2018.5.15(火) 東京MG(2日目)
きのうとおなじく、大井町東口のスターバックスに入る。きのうは本を読んだ。今日は13日の日記を完成させてサーバに上げる。
MGの2日目の朝は、ニシジュンイチロー先生による利益感度分析の講義のはずが、今日はすこし違った方向のお話になる。そしていよいよ第4期のゲームが始まる。きのうの自己資本の急落により、僕の借り入れ可能枠は無くなった。生き残りをかけて、地味な会社で地味な商売を続けるも、自己資本は▲16円。あえなく倒産である。
お情けの特別融資を得て、第5期もそのまま細々と経営を続ける。その、大した製造能力もない会社に、いきなり社員が増えたりするのも、また一興である。困窮をしているところに更に、本社人件費と本社経費の増加が追い打ちをかけるのだ。そして自己資本を僅々1円のみ戻して第5期を終える。
今回の最優秀経営者賞は、千代田区から参加のマトモトタケシさんが第5期到達自己資本609円で、優秀経営者賞は港区から参加のウメダマサヤさんが同582円で、またもうひとつの優秀経営者賞は、兵庫県尼崎市から参加のザコカツヒロさんが同531円で、それぞれ獲得をした。
最後の講義を受け、原稿用紙2枚分ほどの感想文を提出する。そうして外へ出ると、青い空の下で気温は高く、空気はとても乾いていた。大井町で乗った京浜東北線を御徒町で降りて飲酒活動をする。MGの後にひとり飲みは欠かせない。そして今度は日比谷線に乗り換え、北千住を経由して21時前に家に戻る。
朝飯 「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦、ライス
昼飯 MG会場で支給の弁当
晩飯 「ま~ちゃん」のあれや、これや、それや。チューハイ
2018.5.14(月) 東京MG(1日目)
下今市07:03発の上り特急スペーシアに乗り、9時21分に大井町に着く。東京MGの会場は駅前の「きゅりあん」だ。時間に余裕があるため、いつの間にか東口にできていたスターバックスでコーヒーを飲む。
サラリーマンが休日を使って自費で勉強ができるようにと、MGは当初、週末に開かれていた。それが平日にも開催をされるようになったのは、1990年代の中ごろと記憶する。
昨年、自分のMGの履歴を調べていて、総本山ともいうべき東京のそれに5年ものあいだ参加していなかったことに気づいて驚いた。そして早速、8月の平日MGにおもむいた。驚きついでと言ってはなんだけれど、参加者中に知った顔は数えるほどしかいかなった。自分は浦島太郎になってしまったのだろうか。
5階の会場には、ひとつの市場を形成するテーブルが9卓も並べられていた。参加者は53名。1990年代の平日MGは、せいぜい3卓から4卓ほどの規模ではなかったか。大した盛況ぶりである。席に着き、会場を眺めてみると、ニシジュンイチロー先生、ヨシエ先生、事務局のカワナベコージンさんを除いて既知の顔は4名のみ。何十年もの経験を持つ人たちの多くは僕と同じく、地方で、あるいは海外で、それぞれの場所で地方でMGを続けているのだろう。
10:00 第1期はルール説明。この説明は講義の側面も持つ。
14:30 第2期終了。
16:50 第3期終了。
第3期末の会社盤には、材料、仕掛品、商品の合計が11個、ワーカー1人にセールスマンは2人。教育チップ1枚、研究開発チップ3枚、宣伝広告チップ1枚がある。この陣容で損益分岐点比率236パーセントという、とてつもない赤字を出してしまうところが、僕という人間の特殊性である。固定費が売上総利益はおろか売上高をも超えるとは、尋常ひととおりの会社ではない。自己資本は朝の300円から22円へと、一気に落ちた。
MGの1日目の夜は、明日の午前中に控えた第4期の経営計画を立てる。経営計画の立案と聞けば何やら物々しいが、MGのそれはニシ先生のお人柄もあって、それほど肩の凝るものではない。
20時から21時までは、ロの字型に並べ替えたテーブルに参加者の3分の2ほどが残り、交流会が催される。この時間に得られるものは少なくない。そして片づけの後は皆とエレベータで1階に降り、駅へと向かう。
朝飯 独活の炒り煮、らっきょうのたまり漬「浅太郎」、炒り豆腐、トマトのスクランブルドエッグ、エノキダケの酢の物、山椒の佃煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、たけのこごはん、豆腐とトマトと万能葱の味噌汁
昼飯 MG会場で支給の弁当
晩飯 MG会場で支給の弁当
2018.5.13(日) 大いに不思議
「パリで通行人1人死亡”テロの可能性”検察が捜査」のテロップが朝のテレビに現れる。日常が一瞬にして暗転してしまった被害者には同情を禁じ得ない。
フランスにおけるテロリズムとして記憶に新しいのが、2016年にニースで起きた大規模なそれだ。イスラムの過激派と目される男が人混みに大型のトラックを乗り入れ、それを2キロちかくもジグザグに走らせた結果、死者は86名に上った。
タイの深南部は不幸な歴史を持つ地域で、イスラムの不満分子によるテロリズムが止まない。日本国の外務省が「レベル3」の渡航禁止勧告を出しているそこに、僕は2016年2月に旅した。ナラティワートの、イスラムパンを売る屋台で声をかけてきたイスラム僧に誘われるまま宿坊におもむき、コーヒーとタバコをご馳走になりつつ会話を交わしたひとときは、今も楽しい思い出として残っている。
タイの深南部には確かに、不特定多数を標的とした爆破や銃撃が散発している。しかし無辜の市民が1度に86名も殺されるような暴力は発生していない。
つまりフランスは、タイの深南部にくらべればよほど危ない。ところが外務省の「海外安全ホームページ」を調べてみれば、ヨーロッパの全域には「レベル1」の注意勧告すら出ていない。大いに不思議である。
このことを外務省の職員に質せば、どのような答えが返るだろう。「お互い子供じゃないんだから、不毛な言葉遊びは止めましょうや」と、嫌な顔をされるだけかも知れない。
朝飯 山椒の佃煮を添えた若竹煮、納豆、グリーンピースの卵とじ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、生のトマト、ポテトサラダ、らっきょうのたまり漬「浅太郎」、メシ、トマトと揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 空豆の網焼き、4種の刺身、エノキダケの酢の物、炒り豆腐、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)
2018.5.12(土) 好きなおかず
好きなおかずの随一は、揚げ茄子におろし生姜を添え、酢と醤油をかけたものだ。そしてそれとおなじくらい好きなのが、ピーマンの肉詰めである。
僕が自由学園の男子最高学部にいたときには、確か、4年のあいだに最低1回は、三重県海山町にある演習林で働くことが義務づけられていた。当時、学園から支給される交通費は鈍行のそれのみで、しかし東京から尾鷲まで鈍行では気が遠くなる。最初の夏休みに自腹で名古屋まで新幹線に乗り、僅々2分でローカル線に乗り換えられたときには達成感に包まれた。
山小屋に着いて数日後に夕食の当番が回ってきた。僕はピーマンの肉詰めを作ることとして、上級生の運転するトラックで林道を下り、地元のスーパーマーケットで材料を調達した。
さて、下味を付けた挽き肉をピーマンに詰め終えたところで僕は、鍋に満杯の、あらかじめ熱しておいた油にそれを次々と投入していった。僕は、調理に先立ちレシピを調べることはしない。すべて自己流である。山小屋の住人たちの前には、異常なほど油を含んだピーマンの肉詰めもどきが並んだ。
その「もどき」を口に入れた瞬間、僕は「これはちょっと違うな」と自らの失敗に気づいたけれど、そのまま黙って食べ続けた。そしてまた、その場にいた十数名からも、批判めいた言葉は一切、出なかった。炎天下の労働は厳しく、我々は腹を空かせていた。「もどき」でも充分に美味かった。
今夜のおかずがピーマンの肉詰めと知らされて、僕は嬉しかった。そしてその「もどき」ではないおかずを肴にして古い赤ワインを飲む。
朝飯 ほうれん草と人参のおひたし、牛蒡と人参とこんにゃくのきんぴら、納豆、五目おから、山椒の佃煮を添えた若竹煮、らっきょうのたまり漬「浅太郎」、生のトマト、メシ、浅蜊と小松菜の味噌汁
昼飯 梅干し、山椒の佃煮、ごぼうのたまり漬、松前漬けによるお茶漬け
晩飯 ポテトサラダ、“TIO PEPE”、ピーマンの肉詰め、“GEVREY CHAMBERTINE 1er CRU AUX COMBOTTES DOMAINE DUJAC 1985”、カステラ、”Old Parr”(生)
2018.5.11(金) 長めの散歩
おととい日光の山々には雪が降ったと聞いた。聞いただけで見ていないのは、それらの山々が雲に覆われていたからだ。今朝、北西に面した窓を開けると、なるほど男体山の広くて深いルンゼには大量の、また他の山々の頂上ちかくにも、すぐには融けそうもない雪がはりついている。それに対して今日の東京は25度まで気温が上がるという。暑ければなおのこと、荷物は少なくしたい。朝食の前に事務室へ降り、GREGORYのテールランナーに最小限のもののみ入れる。
今日は港区の奥まったあたりへ行く。下今市07:45発に乗ると、表参道に着くのは09:54になるから、約束の10時には間に合わない。よって始発の07:03発に乗り、南青山では散歩をしながら時間を調整する。
サイフには、長男とふたりで鮨が食えるほどの現金が納められている。しかし夕刻まで続くと僕だけが勝手に想像していた商談は13時に完了した。即、千代田線で北千住まで戻り、14:42発の下り特急に乗って16時過ぎに帰社する。
朝飯 4種のおむすび、らっきょうのたまり漬「浅太郎」、揚げ湯波と小松菜の味噌汁
昼飯 「ポポラマーマ」のペペロンチーノ
晩飯 牛蒡と人参のきんぴら、ほうれん草と人参のおひたし、トマトとレタスとマカロニのサラダ、若竹煮、和風ハンバーグステーキ、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)、南瓜のプリン、”Old Parr”(生)
2018.5.10(木) 絶妙の時差
定時に出勤する販売係は、今日はタカハシリツコさんひとり。しかも今朝のタカハシさんは、試食を整える番にも当たっている。家内は所用にて留守。よって9時からの出勤組が来るまでは、僕が店に立たなければならない。とすれば、普段、僕が9時までに行っている仕事はできない。そう考えていたところ、嫁のモモ君が店に来てくれたので助かった。
明日は東武日光線の始発の特急で東京へ行く。銀行関係の諸々は、木曜日である今日のうちに済ませておかなければならない。
銀行から戻ってきたところにいきなり、数十万円の領収書を持って集金に来る人がいる。商売をしている人ではないから「連絡もせず申し訳ございません、お忙しければ出直して参ります」という考えは無い。この人が小切手を嫌うことは前から知っている。仕方なく事務室内の現金をかき集めて支払いをする。このことにより、行って帰ってきたばかりの銀行に、ふたたび行く必要性が発生する。
「手前共のお客様が明日の午後、御社に行かれますので、ご対応をお願いいたします」との電話をきのういただいた。「手前共のお客様が…」とおっしゃる方に「午後とは、何時ごろでいらっしゃいましょうか」などとはお訊きできない。昼食を15分で済ませ、正午より事務室で待機をする。
午後にはまた、僕が業者にその置き場所を指定する必要のある、大きな荷物が届くことになっている。午後にいらっしゃるというお客様と僕が商談をしている最中にその荷物が届いたらどうするか。長男は用事があって昼すぎに出かけてしまった。よって簡単な見取り図を書き、それを嫁のモモ君に手渡し説明をしておく。
お客様は14時すこし過ぎにいらっしゃった。そして僕の提案に満足をしてくださり、少なくない数の商品をご予約くださった。大きな荷物をトラックに載せた業者は14時35分に来た。絶妙の時差である。そして以降は夕刻まで通常の業務に当たる。
朝飯 生玉子、牛肉と玉葱の煮つけ、炒り豆腐、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと揚げ湯波と大根の葉の味噌汁
昼飯 カレーライス、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬
晩飯 トマトとマカロニのサラダ、ナルコユリのソテーを添えた鶏の網焼き「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」と赤ワインのソース、パン、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、アップルパイ、タルトタタン、”Old Parr”(生)
2018.5.9(水) マサヒデさんの黄色い本に学ぶ会
「阪納誠一メモリアル走行会」の報せが、その事務局から封書で届いた。昨年末は12月30日の開催で、この日は限定40セットでお作りする「日光の美味七選」の出荷日だったから、ツインリンクもてぎにはさすがに行けなかった。今回の日程は6月の第3日曜日で、参加は不可能ではない。
しかし6月は、2日から3日が鳥取の同級生ヨネイテツロー君宅での同窓会、7日から11日まではハノイ、21日から26日まではバンコクと、ひと月のあいだに3回も週末を留守にする。その上、更に残る週末にサーキット、というわけにはいかないだろう。よって事務局には言い訳めいた断りの返信を、これまた封書にて投函する。
ひと月に1回ほどの頻度で近隣の有志を集め、稀代のデータベースソフト「マイツール」の習得を目指す「マサヒデさんの黄色い本に学ぶ会」の、前回には用事があって出席できなかった。今回は18時前に、会場の二宮尊徳記念館に入る。そして長男を講師として、78ページの「55.ページの桁数を表に合わせたい」から83ページの「60.データの一部修正をしたい」までをさらう。
朝飯 4種のおむすび、らっきょうのたまり漬、豆腐と揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 “Parrot”のチキンカントリー、“evodia 2015”
2018.5.8(火) 画像待ち

ここしばらく、この日記は二日遅れで更新をしている。朝のうちにその日の日記が書けてしまったり、あるいは今日のうちに明日の日記まで書けてしまうこともあるけれど、それでも例外を除いては、「公開」ボタンをクリックするのは一昨日の日記と決めている。
ところがきのうはその決まりを守れなかった。文字は書けていても、ヘッダの画像が決まらなかったからだ。その、店で売るおむすびについての5日の日記には苦し紛れに家庭用精米器の画像を用いることとして、今朝はようようその写真を撮る。
この連休中には寒い日と暑い日が混在をしていた。素肌に半袖シャツ1枚で仕事をした日には、仕事用のウィンドブレーカーは洗濯屋に出してしまおうと考えていた。しかし今朝は、半袖シャツに長袖のTシャツを重ね、更にそのウィンドブレーカーを着なくては外へ出る気がしない。一本調子とはいかない、今どきの気候である。
18時に閉店をし、キャッシュレジスターを締めると18時25分。4階の食堂に戻り、焼酎のお湯割りを飲む。町内の青年会の総会に出席をすべく、19時に公民館へ出向く。「青年会」とはいえ、青年会長を除けば他はほとんど60代の面々である。
総会は、大切な案件に目処の付いたところで酒が温められ、シバザキトシカズ大膳委員長の用意した刺身により、飲みながらの話し合いとなった。僕は夜には極端に弱い。いつの間にか寝入り、22時ちかくに目を覚ます。
家に帰ると、フライパンにスパゲティナポリタンが残してあった。よってそれを家内に温めてもらい、ドライシェリーをグラスに注ぐ。
朝飯 茄子とピーマンのソテー、納豆、炒り豆腐、生のトマト、胡瓜の塩もみのたまり漬「刻みザクザクしょうが」和え、ごぼうのたまり漬、豚と筍の豆豉炒め、メシ、若布と万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 スパゲティナポリタン、”TIO PEPE”
2018.5.7(月) むかしの人
次男と西武池袋線の椎名町で待ち合わせる。というか、僕が椎名町に着く時間をLINEで知らせると、次男も池袋から同じ列車に乗る旨の返信が届いた。そうして何の齟齬も無く同駅のプラットフォームで次男と落ち合う。
「ケータイとか無くて、むかしの人って、どうやって待ち合わせ、してたんですか」と、大人に訊いた若い人がいたという。生まれたときから携帯電話を知る世代には、昭和も大正も明治も、大して変わらない時代と認識をされているかも知れない。
所用を済ませ、次男と池袋を経て大塚に至る。目指すおむすび屋の前まで来ると、そこには20人ほどの行列があった。「おむすびなら回転も速いだろう」と、その最後尾に着くも、列はなかなか縮まらない。かといって、今日のお昼はここで食べると決めていたから、今さら転進もできない。おむすびにありつけたのは、70分ちかくも後のことだった。
午後の中ごろより雨になる。やがて風も強くなる。傘では上半身しか守れない。下半身には小さな雨滴が容赦なく吹きつける。それほど歩かずに済む店で小酌をなし、早めに帰宅をする。
朝飯 目玉焼き、胡瓜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、炒り豆腐、山椒の佃煮を添えた若竹煮、生のトマト、ごぼうのたまり漬、たけのこごはん、若布と三つ葉の味噌汁
昼飯 「ぼんご」の牛筋のおむすび、豆腐の味噌汁
晩飯 「シンスケ」のあれこれ、2種の「両関」(冷や)
2018.5.6(日) 組
「とんとんとんからりんと隣組」の時代に作られたものかどうかは知らないが、町内には「組」というものがある。「組」は、いくつかの「組」が集まった「地区」の委員長から「組長」宅に届けられる回覧板を各戸に回すことを通常の業務とする他、冠婚葬祭においても結束してそれを互助する。
ウチは春日町1丁目の「5組」に属している。僕が家に戻った1982年には9軒で構成をされていた5組は、現在は7軒になっている。その組内に今週は不幸があった。僕のオフクロが亡くなった2014年10月以来のことと思われる。
日光市の農村部においては、この「組」が土葬のための穴を掘ることまですると聞いたことがある。しかし今はどうだろう。我が5組内の葬儀がそれぞれの自宅ではなく、葬儀場で執り行われるようになってから20年は経つように思う。今回は、参列者にお茶を出す仕事さえ葬儀場が代行してくれるから組内の手伝いは無用とのことだった。
ホンダフィットはあらかじめ店の駐車場の北側に移しておいた。そこが組内の集合場所とされたからだ。そして17時15分に6軒の代表が集まり、2台のクルマに分乗して葬儀場へと向かう。
朝飯 納豆、山椒の佃煮を添えた若竹煮、豆腐の卵とじ、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、生のトマト、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と万能葱の味噌汁
昼飯 きのうの夜のスープを流用したラーメン
晩飯 「さがみ典礼」の通夜膳、家に帰ってからのトマトサラダ、皮蛋豆腐、豚と筍の豆豉炒め、”Old Parr”(ソーダ割り)







































