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お買い物かご

清閑 PERSONAL DIARY

2017年10月の日記31本

2017.10.31(火) 初冠雪

開高健は晩年”Back Pain”に悩まされ、それを解消させるため水泳に通っていたと、彼の随筆で読んだことがある。

背中の痛みといえば、僕は高校生のころは右側の背筋が痛み、指圧のように効いてくれることを期待して、椅子の背もたれにその部分を押しつけることを常としていた。一時は背中を切り開き、その筋肉を取り出してどうにかしたいほど不快だった痛みは、しかしいつの間にか去った。

ここ数年は時として、最も下の頸椎、つまり第7頸椎から2、3個下の背骨が右にずれてしまったような感覚を覚えることがある。数日前には、この違和感が過去に経験したことのない強さになった。よって家内に見てもらったところ、別段、骨はずれていないという。しかしその、有り体に言えば凝りの一種は耐えがたいほどのものだったため、仰向けに寝た背中を下から押す式の健康器具に、久しぶりに頼った。

すると凝りはたちまち去ったものの、しばらくすると、またぶり返すことを繰り返した。以降はその健康器具が手放せず、朝な夕なにしばし、その上に仰向けになっている。

それはさておき昨夜から今朝にかけてのことだろう、日光の山々が初冠雪をした。雪の報せは届いていたものの、下界からそれが望めたのは、今朝が初めてである。


朝飯 塩鮭、納豆、筑前煮、チャプチェ、「なめこのたまりだき」によるなめこおろし、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、豆腐と若布と三つ葉の味噌汁
昼飯 「玄蕎麦河童」の産地の異なる二種盛り
晩飯 胡瓜とトマトとレタスのサラダ、ピータン、チャプチェ、焼き餃子、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)、焼き林檎と杏仁豆腐

2017.10.30(月) 看板照明

秋の旅行から戻ったら直ぐにすべきこととして残している忘備録の中に「看板照明の電源を入れる」がある。

店舗と国道121号線を隔てた駐車場のそれは、どのような仕組みになっているかは不明ながら、とにかく電源を入れさえすれば、関東地方の日没の時間から閉店の18時まで、明かりは点り続ける。しかし店側の看板は古いもので、点灯と消灯の時間は人が設定をしなければならない。

旅行から戻った10月7日には、17:00から18:00のあいだにタイマーが設定されていた。それを今日は16:30から18:00までに変更する。冬至を経て新年までは、これで問題ないだろう。正月の賑わいが去れば閉店時間は17:00に繰り上げられる。そうしたら今度は16:30から17:00までに設定を変えて、春の彼岸を待つばかりだ。

昼から午後にかけては来客があり、また店も混み合って、事務室あるいは店舗から抜け出せなくなる。そして15時が近づくころに、ようやく昼食にありつく。「昼飯の時間からして、晩飯は食えねぇわな」と考えていたものの、いざ夕食の席に着くと、普段と変わりなく食欲はわき起こり、結局はそのすべてを平らげる。


朝飯 納豆、細切り人参の炒りつけ、ほうれん草のソテー、塩鮭、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、肉団子と三つ葉の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のチャーハン
晩飯 筑前煮、刺身湯波、巻湯波と小松菜の淡味炊き、茶碗蒸し、柿の葉鮨、エンドウ豆、「高木酒造」の「十四代超特選純米大吟醸」(冷や)、「旭酒造」の「獺祭磨き二割三分純米大吟醸」(冷や)

2017.10.29(日) 先週末は21号、今週末は22号

たまり漬を使ったおむすびのご予約を、2ヶ月ほど前から、今日の日付で戴いていた。「そういうことであれば」と、そのご予約のほかに数十個のおむすびを、家内はお作りした。その数十個のおむすびを11時より、賑わう店内で長男が売り始める。正午からは長男に代わって僕が、販売台の前に立つ。

海外からのお客様がちかくにいらっしゃったため、そのおむすびについてご説明をすると、先ず1個を買ってくださり、一旦、外へお出になって、しかし間もなくお戻りになり、更に1個を買い足してくださった。昼どきということもあり、おひとりでいくつもお買い上げくださる方もいらっしゃって、13時すぎにはすべてが売り切れた。

各町内の自治会長、神社総代、神社世話人による「当番町を考える会」が、今日は15時より大谷向町の公民館で開かれる。それに先立ち今朝は「いくらでも駐められる」と聞いていた河川敷の駐車場を確かめに行ったものの、それを見つけることはできなかった。

14時40分、現場ちかくにあるオザワ医院の駐車場に、ホンダフィットを駐めさせていただく。そこから公民館のあるらしい方向に傘を差して歩いて行くと、中学生のとき勉強を教えていただいていたニダイラユキオさんが堤防の上に立って、行くべき道を指してくださった。総鎮守瀧尾神社の責任役員として出席するこの会議は、いつも活発な意見が交わされる上、キタムラヒロシ議長のさばきが優れるため、常に、冗漫になる前に完了して有り難い。

雨の中を帰社して即、仕事に戻る。関東地方に近づきつつある台風によるものか、風が徐々に強くなる。風に煽られるたび雨に濡れるノレンは、いつもより早く屋内に取り込んだ。

19時には町内役員による会議が予定をされていたものの、タノベタカオ中央地区委員長からの電話にて、中止が伝えられる。風雨はますます激しい。


朝飯 納豆、巻湯波の淡味炊き、「なめこのたまりだき」のフワトロ玉子、蓮根のきんぴら、細切り人参の炒りつけ、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、塩鮭、メシ、豆腐と揚げ湯波とシメジと万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 ワカメとレタスのサラダ、もやしナムル、キムチ鍋、麦焼酎「高千穂零」(お湯割り)、アイスクリーム、”Ord Parr”(生)

2017.10.28(土) 絶妙の線

折しも紅葉狩りの繁忙期にて、明日は早くから、商品の袋詰めを始めたい。よってそれなりの準備を整えておいて欲しい。また、開店の1時間前には会社に入りたいから、間違いなくその時間に事務室を開けて欲しい旨を、きのう包装係のヤマダカオリさんには頼まれていた。

そういう次第にて、iPhoneには05:00に目覚ましを設定した。それが鳴るまで眠っていることは希ながら、万一に備えてのことである。

今朝は3時台に目を覚ました。眠気は感じないものの、すぐに起床できるほどの元気には恵まれていない。結局のところ、5時がちかくなるまで横になっている。

製造現場から食堂に戻って朝食を摂る。そうして7時10分に事務室に降り、シャッターを上げる。国道121号線を隔てた社員用の駐車場には、既にしてヤマダさんの、深緑色のクルマが駐まっていた。

きのうは、らっきょうのたまり漬、および、らっきょうのたまり漬「ピリ太郎」が売り切れそうになって、少しく焦燥した。このあたりを切らすということは、鮨屋が鮪を切らすのとおなじで、ウチとしては話にならないのだ。とはいえ新鮮な商品のみをお客様に提供しようと考えれば、作り溜めはできない。明日からも「絶妙の線」を狙って販売数を予測していきたい。


朝飯 蓮根のきんぴら、巻湯波の淡味炊き、トマトのソテーを添えた目玉焼き、納豆、「なめこのたまりだき」によるなめこおろし、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、赤紫蘇の葉と白胡麻のふりかけ、メシ、揚げ湯波と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」のチャーハン
晩飯 人参のソテー、鶏皮とこんにゃくの「日光味噌梅太郎・赤味噌」煮込み、胡瓜のぬか漬け、肉団子鍋、麦焼酎「田苑シルバー」(ソーダ割り)

2017.10.27(金) 好きなものばかり

きのうは日本酒に特化した飲み会「本酒会」の例会にて、会員たちと鰻の「魚登久」に集まった。今朝、食卓にマカロニサラダが出たため訊くと、きのうの夕食はマカロニサラダとハンバーグステーキで、今朝のそれは、僕の分だという。

マカロニサラダは好物である。これに豚カツソースを少し垂らし、炊きたてのメシのおかずにすると、得も言われず美味い。しかしそれをするには、今朝は他のおかずが多すぎる。折角のマカロニサラダなら、これを夜まで温存して大切に味わいたい。僕はガラスのボウルをラップで覆い、冷蔵庫に仕舞った。

夕刻、今夜は何を食べようかという話になって「そういえば冷蔵庫にバジルがあった。あれを使い切るには、やはりスパゲティではないだろうか」と僕は提案をした。そのとき、マカロニサラダのことを忘れていたことは、言うまでもない。

夕食の席には、マカロニサラダとスパゲティが並んだ。どちらも好物であれば「パスタ重なり」などは、どうということもない。嬉しい晩餐である。


朝飯 巻湯波の淡味炊き、納豆、トマトのスクランブルドエッグ、蓮根のきんぴら、茹でたブロッコリー、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、赤紫蘇の葉と白胡麻のふりかけ、メシ、揚げ湯波とレタスの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 マカロニサラダ蛸とあれこれのサラダトマトとモツァレラチーズのスパゲティ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”チョコレートプリンとアイスクリームの盛り合わせ

2017.10.26(木) 急がず休まず

会社の見学は、長く、地元の小学生に対象を絞って受け入れてきた。案内は、以前は僕の、そして今は長男の仕事になっている。今日は今市小学校の2年生が来社をする。ところが長男は他に用事がある。よって今回は何年ぶりかで、僕が社内の説明をすることになった。

僕が今市小学校の2年生だった1964年には、現在は日光市土沢に移転しているマルシチ醤油がいまだ街の真ん中にあり、我々はその工場内を見学した。醤油のビンがコンベアの上を滑るように動いていった風景は、今になっても忘れない。

ウチに見学に来る小学生の中にも、これから半世紀を経ても今日のことを覚えている人がいるだろう。そのことを頭に入れながら、10時過ぎに来た児童11名、先生および保護者4名を、蔵の奥まで案内する。

僕の解説はいつも、味噌、醤油、漬物よりは「水」に収斂をしていく。今日も違わず水についての話を多くする。2年生の一団は、最後に店で思い思いに試食をし、代表に合わせて挨拶をして去って行った。彼らには、優れた醸造食品とおなじく、急がず休まず、ゆっくりと育っていって欲しい。


朝飯 巻湯波の淡味炊き、ほうれん草のソテー、大根おろしを薬味にした納豆、蓮根のきんぴら、生のトマト、塩鮭、唐辛子の練り味噌、メシ、炒めた茄子と万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「魚登久」の酒肴あれやこれや鰻重、6種の日本酒(冷や)

2017.10.25(水) 晩飯のことばかり

事務机の左手に提げたカレンダーには、今日の、3組の来客予定が書いてある。それより細かいことは、クリーム色のポストイットに記して、コンピュータの右手に置いた計算機に貼ってある。その、ひとつひとつをこなすたび、1枚ずつポストイットを剥がしていく。

すべてのポストイットが夕刻までに剥がされることは、ほとんど無い。それと同時に、明日にすべきことも追加をされるから、計算機には大抵、ポストイットが絶えない。

四半世紀ちかく前に、コンピュータのマクロについて教わるため、ある会社を訪ねた。あれこれ親切に指導をしてもらううち、終業時間を迎えた。そろそろいとまを告げなくてはならない。しかしその会社の人たちは、いつまでも帰る気配を見せない。かといって、仕事を続けるでもない。「ホワイトカラーの会社とは、おしなべてこんな感じなのだろうか」と、終業を報せるベルから15分も経てば人っ子ひとりいなくなるウチとの違いに僕は戸惑った。

ウチは今でも、定時を15分も過ぎれば、社員はひとりもいなくなる。僕の頭の中は、晩飯のことばかりが、ある。


朝飯 ほうれん草のソテー、厚焼き玉子、「塩楽京」を薬味にした納豆、生のトマト、鶏皮と「日光味噌梅太郎・赤味噌」の煮込み、メシ、豆腐と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 鶏皮と「日光味噌梅太郎・赤味噌」の煮込み、蓮根のきんぴら、巻湯波の淡味炊き、ほうれん草の辛子和え、秋刀魚の塩焼き、干し柿、麦焼酎「田苑シルバー」(お湯割り)

2017.10.24(火) 夜の方が温かい

今月10日の東京は、麻のシャツ1枚で過ごせるほど気温が高かった。しかしその直後から、列島は数十年ぶりの低温に見まわれた。今日はそれほど寒くもないけれど、さすがにシャツ1枚というわけにはいかない。白いシャツにネクタイを締め、ジャケットを着る。そして資料の入ったトートバッグを提げて、下今市07:45発の上り特急スペーシアに乗る。

取引先の営業係に昼食を誘われ、案内された店の個室に落ち着くなり「タバコ、吸っていい?」と訊かれる。「いいですよ」と答えると、相手は煙草に火を点け、それを灰皿に置いて、商談の続きを始めた。よって「それ、パッと吸って、パッと消しちゃったら? 灰皿に置きっぱなしのタバコが一番、イヤだわ」と、当方は客の立場だから、遠慮なく言わせてもらう。相手は食事の後で、爪楊枝2本を立て続けに使った。煙草の禁断症状だろう。

午後は新橋の、そのすこし先まで足を延ばす。空はどんよりと曇って寒々しい。しかし、やがて夕刻を迎え、街にネオンが点り始めれば、風景は一気に温かくなる。軽くなったトートバッグを提げて、山手線の中からその風景を眺めつつ、帰宅の途に就く。


朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、キャベツと玉子のソテー、ズッキーニのぬか漬け、鶏皮とこんにゃくの「日光味噌梅太郎・赤味噌」煮込み、薩摩芋の甘煮、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 「車力」の銀鱈定食
晩飯 「天七本店」のあれこれ、日本酒(燗)

2017.10.23(月) 台風の目

明け方の雨は、窓を滝のように伝い、また風向きによっては、その窓を強く叩いた。尋常ひととおりの降水量ではない。しかし午前6時を過ぎると急に静かになり、あれほど強かった雨は、やがて嘘のように止んだ。台風の目に入ったのだろうか。しかしいくら大型の台風とはいえ、いま東京か茨城あたりを北上中の、その「目」の半径が100kmということはないはずだ。どうも腑に落ちない静けさである。

7時20分に開店の準備をしながら、ノレンは事務室の中に納めたままとする。雨は止んだものの、風は依然として強かったからだ。あたり一面に散った木の葉は、掃いても掃いて、またどこかから飛んできて、きりがない。

昼がちかくなるころ、台風一過にはほど遠いものの、空が一瞬、晴れる。すかさず4階に上がり、山の写真を撮る。

「土曜日は平日の2倍、忙しい。日曜日は平日の3倍、忙しい」と、きのうの日記には書いた。ところが今日の売上金額は、日曜日だったきのうのそれを超えた。「雨が去った途端に」である。

夜は長男に、肉を焼いてもらう


朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、トマトのソテーを添えた目玉焼き、たまり漬「刻みザクザクしょうが」、鮭の昆布巻き、薩摩芋の甘煮、メシ、揚げ湯波と茗荷の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のスーラーメン
晩飯 ジュリアンスープビーフステーキジャガイモのグラタン“Vosne-Romanée Domaine J.C. 2005”2種の葡萄甘い物の盛り合わせ

2017.10.22(日) 何者かに急かされるように

定められた開店時間は8時15分でも、その5分前には大抵、店を開ける。その頃合いを見計らって家内とホンダフィットに乗り、今市小学校へ行く。そして第48回衆議院議員総選挙の投票を済ませて即、会社に戻る。昼は忙しくて店を抜け出せないゆえの、朝の投票である。

今世紀最大といわれる台風21号が、列島を北東に進んでいる。日光地方の雨は、いまだ大したことはない。とはいえ、夕刻になると自動的に看板を照らす照明は、昼から点きっぱなしになっている。それだけ空が暗いということだ。

19時から町内の役員会を開く旨を、ウカジシンイチ自治会長から電話で知らされる。土曜日は平日の2倍、忙しい。日曜日は平日の3倍、忙しい。世間では多く、その週末に様々なことが振り分けられる。よって僕の週末は、更に忙しくなる。

18時に店を閉め、キャッシュレジスターも締め、売り上げ金を金庫に仕舞うやいなや4階の食堂に上がる。そうして何者かに急かされるようにして、ウィスキーのソーダ割りを飲む。


朝飯 鮭の昆布巻き、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、トマトのスクランブルドエッグ、納豆、胡瓜のぬか漬け、なめことほうれん草の味噌汁
昼飯 「ふじや」の広東麺
晩飯 エリンギとソーセージのスパゲティ、トマトとレタスとチーズのサラダ、”Petit Chablis Billaud Simon 2015″、フルーツケーキ、”Old Parr”(生)

2017.10.21(土) 早朝の仕事

製造現場から頼まれた早朝の仕事については、これを忘れないよう、昨夜、ポストイットに記して食堂のテーブルに貼った。先日はおなじものを食器棚の時計に貼って、しかしまったく目に付かなかった故のことである。

早朝の製造現場は空模様を映して、6時が近づいていても、天井の明かりを消すと、まるで年末か年明けのように暗い。ところが気温はそれほど低くもないため、目と皮膚の間には感覚的な乖離が発生する。秋晴れのほとんどのぞめない、今年の秋である。

きのうは同級生ナカムラサカエ君の新宿の店で、19時から同窓会が予定されていた。広島からの帰り道であっても参加は可能だったが、幹事には事前に欠席する旨をメールで伝えておいた。今朝の仕事のことを考えれば、早めに帰社して良かったかも知れない。

先週の土曜日に町内の屋台庫から引き出され、翌日、小雨の中を巡行した屋台の点検は、本日は雨のため中止との連絡を、LINEで受け取る。列島に近づきつつある台風21号により、明日の天気は荒れるだろう。屋台の点検は、来週末に持ち越される可能性が大である。


朝飯 鮭の昆布巻き、ハムとキャベツのソテー、トマトのソテーを添えた目玉焼き、胡瓜のぬか漬け、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬・浅太郎
晩飯 ほうれん草の胡麻和え、湯豆腐、胡瓜のぬか漬け、里芋の甘煮、「日光味噌梅太郎・白味噌」を使った鶏肉の松かさ焼き、「丸山酒造場」の「雪中梅吟醸」(冷や)

2017.10.20(金) ふたたびセーターを着る

窓から呉の港、造船のためのドック、その向こうには江田島も見える。雲が低く垂れ込めている。

11:00 ホテルと呉駅を結ぶシャトルバスに乗る。
11:20 呉駅から広島空港行きのバスに乗る。
12:18 広島空港に着く
12:25 チェックインを完了する。スーツケースは機内持込とする。
12:39 昼食を摂る。

12:57 保安検査場を抜ける。
13:12 搭乗。非常口の脇の席は、足元がかなり広い
13:31 ”BOEING 737ー800″を機材とする”JAL258″は定刻に16分遅れて離陸。
14:30 定刻より5分早く羽田空港に着陸。
14:55 京浜急行空港線の羽田空港国内線ターミナルから浅草を目指す。

テレビの天気予報とはうらはらに、東京は、半袖のポロシャツ1枚でも凌げる気温だった。しかし南の国から来たらしい観光客の中には、ダウンパーカのボタンを襟元まで留めている人が少なくない。

15:37 都営浅草線浅草着。
16:00 下り特急スペーシアが浅草を発車。
17:39 下今市着。

“JAL258″の機内で脱いだ木綿のセーターを、特急スペーシアが下今市に着く直前に、ふたたび着る。霧雨が降っている。駅まで迎えに来た長男の運転するホンダフィットに乗る。

17:50 会社に帰るなり、閉店の準備にかかる。


朝飯 「クレイトンベイホテル」の朝のブッフェ
昼飯 「広島空港」のフードコートの尾道ラーメン
晩飯 人参のサラダ、トマトとレタスのサラダ、“brivory”の3種の食パンクリームシチュー無花果のコンポート“Petit Chablis Billaud Simon 2015”

2017.10.19(木) 雲は低いものの

北海道、東北地方はもとより、関東地方も数十年ぶりの低気温にて、奥日光には雪さえ降っているという。広島県呉市の空は雲が低いものの、雨は降っていない。気温も三季用のスーツで特に寒さは感じない。

ホールの棺に横たわった叔母の亡骸は綺麗だった。牧師の話を聴き、賛美歌を歌う。弔辞によれば、叔母は今月の1日には、教会の礼拝でオルガンが弾けたという。様々な人が一様に口にするのは、叔母が多くの人に頼まれごとをし、多くの人に救いの手を差し伸べた、ということだ。充実した人生だったと思う。

斎場は、家内の祖母が世話になった数十年前のそれとは、大きく様変わりをしていた。遺族や参列者に対する職員の扱いも、当時とは考えられないほど丁寧になっていた。葬儀が無事に済んでから、叔母の家でお茶をいただく。そこからホテルまでは「懐かしさを噛みしめたい」と言う家内に従い徒歩で戻った。

預けた荷物を1泊目のホテルで受け取り、2泊目のホテルにはタクシーで向かう。夜、そのホテルのフランス料理屋にて、叔父に夕食をご馳走になる。


朝飯 「呉阪急ホテル」の朝のブッフェ
昼飯 「呉市斎場」の弁当
晩飯 “Vert Marin”のあれやこれやそれや、他あれこれ。グラスの白ワイン、グラスの赤ワイン

2017.10.18(水) 新幹線の切符

北千住07:42発の下り特急スペーシアの特急券を北千住駅の自動券売機で買う。その車両が浅草から来る前に、満席になった旨のアナウンスがプラットフォームに流れる。9時11分に下今市に着く。

家内、長男、嫁、孫の4人で1週間前に見舞った、家内の叔母の亡くなったことは、きのうの午後に知らされていた。4人の見舞いが、叔母が目を開いたり話したりできる最後の機会に間に合ったことは幸いだった。

社員のあいだを回り、今日はほとんど仕事のできないこと、帰社は金曜日になることを伝えて歩く。

タイの三等車に十数時間も揺られ続けるとか、二等寝台で24時間ちかくも寝たり起きたりすることはできても、新幹線の切符の、自動券売機による求め方はよく分からない。長男に頼み、その切符を今市駅で買ってきてもらう。ホテルは混み合っていて、1泊目は予約できたが、2泊目が確保できない。こちらも長男に頼み、何とかしてもらう。

下今市13:35発の上り特急スペーシアに乗る。北千住から日暮里を経由して東京駅に移動をする。そして16:10発の「のぞみ47号」の席に着く。その際、6号車と4号車を間違え、女の人に迷惑をかける。

広島に着いたのは20時03分だった。乗り物に閉じ込められて移動をすることは嫌いでないから、退屈はしなかった。都合により「のぞみ49号」に乗った家内とは、広島駅で落ち合った。外では、市民球場から家に帰るらしい大勢の観客たちが、そろいの赤いレインコートを着て歩いている。そうして呉線に乗り換え、21時16分に呉に着く。


朝飯 「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦、ライス
昼飯 「味彩たむら」の日替わり弁当
晩飯 東京駅で買った「やきとり弁当」、呉駅のセブンイレブンで買った「賀茂鶴酒造」の「一滴入魂純米吟醸」(冷や)

2017.10.17(火) 結局は帰れない

繁忙にて昼食を抜くのは、今月に入って2度目のことだ。日に三食を欠かさない僕としては、とても珍しい。下今市15:33発の上り特急に乗るべく準備をしようにも、着替えをするヒマも無く、仕事着の上に紺色のスモックをかぶる。履くとき手間のかかる点において、五本指の靴下は好まない。しかし今日はこれが必要だ。そして2足あるゴム草履のうち、爪先と踵がはみ出すほど小さな方を選ぶ。

地下鉄の駅構内から、日産のビルの前に出る階段を上がる。「あー、銀座の匂いがする」と、二人連れらしい女の人の片方の声を背中で聞く。目と鼻の先の建物の地下1階に降り、9月の中ごろに予約をしておいた、日本に入るとすぐに売り切れてしまう靴を買う。店長らしい男の人は、その靴がより僕の足に合うよう、調整をしてくれた。ゴム草履はザックに仕舞い、真新しい靴を履いて店を出る。火曜日の銀座は、それほど混み合ってはいない

自由学園で3年後輩のムラヤマムツミ君、またモリタユーイチ君とは新橋駅の銀座口で待ち合わせた。ムラヤマ君には長男が、年に1、2度は食事をご馳走になっている。モリタ君はこの夏、中禅寺湖に滞在しながらの仕事の帰りにウチに寄って買い物をしてくれた。そういう事情があっての、今夜の食事会である。

18時30分から飲食を始めれば、浅草21:00発の最終の特急には間に合うだろう、当初はそう考えていたものの、店を出たのは22時48分だった。4時間18分ものあいだ何をしていたのかについては、よく覚えていない。


朝飯 エノキダケと三つ葉の酢の物、ほうれん草の胡麻和え、隠元豆のバターソテー、目玉焼き、納豆、たまり漬「刻みザクザクしょうが」、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
晩飯 「鮨よしき」のあれやこれやそれや「山本合名」の”Ice Blue”(冷や)

2017.10.16(月) ころもがへ

おとといの朝から、部屋に暖房を入れることが当たり前になってしまった。きのうまでの服装も、もはや適当ではない。仕事着に限れば、僕は年間で、以下8回の衣替えをしている。

春:長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター
晩春:長袖ヒートテックシャツ+長袖Tシャツ
初夏:半袖ポロシャツ+長袖Tシャツ
盛夏:半袖ポロシャツ
初秋:半袖ポロシャツ+長袖Tシャツ
秋:長袖ヒートテックシャツ+長袖Tシャツ
初冬:長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター
真冬:長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター+ダウンベスト

きのうまでは、その「初秋」の組み合わせだった。しかし、自転車に乗ったとき、また夜の戸外などでは、きのうの日記にも書いたように、木綿のTシャツを通して風が二の腕を冷やす。よって今朝は、深夜の暗闇の中でも手探りで着替えができるよう整理整頓したチェストから半袖のポロシャツを一掃し、おなじ引き出しを、今度は長袖ヒートテックシャツで満たした。今日からは「秋」の組み合わせである。

行楽の季節にもかかわらず、あるいはそれを狙い澄ましたように、雨が続いている。空はどんよりと曇り、まるで英国の「ラグビー日和」だ。更に今週末には、南の海から台風が接近するという。紅葉には、晴れ上がった青い空が似合う。天気の回復が、待たれるばかりだ。


朝飯 「なめこのたまりだき」のフワトロ玉子、納豆、トマトレタスのサラダ、切り昆布と豚三枚肉の炒め煮、胡瓜のぬか漬け、メシ、なめこと揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 カレーうどん
晩飯 “Finbec Naoto”の其の一其の二其の三其の四其の五其の六其の七、マコンのそれほど高くないワイン、赤のグラスワイン、其の八、コーヒー

2017.10.15(日) 屋台まつり

終業後、誰もいない事務室で今日の数字のあれこれをコンピュータに打ち込んでいると、お囃子の音が聞こえてきた。僕は、神輿や屋台の巡行に直に関わることからは引退をしている。しかし皆が雨まじりの空に下で屋台を曳いているのに、自分だけが屋内にいるのは気が引ける。よって社員通用口のドアを開け、日光街道の春日町交差点まで出てみる。お囃子は朝日町の屋台のもので、追分地蔵尊から日光街道を上がってきた彼らは、会津西街道に右折し、自分の町内へと帰るところだった。

我が春日町1丁目の屋台はどこにあるかと、日光街道のシモ、つまり大げさに言えば東京方面に目を遣る。次に近づいてくる屋台の提灯は、春日町1丁目のものではない。日光街道を徒歩で下りつつ、仲町の屋台を先導する自治会長カネコトモヤスさんに訊くと、我が町内のそれはいまだJR通りにいるという。そういう次第にて、遂には追分地蔵尊とは目と鼻の先まで歩いてしまう。

春日町1丁目の、安政六年製の屋台はやがて、JR通りから小倉町の交差点に出たところで停まった。そして、この日のために東京の大学から帰ってきたタシロケン君により「キリン」と呼ばれるジャッキで地面から持ち上げられ、頭を瀧尾神社へ向けた。そうしていよいよ日光街道を遡り始める。

町内の面々、また助っ人たちの多くは、半纏の下にレインコートを着ている。きのうは急なことだったけれど、まとまった数を買うことができて、本当に良かった。

しばらくは、車道を行く町内の屋台の速度に合わせて歩道を歩く。木綿のTシャツを夜気が突き抜け、二の腕を冷やす。列島はここ数日で急激に気温を下げた。家に戻り、お湯を沸かし、それで割った焼酎を飲んでからだを温める。

きのう2メートルばかりを歩いた孫は、今夜は早くも、その倍ほどは歩けるようになっていた。自転車を覚えたばかりの子供とおなじく、歩けることが楽しくてたまらない、という顔つきである。僕は、彼女が足元に近づくたび、椅子の下に置いた一升瓶を倒されないよう、その首の部分を握ることを繰り返しつつ、焼酎のお湯割りを飲む。


朝飯 納豆、切り昆布と豚三枚肉の炒め煮、玉子焼き、トマトのサラダ、胡瓜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、なめこの味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 シメジと舞茸の吸い物、隠元豆の胡麻和え飛竜頭と海老芋の炊き物鯛の刺身鯛飯、麦焼酎「高千穂零」(お湯割り)、“Chez Akabane”の杏仁豆腐

2017.10.14(土) 日記は書けている

目を覚ましたのは真夜中の1時台だった。きのうの就寝が20時台であれば、それも無理はない。眠気は感じないため、そのまま起きてしまう。そしてこの秋はじめて、食堂に暖房を入れる。

おとといの日記は書けている。きのうの日記も書いてしまった。しかしさきおととい、つまり11日の日記が完成していない。文章は書けている。しかし最上部に置く画像が決まらないため、3日後の今日になっても公開はできていない。

午前に道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に配達に行き、そのついでに農産物の売り場でなめこを買う。昼のうどんの具にするためだ。そして会社に帰ってふと、昼に宇都宮へ行く用事のあったことを思い出す。三歩を歩けば物事を忘れる性分だけに、油断はできない。

11時すこしすぎに三菱デリカの運転席に収まり、宇都宮へ行く。会社に戻ったのは2時間ほど後のことだ。今日は、明日の「今市屋台まつり」に備えて、町内役員は13時から屋台庫に集合して準備にかかることになっていた。遅刻をしながら僕も現場へとおもむく。そうして今夜の直会の確認や、雨に備えて簡便なレインコート6ダースほどを調達したりする。

店の駐車場は、心配になるほど空くこともあれば、また満杯になることを繰り返している。この時期にテレビ局が頻繁に用いるのは、竜頭の滝からの中継だ。その竜頭の滝の紅葉は、今がまさに見ごろだという。しかし天気が悪い。紅葉狩りのお客様には気の毒なことだ。

終業後は自宅4階に社員を集め、家内の料理により、すこし遅れたけれど、9月の「日光MG」の打ち上げを行う。


朝飯 切り昆布と豚三枚肉の炒め煮、焼きトマトを添えた目玉焼き、ほうれん草のソテー、納豆、胡瓜のぬか漬け、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 「日光スパ屋」のトマトとモツァレラチーズとバジルのスパゲティ
晩飯 「らっきょうのたまり漬」とツナのサンドイッチ揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ胡瓜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け牛肉と里芋と「しいたけのたまりだき」の炊き合わせたまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」と山芋と豆腐と人参と牛蒡の天ぷら茹で豚の「日光味噌梅太郎赤味噌」ソースたまり漬「刻みザクザク生姜」と同「鬼おろしにんにく」を薬味にした鰹のたたき「なめこのたまりだき」のフワトロ玉子鶏もも肉のオーブン焼き「日光味噌ひしお」のせたまり漬「刻みザクザク生姜」と鶏笹身肉のおむすびごぼうのたまり漬南瓜とハロウィンスィートの甘煮2種の葡萄と柿、「三宅本店」の「千福純米大吟醸」、「賀茂鶴酒造」の「賀茂鶴純米吟醸」、「旭酒造」の「獺祭磨き二割三分」、「丸山酒造場」の「雪中梅吟醸」

2017.10.13(金) 勘定

タイに出かける前、つまり先月24日までの、手持ちの現地通貨は33,631バーツだった。そこに20,000バーツを残し、13,631バーツのみを取り分けて、今回の小口現金とした。今月7日に帰宅をして封筒の中身を確かめると、残金は5,504バーツだった。つまりタイで過ごした11泊12日のあいだに使った、宿泊費を除いた小遣いは8,127バーツ。1日に均せば677バーツ、邦貨にして2,000円ということになる。

昼はゴルフ、夕食は日系ホテルで日本料理、夜はクラブ活動という人は、1日に2万バーツから4万バーツは使う。それだけあれば、僕なら1ヶ月や2ヶ月は遊んで暮らせる。「海外へ行きながら爪に火を灯して面白いか」と問われれば、僕はゴルフはしない、タイへ行ったらなタイの、それも庶民とおなじものが食べたい、夜は時として20時前に消灯する早寝早起きで、貧しい旅をしている実感は無い。

ちなみに使った8,127バーツのうち、1,382バーツはチップに費やした金額で、全体の17パーセントを占める。

現在の手持ちは25,504バーツ。それを今回の1日あたりの小遣い677バーツで割れば四捨五入をして38。つまり両替をすることなしに、いまだ1ヶ月を超える日々をタイで過ごせる勘定になる。

要諦のひとつは、行き先を田舎に絞ることだ。タイ北部における汁麺1杯の価格は平均して35バーツ。それがバンコクでは50バーツに跳ね上がる。海外では都市より田舎の方が好きだから、何の痛痒も感じない。


朝飯 納豆、ベーコンエッグ、煮奴、鮭の親子漬け、大根の日光味噌漬け(試作品)、メシ、トマトと揚げ湯波と長葱の味噌汁
昼飯 「麺屋ききょう」の塩ネギラーメン
晩飯 トマトとジャガイモと南瓜のサラダ、ほうれん草のソテーを添えた煮込みハンバーグ、大根と胡瓜のぬか漬け、「盛川酒造」の「白鴻八反三十五号吟醸」(冷や)、葡萄

2017.10.12(木) 生牡蠣

商売をしていれば、材料を仕入れ、品物を作り、それを売る以外にも、仕事はあれこれと発生をする。午前の終わりころ外に出かけ、会社に戻ると13時30分。栃木県今市健康福祉センターでの「食品衛生責任者再教育講習会」は14時に始まる。よって僕としては珍しく昼食を抜く。

講習会の眼目は、食中毒を発生させないところにある。何年か前に、今日とおなじく食品製造業や飲食業が多く参加をする保健所の講習会において「生牡蠣は毒貝とでも呼ぶべきもので、お客には絶対に供するな」と注意を喚起した講師がいた。それが今日は「ノロウイルスによる食中毒のうち、生牡蠣を起因とするものは全体の10から15パーセント。よって生牡蠣は、生食用のそれを新鮮なうちに正しく調理して提供すべし」と、講師の意見は変わっていた。

生牡蠣は僕も大好きである。来るべき冬にはしかるべきところで、1度に1ダースほどは食べてみたい。

夜、ハガキのお礼が同級生からメールにより届いた。facebookでは、きのうハガキが届いたと報せてくれる人もいた。どちらも先週の木曜日、チェンライ空港の郵便局から投函をしたものだ。宛先が東京近郊であれば、チェンライからのハガキは1週間ほどで着く、ということだ。

チェンライからバンコクに飛ぶ飛行機の中で書いたハガキは、翌日の金曜日にバンコクのホテルに投函を托した。こちらも無事に届けば有り難い。


朝飯 ハムと2種の唐辛子のソテー、納豆、胡瓜の味噌漬け(試作品)、ごぼうのたまり漬、鮭の親子漬け、メシ、豆腐と揚げ湯波と長葱の味噌汁
晩飯 「食堂ニジコ」のお通しのおでんピータン豆腐おつまみ焼叉海老の春雨炒め、麦焼酎「二階堂」(ソーダ割り、お湯割り)

2017.10.11(水) この季節になると

出勤してくる社員を迎え入れるため、事務室のシャッターを上げる。事務室の前にノレンを提げるため外に出ると、目の前にワゴン車が駐まっている。この季節、つまり木の葉の紅く色づくころになると、開店前からいらっしゃるお客様が多くなる。道が混む前に山へ上がり、紅葉を楽しもうとする気持ちが働くからだろう。

オヤジは営業時間外の商売を極端に嫌った。それは「準備が整っていない状態での接客は避けるべし」とか「時間は厳守すべし」というような考えによるものではなく、オヤジの生理や感情に基づいていることのように、僕には感じられた。

僕は逆に、営業時間外の商売は厭わない。というよりも、むしろ好きかも知れない。今朝のお客様にも喜んで、商品を販売させていただいた。

朝の薄日の差す天気は午後から一変し、空は、まるでタヒチに渡る前のゴーギャンの、ヨーロッパの雪の街を描いた絵のように暗くなった。それでもキャッシュレジスターを締めてみれば、売上金額は昨年のおなじ曜日のそれより隨分と高かった。

今日から家には誰もいない。よって終業後は食事を摂るため、オレンジ色のウインドブレーカーを身につけて、弱い霧雨の中に自転車を乗り出す。


朝飯 ハムエッグ、胡瓜のぬか漬け、鮭の親子漬け、なめこのたまりだき、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと揚げ湯波と青葱の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のチャーハン
晩飯 「ユタの店」のピータン焼き餃子キムチ豆腐焼酎「鏡月」(お湯割り)

2017.10.10(火) バッグの中身

身のまわりのそこここに時計がある。よって普段は腕時計はしない。しかし今朝ばかりはそれを左腕に着ける。決められた時間に従って、ひとつひとつこなさなければならない仕事が、大きな木造建築の梁や柱のように入り組んでいたからだ。そうして7時30分からあちらこちらであれこれをし、気づくと時刻は11時55分になっていた。

どこかで買い物をしたとき紙袋の代わりに付いてきたような、不織布による小さなトートバッグに新聞と文庫本、財布と携帯電話、それに細々としたものを入れ、それを提げて家内と下今市15:05発の上り特急スペーシアに乗る。2時間後に京橋の南天子画廊に着く。そして「堂本尚郎回顧展」を観る。そこから歩いても良かったけれど、新橋までは銀座線で移動をする。

鮨屋のカウンターには秋の色が濃かった。気分は楽な一方で、時間を気にしたりもする。そうして浅草21:00発の下り最終スペーシアに今度はひとりで乗り、23時前に帰宅する。トートバッグの文庫本は、遂に読まなかった。


朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、2種の唐辛子の網焼き、牛肉と車麩と牛蒡の炊き物、大根とズッキーニのぬか漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と長葱の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のスーラーメン
晩飯 「鮨よしき」のあれやこれやそれや「山本合名」の「白瀑備前雄町純米吟醸」(冷や)「八戸酒造」の”mutsu 8000 pale ale”「アリサワ酒造」の「生しぼり新しょうがリキュール」

2017.10.9(月) 観察

たかだか11泊では、海外にいても日本の食事が恋しくなることはない。国内、国外を問わず、その土地に行けば、その土地のものを食べ、その土地の酒を飲んで過ごしたい。タイの食事の特徴は甘い、辛い、酸っぱいが顕著ということになっている。しかし僕が驚くのは、それよりも野菜の力の強さである。玉葱やセロリなど、日本で食べられる野菜であっても、タイに行けば、それらの香りは数等倍に感じられる。

そういう強烈な風味のものを飽かず食べて日本に帰ると、昼食や夕食は何でも構わないものの、とにかく朝食だけは米と味噌汁が欲しい。きのうの夜も忘れずに、翌朝の味噌汁のため、鍋の水に数尾の煮干しを忘れず入れて台所に置いた。

「吉田類の酒場放浪記」は隨分と以前から、毎週かならず録画されるよう、自分でビデオを設定したらしい。たまたま月曜日の21時にテレビのスイッチが入っていると、それまで観ていた番組が突然「酒場放浪記」の導入部の画像に変わり、知る人は知る、例の主題曲が流れ始めて、忘れていた、つまり録画のことを思い出す。

それはさておき、そのようなとき、この番組を好まない家内は「やだー」と、ただちにチャンネルを他に変えるよう言う。しかし僕はそれを聞き入れず、結局は最後まで観る。仕方なくつき合う家内の観察によれば、吉田は焼酎よりも日本酒に酔いやすいという。僕はただ、吉田のシャツやスカーフ、酒や肴に傾けるうんちく、あるいはろれつの回らないしゃべりを面白がって観ているだけだから、そのようなことには気づかない。


朝飯 牛肉と車麩と牛蒡の炊き物、「なめこのたまりだき」のフワトロ玉子、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ごぼうのたまり漬、大根のぬか漬け、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 「とりや」のタンメン
晩飯 生ハムのムースを載せたパン、ブロッコリーのサラダ、スパゲティミートソース“Cuvée des Jeux Côtes du Rhône Jean Claude Boisset 1986”栗のソースのロールケーキ、”Ord Parr”(生)

2017.10.8(日) 庭の小径

タイから戻ると即、ホテル予約サイト”agoda”のページには「おかえりなさい 次の旅行を計画しませんか?」という文字が現れた。次の旅行は来年の3月になるだろうか。しかしいまだ計画をする段階ではない。

それはさておき、チェンコンで泊まったホテルを去るとき「agodaのレビュー、よろしくお願いします」と、フロントの太った愛想の良い係に頼まれた。勿論、僕は快諾をした。”agoda”のレビューはもともと、いつも書いている。

今回の旅では3軒のホテルに泊まった。そのうちチェンコンとバンコクのホテルのレビューは日本語で書いた。チェンライで泊まったホテルのレビューのみ、ホテルの人も直に読めるよう、英語で書いた。その、日本語による内容は以下だ。

「プールサイドと庭は、喫煙の可能な場所か、否か?」
「プールサイドと庭は、痰を吐くことの可能な場所か、否か?」
「プールサイドの茂みや庭に、煙草の吸い殻を捨てる客が存在する」
「自分はホテルの全面禁煙を望み、また行儀の良い客を望む」

すぐには改善をされなくても、ホテルに僕の意見が伝われば幸いである。朝食のテーブルとは目と鼻の先の、庭師が手入れを欠かさない小径で「カーッ、ペッ」と痰を吐かれては、折角のオムレツも台無しではないか。


朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、牛肉と車麩と牛蒡の炊き物、スペイン風目玉焼き、納豆、ズッキーニのぬか漬け、メシ、揚げ湯波とほうれん草の味噌汁
昼飯 「ふじや」の雷ラーメン
晩飯 鰯の梅煮、若布と玉葱の味噌汁、大豆と人参と昆布の淡味炊き、トマトと「らっきょうのたまり漬」を刻み込んだポテトサラダ、麦焼酎「高千穂零」(お湯割り)

2017.10.7(土) 帰国

02:35 周囲の物音で目を覚ます。朝食の配膳が始まっている。
03:17 機は沖縄と九州の間を飛行中。
04:07 トイレで歯を磨く。ノックをされて外に出ると、客室乗務員さえ着陸に備えて席に着いていた。
04:22 ”TG0682″は定刻より33分も早く羽田空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。

06:43 パスポートコントロールを抜ける。
06:56 バゲージクレームの回転台に荷物が出てくる。
06:57 税関検査を抜ける。
07:00 京浜急行空港線の羽田空港国際線ターミナル駅のプラットフォームに出る。
07:06 泉岳寺行きの車両が発車をする。

泉岳寺で乗り換えた都営浅草線の車両の中で、浅草08:00発の下り特急スペーシアの特急券を調べると満席だった。よってその次の、08:30発のそれを買う。下今市駅には家内に迎えに来てもらった。

家を出てから13日が経っている。そのわずかな間にも、「らっきょうのたまり漬」は今年の新物になっていた。新商品「ごぼうのたまり漬」が蔵出しされていた。ヤマトの送料が上がって、お客様からの地方発送のご注文には、暗算での応答ができなくなった。そして昨年11月7日に産まれた孫は、何かに掴まらなくても立てるようになっていた。

晩飯はチムジュムでも良かったけれど、用意をされたのは日本の食事だった。不覚にも日本酒に酔い、食堂の固い椅子でうたた寝をする。


朝飯 “TG0682″の機内食
昼飯 10月4日にチェンライのセブンイレブンで買い、麺だけチムジュムの鍋で煮たタイのインスタントラーメン「ママー」の残りのスープによるうどん
晩飯 チーズの「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、鮭の親子漬け、胡瓜の若布の酢の物、ほうれん草の胡麻和え、銀鱈の西京焼き、大根とズッキーニのぬか漬け、薩摩芋の飴煮「丸山酒造場」の「雪中梅純米原酒」(燗)

2017.10.6(金) タイ日記(12日目)

バンコクの朝はいまだ暗い。枕元の明かりを点け、起きて部屋を一巡する。洗面所の歯ブラシがシャワーブースの石鹸置きに寝かせてあるということは、覚えてはいないものの、昨夜はシャワーを浴び、歯も磨いたということだ。ふとデスクの引き出しを開けると、見覚えのあるシールが貼ってある。そのことから、今回の2015室が、6月に泊まったと同じ部屋であることを知る

きのうの午後、つまり酒を飲む前に「明日にすべきこと」としてメモしてデスクのスタンドに貼りつけたポストイットに目を遣る。そしてコンピュータを立ち上げ、日本時間で9時になったら連絡すべき電話番号の、頭に+81を付けてiPhoneに再登録する。

朝食は、チャルンクルン通りを北へ向かって左側の歩道を歩き、すこし行った左側の馴染みの店でバミーナムを注文する。タイの食べ物屋では、客は帳場まで歩いて金を払うことはしない。店の人を席に呼んで金のやり取りをする。この店も、今年の6月に来たときはそうだった。しかし今回まわりを見まわしてみれば、タイ語と英語と中国語による写真付きのメニュがある。ステンレス製の箸入れにも英語の表記がある。そして今日はじめて見る息子らしい人の座るボックスには”Cashier”のシールが貼ってある。若い人が店に帰ってくると、それだけで、色々なことが変わってくるのだ。僕もこれまで通りではなく、その”Cashier”で50バーツを支払う。

きのうフロントで交渉をした結果、ホテル側はチェックアウトの時間を通常の正午から14時に延ばしてくれた。よって午前中はずっとプールサイドで本を読む。隣の寝椅子のファランは”JOE BURNER – MY STORY”を読んでいた

昼食はやはりチャルンクルン通りの老舗「新記」の扉を押す。ローストダックを商って数十年のこの店もまた、朝のクイティオ屋と同様、昨年2月に来たときより諸々が進化していた

13時45分にロビーに降りてチェックアウトをする。きのうチェンライからバンコクへ飛ぶ機内で書いた絵はがき8通を投函するため郵便局の場所を訊くと、ホテルから出して上げるとフロントのオネーサンは請け合い、1通あたり20バーツの価格を提示した。切手代は15バーツで間違いはないものの、細かいことは言わずに160バーツを手渡す。

以降はそれほど暑くない今日の天気を幸いとして街歩きをしたり、喫茶店で本を読んだり、あるいはマッサージを受けたりする。そして17時を前にホテルに戻り、ベルに預けた荷物からラオカーオを取り出し、セブンイレブンでソーダを買う。

バンラック市場ちかくの屋台街は、高速道路に激しい渋滞の発生する金曜日に空港へ向かうときには、特に使いやすい夕食の場だ。ここに席を得て、先ずはヤムウンセンと氷を注文する。コモトリ君はサトーンの桟橋で舟を下り、17時45分ころに合流をした。

「せっかく旅行に来てんだ、もっとマシなところでメシ、食ったらいいじゃねぇか」とコモトリ君は言う。しかし僕はタイでは、日本にいてはできないことをしたい。タイのぬるい空気に肌をさらし、野外で飲食をするなどは、その最たるところである

コモトリ君は空港に向かう僕と共に、サパーンタクシンから”BTS”に乗った。そして口直しのため、サラデーンで降りていった。サイアムで乗り換えパヤタイに移動をすると、空港までの”ARL”はプラットフォームに人が溢れることを防ぐため、改札規制をしていた。時刻は19時38分。やがて僕もプラットフォームに上がる。空港行きの車両は19時45分に発車をした。

20:17 スワンナプーム空港着。
20:30 チェックインを完了
20:44 手荷物の保安検査場を抜ける。
20:59 パスポートコントロールを抜ける。
21:24 自動販売機で、35バーツの高い、しかし売店の90バーツよりは安い水を買う

21:26 C4ゲートに達する。
22:22 搭乗が開始をされる。
22:27 背もたれを最大に倒しても、誰にも迷惑をかけない最後尾の席に着く
22:52 ”BOEING 777-300E”を機材とする”TG0682″は定刻に7分を遅れて離陸。
23:10 ベルト着用のサインが消えたところでデパスとハルシオン各1錠ずつを飲み、座席の背もたれを最大に倒す。


朝飯 チャルンクルン通りの馴染みのクイティオ屋のバミーナム
昼飯 「新記」のバミーヘンペッ
晩飯 バンラック市場ちかくの屋台街のヤムウンセンプラームックソムタムチムジュムパッタイラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2017.10.5(木) タイ日記(11日目)

今朝は8時に迎えのクルマが来る。よって食堂には、いつもよりずっと早い 6時30分に降りた。そのお陰で、朝食会場は、この時間にはとても空いていて快適なことを知る。

07:45 ホテルをチェックアウトする。
07:55 迎えのクルマに乗る。
08:13 メイファールアン空港着。
08:15 空港内の郵便局から13通の絵葉書を投函する。切手代は1通あたり15バーツ。
08:55 チェックインを済ませ、出発のための待合室に入る。

タイスマイル航空のボーディングパスに印刷されている搭乗口は3番ゲート。それが直前で2番ゲートに変わる。珍しいことではない

10:18 “AIRBUS A320-200″を機材とする”WE131″は定刻に18分遅れて離陸
10:45 年賀状の返信8枚を機内で書く
11:27 ”WE131″は定刻に7分遅れてスワンナプーム空港に着陸。
12:04 バゲージクレームの回転台からスーツケースが出てくる。
12:09 空港ビル1階からタクシーに乗る。

「ホテルはセンターポイントシーロム。バンラック市場の近く」と、運転手にタイ語で告げる。運転手は脱力感満点の静かな男だった。ワイパーを最高速で動かしても充分な視界の得られない豪雨がいきなり降り始め、タクシーはそれまでの時速90キロを70キロに落として西へと走る。その土砂降りはいくらも経たずに上がった。ホテルに着いた時刻は記録していない

社員への土産はチェンライで半数は確保しておいた。なぜすべてを一度に買わなかったかといえば、数が揃わず買えなかったのだ。残りは他ものになっても仕方がない。各々にも好みがあれば、同じものである必要はないだろう。ジャルンクルン通りを南へ歩き消防署となりの店でカオマンガイを食べる。その帰り道でようやく、土産の残り半数を買い足す。

業界の旅行で海外へ行った折などに見ていると、社員に土産を買う社長は皆無だ。しかしウチにはむかしから、経営者が社員に土産を買って帰る習慣がある。僕は買い物をそれほど好む方ではないけれど、社員にも旅の土産をもらうことはあるから、まぁ、お互い様である。

チェンライに引き続き、夕方まではプールサイドで本を読む。チェンライのプールサイドには、鳩の声が届いていた。それがバンコクでは、バスやクルマやオートバイ、トゥクトゥクなどの排気音に変わる。

17時にサパーンタクシンの船着場へ行く。舟に乗るための浮き桟橋が、待合所の椅子に腰かけ待つ人の胸の高さまでせり上がっている。大変な水の多さである。同級生コモトリケー君の住むコンドミニアムの専用船に乗り、チャオプラヤ川を遡上する。巨大な商業施設アイコンサイアムが、徐々にできあがりつつある

取りあえずはコモトリ君の家に上がり、そこから川沿いにある料理屋に降りる。雨期であり、十五夜の次の日であり、上げ潮ということも関係しているのだろうか、大型船が行き交うたび木の床には波が押し寄せ、時によっては我々の足元を濡らした

帰りは料理屋の専用船でサパーンタクシンまで送ってもらう。客は僕ひとりにて、船頭には駄賃をはずんでおいた。

ホテルまでの道すがら、スーパーマーケットのトップスに寄る。その酒売り場には”the End of Buddhist Lent Day”のため木曜日の0時から金曜日の0時までは酒を売れない旨の張り紙があった。先ほどの料理屋でコモトリ君がビールを頼むと「カオパンサーだから酒は出せない」とウェイトレスに教えられた。なるほど今日は、タイではどこもかしこも酒を売れない入安居だったのだ。もっともいつものようにラオカーオを持参した当方には、特段の不便は無かった

部屋に戻り、出る前に回しておいた洗濯機から洗い上がったシャツや靴下を出す。それを外のベランダに干して以降の記憶は無い。


朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、コンデンスミルクを底に沈ませたコーヒー中華粥
昼飯 “Meng Pochana”のカオマンガイ(トムトーパッソム)
晩飯 “YOK YO MARINA & RESTAURANT”のサイクロークイサーンプラームックパッポンカリートードマンクンパックンガティアムプラーガッポンヌンマナオ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2017.10.4(水) タイ日記(10日目)

早朝に窓を開け、壁から30cmほど突き出した、これは掃除用の足場なのだろうか、そこに片足を付き、東の方角を眺める。コック川の面はいまだ暗い。しかし空は明けつつあって、朝の光が二条、三条、四条と、北に向けて伸びている。変わりやすい雨期の天気だが、今日はどうなるだろう

僕は、年賀状を書く習慣を持たない。しかし届いたものには返事を書かないと、心の居心地が悪い。返信は旅先で書く。しかし今回はどうにも気分が乗らなかった。本日は遂に意を決し、いただいた年賀状、そしてタイに来るたび買い溜めた絵はがきをショルダーバッグに納めて散歩に出る。

先日、サナムビーン通りに足を延ばした際に、大きな窓を持つカフェが目に留まった。何しろそのような店には慣れていないから恐る恐る戸を引き、席に着く。そしてアイスアメリカーノを注文する。ハガキは90分で11枚が書けた。ボールペンを握り続けた右手の指は棒のように引きつってしまったものの、気持ちは軽くなった

その11枚を持ち、きのう見つけた抜け道を通ってワンカムホテルの裏に出る。そのそばの、何とも言えない紫色に塗られたエジソンデパートに入り、郵便局の出張所を目指すと、空しいかな、そこはジュース売り場に変わっていた。店内を一巡するも、出張所の姿は見えない。そのまま外に出て、例の酒屋ちかくの土産物屋で絵はがき10枚を補充する。そして3日前にも来た、店名の最後に”2″の付くクイティオ屋で、今度はバミーナムムゥを昼食とする

床屋には、日本を出る4日前にかかっていた。しかし早くも今朝は髪に寝癖が付いていた。というわけで昼食の後は、ふたたび目抜きのパフォンヨーティン通りに戻り、一昨年、昨年と続けて世話になった床屋の扉を押す。

昨年の、店主らしい男とのやりとりから、僕の髪を刈るバリカンには2番のアタッチメントがちょうど良いことを知っていた。よって今日の係にもそれを伝えた。しかしその「2番」を使い始めた店員は「これではいくらも刈れませんよ」というようなことを言う。よって髪には更に短い1番を使ってもらい、しかし髭には昨年とおなじ2番を使ってもらう

散髪代は260バーツだった。その内訳は、丸刈り、髭、シャンプー、耳掃除がそれぞれ80バーツ、50バーツ、80バーツ、50バーツだと思う。

いつもの道を辿り、ホテルに戻る。ボーイの開く扉から、薄暗く、涼しく、タイの古い音楽の流れるロビーに入るといつも、ホッとする。ロビーにはプミポン前国王の、今月25日から5日間にわたり行われる葬儀のために、今朝は祭壇が設けられた

空はおおむね晴れている。14時30分にプールサイドに降りて、17時まで本を読む。プールでは一時、おととい街へ向かうシャトルバスに乗り合わせた、日本人に似た容姿の静かな女の人が泳いでいた。キャップとゴーグルを身につけ、とても整った平泳ぎである。多分、真面目な人柄なのだろう。

ホテル18:00発のシャトルバスに乗ると、またまたその女の人も乗り込んできた。「ずっと黙っているのも…」と考え、後ろを振り向き声をかけてみる。癌でこちらの病院に入院している親戚を見舞いに来て金曜日に戻ると、女の人は堰を切ったように話し出した。静かではあるけれど、それはひとり旅によるものだったのだ。先方にも好みや都合があるだろうから、フードコートでの夕食に誘うことはしなかった

いつものように、チムジュムを肴にラオカーオを飲む。チェンコンに入った晩には弓張り月の弦をすこし膨らませたほどだった月が、すっかり丸くなっている。鍋の中身を食べ尽くすころ、舞台ではいつもの曲に合わせて踊りが始まる。その1曲目が終わると同時に席を立ち、トゥクトゥクを拾ってホテルに戻る。

ここ数年のトゥクトゥクの相場は、昼が80バーツ、夜が100バーツだが、今夜のオジサンの言い値は80バーツだった。値切れば今でも、それくらいで乗れるのかも知れない


朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツトースト、コンデンスミルクを底に沈ませたコーヒー、中華粥
昼飯 店名の最後に”2″の付くクイティオ屋のバミーナムムゥ
晩飯 ナイトバザールのフードコート32番ブースのチムジュムその鍋で煮たママーラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2017.10.3(火) タイ日記(9日目)

早朝は日記を書き、日が昇ったらコック川の水面を間近に臨む食堂で豊かな朝食を摂る。昼は街の散歩、水泳、プールサイドでの本読み、夜は地元の人に交じっての飲酒喫飯。毎日これを繰り返して一向に飽きない。

今日はサナムビーン通りからジェットヨット通りへの抜け道を見つけた。個人の屋敷の庭に、なぜこのような古い、しかしランナー様式でもなさそうな建物を作ったのだろう、と感じる不思議な家が、その抜け道にはある。ひとけのまったく感じられないところが不気味だ

ジェットヨット通りには新しいタイ語の学校ができていた。チェンライに長く滞在し、タイ語の会話を学びたい気持ちが僕にはある。そのジェットヨット通りからパフォンヨーティン通りに抜ける道に長期滞在型のゲストハウスがある。生意気ながら、僕にはプールサイドでの本読みが欠かせないから、この手のところには泊まる気がしない

ロンリープラネットでは隨分と褒められている料理屋「ムアントーン」とおなじ交差点にある、先日も来たマッサージ屋”PAI”で、2時間のマッサージを受ける。左肩を叩きながら「ここが痛い」と言うと、ジェップさんはそこにオイルを入念に擦り込みながら、強い力で押し、揉んでくれた

正午から2時間ほども回っていたため、おかずメシ屋「シートラン」では従業員が遅い昼食を摂っていた。そのすぐ脇で2種のおかずのぶっかけメシと厚揚げ豆腐とキャベツのスープ煮を食べる。

チェンライの中心部ではもっとも交通量が激しいと思われる交差点の角から消えた「ドイチャンコーヒー」が諦めきれず、ホテルにいるときgoogleマップで調べたところ、タナライ通りにも同じ名の喫茶店のあることが分かった。よって遠回りをしながら向かうと、先ずは改装中らしい建物に”DOI CHAANG COFFEE”の名を大書したシートが垂らされていた。そこから東にすこし行くと、そこにもまた「ドイチャンコーヒー」があった。ベランダの席に着き、昼食より高い価格に逡巡しつつエスプレッソを注文する。やはり消えた「角の店」のそれの方がよほど美味い。「角の店」が、いま改装中の建物に移ってくるなら嬉しい

市場の場外を巻き田舎のデパートというおもむきのスーパーマーケットの中を通り抜けて、崖下の道へと向かう。雨が降り始めている。一般道からドゥシット島に架けられた橋を渡ると、警備小屋の庇の下で待つよう警備員に言われる。間もなくホテルから電動自動車が迎えに来てくれる

今日もまた、ホテル18:00発のシャトルバスでナイトバザールへと向かう。そのゲート前から来た道をすこし戻り、いつもの酒屋でラオカーオ”BANGYIKHAN”1本を補充する。チェンコンの”TESCO Lotus”では156バーツだったこれが、この店では165バーツで売られていた。日本から持参した分も含めれば4本目のラオカーオである。

チェンライでは、庶民が集まるオープンエアのフードコートでさえ全面禁煙だ。よって食事の最中に喫煙者の吐き出す煙が当方の鼻孔に届き「ちょっと、勘弁してくれよ」という不愉快な思いはせずに済む。チムジュム美味し。ラオカーオ美味し。

舞台の踊りの1曲目が終わり、踊り子が裏に引っ込んだところで席を立つ。そしてトゥクトゥクに乗ってホテルに帰る。


朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、コンデンスミルクを底に沈ませたコーヒー中華粥
昼飯 「シートラン」の2種のおかずのぶっかけメシ、厚揚げ豆腐とキャベツのスープ煮
晩飯 ナイトバザールのフードコート32番ブースのチムジュムヤムママーラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2017.10.2(月) タイ日記(8日目)

日本の常識とは異なり、南の国では太陽の光の直に差し込まないことが、居心地の良い部屋の条件である。ほぼ北に面した窓の外が、徐々に明けてくる。雲間にうっすらと橙色が差しているのは、東の空の朝日を映しているのだろうか。

タイでこれまで足を運んだ街は、バンコク、南端のナラティワート、東端のウボンラチャタニー、北はチェンマイ、プレー、チェンコン、そしてチェンライだ。このチェンライ以外の街を巡って、またチェンライに戻ってくると、この街の良さを改めて、つくづく感じる。田舎の落ち着きと、街の賑やかさの双方が、高い次元で均衡しているのだ。そして特筆すべきは食べ物が美味い。

昼はバンパプラカン通りからジェットヨット通りに折れて南に歩き、ワンカムホテル裏の麺屋「カオソイポーチャイ」へ行く。この店ではこれまで店名にもあるカオソイやバミーナムを食べてきたが、今日は初めてバミーナムニャオを注文する。そしてその美味さに驚く。これからは、この店に来るたび、僕はこればかりを注文するかも知れない。

空は曇っているものの、部屋にいては勿体ないため、本を持ってプールサイドに降りる。きのうの夕方プールに群れていた白人たちは、ホテルの中から綺麗さっぱり消えている。白人とはいえ、日本人と同じような慌ただしい旅をする人たちも存在するのだ。

夜はきのうに引き続き、ホテル18:00発のシャトルバスに乗る。日本人と見まがう容姿の、しかしそうでもなさそうな、とても静かな女の人も乗る。ひとりで旅しているところからして、大陸の中国人ではなさそうだ。

目抜き通りでバスを降りる。白地に”CHIANG RAI NIGHT BAZZAR”と紺色で大書した門をくぐり、ナイトバザールに入って行く。そしてそのいちばん奥の、黄色く塗った鉄製の椅子とテーブルのフードコートに席を占める。32番ブースのオバチャンのチムジュムは、先ずはすべての野菜を鍋に入れ、それが煮えたところで豚肉を加える。鶏卵は溶き卵にすると雲のように散ってしまうため、炭の火が弱まってからポーチトエッグにする。

セブンイレブンでは9バーツのシンハソーダが、このフードコートの酒売り場では10バーツだから、とても良心的だ。ウェイター役のオニーチャンたちの制服は、昨年の赤いポロシャツから、今年は黒いTシャツに変わっている。今日は月曜日のため、舞台の踊りはなく、客の数もきのうほどではない

そうしてふたたび目抜き通りに出てトゥクトゥクを拾い、ホテルに帰って20時台に就寝する。


朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、コンデンスミルクを底に沈ませたコーヒーガオラオ
昼飯 「カオソイポーチャイ」のバミーナムニャオ
晩飯 ナイトバザールのフードコート32番ブースのソムタムチムジュムラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2017.10.1(日) タイ日記(7日目)

チェンライは北方の田舎とはいえ街の規模は小さくない。食事をするところは夜になっても数え切れないほどある。よってチェンコンにいたときのように19時台に就寝するようなことはない。それが幸いして朝も、午前0時台に目を覚ますようなことはなくなった。今朝の起床は5時台である。

タイに来て何が有り難いかといえば、自らを時間の枠に収める必要が無い、というところがいちばん有り難い。もちろん、このホテルの朝のブッフェは5時30分から10時30分までのあいだしか供されない。夕方までに洗濯物を受け取ろうとすれば、それを朝のうちにメイドに手渡す必要がある。バスは運行時間が決まっている。それでも1日のほとんどは自由時間だ。

午前中は仕事と思っていたけれど、空は晴れ、窓から見るプールに客はひとりもいない。よって10時にプールサイドに降り、11時20分まで本を読む

街で昼食を摂るべく外に出ると「お車ですか、歩きですか」とベルボーイのひとりに声をかけられる。このホテルに泊まりながら街まで歩く客は希なのだ。「歩きです」と答えると、ベルボーイは僕を、外の道の手前まで電気自動車で送ってくれた

バンパプラカン通りを時計塔から東へ歩き、右手にホテル”Le Patta”を過ぎたあたりで左に折れる。そこからすぐの左手にある、タイ語だから読めないけれど、看板の店名の最後に”2″の付くクイティオ屋に入る。そしてバミーヘンを食べる。

タイ料理の特徴は甘さと辛さと酸っぱさと聞く。僕は必ずしもそうとは感じないけれど、この店のバミーヘンのタレは甘かった。もっとも日本の炸醤麺の味噌も甘いといえば甘いから、驚くようなことでもないのかも知れない。

コーヒーは、日本にいるときには時間調整のため喫茶店で本を読む、というようなときにしか飲まない。つまり特に好きなわけではない。そんな僕の感想だから信用は得られないかも知れないけれど「これほど美味いコーヒーを出す店が日本にあるだろうか」と、常々感心をしていたのがドイチャンコーヒーだ。その、バンパプラカン通りとラタナケット通りの交差点にあった店が消えている。赤い土の空き地には”Green Hill Bizhome”という看板が立てられている。貸事務所のようなコンドミニアムが建つのだろうか。チェンライに来る楽しみが、ひとつ減ってしまった

ホテルへの帰りはすこし寄り道をして、バンパプラカン通りから旧飛行場へ南下するサナムビーン通りに入ってみる。30年前までは数十軒もの置屋が紅灯を連ねていたというこの通りだが、今は洒落た店も多い。そんな中に昔ながらのクイティオルア屋を見つける。この店にはいつかかならず来たい

旧時計塔のある市場のいわば場外を回り込み、ホテルに戻る。シャワーを浴びて以降はきのうの日記を書き、また長男とメールで諸々のやり取りをする。

プールには夕刻になって、白人の数がいきなり増えた。このホテルとしてはすごい人数だ。団体客が到着をしたのかも知れない。そういえば国慶節は今日からではなかったか。このホテルで目立つのは何といっても白人で、中国人はそれほどでもない。

ホテルと街を結ぶシャトルバスの、18:00発の切符を60バーツで買う。切符には「往復120バーツ」の表記があるけれど、実際には、帰りに乗っても運賃は往路の片道分しか取られないミニバンの客は僕ひとりだった

パフォンヨーティン通りからナイトバザールのゲートをくぐる。色とりどりの露店のあいだを抜け、左に右に折れながら、チークによる重厚な普請の観光客用ではなく、テーブルも椅子も黄色い鉄製の、庶民用のフードコートに席を得る。そして多分、3年前からはこの店のものしか食べないチムジュムを、いつものオバチャンに注文する。

「タイに帰ってきたの?」
「うん、おととい、チェンコンからね」
「辛さは無し? それとも少し?」
「ふつう」

ガイジンだからといって、料理の辛さを手加減されることを僕は好まない。

舞台では6人の踊り子による踊りが始まった。音楽は聞き慣れたいつものそれだ。日はいつの間にか暮れている。そして来たときは疎らだった客が、気づけばほとんどのテーブルを満たしている。チムジュムを食べ終え、酒を飲み終え、最初のステージを終えた踊り子たちの後ろを歩いてフードコートを去る

時刻は19時20分、帰りのシャトルバスは、ナイトバザールのゲート前を、19時を除く毎時15分に出る。目抜き通りを南に歩き、行きつけのマッサージ屋”PAI”の扉を押す。そして足と肩のマッサージを受け、21:15発のバスでホテルに戻る。


朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツトースト、コンデンスミルクを底に沈ませたコーヒー、中華粥
昼飯 店名の最後に”2″の付くクイティオ屋のバミーヘンムゥ
晩飯 ナイトバザールのフードコート32番ブースのチムジュムラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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