2025.5.13(火) タイ日記(2日目)
目を覚まして枕頭のiPhoneを引き寄せる。時刻は4時19分。きのう寝に就いたのは多分、19時30分のころ。とすれば、僕としては随分と長く眠ったものだ。深夜便での寝不足をからだが取り戻そうとしたのだろう。
南の国に来て違和感を覚える第一は、夜の明ける時間について。日本では、夏が近づくに連れて、日の出は早くなっていく。しかし地球を赤道に向かって降りていくと徐々に、日の出の時間に季節の差はなくなっていく。日中は汗が滂沱の暑さにもかかわらず、つまり気温は日本の夏と同じにもかかわらず、夜明けはそれほど早くない。そのことに、いつも戸惑うのだ。
14階の朝食会場からの眺めは良い。しかし天気は優れない。食後はひとつ上の階の屋上に上り、現在は使ことのできないスイミングプールを目で確かめる。エレベータの中の張り紙によれば、工事期間は5月4日から27日まで。工事の内容はビニールライニングとハシゴの交換とあった。プールの改装工事は、今年3月28日の大地震を経験しての「できるだけ早いうちに万全を期しておこう」との考えによるものかも知れない。
プールのある屋上から11階の部屋に降りて、きのうの日記を書き継ぐ。
「タイに来ています」というような、途中経過を欠いた日記には残念な気持ちが募る。自分の旅の日記を読み返してもっとも面白いのは、移動日のそれだ。よってきのうの日記も長くなり、書いても書いても終わらない。それを一時のあいだ中断して、10時15分に外へ出る。
コモトリ君が行きつけの床屋はサラデーンのチャーンイサラタワーの中にあると何年か前に聞いた。そのときの担当者が、今はヤワラーの、ワットマンコンちかくの美容院で仕事をしているという。そういう次第にて、コモトリ君には今日の10時30分に予約を入れてもらった。
Googleマップの「ナビ」を設定したiPhoneは、ポケットの中で震えて道の分岐の近づいていることを教えてくれる。そうして辿り着いた美容院は、ワットマンコンの塀の脇にすぐ見つかった。時刻は開店5分前の10時25分。すると店の前で食事をしていたオバサンが機敏に立って、僕を店の中に入れてくれた。
2種のバリカンで髪と髭を刈り、眉を整え、顔を剃り、頭を洗う、そのすべては20分で完了。400バーツの料金は、昨年の6月6日に使った”Soi Na Wat Hua Lamphong”の小さな床屋のそれと同じではあるものの、顔剃りやシャンプーのある点、また店の設備の整っているところからして、今日は随分と得に感じた。
帰りは、細い路地の両側にびっしりと店の並んだ小さな市場を抜けていく。その路地は想像以上に長く、ようやく明るいところに出るとそこはヤワラーの大通りで、路地の入口には”Yaowarat soi6″の表示があった。
ホテルには戻らず、そのまま歩くことを続ける。歩いた距離は地下鉄でふた駅くらいのものだっただろうか。1982年に僕が逗留していた楽宮旅社は、廃墟にはなっているものの、建物は残っている。魔窟や陋巷といった言葉の好きな人は、バンコクの中華街に来るべきだ。それらは熱帯の空の下に暗い口をあんぐりと開けて、訪れる人をいまだ待ってくれている。ただし急ぐべし。近くにはグランデセンターポイントホテルを建てるための、地上げをされた大きな空き地ができていた。
部屋に戻ってシャワーを浴び、ちかくの粥屋で昼食を摂る。この簡素な粥も70バーツ。ヤワラーは東京でいえば浅草のような観光地だから、物価もそれだけ高いのだろう。昼食の後はそのままマッサージ屋へ行こうと考えていたものの、流れる汗を止めるため部屋へ戻り、シャワーを浴びる。
ワットマンコン駅1番出口ちかくのマッサージ屋「泰満足」には14時5分に入った。そして2時間の足マッサージを頼み、窓際の寝椅子を指定して、ライオネル・バーバー著「権力者と愚か者」をようよう開く。マッサージの料金は600バーツ。女の子には200バーツのチップ。プールサイドの寝椅子が使えないらマッサージ屋の寝椅子、と考えた末のことだが、当然のことながら、マッサージ屋の寝椅子には、ただで寝転ぶことはできない。
それにしても、14時5分から2時間のマッサージとは、時間の読みをちと間違えた。16時すぎに部屋へ戻り、着替えをする。足元はサンダルから革靴に履き替える。コンピュータなど起動してはますます時間が無くなる。そうして忙しなくワットマンコンの駅へと急ぐ。「タニヤプラザのスターバックスコーヒーの前に16時55分」との、コモトリ君との約束には30秒だけ遅れてしまった。
僕は、海外に来れば日本食はほぼ絶対に食べない。しかし今日は諸般の事情により盛り場の鮨屋に案内をされた。「これだけの広い店を運営するにはかなりの手腕が必要だろう」と思われる長いカウンターのほぼ中央で、あれやこれやを肴に奄美の焼酎を飲む。そこはまるで日本だった。
タニヤからヤワラーまでは、コモトリ君のクルマで送ってもらう。運転手には100バーツのチップ。今日は雨もほとんど降らず、ヤワラーの大通りにはいつもの人の波が戻っていた。そうして部屋へ戻ってシャワーを浴び、歯を磨いて即、就寝する。時刻については、よく覚えていない。
朝飯 “Hotel Royal Bnagkok”の朝のブッフェ其の一、其の二、其の三
昼飯 「陳義発」の猪肚粥
晩飯 「石司」のあれや、これや、それや、奄美の黒糖焼酎(水割り)、同(オンザロックス)
2025.5.12(月) タイ日記(1日目)
00:00 搭乗。駐機場の黒く光る様を見て、雨の降っていることを知る。
昨年9月にチェンライのセブンイレブンで買った、効くか効かないか不明の睡眠導入剤は、ラウンジで飲んでおくべきだった。63Hの席に着いてからそのことに気づき、すぐ後ろのギャレーに水をもらいに行く。いつかの女性客室乗務員は「ペットボトルでは上げられない」と紙コップの水を差しだしたけれど、今日の男性客室乗務員は、330ccのミネラルウォーターをすぐにくれた。
00:35 席でうとうととするうち、Airbus A350-900(359)を機材とするTG661は定刻に15分おくれて羽田空港を離陸。
02:55 窓ぎわの乗客が手洗いに行くとのことで、3人並びの席の、通路側の僕と真ん中の女の人が通路に出る。当然、ここではっきりと目が覚める。機は沖縄の上空を飛行中。
04:21 機内はいまだ暗いものの、背後のギャレーで朝食の準備を始めたらしい音がする。機は台湾南部を抜けて南シナ海上を飛行中。
04:55 アイマスクを完全に外す。機内は薄明るくなりつつある。
05:00 機内が完全に明るくなる。
05:30 朝食が席に運ばれる。この便は離陸直後から小刻みに揺れ続けていたが、ここに来てその揺れが一層、激しくなる。コーヒーをこぼしては面倒だから、カップは手に持ったままでいる。「客室乗務員のサービスは一時中断」とのアナウンスが流れる。「いつまで持ったままではいられない」と、コーヒーを飲み干そうとして、むせて咳が出る。
05:50 客室乗務員の来る前に、朝食のお膳を自分でギャレーに片づける。その足でラバトリーに入り、備えつけの歯磨きセットで歯を磨く。
06:06 「バンコクまで55分」の表示がディスプレイに出る。
財布の日本円はすべて封筒に収め、前回の訪タイ時に余らせたタイバーツの封筒から当座の分のみ財布に移す。睡眠導入剤は飛行機に乗り込む前に飲んでおく。使い捨てカイロを腰に貼る。そういう、きのうラウンジで済ませておくべきことは、すべてし忘れた。それらを箇条書きした紙を、次回はポケットに入れておく必要があるだろうか。
前回の反省から、今回は搭乗の前に、襟の高い長袖シャツにジャージー地のカーディガン、それにウインドブレーカーを重ねたものの、機内はなお薄ら寒い。帰国に際しては、カイロはかならず腰に貼ろうと心に決めるものの、また忘れてしまうかも知れない。
06:25 「スワンナプーム空港まで30分、現地の気温は27℃」とのアナウンスが流れる。
06:48 雲に阻まれて見えなかった地上の灯りが見えてくる。機はしかしすぐにまた雲の中に入る。
06:50 車輪が降ろされる。
06:56 TG661は定刻に6分おくれてタイ時間04:56にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。
05:22 TDACのQRコードをディスプレイに出したスマートフォンとパスポートを入国審査場のカウンターに並べる。両手の親指と右手の中指にはアカギレにバンドエイドが巻かれているものの、指紋の採取は問題なし。「何日滞在するか」と係官に訊かれて、特に指折り数えたわけではなかったものの、咄嗟に「8日間」と答えておく。
05:25 11番の回転台ちかくのソファに落ち着き、封筒の、前回に余らせた6,700バーツから1,700バーツのみを財布に移す。
05:33 回転台から荷物が出てくる。
05:39 地下1階のエアポートレイルリンクの乗り場に降りる。「始発は6時だから」と、椅子で待つうち、市中心部から来たらしい乗客が向こうから集団で歩いてくる。それを見て「もう乗れるのか」と、席を立つ。
券売所では、自動販売機を使わず、窓口に1,000バーツ札を出して「マッカサンまでひとり」と係に告げる。釣銭は915バーツ。大きなお札は迷惑にならないところでくずしておくことが肝要である。
06:02 ARL(エアポートレイルリンク)の始発が空港駅を発車。地上には霧が濃い。
06:25 ARLの車両がマッカサンに着。地下鉄のペチャブリー駅までは、空中の歩道を往く。
ペチャップブリー駅では500バーツ札を出して「ワットマンコンまでひとり」と係に告げる。釣銭は465バーツ。とはいえすべての紙幣や硬貨を細かく数えているわけではない。
06:38 MRTの車両がペチャブリー駅を発。日本の近距離列車の吊り革は、窓際の長座席に平行して2列のあるのみだ。しかしタイの地下鉄のそれは更に車両の中心にも1列があって「これは混雑時には、すごく有り難い設備だ」と、大いに感心をする。
06:54 MRTの車両がワットマンコンに着。出国前に見たGoogleマップを頭に浮かべつつ地下鉄の構内を歩き、1番出口から外へ出る。ヤワラーの大通りに続くPlaeng Nam Rd.は目の前にあった。道の両側には、いずれ劣らず美味そうな店が軒を連ねている。
07:02 駅から徒歩3分にしてホテルに着く。このホテルの定めたチェックインの時間は14時のため「部屋に早く入れるなら、その分の支払いはもちろんする」旨の添え書きを予約時にしておいた。レセプションのオネーサンはその金額を500バーツと僕に伝えた。「安いじゃないですかー」である。しかしこのあと、オネーサンはおなじ口から「なお、スイミングプールはお使いいただけません」と、衝撃的なことを事務的に発した。
僕は南の国に旅することが好きだ。その楽しみの過半、否、大半はプールサイドでの本読みが占める。このホテルは屋上のスイミングプールがいかにも良さそうなため予約をした。しかしてそのプールが現在は閉鎖中だという。今回の旅で最初の「タイ、あるある」である。
とにかく部屋に入り、気を取り直して身のまわりを整える。そして机の上で財布を逆さにし、大きな札を細かくした、その金額を確かめる。
空港で財布に入れたタイバーツは1,700バーツ。ARLの運賃は85バーツ。MRTの運賃は35バーツ。1,700-85-35=1,580のところ、財布には1,630バーツがあった。ということは、ARLかMRTの係が釣銭を50バーツ多くくれた、ということになる。今回の旅で2回目の「タイ、あるある」である。
それはさておき旅の初日の日記は長くなる。それに備えて先ずは革靴をサンダルに履き替え、シャワーを浴びる。きのうの日記のほとんどを書き上げると、なぜか少々の空腹を覚えた。
「こんなものは自分には不要」といつも考えている、そして眠っていれば置かれないこともあるタイ航空の夜食であるチーズとポテトサラダの丸パンが、今朝は半分だけ開いたテーブルにあった。だから今日の朝食はその丸パンと機内食だった。充分以上に食べたとは思うけれど、小腹の空いているのも事実。よって外へ出てしばらくの徘徊の後、ホテルはす向かいの、建物と建物のあいだに雨除けを施しただけの、地元の人で賑わっている汁麺屋に入る。
鍋の横を席へ向いつつ、ちかくのオジサンに「バミーナムをお願いします」と声をかける。それが席に届けられたところでオジサンに100バーツ札を手渡す。戻った釣銭は30バーツ。「70バーツかー、高くなったなー」と驚きつつその簡素な汁麺を食べる。魚丸ルークチンのひとつは中に豚の挽き肉を仕込んだ凝り様だが、しかし70バーツはいささか高い。壁の品書きにもその金額があるから別段、ボラれているわけでもないだろう。第一、高くて不味ければ地元の人は来ない。
バンコクの汁麺の値段が50バーツになって驚いたのは2018年。それから7年が経てば、そんなものなのだろうか。昨年6月7日にプロンポンのミシュラン店”Rung Ruang”で食べたバミーナムトムヤムの価格は残念ながら、記録をしていない。
部屋に戻って日記の続きを書くうち、タイ在住の同級生コモトリケー君から「到着はいつ?」とLINEが入る。部屋の窓からは、コモトリ君の住むコンドミニアムが見えている。東京でたとえれば、僕のホテルは浅草ビューホテル。そしてコモトリ君の家は隅田川の向こうのアサヒビール本社。そんな位置関係である。
もう部屋に入っている旨を返信すると、電話をくれと、ふたたび返信がある。よってLINEを使って電話をし、スイミングプールが使えなくなったことにより変更した今日の予定を伝える。すると「ヤワラーの船着場ラーチャウォンから渡し舟で対岸に渡れ、自分はそこで10時40分に待っている」というような意味のことを言う。現在の時刻は10時。まったく忙しい。
素肌に羽織ったガウンを脱ぎ、服を着る。足元はサンダルではなく革靴を履く。iPhoneのGoogleマップでラーチャウォンまでの経路を調べ、外へ出る。IKEAのトートバッグには、金曜日の夕食に使うべき上澤梅太郎商店の商品が納めてあり、これが結構、重い。
ヤワラーの大通りからは、古き良き時代のバンコクの風情が残る裏通りを辿り、10分ほどでチャオプラヤ川の船着場ラーチャウォンに着く。下流からは、展望デッキに観光客を満載した大型船が遡ってくる。その波に翻弄されつつ小さな渡し舟が対岸からこちらに近づきつつある。「大きな観光船に乗って有名どころを回る」と「小さな渡し舟で知らない街を訪ね、さしたるあてもなく逍遥する」のどちらを選ぶかは、人それぞれだ。
対岸の船着場ディンデーンが近づいてくる。時刻は10時50分。コモトリ君の手を挙げる姿が目に入る。バンコクの盛り場のひとつサラデーンの英語の綴りはSala Daeng。そのデーンの意味は「赤」。しかしディンデーンのデーンの綴りはDandだから、また別の意味があるのだろう。
前にも書いたように、今朝のバンコクには霧が濃かった。時が経つにつれて霧は晴れたものの、空は曇り、湿度はとても高い。ディンデーンの船着場から15分ほども歩くと上半身は汗だくになった。よってコモトリ君の家では真っ先にシャワーを借り、冷たい水をもらって飲む。
コモトリ君の家からは、12時の専用船でサパーンタクシンまで行く。途中で雨が降ってくる。サパーンタクシンから乗った高架鉄道BTSの中で眠りに落ち、気づくと終点の国立競技場前に来ていた。とはいえ乗り過ごしはひと駅のみだから大したことはない。サイアムに戻ってBTSをシーロム線からスクムビット線に乗り換える。雨は雷をともなう驟雨に変わっている。僕の旅の荷物の一覧表には傘も含まれているののの、実際に持参したことはない。
東へ延びるBTSがプロンポンに着く。ほんの十数分、ほんの数キロメートルを移動しただけで、雨は傘を必要としないほどに弱まった。駅構内の両替屋”SUPER RICH”に掲げられたバーツ円のレートは1万円あたり2,250バーツ。スクムビット通りからsoi22を南下して右手の小さな両替屋”KF Exchange”のバーツ円のレートは1万円あたり2,255バーツ。ここで邦貨10万円を22,550バーツに換える。ところで両替の「かえ」は「替」にもかかわらず「兌換紙幣」となると「換」の漢字が充てられるのは、日本語の「両替」に対して「兌換」は中国由来の熟語だからだと思うけれど、どうだろう。
プロンポン近辺のスクムビット通りには横断歩道はないから、駅のエスカレータとエレベータを使って北側に渡る。そして行きつけのミエマッサージで足の角質けずりとオイルマッサージを組み合わせた2時間のコースを頼む。料金は900バーツ。オバサンには200バーツのチップ。
マッサージ屋を去ったのは15時。雨は完全に上がった。ふたたびBTSで、先ほどのサイアムに戻る。
今年の3月7日にプロンポンのショッピングモール「エンポリアム」で予期せずコンバースのチャックテイラー70を目にしたときには「やっぱかっこいいーなー」の言葉が自然に漏れた。日本に戻って調べたところ、バンコクのコンバースの旗艦店はサイアム駅直結のショッピングモール「サイアムセンター」にあることを知った。
そのサイアムセンターに駅から一歩を踏み入れれば、前述のエンポリアムなどとはまったく異なって天井は低く、人は多く、その庶民的な様子には懐かしささえ覚えた。そしてコンバースの店は、何と言うことはない、すぐ目の前にあった。
ためらうことなくその店に入り、棚の右奥にチャックテイラー70を見つける。「そうそう、これ」と見入るとすかさず店のオニーチャンが近づいて来て「チャックテイラー、良いですよね」と、この上ない笑顔で話しかけてくる。「これ、試したいです」と答えるとオニーチャンは各国対応のサイズ一覧表を出して「普段のサイズはどのあたりですか」と訊く。「日本では26センチかな」と教える。
オニーチャンは店の奥へ行き、ふたつの箱を持って戻る。そして僕の左足にはサイズ9、右足にはサイズ9.5を履かせてくれ、更には紐まで締めてくれて、鏡の前に立つよう促す。僕はすこし考えて「右の方は大きすぎるかな」と感想を漏らす。「かしこまりました」とオニーチャンはふたたびスツールに腰かけた僕の両足からチャックテイラー70を脱がし、床のトリッペンをコンバースの箱に仕舞おうとするので「いや、その革靴で帰ります。そして箱は要りません」と伝える。オニーチャンは礼を言いつつサイズ9のチャックテイラー70を薄紙で包み、それを手に勘定場へ向かった。驚くべき親切さ、驚くべき笑顔、そして驚くべき速度である。価格は定価が3,290バーツのところ何やらのキャンペーン中で1割引き。支払いは2,961バーツ。良い買い物ができた。”MADE IN JAPAN”のコンバースは、僕には幅が広すぎるのだ。
サイアムからはBTSでサラデーン。そこからMRTのシーロムへは空中歩道を移動。シーロムからホテル最寄りのワットマンコンまではわずか3駅。ただしMRTは利用者の数の関係によるものか、運行している本数はそれほど多くない。よって駅での待ち時間は東京の地下鉄とおなじ、というわけにはいかない。
さて美味い食べもの屋の密集するヤワラーではあるけれど、雨がふたたび降り始めている。しかしその勢いは、傘を借りるほどでもない。18時を過ぎたところで外へ出る。そしてこの日記に検索をかければそれは2019年6月24日のことと知れる、コモトリ君と訪ねた笑笑酒楼の扉を押す。
この店の、天井の蛍光灯に照らされる内装はいかにも古くさく、いかにも寂しい。しかし今回はふたつのテーブルに先客がいて、店員の数も揃っている。僕の注文はオースワンとソーダとバケツの氷。しばらくして届いたオースワンの量を見て一驚を喫する。6年前のそれとくらべて明らかに多い。今夜はこれのみにて、他は食べられないだろう。後半は片栗粉による煮こごりのようなところとモヤシは避け、蠣のみを箸で選って食べる。
インターネット上の動画で見る夜のヤワラーは大賑わいだが、雨の降る今日に限っては熱帯の夜気もなく、大きな屋台も閑古鳥のありさまだ。嬉しいのは、あたりにドリアンの香りの満ちていることくらいだろうか。
部屋に戻ったのは19時すこし過ぎ。シャワーを浴びて歯を磨き、即、就寝する。
朝食 ”TG661″の夜食の丸パン、同機内食、「ウンペンチュンルークチンプラー」のバミーナム
昼食 プロンポンの名前を知らない店のカオカームー
夕食 「笑笑酒楼」のオースワン、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2025.5.11(日) いくら好きでも
今月1日の日記に書いた、カディによるコットンクロスを上澤梅太郎商店の雑貨部で買う。おなじ日の日記に書いた別のコットンクロスも、既にしてホツレ止めが施され、こちらは既にしてスーツケースに収めてある。スカーフとして首に巻き、バンコクの湿熱により汗を吸ったら即、交換して洗うための2枚体制である。
17時30分の閉店と同時に売上金を事務室へ運び、キャッシュレジスターの登録金額と齟齬がないか確かめる。そしてゴールデンウイークの明けた7日から今日まで5日間の、売上げ現金とその合計の数字を長男の事務机に載せる。上澤梅太郎商店の終業は18時。社員の引けは早い。
18:07 浴室に入る。
18:16 シャワーと歯磨きを済ませて浴室を出る。服を着て、しかし靴下は足が乾くのを待ってから履く。
18:28 事務室に降りる。閉まっているシャッターの向こうでクルマのドアの閉まる音がする。シャッターを上げると、18時35分に予約をしたタクシーが早くも来て、運転手はクルマの外で待っていた。
18:31 タクシーで会社を出る。
18:35 タクシーが東武日光線の下今市駅に着く。
18:37 上りプラットフォームの待合室に入る。
18:49 けごん52号の車両が下今市を発。
19:51 目を覚ますと春日部がちかくなっている。
20:20 けごん52号が北千住に着。
20:25 日比谷線の車両が北千住を発。
20:40 日比谷線の車両が人形町に着。
20:44 都営浅草線の羽田空港行き急行が人形町を発。
21:23 都営浅草線の車両が羽田空港第3ターミナルビルに着。
21:43 パスポートを自動チェックイン機にかざしてチェックインを完了。タイ航空のカウンターにはこれまで見たこともない長蛇の列ができている。
22:37 そのバゲージドロップの列に54分のあいだ並んで荷物あずけを完了。
22:43 保安検査場を通過。すこし前より腕時計ははめたまま、ベルトは締めたまま、コンピュータはザックに入れたままでX線装置を通り抜けられるようになったのは大いに楽。
22:44 出国審査場を顔認証で通過。
搭乗券にある142番ゲートを目指してひたすら歩く。目的のゲートが間近に迫ったところで、僕が休むべきラウンジの場所は、そのあたりではなかったことに気づく。胸のポーチからiPhoneを取りだし、正しい場所を確かめ、来た道を延々と戻る。
107番ゲートちかくの”Sky Lounge South”には、3月25日に次男が1時間の格闘の末スマートフォンに設定をしてくれた、新しい会員証にて難なく入れた。そして夕食を摂ると共に、普段よりも1日はやく、きのうの日記を公開する。南の国へ行けるとは、盆と正月が一緒に来たようなものだから、いくら好きでも酒は飲まない。
23:34 “Sky Lounge South”を出る。
23:44 142番ゲートに達する。
朝飯 焼き鮭、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと玉葱と長葱と油揚げとベーコンの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 “Sky Lounge South”のカレーライス、アップルデニッシュ、ルイボスティー
2025.5.10(土) だったらそれはいつか
昨夜は大酔をしたらしく、枕元にiPhonemは無い。家のどこかに置き忘れたのだろう。よって現在の時刻の分からないまま起きて服を着る。食堂に来ると、棚の電波時計は2時28分を指していた。
既にして完成しているおとといの日記の「公開」ボタンをクリックし、きのうの日記を書く。「汁飯香の店 隠居うわさわ」にインターネットを介してご予約くださったお客様に確認メールをお送りする。きのう事務係のカワタユキさんに頼まれた仕事には、5時55分から取りかかり、6時3分に完了した。コンピュータを操作すること僅々8分。「どんなもんだい」である。
以降、朝食の準備にかかるまでは、羽田からの機内に持ち込むザックを選ぶ。試したところ、いつもより少し多い諸々は、WEXLEYのSTEM ULTRA-LIGHT DAYPACKに難なく収まった。
その最中に「いまが一番、楽しいでしょ」と家内に言われる。谷口正彦の「冒険準備学入門」を紐解くまでもなく、旅に出る前の準備はかなり楽しい。しかしそれが旅行中の諸々より楽しいかと自らに問えば、まさかそのようなことはない。「だったらそれはいつか」と問われれば、2020年3月のウドンタニーでマッサージのオバサンにもらったセブンイレブンのトートバッグに本とラオカーオの小瓶を入れ、街を歩き、メシ屋の席に着き、トートバッグから本とラオカーオの小瓶を取り出す、その瞬間かも知れない。
朝飯 焼き鮭、擂り胡麻、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」のお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 「グルマンズ和牛」のウェルカムフルーツ、コンソメスープ、オードブル、サラダ、ヒレステーキ、焼き飯と胡瓜のピクルス、サントリーローヤル(生)、デザート、コーヒー
2025.5.9(金) TDAC
「ミニマリスト 海外旅行 持ち物」とyoutubeに検索をかけても、さして参考にはならない。それは僕がバックパッカーをしていたころからの、荷作りの「スレッカラシ」だからだ。それでも今回は諸般の事情により持ち物が多い。スーツケースはいつもの”RIMOWA Essential Lite Cabin U”ではなく、ひとまわり大きな”PROTEX FP-32N”を選んだ。
さてタイではここしばらく入国カードが不要になっていたものの、今月の1日より、それに代わってTDACつまり”Thailand Digital Arrival Card”の事前登録が必要になった。コンピュータによる申請には、それほどの困難は伴わない。結論から言えば、使用言語は日本語よりデフォールトの英語のままの方が楽。もうひとつ、滞在場所の住所は県、郡、地域から番地まで入れる必要があるため、あらかじめエディタに保存または紙に出力をし、それを目で確かめながら、あるいはCOPY&PASTEで入力をした方が圧倒的に速い。スマートフォンでももちろん申請は可能だが、人差し指一本ではいかにも辛い。自分のメールアドレスに送られたQRコードはスマートフォンに残しつつ、それが何らかの事情により使用不可になったときのことも考えて、紙にも出力をしておく。
夕刻、コンピュータを使った仕事について「これこれのことが社長にはできるか」という意味のことを事務係のカワタユキさんに訊かれる。「簡単です」と僕は答え、更に「メールで指示をしてくれればタイにいてもできます」と付け足す。カワタさんはしかし、僕がすべきことを大きめのポストイットに記して、終業の18時より前に手渡してくれた。
明日の朝によほど早く目が覚めれば、この仕事は朝食の前に終わるだろう。目覚めがそれほど早くなければ、午前のうちに片づけてしまおう。黄色いポストイットは忘備のためキーボードの手前に貼り付け、コンピュータを閉じる。
それはさておき、昨年はゴールデンウィークのころから気温は25℃を安定して超えていた。しかし今年はどうしたことか、いまだ寒い。よってすべての社員を見送って後は半袖ポロシャツと長袖Tシャツの上にモンベルのU.L.サーマラップジャケットを重ね、マムートのビーニーをかぶって外へ出る。そうして総鎮守瀧尾神社の、宮司と責任役員が連なる席へと臨む。
朝飯 生玉子、ウインナーソーセージのソテー、山椒煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「幸楽」の河豚の皮の刺身、鮃の薄造り、河豚の吸い物、季節の炊き合わせ、鰤の照り焼き、河豚の天ぷら、海老フライ、つけ麺、日本酒(燗)
2025.5.8(木) 部分部分においては
きのうの日記に書いた、項目は12、総数は146という旅の持ち物の一覧表はA4の紙で5枚。それに従って、朝4時30分よりあれこれを揃えることを始める。
早朝、家族に迷惑をかけることなく集められるのは薬のたぐいだ。その大半は、前の旅から持ち帰ったまま、本棚の最下段の引き出しに収めてある。そのジップロックの袋の中味を食堂のテーブルにすべて出し「これはある、これは無い、これは量が少なくなっているから補充が必要だ」と、徐々に整えていく。
赤地に白い十字をほどこしたファーストエイドポーチというものが、山の道具屋にはある。いかにも洒落てはいるものの、僕が持参する薬品類は多く、とてもではないけれど、その手には入りきらない。旅の荷作りにおいてはいわゆる「スレッカラシ」になっている僕からすれば、薬品類を入れるにはジップロックのプラスティック袋がもっとも使いやすい。
そうしてすべてを詰め終えてその重さを量ってみれば、806グラムになっていた。「なぜそれほどの薬を持参するか」と問われれば、不安があるからだ。思い返してみれば、40年以上も前にバックパッカーをしていたときにも、薬品類で満杯の、小さくもないタッパーウェアを持ち運んでいたものだ。
旅先ではボンヤリと、なにも考えず、その結果、危機に陥ればその緊張感が何やらすこし嬉しく、そこから脱出する方法を頭に忙しく巡らす。そういう僕も、部分部分においては結構な慎重派、なのである。
朝飯 納豆、生玉子、山椒煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 トマトとベビーリーフのサラダ、ブロッコリーのソテーと粉吹きいもと「たまり漬」によるソースを添えたラムステーキ、WORLD DESCOVERY Merlot J.LEBEGUE
2025.5.7(水) あらたふと
弱い雨の断続的に降ったきのうから一転して空は朝から晴れた。いまだ濡れているだろう青葉若葉が朝日に映える様は、とても綺麗だ。
「台風一過と雪の後の快晴は、日本の天気のひとつの頂点のような気がする」と、ことし2月9日の日記に書いた。今朝の鶏鳴山を見てみれば、まさに「あらたふと」と芭蕉の句を思い出さざるを得ず、つまり台風一過と雪の後の快晴のみではなく、季節にはそれぞれ美しい景色があることを、改めて知る。
忙しい日常にあってはつい忘れがちになるけれど、事務机の左手に提げたカレンダーを見れば、タイ行きの5月11日が迫っている。よってコンピュータの、旅行関係の覚え書きなどをまとめているフォルダを開き、項目は12、総数は146という持ち物の一覧表と日程表を印刷する。また既に保管してある飛行機のeチケットとホテルの予約票は、予備を印刷する。そしてそれぞれを個別のクリアファイルに納め、茶封筒にまとめる。持ち物の準備は明早朝から始めることにしよう。
ことしの2月24日には、羽田空港へ行くための東武日光線上り特急の、座席指定券を兼ねる特急券が売り切れていて大いに焦燥した。よって今回は出発3日前の今週木曜日にそれを予約すべく、カレンダーに記しておいた。しかしそこまで引き延ばすこともないと考え、スマートフォンに東武鉄道のアプリケーションを開く。5月11日の下今市18:49発けごん52号は、果たして既にして満席の号車もあった。即、他の号車に座席ひとつを確保したことは言うまでもない。
朝飯 山椒煮、なめこのたまり炊のフワトロ玉子、鮭の日光味噌酒粕漬け、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、たけのこと若布と万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 胡瓜と二十日大根と甘夏のサラダ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、なめこのたまり炊、キャベツとしめじと豚薄切り肉の鍋、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)、パウンドケーキ、Old Parr(生)
2025.5.6(火) それは確かにひとつの理想
いまだ夜の明ける前に、上半身は半袖シャツ1枚、足元は裸足という格好でコンピュータに向かう。「エネルギーの無駄づかい」と言われればそれまでだけれど、温風の吹き出す足温器の電源を入れる。空は、きのうまでの晴天から曇天に変わっている。
ゴールデンウイークも最終日であれば、店はおととい、きのうとは打って変わって静かになった。昼食の休憩で社員の数が薄くなる前にホンダフィットを東に走らせ、大谷川を渡ってイオン今市店の駐車場に入る。
今月1日の日記に書いた、100カウントのカディと84番手コットンを織った幅115cm、長さ150cmの布は、早くも翌2日に届いた。それをイオンの1階にあるリフォーム屋「マジックミシン」に持ち込み、その両端にホツレ止めの袋縫いを施してくれるよう頼む。
閉店時間の17時30分が過ぎて以降も、複数のお客様のお相手をさせていただく。日光のコテージにお泊まりという、終業の18時間際にいらっしゃったお客様は「もう、人がいなくて寂しくて」とおっしゃった。僕は大いに驚いて思わず「いやー、きのうまでの、1キロメートルを進むのに1時間なんて混雑より、よほどよろしいじゃないですか」と、ご返事をした。
比較的面積の広い居酒屋やレストランに身を置いたときのことを考えれば、なるほど客が自分ひとりでは寂しく感じることもあるだろう。「周囲は大賑わいの大混雑にもかかわらず、自分だけは自由自在」という環境があれば、それは確かにひとつの理想かも知れない。
朝飯 スペイン風目玉焼き、菜花のおひたし、納豆、胡瓜のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、蕪と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 手巻き鮨、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、なめこのたまり炊、「会津酒造」の「凜・本醸造原酒一回火入れ」(燗)、チョコレートのビスケット、Old Parr(生)
2025.5.5(月) ラリグラス
きのうは17時30分の閉店時間が来ても、それから30分後の終業時間が来ても客足が途切れなかった。そのことにより、キャッシュレジスターを締める途中で予約したピザを受け取る時間が迫り、席を立たざるを得なかった。よってきのうの日記を完成させた5時に事務室へ降り、きのうの売上げの現金と登録金額を照合し、キャッシュレジスター3台分の釣銭を作る。
4階の自宅へ戻れば、今朝は運ぶものが多いから手伝って欲しいと「汁飯香の店 隠居うわさわ」に出かける家内に頼まれる。ソーダ水などを収めた手提げを隠居の厨房に入れたところで、ふと思いついて庭へと回ってみる。
土の上には野の花が目立っている。ツツジは満開。藤も満開。池泉への水が落ちる小さな滝のちかくのシャクナゲも満開だった。
2013年7月、自由学園男子部の後輩マハルジャン・プラニッシュさんの結婚式に列するためネパールへ行った。カトマンドゥのホテルでシャクナゲの写真を見せつつオネーサンにネパールでの呼び名を訊いたら「ラリグラス」と教えてくれた。その響きはいかにも美しかった。シャクナゲは、ネパールの国花である。
ネパールには1980年、1982年、1991年、2013年と4回も訪れたにもかかわらず、国民帽「トピ」を自分用として買うことはしなかった。シャクナゲの模様のトピがあればぜひ欲しいと今になって思っても、ネパールは、今の僕にはすこし遠い。
朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと玉葱とウインナーソーセージと菜花の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 SMIRNOFF VODKAのトマトのすり流し割り、らっきょうのたまり漬、グリーンアスパラガスとベーコンのスパゲティ、Chablis Billaud Simon 2018、チョコレートのビスケット、Old Parr(生)
2025.5.4(日) クルマの色
昼食の際には日本経済新聞の朝刊を読む。目を通せるのは時間の関係から第1面と最後の文化面、あとは特に興味を惹かれた記事、くらいのところだ。今日の文化面には星野博美が随筆を書いていた。表題は「赤い車と青い車」。瞬時に「赤い車とはイタリア車だろうか、青い車はフランス車だろうか」と想像を巡らす。
サッカーの国際試合におけるブラジルのユニフォームは黄色、日本のそれは青、クロアチアは赤と白の格子模様。それと同じように、むかしは自動車の国際レースでも、イタリアは赤、フランスは青、イギリスは緑、ドイツは白または銀色と、車体の色が決められていたからだ。
星野博美の文章では、赤と青の車がそれぞれどこの国のものかは知らされない。青い車は「15年くらい経った古い車」が「ある日、心臓麻痺を起こしたように突然動かなくなった」ことにより「仕方なく」買ったもの。赤い車は、その15年を経た青い車に今春「史上最大の傷」を付けてしまったことにより注文をしたもの。とすれば、青い車も赤い車も、特にその名を記すようなものではなかったように思われる。
ところで時間の関係からすれば、先ずは「青い車」を買い、それと入れ替わりに「赤い車」を手に入れたにも拘わらず、文章の題名が「赤い車と青い車」となっているのはなぜだろう。
星野博美の「転がる香港に苔は生えない」は2001年6月11日の第5刷を長男にもらい、棚に保管はしているものの、いまだ読んでいない。それを開く日は、果たして来るだろうか。
朝飯 山椒煮、納豆、塩鮭、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、擂り胡麻のお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 「ミラノピザ」のピザ其の一、ピザ其の二、Chablis Billaud Simon 2018、チョコレートのビスケット、Old Parr(生)