克己映画記念館」には、後に智頭町と合併する土師村に生まれ、大衆娯楽映画の監督として大成した西河克己の軌跡が残されている。フロントに掲示してある携帯電話を呼び出せば管理人が来るようだ。しかし折角の空間であれば、僕は一人で楽しみたい。
住む人は「何も無い」と謙遜をするけれど、この智頭町には、実はたくさんの資源がある。それを活かすも殺すも地元の人次第、地元の行政次第なのだろう。
昼時に邪魔をしてはいけないと考え、駅ちかくの喫茶店で昼食を済ます。そして観光協会に自転車を返す。借りたときから、ちょうど3時間が経とうとしている。
iPhoneのgoogleマップはヨネイ君の家を正しく示さない。よって電話を入れ、僕が歩いている道筋までクルマで迎えに来てもらう。そのクルマには、きのうから来て準備を手伝っているウエキコータ君も乗っていた。今夜はヨネイ君の家で、自由学園男子部35回生の同窓会が開かれるのだ。
ヨネイ君の自宅に着くなり僕は居間へ上がり、安楽椅子に足を延ばした。そしてヨネイ君の奥さんに冷たいお茶をもらい、それから2時間ほどは新聞を読んで過ごす。ヨネイ君とウエキ君は、午後のきつい日差しの中で、ピザ窯に火を熾している。僕は大したナマケ者である。
やがて日本のあちらこちらから鉄道で、飛行機とレンタカーで、あるいは自家用車で、同級生たちが続々と集まってくる。僕は持参した一覧表とつき合わせつつ、各自より参加費を徴収する。その金額は酒を飲むか飲まないか、またヨネイ君宅泊か旅館泊かにより異なるため、集金作業はなかなかにややこしい。
同窓会は最後のふたり、つまりアケミツシ君とヤハタジュンイチ君が到着した17時から始まった。ヨネイ君はこの日のために、20人が着けるテーブルを作り、頭上にはストリングライトを吊ってくれた。料理は、今月の23日に「ローカルダイニング・山のブラン」を開業する若い夫婦がヨネイ君の家まで出張をして、整えてくれている。ワインは僕が手配した赤と白、ビールは「タルマーリー」の生である。
夕食は、有志の弾く楽器の音と共に和やかに進む。庭は牛臥山を背にして濃い緑の中にある。しかし中国地方の日は長く、19時30分を過ぎても暗くはならない。
気づくと時刻は22時30分。僕は首を後ろにがっくりと折って眠っていた。無理せず旅館に引き上げるよう誰かが言う。それもそうだと立ち上がり、居間に上がってザックを背負う。そしてふたたび靴を履き、今夜の宿「新林館」を徒歩で目指す。
朝飯 「えきそば姫路駅店」の天ぷら蕎麦とおむすびのセット
昼飯 「樹里」のパチパチナポリタン
晩飯 「ローカルダイニング・山のブラン」のあるじによる其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、他あれこれ。ヨネイ君の奥さんによるピザマルゲリータ、チリ産のスパークリングワイン、同2種の赤ワイン、「タルマーリー」の生ビール、ヨネイ君の家のシングルモルトウィスキー(生)
2018.6.1(金) 持つべきか持たざるべきか
今夜は東京駅の近くからバスに乗る。帰ってくるのは明後日だ。荷物はできるだけ減らしたい。最も重いのはコンピュータ。それを今回は持参しないことを決める。
コンピュータを持たなければ日記は書けない。しかし日記の更新が滞ることはできるだけ避けたい。この日記は、ここしばらくは一昨日のものをサーバに上げている。今朝は3時30分に目の覚めたことを奇貨として、先ずは途中まで書けていた水曜日の日記を完成させてサーバに上げる。続いてきのうの日記も完成させ、しかしこれはそのまま保存をしておく。
その、きのうの日記は15時20分にサーバに上げた。今日、明日、あさっての日記については、行く先々で付ける覚え書き、撮る画像、そして記憶に頼って週明けから書き始めることになるだろう。
下今市16:05発の上り特急スペーシアに乗る。浅草から新橋までは銀座線で移動をし、すこしの用を足す。機関車広場には人が溢れている。その人の群れをかき分けつつ知った店へと急ぐ。最初の一杯を飲み終える前に店は満席になった。
1時間きざみの料金を設定しているサウナ風呂で体を洗い、歯を磨く。安楽椅子で休むうち、1時間はまたたく間に過ぎる。新橋から有楽町に移動をし、東京駅へ向かってガード下の左側を歩く。丸ノ内鍛冶橋駐車場はすぐに見つかった。
姫路行きの”JX201″は、定刻に2分おくれて21時32分に発車した。僕の席は左側の最前列。窓はすべてカーテンで覆われ、また運転席の背後にもカーテンが降りているため、外の様子はまったく窺えない。天井の蛍光灯は21時45分に予備灯、つまり深夜用のそれへと切り替わった。
朝飯 切り昆布の炒り煮、油揚げと小松菜の炊き合わせ、巻湯波の淡味炊き、筑前煮、納豆、芹のおひたし、トマトの甘露漬け、メシ、揚げ湯波とブロッコリーの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「三政」のあれや、これや、チューハイ
2018.5.31(木) あらまほしき姿
銀座8丁目の「鮨よしき」であるとき「ウメツという若い人を知っているか」と店主のニシヅカヨシキさんに訊かれた。その「ウメツという若い人」は、自由学園で3年後輩のウメツマサノリ君の長男のことと想像がついた。ニシヅカさんはウメツ君と、酒販店の内覧会で知り合ったという。
そのような縁から後日、僕はウメツ君と、結婚したばかりの奥さんを「鮨よしき」に呼び出し、一夕、食事会をした。
「子供が生まれたので見せに行きたい」と、そのウメツ君から連絡をもらったのは、2週間ほど前のことだった。僕は自分と周囲の日程を摺り合わせて、今日の日を指定させていただいた。
ウメツ君は奥さんのハナさんと赤ん坊を連れて、約束の正午に来た。酒蔵に生まれたウメツ君は、先ず片山酒店を見学したらしく、店主のカタヤマさんが3人をクルマで送ってきてくれた。有り難い。
ウメツ君のお父さんは後輩とはいえ、僕の同級生ヨネイテツロー君を通じてMGという研修を僕に知らしめてくれた恩人である。ウメツ君はここ数年のあいだ、仕込みの時期は埼玉県の酒蔵に泊まり込んで働き、夏は中央区の酒販店に勤めることを繰り返してきた。そして来年はいよいよ鳥取県の実家に帰って家業を継ぐという。ものを作り、商売をする家に生まれた者の、あらまほしき姿と僕は思う。
朝飯 野菜スープ、トースト、生のトマト、ベーコンエッグ、コーヒー
昼飯 ほうれん草のおひたし、油揚げと小松菜の炊き合わせ、刺身湯波、筑前煮、巻湯波とキヌサヤ炊き合わせ、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、「なめこのたまりだき」のフワトロ玉子、「日光味噌梅太郎赤味噌」に漬けた牛肉のオーブン焼き、メシ、豆腐と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁、トマトの甘露漬け、イチゴとキウィ
晩飯 “TIO PEPE”、トマトとキウィのサラダ、胡瓜とマカロニと生ハムのサラダ、人参の細切りサラダ、茹でたブロッコリーとピクルスを添えたメンチカツ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、“evodia”、焼き菓子
2018.5.30(水) ふたつの仮定
クルマで遠出をすることはしない。それは、公共交通機関を利用した方が費用が安い、本を読むのも寝るのも自由、行った先で飲酒をしても帰ってこられるなどの理由による。しかし今日は、家内の父母の、形見分けの食器を家内の実家からもらってくる、そのような用件のため、朝、家内を案内役としてホンダフィットの運転席に着く。
06:44 日光市今市の自宅を出発
07:48 東北道蓮田P.A.で小休止
08:28 iPhoneの地図に案内をされるまま、首都高速道路の大泉I.C.ちかくまで来る。右手には「関越道 新潟」の案内が何度も出る。
「関越道から鎌倉の方に行く高速に乗り換えられるのかな」
「でも新潟に行っちゃまずいでしょ」
との会話を家内と交わす。iPhoneの音声は、先ほどから沈黙をしたままだ。よって大泉I.C.から一般道に降りる。
「高井戸から首都高に入り直した方がいいんじゃない」
「そうだな」
と、高井戸I.C.に向かって走っていくと「新宿」の表示が見える。
「逆方向じゃん」
「第三京浜って、首都高と繋がってるんだっけ」
「いや、むかしは環八から乗ったな」
「だったらこのまま環八で行こうか」
と、我々の会話はしごく心許ない。僕と家内の頭の中にある東京の地図は、35年前のままである。
09:35 環状八号線から第三京浜道路に乗る。
09:52 横浜新道に入る。
10:03 横浜横須賀道路を港南台I.C.で降りる。
小高い丘の斜面に家々が建ち、その丘と丘とのあいだに狭く屈曲した、そして起伏に富んだ道が網の目のように通じる「いかにも神奈川県の南東部」という感じの景色の中にホンダフィットを進める。
10:32 家内の実家着
正午に予約をした昼食を終えると15時がちかかった。買い物をしながら16時に家内の実家に戻る。午前に続いて食器を緩衝材で包み、段ボールの箱に収める仕事は家内と義姉に任せ、僕は離れた部屋のソファに横になる。
06:02 家内の自宅を出発。国道一号線から圏央道に入る。
ワイパーを最速で動かさなくては視界が確保できないほどの雨が降っている。たくさんの4トントラックが”tail to nose”の状態で、時速120キロで走っている。首都圏の高速道路に乗るたび「大事故の起きねぇ方が不思議だよなぁ」と感じる。
初めて走る圏央道は、行けども行けども、僕の感覚からすれば、東京から西に遠く外れたところを走らされる。一体いつになったら東北道に乗れるのか。もうひとつ、圏央道にはパーキングエリアがほとんど無い。夜、雨、トラックの集団という三重苦の中を、緊張を保ちつつ走り続けて、しかし休むことができない
19:33 狭山P.A.で小休止。鎌倉から90分も走り続けて「いまだ狭山」である。
20:08 久喜白岡JCT.からようやく東北道に乗る。出発前に義姉の淹れてくれた緑茶のお陰か、今朝の起床は3時台だったにもかかわらず、眠気は一切、感じない。
鹿沼I.C.を過ぎようとしているところでいきなり「補給して下さい」のオレンジ色の表示が速度計の中央に出る。燃料は先週の中ごろ満杯にした。今朝、家を出たときの距離計は、それから94キロのところを示していた。燃料を補給しなくても帰ってこられると今朝は踏んでいたものの、今日はかなりの距離を既にこなしている。
「燃料して下さい」の表示は、燃料の残りが5リットルになったところで出ると仮定する。ハイブリッドのホンダフィットは、時速80キロから100キロを保つ限り、1リットルのガソリンで15キロは走れると仮定する。このふたつの、誰に保証してもらったものでもない仮定により、このまま走り続けることを決める。日光宇都宮道路に入ってからは更に慎重を期し、時速は75キロ、エンジンは毎分1,500回転ほどに抑えて進む。「紫電改のタカ」に、おなじような場面がなかったか。
21:29 自宅に無事、帰着をする。
往路の所要時間は3時間48分、復路のそれは3時間27分だった。4階に戻り、先ずは仏壇の前に正座をする。そして線香は上げず、リンのみ鳴らして手を合わせる。
朝飯 5個のおむすび、焼き海苔
昼飯 「虹」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、ごはん、そのごはんに載せるための雲丹、ごはんをお茶漬けにするときの具あれこれ、デザート、キリン 零ICHI
晩飯 “Bergfeld”のミートパイ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2018.5.29(火) 契約の変更
iPhoneによるデータ通信の速度が先週の土曜日から極端に落ちた。使い過ぎによる速度制限だろうか。僕はiPhoneを、ほとんどデザリングにしか使わない。現在の契約は月に20GBだ。今後はこれを、ひとつ上の30GBに変更する必要があるかも知れない。
契約の変更はウェブ上からもできる。しかし通信量を上げることにより嵩む課金を、できれば他の部分を削ることで相殺したい。となれば、ドコモショップに出かけて係に相談をした方が話は早いだろう。月末に1週間ちかくも続く速度制限は、できれば避けたい。
それはさておき、その通信速度の低下により、この4日間ほどは、日記を秀丸で書いている。そしてその文字を、事務室へ降りてから”WordPress”に貼りつけるのだ。砂漠の真ん中で日記をつけている気分である。
ドコモショップへはいつ行けるだろうかと、カレンダーを見る。今日、明日、あさってと日付を目で追って、今月中は無理と悟る。そしてまた、6月は30日あるうちの9日間は海外にいて、その間の通信はホテルのwifiに頼るから、パケットを使いすぎることはないだろう。よって契約の変更は、再来月に繰り延べることとする。
朝飯 切り昆布の炒り煮、炒り豆腐、納豆、ほうれん草のおひたし、温泉卵、セロリと2種のピーマンのピクルス、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とキヌサヤの味噌汁
昼飯 孫の遠足のおかずを流用した弁当
晩飯 筑前煮、刺身湯波、人参とブロッコリーのソテー、牛肉のたまり漬け焼き、セロリと2種のピーマンのピクルス、胡麻焼酎「紅乙女」(ソーダ割り)、豆腐と揚げ湯波とトマトとベビーリーフの味噌汁
2018.5.28(月) ニヒルに笑う
3本のズボンがクローゼットのハンガーに掛かっている。そのうちの2本は秋冬春の三季用で、おなじ製造元のおなじ型のもの、色も紺色と共通しているけれど、生地だけが異なっている。残る1本は夏用で、色はやはり紺色である。この3本を今朝は近所のクリーニング屋、否、客とクリーニング屋の橋渡しをしてくれる窓口に持参する。
夏用の1本は何年も使ったもので、いまだ傷んではいないものの、今や穿く気はしない。その紺色のズボンと同じ型で、もう1本、白に近い色のものも持っている。しかしそちらの方も、もう穿く気はしない。先日、使いやすい夏用のズボンを新たに手に入れたからだ。
ところで、もう使うことのない紺色のズボンを、なぜ捨てずにクリーニングに出すか。それは、人に譲るためである。
南の国へ旅するときには時々、不要の衣類を持参する。その中には時として、新品が含まれることもある。新品とは、何かの大会の参加賞としてもらったものとか、今はなきオフクロが慈善のための即売会でまとめて買ったものなどだ。そういう衣類をホテルを去る朝に「すべて清潔です。どうぞお使いください」と書いたメモと共に部屋に置いてくるのだ。
この話をすると「しかし南の国も、いまやそれほど貧しくはない。新品を含むとはいえ、メイドさんは、それらをゴミとして捨てているのではないか」と長男は言う。そのたび僕は「だったら笑うよな」と、ニヒルな笑みを顔に浮かべるのだ。
朝飯 冷や奴、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、キヌサヤの卵とじ、納豆、炒り豆腐、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 切り昆布の炒り煮、ほうれん草と海苔のおひたし、ポテトサラダ、ハムカツ、胡麻焼酎「紅乙女」(ソーダ割り)
2018.5.27(日) 絞り出す時間
店は、土曜日は平日の2倍、日曜日は3倍、忙しい。にもかかわらず、今日は販売に当たる人員が少ない。そのため、お客様の数が多くなるたび、事務室から店へと移動をして、販売係の手伝いをする。「にもかかわらず」ついでに言えば、今日は家の者が僕しかいない。重なるときは重なるものである。
各町内の自治会長、神社総代、神社世話人を集めて月に1度の割合で開かれる「当番町を考える会」の、今月の会場は大谷向町の公民館だ。大谷向町は多分、ウチからは最も遠い町内ではあるけれど、大谷川の河川敷にあるという駐車場の場所を僕は知らない。よって自転車で会津西街道を北上する。14時45分の川風は、とても爽やかだ。
「当番町を考える会」の会議は大抵、1時間ほどで終わる。それが今日は30分で完了した。10分ほどペダルを漕いで会社に戻ると、駐車場には満杯のクルマが入っていた。取り急ぎ、白いシャツとネクタイを仕事着に着替えることなく帽子と名札のみ着けて店に入る。そして3台あるキャッシュレジスターに釣り銭を補給する。
ウチは売り場にお客様がいらっしゃる限り、定時になっても店は閉めない。今日の閉店はいつもよりすこし遅れた。キャッシュレジスターをひとりで締めようとする僕に「手伝いましょうか」と販売係のタカハシリツコさんが声をかけてくれたものの、ひとりでできる旨を伝えて帰ってもらう。疲れた頭と体はなるべく早く休めるべきだ。
キャッシュレジスターの精算仕事のうち、明日の釣り銭を入れる部分は明朝にまわし、店を施錠して4階の食堂に戻る。僅々15分を絞り出したのは、ひと息つく時間が欲しかったからだ。
ストリチナヤは小さなシェイカーに入れて、冷凍庫で冷やしておいた。それを氷で満たしたグラスに注ぎ、ソーダで割る。Amy-Winehouseの”Hidden Treasures”をBOSEのCDプレイヤーに差し込み、11曲目の”Body and soul with Tony Bennett”へと先送りをする。10曲目の”Best frends,right?”までは、朝のうちに聴いていたのだ。そして18時50分にテーブルを離れ、7月の八坂祭について話し合うため、春日町1丁目の公民館へと向かう。
朝飯 炒り豆腐、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、レタスを添えたハムエッグ、ごぼうのたまり漬、鮭の親子漬け、納豆、メシ、揚げ湯波とキヌサヤの味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 朝のおかずを流用した酒肴、”Old Parr”(ソーダ割り)
2018.5.26(土) 切符の購入
2012年にはバンコクとウボンラチャタニーを往復、2016年にはバンコクからスンガイコーロク、2017年にはバンコクからデンチャイ、そしてこの3月にはバンコクからフアヒンまで鉄道で、それも2017年を除いては2等寝台車または3等車で移動をしたことからして、僕はいわゆる「乗り鉄」である可能性が高い。
しかし興味の範囲は乗ることに限定をされ、モハやキハが何を表す記号かなどは皆目わからず、またトンネルから出てくるディーゼル機関車を雪の山中から超望遠レンズで狙うような趣味も無い。
普段、遠くへ行くときには東武日光線の下今市駅が起点になる。JRの切符は、近距離のそれを除いては、窓口に駅員、それも「ヲタク」水準の人が少なくなってからは特に、買うことが億劫になった。
そうはいっても来月の3日には、鳥取県の智頭から家まで帰ってこなくてはならない。重い腰を上げてJR今市駅へおもむき、乗り換え案内の方式で経路を選べる自動券売機の前に立つ。
自動券売機は、家を出る前に調べてきた運賃より1,400円たかい金額を示している。僕の後ろで順番を待つ人はいなかったものの、いったん取消ボタンを押してベンチに下がる。そしてiPhoneでおなじ経路を調べてみると、こちらは自動券売機とおなじ運賃を示す。
いま一度、自動券売機へと向かう。そしてようやく、示されている運賃には座席指定が含まれていることに気づく。よって今度は躊躇することなく確認ボタンにタッチをする。
朝食 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、炒り豆腐、キャベツのおひたし、ほうれん草の胡麻和え、スペイン風目玉焼き、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とキャベツの味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の冷やし中華
晩飯 キャベツとベーコンの味噌汁、スパゲティサラダ、鶏肉の「日光味噌の辛ひしお」焼き、胡麻焼酎「紅乙女」(ソーダ割り)、“Chez Akabane”のクリームホーン、”Old Parr”(生)








































