2024年10月の日記31本
2024.10.31(木) できるだけ長く
20年にはならないかも知れないけれど、ここ十数年は、メレルのジャングルモックを日常の靴として、2足ずつ買ってきた。そして一方を半年のあいだ履き続けたらクリーニングに出し、次の半年はもう一方を履く、ということを繰り返してきた。
amazonの買い物履歴を調べると、現在の2足は2020年11月22日に買っていた。使い始めたのは多分、2021年の4月。これがそろそろ傷んできたため、次の2足は今年の8月8日に銀座のABCマートで買った。ウォータープルーフ仕様、それに値上げや円安も関係してか、ヤケに高く感じた。しかしネットで最安値を調べることなく、何となく買ってしまった。「だから」ということもないけれど、できるだけ長く保たせたい。ウォータープルーフに、更に防水スプレーをかけ、明日から使い始めることにしよう。
ところで今日に予定されていた火災報知器の点検は、予想より早い時間から業者が来た。工場内の施設はすべて彼らに任せられても、自宅は僕が案内をすることになる。先端に熱源を仕込んだ長い棒を持つ係に先だって寝室のクローゼットの扉を開くと、おなじようなダウン製品が並んで吊してあった。「ベストと、もう1着は何だろう」と素早く触れてみる。それはベストとおなじモンベル製の、薄い長袖の上着だった。先の冬にはベストだけでは寒さを凌げず、更に長袖のそれも買ったことを忘れていた。
冬は、寒さより、重ね着を避けられないところが嫌だ。下着とシャツとズボン以外の服は、僕にとっては仕方なく着るものに他ならない。
朝飯 炒り豆腐、蓮根のきんぴら、納豆、切り昆布の炒り煮、人参の酢漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、小松菜の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 なめこのたまり炊、大根おろし、菠薐草の胡麻和え、かまぼことはんぺん、カマスとノドグロの一夜干し、牛蒡と舞茸と牛肉のすき焼き風と鮭の焼きほぐしの二色丼、「井上清吉商店」の「澤姫夢ささら純米吟醸」(燗)
2024.10.30(水) ハンコ
何を常識とし、何を非常識とするかは、人によって違う。
「身分証明書やハンコを持たずに役所や銀行へ来る人は非常識」という常識が、役所や銀行の人にはあるにちがいない。ところが僕は、身分証明書やハンコは必要ないに違いないと判断をした場合には、それらを持参しない。
もうずいぶんと前のことになるが、役所で身分証明書を求められ、持っていないと答えたところ、それがなければ手続きができないと言われた。よって健康保険証を持って出直すと、自動車運転免許証など写真のある身分証明書が必要と、またまた知らないことを教えられた。「免許証を持たない人はどうするんですか」などと食い下がることはしない。面倒は避けるタチである。
郵便局で身分証明書を求められたときにもやはりそれを携行していず、先の例もあったため顔写真も必要かと考えて「パスポートとか」と訊くと「いえ、健康保険証とか」と返されて「国内では外務省より厚生労働省の方が信用されているのだろうか」との考えが頭に浮かんだ。
今日はやはり、必要はないだろうとハンコを持たずに銀行へ行ったところ、今日の手続きにはそれが必要と言われ、出直す羽目になった。殷周秦漢隋唐宋。「古代中国じゃあるめぇし」とは思うけれど、決まりであれば、仕方が無い。なお個人としては、ハンコの紅い色は、なにやら画竜点睛の点のような感じで嫌いではない。
海外から日本に赴任した人の奥さんが「日本はいい加減で、楽で良い」と喜んだという。「本人でなくてもハンコさえ押せば、それでコトが済む」というのが、その理由だった。日本ではハンコは厳密さの証明のようなところがあるけれど、外国人には、そのハンコがいい加減の象徴というわけで、なかなか面白いと感じた。
朝飯 生玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、人参の炊き込みごはん、若布と大根とトマトの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 鮨あれこれ其の一、鮨あれこれ其の二、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、「井上清吉商店」の「澤姫夢ささら純米吟醸」、「久埜」の豆大福、Old Parr(生)
2024.10.29(火) いまだ序盤
上澤梅太郎商店は繁忙期にも商品の作り溜め、作り置きはせず、常に「いま食べごろの品」のみをお客様にご提供することを旨としている。しかしそれも、精密さを突き詰めすぎると時には品切れ、あるいは製造が自転車操業になる。
日光味噌のフリーズドライ味噌汁”with LOVE”は、浅草と日光・鬼怒川を結ぶ東武鉄道の新型特急「スペーシア X」の車内で飲めるようになってから、この自転車操業の傾向がより強くなった。現在、店舗ではこれが品薄になっている。次の完成は11月6日。それまでの1週間は、肝を冷やしつつ、お客様の需要に応えていくことになるだろう。
道の駅「日光街道ニコニコ本陣」での商品の売れ行きに関しては、現在の紅葉狩りの季節には特に、油断がならない。朝、普段の調子で納品をしながら昼に見に行くと、予想に反して一部の商品は既にして空、ということを今月は2度も経験した。それを反省して今朝は出社直後の包装係トチギチカさんに、明日の製造量はいつもの倍にするよう、メモを手渡した。
高島屋日本橋店では明日10月30日から11月4日まで、看板催事のひとつである「グルメのための味百選」が開催をされる。上澤梅太郎商店もこの催しにお呼びをいただき、長男は今朝、トラックで現場へ向かった。初日、2日目の天気は良好。忙しくなることを期待している。
しかしこの気ぜわしさも、いまだ序盤である。健康に留意をしながら、この2ヶ月を乗り切っていきたい。
朝飯 茄子とパプリカとピーマンの味噌炒り、玉子焼き、菠薐草の胡麻和え、蓮根のきんぴら、細切り人参の酢漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とブロッコリーの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 ベビーリーフのサラダ、人参の炊き込みごはん、鶏のマカロニグラタン、麦焼酎「こいむぎやわらか」のTIO PEPE割り
2024.10.28(月) 強い人、幸運な人
マネジメントゲームという研修を30年以上も受け続けている。これは参加者ひとりひとりが300円の資本金を以て会社を設立し、2日間で5期分の経営を盤上に展開するものだ。幸運も危機もすべての参加者に等く巡ってくるものの、強い人は毎回のように、参加者中で最も高い自己資本を積み上げ、表彰状を得る。
未知の土地を目指して旅に出る際には、旅行記の巨大な集積であるフォートラベルで、その場所の情報をしばしば知ろうとする。そこで気づくのは、気分の良い旅を続ける人は常に幸運に恵まれ、気分の悪い旅を続ける人は常に、面白くないことに見舞われる傾向にある、ということだ。しかし更に読み込んでいけば、前述のマネジメントゲームとおなじく、幸運も危機も、実はすべての旅人に等しく訪れているはずだ。その幸運をできるだけ多く取り込み、危機を回避するのは個人の実力。実力という言葉が強すぎるなら性格と言い換えても良いだろう。
なぜこんなことを書いたかといえば、そんなことを考えるきっかけを今日は得たからだ。今年の残る2ヶ月は、強い人、幸運な人を目指して行こう。もちろん、年が明けてからも、である。
朝飯 菠薐草のソテー、玉子焼き、炒り豆腐、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、2種の茸と大根の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「大昌園」のあれや、これや、それや、他あれこれ、「田苑酒造」の麦焼酎「田苑シルバー」(オンザロックス)
2024.10.27(日) 静けさや
事務室のシャッターを上げるのは7時40分。真っ先に出社をしてきたのは包装係のヤマダカオリさんとトチギチカさん。そのふたりを社内に迎え入れたら即、外へ出てホンダフィットの運転席に着く。そして第50回衆議院議員総選挙の投票所である今市小学校へ向かう。たかだか数百メートルの距離にクルマを使うのは、朝の忙しさによる。
その時間、その場所にいた一般人は僕ひとり。投票用紙に鉛筆を走らせる音だけで、僕の記した内容が受付係や立会人には分かるのではないか。小学校の体育館は、それほど静かだった。
それはさておき今日は「汁飯香の店 隠居うわさわ」に朝一番のお客さまが集中している。長男は手伝いのため8時30分より隠居へ向かう手はずになっていた。ところがたまり漬の本店前にはおなじ8時30分の開店前よりお客様のクルマが駐まっている。よって長男もしばらくは本店に居残って接客に当たる。道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への朝一番の納品は、配達係のイザワコーイチさんひとりに任せた。
日中、数名のアジア系のお客様にアルバイトのサイトーコナツ君がつききりで、商品の説明をしている。ここは英語の得意な彼女にお任せとばかりに、僕はキャッシュレジスターの前に立つ。ややあってそのお客様が精算のため近づいてくる。聞けば彼女たちの言葉はタイ語ではないか。よって「僕もタイ語はすこしばかりできるんです」と、財布を取り出した女性に見栄を張ってみる。
NHKの開票速報は19時55分から。しかし当方の優先順位は睡眠の方が上にある。いずれ目覚めるころにはほとんどすべての結果が出ているだろう。そして20時すぎに就寝をする。
朝飯 菠薐草のおひたし、鯖の塩焼き、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 スパゲティナポリタン、Chablis Billaud Simon 2018、エクレア、Old Parr(生)
2024.10.26(土) 避けるか絞るか
「今しがた道の駅に立ち寄ろうとしたけど、駐車場が満杯で…。せっかく来たのに…。なにか方法はありますか」と日中、お客様に訊かれる。周辺に点在する別の駐車場をご案内しつつ「週末は、あそこはいつも一杯で」と言葉を添えると「その週末にしか来られない」と、お客様は苦く笑われた。
この日記にいくら書いても心に留める人はいないだろうけれど、日光に「せっかく」来るなら、観光シーズンの週末は避けるべきだ。観光シーズンの週末に来るなら「どこへ行きたい」とか「なにを見たい」などの希望をとことんまで絞るべきだ。この、僕からすればごく簡単なことのできない人のあまりに多いのはなぜだろう。
本日「汁飯香の店 隠居うわさわ」に12時30分にご予約をくださっていた13名の団体様は、渋滞に阻まれて、それでも30分の遅れでお着きになった。しかし先を急ぐとのことにて、いまだ食事を終えていない方がいらっしゃるにもかかわらず、気が急いて靴を履き、庭に出てしまわれた方もいらっしゃったと、後から聞いた。
僕の知る限り、中国、韓国、日本など東アジアの人たちは、短い日程の過密で忙しい旅行を好む。日常を忙しく働きながら、旅先でもなお忙しく動こうとする。その気持ちが僕には分からない。
夕刻、2週間の日程で日本を回っているという、アメリカ人の5人様に漬物を買っていただく。僕より20歳ほども若い現役世代であれば、2週間が旅行に割ける限度なのかも知れない。2019年3月10日にバンコクの屋台で僕に話しかけてきたドイツ人の爺様は、ラオスとカンボジアとタイを7週のあいだ旅してきたと語った。「オレもそのくらいは行きてぇよなー」とは思う。
朝飯 炒り豆腐、菠薐草のソテー、スクランブルドエッグ、炒り昆布、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と得若布と長葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 ごぼうのたまり漬、夏太郎らっきょう、茹でたブロッコリーを添えた蒸し鶏、「百徳食品公司」の豆板醤とコモトリケー君行きつけのムーサップ屋のナムチム、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)、シュークリーム、Old Parr(生)
2024.10.25(金) 首の限界
午前、配達のついでにコンビニエンスストアに寄ろうとして事務机の引き出しを開けるも、いつもはそこにあるはずの財布が見あたらない。携帯電話は日に何度も探す。しかし財布を見失ったことはこれまで無かった。
きのうの夜は僕が書記と酒の取り寄せ係を務める日本酒に特化した飲み会「本酒会」の例会にて外へ出た。毎月のように変わる会場は、きのうは近所だったため、複数の四合瓶は会長による運搬に頼らず、僕が大きなトートバッグで運ぶこととした。酒瓶以外の持ち物は財布、携帯電話、投票用紙、ボールペンの4点。これらは、いわゆるバッグインバッグに収めた方が安全と思いつつ、面倒さが先に立って、そのままトートバッグに投げ込んだ。
会場では会費を支払ったから、財布はそのときまでは確かにあった。とすれば店の中に落としたか。しかし財布にはクレジットカードも入れていたから、お店の人が気づけば僕に電話をしてくるはずだ。それがないにもかかわらず「どこかに落ちていませんでしたか」などと問い合わせて、もしも無かった場合には店側も気まずさを感じるだろう。それより先ずは家の中を探そう。否、それより優先すべきは配達である。
配達から戻って、きのうの夜から今朝までの自分の行動を思い出し、その動線を辿って探すも財布は見つからない。よってもう一度、きのうの夜のことを思い出してみる。
携帯電話は料理の写真を撮るためテーブルに置いた。財布は…と考えて、これは酒瓶を取りだした後の大きなトートバッグに収めるよりは身近に置くべしと、壁を背負って座った僕の、頭より高いところに突き出した棚に載せたことを思い出した。その高さにより、テーブルの上を片づけただろうお店の人も、財布には気づかなかった可能性が高い。
いよいよ店のオカミに電話を入れる。ややあって「ありました」とオカミは声を弾ませた。「やれやれ」である。
携帯電話を探すたび「首から提げておくべし」と家内には言われる。しかし僕が日々、探すものは携帯得電話に留まらない。すべてを首から提げれば、その重さにより首は折れるだろう。すべてにエアタグを付けるのも現実的ではない。なかなか悩ましい問題である。
朝飯 茄子とパプリカとピーマンの味噌炒り、炒り豆腐、菠薐草のおひたし、炒り昆布、大根のぬか漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と大根の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 ミートローフとチキンカツの盛り合わせ、Chablis Billaud Simon 2018、焼きおむすび、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」
2024.10.24(木) 辛抱
東の空に、美しくなりゆく気配が現れる。いまだ気配ではあるけれど、油断はできない。この日記を下にスクロールして、つまり過去に遡って、朝の空の画像を探す。そして見つけた10月11日のその画像にポインタを重ねると「2024年10月11日05時15分の東の空」という文字が浮き上がった。
半袖シャツに裸足では寒かろうと、そこに長袖のTシャツを重ね、靴下を履く。そして屋上に上がって明けつつある空にiPhoneを向ける。焦点を合わせるのはNTTの鉄塔。そして何度かシャッターボタンを押す。というか、シャッターボタンとされている白枠の丸い部分に触れる。時刻は5時19分。やがて太陽が顔を出すだろう紅みのもっとも鮮やかな場所は、いつの間にか、より南に寄っている。冬至まで2ヶ月。夏至が過ぎると寂しくて仕方がないという人は、あと2ヶ月の辛抱である。
隠居の軸を秋のものから初冬のものへと替えるべく、4階の和室から羅漢山人による「大黒天の圖」を選んで事務室へ降りる。恵比寿講は10月20日。旧暦によるそれは、今年は11月20日。よってこれから3週間は、この大黒様の軸をかけ続けてもおかしくはないだろう。以降は新年に向けて、やはりおめでたいものを掛けようと思う。
さてまた週末がやって来る。多くの人にとって、週末は休めることにより嬉しく感じられるのではないか。僕にとっては、商品をより多く買っていただける、ということにより、週末は嬉しい。
朝飯 じゃがいもと人参の細切り炒め、ブロッコリーのソテー、生のトマト、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、焼きおむすび、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 “JOHNNEY’S CAFE 638″の其の一、其の二、其の三、其の四、5種の日本酒(冷や)、家に帰ってからのパイ、Old Parr(生)
2024.10.23(水) 指令
本日の13時よりセキネ耳鼻科からセキネケーイチ先生が出張をしてくれて、インフルエンザの予防接種を受ける、その情報は1週間ほど前に、事務室の裏に張り出された。そこには問診票も置かれていたため、僕も1部を取って、日曜日のうちに記入を済ませておいた。
数名の社員に遅れて先生の脇に立つ。先生は僕の左腕に注射器の針を打ち込みつつ「おっ、硬い」と笑った。注射を恐れる気持ちから、筋肉が緊張していたのかも知れない。接種の希望の有無を記するための名簿をしげしげと眺めたわけではなかったものの、多分、すべての社員がこの機会に接種を受けたのではなかったか。インフルエンザで社員に休まれれば業務に支障を来す。そのための、福利厚生である。
それはさておき、夏ごろは釣銭のための10円硬貨が減らず、その50枚で1本の筒を、お盆の社員への祝儀に含めてようやく減らした。ところがここ1週間ほどはその10円硬貨が見る間に出て行って、夕刻には遂に残り100枚のみになった。このまま放置をすれば、今週末には困ったことになるかも知れない。しかし夏のことを思えば備蓄もし難い。一体全体このような「波」は、どのような原因により起きるのだろう。
2時間も押し黙ったままだった電話が、いきなり複数の回線から同時に鳴る、ということがたまに起きる。これもまた、不思議な現象である。人はときおり、目に見えない何者かからの指令により同じ行動に及ぶ、そう考えたくなることは結構、多い。
朝飯 揚げ湯波の甘辛煮、大根おろし、納豆、茄子とパプリカとピーマンの味噌炒り、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「こつぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 トマトとレタスのサラダ、エリンギとマッシュルームのソテー、じゃがいもと人参の細切り炒め、ブロッコリーのソテー、ミートローフ、夏太郎らっきょう、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)、「久埜」の豆大福、Old Parr(生)
2024.10.22(火) 密度
田中一村の名は知っていたものの、その絵の実物に触れたことはなかった。それを観るため上野駅の公園口を昼前に出る。公園の、人種年齢を問わない人の数は大変なもので「きのうの銀座より、よほど人の密度が高けぇじゃねぇか」と、大いに驚く。
東京都美術館には、しばらく前にも来た記憶がある。そのときには何を観たのだったか。食堂で何かを食べたような気もする。あるいは一昨年の夏におなじ上野の東京国立博物館平成館を訪ねた、そのときの記憶が曖昧な形で残っているのだろうか。
「田中一村展」は出品点数の多さに加えて観覧客の数も馬鹿にならず、すべての作品を観、またすべての解説のほとんどの文字を読みつつ出口に到ると、2時間40分が経っていた。
午後、おなじ台東区内で「あなたの血管年齢を測定します」というブースの人に声をかけられ、言われるまま右手の中指を差し出す。ディスプレイには何やら分からない波形と僕の1分間あたりの心拍数が現れ、やがて僕の血管年齢は41歳と出た。何年か前に日光市内の病院で薦められて計ったそれは「年齢相応」というものだった。「41歳」は、いささかできすぎだろう。
早めの晩酌は御徒町にて。そこから地下鉄で浅草に移動をすると、17時ちょうど発の下り特急には5分だけ遅かった。よって駅ビルの上の本屋で時間を調整し、17:59発のそれに乗って20時前に帰宅を果たす。
朝飯 「ドトール」のチーズインミラノサンド、コーヒー
晩飯 「もつ焼でんアメ横店」のあれや、これや、それや、他あれこれ、梅割り焼酎
2024.10.21(月) 「外す」は必須
朝のテレビの天気予報は、竜頭の滝からの中継だった。
今月2日、いまだタイにいたときに僕は「彼らはまず、先人の歌によってすでに知られた場所へ行く。そして彼らがそこで褒めほそやすのは、桜かもみじにかぎられ、名もない丘に咲く名もない花の美しさには、一言一句も費やすことがない」という「百代の過客」におけるドナルド・キーンの筆の一部を日記に引用した。それはなにも、中世日本の旅人に限られた特徴ではない。それから千年以上を経た今も、世界中の旅人は、まるで巡礼のようにして、名所ばかりを目指すではないか。
竜頭の滝の茶屋から紅葉の様子を眺めたければ、週末、特に連休に来てはいけない。渋滞に阻まれて、いずれたどり着けないからだ。有名どころへ行きたければ、週末は外す。週末にしか来られなければ、有名どころは外す。観光の季節に観光地で観光を楽しみたいなら、この「外す」は必須中の必須、である。
午後より東武線の上り特急に乗って、先ずは大宮市のオーミヤナナサト眼科へ行く。2018年の秋に白内障の手術を受けた。以降は半年に1度の検診を欠かしていない。夕刻からは東京に移動をして、飲酒喫飯を成す。
朝飯 菠薐草のナムル風、生のトマト、胡瓜と蕪のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、豆腐と茸の味噌汁
昼飯 「日光鱒鮨本舗」の「鶏めし」、特急スペーシアXの車内販売の「日光みそと湯波のお味噌汁」
晩飯 “Pizzeria Trattoria Vomero”の有機ベビーリーフと季節の野菜のサラダ、旬の貝類のワイン蒸し、2種のパン、Casalforte CHARDONNAY VENTO
2024.10.20(日) 遺影考
オフクロの祥月命日は10月15日。お墓へは家内と早朝に出かけた。供えた花は5日を経てどうなっているか。それが気になって、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への配達のついでに如来寺に立ち寄る。菊と百合によるそれは、捨てるには忍びないほど生き生きとしていた。よって今日は水を換え、線香立てと、その周りを水で洗うのみとした。帰りには寺務所に立ち寄り、お十夜の回向料を置いた。
先般、妹の同級生のお父さんのお通夜に伺った。焼香をしようとして近づいた祭壇の遺影には、大いに驚かされた。青いポロシャツの胸元には白いTシャツが覗いている。帽子は農業協同組合か農機具会社のノベルティにでもありそうなもの。そして青空の下で完爾と微笑んでいた。教育者でありながら、その農夫然とした様子に僕は心を打たれた。このような良い遺影は、滅多にあるものではない。
これまで見てきた遺影のうち印象に残るのは2点。ひとつは黒い礼服に勲章を帯びた、明らかに写真館によるもので「これは立派だ」と、しげしげと見入った。もうひとつは鬱金色の着流し姿で、僕は故人と椅子を並べて飲んだ夜を思い出し「随分と粋ではないですか」と嬉しかった。
一朝有事の際には使うようにと、僕の遺影用の画像は既にして長男に渡してある。それは今月16日の日記に書いたムスタン・タカリ・チュロで知らないうちに撮られたものだ。しかし前出の3葉には遠く及ばない気がする。それもまぁ、仕方のないことではある。
朝飯 茄子とパプリカとピーマンの味噌炒り、蓮根のきんぴら、納豆、生玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 茄子とパプリカとピーマンの味噌炒り、菠薐草のナムル風、夏太郎らっきょう、3種の焼売、紹興酒「曲渓」(燗)
2024.10.19(土) 昼は快晴、夜は雨
2時台の目覚めを奇貨として「汁飯香の店 隠居うわさわ」のお客様が残してくださった感想カードの、コンピュータへの入力を未明より始める。今朝は、タイから戻った10月5日の分から。直近の分までは、朝食の準備にとりかかる6時30分に到っても処理しきれなかった。しかし残りも少なければ、もう30分もあれば完了するだろう。
今朝は9時と9時20分にバスの予約をいただいていた。朝のバスは大抵、ホテルや旅館の多い鬼怒川方面から来る。すると必然的に、バスは店舗とは国道121号線を隔てた向かい側の駐車場に駐まる。そこまで横断歩道を渡ってご案内に向かうのは僕の役目だ。
9時20分のお客様を誘導している最中に、それらの方々とは別に、長身の外国人女性が店に入っていらっしゃる後ろ姿が見えた。店に戻ると、スマートフォンのディスプレイを示された販売係のサイトーミホコさんは僕の方に向き直って「隠居でのお食事をご希望だそうです」と告げた。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」は土日月の週に3日の営業で、今日から明後日までは既にして満席をいただいている。「一人でも無理でしょうか」と、その女性は静かにお訊きになった。店内は混み合っていたものの、人員も充分なため「庭だけでもご覧になりますか」と外へ出て、蔵の塀に沿って南へ歩く。途中、隠居の建物は150年ほど前の小さなもので、だからすぐに席が埋まってしまうことなどをご説明する。
紅葉狩りの季節、とはいえ隠居にはいまだ緑が濃い。その庭に面した座敷の大小4客あるテーブルのうち3客は、お客様により占められていた。のこり1客にもいずれお客様がお着きになるだろう。帳場に上がって隠居も含めた上澤梅太郎商店の案内をひとつ取る。そして玄関前に戻り、それを女性に手渡す。
「それにしても気持ちの良い日だ」と、女性は緑の葉越しに快晴の空を仰いだ。女性はフランス人で、現在は東京のホテルに滞在中。日本は好きで毎年のように訪れているとのことだったため、次の機会にはできるだけ早くご予約をくださるよう、お願いをする。
終業後は「今市屋台まつり」の様子を見るため、雨の降る外へ出る。傘を差し、洋食の「金長」のある通りから小来川街道を横断して鰻の「魚登久」の角を曲がる。早くも太鼓の音が聞こえ始める。そこから数百メートルほども下ってJR通りに出る。各町内の彫刻屋台の中に「春日壹」の提灯を探す。我が町内の屋台はJR通りから日光街道へ左折をしようとしているところだった。
僕は会計係にて、また週末の繁忙により現場には出ない。雨の中で屋台を曳く面々、また食事を用意してくれた婦人会、それを休憩所まで運んでくれた大膳には感謝に堪えない。そうして頭のユザワツネオさんに挨拶をしてから家へと戻る。
朝飯 胡瓜と蕪のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、トマトと菠薐草の味噌汁
昼飯 焼きおむすび、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、若布と長葱のスープ
晩飯 3種のパン、ベビーリーフを添えた鶏のトマト煮、VOSNE-ROMANEE Jean GROS 1985、Chablis Billaud Simon 2018
2024.10.18(金) 普段の倍
終業後は羽田空港へ向かう、という先月25日の朝に銀行へ赴き、釣銭のための紙幣と硬貨を作ってもらった。帰国するまでの10日のあいだには、また両替の必要が起きるだろうと考えていた。ところが帰って通帳を確かめてみると、その跡は無かった。紙幣と硬貨はその後も、漸減はするものの、どうにか今日まで保った。お客様の数が予想したより少なかった、ということではない。いわゆる「キャッシュレス」の進捗によるものだろう。
釣銭を得るためには相手の手間も考えて、銀行には朝一番で行く。今日は時間を確かめないまま会社を出たところ、銀行はいまだ開いていなかった。ATMは8時45分から使えるため、とりあえずは小口現金のための幾ばくかを払い戻す。
午後、本日2度目の納品のため道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ行くと、売場の冷蔵ショーケースと裏手の冷蔵庫の2個所に充分に置いたつもりだった、らっきょうのたまり漬「ピリ太郎」が売り切れていた。即、持参したそれを売場に並べる。今日は普段の倍の量を包装係に頼んでおいて良かった。明日もまた、製造係には倍の量を頼むことにしよう。
一年中、ではあるものの、特に秋には、油断は大敵なのだ。
朝飯 茄子とパプリカとピーマンの味噌炒り、長葱のソテーを添えた目玉焼き、納豆、蓮根のきんぴら、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 レタスとソムタムを添えたビーフステーキ、マッシュドポテト、3種のパン、チーズ、チョコレートケーキ、VOSNE-ROMANEE Jean GROS 1985
2024.10.17(木) 満月
今月9日の日記に書いた事務机の上の整理整頓がいまだ効いているため、気分は良い。いますべき楽しい仕事としては、来年のカレンダーに予定を記入していくことだ。
「毎年、おなじ時期におなじ仕事が巡ってくる」という人もいれば「年ごとにすべきことは違ってくるから、先々の予定は立たない」という人もいる。「目標は高く掲げ、予定は嘘でも入れろ」という人もいる。僕はカレンダーには「既にして決まっていること」と「みずから勝手に決めたこと」のふたつを記す。後者については、有り体に言えば、まぁ、遊びのたぐいである。
嘘でも構わず入れた予定が現実味を帯びてきたときには、大抵、日時に多少のズレが生じる。紙に書いたそれをズラすには、インク消しとペンが必要になる。日程管理をコンピュータで行えば、インク消しとペンは必要なくなる。しかし僕の場合、いじくり回して楽しいのはやはり、紙にペンで書く予定である。目に訴える力が強いからだろう。
ところで今日はスーパームーンとのことにて、初更、外へ出たところでそれを画像に残す。残したところでそれはスマートフォンの小さなレンズによるものだから、普段の月との違いは分からない。そして「今年の満月も、あと2回か」と思う。
朝飯 2種のおむすび、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、若布と長葱の味噌汁
昼飯 茄子の味噌炒りのつゆのざるうどん
晩飯 「食堂ニジコ」のキュウリの辛子和え、ピータン、エビマヨ、鶏の唐揚げ、麦焼酎「二階堂」(お湯割り)、家に帰ってからのエクレア、Old Parr(生)
2024.10.16(水) 伊豆治療紀行(29回目の2日目)
このホテルにはロビーの奥に展望のためのデッキがあり、寝椅子が置いてある。早朝、そこに寝そべって、伊豆の空の明ける様子を眺める。半袖半ズボンの館内着でも、寒さは感じない。
家内は8時50分に予約したタクシーで、ひとり富戸の漁港に去った。「伊豆高原痛みの専門整体院」での治療による痛みは、きのうのそれよりも随分と楽になって助かった。来月、再来月は繁忙ではあるものの、休まず伊豆を訪ねるべきだろう。
熱海駅の新幹線のプラットフォームから、新橋の大衆床屋に予約を入れる。品川を経由して新橋に出て、先ずは昼食を摂る。雑居ビルの中を進んで床屋に近づいていくと、通路に出した椅子にまで待ち客は溢れていた。
あれやこれやして、夕刻いまだ早い時間に北千住に到る。ここしばらく持ち歩いていた高野秀行の「辺境メシ」の「おわりに」に続く「謝辞」を読みながら、髙野をバクタプールの水牛づくしの店に案内をしたのはカトマンドゥの料理屋「ムスタン・タカリ・チュロ」のあるじだったことを知る。この店では僕も2013年7月13日に会食をした。僕はダルバーツを肴に、その名も”GORKHA”というビールを飲んだのだった。
さて活字が枯渇してはひとりで飲み食いができないたちにより、駅ビル8階のブックファーストで迷いに迷いつつ、ようよう文庫本1冊を選ぶ。
本の購入には迷ったものの、飲み屋から戻った駅ビルでは酔った勢いにてかなり高いチーズを迷わず買う。そして18時33分発の下り特急に乗る。
朝飯 「亀の井ホテル伊豆高原」の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 「ドトール」のチーズインミラノサンド、コーヒー
晩飯 「加賀屋北千住店」のあれや、これや、それや、チューハイ、それを濃くするためのナカ
2024.10.15(火) 伊豆治療紀行(29回目の1日目)
下今市09:34発の上り特急に乗ると、北千住を経由して東京駅には11時30分に着く。新幹線を使った移動には、いつまでも慣れない。東京と伊豆高原のあいだの往復の切符を買うときにはいつも、その経路を記した、カードケースに入れた紙を係に見せることにしてる。係はそれを左手に持ち、右手でスタイラスペンを操作して、僕と家内の切符を発券した。
熱海を経由して伊豆高原には13時57分に着く。間もなくホテルのバスが駅前のロータリーに現れる。車内での30分ほどの待ち時間は、本を開きさすればすぐに過ぎる。ホテルに着いた時間は記録していなかったが多分、14時50分にはなっていなかったように思う。
いまだチェンライにいた今月はじめのこと、ベッドの上に置いた衣類を取ろうとしたときに「あわやギックリ腰」という一瞬があった。「伊豆高原痛みの専門整体院」のワタナベ先生は診察台にうつぶせた僕の腰から背中までを観察して「そのようなことが起きた形跡は見られない」と言い、しかし「そうか」と、今度は起き上がって診察台に腰かけるよう促した。そして「やっぱり」となにやら納得をした。とても珍しい例ながら、直立した背中にはありありと、筋肉の緊張が浮き出たという。
その背中に9,000ボルトを発する電子ペンを押し当てられる。更にはその電子ペンに体重を預けるようにして背中を後ろに倒すよう先生は命じた。電子ペンは患部の状態が悪ければ悪いほど痛みを感じさせる。しかしその痛みはすぐに引いていった。背中から腰にかけての張りは、それほど頑固なものではなかったらしい。膝の治療は前回9月はじめよりは痛みを感じたものの、身を固くし、ひと言も発せられないまま冷や汗を垂らし続ける、というところまでは達しなかったから助かった。
チェンライの客室の椅子は化粧台のスツールのようなもので、そこに座って日に数時間もコンピュータに向かっていたことが「あわやギックリ腰」の原因ではなかったかと、僕は推理を開陳した。「それだ」と先生は断じ「次は日に1,000円とかでビジネス用の椅子を借りたらいいよ」と提案した。「その半額で足りるでしょう」と僕は答えつつ「あるいはタダでイケるかも」と、フロントのオネーサンの顔を思い浮かべつつそろばんを弾いた。
ホテルは今春から3回目になる宿泊を勘案してか、部屋を露天風呂付きのそれにアップグレードしてくれた。これなら大風呂に行く必要はなく、しごく便利だ。ホテルでの夕食は19時30分からと、みずから時間帯を選んでおいた。そして21時より前に就寝する。
朝飯 茄子とピーマンとパプリカの味噌炒り、目玉焼き、納豆、蓮根のきんぴら、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、ごぼうのたまり漬、メシ、おとといの鍋を流用した味噌汁
昼飯 「紀伊國屋」の2種のおむすび、JAVA TEA
晩飯 「亀の井ホテル伊豆高原」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、「澤乃井」の特別純米(冷や)
2024.10.14(月) 「だから」
とにかく僕の生活は、いまだ暗いうちに起きないことには成り立たない。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」にはインターネットを経由して今月、来月はおろか、12月と1月のご予約も入っていた。それらに逐一、ご返事をお送りする。
隠居の床には現在、高久隆古の「秋景山水の図」が掛けられている。次は何にしようかと考え、コンピュータの中の一覧表を開く。恵比寿講もちかければ、羅漢山人による「大黒天の図」など、どうだろう。保存が悪くて皺だらけではあるものの、ウチに掛け軸の優品はほとんど皆無、である。
昼食のための素麺の在庫が切れている。長男に教えてもらった店は商売っ気がなく、昨秋はダイレクトメールが届いても、ウェブショップは夏に売り切れたままだった。電話で問い合わせたところ、お店の人はそのことに気づいていなかった。今年は数日前まで売り切れの表示が出ていたため、メールで問い合わせてみた。お店の人は「そろそろ在庫も溜まってきた」とのことで、売り切れの表示を解除してくれた。
素麺は200日分を一気に注文した。これが枯渇するのは4月か5月。とすれば、素麺屋は夏の繁忙期には入っていないから、そこでまた秋までの分を買えば良いだろう。
夕食はビーフステーキと「汁飯香の店 隠居うわさわ」へ出かける前の家内から聞く。時刻は5時55分。となれば、朝のうちから赤ワインを立てて置く必要があると、それをメモに残す。
日中、今日もまた自由学園男子部の後輩が店に来てくれる。日光彫の店を探しているとのことだったので、それなら日光街道を6キロメートルほど遡上する必要があると答えると、今しがたそこから降りてきたところで、その周辺は大渋滞により駐車はおろか停車をする場所すら見あたらなかったという。「だから」という言葉を僕は飲み込んだ。日光で何かがしたければ、行楽シーズンの連休を外して来れば良いのだ。僕からすれば極々簡単に思われることの、できない人のあまりに多いのはなぜだろう。
朝飯 焼きおむすび、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、きのうの鍋を流用した味噌汁
昼飯 きのうの鍋を流用したうどん
晩飯 南瓜のすり流し、トマトとレタスとベビーリーフのサラダ、隠元のバターソテーを添えたビーフステーキ、BOURGOGNE HAUTES COTES DE NUITS Jean GROS 1985
2024.10.13(日) 極楽
南の国にいると、1日に一体全体、何度シャワーを浴びたかを指折り数えても、否、指を折ることなどはとてもできずに思い出せない。秋の行楽シーズンにおける、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への配達も、また同じ。何かを納めに行けば別の何かが減っている。よってそれを持っていく。すると「まだそれほど減っていないに違いない」と高を括っていた商品が案に相違して売り切れ寸前になっている。よってまたまたそれをホンダフィットに積んで、ということが続くのだ。
道の駅への本日最初の配達は8時05分。会社に戻ってくると、いまだ開店前にもかかわらず、駐車場には既にして10台のクルマがあり、キャッシュレジスターには長い列が見られた。連休中は、渋滞をするより前に目的地へ向かおうとされる方がいらっしゃるため、今朝のようなことが起きやすい。それはまた、とても有り難いことだ。
道の駅へ商品を納め、戻ってくると、店の駐車場はお客様のクルマで満杯。よってすこし離れた別の駐車場にホンダフィットを回さざるを得なかった、ということが今日は2度も起きた。このような賑わいぶりが、勤労感謝の日のからむ11月24日まで続くと考えれば、とても嬉しい。
夕刻、自由学園男子部の後輩がふたり、ほとんど間をおかず顔を見せてくれる。店内はとても忙しく、ゆっくり相手をしていられないのももどかしい。ふたりとも大変な渋滞に巻き込まれたあげく、ようよう辿り着いたという。
地元に住む者としては、日光には真夏か真冬に来るのが吉と断言する。名所旧跡より青い空に積乱雲。滝に紅葉より雪の露天風呂。渋滞も喧噪も皆無の極楽が、そこにはあるのだ。
朝飯 茄子の味噌炒り、納豆、めかぶの酢の物、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、じゃがいもと若布の味噌汁
昼飯 ざるうどん
晩飯 豆腐と鶏肉と長葱の鍋、焼きおむすび、ごぼうのたまり漬、夏太郎らっきょう、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2024.10.12(土) 食事会
長男が新宿高島屋に出張をしていた先月下旬には僕が、以降は長男が取材に対応してきたものが今朝はNHKの「おはよう日本」で放送されると聞いていた。番組が始まるのは6時30分でも、上澤梅太郎商店が紹介されるのは7時40分ころとのことで、その時間には出勤をしてくる社員のために事務室のシャッターを上げている。なかなかの綱渡りである。
毎日一番に出勤してくる包装主任のヤマダカオリさんを社内に招じ入れると同時に4階へ戻り、テレビの電源を入れ直す。特集は「東照宮から広がる日光の職人技」というもので、僕が1階へ降りていた時間帯を除いて紹介されたものは、東照宮、輪王寺、二荒山神社などを案内する堂者引き、修学旅行で陽明門の彫刻を見て日光彫りの職人を目指した若い女性、そして上澤梅太郎商店のたまり漬だった。放送された内容は取材の丁寧さを裏付けるもので、多いにありがたく感じた。
午前の早い時間から道の駅「日光街道ニコニコ本陣」で、上澤梅太郎商店の商品の一部に売り切れが発生する。普段はそれほど動かない品物にて、明らかに今朝のテレビの影響だろう。以降もなにやかやと忙しく、昼食は道の駅で買ったものを事務室でそそくさと摂った。
閉店後は隠居に移動し、社員と食事会を持つ。今年は春から秋にかけて社員が増えた。それらの人たちに、上澤梅太郎商店の商品を用いた料理のあれこれを知ってもらうことが今夜の食事会の目的だった。会は和やかに有意義に進み、20時にお開き。社員の協力もあって20時30分には家内や長男と共に母屋に戻ることができた。降り始めた雨は、明日の朝には上がっていることだろう。
朝飯 牛丼、生玉子、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと玉葱と若布の味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」のサンドイッチ、牛乳
晩飯 「しょうがのたまり漬」と「にんにくのたまり漬」を薬味にした鰹のたたき、「らっきょうのたまり漬」とツナのマヨネーズ和え、じゃがいもの素揚げの「日光味噌梅太郎赤味噌」和え、グリーンサラダ、鶏肉の「日光味噌梅太郎白味噌」漬け焼き、「なめこのたまり炊」の玉子とじ、胡瓜のぬか漬け、ごはん、大根と揚げ湯波と万能葱の味噌汁、「京生麩大野」の麩まんじゅう、「湯沢屋」の酒饅頭、リンゴのパウンドケーキ、他あれこれ、「くらむぼん」の「樽甲州」
2024.10.11(金) 小旅行
きのうに1分だけ遅れて3時48分の起床。やはりきのうに1分だけ遅れて3時54分に食堂に入る。
空が綺麗になってくるのは、現在は夏より随分と遅れて5時を回ってから。屋上に上がってその様子をしばし眺める。美しさの頂点は、ほんの1分間ほどしか続かない。朝の空の美しさは、それほどに、はかない。白夜の北欧へ行けば、朝の空の美しさは日本のそれより長く続くのだろうか、などという疑問が浮かぶものの、その場へ行ってみようという気はしない。
10時すぎに、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に本日2度目の納品、書店、会計事務所とまわる途中で本日、上澤梅太郎商店で仕事のある外注SEとばったり会う。訊けばきのうは浅草からスペーシアXに乗って車内販売の「日光味噌のフリーズドライ味噌汁with LOVE」を飲み、鬼怒川に直行して、温泉旅館での前泊を満喫したのだという。
世の中が便利になれば、出張の日程も短くなる。合理的といえば合理的だが、僕も青森県田子町に農業協同組合と農家を訪ねつつ、いまだ明るいうちに宇都宮まで戻ってこられたときには拍子抜けをしたものだ。
冬のローカル線で青森まで行き、気のきいた居酒屋で晩酌をし、それ以外のことは何もせず戻ってくる、という小旅行を、いつかはしたいと考えている。
朝飯 炒り豆腐、納豆、キャベツとベーコンのソテーを添えたスクランブルドエッグ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と大根の味噌汁
昼飯 「やぶ定」の冷やしたぬき蕎麦
晩飯 「魚登久」の胆焼き、鰻重、「片山酒造」の酒粕焼酎「粕華」(生)、家に帰ってからのエクレア、Old Parr(生)
2024.10.10(木) むべなるかな
徐々に目を覚まして枕頭のiPhoneを手に取ると時刻は3時47分だった。5時台の起床には寝過ごしたことによる残念感が伴う。対して3時台の起床には得した感が満ちている。よって即、起床して洗面所を経由し、食堂には3時54分に入る。
早起きの甲斐があって、10月6日から遅れ気味だった日記がようやくカレンダーに追いついた。既にして書けていたおとといの日記を公開し、きのうの日記も仕上げてしまう。ここで時刻は4時40分。きのうの日記は書けても公開はしない。いわゆる内部留保、である。
次は、タイに行っているあいだに「汁飯香の店 隠居うわさわ」にご来店くださったお客様のご感想カードをデータベース化する。以降はよしなしごとをしつつ、朝食の時間に到る。
午後、保健所が関係する研修に参加をすると、ちかくで「寒くなりましたね」という挨拶が聞こえた。今月の初めには、栃木県内でも30℃の気温を記録した場所があったと聞く。それから10日もしないうちの凋落、まぁ、気温の低下をそう表現して良いかどうかは不明ながら、僕には季節の凋落としか思えない。
本日最後のお客様は、ダウンパーカをお召しになっていた。50年前の東京でも、体育の日の朝は吐く息が白かった。今夕のダウンパーカも「むべなるかな」なのかも知れない。
朝飯 スクランブルドエッグ、納豆、炒り豆腐、生のトマト、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 胡麻のつゆの熱盛りうどん
晩飯 夏太郎らっきょう、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、お好み焼き、焼きそば、焼きおむすび、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)、チーズのムース、Okd Parr(生)
2024.10.9(水) 硝子戸の中、事務机の上
おとといの朝は6時にようやく目が覚めた。今朝の目覚めは5時17分だった。普段は3時台、時には2時台に目を覚ましている僕としては、異常に遅い。旅先では気楽にしていたつもりでも、どこかに疲れが溜まっているのかも知れない。
バンコクを発つ先週の金曜日には、マッサージ屋で足の角質を削ってもらった。一連の作業を終えるとオバサンは「触ってみろ」と身振りで僕に促した。かかとはまるで、赤ん坊のそれのように柔らかくなっていた。それもつかの間、一昨日にはアカギレの兆候が現れ、きのうはそれが切れ、今朝はそこに楊枝の先で軟膏「ハクシン」を盛り、バンドエイドのキズパワーパッドで覆った。虫の声は既にして無い。みな死んでしまったのだ。
ところでここ数日は、どうにも仕事の能率が上がらない。その原因は事務机の上の乱雑さにありそうだ。そう考えて、正午を過ぎるころより、その整理整頓に取りかかる。整理整頓とはいえそれは、大まかに言えば机の上に積み重なったあれこれを躊躇せず捨てていく、ということに他ならない。また、8月3日の日付のある手紙にようやく返事を書いたりもする。
机の上が片付くと、溜まっていた仕事もすぐに終わりそうな気がしてくるから不思議なものだ。そしてその仕事の量は大して多くなかった。
朝から降ったり止んだりの天気だったものの、午後も遅くなって日が差してくる。西の空が明るければ、明日は晴れるだろうか。
朝飯 蓮根のきんぴら、目玉焼き、納豆、隠元の胡麻和え、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と大根の葉の味噌汁
昼飯 汁うどん
晩飯 めかぶの酢の物、菠薐草の胡麻和え、炒り豆腐、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、なめこのたまり炊、鶏肉とズッキーニのオリーブオイル焼き、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2024.10.8(火) 紅葉はいまだ
予報に違わず雨が降っている。よって店の生活雑貨を仕入れている問屋には、タクシーで向かった。仕入れは、自分の好みを無視するわけにはいかないものの、それが買っていただける品か否かを考えることも勿論である。もっともその考えが当たるかどうかは、それを店に並べ、しばらく時が経つまでは分からない。問屋から浅草まではこれまたタクシーを使い、浅草10:00発の下り特急スペーシアに辛うじて間に合う。
毎年、秋の行楽シーズンの繁忙は体育の日のからむ連休、つまり今年は今週末からはじまり、11月末の勤労感謝の日のからむ連休まで続く。広葉樹の頂点は紅葉のときにこそあると、どこかで読んだことがある。万緑のときにあると信じて疑わなかった僕には意外も意外、大意外、だった。
今月から来月にかけての特に連休は、日光方面は渋滞が激しい。今月2日の日記に書いた「人はすでに知られた場所へ行き」かつ「名もない丘に咲く名もない花の美しさ」にはまったく興味を示さないことによる。渋滞の車列に閉じ込められてにっちもさっちもいかない状態を避けるには「すでに知られた場所」は目指さず「名もない丘に咲く名もない花の美しさ」を求めるに限る。折角の休日に押しくらまんじゅうも、つまらないではないか。
朝飯 「コメダ珈琲」の選べるモーニング、ミニサラダ
昼飯 汁うどん
晩飯 夏太郎らっきょう、なめこのたまり炊、キャベツと肉団子と豚三枚肉の鍋、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2024.10.7(月) よそ行き
仕事着に限れば、僕は年間で、以下8回の衣替えをしている。
春:長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター
晩春:長袖ヒートテックシャツ+長袖Tシャツ
初夏:半袖ポロシャツ+長袖Tシャツ
盛夏:半袖ポロシャツ
秋:半袖ポロシャツ+長袖Tシャツ
晩秋:長袖ヒートテックシャツ+長袖Tシャツ
初冬:長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター
真冬:超極暖長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター+ダウンベスト
物理の世界だけでなく、人にも慣性というものがあるから、気温があるていど高くなっても、あるいは低くなっても、衣替えの次の段階に移るには、実際の気温には従いづらいところがある。加えて薄着を好む性格から、できるだけ盛夏の「半袖ポロシャツ」を維持したい。しかし今日は遂に、その上に長袖のTシャツを重ねた。
午後は上記の仕事着を脱ぎ、一般の人からすれば普段着でも、ぼくの感覚ではよそ行きのズボンとよそ行きの白いシャツに着替えた。先月8日の日記に書いたオールデンのVチップは、今朝になってようようカビ取りをした。しかし天気予報は雨の可能性を伝えている。雨にコードバンは禁物。よっていつものトリッペンを履いて家を出る。
朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、具だくさんの味噌汁
昼飯 胡麻のつゆのざるうどん
晩飯 親戚の家の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、「甚平」の鮨あれこれ、他あれこれ、「八海醸造」の「八海山純米大吟醸」(冷や)
2024.10.6(日) 赤い帽子
気に入っていたサイクルキャップを、6月のバンコクで紛失した。スワンナプーム空港から市内へ向かったタクシーの車内に置き忘れたものと思う。丸井北千住店のハンズちかくの帽子売場で求めたもので、商標は付されていなかったから、再度の購入は無理だろう。
それを悔しく感じて、バンコクにいるあいだに”narifuri”のジェットキャップを注文し、以降はそれを愛用してきた。この、僕の経済感覚からすれば決して安くない帽子を、今回のバンコクで紛失した。コモトリケー君のコンドミニアムからホテルまで使ったタクシーの中に置き忘れたものと思う。
今度は販売元がしっかりわかっているから、これまたバンコクにいるあいだにそのサイトを訪ねると、僕好みの紺色は売り切れていた。ウェブ上の中古市場を調べてみると、色違い、たとえば赤などであれば、出品があった。
虫や動物には、いかにも毒々しく、あるいは猛々しく目立って身を守るものもあれば、周囲に溶け込み目立たないことによって身を守るものもある。赤い帽子も使いようではあるだろうけれど、今は気が進まない。悩ましい限りである。
朝飯 牛肉と糸コンニャクのすき焼き風、茄子とピーマンとパプリカの味噌炒り、生玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 胡麻のつゆのざるうどん
晩飯 水菜と厚揚げ豆腐と榎茸と豚肉の鍋、ごぼうのたまり漬、夏太郎らっきょう、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2024.10.5(土) 帰社して仕事
03:10 周囲の騒がしさが、徐々に耳に届いてくる。席は最後尾に近い右側3列の通路側。直後より2列になるため、僕の後ろに席は無い。そのことにより、夜中に目覚めた際に、気兼ねすることなく背もたれが倒せたらしい。タイ航空の最後尾の常として足元は寒いものの、腰に貼った使い捨てカイロが効いて、気分は悪くない。
03:17 沖縄の上空を過ぎる。
03:20 朝食が運ばれる。そのうちヨーグルトと果物とコーヒーのみを口にする。
ミャンマーのパスポートを持った右隣の女の子は、注がれたコーヒーをいつまでも飲まない。それが、機が揺れるたびテーブルにこぼれる。女の子はそれを紙ナプキンで拭く。それでもコーヒーはそのまま置かれ、またまたこぼれ、またまた拭く、それを繰り返している。
女の子は実は気分が悪かったらしく、機が着陸態勢に入ってから遂に席を立ち、洗面所へ向かった。連れの女の子も心配をして席を立つ。眼下に東京湾アクアラインが見えてくる。乗務員さえ席に着いている。ふたりの女の子はそれこそ羽田に降りる寸前に、席に戻ってきた。
04:59(日本時間06:59) Boeing 777-300er(778)を機材とするTG131は、定刻に4分おくれて羽田空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。
07:14 機外に出る。羽田上空の天気は雨。
回転台からスーツケースが出てくるまでの、ウンザリするほど長い時間をベンチで過ごす。複数の検疫探知犬が、乗客の手荷物や、回転台の上の荷物の匂いを嗅いで回っている。そして犬に興味を示され、別の場所へ案内された乗客もまた、複数がいた。
08:06 京急空港線急行印旛日本医大行きが羽田空港第三ターミナルビルを発車。
東武日光線の下り特急の切符を予約すべく、スマートフォンを開く。北千住09:13発、09:43発、10:12発のすべてが満席。10:42発の残り少ない座席のひとつを、すんでのところで確保する。北千住駅での待ち時間は1時間34分。それでもスターバックスコーヒーできのうの日記を書くうち、時間はまたたく間に過ぎた。
下今市には12時11分に着いた。小雨が降っていたものの、駅前には運良く客待ちのタクシーが1台だけあった。それを使って12時20分に帰宅。それからの1時間と少々は荷物整理。それが済むと同時に事務室に降りる。
留守中に届いた郵便物の開封と確認だけで数時間もかかる。会計事務所からは署名の必要な書類が届いていた。8月20日から9月30日までの茗荷の買い入れ、および9月2日から同18日までのしその実の買い入れの、伝票と現金の突合の仕事も残されていた。「はやくスッパリ引退してぇなぁ」と思う。
朝飯 TG682の機内食
昼飯 「いぶきうどんエキア北千住店」のちくわ磯辺天うどん
晩飯 トマトと茸のスパゲティ、パン、Chablis Billaud Simon 2018、Bodega Contador PREDICADOR 2015
2024.10.4(金) タイ日記(9日目)
首都に来ると夜が遅くなるため、田舎にいたときのような起床時間は望めない。朝食は、8時がちかくなるころに摂った。食後は部屋できのうの日記を書く。簡単に済むはずではあったものの、飛行機の遅れ騒ぎにより、予期せず文字数が増える。
南に旅しての一番の楽しみは、プールサイドに寝転んでの本読みだ。しかし今日は朝から小雨が降っている。それでもとにかくパラソルの下の寝椅子に大判のバスタオルを敷いて「百代の過客」を開く。雨が弱くなることと引き替えのようにして、顔の周りを小さな虫が飛び始める。五月蠅くても、どこかに留まるわけではないから、捕らえようもない。それでも顔の前で両手を打ち合わせるうち、ようよう殺す。すると次の1匹が、どこからともなく現れる。次の旅には蠅にも効くというという蚊取り線香を持参しようと思う。
「百代の過客」の上巻は12時12分に読み終えた。これで活字は枯渇した。次の旅にはおなじ本の下巻、それだけでは足りないから「続百代の過客」の上巻を持参することにしよう。
部屋に引き上げてシャワーを浴び、いつもの汁麺屋へ出かけて戻ってまたシャワーを浴びる。とにかく何かをするたびに汗だらけになるのだ。風呂嫌いの人は、タイへ来たら、一体全体、どのようなことになってしまうのだろう。
部屋は15時までのレイトチェックアウトを選んでおいた。旅の最終日に大きな気持ちの余裕が持てるからだ。その15時前にスーツケースとザックをフロントに預け、持ち物は胸のセキュリティポーチのみ、という身軽さで外へ出る。チェンライのマッサージ屋”PAI”ではフットマッサージが1時間で200バーツだった。トンローの駅前では、それが30分で250バーツに跳ね上がる。BTSでひと駅のプロンポンに移動し、駅ちかくのマッサージ屋で足の角質けずりとオイルマッサージを組み合わせた1時間30分のコースを頼む。それだけでは夕食の時間にはいまだ早いため、駅に直結の商業ビルに入ってしばらく逍遥する。
「タイでの最後のメシはここ」となかば決めているトンローの食堂の、外の席に着く。オネーサンにはメニュを所望し、はじめての料理を取る。”Fried squid with salted eggs”と説明のあるその料理のタイ語での名を訊くと「パムパッカイレーン」と、オネーサンは教えてくれた。”salted eggs”とは鹹蛋のことで、タイ語ではカイケム。料理名に「ケム」が抜けているのはなぜだろう。このパムパッカイレーのソースを残すに忍びなくて、オネーサンにごはんを注文する。「小さいお椀で」と添えると「お椀の大きさは決まっています」と言われて納得をする。
そのごはんの運ばれるのが遅いから、オネーサンに催促をする。オネーサンは「分かってます」と返事をしてくれたものの、更に若い女の子が運んできたのはこの店の名物オースワンだった。「これは頼んでないよ」と強く言うと女の子はいちど奥に下がったものの、先ほどのオネーサンが「確かに注文されてます」と、それをふたたび持って来た。「ホントに」と僕は怪しみながらも、それを食べることにする。美味いことは美味いのだ。そしてごはんは遂に届かなかった。このようなことにいちいち激高をしているようでは、タイを楽しむことはできない。
スクムヴィット通りは上りも下りも大渋滞。トンロー通りは北から南へ下る車線のみ大渋滞。空港へのタクシーは、トンロー通りを南から北へ上がる車線で拾うと都合が良い。しかし雨が降ってきたこと、もうひとつはそれほど酔っていないことにより、空港へは鉄道で行くことにする。タイのタクシーやトゥクトゥクは、雨と同時に強気の料金を主張し始めることが多いからだ。
19:34 BTSスクムヴィット線の車両がトンローを発車。
19:51 その車両がパヤタイ着。
きのうはスワンナプーム空港で、僕の前に券売機に並んだ白人の女の子ふたりが、それで乗車用トークンを買うことを遂に諦めた。何が難しかったのだろう。
19:59 エアポートレイルリンクの車両がパヤタイを出発。満席ではあったものの、運良くマッカサンから座れる。
20:27 その車両がスワンナプーム着。
20:40 タイ航空のカウンターでチェックインを完了。
20:54 保安検査場を通過。
20:58 完全に自動化された出国審査場を通過。
21:05 サテライト棟へのシャトルトレインが発車。
21:07 その車両がサテライト棟に着。
21:15 107番ゲートに達する。搭乗券には22:05と示されている搭乗時刻が、こちらの電光掲示板では22時45分と示されている。
22:41 うたた寝をするうちあたりが騒がしくなって、それが搭乗のはじまりだった。
23:02 最後尾から3番目の通路側。70Hの席に荷物を置くと同時に洗面所へ行き、使い捨てカイロを腰に貼る。
朝飯 “La Petite Salil Sukhumvit Thonglor1″の朝のブッフェ其の一、其の二、其の三
昼飯 「東明」のバミーヘン
晩飯 “55 Pochana”のパムパッカイレーン、オースワン、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2024.10.3(木) タイ日記(8日目)
目を覚ましたのは2時38分。日記を書くことをはじめ、あれやこれやするうち時間はたちまち過ぎる。荷作りを終えると時刻は7時25分。朝食を急がなくてはならない。
食堂からプールサイドを経てロビーに戻る途中で、ポーチに車の横付けされているのが見える。時刻は7時45分。きのうの夕刻、フロントに明朝8時のタクシーを頼んだ。それがそのクルマだとすれば、随分と早い出迎えである。
07:50 そのクルマにてホテルを出る。
08:12 空港着。空港ちかくの道には雨水が溢れ、複数の警察官が交通整理に当たっていた。
タイ航空のカウンターへ行くも、職員の姿はいまだ見えない。ロビー中ほどまで進んで、椅子でひと休みをする。
08:32 エックス線も含めたチェックインを完了。
08:48 保安検査場を通過。
08:49 2番ゲートに到る。
09:00 楽天のゴールドカードを契約すれば誰でも持てるプライオリティカードに対応した”The Coral Lounge”を見つけて、ここに落ち着く。
09:55 レースのカーテン越しに見る2番ゲートはいまだ開かないものの、飛行場の場内アナウンスで呼び出されたことのある僕は粗相を恐れてラウンジを出る。
10:20 搭乗口の頭上にある電光掲示板に”DELAYED”の文字が現れる。
“DELAYED”の理由を確かめるためか、乗客が搭乗口に並び始め、僕もその列に加わる。僕の番が来ると係のオニーチャンは「機材の不良にて、別の機材をスワンナプーム空港から手配中です」と言う。「どれくらいの遅れですか」と訊く。オニーチャンの「Two P.M.」という答えを聞いた途端「エーッ」と思わず声が出る。こんなことは初めてだ。
11:05 「TG131の乗客には飲み物と食べ物のクーポン券をお渡しします」とのアナウンスが流れると、ふたたび搭乗口に人が並び始めた。しかし僕は「メシはラウンジで食えばいいや」と、コンセントでiPhoneに充電をしながら動かない。
12:50 午前にも使ったラウンジに入り直して昼食を摂る。
13:51 搭乗開始。席に着いた途端、雨が降ってくる。
14:20 Airbus A320-200(328/3203)を機材とするTG131は、定刻に3時間55分おくれてメイファールンチェンライ国際空港を離陸。
14:36 機内食のチキンスピナッチのサンドイッチを食べて、腹が満杯になる。
15:35 西方にバンコクのビルのスカイラインを望みつつスワンナプーム空港に着陸。
15:50 機外に出てバスに乗り込む。
16:02 バスを降りて空港の屋内に入る。
16:07 驚くべき速さで回転台から荷物が出てくる。
16:18 日本から持参した現金で充分とは考えつつ、エアポートレイルリンクの乗り場ちかくのスーパーリッチで念のため1万円のみを両替する。得られた現地通貨は2,230バーツ。
16:25 エアポートレイルリンクの車両がスワンナプームを発車。
16:55 パヤタイ着。
17:00 ケーハ行きBTSスクムヴィット線の車両がパヤタイを発車。
次の駅ラチャテウィーからサイアムに向かいつつ「トンローのホテルに荷物を置いていては、約束の時間には間に合わない」と考えて、サイアムでバンワー行きのシーロム線に乗り換える。サパーンタクシンに何時に着いたかは記録していなかった。
むかしの石原慎太郎の小説には「ポンツーン」という言葉が盛んに出てくる。浮き桟橋のことである。サトーンの船着場のそれは、雨季、大雨、夕刻の満ち潮が重なって、乾季よりも数メートルは高かった。バンコク在住の同級生コモトリケー君のコンドミニアムの舟は、その桟橋を18時12分に離れた。
コモトリ君の家のリビングルームには。心づくしの夕食が既にして並べてあった。高層階からのバンコクの夕景はチラリとしか見ず、食事と飲酒と会話に専念をした。
コモトリ君が手配してくれたクルマには、20時44分に乗り込んだ。クルマはタクシン橋の渋滞を避けて南へ迂回し、ラマ三世橋を東に渡った。
ホテルに着いた時刻は記録していなかった。どこかを出る時の時間は大抵 メモをする。しかし着いたときにはホッとして、それをし忘れるのだ。ベルボーイはエレベータの3階のボタンを押したものの、部屋番号の先頭の数字は2だったから、いささか混乱をする。
部屋に荷物を置くと、いまだ余力を感じた。よって外へ出て、トンローのパクソイ周辺をぐるりと散歩する。
朝飯 “Blue Lagoon Hotel”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 “The Coral Lounge”の其の一、其の二、TG131の機内スナック
晩飯 コモトリケー君の家のおかず其の一、其の二、其の三、其の四、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2024.10.2(水) タイ日記(7日目)
先日、コインランドリーへ行って以降に着た衣類をIKEAのトートバッグに詰め込む。外出をする際に使うセブンイレブンのエコバッグには、ナムニャオの赤い汁やら、きのう雨上がりの道をサンダルで歩きつつ飛び散らしたらしい泥が付いていた。タイパンツを穿こうとすると、これにも泥の粒がたくさん跳ね上げられていたから、エコバッグ同様、こちらも洗うことにする。
コインランドリー”Otteri”には6時50分に入った。液体洗剤の自動販売機に10バーツ硬貨を入れて、5バーツの液体洗剤を買う。「おつりのボタンはここかな」と、灰色の四角いボタンを押すも、何も起きない。「おつりの出ない販売機だったか」と、しかたなくもう1袋を買う。
洗濯機の使い方は、先日、係のオネーサンがテキパキと代行してくれたから、いまだ不明の点はいくつかあったものの、無事に動き出した。先日の使用料は50バーツだったにもかかわらず、今朝は30バーツだった。「早朝割引きか」としばらくは得をしたつもりでいたものの、後から、それは選んだ水温が今日はデフォールトの”COLD”だったためと気づく。
洗濯機はそのままにしてホテルに戻り、食堂へ直行する。前夜、外から戻った際に受け取ったはずの食券が、今朝は見あたらなかった。机の下の冷蔵庫の裏まで調べて、しかし見つからなかった。それをフロントのオネーサンに話すと「部屋の鍵を係に見せていただければ大丈夫ですよ」と教えられて拍子抜けをした経緯が今朝はあった。
朝食の最中に雨が降ってくる。しかもその勢いは強い。食堂の出口に広げてあった傘をさしたまま「そこのランドリーまで」とベル係のオジサンに断ってから外へ出る。乾燥機が止まるまでの30分間は本を読んで過ごす。ちかくには「8時30分から20時までは毎日、洗濯、乾燥、畳みを無料で引き受けます」と書いた黒板が置かれている。ビックリ仰天のサービスである。
きのうの日記にも書いたことだが、部屋のwifiは極端に遅い。更には頻繁に切れる。椅子は化粧台のスツールのようなもので、これまたコンピュータを使うには適していない。よって試しにロビーに降りて、ここで日記を書いてみる。wifiの速度は驚くほど高かった。途切れもしない。これでは、ホテルの人には客の苦労は分からないだろう。
朝の雨はスコールだったらしく、すぐに上がった。常夏の空と雲を愛でるべく、10時45分よりプールサイドに降りる。
昼食は、何年ぶりかの食堂に出かけて摂る。意匠を凝らした店にもかかわらず、汁麺の料金は安い。汁の中で煮込まれた、オクラのように粘性のある野菜はなんだろう。納豆のような発酵臭もする。変わったナムニャオを試したければ、こちらを訪ねるべしと思う。
16時を回ったところで”PAI”に出かける。足マッサージの前半の30分間は本を読む。後半の30分間は、うつらうつらして過ごす。オバサンには50バーツのチップ。ラオカーオとコップをエコバッグに入れ忘れたため、一旦、部屋に戻る。
空は相変わらず青い。雲は白い。昼のあいだは目立たなかったツバメがどこかからたくさん現れて、その空を縦横に、また斜めに切り裂くように翔びまわっている。
ナイトバザール奥のフードコートの、黄色い鉄のテーブルに開いた「百代の過客」の「いほぬし」の章に面白い部分を見つける。
……
彼が褒めるものが、常に最もよく知られた光景や音声などにかぎられるのは、いったいなぜであろう。どうやらこれは、中世の旅人に典型的な流儀らしいのである。彼らはまず、先人の歌によってすでに知られた場所へ行く。そして彼らがそこで褒めほそやすのは、桜かもみじにかぎられ、名もない丘に咲く名もない花の美しさには、一言一句も費やすことがないのである。
……
僕が思うに、このような「好み」はなにも、中世日本の旅人に限らない。時代を問わず国籍を問わず、大方の旅行者は有名どころに押しかけ、それ以外のものには目もくれない。「松島」は芭蕉が心奪われた様子で詠嘆したがために、現在の惨状を呈するに到ってしまったのだ。おなじ例は、世界中に数え切れないくらい存在しているだろう。
本を置くと、隣のテーブルでは若い男女がチムジュムを食べている。「君たちは先が長げぇから大変だな」と思う。「オレは先が短けぇから楽だな」とも思う。
部屋には19時24分に帰着。シャワーを浴びて即、就寝する。
朝飯 “Blue Lagoon Hotel”の朝のブッフェ其の一、其の二、其の三
昼飯 「パ・ヌワン」のカノムチーンナムニャオ
晩飯 ナイトバザール奥のフードコートのモツ焼き其の一、カイジャオ、モツ焼き其の二、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2024.10.1(火) タイ日記(6日目)
天気は小雨。本館と食堂をのあいだのプールサイドには、色とりどりの傘が用意してあった。9時を前にして、ふたたび雷鳴が聞こえ始める。今日の天気は、地元の予報によれば以下の通り。
……
それほど暑くはなく、曇り。朝に時どき雨と雷雨、午後も時どき雷雨。最高気温は28℃。夜は曇り。夕方に時どき雨と雷雨。夜遅くには所々で雷雨。最低気温は23℃
……
9時30分よりプールサイドに降りる。このホテルの寝椅子のいくつかはパラソルではなく半透明の樹脂製の屋根の下にあるから、雨でもそれほどは困らない。ところが実際には、足の先には雨が当たる、空は活字が終えないほどに暗い、それに加えて落雷も心配なことにより、9時47分に部屋へ戻る。部屋はその17分のあいだに綺麗になっていた。枕銭は、おろそかにすべきではないのだ。
雷雨はますます激しくなる。出るも入るもできない豪雨である。フロントのオネーサンに確かめたわけではないけれど、ホテルのレストランは朝食のみが対象ではなかったか。おとといの日記に書いたように僕は間食をしないから、チョコレートも煎餅も持参してはいない。「なるようにしかならねぇ」と居直って、きのうの日記を書くことに専念をする。
3階の僕の部屋に限ったことかも知れないけれど、それにしてもwifiが遅い。それどころか頻繁に途切れる。だから単語をいくつか書くごとにコントロールキーとSキーを押して文字を固定させる。画像のアップロードにも時間がかかるから、電波が渋いときには机を離れ、寝台に寝転がって、すべてが転送されるまで待つ。
突然、外で鳥が啼き始める。鳥は多く、夜明けと雨の止んだときに鳴く。窓辺に近寄るとやはり、雨は上がっていた。時刻は14時25分だった。さて昼食はどうしたものか。いま食べては夕刻の酒が不味くなるのではないか。しかし食べずにいて雨雲が戻ってくれば、昼も夜も食べられなくなる。
思い切って外へ出る。おとといマッサージ屋”PAI”のオバサンが「あそこは美味しい」と指を差して教えてくれたクイティオ屋までは、たかだか100メートルほどの距離だ。小栗康平の「泥の河」で田村高廣と藤田弓子が営んでいた食堂のような粗末な、といっては失礼だが、その店の汁麺のスープは、いかにもタイ人が好みそうな甘さだった。
16時をまわったところでふたたび外へ出て”PAI”の扉を押す。そして足をマッサージしてもらいつつ「百代の過客」の上編を開く。マッサージは健康のためではない。慰み、である。頼んだ1時間の後半は、うたた寝をする。オバサンには50バーツのチップ。
目抜き通りにはいまだ入ったことのない店がたくさんあるものの、ピザ屋だのステーキ屋だの中国人観光客を目当てに作られたのだろう火鍋屋などで飲み食いをする気にはならない。きのう16時30分ころ訪ねていまだ営業していなかった店への、ひとけのない、すこし不気味な道を往く。雨上がりの気温は多分、日本のそれよりよほど低いだろう。
18時もちかければ、果たして店は営業をしていた。前回とおなじく道に面したテーブルに着く。僕の顔を覚えていたオニーチャンが笑顔を浮かべつつ近づく。僕は彼に英語のメニュを持って来るよう頼む。タイの田舎、タイのメシ、タイの酒、そして活字が揃えば天国である。
英語では”STIR-FRIED EGGPLANT”、中国語では「紅焼茄子」と表記のあった一皿を肴にラオカーオのソーダ割りを飲みつつ、先ほどとは別のオニーチャンに「この料理はタイ語では何というの」と訊くと彼は「パッマクーワ」と答えたから「それはそうでしょう」と笑いそうになる。そのときの「百代の過客」は94ページ。「唐土へ行く人よりもとどまりてからき思ひは我ぞまされる」という歌を読んで「なるほど。しかしゲンナリだね」などとひとり感想を漏らす。
それにしても今日は、きのうとは逆に酒が捗る。小さなペットボトルにラオカーオは適量と思われる量しか入れてこなかった。残念という他はないけれど、飲み過ぎもいけない。料理とソーダと氷の代金は285バーツ。釣りの15バーツは店に残した。
落ちてきはじめた雨は、大粒ではあったものの、いかにも疎らだったから、慌てもしなかった。そして、来るときの道は避けて、遠回りでも人通りのある道を辿ってホテルに戻る。時刻は18時58分。夜はこれから、という時間である。
朝飯 “Blue Lagoon Hotel”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 名前を知らない食堂のバミーナム
晩飯 「ジャルンチャーイ」のパットマクーワ、ガイサップルートロット、カオトム、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)





































































































































