2020.7.2(木) 玉、砕ける
焼肉「板門店」のはす向かい、書店”TSUTAYA”のとなりにあった「正嗣」の今市店は、しばらく前に店を閉めた。だから日光市今市地区の住民は「まさしの餃子」を、これまでのように気軽に食べることはできなくなってしまった。
その「まさしの餃子」を先般、宇都宮の駒生店から送ってくれた人がいる。そして今夜は、それを鍋で煮るという。食器棚に置いた白酒は、底から3センチほどのところまで減っている。よって2階の倉庫からあたらしい1本を食堂に運び、万全を期す。
お客様にいただいた百德食品公司の豆板醤は、いよいよ残りすくない。よって今夜はそれは使わず、プリックナムプラーを冷蔵庫から取り出す。バンコクから持ち帰ったナムプラーに日光産の青唐辛子を加えたもので、こちらの在庫は充分だ。
それはさておき九龍醤園は、いまだ豆板醤を量り売りしているだろうか。自分が香港島のそこへ行く機会があれば、10年分くらいは買って戻りたい気分だ。
ところで香港の自由、闊達、放埒、あるいは2階建てのバスやトラムの頭上に煌めくネオンサイン、そういうものの好きだった人は、開高健の「玉、砕ける」を読んで損はない。テレサ・テンの「私の家は山の向こう」に歌われるのが「張おじさん」なら、この短い小説に登場する男の名も偶然、また「張」である。
朝飯 椎茸のおひたし、スペイン風目玉焼き、炒り豆腐、納豆、大根と胡瓜のぬか漬け、しょうがのたまり漬、メシ、豆腐と油揚げと万能葱の味噌汁
昼飯 冷やし中華
晩飯 ブラッディメリー、胡瓜のぬか漬け、キムチ豆腐、春雨サラダ、隠元豆の胡麻和え、「まさしの餃子」による水餃子、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)
2020.7.1(水) 笹づくし
朝、家の竹藪から長男が竹を伐り出してきた。その枝を落とすところまでは僕も手を添えた。以降は家内や社員が手伝って、七夕の飾りを店の中に据えようとする。
竹を床に立てると、その先の高さは天井を遥かに超えてしまう。よって外へ出して地面に寝かせ、下から4節ほどをノコギリで落としてふたたび店の中に入れる。すると枝葉は大きくしなって、今度は隨分と短く感じられる。先ほど切り落としたばかりの4節を更に半分に縮め、その太い方に店の中の竹を接ぐと、ようやく格好が付いた。
この飾りは旧暦の七夕まで置くつもりと、長男は言う。カレンダーによれば、今年は8月25日がその日に当たっている。暦に則っている、とはいえ盆を過ぎての七夕飾りは、いかにもおかしい。というか、このような季節の行事を新暦で行うところに無理があるのだ。そしていくら無理があったとしても「御一新」以来の定めであれば、それも仕方がないのだ。
夕刻、必要に迫られて隠居へおもむく。すると玄関に続く6畳間の大壺に、笹の、今朝おとしたばかりの枝が大量に投げ込まれていた。ひと仕事を終えて母屋に戻ると、4階の廊下には、おとといサイトー君からもらった竹籠に、これまた何十本もの笹が枝をしならせていた。
膝のあたりにつきまとう孫に「笹の葉の歌、知ってる」と訊く。「知ってるよ」と彼女は答えて「ささのはさーらさらー」と歌い始めたと思うと、いきなりきびすを返して食堂に駆け戻った。「軒端に揺れて」から先も知っているかどうかは、明日にでも確かめてみようと思う。
朝飯 山芋と茗荷の酢の物、油揚げと小松菜の炊き合わせ、大根おろしを添えた揚げ茄子と揚げパプリカ、炒り豆腐、椎茸のおひたし、しょうがのたまり漬、メシ、若布と蕪の茎の味噌汁
昼飯 らっきょうのたまり漬、しょうがのたまり漬、3種のぬか漬けによるお茶漬け
晩飯 コーンポタージュスープ、スパゲティナポリタン、Petit Chablis Billaud Simon 2016、チョコレート、Old Parr(生)
2020.6.30(火) ストレージがどうのこうの
1990年代も終盤に差しかかるころ、自由学園の卒業生を会員とするメイリングリストの管理人を務めていた。管理人は何人かいて、月に1度の会合は、神保町のカレー屋「ボーイズ」の上階で持たれていた。ある日、僕の持参したThinkPadの容量を訊かれて「4ギガです」と答えた。するとその、当時は巨大らしかった数字に、僕より30歳ほど年長の先輩は「4ギガ…」と絶句した。
このところTikTokに朝食の動画を上げている。撮影にはiPhoneを使う。上げる動画の「尺」は短くても、削ぎ落とす部分があるから、75秒ほどは撮る。ところが今朝は、そこまで達しないうちに「ビデオ」はその働きを止めた。
音は、街の騒音、人々の交わすことば、鳥の啼き声など、自然と耳に入ってくるもののみに触れていたい。だからiPhoneに音楽を保存してそれを聴く、ということはしない。iPhoneで写真を撮ることも、ほとんどしない。だから現在の6s Plusを買うときにも、容量は最低の16ギガバイトを選んだ。最低とはいえ1990年代に先輩を驚かせた「4ギガ」の4培である。ところがその16ギガバイトも、2020年の今では鼻クソほどのものらしい。
夕刻、食堂の食器棚のコンセントにiPhoneを繋ぐと、フワリと明るくなった画面に「ストレージがどうのこうの」と文字が出てきた。よってその指示に従って、ゴミ箱の「最近削除した項目」からすべての画像を「完全に削除」する。これで明日からはまた、75秒の動画を撮ることができるだろう。
朝飯 刺身湯波、納豆、菠薐草と榎茸のおひたし、大根おろしを添えた油揚げの網焼き、生のトマト、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 紅生姜の代わりに「生姜のたまり漬」を添えた冷やし中華
晩飯 炒り豆腐、「らっきょうのたまり漬」とブロッコリーと帆立貝のサラダ、茗荷と長芋の酢の物、玉蜀黍の炊き込みごはん、薩摩芋と玉蜀黍の天ぷら、海老とズッキーニのかき揚げ、「片山酒造」の「粕華」とNoilly Prat Dryの東京下町風、チーズケーキ、Old Parr(生)
2020.6.29(月) 方便
サイトー君と夜遊びをしていたのは、たしか1982年から83年にかけてのことだ。僕より年長らしいサイトー君を「サイトー君」と気やすく呼んでいたのは、まわりの人が「サイトー君」と言っていたからだ。
いつの間にか、その夜遊びを僕はしなくなった。みな次々と結婚をして、遊んでいる場合ではなくなったせいかも知れない。あるいは遊びの拠点としていた店の移転がきっかけだったかも知れない。遊び仲間の中でも、特にサイトー君については忘れがたいものがあった。そして16年前のちょうど今ごろ、僕は「サイトー君のメルセデス」という文章を書いた。
サイトー君とは、夜遊びを止めてから今日までの約37年のあいだに3回、顔を合わた。1回目は何十年か前に東武日光線の上り列車の中で、2回目は数週間前にウチの店で、そして3回目は今日だった。
昼ごろ事務室にいると、店からガラス窓を通して僕に手を振る人がいる。サイトー君だった。カゴを集めるのが趣味だと、サイトー君は僕にとって初耳のことを告げた。「カゴは、気持ち悪くなるほど持ってるの。これ、隠居の床の間に似合いそうだから」と笑いながら、サイトー君はやおらひとつの竹籠を差し出した。轡昭竹斎の、それは作品だという。僕はその、とても自分ごのみのカゴを、ボンヤリしたまま受け取った。
僕は収集家の性質を知っている。傍から見て気持ちが悪くなるほどの数を持ちながら、なお集めようとするのが収集家の性である。「気持ち悪くなるほど持ってる」とは、サイトー君の、僕に気を遣わせまいとする方便に過ぎない。
「それで、サイトーさんの連絡先は知ってるの」と、僕と共にサイトー君を見送った長男の声で我に返る。「メールも電話番号もSNSも知らない」と答える僕に「下の名前は」と長男は重ねて訊いた。「いや、サイトー君としか知らない」と、僕は去りつつある黒いワゴン車を目で追うのみだ。「それではお礼のしようがないでしょう」という長男のことばはもっともだ。
銀座でばったり会うようなことでもあれば、鮨をおごるくらいはできる。そのような機会のあることを、僕は強く望んでいる。
朝飯 油揚げと小松菜の炊き合わせ、茄子とオクラの揚げびたし、らっきょうのたまり漬、胡瓜と人参のぬか漬け、納豆、じゃこ、メシ、トマトと万能葱の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の冷やし中華
晩飯 カポナータ、ブロッコリーと白隠元豆のスープ、白魚と人参の葉のオムレツ、玉蜀黍と玉葱とベーコンのパン、Petit Chablis Billaud Simon 2016、花林糖、Old Parr(生)
2020.6.28(日) それをそのまま
毎日欠かすことなくウェブログを書き続けてきた人の中で、新型コロナウイルスの感染が拡大して以降は、その更新の途絶えがちになる例が散見される。そのことを、何週間か前のこちらに書いた。僕の日記には、その「途切れ」がない。わけは、いくつか、ある。
「探すとか発見の人なんだ、写真屋さんは。街が表現してる。それをそのままフレーミングすればいい。美術館に行かなくても美術は街に転がっているし、演劇を観にいかなくても演劇空間はある。そこで演じればいいんだ、自分が!」
とは荒木経惟の、1984年10月25日に第1刷が発行された写真集「東京は、秋」の帯の文字だ。その荒木の言葉をウェブログに転じれば「日常が表現してる。それをそのまま文字にすればいいんだ」となる。
僕の日記の途切れないわけのひとつは、まさに「何もしなくても、諸々は向こうから来てくれる」からだ。それ以外の4つか5つについては、僕に会ったときにでも、訊いてください。
と、ここまで書いて、今日の文字数は362。400字は書こうと考えているものの、長ければ良いというものでもない。「ジャズと蕎麦は短いに限る」と、いソノてルヲは言った。日記についてもおなじと思う。
朝飯 きのうの「鰻弁当」のおかずの一部、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、生玉子、らっきょうのたまり漬、胡瓜のぬか漬け、メシ、獅子唐の天ぷらと若布の味噌汁
昼飯 「ふじや」のタンメン(バターのせてね特注)
晩飯 ユミテマサミさんの畑のトマトを搾ったトマトジュース、茹でたブロッコリー、ズッキーニの素揚げとキャロットラペを添え「にんにくのたまり漬」を薬味にしたビーフステーキ、San Pedro Castillo de Molina Carmenere D.O.Valle del Maule 2018
2020.6.27(土) ガーベラ
おととい銀座でまわった9ヶ所には鳩居堂が含まれていた。風鎮を買うためである。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」の床の間には3月の開店以来、松竹梅の軸が掛けてある。しかしその風鎮は、そこいら辺のものを組み合わせたあり合わせのものだ。家に風鎮の無いはずはないものの、どうにも見つからなければ、いずれ整えなくてはならない。
鳩居堂の2階に提げられた風鎮のうち、もっとも気に入った一対にはもっとも高い値札が付いていた。もうひとつ、僕は不覚にも隠居の壁の色を思い出せなかった。それでは風鎮も選びようがない。更には「汁飯香の店 隠居うわさわ」が正常運転になる6月27日より、床の間には2011年から今年の春までそこにあった、今井アレクサンドルのガーベラをふたたび掛けることとしていた。
そうであれば、風鎮の購入は後日に回しても差し支えはない。僕は鳩居堂の、階段の踊り場に設けられたベンチを「まるで旧帝国ホテルの一角みたいだ」と驚き見ながら1階に降りた。
今朝は、梅雨の晴れ間を逃さないようにして、母屋の倉庫から今井アレクサンドルのガーベラを隠居に運んだ。ガーベラは多分、秋の中ごろまでは、隠居の床の間にあると思う。
朝飯 油揚げと小松菜の炊き合わせ、納豆、冷や奴、しょうがのたまり漬、胡瓜のぬか漬け、生のトマト、メシ、大根と蕪の葉の味噌汁
昼飯 冷やしつけ麺
晩飯 夏野菜の揚げびたし、胡瓜のぬか漬け、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、「魚登久」の鰻弁当、「渡邉佐平商店」の「純米地酒焼酎」とNoilly Prat Dryの東京下町風
2020.6.26(金) 冷暖房機の交換
早朝の仕事には白衣やゴム手袋などの一式が必要だ。よって先ずは、それらの置かれている事務室に入る。すると部屋の3分の1ほどの面積を占める作業台から一切の物が消えていたから驚いた。今日は天井に埋め込んだ冷暖房機の交換が予定されている。そのための整理だろう。
事務室の2台に加えて店舗の天井にも吊り下げられた計3台の冷暖房機は、共通の室外機を持つ。設置から四半世紀を超えようとしているそれらは、数年前から正常に動かなくなっていた。以降はだましだまし使っていたものの、その命脈も遂に、昨年、尽きた。夏の暑さは扇風機で凌いだ。冬の寒さは石油ストーブで凌いだ。その不便をいつまで放置するわけにはいかない。
工事には2日間が予定されていた。しかしその後、人員を一気に投入して1日で終わらせることになった。8時30分から始められた作業は16時に完了した。業者に使い方を教わった真新しい機械からは、これまた真新しい冷気が吹き出した。この、環境の改善された事務室にて、今夏は精一杯、ご注文を承りたい。
朝飯 油揚げと小松菜の炊き合わせ、納豆、茄子のソテー、生のトマト、冷や奴、胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬、メシ、胡瓜と若布の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のスーラーメン
晩飯 パン、茹でたグリーンアスパラガスとトマトのスパゲティを添えた鮭と帆立貝のクリームソース、Petit Chablis Billaud Simon 2016、メロン、「共働学舎新得農場」のチーズ「ラクレット」、Old Parr(生)
2020.6.25(木) 久しぶり
タイから帰国して以来、およそ3ヶ月ぶりに県境を南下し
浅草から乗った地下鉄銀座線が日本橋に差しかかる。時刻は9時55分。目的地は銀座だが、途中下車をしてみる。買い物をしようとした高島屋はしかし、10時の開店が10時30分になっていた。よってそのまま銀座まで歩き、喫茶店でしばらく本を読む。そして10時45分に、本日の最初の目的を果たすべく中小企業会館の8階へ上がる。
1時間後に外へ出て、ポケットからメモを取り出す。そこにはすべきこと、訪ねるべき場所が7つ書いてある。それよりふたつ多い9ヶ所を回るうち夕刻になる。
今回の上京に先だって、きのうは、なじみの店に恐る恐る電
朝飯 ムースーロー丼、らっきょうのたまり漬、菠薐草と若布の味噌汁
昼飯 「よし田」のカレー蕎麦
晩飯 「鮨よしき」の酒肴あれこれ、鮨あれや、これや、それや。「亀の海」の純米吟醸「蝉しぐれ」(冷や)、「山本合名」の純米吟醸「和韻」(冷や)
2020.6.24(水) ムースーロー
大きなボウルの水に、梅の実が浸してある。今週末に「汁飯香の店 隠居うわさわ」で甘味になるものだ。ことし紀州の梅は壊滅的な不作と伝えられている。とすればこの立派な梅は、どこの産だろう。
山下洋輔の文章が滅法おもしろいと教えてくれたのは、後に同級生の中でいちばん早く亡くなることになるハセガワヒデオ君だった。面白ければ、その人の本はほとんどすべて舐め尽くすのが僕の流儀だ。同級生コバヤシヒロシ君の家の、野尻湖にある別荘にはじめて泊めてもらったときには「インド即興旅行」を持参した。
当時の山下の随筆には新宿の中華料理屋「石の家」のムースーローがやたらと出てくる。僕が生まれてこのかたもっとも満腹になったのは、この店でムースーローとライスと野菜スープを平らげたときだ。腹が満ちすぎると人は直立できないということを、僕はそのとき初めて知った。
特に目立った風味は持たないものの、その食感には不思議なものがある、という食材が好きだ。キクラゲももちろん、そこに含まれる。今朝はそのキクラゲが到来した。よって夜は家内にムースーローを作ってもらった。梅雨寒にて麦焼酎をお湯割りにしたが、白酒の方が似合ったかも知れない。
朝飯 茹でたブロッコリー、スペイン風目玉焼き、ごぼうのたまり漬、大根と人参と胡瓜のぬか漬け、メシ、鯖の水煮と玉葱の味噌汁
昼飯 「やぶ定」のカレー南蛮蕎麦
晩飯 胡瓜とオクラのナムル、白菜キムチを載せた冷や奴、菠薐草と海苔のおひたし、なめこの味噌汁、ごぼうのたまり漬、ムースーロー、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、「久埜」の栗饅頭、Old Parr(生)
2020.6.23(火) 自分ごのみ
きのう道の駅「日光街道ニコニコ本陣」で、地元の農家によるらっきょうを買ってきた。それを漬物にすべく、早朝より下ごしらえを始める。
先ずは無香料の石鹸で入念に手を洗う。その手が乾いたらアルコールを吹きかけて消毒をする。
らっきょうはざるにとって流水で洗い、皮を剥く。次にその頭と尻を包丁で落としてキッチンペーパーで水を切る。それを今度はボウルにとり、塩で揉む。いまだ余計な皮が残っていれば、ここで自然に剥ける。塩もみしたらっきょうはジップロックの袋に収め、冷蔵庫の野菜室に格納する。明日からは、そのときどきに応じて別の手を加えていく。
「らっきょうなら売るほどあるではないか」と問われれば、今朝のらっきょうは、お客様の好みではなく、自分の好みに合わせたらっきょうである。酒の肴になるまでに、ひと月くらいはかかるかも知れない。
今日はまた、2013年に102歳で亡くなったおばあちゃんの、祥月命日である。よって9時すぎに家内と如来寺のお墓を訪ね、お参りをする。帰社してからは、好きな「マイツール仕事」に取りかかる。僕はコンピュータにはからきし弱い。しかし稀代のデータベースソフト「マイツール」については、すこしばかり詳しいのだ。
朝飯 キャベツとベーコンのソテー、納豆、牛蒡と人参のきんぴら、菠薐草の胡麻和え、だし巻き玉子、ごぼうのたまり漬、胡瓜のぬか漬け、メシ、ブナシメジと万能葱の味噌汁
昼飯 胡麻だれの冷やし中華
晩飯 ベビーリーフと鶏笹身肉のサラダ、茹でたブロッコリーと炒めたエリンギを添えた鯛のムニエル、Petit Chablis Billaud Simon 2016、「共働学舎新得農場」のチーズ「レラ・ヘ・ミンタル」、Old Parr(生)