2018.5.8(火) 画像待ち

ここしばらく、この日記は二日遅れで更新をしている。朝のうちにその日の日記が書けてしまったり、あるいは今日のうちに明日の日記まで書けてしまうこともあるけれど、それでも例外を除いては、「公開」ボタンをクリックするのは一昨日の日記と決めている。
ところがきのうはその決まりを守れなかった。文字は書けていても、ヘッダの画像が決まらなかったからだ。その、店で売るおむすびについての5日の日記には苦し紛れに家庭用精米器の画像を用いることとして、今朝はようようその写真を撮る。
この連休中には寒い日と暑い日が混在をしていた。素肌に半袖シャツ1枚で仕事をした日には、仕事用のウィンドブレーカーは洗濯屋に出してしまおうと考えていた。しかし今朝は、半袖シャツに長袖のTシャツを重ね、更にそのウィンドブレーカーを着なくては外へ出る気がしない。一本調子とはいかない、今どきの気候である。
18時に閉店をし、キャッシュレジスターを締めると18時25分。4階の食堂に戻り、焼酎のお湯割りを飲む。町内の青年会の総会に出席をすべく、19時に公民館へ出向く。「青年会」とはいえ、青年会長を除けば他はほとんど60代の面々である。
総会は、大切な案件に目処の付いたところで酒が温められ、シバザキトシカズ大膳委員長の用意した刺身により、飲みながらの話し合いとなった。僕は夜には極端に弱い。いつの間にか寝入り、22時ちかくに目を覚ます。
家に帰ると、フライパンにスパゲティナポリタンが残してあった。よってそれを家内に温めてもらい、ドライシェリーをグラスに注ぐ。
朝飯 茄子とピーマンのソテー、納豆、炒り豆腐、生のトマト、胡瓜の塩もみのたまり漬「刻みザクザクしょうが」和え、ごぼうのたまり漬、豚と筍の豆豉炒め、メシ、若布と万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 スパゲティナポリタン、”TIO PEPE”
2018.5.7(月) むかしの人
次男と西武池袋線の椎名町で待ち合わせる。というか、僕が椎名町に着く時間をLINEで知らせると、次男も池袋から同じ列車に乗る旨の返信が届いた。そうして何の齟齬も無く同駅のプラットフォームで次男と落ち合う。
「ケータイとか無くて、むかしの人って、どうやって待ち合わせ、してたんですか」と、大人に訊いた若い人がいたという。生まれたときから携帯電話を知る世代には、昭和も大正も明治も、大して変わらない時代と認識をされているかも知れない。
所用を済ませ、次男と池袋を経て大塚に至る。目指すおむすび屋の前まで来ると、そこには20人ほどの行列があった。「おむすびなら回転も速いだろう」と、その最後尾に着くも、列はなかなか縮まらない。かといって、今日のお昼はここで食べると決めていたから、今さら転進もできない。おむすびにありつけたのは、70分ちかくも後のことだった。
午後の中ごろより雨になる。やがて風も強くなる。傘では上半身しか守れない。下半身には小さな雨滴が容赦なく吹きつける。それほど歩かずに済む店で小酌をなし、早めに帰宅をする。
朝飯 目玉焼き、胡瓜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、炒り豆腐、山椒の佃煮を添えた若竹煮、生のトマト、ごぼうのたまり漬、たけのこごはん、若布と三つ葉の味噌汁
昼飯 「ぼんご」の牛筋のおむすび、豆腐の味噌汁
晩飯 「シンスケ」のあれこれ、2種の「両関」(冷や)
2018.5.6(日) 組
「とんとんとんからりんと隣組」の時代に作られたものかどうかは知らないが、町内には「組」というものがある。「組」は、いくつかの「組」が集まった「地区」の委員長から「組長」宅に届けられる回覧板を各戸に回すことを通常の業務とする他、冠婚葬祭においても結束してそれを互助する。
ウチは春日町1丁目の「5組」に属している。僕が家に戻った1982年には9軒で構成をされていた5組は、現在は7軒になっている。その組内に今週は不幸があった。僕のオフクロが亡くなった2014年10月以来のことと思われる。
日光市の農村部においては、この「組」が土葬のための穴を掘ることまですると聞いたことがある。しかし今はどうだろう。我が5組内の葬儀がそれぞれの自宅ではなく、葬儀場で執り行われるようになってから20年は経つように思う。今回は、参列者にお茶を出す仕事さえ葬儀場が代行してくれるから組内の手伝いは無用とのことだった。
ホンダフィットはあらかじめ店の駐車場の北側に移しておいた。そこが組内の集合場所とされたからだ。そして17時15分に6軒の代表が集まり、2台のクルマに分乗して葬儀場へと向かう。
朝飯 納豆、山椒の佃煮を添えた若竹煮、豆腐の卵とじ、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、生のトマト、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と万能葱の味噌汁
昼飯 きのうの夜のスープを流用したラーメン
晩飯 「さがみ典礼」の通夜膳、家に帰ってからのトマトサラダ、皮蛋豆腐、豚と筍の豆豉炒め、”Old Parr”(ソーダ割り)
2018.5.5(土) おむすび
4階の食堂で氷水を飲み、事務室に降りると、奥の研究開発室で、家内は既にして今日の分のおむすびを作り終えていた。店のいつもの場所には専用の台が、これまた既にして運ばれていた。よってお盆に並べられたおむすびをその台まで運び、それを売り始める。時刻は10時30分だった。
おむすびは11時58分に売り切れた。混み合った店内を避け、外を回って事務室経由で専用台を片付けようとする。と、それに気づいた長男が「え、もう売り切れちゃったの」と、コンピュータのディスプレイから顔を上げて「明日は150個だな」と続けた。
スーパーマーケットで試食販売をしているオバサンとは異なって、僕の営業能力は、ほぼゼロである。たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」を混ぜ込んだおむすびが昼を前にして売り切れたのは、ひとえに「じゃぁ、ひとつもらおうか」とか「えーっと、みんなの分だから4個」などと声をかけてくださったお客様のお陰である。
事務の椅子でひと息をつき、iPhoneを取り出しニュースを見る。東北道の上りでは、加須I.C.付近に39キロの渋滞が発生しているという。そしてまた渋滞は、明日は緩和される見込みともあった。連休の最終日に「150個」は到底、無理だろう。
朝飯 ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、カキ菜のおひたし、山椒の佃煮を添えた若竹煮、生のトマト、ベーコンエッグ、納豆、らっきょうのたまり漬、メシ、豆腐と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 ホットドッグ、紅茶
晩飯 人参と白花豆と小松菜とソーセージのスープ、鶏モツのソテーバルサミコかけ、ジャコとフェンネルのスパゲティ、パン、“TIO PEPE”、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2018.5.4(金) 準備を怠るのは
店内ではきのうから、たまり漬を使ったおむすびを販売してる。きのうのそれは、ごぼうのたまり漬を細かく刻み、ごはんに混ぜ込んだものだった。今日の中身は「おばあちゃんのホロホロふりかけ」である。
11時すこし前に専用の台を店に運び、そこでおむすびを売り始める。お客様の数は、きのうよりよほど多い。
しばらくするうち、白人の中年のカップルが店に入ってきた。そして僕の姿を認め、男の方がiPhoneを差し出した。ディスプレイには日光東照宮の俯瞰図があった。よって彼らと共に外へ出て目の前の日光街道を指し、当該の場所は、この道を左に8キロ行った先であることを教えると、彼らは驚いて顔を見合わせた。
東南アジアや南アジアの安宿では、掛け布団を用意しない例が少なくない。よって僕は、非常に薄い寝袋を携帯しながらバックパッキングをしていた。あれはヴァラナシでのことだっただろうか、掛け布団を貸して欲しい、いやそんなものはないと、フロントで問答をしていた白人がいた。諦めて部屋へ引き上げようとするその後ろ姿を見遣りながら「準備を怠るのはフランス人の悪い癖だ」と、おなじくその場にいたバックパッカーは嘆息をした。東照宮の場所を訊ねた今日のカップルが、どこの国から来た人かは知らない。
いきなり強い雨が降り始める。時刻は11時50分。その雨は間もなく雹を伴い始めた。雷鳴も聞こえる。8キロと聞けばまさか徒歩で東照宮を目指したとも思われないが、先ほどの白人のことが気にかかる。バスでは日光の手前で渋滞に阻まれ、東照宮にはなかなかたどり着けないだろう。タクシーでも同じことだ。
それはさておき、この驟雨と雹はいつまで続くのか。それを知るため店を離れて4階に上がる。そして西側の窓を開けてみれば、雲に陽光を阻まれた街は暗いものの、西の山は晴れている。
雨は間もなく上がった。そして以降は夕刻まで穏やかな天気が続く。
朝飯 じゃこ、納豆、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、山椒の佃煮を添えた若竹煮、生のトマトと茹でたブロッコリー、「なめこのたまりだき」のフワトロ玉子、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 グリーンアスパラガスとエリンギのソテー、パン、鶏肉と玉葱と人参のスープ、イチゴの杏仁豆腐、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2018.5.3(木) 黄金週間
ゴールデンウィークを利用して海外などに遊んでいる旅行者の中には、この連休ができるだけ長く続くことを、あるいはいつまでも終わらないことを望んでいる人が多くいることと思う。そのゴールデンウィークに仕事をしている僕も、同じく、この連休ができるだけ長く続くことを、あるいはいつまでも終わらないことを望んでいる。
ウチの商品は、栃木県内では日光市今市中心街の道の駅「日光街道ニコニコ本陣」およびJR宇都宮駅ビル「パセオ」2階の「みやげん」に、その一部を置かせていただいている。「みやげん」まではウチから30キロの距離があるから、頻繁に顔を出すことはできない。しかし「日光街道ニコニコ本陣」には、自転車を使えば数分で行ける。よってお客様の多い日には、会社とのあいだを何度でも往復しつつ、商品を補充できる
午後、その道の駅から「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」の残りが少なくなったと電話が入る。しかしこれについては、本日ようやくビン詰めまでこぎ着けたところで、即刻の納品は難しい。明日の開店前には必ず棚を埋めることを約束して電話を切る。「朝露」は、売れて売れて仕方がないから在庫が切れるのではない、大変に申し訳のないことながら、そもそも量産の利く品ではないのだ。明朝の納品を、楽しみに思う。
朝飯 ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、茹でたブロッコリーを添えたスペイン風目玉焼き、納豆、ごぼうのたまり漬、じゃこ、山椒の佃煮、メシ、豆腐と豚肉と椎茸と豆苗の味噌汁
昼飯 天丼、らっきょうのたまり漬
晩飯 ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、冷やしトマト、お多福豆、キムチ鍋、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)
2018.5.2(水) 変なSIM
「HIS海外モバイルサ―ビス開始」の覚え書きが、日程管理の5月1日のところに保存してあった。何ヶ月か前にウェブ上のどこかでこの報せに触れ「これは良さそうだ」と、記録に残したのだろう。よってその「HIS海外モバイルサ―ビス開始」の文字をコピーし、検索エンジンに入れてみた。そして現れたページを読んで行く。しかし何が何だか分からない。僕は、コンピュータや携帯電話にはからきし弱いのだ。
ところが世の中には僕とは逆に、コンピュータや携帯電話については、説明書など読まなくても、それがまるでDNAのどこかに組み込まれてでもいるように、お茶の子さいさいでどうにかしてしまう人が珍しくない。
そういう人を伴って飛行機に乗れば、この「HIS海外モバイルサ―ビス」を、僕も簡単に享受することができるだろう。問題は「そういう人」を海外に連れて行くための経費が、”HIS”の新しいサービスにより節約される通信料の100倍にもなってしまうところだ。残念と言わざるを得ない。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、温泉卵、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、生のトマト、ごぼうのたまり漬、山椒の佃煮、メシ、揚げ湯波と豆苗とトマトの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 胡瓜とトマトとレタスのサラダ、たまり漬「青森県田子町産のにんにくです。」と野菜のソテーを添えたビーフステーキ、“GEVREY CHAMBERTINE 1er CRU AUX COMBOTTES DOMAINE DUJAC 1985”
2018.5.1(火) 炎天の花に水を足す
墓参りは僕の場合、故人のためではなく、自分の満足のためにしている。墓参りには様々な作法や流儀がある。それらの個々には「その通り」と思えれば従う。「どうでもいいじゃねぇか」と感じれば従わない。
あるとき、あるお墓に集団で参った。僕はその集団を代表して、束になった線香に火を点けた。当然のことながら線香は炎を発し、その炎はなかなか消えない。それを鎮めようとして息を吹きかけると「それはいけない」と、集団のひとりに注意をされた。まったくうるさい船頭だ。そんなことは分かっている。しかし手で扇いだくらいで収まる炎ではない。結局のところ、その炎は僕のカーディガンを焦がし、カーディガンには穴が開いた。
「献仏不假香多」という張り紙を先日、麻布の禅寺で目にした。「仏は香の多さを求めない。見た目や形にはこだわらず、心を込めることこそ大切」という意味らしい。心を込めることは難しい。しかし「だったら線香はひとり1本で充分じゃねぇか」と納得することはできた。そして、これからは束になった線香に火を点けることは止めようと決めた。
「お墓に供えた花は、枯れて汚くなる前に片づけるべき。それができないなら、たとえ上げたばかりの花でも、お墓から去るときに下げて構わない」と、これは先日ある人から聞いた。「なるほど」と思った。しかし上げたばかりの瑞々しい花を、その10分後、20分後にゴミ置き場に移すのも勿体ない。
このところ晴れて暑い日が続いている。ウチのお墓は幸い、家から自転車で5分のところにある。よって先月28日に供えた花には、きのうも今日も、その花立てに水を足している。黄色い菊は、いまだ数日は保つだろう。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ほうれん草の玉子焼き、生のトマト、らっきょうのたまり漬、じゃこ、山椒の佃煮、メシ、揚げ湯波と大根の葉とトマトの味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 「三彩」のあれこれ、生ビール、3種の日本酒(冷や)
2018.4.30(月) 意味の無いことは分かっている
胸の痛み、とはいえ良心の呵責を意味するものではない、今月19日の夜に、自転車にまたがったまま右側に転んだ、そのときどこかに打ちつけた胸の状態についてである。
2日を経ても痛みは去らない。普段は意識することもしないから気づかないでいたけれど、鼻をかむには先ず息を大きく吸い込む、それが胸の痛みによりできない。咳払いも胸の痛みによりできず、くしゃみを催せば、その直後に襲い来る痛みに怯えてどうにか誤魔化そうとするうち鼻孔の違和感はいよいよ漸進し、却ってより大きなくしゃみが出て、その直後は思わず胸を押さえて前かがみになるなどを繰り返した。
このことにより、21日にオカムラ外科を訪ねた。診察の結果、医師は胸に簡便なギプスを巻くことを僕に命じた。
うんざりするような傷みは転倒から7日を経て「すこし楽になったかも知れない」と感じるところまで回復をした。8日目には、ほんの少しではあるけれど、更に楽になった。そして9日目を迎えると、痛みはほぼまったく意識に上らなくなった。
今年の冬に社員と雪かきをしていて、数十年も履いて底のすり減った長靴が滑ったのだろう、歩道と車道のあいだで背中から転んだ。この転倒も先日の自転車での転倒も、振り返ってみれば、地面に手をつくでもなく、被害を最小限に留めるべく体を反転させるでもなく、まるで全面降伏をするように、為す術も無く地面に落ちた。その姿を客観的に眺めてみれば、まさに老人そのものである。
「これからは気をつけよう」などと心に決めても意味の無いことは分かっている。転ぼうとして転ぶ人はいないのだ。オフクロは2013年の10月に東京大学の構内で転倒し、それが直接の原因ではなかったものの、2014年の10月に亡くなった。それを他山の石としようとしても意味の無いことは分かっている。転ぼうとして転ぶ人はいないのだ。
朝飯 納豆、生のトマト、茹でたブロッコリー、らっきょうのたまり漬、ほうれん草のソテーを添えたベーコンエッグ、山椒の佃煮、千枚漬け、メシ、豆腐とトマトと大根の葉の味噌汁
昼飯 朝のおかずを流用した弁当
晩飯 若布スープ、春雨サラダ、葱餅、肉饅頭、油淋鶏、“TIO PEPE”、白酒
2018.4.29(日) 第三回清楽亭寄席
目を覚まし、枕の下のiPhoneを取り出し見ると、時刻は4時30分だった。即、起床して食堂に出る。いつもなら、ここで仏壇に上げるための生花とお茶を整えるところだ。しかし今朝はそのまま1階に降り、事務室にて白衣と帽子とマスクを身につける。そして奥の研究開発室に入り、味噌汁の出汁を引く。今日の「清楽亭寄席」のための出汁である。
4階の食堂に戻ると食器棚の電波時計は4時58分を指していた。秋の日は釣瓶落としというけれど、時間とは、いつ、どこにあっても、大抵は素早く過ぎていくものだ。
コンピュータを起動して、ほとんど完成していた一昨日の日記に少々の手直しを加えて「公開」ボタンをクリックする。途中までしか書けていないきのうの日記は取りあえず脇へ置き、今日の日記のここまでを書く。
母屋と隠居のあいだはおよそ100メートルほどのものだが、出汁の寸胴鍋や17世紀のものと思われる木製の銭函など重いものは、手間を省き安全を考えて、朝のうちにホンダフィットで運んでおく。10時に改めて隠居へ行くと、長男は庭に水を撒いていた。
噺家の滝川鯉白、太神楽の鏡味よし乃が到着したところで「上澤」の印半纏を着る。以降は、次々といらっしゃるお客様を名簿と照合し、木戸銭をいただく。
受付以外の僕の仕事は味噌汁作りだ。落語をお聴きになり、あるいは太神楽をご覧になるお客様の雰囲気を背中に感じつつ、台所で鍋に向かう。そうしていよいよ中入りになると、家内が握ったおむすびに「らっきょうのたまり漬」を添えたお盆に、出来たての味噌汁のお椀を載せることを繰り返す。
清楽亭寄席は昼席と午後席のふた席だから、中入りも2回ある。昼席にしたことを午後席でも繰り返し、何とか味噌汁づくりを乗り切る。お客様がお帰りになる際には、下足番も務める。お客様の晴れ晴れとしたお顔が、何よりの、自分への栄養剤である。
事務室に戻ると17時が近かった。木戸銭を集計して店のキャッシュレジスターに入れる。定時を過ぎてもお客様は途切れず、いつもより遅れて店を閉める。黄金週間は、いまだ始まったばかりだ。
18時35分に食堂に戻る。19時からは町内の公民館で役員会議が開かれる。のんびりしているひまは無いものの「ちょっと待ってくれ」とばかりにドライシェリーのソーダ割りを飲む。そして町内会計の、2017年度の仮決算書10部を小脇に抱えて外へ出る。
朝飯 生のトマト、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、冷や奴の「なめこのたまりだき」かけ、油揚げの網焼き、茹でたブロッコリー、らっきょうのたまり漬、じゃこ、メシ、椎茸とカキ菜の味噌汁
昼飯 たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」のおむすび、「清楽亭寄席」の中入りにお客様にお出しした揚げ湯波とズッキーニの味噌汁の、揚げ湯波だけが残った最後のところ
晩飯 カスレ、トマトとカキ菜のスパゲティ、”TIO PEPE”







































