2018.2.24(土) 敢闘、殊勲、計数
iPhoneでブラウジングをする際の速度が極端に落ちた。今月21日からのことだ。先月は、下旬の何日からかは忘れたけれど、やはり通信速度がめっきり落ちた。それ以前にこの症状が出たことは一切、無い。iPhoneによる通信量を、今年に入ってから一気に増やした覚えもない。どうにも謎である。
ところで、この通信制限を受けているらしいiPhoneとLet’s noteをデザリングさせ、Let’s noteでブラウジングをすると、速度の低下は否めないものの、しかしこのウェブログを更新するなどの作業に支障を来すほど遅くならないのは有り難い。
それでも速度制限らしい現在の状況については、一度docomoショップへ行って訊いてみよう。必要とあれば、通信の容量を上げなくてはならない。
終業後は、様々な業務によりすこし遅れてしまったものの、1月17日から18日にかけて行われた日光MGの打ち上げを4階の応接間で開く。
社内的な表彰では、第5期の入札で誤った価格を口に出すコールミスさえなければ、あるいは優秀経営者賞を獲っていたか、というところまで自己資本を伸ばした製造係タカハシアキヒコ君に敢闘賞が、経験の浅さをものともせず、自己資本を社内で2位まで伸ばした事務係ツブクユキさんに殊勲賞が、また第2期から第5期までの決算速度を、全参加者40名中の平均2.75位に保った包装係ヤマダカオリさんに計数賞が与えられた。
次の日光MGは9月に開かれる。それまでの日常に、社員と共にMGを活かしていきたい。
朝飯 秋刀魚の梅煮、納豆、トマトのスクランブルドエッグ、小松菜のおひたし、茹でたブロッコリー、ひじきと梅干のふりかけ、大根の麹漬け、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 エノキダケと三つ葉の酢の物、厚揚げ豆腐と小松菜の炊き合わせ、独活のきんぴら、厚焼き玉子、鮎の昆布巻き、包装係アオキマチコさん差し入れの鶏の唐揚げ、里芋と肉団子の揚げ浸し、鯵の干物、牛肉のたまり漬焼き、おむすび、ごぼうのたまり漬、日本酒あれこれ(冷や)、イチゴ
2018.2.23(金) 仕事が絡まないかぎり
きのうの夜、家内は何度もカーテンをずらしては、暗闇に目を凝らしていた。雪を心配してのことだ。「積もるほどではない」と天気予報のオジサンだかオネーサンが言っていたから、僕はそれを信用して、椅子から腰を浮かせることもしなかった。
朝が来ると、家内はきのうとおなじくカーテンをずらして「ほら、やっぱり」と独りごちた。僕は別の窓からやはり外を見て、しかし「このくらいなら、ひと掻きで済みそうだ」と、何かを気にすることはしない。
朝食を早めに済ませ、いつもより1時間ちかく早く事務室に降りる。店の前の雪は、既にして長男により掻かれていた。僕はホンダフィットの屋根や窓に積もった雪を箒で落とし、エンジンをかけて前後の窓を温める。
ホンダフィットの窓の雪は、すぐに融けた。東京での商品撮影に臨む家内と長男をそのクルマに乗せ、東武日光線の下今市駅まで送る。
仕事が絡まないかぎり、雪は嫌いではない。旅先での雪は、大好きである。
朝飯 5種のおむすび、トマトと万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「ユタの店」のピータン、焼き餃子、生ハムとチーズとほうれん草の揚げ春巻き、焼酎「鏡月GREEN」(お湯割り)
2018.2.22(木) 床を磨く
住まいの、2013年の秋から年末にかけて行われたリフォームを終えて、もっとも嬉しかったことは、間取りが合理的になり、目に入るほとんどすべてのものが新しくなったことではない。不要の物の一掃されたことが一番、嬉しかった。そして2014年の秋にオフクロが亡くなると、オヤジとオフクロが何十年ものあいだに溜め込んだほとんどの物も捨てることができた。そうして与えられた居心地の良い環境を、僕はできるだけ維持しなければならない。
きのうの夜のおかずは牡蠣フライだった。今朝、そのフライを揚げたレンジを見ると、綺麗に掃除がしてあった。しかし床についてはどうだろう。念のため、レンジのまわり3平方メートルほどにアルコールを噴霧し、柔らかい紙で床を磨く。
オヤジは生前、自分が生活している場所を「巨大なゴミ溜め」と言っていた。そういう世界に後戻りをしたくなければ、日々の「増やさないこと」と「減らすこと」は欠かせない。そして小まめな埃はらいと拭き掃除、である。
朝飯 小松菜のおひたし、ひじきと梅干のふりかけ、秋刀魚の梅煮、グリーンピースの卵とじ、生のトマト、納豆、大根の麹漬け、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、なめこと万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 “rubis d’or”、“TIO PEPE”、トマトと玉葱とパセリのサラダ、牛タンのポトフ、パン、チーズ、”Petit Chablis Billaud Simon 2015″、イチゴとケーキの盛り合わせ、”Old Parr”(生)
2018.2.21(水) 初会議
「2/21(水) 昼食12:00 神社13:30」と記したポストイットが事務机の電子計算機に貼ってある。このクリーム色の紙はきのう、左手のカレンダーから否が応でも目に付くところに移したものだ。
すべての社員が昼の休憩から職場に戻る13時30分以降に、僕は昼食を摂ることにしている。しかし今日は、サンドイッチとホットミルクによるそれを、12時より事務室でそそくさと済ませる。
「それでは皆さん、13:30に神社集合ということで、よろしくお願いいたします」と、12時47分に町内役員のグループラインに流す。しかし「既読」の表示される速度ははかばかしくない。「みんな、大丈夫か」という不安が頭をもたげる。
総鎮守瀧尾神社の今年度の行事について、日光市今市地区旧市街すべての町内の自治会長、神社総代、神社世話人に、当番町の自治会長が諮る「初会議」は14時からの予定だ。昨年まで僕は、神社の催しには責任役員として、定刻の15分前には社務所に着いているよう心がけていた。しかし今年度は当番町の一員として、神社には定刻の30分前に集まることが、町内で決められている。
“JAPAN BLUE JEANS”の紺色のパンツを穿き、白いシャツにオレンジと緑の縞のネクタイを締める。その上に”HOFFER”の青いチロリアンジャケットを重ね、”MAMMUT”の黒い帽子をかぶる。そして首にはむかしオフクロがエアフランスの客室乗務員にもらった赤いブランケットを巻いて外へ出る。脱ぎ履きの際に手間取らないよう、靴は”MERRELL”のジャングルモックである。
13時27分、神社の参道では、頭のユザワツネオさんが分厚い羽毛服を着て下足番を務めていた。社務所へ上がると、会議のための机や座布団が、既にしてきれいに並べられていた。役員の男はほとんどスーツを着ている。接待のための婦人会はおそろいの作務衣姿で、いつ声をかけられても動けるよう、座敷で待機をしている。僕だけが、まるで遊びに行くような恰好をしている。町内役員のグループラインに「既読」が付きづらかったのは、多分その時間から、みな忙しく立ち働いていたからに違いない。
初会議は、多生はギクシャクするところもあったものの、まぁまぁ無事に完了した。次は今月25日の春季小祭である。その春季小祭へ向けての話し合い、および今日の反省のための飲み会が急遽、今夜18時30分から催されることになる。しかし僕は、そこに参加をするための挙手はしなかった。
帰社すると、先週の火曜日から日本橋タカシマヤに出張をしていた家内と長男が戻っていた。彼らの、取りあえずの残務整理が完了したところで彼らの報告を聞き、また彼らが留守のあいだに書き留めた覚え書きに基づいて、彼らに種々の相談をしながら夜に至る。
朝飯 秋刀魚の梅煮、大根の麹漬け、納豆、生玉子、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、なめこと万能葱の味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、ホットミルク
晩飯 牡蠣の酒蒸し、ポテトサラダと刻みキャベツを添えた牡蠣フライ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、ケーキ、“Old Parr”(生)
2018.2.20(火) 良い酒とは
そのテレビドラマの原作者は花登筺だったと思う。 たまたま目にしただけだから、出演者は浪花千栄子、夢路いとし、喜味こいしの3人しか覚えていない。浪花千栄子は酒蔵の主人、そして夢路いとし、喜味こいしはその蔵の社員だった。
あるとき主人役の浪花千栄子が「良い酒とは、どのような酒か」と、先ずはしっかりした方の社員である喜味こいしに訊く。「それはコクです」と、こいしは断言する。浪花千栄子は今度は、すこし頼りない社員である夢路いとしにおなじ質問をする。いとしは「馬鹿なことを訊くものだ」という顔をしながら「良い酒とはすなわち美味い酒に決まっている」と、呆れつつ答える。
この場面だけを覚えているテレビドラマを検索エンジンで調べてみると、それはどうやら1971年から翌年にかけてNHKで放映をされた「あまくちからくち」というものらしい。
もし「良い酒とは、どのような酒か」と訊かれたら「飲む人の気分を良くする酒」と、僕なら答えるかも知れない。
朝飯 切り昆布の炒り煮、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、秋刀魚の梅煮、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、大根の麹漬け、メシ、なめこと三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「食堂ニジコ」の酒肴あれや、これや、それや、他あれこれ。5種の日本酒(冷や)
2018.2.19(月) この時期に特有の気分
朝、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場を拭き清め、検品をしたときには、在庫は充分と思われた。ところが13時20分の電話により「らっきょうのたまり漬」が少なくなっていると報される。よってその配達と共に昼食を済ませてから戻る旨を事務係に伝え、外へ出る。
「日光街道ニコニコ本陣」バックヤードの冷蔵庫に「らっきょうのたまり漬」を納め、ふと立ち止まる。空腹感は、それほどでもない。よってウチの売り場から10メートルほどのところにある金谷ホテルベーカリーでパンふたつを買って帰社する。昼食を少々の汁麺に変えて以降、胃袋が小さくなっているのかも知れない。
「買い溜めた食材の一部は日曜日に枯渇する」と分かった数日前から「月曜日の夜は外食かなぁ」と、考えていた。しかし17時に閉店してすべての社員を送り出すと、もうどこへも行く気はしない。この時期に特有の気分である。
「一体、朝の食膳にのぼせて、あったかいご飯でたべておいしいものは、同時に、酒のさかなにしてもいいものが多い」という池田弥三郎のことばは痛いほど分かっている。よって4階へと戻り、今朝のおかずと同じものにて焼酎のお湯割りを飲む。
朝飯 切り昆布の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、しもつかり、秋刀魚の梅煮、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、油揚げとトマトと三つ葉の味噌汁
昼飯 「金谷ベーカリー」の2種のパン、コーヒー
晩飯 切り昆布の炒り煮、松前漬け、しもつかり、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、大根の麹漬け、トマトと赤蕪と牛肉のスープ、「紅乙女酒造」の胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)
2018.2.18(日) 予備の鍵
新橋の桜田小学校は、検索エンジンによれば平成3年3月に廃校になったという。僕は子供の誕生年すら元号では覚えられない。「平成3年 西暦」とふたたび検索エンジンに入れてみる。するとその年は西暦で1991年と知れた。そこで「隨分と前から廃校になっていたんだなぁ」と感慨を新たにする。
桜田小学校の宿直室に泊めてもらったのは、1983年のことだったと思う。1982年に知り合った人が当時、この学校の夜警をしていた関係で泊めてもらえたのだ。深夜にはその人につき合って、校内の見まわりもした。自分の客を宿直室に泊めるなどは、就業規則違反に違いない。しかし当時の我々は若かった。また社会も、今ほどはせちがらくなかったに違いない。
なぜこのようなことを書いたかといえば、僕は今、学校の夜警とおなじくらい人口密度の低いところで寝起きをしているからだ。それは、家内と長男が日本橋タカシマヤに出張をし、嫁と孫は嫁の実家に帰っていることによる。
会社に出入りするための扉の鍵は僕しか持っていない。急病や頓死など、その扉を解錠できない事情が僕に発生した場合、社員は会社に入れない。店も開けられない。と、ここまで考えて、明日からは予備の鍵を社員に預けることとする。
朝飯 秋刀魚の梅煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、切り昆布の炒り煮、しもつかり、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、油揚げと三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 蒸し牡蠣、パン、牡蠣のポタージュ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2018.2.17(土) 初会議へ向けて
事務机の左手には今月のカレンダーが提げてある。予定はそのカレンダーに直に書き込むが、特に忘れてならないことは、ポストイットに書いて貼る。そして今日のそこには「10:00神社、15:00ミヤタ駅」の文字がある。
今朝蔵出しの「らっきょうのたまり漬」が事務室に届けられたのは9時40分だった。それをホンダフィットに載せ、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の冷蔵庫に収める。その足で今度は瀧尾神社へと向かう。
総鎮守瀧尾神社の祭礼一切を仕切る当番町を、今年度は我が春日町1丁目が務める。自治会長、神社総代、神社世話人の三役をはじめ、総務、祭典委員長、当番町会計、大膳は特に大役である。
本日は21日の初会議、また25日の春季小祭に向けて、町内10名の面々が社務所に参集し、タナカノリフミ宮司を囲んで多くの質疑応答を交わした。不明の点は細かいところまで詰め、不安はすべて、塗りつぶしておかなくてはならない。打合せは100分に及んだ。
15時をすこし過ぎたところで販売係のミヤタマユミさんが事務室に顔を出す。そのミヤタさんをホンダフィットの助手席に乗せ、東武日光線の下今市駅まで送る。日本橋タカシマヤで14日から始まった「老舗名店味紀行」の、彼女は後半部分に出張をするのだ。
そうして15時25分に事務室に戻り「10:00神社、15:00ミヤタ駅」と書いたポストイットをカレンダーから外す。
朝飯 切り昆布の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、しもつかり、秋刀魚の梅煮、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 「金長」のメンチカツランチ
晩飯 オイルサーディンのオーブン焼き、”TIO PEPE”、パン、牛肉とクリームのポタージュ、“GEVREY CHAMBERTINE DOMAINE DUJAC 1985”
2018.2.16(金) 明るい空き家
町内の空き家に布団を持ち込み、昼から惰眠をむさぼる。窓から差し込む日の光によりその布団はいつまでも暖かく、これ以上の心地の良さがあるだろうかと、僕は恍惚としている。
ふと目を開け、布団から頭を出したのは、人の気配を感じたからだ。男が玄関に立っている。男は僕の寝る布団と玄関のあいだの空間を凝視しながら驚愕の表情を浮かべている。そこではじめて、この家には僕よりも先に来て、僕よりも先に寝ていた老人のいたことを知る。
先ほど自分は、その老人に気づかないまま布団を玄関から運び入れた。しかしそれほど広くもない部屋で、そんな馬鹿なことがあるものだろうか、と思った瞬間に目が覚める。
家の窓はすべて開かれている。空は晴れて、太陽の光は眩しいばかりだ。その様子を僕は外に立って眺めている。居心地のよさそうな家を空き家にしている持ち主が、いつの間にか横に立っている。そして、ここに住めない事情が自分たちにはあるのだと、その家に視線を向けたまま僕に語りはじめる。
ここまできたところで、いまだ夢から覚めていないことに気づく。気づきながら、いまだ夢を見つづけている。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、しもつかり、秋刀魚の梅煮、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、豆腐とトマトとピーマンの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 ハムと大根とトマトと塩豆のサラダ、パン、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、3種のキノコと牛蒡のポタージュ、”TIO PEPE”
2018.2.15(木) 格子の修理
朝、事務室にいるとイナバ塗装の社長が来て、前々から気になっていた隠居の木の格子について、大工の手配ができたと言う。ここで「じゃぁ、適当にやっておいてください」と任せるのは無責任だ。よって毛糸の帽子をかぶり、ジャンパーを着て現場へと向かう。
春日町の交差点から日光宇都宮道路の今市インターチェンジまでのバイパス工事が始まったのは、1970年代がなかばに近づきつつあったころのことだ。そのバイパスにより、ウチの敷地は細長く削られた。隠居の木の塀もそのときに失われ、以降は工事用の鉄パイプと鉄板が塀の代わりになっていた。
この、鉄パイプと鉄板によるにわか作りの壁が見苦しいと諸方から言われ続け、鉄筋コンクリートによる現在の塀を作ることをオヤジが遂に決めたのは、1990年代の後半だったように思う。とすれば、その塀の一部にはめ込まれた木の格子も20年ほどが経つわけで、一部が腐り落ちるのもやむを得ないだろう。
そういう次第にて、すぐに見積もりを出すよう、現場にいた親子らしいふたりの大工さんに頼む。
朝飯 秋刀魚の梅煮、しもつかり、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、切り昆布の炒り煮、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、豆腐と揚げ湯波と白菜の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 ジャガイモとトマトとオイルサーディンとベーコンのパン粉焼き、パン、“CHARMES CHAMBERTIN DOMAINE DUJAC 1985”








































