2020.3.3(火) タイ日記(2日目)
目を覚まして数秒を経てようやく、いま自分はウドンタニーにいる、ということに気づく。サイドボードにiPhoneを手探りする。時刻は2時ちょうど。就寝が20時であれば、この目覚めの時間も「むべなるかな」である。
海外へ出たときの、特に1日目の日記は長くなる。その日記を書くうち、ひどく腹が空いてくる。旅先にはいつも持参する粉末のコンソメスープを飲んで、その空腹を紛らわす。
明け方がちかくなるころ、妙な音に気づく。風がどこからか吹き出しているような音だ。しかし部屋の冷房は止めてある。風呂場の換気扇も止まっている。しばらくするうち、またその音が高くなる。部屋とベランダを隔てている二重のガラス戸を開いてみる。音は果たして、目と鼻の先にあるバービヤ街”Day & Night”の巨大なトタン屋根を、雨が激しく打つものだった。それにしても、ウドンタニーの天気はめまぐるしく変わる。雨期は、いまだ始まっていない筈ではなかったか。
長い日記を完成させてから食堂に降りる。プールサイドには卵料理を注文できる屋台が出ているものの、宿泊客が少ないせいか、そこに調理人の姿は見えない。
今朝は髪に寝癖ができていた。よってきのう、目抜き通りを駅へ向かう北側の歩道に見つけておいた床屋”LONDON”へ行く。2種のバリカンによる調髪と顔剃りで料金は200バーツ。僕はタイではいつも、バリカンには2番の下駄を履かせてもらう。しかしこれではすぐに長くなってしまいそうだ。次は1番で頼んでみよう。
散歩をしながらホテルに戻り、以降は午後までプールサイドで本を読む。
きのう予約をしておいたマッサージ屋には15時前に入った。タイのマッサージは、古式であれオイルであれ、持ち時間の8割は足と脚への施術に費やされるような気がする。今日はふくらはぎの内側、脛の骨に沿ったところを長々と責められた。オバチャンの指は、コリを見つけると、そこに長く留まって、強く揉み続ける。その痛みに思わず、背筋に緊張が走る。脚のコリをほぐすために背中のコリがひどくなる、というようなことはないのだろうか。
マッサージの途中から、雨が激しくトタンの軒先を叩き始める。日に2度は雨が降る。その雨は日本の夕立とおなじく、いきなり落ちてきて、しかしすぐに止む。雨の弱くなったところで外へ出る。雨は、セントラルプラザの中を徘徊するうち、ふたたび強まった。しばらく雨宿りしてから、ようやくホテルへの道を辿る。
夜は、きのうに引き続いて、目抜き通りの駅ちかく北側のナイトプラザへ出かける。きのうとは異なるカオカームー屋で、そのごはん抜きを注文する。結果は失敗。味は悪くないものの、作り置きのため冷たい。おまけに粘度の高いソースが大量にかけてあって、味が濃すぎる。仕方なくそれを肴にラオカーオのソーダ割りを飲む。しかし今夜の食事がこれだけでは気が済まない。
きのうセンヤイパッキーマオを注文した店で、きのうの女の子にカオパックンを頼む。それで仕上げて、今夜の飲酒活動を完了する。
ホテルの建つサンパンタミット通りは、ウドンタニーにふたつみっつあるバービア街のひとつだ。客のほとんどは、からだに刺青を施した白人である。まるで浦島太郎だが、ここで遊ぶうち、いつのまにか年を経てしまったように見受けられる老人も少なくない。この街にはかつて、アメリカ軍の基地があった。しかしそれは、遠いむかしのこと。この街に白人の多い理由は何だろう。
部屋に戻り、シャワーを浴びると時刻は19時50分。夕刻に降った雨は気温をいちじるしく下げて、冷房の必要はない。即、明かりを落として就寝の体制に入る。
朝飯 “The Pannarai Hotel”の朝のブッフェ其の一、其の二
晩飯 駅からの目抜き通り北側のナイトプラザのカームー、カオパックン、ラオカーオ”RUANG KHAO”(ソーダ割り)
2020.3.2(月) タイ日記(1日目)
うつらうつらするうち、機は滑走路まで移動をして、やがてエンジンが轟音を発する。”AIRBUS A330-300″を機材とする”TG661″は、定刻に10分おくれの00:30に羽田空港を離陸。数分後に「ポーン」という音は聞こえたものの、シートベルトの着用義務が解除された旨の電光は掲示されない。やがて前の人が椅子の背もたれを倒す。それに倣って僕も背もたれを倒し、同時に胸のポケットに、飲みやすいようあらかじめ小さな袋に分けておいたデパスとハルシオン各1錠を服用する。
「あんた、両方のまないと効かないよ」とオフクロの遺したこの2種の薬は、効くときにはまこと、一瞬で効く。しかし今日に限っては、いつまでも効かない。後席の女の二人連れは、ようやく会話を止めた。ちかくの席にいるらしい小さな子供も、いちど叫んだきり静かになった。僕の席より後ろには、ラオスとミャンマーの若いサッカー選手たちが、静かに寛いでいる。それにしても眠れない。特に下半身が、毛布を巻きつけているにもかかわらず寒い。
03:55 ディスプレイに現在位置を探ると、機はいまだ台湾本島の最南端、つまり鵝鑾鼻のあたりを飛行中だった。いつもであれば、目覚めたときには、機は既にして海南島の東海上に達していることが多い。
05:35 いつの間にか機内が明るくなり、客室乗務員は熱いおしぼりを配り始めている。
05:50 朝食の配膳が始まる。
06:10 ダナンの海岸線からベトナムの上空に入る。ディスプレイには”BKK→1H5M”の文字。
06:11 洗面所で口をゆすぎ、歯を磨く。
06:15 客室乗務員がプラスティックの手袋をはめた手で、タイの入国カードを配り始める。別の客室乗務員は、これまた手袋をして、洗面所の扉の取っ手をアルコールで拭いている。
07:04 地上の明かりが見え始める。バンコクの上空には、ところどころに低い雲がある。
07:07 機体から車輪が降ろされる。
“TG661″は、定刻より15分はやい日本時間07:10、タイ時間05:10にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。
05:29 新型コロナウイルスへの水際対策により、数日前に新設された体温測定装置の前を通過。ちかくに立つ複数の係員は「はいはい、どんどん進んでー」というような手振りで旅客を先へと急がせる。その脇を我々は重なり合って通過する。そんなことで、個々の体温など計れるものだろうか。
05:35 入国審査場を通過。
05:38 5番の回転台の前まで行くと、僕のスーツケースは既にしてその上を運ばれていくところだった。
05:48 到着階の3階から出発階の4階へ上がって”TG2002″への搭乗手続きを完了。
手持ちの現地通貨は8337.5バーツ。僕はお金は大して使わない。普段であれば、これでしばらくは不自由しない。しかし今週末に参加をするバンコクMGの参加費用は、今回からバーツ払いになる。よって大事を取って、今日のうちに両替を済ませておくことにする。
06:06 エスカレータとエレベータを使って地下1階に降りる。そしてエアポートレイルリンクの券売機ちかくに並ぶ両替所の、各々の為替レートを見ていく。その結果、すべての店で1万円は2,880バーツ。即、ひとりの客も集めていない”Value Plus”で3万円のみを両替。消毒用のアルコール綿をオマケにもらう。
今度はエレベータで一気に4階へ戻る。スワンナプーム空港に人の少ないことは羽田空港とおなじ。いつもはそこここに溢れかえっている中国人の姿は皆無。認められた団体は、インド人によるそれひと組のみ。
06:28 保安検査場を抜けてB4ゲートに達する。
06:48 搭乗開始
07:25 “AIRBUS A330-200″を機材とする”WE002″は、定刻に5分おくれてスワンナプーム空港を離陸。
07:40 客室乗務員により機内食が配られる。タイスマイル航空の質素な機内食が、僕は好きだ。
「新幹線の食堂車でステーキを食べる人が嫌いだ」と、山口瞳は書いた。一方、ある食味評論家は、女性客室乗務員と自分のあいだで交わされた、そのとき機内に用意されていた”Chateau Lascombes”を巡る、機知に富んでいるらしい、あるいは洒落ているらしい会話をどこかに披瀝していた。山口瞳とその食味評論家のどちらを心情的に支持するかは、人それぞれだ。
機窓から見おろすイサーンの大地は、畦で四角く区切られていることにより、それが農地ということは分かる。しかしその色はどこまでも乾いて赤い。色だけを見れば、それは農地というよりも、まるで土漠である。
いまだ機内にいるうちに、タイバーツを納めた封筒を貴重品入れから取り出す。そしてそこから1,000バーツ札1枚、100バーツ札5枚、50バーツ札1枚、20バーツ札5枚を引き抜いて財布に移す。1,000バーツ札は、これを使う機会があれば、細かく崩すためのもの。100バーツ札は、もっとも使いでのあるお札。50バーツ札と20バーツ札はチップ用。これでもいろいろと考えているのだ。
08:00 “WE002″は定刻より25分はやくウドンタニー国際空港に着陸。
08:24 回転台に荷物が出てくる。
08:28 空港の建物から外へ出る。
右手に目を遣ると、数十メートル先にバスが駐まっている。近づくに連れ、そのバスの正面に”UDON CITY BUS”の文字が見えてくる。開け放ったままの乗降口ごしに、サングラスをかけた運転手が僕に声をかける。分かったのは、男言葉で「はい」や「ですます」を表す「クラップ」のみ。「パイ、センターン?」とひどいタイ語を発すると、運転手はふたたび「クラップ」と答えつつ頷いた。料金の20バーツは運転席脇のプラスティックの箱に入れる方式だった。iPhoneのgoogleマップに仕込んだ、オフラインでも現在位置を特定できる仕組みは正常に働いている。
08:35 バスが空港を離れる。
09:09 タイ人の発音では「センターン」となる”Central Plaza”が間近に見えてきたところで下車する。”Central Plaza”はちなみに、日本人の発音では「せんとらるぷらざ」となる。
わざわざ道を渡ってきたトゥクトゥクの運転手が、ホテルまで送るという。「歩いて行くよ」と僕は身振りで示す。オジサンは「オーッ」と笑いつつ去る。
予約を入れておいたホテルは「センターン」の前から歩いて3分ほどのところにあった。盛り場の真ん真ん中である。フロントのオバチャンは「4階のデラックスルームです」と、僕に419号室のカードキーを手渡した。スーツケースを部屋まで運んでくれたベルボーイには50バーツのチップ。時刻は9時27分。山田長政の時代を思わないわけにはいかない。
水を飲む、スーツケースから衣類その他を引き出しに移す、シャワーを浴びる、日本から穿いてきたズボンをタイパンツに穿き替える、既にして完成していた一昨日の日記を更に整えて「公開ボタン」をクリックするなどのことをするうち正午に至る。
日本から履いてきた革靴をゴム草履に履き替えて外へ出る。暑いことは暑いものの、汗はかかない。ホテルのある通りから目抜き通りに出て、北側の歩道を歩きつつウドンタニーの駅を目指す。駅ではプラットフォームに入り、ロビーに戻って時刻表を確かめ、駅から西へ向かって延びる目抜き通りの写真を撮る。「そんなことをして面白いか」と問われれば、別段、面白くはない。面白くもなく、またつまらなくもないのが、僕の旅行である。
駅前から、今度は南側の歩道を伝って来た道を戻る。
「ペンッ」と、いきなり左手から声がかかる。声の主は、マッサージ屋の前に座ったオバチャンだった。タイのマッサージ師は、外で食事やおしゃべりをしながら客を待つことが多い。
タイパンツを褒めでもしたのかと、腰のあたりに手をやってみる。オバチャンは首を横に振って、僕が手に提げた、きのう北千住のマツモトキヨシで商品を入れてくれたプラスティック袋を指した。ボールペンの先端が袋を突き破って顔を出している。「なるほど、このことか」と、オバチャンに礼を言い、それまで提げていた袋を、そこからは抱えるようにして歩き出す。
そのまま100メートルほど進んだ左手に、屋台がふたつ軒を並べている。客の入りはそこそこだ。タイ航空の機内食は半分ほどを残していた。タイスマイル航空の機内食は、いつも「軽食程度」より少ない。即、店の女の人に「バミーヘン」と告げる。「肉は豚か」と訊かれて了承する。
やがて運ばれたバミーヘンは、これまで見たこともないものだった。麺はまるで日本のソース焼きそばのように色が濃く、またスープの色は、まるで番茶だ。そのスープをひとすすりすると、すごく甘い。その甘い汁に、麺に載せられた、湯がいた豚肉のすべてを沈める。麺に味付けは、ほとんどされていない。よって卓上の調味料を適当にかけて自分の味を作る。不味くもないが、美味くもない。価格は40バーツだった。
親切を受けたお礼に、先ほどのマッサージ屋へ戻る。そしてオバチャンに「オイルマッサージ、2時間ね」と告げる。人生史上、最高に効く宇都宮の整体院の先生には「タイへ行ってもボキボキ系は避けてくださいね」と釘を刺されている。以来、僕はタイに来ても、関節技のようなものをいくつも繰り出す古式マッサージは受けない。オバチャンには、このところ宇都宮の整体院で責められ続けている、太股に走る4本の筋肉を、特に強くほぐしてもらった。そして明日の15時に予約を入れる。
ホテルのプールサイドには、午後の日差しがあった。フロントの人に教わって、目と鼻の先のフィットネスセンターからタオルを持ち出す。そしてそれを寝椅子に敷き、仰向けになって石川文洋の「ベトナムロード」を開く。頭上に咲く花は、あたりを甘い香りで包んでいる。僕の旅における、最上の時間である。
夕刻、部屋の机できのうの日記を完成させる。やがて日は落ちて、腹も減ってくる。昨年9月に余らせて持ち帰ったラオカーオは、ペットボトルに入れ替えて今回の荷物に含めておいた。そのラオカーオを、マッサージ屋のオバチャンがくれた、セブンイレブンのエコ袋に納めて外へ出る。
駅ちかくの夜市のうち、今日は北側のそれに足を踏み入れる。縦に長いフードコートの店を眺めつつ、もっとも奥に達する。右手の注文屋台が目に付く。立ち止まると、肌の黒い、メガネをかけた、髪の毛はチリチリに縮れた好もしい雰囲気の女の子が僕に声をかけつつメニュを差し出した。メニュはタイ語と英語で書かれていた。その”FRIED NOODLE”のところを指しながら「パッキーマオ」と言ってみる。女の子は嬉しそうに「チャイ、チャイ」と答え、肉は何にするかと訊いた。僕の答えは大抵、豚である。その注文屋台の対面にある飲物屋台でソーダとバケツの氷を調達する。
席に届いた皿に、麺は見えない。しかし目を凝らすと、野菜の影にセンヤイが認められた。「センヤイパッキーマオ?」と訊く。「チャイ」と女の子は、ふたたび嬉しそうに笑った。
名勝や奇景に興味は無い。星付きのレストランも世界遺産も要らない。アトラクションやアクティビティは面倒だ。地元の人の集まる夜市で、地元の人の食べるものを肴にラオカーオのソーダ割りが飲めれば、それで僕は満足だ。そしてそれこそが、僕の「観光」である。
部屋に戻ってシャワーを浴びる。時刻は20時。三菱製の冷房に室温24度と1時間のタイマーを設定して就寝する。
朝飯 “TG661″の機内食、“WE002″の機内食、そのコーヒー
昼飯 駅からの目抜き通り南側センタンちかくの屋台のバミーヘン
晩飯 駅からの目抜き通り北側のナイトプラザのセンヤイパッキーマオ、カオカームー、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2020.3.1(日) いまだかつて
昨年春のダイヤ改正で、下今市18:57発の上り特急スペーシアは消えた。代わりに運行されるようになったのが、18:20発だ。ウチの閉店時間は17時30分。それからキャッシュレジスターを締め、退社する社員を見送って、となると、18時20分発はいかにも忙しい。よって今日の羽田行きには、次の19:30発を使うこととした。出発を遅らせての取り柄は、風呂に入ってから出かけられることだ。一方、この列車に遅れが生じると、羽田での搭乗手続きに間に合わない恐れも、またある。
19:30 リバティ48号が下今市を発車。
21:02 同車両が北千住に着。
東武日光線のプラットフォームからひとつ下の階に降りて、マツモトキヨシに入る。そこでリップクリームと、薬剤師の勢いに圧されて高価なビタミンCを買う。薬剤師によれば、安いビタミン剤は食料品の扱いで、薬品としての認可は受けていないのだという。そこからふたつ上の階に上がって夕食を摂る。
21:26 日比谷線の車両が北千住を発車。
22:32 人形町と泉岳寺で乗り換えて羽田空港国際線ターミナルに着。
22:40 タイ航空のカウンターで搭乗手続きを完了。
これほど閑散としている羽田空港は、かつて見たことがない。その異様な雰囲気が、東日本大震災の起きた2011年3月に、次男とベトナムへ行った日のことを思い出させる。
22:53 保安検査場を通過。
22:54 出国審査場を通過。
23:09 105番ゲートに達する。途中、ソーダ水を買った売店で安いビタミンCを見つけるも、時すでに遅し。
23:42 搭乗開始。機材変更のため65Cから60Jに指定替えされた席が、ここにきて更に50Jに変更される。
23:52 タイ航空661便の50Jの席に着く。
朝飯 なめこのたまり炊によるなめこおろし、納豆、厚揚げ豆腐と小松菜の炊き合わせ、豚肉と切り昆布の炒り煮、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、浅蜊と三つ葉の味噌汁
昼飯 「幸楽苑」のつけ麺
晩飯 「吉野家」の牛丼並盛り、お新香と味噌汁のセット、生玉子
2020.2.29(土) 既にして封緘済みの封筒に
水曜日の日記にも書いた通り、朝食に特化した「汁飯香の店 隠居うわさわ」は、3月20日(金)、21日(土) 、22日(日)の3日間に、関係各方面の方々をお招きして内覧会を催す。その招待状は長男が作り、宛名のほとんどは家内が筆で書いた。
一方、政府はおととい、新型コロナウイルスによる肺炎の蔓延を防ぐため、多くの人の集まるスポーツの試合や文化活動の、3月15日までの中止を国民へ向けて要請した。これを受けて、ウイルスを恐れてのものではない、この「非常時」に集まりを持とうとしていることへの懸念について、きのう電話をくださった方がいた。
よって今朝は、招待状の、既にして封緘済みの封筒に逐一、それについてのご説明を手書きするよう、隠居係のタカハシリツコさんに頼んだ。この根気の要る仕事に、タカハシさんは午前中のすべてを使った。僕はその封筒を、できあがった順にトートバッグに入れ、3回に分けて、計28名様にお届けした。なお、招待状のうち郵送するものについては、タカハシさんが手書きしたとおなじ文章を印刷して、同封することとした。
さて内覧会には、どれほどの方が来てくださるだろう。3日間、6回に分けて開く会は席数の関係から、いずれも10名様前後の、こぢんまりとしたものになる予定である。
朝飯 蓮根のきんぴら、豚肉と切り昆布の炒り煮、大根おろしを添えた厚揚げ豆腐の網焼き、目玉焼き、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、白菜漬け、メシ、トマトと揚げ湯波と大根の葉の茎の味噌汁
昼飯 バターとママレードと無花果のジャムとらっきょうのたまり漬のトースト、ヨーグルト
晩飯 「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」を注した白菜漬け、白菜漬けと豚三枚肉の鍋、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)
2020.2.28(金) 日本にいては叶わない
あさっての夜に羽田空港へ行く。そして日が変わって20分後のタイ航空機に乗る。そろそろ荷物を作らなければならない。
旅における、もっとも大きな楽しみは本読みだ。「本など、どこででも読めるではないか」と言われれば、本はプールサイドの寝椅子で、あるいは地元の人の集うメシ屋で読みたい。日本にいては、それが叶わないのだ。
これまでインドシナへ出かけるときには、ほとんど決まって、ベトナム戦争に関する本を読んできた。なぜベトナム戦争かといえば、小学生のころから高等学校を出てもなお、それが新聞やテレビで伝えられない日はほとんどなく、それらの活字や映像が自分の中に沈潜、蓄積をされていったせいかも知れない。
そのような本を持ちながら、なぜベトナムではなくタイなのかと問われれば、これまで何度か訪れたベトナムには雰囲気として「勤勉」があり、対してタイの、特に田舎には緩やかな空気が満ちているからだ。神経の慰撫には「勤勉」より「緩やか」さの方が断然、環境としては優れている。
今回は、石川文洋の「ベトナムロード」を選んだ。帯には「戦場カメラマン石川文洋が見た統一13年目のベトナム」の文字がある。これを僕は1988年に初版で手に入れ、しかし32年ものあいだ本棚に温存してしまった。それは、これも含めた多くの本は「将来、インドシナに行ける日が来たら、そのときこそ現地で読もう」と考えたからだ。ベトナムはそのあいだに「統一44年目」を迎えている。
「ベトナムロード」は参考文献の列記も含めて348ページ。本読みに費やせる日数は7日間。活字が尽きれば旅の愉しさは半減する。予備の本は、何にしよう。
朝飯 胡麻豆腐による冷や奴、鮭の焼き漬け、なめこのたまり炊によるフワトロ玉子、蓮根のきんぴら、トマトとレタスのサラダ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、揚げ湯波と大根の葉の茎とのげ海苔の味噌汁
昼飯 バターとママレードと無花果のジャムとらっきょうのたまり漬のトースト、ヨーグルト
晩飯 「バーミヤン」のあれこれ、紹興酒(常温)
2020.2.27(木) トロール外出
住所録の管理にコンピュータを使っている人は少なくない。しかしその住所録を、都度、様々な条件に従って並べ替えている人は、それほど多くないと思う。たとえば出張に出かける際に、先ずは郵便番号、それから住所で並べ替えれば、目的の会社あるいは人の周辺に、様々な場所や組織の存在することが分かる。「だったらこの機会に、どこへも行こう、誰にも会おう」と、一覧で判断をすることができる。これを西順一郎は著書「戦略的マイツール入門」に「トロール出張」と表現した。
職業柄、僕は遠くへ出かけることはほとんどない。しかし街で用足しをするときにはいつも、この「トロール出張」を思い出す。そして「あそこへ行くなら、ここにも寄れる。だったらこの用事も済ませてしまおう」と、それらを紙に書き出し、クルマのダッシュボードに貼る。
今日もそのようにして、営業車のホンダフィットは車検の最中にあるから、代車の日産マーチの運転席に着く。
そうして出かけたまでは良かったが、本日、何ヶ所目かの法務局に日産マーチを駐め、歩き出したところで法人カードを持ってこなかったことに気づく。免許証、保険証、病院の診察券、法人印、銀行の通帳、おなじく銀行の入金帳は持ちながら、法人カードはカバンに入れ忘れた。ここで「トロール外出」は一旦中止。仕方なく会社に戻る。
たとえ街なかのこととはいえ、準備にはもうすこし、念を入れることにしよう。
朝飯 納豆、菠薐草のソテー、大根おろしを添えた厚揚げ豆腐の網焼き、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、鮭の焼き漬け、牛蒡と人参のきんぴら、メシ、ケープムーと大根の葉の茎と若布の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 鮑のバター焼き、ホウレンソウの胡麻和え、南瓜の煮付け、大根おろしを添えた鰤の照り焼き、蓮根のきんぴら、小海老とグリーンピースの天ぷら、らっきょうのたまり漬、「秋田清酒」の「刈穂渡船特別純米」(冷や)
2020.2.26(水) お客様に負うところ
13時30分に隠居へおもむくと、家内と長男は「リビングカマトク」のアキザワマサアキさんより厨房器具の使い方を教わっていた。おなじく「リビングカマトク」による食器はほとんど、数日前に洗われて食器棚に収まっている。僕は玄関を上がってすぐの6畳間で「ツクバ材木店」のツクバヒロミさんより名刺を受け取る。奥の6畳と8畳の部屋には本日、ツクバさんにより2棹のテーブルが据え付けられていた。
隠居には、今月21日より販売係のタカハシリツコさんが配置転換をされ、屋内の掃除はきのうまでにほとんど完了した。庭の灯籠の、傾きを直し接合部を接着剤で固定し、またそこここに点在した石を一ヶ所にまとめたスドー石材の仕事は、残すところわずかになっている。植木屋の「クリーンガーデン」は当初、6日間で仕事を終える手はずになっていたものの、池泉の土さらいに手間取って、その作業は今も続いている。
朝食に特化した「汁飯香の店 隠居うわさわ」の今後の予定は以下の通り。
・3月15日(日)、16日(月) 社員をお客様に見立てての練習
・3月20日(金)、21日(土) 、22日(日) 関係各方面の方々をご招待しての内覧会
・3月28(土) 新規開業
モダンなテーブルと椅子を築百数十年の建物に馴染ませるのは、我々なのか、お客様なのか。お客様に負うところが大きいと、僕は感じている。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、大根おろしを添えた油揚げの網焼き、牛蒡と人参のきんぴら、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、牡蠣の佃煮、メシ、大根の味噌汁
昼飯 バターとママレードと無花果のジャムとらっきょうのたまり漬のトースト、ヨーグルト
晩飯 ジャガイモと玉葱のソテーの熱で柔らかくして食べるコンビーフ、TIO PEPE、人参と白菜とベーコンのスープ、3種の茸のソテー、ベビーリーフのサラダ、ハムステーキ、ジャガイモのグラタン、Petit Chablis Billaud Simon 2016、団子、Old Parr(生)
2020.2.25(火) 日本人にしては
大学の登山部では、夜明け前の暗闇の中でもアイゼンが付けられるよう、練習を繰り返すという。暗闇の中でもタンスから服を出して身支度を調えられるというのが、僕の密かな自慢である。あるいはそんなことは、誰にでもできることだろうか。
自宅にwifiの電波は飛んでいない。インターネットにはiPhoneを通じてアクセスをする。しかし今朝はそのiPhoneが、ベッドのどこかにはあることは分かっていても、見つからない。よって既にして書けている日記の「公開ボタン」をクリックしたり、あるいは新しい日記を書くことができない。仕方なく英会話の勉強をすることにする。
僕には何か学習障害のようなものがあるのか、ビジネス書などの「利益を得ようとして読む本」は一切、読めない。自己啓発書などの「みずからを向上させようとして読む本」も同じく、読めない。しかし英会話の教則本くらいなら大丈夫だ。現在時刻は5時10分。そして6時10分までは、それを読み、付属のCDを聞く。
「日本人にしては英語を話しますね」と言われたことが、過去に3度ある。先ずはサイパンで、スカイダイビングのオーストラリア人の教官に言われた。次は同級生ウィルソンアキラ君の息子がアメリカから泊まりに来たときに言われた。3度目は、タイ最北部の山中でカレン人の高床式住居に泊まったとき、その家の娘に言われた。
先方は褒めているつもりでも「日本人にしては」の前置きが付いては、めでたさも半減どころか10分の1だ。
教則本に付属のCDの中で”That’s a waste”とアメリカ人が言っている。その”waste”と”waist”の発音の違いは、どんな塩梅だっただろう。アメリカ人は更に”We’ll see wheter the newspaper print the story”と言う。その”wheter”と”weather”の発音の違いは、どのあたりにあっただろう。
タイ語でアヒルはペッ、辛いもペッ。しかしてその違いが僕には分からない。赤シャツ組の頭目で、国を追われた政治家タクシンと、かつての王様タークシンの区別も僕にはつかない。
外国語の習得とは、まことに厄介なものである。
朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、納豆、グリーンピースの玉子とじ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、牡蠣の佃煮、メシ、若布と三つ葉の味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、牛乳
晩飯 「やぶ定」の酒肴あれこれ、盛り蕎麦、4種の日本酒(冷や)
2020.2.24(月) 在庫
今朝、コンピュータの中には、おととい、きのう、そして明日でも明後日でも使える、計3日分の日記の在庫がある。在庫は過剰でない限り、現金の残高と同じく、心を楽にする。
「そもそも日記など書かなければ、在庫の心配も、する必要はないではないか」と言われれば、まぁ、それはその通りだ。しかし日記を書くことは僕の趣味なので、仕方が無い。「明日でも明後日でも使える日記とは、おかしなことを言うものだ」と問われれば「そういえば先日…」とか「このところ…」など、今日でない日のことを書く日記は珍しくない。
とにかく3日分の在庫のうち、おととい22日の日記の「公開」ボタンをクリックし、ウェブ上に現れたそれを見ながら、すこしばかり修正を加える。時刻は4時10分。余裕綽々の時間配分である。そして今日の日記の、とりあえずはここまでを書く。
きのうの売上げ金額は、前年にくらべて隨分と良かった。その反動が翌日に来ることを、販売主任のハセガワタツヤ君は心配していた。しかしそれは杞憂となった。今日の実績も、また悪くはなかったからだ。
一方、新しい天皇誕生日の一般参賀は、コロナウイルスの集団感染を避けるため、中止をされた。コンサートやスポーツの試合においても、この動きは燎原の火のように広がっている。ウチの商品を使って下さっている食べ物関係のお店の中には、会合自粛の風潮を受けて、相次ぐキャンセルに憂いを増していらっしゃるところも少なくない。
事態の、一日も早い収束を祈らない人はいないだろう。
朝飯 五目サラダ、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、牛蒡と人参のきんぴら、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、牡蠣の佃煮、メシ、若布と菠薐草と人参の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 玉子と青梗菜の中華風炒め、トマトとレタスのサラダ、春巻き、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)、バナナの春巻き
2020.2.23(日) 不思議の根拠
ウチの前で日光街道と交わる会津西街道が渋滞をしている。クルマはきのうから多かった。そして今日はきのう以上に混んでいる。三連休なら、その初日の土曜日がもっとも混みそうなものだが、不思議なこともあるものだ。あるいは渋滞の専門家からすれば、不思議でもなんでもない現象なのかも知れない。
道は、ちょうどよく流れているのがもっとも良い状態だと思う。そして閑散としている、あるいはクルマが高速で通り抜けるだけにくらべれば、また「賑わい」という観点からすれば、渋滞も、それほど悪いものでもないと思う。
事務室からは店の様子がガラス越しに見える。店が混み合うたび、事務室から店へ移動をして、販売を手伝う。あるいはお客様に商品のご説明をする。
各々のお客様が、それぞれの移動手段でお見えになるにもかかわらず、店というものは、混むときには一気に混む。そして空くときには一気に空く。そしてそれを日に何度も繰り返す。それが不思議でならない。あるいは人の心理や行動の専門家からすれば、不思議でもなんでもないことなのかも知れない。
販売係から配置転換されたタカハシリツコさんが掃除をしている隠居にも、日中に何度も足を運ぶ。隠居には、厨房を除けば4つの部屋がある。午前中は、そのもっとも奥まった部屋に、庭に面した6畳と8畳から茶箪笥や外した襖などを運び込んだ。これは、客間の掃除を一気に進めるための準備だ。今月の26日には、お客様用のテーブルが据え付けられる。それまでに、ほとんど一切の掃除は済ませておかなければならない。
午後にはタカハシさんに乞われて、より高い脚立を隠居に運ぶ。築百数十年前と思われる隠居の廊下には天井板がなく、垂木が露出をしている。そこに砥の粉のような白い汚れがある。より高い脚立は、それを濡れ布巾で拭くためのものだ。
空が、快晴を保ったまま暮れていく。ウチは、お客様が途切れない限り、店は閉めない。本日、店は定時を20分すぎて閉まった。
朝飯 牡蠣の佃煮、牛蒡と人参のきんぴら、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」によるお茶漬け
昼飯 バターとママレードと無花果のジャムとらっきょうのたまり漬のトースト、ヨーグルト
晩飯 トマトとソーセージとピーマンのスパゲティ、Petit Chablis Billaud Simon 2016、チーズケーキ、Old Parr(生)








































