2023.5.5(金) 朝にすること
町会費は月末ちかくに向こう三軒両隣の組を単位として集められ、それを我が春日町1丁目であれば東、西、中央の各地区委員がまとめて会計係の僕まで届けてくれる。会計係は重責でも、労働量のもっとも大きいのは地区委員だろう。
町会費は通常、月ごとに集められる。しかし組によっては集金の手間を減らすため、6ヶ月分をまとめて集めるところ、1年分をまとめて集めるところもある。つまり年度はじめの町会費は月払い、半年払い、年払いが混在して金額は大きくなり、記帳はより複雑になる。
その会計係としての仕事はいつ、すべきか。本来であれば、電話はかからず人も来ない明け方にすべきだろう。しかしその時間には日記を書いている。あるいは静かな環境で好き勝手なことをしている。今朝は屋上に上がって空を眺めていた。そういう次第にて、その時間にお金に触ったり数字を合わせたりすることはしたくないのだ。
そして午前も10時がちかくなるころにようよう、その仕事を始めて数十分でけりをつける。以降は店に立ったり配達をしたり製造現場に顔を出したりしながら夕刻に至る。
朝飯 茹でたブロッコリーと生のトマト、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、しいたけのたまり炊と韮の玉子とじ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、ズッキーニの味噌汁
昼飯 トースト、牛乳
晩飯 空豆の網焼き、オイルサーディンとトマトの香草焼き、トマトとレタスとアボカドのサラダ、2種のパン、生ハムのムース、ズッキーニと生ハムのスパゲティ、「稲とアガベ醸造所」の「稲とアガベ」(冷や)、Chablis Billaud Simon 2018
2023.5.4(木) 粛々と
道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の、売り場の掃除と納品を終えて会社に戻ったのは開店直後の8時32分。その時間から、早くも店はお客様で賑わっていた。多いにありがたい。使ったばかりの濡れ布巾をすすいで即、僕も店頭に立つ。
先月30日の日記にも書いたけれど、この黄金週間中の、下りのピークは5月3日の水曜日で、上りのピークは5月5日の金曜日だという。とすれば、店は今日がもっとも忙しく、明日は閉店時間が延び、週末はいつものそれに戻ることが予想される。つまり頑張りどころは今日と明日。とはいえ明後日からは気を抜く、というわけではない。
駐車場の収容台数をすこしでも増やすため、近場の配達に使うホンダフィットを事務室の前から蔵の脇へと移す。昼食時には人手が薄くなる。それに反してお客様のもっとも多くなるのはその時間だ。僕は13時30分より昼食を摂るよう長男に言われ、諒承をする。
列島が新型コロナウイルスに席巻されて以来、試食は「らっきょうのたまり漬」をプラスティックの蓋付き容器にお入れした状態でお客様にお手渡しをしている。これを遅滞なく作り続けてくれる包装係の存在は貴重である。普段に倍して冷蔵ショーケースへ収めた商品が、見る間に減っていく。
忙しく立ち働きながら、腹が減ると、頭の血の薄くなる感じがする。そして昼食を摂ると、それは一掃される。僕は間食はほとんどしない。しかし今日のような日には、ときどき甘い物を口にした方が良いのかも知れない。
定時の17時30分にはいまだ客足は絶えなかったものの、掃除を終える18時には、店を閉めることができた。閉店が遅れればできないと考えていたミーティングもできた。明日も粛々と仕事をするのみである。
朝飯 生のトマトと茹でたブロッコリー、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、独活と人参のきんぴら、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと万能葱の味噌汁
昼飯 トースト、牛乳
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、カツレツ、ドライマーティニ
2023.5.3(水) ハワイのオモチャ
家内とハワイの景勝地で過ごしている。見晴らしの良い場所があって、数日前に続いて今日も来た。そこからホテルまでは緩い下り坂を歩く。その道は徐々に細くなり、しまいには海に消えてしまう。そこからふたたび道の現れるところまでは、波に身を任せて流されていく。
その道が、今日は先日よりも随分と手前から海に没している。つまり今日は波に流されている距離が長い。「大丈夫だろうか」と不安を感じつつ、とにかく波に乗る。途中「溺れて死ぬのではないか」と心配になるところもあったが、とにかく先ずは岸にちかい岩場に取りつくことができた。
岩場には、我々より先に辿り着いた男の人がいた。その人は日本人だった。「高輪のアキモトさんをご存じですか」と問うと「面識はありませんが、お名前だけは存じ上げています」と、その、普通のズボンと普通のワイシャツ姿の人は答えた。
ようよう海から道へ戻ると、割と大きめのお土産屋があった。お土産屋には、まぁ、名前は出さないけれど、同級生が働いていて、上下に動く台へ乗ることを僕に勧めた。料金は5ドル。気は進まなかったものの、折角だから、その50センチ四方ほどの台に乗ってみた。台は上下に動き、その手摺りのあたりにクイズの問題が書かれていた。その問いに僕は答えられない。台はやがて動きを止めた。
「残念賞はここにあるもの5つ」と、同級生が商品の陳列台を指した。そこにはプラスティック製の、つまらないオモチャがたくさん積んである。僕のスーツケースは機内持込用の大きさで、余計な荷物は増やしたくない。しかし5ドルをみすみす失うことは避けたいから、どうにかこうにか5つを選ぶ。そのうちのひとつは、しばらく前に、こちらも名は伏せた方が穏当だろうからはっきりとは書かない、とにかくひとりの勉強仲間からバンコクでもらったものだった。そして「そうか、彼もバンコクに来る前は、ハワイに立ち寄って、ここで遊んだんだな」と腑に落ちる。
そういう夢を見ながら目を覚ます。夢の中の空気感は、吉行淳之介の「湿った空乾いた空」のそれを感じさせた。時刻は4時50分だった。
朝飯 ゴボウと人参のきんぴら、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、目玉焼き、生のトマト、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 ソース焼きそば
晩飯 塩を振った苺、TIO PEPE、レタスとルッコラのサラダ、じゃがいもと人参の細切りソテーと「たまり漬」によるソースを添えたビーフステーキ、CHATEAU LAGRANGE 1986
2023.5.2(火) ツバメ
朝、製造現場と店とを繋ぐ通路を歩きながら、子供の歓声に気づく。通用口を開くと登校しようとしている孫のリコがいて「ツバメ、ツバメ」と、僕の視線を手で上へと促した。ツバメは3月から飛んでいたように思う。しかし玄関の頭上にここ数十年ほどもある巣に来たツバメは初めて目にした。
その後、店の犬走りの庇にもツバメの出入りする姿に気づいた。しかしこちらの梁には鳩を遠ざけるための針金が張ってある。ツバメがそれを避けて巣を作るかどうかは、これから見守っていきたい。
今月24日(水)より30日(火)まで、柏のタカシマヤに出店をさせていただく。それを近隣のお客様へお知らせすべく、ご案内のお送り先を特定しようと予定していたのは今日だった。この仕事は静かな環境を必要とする。よって午前中の1時間ほどは4階の食堂に籠もる。
昼時の店舗はお陰様で賑わって、昼食の時間は予定より後ろにずれ込んだ。この食事を終えると午後もなかばを過ぎていたため、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へは、いつもよりはやく検品に出かけた。朝に充分と思われる納品をしても、昼、午後と小まめな見まわりは欠かさない。売り切れの恐れがあるからだ。
夕刻、販売係のサイトーミホコさんとカワカミナオさんは、明日に備えていつもに倍する商品を店の冷蔵庫に補充した。あす道の駅へ納めるべき品も、いつもの倍量を包装係に頼んだ。
梅雨入りまでは、忙しい日々の続きそうな気がする。
朝飯 グリーンアスパラガスの焼きびたし、納豆、トマトのスクランブルドエッグ、牛蒡と人参のきんぴら、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、こごみの天ぷらの味噌汁
昼飯 トースト、ホットミルク
晩飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、冷や奴、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、ごぼうのたまり漬、刺身湯波の玉子とじ、焼き鮭、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2023.5.1(月) 留守にした10日のあいだに
空は晴れている。しかし予報によれば、今日の天気は油断がならないらしい。午後からは曇りがちになり、夕刻には雷雨の恐れがあるという。よって外遊びは避けるべしと、気象予報士は呼びかけている。そのようなことを言われれば、今日、外遊びを予定していた人は、困惑をするばかりだろう。それでも気象予報士は「転ばぬ先の杖」として、それを報じているのだ。
気象予報士は更に、この黄金週間の天気は概ね良くない旨を説明し始めた。水、木は晴れるものの、金は曇り時々晴れ。土曜日以降は雨が4日のあいだ降り続くという。黄金週間は田植えに重なる。できれば雨は夜に降って、朝には止んで欲しい。
夏の贈答に向けてお得意様にお送りするお知らせの、社長の挨拶文をようよう書き上げる。締め切りは4月30日だったが、タイにいるあいだは書こうとしても、その時候の挨拶が思い浮かばなかったのだ。そしてその全文を、チャットワークを通じてデザイナーに送信する。
僕が日本を留守にした10日のあいだに枝垂れ桜の花弁はまったく消え、その根元の黄水仙も茎と葉だけになっていた。一方、サツキは盛りとなり、藤の花は近年になく花をつけて、満開を過ぎている。気温も上がっている。夏の早く来ることを、そしてその夏のできるだけ長く続くことを、僕は願っている。
朝飯 独活と人参のきんぴら、冷や奴、キャベツとピーマンのソテー、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 トースト、ホットミルク
晩飯 マッシュドポテトと茹でたブロッコリーを添えたハンバーグステーキ、CHATEAU LAGRANGE 1986、人参と甘夏の酢の物、蕪と胡瓜のぬか漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、苺羊羹、Old Parr(生)
2023.4.30(日) パッガパオムーサップ
きのう「汁飯香の店 隠居うわさわ」へ来てくださった自由学園の先輩は、食後に長男が蔵をご案内し、お買い物をお済ませになってからは、僕は東照宮までお送りした。渋滞は皆無。東照宮と輪王寺の駐車場に入ろうとするクルマに1、2分のあいだ前進を阻まれるくらいのところだった。
「さて、黄金週間の入り端にしては、いささか空きすぎているのではないか」といぶかしんで処方から情報を集めたところ、下りのピークは5月3日の水曜日、上りのピークは5月5日の金曜日と出た。週休二日に慣れた国民の大部分は、最後の土日は家で休む心づもりなのだろう。
今日の売上金額は、先週の日曜日のそれに遠く及ばないどころか、きのうの数字をも下まわった。明日と明後日は静かな平日になるかも知れない。とにかく3日の水曜日からは、覚悟を決めて店に立つことにしよう。
終業後、食堂に入ると、まるでタイにいるときは常に感じている香りが充満していて、思わず歓喜の声を上げた。コモトリ君が土産に持たせてくれたガパオのペーストで、家内が豚の挽き肉を炒めていたのだ。パッガパオムーサップである。
夕食時にはそれをごはんに乗せ、更にこれまたコモトリ君がくれたチェンマイ産のプリッキーヌーを刻んで加えた。日本の粘り気があり、柔らかいごはんにこのおかずは不思議な組み合わせではあったものの、充分に楽しめた。酒はラオカーオが一等ではあるけれど、タイから持ち帰ったそれは既にして、冷蔵庫に封印済みである。
朝飯 独活と人参のきんぴら、揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、納豆、めかぶの酢の物、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、ごぼうのたまり漬、メシ、キャベツの味噌汁
昼飯 トースト、ホットミルク
晩飯 鶏とブロッコリーのサラダ、トマトとグリーンアスパラガスのサラダ、じゃがいもの蕗味噌和え、パッガパオムーサップ、ごはん、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2023.4.29(土) 機内食考
タイ航空の深夜便では夜食が出る。大抵はパンとペットボトルの水だ。しかし乗客が眠っていたり、眠っているように見えれば、客室乗務員はテーブルを降ろし、それを置くことはしない。あるいはしないことの方が圧倒的に多かった。今回の往路は、眠っているあいだに置かれた丸パンを食べ、復路は、やはり眠っているあいだに置かれたサンドイッチは膝の前の物入れに移して手を付けなかった。
タイ航空の深夜便は、この夜食を出しながら、数時間後には朝食を出す。その時刻は出発からおおむね4時間30分を経たころで、いまだ未明である。これを日常に当てはめれば、朝の3時とか4時に眠っている脇で物音を立てられ、起こされ、フォアグラのガチョウやアヒルのように「さぁ、食え」と促される、ということだ。
羽田からバンコクまでの飛行時間は6時間。そのあいだに1食は軽食とはいえ2度も食事を供する必要性は、僕は感じない。夜食は丸ごと捨てられることが多いのではないか。そして機内食の食べ残しも少なくないことが想像される。
今回のタイ航空は、往復とも膝の前の物入れにゴミ袋は無かった。朝食前の、顔を拭くための蒸した不織布も配られなかった。経費節減のためと思われる。しかし経費削減は、大きなところから手を着けた方が効く。
2001年3月に使ったサイパン行きのノースウエスト機は、ビジネスクラスだったにもかかわらず、機内食はハンバーガーひとつだった。そして僕はそれを好もしく感じた。タイ国内で乗るタイスマイル航空の機内食は軽食で、これまで経験したのはミートソース入りのパン、ピラフ、ミートパイなどだ。これらもまた程が良くて、僕は好きだ。
日本からタイへ飛ぶ便の機内食は、いっそコンビニエンスストアのおむすびとお茶にしてはどうか。タイから日本へ飛ぶ便の機内食は、いっそカオゲーン風の弁当、それともタイ航空御用達のパン屋”Puff&Pie”のバンとコーヒーにしてはどうか。たかだか6時間ほどの飛行のあいだにパン、バター、ジャム、おかず、果物、ヨーグルト、ジュース、コーヒー、更にフォーク、ナイフ、スプーン、ティースプーンなどをお盆に無理やり載せた機内食は不要と思う。第一、食べづらくて仕方がない。
あるいはレガシーキャリアの機内食も、LCC並の選択制になれば、とても嬉しい。
朝飯 独活と人参のきんぴら、納豆、生玉子、揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトとブロッコリーの味噌汁
昼飯 トースト、ホットミルク
晩飯 トマトとレタスとルッコラのサラダ、2種のパン、鶏とマッシュルームのトマト煮、Chablis Billaud Simon 2018
2023.4.28(金) 帰国
隣の席は窓際にひとつ。そこから僕の後ろを回って手洗いに行こうとしている人が進退窮まって、背もたれを元に戻してくれと言う。その人は僕より随分と年配に見えるから「言ってくれれば前を通ってもらっても良かったのに」と返事をする。このことにより目を覚ます。時刻は1時30分だった。
今度は僕の膝の前を抜けて席に戻ったその人は、目を閉じているもの、ディスプレイの電源は入れたままだ。それが眩しくて、余計に眠れない。僕はひとこと断って横から手を伸ばし、そのディスプレイを暗くする。アイマスクは持参していたが、それについては忘れていた。
02:40 機内の灯りが淡く点く。
02:50 朝食が配られ始める。そのお盆は往路にくらべて小さい。テーブルが手前に傾いているため、不安定に置かれているバターやジャムをお盆からテーブルに移すと、ジャムが手前に滑って床に落ちる。水のペットボトルはテーブルとお盆の関係からテーブルの窪みに収まらず、これも手前に滑る。非常に食べづらい。そしてほとんどのものを残す。
03:05 機は沖縄本島の上空を通過。眼下には雲が多い。
朝食のお盆が片づけられると同時に席を立つ。そして手洗いで歯を磨く。席へ戻ると、自然と隣席の年配者との会話が始まる。現在年齢は80歳。50歳のころ、日系の繊維工場の建設のためアユタヤに長期出張。趣味は山歩きで、今回はチェンライでクルマを雇い、運転手を待たせたまま、日に5時間ほど山を歩いていたという。その壮健さには、大いにあやかりたいところだ。
“TG682″は、定刻より11分はやいタイ時間4時44分、日本時間6時44分に羽田空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。
動く歩道にも乗りながら、長い通路を延々と歩く。入国審査場の手前右側には体調に優れない人用の体温測定器が置いてあるものの、そこで立ち止まる人はいない。
07:08 往きとおなじく、パスポートの顔写真のあるページを機械に読み込ませて入国審査場を通過。
07:24 回転台からスーツケースが出てくる。
今回の航空券を昨年末に注文した際、その旅行代理店「トチギ旅行開発」からは検疫手続、入国審査、税関申告を電子的に行うための”Visit Japan Web”に自分のアカウントを作成し、個人情報を登録しておくよう言われた。とはいえ僕はその手続きを、ずっとせずにいた。
eチケットはファクシミリでも郵送も構わないと伝えてあったものの、律儀な担当者は今月9日にそれを届けに来た。紙の税関申告書も添えられていたため問うと、電子申告の方が混んでいることもあるとのことだった。それを聞いて僕は、”Visit Japan Web”については無視することを決めた。
ザックを背負い、スーツケースを曳いて税関検査場に近づくと、なるほど電子申告のゲートには長い列がある。一方、紙の申告書を持つ人の列は7人のみ。その最後尾に着いた僕は、間もなくカンターを通過。デジタルよりアナログの方が速いとは、バカバカしい限りだ。
07:39 羽田空港第三ターミナルより高砂行き急行が発車。
08:28 都営浅草線浅草に着。
09:00 浅草より日光行き特急が発車。
10:42 下今市着。
駅からは徒歩。会社には11時前に着。裏玄関でスーツケースを濡れ布巾で拭く。4階で荷物整理の後、早めの昼食を摂る。以降は閉店後まで通常の業務に復帰する。
朝飯 “TG682″の機内食
昼飯 担々麺
晩飯 カレー南蛮鍋、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2023.4.27(木) タイ日記(10日目)
目覚めたのは1時台だっただろうか。「さすがに早すぎる」とは思った。しかし眠れそうもないため起きて、おとといの日記の修正やらきのうの日記を書きつつ朝を迎える。本日、しなくてはならないことは多分、洗濯屋に洗濯物を受け取りに行くこと、荷作り、それと20時45分までに空港へ行くこと、それのみだ。だったら何をするかと考えても、大したことは思いつかない。
7時にホテルを出て、クイティオ屋を探して1キロほど歩きまわる。街はいまだ暑くなっていない。未知の場所の店はおしなべて開店準備中だ。よってラマ4世通りのあちら側からこちら側に歩道橋を渡り、毎日、何回ともなくその前を通った、鍋の近くに舟の模型を飾った店に入る。ここで僕が犯した過ちは、舟の模型があればクイティアオルアを頼むべきところ、普通のバミーナムを注文してしまったところだ。スープに豚の血を溶かし込んだ「ルア」なら、動画を見る人の興味も一層、募っただろう。
部屋へ戻って即、シャワーを浴びる。歩行で汗をかいたのではない、汁麺を食べたことによる、とんでもない量の汗である。枕元に40バーツのチップを置く。そして部屋の扉には「レイトチェックアウトにより掃除は不要」のメモを貼る。
以降は屋上のプールへ上がり、しばし本を読む。そして9時を過ぎたところで部屋へ戻り、Tシャツを着て外へ出る。この外出はできあがっている洗濯物を取りに行くものだったが、ふと思いついて表通りのカオゲーン屋で弁当を作ってもらう。弁当は、昼食の時間を節約するためだ。節約した時間を何に充てるかといえば、それはプールサイドでの本読みである。
16時をまわったところでザックを背負い、スーツケースを曳いて部屋を出る。きのう700バーツを支払った領収書と部屋の鍵をフロントのカウンターに出すと「えっ、レイトチェックアウトでは」と、オネーサンが驚いた顔をする。レイトチェックアウトの刻限は18時でも、それまでいるつもりはない。「問題ありません」と答えて地上への階段を降りる。
ルンピニーからスクムヴィット、このスクムヴィットの発音がなかなか難しい。アソークからはBTSに乗ってプロンポンで降りる。そしてワットポーマッサージにて足の角質取り30分、脚マッサージ60分を受ける。価格は450バーツ。オバチャンへのチップは150バーツ。ちなみにマッサージ屋のあるソイ33には、洒落たマリファナ屋が店を出していた。今やマリファナは、首都の至るところで吸える。一方、電子タバコは禁じらたままで、その理由については知らない。
BTSで隣のトンロー、このトンローの発音も難しくて、券売係にしばしば訊き返される。とにかくトンローへ移動をして、ソイ55の交差点を渡る。スクムビット通りは渋滞はしているものの、まったく動かないわけでもない。18時25分に55ポーチャナーの外の席に着くと、店の中には既にして、結構な数の客がいた。18時30分の開店前でも客を入れて、店内で涼んでもらっているのだろう。従業員の一部はいまだ、外の席でまかないを食べている。
いつものオバチャン、金髪を風変わりに結っている人が、今日も近づいてくる。最初の注文は浅蜊を唐辛子で炒めたホイラーイ。ごはんは必要かと訊かれて、それは断る。そのホイラーイが席に届いてみれば、なるほどそのソースはいかにもタイ米にかけて食べたら美味そうなものだった。
冷房の効いた店内は、またたく間に満席になる。外なら座れるとオネーサンに言われて去る人がいる。「生温かい空気、通りの喧噪、街の匂いなどを感じつつ食べた方が、よほど楽しいじゃんか」と思っても、人の好みはそれぞれである。次の注文はサイパロー。ここの売りものであるオースワンは、月曜日に海のちかくで上出来なものを口にしていたから、今夜は頼まなかった。そして「この外の席で毎晩のように飲み食いをするためだけに、トンローにホテルを予約してもいいな」などと考える。
さて、現在の、ラオカーオに酔った状態で、空港へはどのような方法で移動をするか。2016年10月にサパーンタクシンでタクシーをつかまえたところ、高速道路上で大渋滞に巻き込まれて、空港まで1時間49分を要したことがある。飛行機への乗り遅れを覚悟したこのとき以来、空港までタクシーを利用したことは、家内を同伴した2016年6月の訪タイ時以外は皆無だ。しかしトンローは、サパーンタクシンよりよほど空港寄りにある。高速道路上で大渋滞に閉じ込められたマッカサンより、更に空港寄りにある。
タクシーは、最短距離に見えるスクムヴィット通りではなく、敢えてトンロー通りの北へ向かう車線でつかまえた。僕の姿を認めて停止した黄色と緑のタクシーのドアを、近づいて来たファランのオニーチャンがいち早く開いて何ごとか運転手に言いかける。僕は急ぎ足で駆け寄って「オレ、オレ、オレ」と自分の顔を指す。オニーチャンは紳士的な笑顔で僕に謝り、タクシーから離れた。
「スワンナプーム空港まで」と告げると運転手は素直に頷いた。時刻は19時44分だった。運転手はソイ10で右折し、エカマイの通りを左折した。大きな交差点で小さな渋滞に巻き込まれると、僕を振り向いて何ごとか訊く。「ハイウェイ」と問うと運転手は首を横に振る。タイ語で経路の相談をされても、当方は戸惑うばかりだ。「任せます」と答えると、運転手は進路を右に取った。やがてフワマークで高速道路らしいところに上がる。しかし料金は発生しなかった。
運転手に声をかけられて目を覚ます。いつの間にか空港に着いていた。メーターは253バーツ。「この運転手になら100バーツくらい心付けを払っても良い」と考えていたものの、酔った頭は機敏には動かない。300バーツを手渡し、ドアを開ける。時刻は8時25分。所要時間は41分。これは記録として残しておこう。
20:50 チェックインを完了。海外で通用する「新型コロナウイルス感染症予防接種証明書 “Vaccination Certificate of COVID-19″」は必須。
20:59 「国際線出発」の列に並ぶ。
21:09 保安検査場を通過。靴を脱がされるのは面倒だが、サンダルで飛行機に乗る気もしない。
21:20 アルコールで何度か濡らした指紋がようやく認証されて、出国審査場を通過。
21:36 D2の搭乗口に達する。
自動販売機の40バーツの水は、硬貨が足りずに買えなかった。僕でも入れるラウンジが途中にあって、そこに寄ればペットボトルの水くらいはもらえるだろう。しかしソファで眠り込んでしまうことが怖いから、敢えて通り過ぎた。
ザックから木綿のセーターとウインドブレーカーを出して着る。財布の中身をタイバーツから日本円に替える。
22:32 搭乗開始
22:42 機体右側最後尾の通路側61Jの席に着く。
しばらくすると、タイ航空のベストを着た作業員3人が乗り込んできて、ちかくの席で何かを始めた。酸素マスクを収納した場所のフタが開いてしまう、という故障らしい。プラスティックは成形が楽で軽いところが長所だが、耐久性には欠ける。多分、留め具の調子が悪いのだろう。当該の個所は、作業員があれこれしても治らない。
「マイペンライで飛んじゃえよ」と内心、思う。作業員は遂に仕事を諦めて、応急処置を施した。「非常時には、手でフタを開けてください」とCAが乗客に説明をする。これ以上遅れるよりは、あるいは飛ばないよりはマシだから、乗客はただ、黙って頷く。
気づくと”BOEING787-9″を機材とした”TG682″は既に水平飛行に移って、ベルト着用の表示は消えていた。今朝の目覚めが1時台だったこともあり、眠れそうではあるけれど、また眠れそうにない気もする。
朝飯 名前を知らないボートヌードル屋のバミーナム
昼飯 名前を知らないカオゲーン屋の弁当、オレンジジュース
晩飯 “55 Pochana”のホイラーイ、サイパロー、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2023.4.26(水) タイ日記(9日目)
目を覚ましたのは5時15分。机の上には「4/26(水) 8:00 ズーム会ギ」のメモがある。絶対に忘れてはいけないため、きのうの夜に書いて載せておいたのだ。
7時すぎに外へ出て、今朝もまた、ラマ4世通りの食べ物屋の前を歩いて行く。そしてきのうとは異なったカーオゲーン屋で朝食を摂り、その動画を撮り、静止画も撮る。タイでは、これだけのことをしただけで汗をかく。部屋へ戻ってシャワーを浴び、Tシャツを着る。
タイ時間8時、日本時間10時より始まったズーム会議は予想より早く、9時15分に完了した。早朝のうちにまとめておいた洗濯物を持って、いつもの洗濯屋を訪ねる。帰りにホテルのフロントに寄って、明日のレイトチェックアウトを申し込む。18時までの延長で700バーツは悪くない。
「きのう行こうとしていたステーキ屋は休みだった」
とコモトリ君にLINEを送る。しばらくすると、イタリア料理屋”LIDO”の情報が返されてきた。それで初めて腑に落ちた。2020年3月、コロナの入りばなにコモトリ君と行ったイタリア料理屋は、そのステーキ屋の真向かいの路地にあって、今回は毎日のように、そのオレンジ色の看板を目にしていたのだ。
「LIDOならつき合ってもいいけどね」と追っつけ返信が届く。僕は同意をして、17時30分の待ち合わせを決めた。
今日しなければいけないことは、朝のズーム会議と、洗濯物を洗濯屋へ持っていくこと。それ以外はなにも無い。よって昼はステーキ屋をはじめ複数の飲食店が集まるSoi Si Bamphenまで歩き、汁麺を食べる。そして数軒を隔てたマッサージ屋で2時間のマッサージを受ける。昼前に降って止んだ雨により、気温はそれほど高くない。
雨は上がったものの、天気は相変わらず良くない。よって屋上のプールへは行かず、夕刻までは部屋できのうの日記、また今日の日記のここまでを書く。
コモトリ君は意外や早く、17時13分にホテルに着いた。電話を受けてすぐに外へ出る。黒い専用車は狭いSoi Si Bamphenから更に細い路地へと浸透した。そして11日ぶりのワインを飲む。
朝飯 名前を知らないカオゲーン屋のカオゲーン
昼飯 “Bouncing Pork Noodles”のセンミーナムトムヤム
晩飯 “LIDO”のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、焼き茄子、ハムの盛り合わせ、パン、アーリオオーリオペペロンチーノ、羊の香草焼き、Chianti Astrale 2021、エスプレッソ







































