2019年2月の日記28本
2019.2.28(木) anniversary
「あにばーさりー」と打ち込んでF4キーを押すと”anniversary”と出るから、ワードプロセッサとは便利なものだとつくづく思う。「あにう゛ぁーさりー」と入れても同じことだ。
ところで僕はこと「記念日」については、ほとんど興味を持たない。正月にもクリスマスにも興味は無いから、たとえ1月1日の朝からでも何の屈託もなく、あるいはむしろ意気揚々と働くことができる。しかし浮き世で生きていくためには、記念日にはそれらしい行動をとらなくてはならないこともある。
オフクロの誕生日には毎年、霧降高原のステーキ屋で夕食会を催した。オフクロの好物が牛肉だったからだ。しかしオフクロが亡くなった翌年から、この店には4年半も無沙汰をしてしまった。オフクロの葬儀に際しては生花までいただきながら、申し訳ないこと甚だしい。よって今日は、嫁のモモ君の誕生日にかこつけて、久しぶりにその店へ出かけることとした。
我が家から日光の旧市街へ向かう大谷川河畔の道には霧が出ていた。そこから霧降大橋を渡って霧降高原への道を上り始めれば、その土地の名の通り、霧はますます深い。
この店の、4年半前と変わらず、否、いつ来ても上出来のステーキにナイフを入れながら思い出したのは、同級生サカイマサキ君のことだ。牛肉を好きだったに違いない関西人のサカイ君は、この店に来たいと常々言いながら、それを果たさないまま3年前の2月に亡くなった。「肉を食う」という生存に直結した行為の最中には、却って死を思うことが自然なのかも知れない。
寒くない冬の雨や霧は美しい。食事を終えたステーキ屋の外には、こころよく湿った夜があった。
朝飯 五目ひじき、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、グリーンピースの炒り豆腐、空豆の天ぷら、大根と厚揚げ豆腐の淡味炊き、ふきのとうのたまり漬、メシ、トマトと揚げ湯波と長葱の味噌汁
昼飯 「ポンヌッフ」の浅蜊とホワイトソースのパン、コーヒー
晩飯 「グルマンズ和牛」の果物盛り合わせ、フィレステーキ、クレープ、他あれこれ、“Beaujolais Villages Antoine Chateled 2016”
2019.2.27(水) 街の真ん中あたり
大げさに言えば何十年も足を踏み入れなかった宇都宮の中心部を、このところはしばしば歩く。歴史ある繁華街バンバ通りに建つパルコが今年5月に撤退のニュースに触れたからかも知れない。そのバンバ通りと交わる、これまた賑やかだったオリオン通りには、今や歩く人もまばらだ。宇都宮は日光の南東に位置するだけに、気温はより高いはずだ。しかし前回の今月6日とおなじくイヤに寒く感じるのは、この広いアーケードに風が吹き抜けるからだろうか。
そのオリオン通りにあって、例外的に客足の絶えない店を前回、見つけた。飲み屋ではあるけれど、昼は定食屋になるこの店に客が多く集まる理由は、一度ここで何かを食べてみれば直ぐに分かる。
夜は飲み屋になるところから、あるいは既存の客に気を遣ってか、店内にタバコの煙の漂うところが僕には大きな短所となるが、それを補って余りある諸々が、この店にはある。そして今日もここで昼の定食を食べ、中心部に残った唯一の大型店である東武百貨店で少々の買い物をしてから帰路に着く。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、巻湯波と人参の淡味炊き、グリーンピースの炒り豆腐、キクラゲと鱈子の佃煮、ふきのとうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 「出世街道」の鯵フライ定食
晩飯 蓮根と人参のきんぴら、椎茸と三つ葉のおひたし、鰆の味醂焼き、ホワイトアスパラガスのバター焼き「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」がけ、焼叉と長葱のソテー、豆腐と若布と万能葱の味噌汁、麦焼酎「日田全麹」(お湯割り)
2019.2.26(火) 同級生からの電話
日光味噌のたまり漬の、袋の口を金属の輪で留める方式は、1969年から実に50年のあいだ用いてきたものだ。この留め金の機械の製造元は、2000年代のはじめまで東京の最北部で命脈を保ってきたものの、遂に力尽き、以降は宮城県の会社が保守整備を担ってきた。
2011年3月11日の東日本大震災の折には、この会社と連絡が取れなくなり、被災状況をあらわず地図をインターネット上で調べつつ、最悪の事態を考えていた。そしてこの大地震の1週間後には、どこで調べたか、早くもこの機械で使う金属の輪を扱う会社から「ウチからも供給できる」との連絡が入った。
数ヶ月後、前述の宮城県の会社の担当者から、突然、電話が入った。「無事だったんですね」と、僕は飛び上がらんばかりに喜んだ。そして以降はまた、機械の保守整備と消耗品の供給は、その会社に頼ることとした。
その、紆余曲折を経ながら50年ちかく続けてきた包装形態を、この4月1日から一新する。それをお客様にお知らせするご案内は僕の手書き文字とし、先週から順次、投函を始めた。
本日、昼食の最中に、インドのあれこれを視察して帰国したばかりの同級生ヨネイテツロー君から電話をもらった。「家に帰ったらハガキが届いていた。包装形態の最新化はとても良いことで、自分も楽しみにしている。ついては4月1日の出荷で、らっきょうのたまり漬10袋を自宅に届けて欲しい」というのが、その電話の内容だった。
時あたかも春を目の前にして、自分や周囲の内燃機に火の入ってきた気がする。そして夜はひとり、乾麺を茹でる。
朝飯 グリーンピースの炒り豆腐、納豆、巻き湯波と人参の淡味炊き、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、じゃこ、大根と胡瓜と生姜としその実の醤油漬け、ふきのとうのたまり漬、メシ、ベーコンと白菜の味噌汁
昼飯 パン、マーマレード、キャベツと人参とエノキダケのスープ
晩飯 鮫の発酵食品ハカール、”ABSOLUT VODKA”(生)、トマトとベーコンと「ふきのとうのたまり漬」のスパゲティ、”Petit Chablis Billaud Simon 2015″
2019.2.25(月) 全然イケる
「地酒”BLACK DEATH”のおつまみとして、あなたもこの名物に挑戦してみませんか」と書かれた黒板を見て、その「名物」とやらを試してみたところ、自分は平気だったけれど、おなじテーブルの仲間たちは辟易しながら二度と手を出さなかったと、先般、アイスランドを旅した家内に聞いた。
子供のころの記憶を辿れば、世界地図にあるアイスランドは、海岸線の陸側の縁こそ緑色だが、残りの大部分は真っ白に塗りつぶされて、まるで氷の塊のように感じられた。しかし家内によれば、アイスランドは地熱により日本よりよほど暖かいのだという。
家内が買って帰ったその「名物」には、僕には読めないアイスランド語と共に”Shark”の文字があった。「鮫」だけでは明らかに説明不足だ。僕はサイコロ状に刻まれたそれを5つ、豆皿に載せた。”BLACK DEATH”などという酒はもちろん家には無いからウォッカを用意した。
その「鮫」の食感は筋のある蒲鉾のようなもので「日本人なら全然、イケるよ」と咀嚼を続けると、そのうち口腔から鼻孔へアンモニア臭が抜け、その臭いは強くなるばかりだ。どれほど強いかといえば、蚊に刺されたときに塗る「キンカン」の瓶に鼻を近づけたときのそれと、ほぼ変わらない。しかしその臭いはウォッカで舌を洗えば綺麗さっぱり消え、だから僕は即、ふたつめの固まりに楊枝を延ばした。
明晩はひとりメシ。となればまた、僕はこの「鮫」を豆皿に盛るに違いない。日本人なら全然、イケる味である。
朝飯 鮭の麹漬け、大根と胡瓜と生姜としその実の醤油漬け、ふきのとうのたまり漬、じゃこ、キクラゲと鱈子の佃煮によるお茶漬け
昼飯 ハムとチーズのパン、ヨーグルト、コーヒー
晩飯 鰊の油漬け、キャビア風の魚卵、鮫の発酵食品ハカール、”ABSOLUT VODKA”(生)、キャベツと人参とエノキダケのスープ、食パン、ジャガイモのベーコン焼き、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、カステラ、”Old Parr”(生)
2019.2.24(日) 定形外
30年ほども前に築地の場外で鮨を食べていたときのこと、隣席の、いかにも本職らしい人が、いわゆる「下駄」に山葵を山盛りにさせているのを目にした。この人は、あらかじめ鮨を山葵抜きで注文し、山葵の量は「種」により自分で調整をしていたのだ。
場内には、ライスにカレーとハヤシを半々にかけるとか、カツ丼のごはん抜きとか、キャベツの代わりにケチャップスパゲティを多めに添えた豚カツとか、客の要望に応えるうちメニュの品数が異様に増え、メニュに無い特別注文に至っては数え切れないほどに膨れあがった洋食屋もあった。
やはり場内の吉野家には、常連客500人の好みをすべて覚えている店員がいると聞いたことがある。食べ物の本職には「定形」では満足できない人が多いのだ。
実はウチにもそのようなお客様が存在する。「らっきょうのたまり漬」の「浅太郎」は「あまりたまりに漬けるな」というご要望にお応えしたものだし「黒太郎」は逆に「もっとたまりに漬けろ」というご要望にお応えした結果の商品である。
本日の昼すぎに入ったご予約は「大根のたまり漬」についての風変わりなご注文で、そのお好みの特殊さから、コンピュータに「大根」と打ち込めば即、そのお客様の情報があらわれる仕組みになっている。ご来店は14時くらいとのことだったが「社長はそのとき、いるのか」とおっしゃるので「いるようにします」とご返事をして、昼食の時間はいつもの半分に削った。
お客様は14時20分にいらっしゃった。僕はほとんどつききりでご対応をした。僕は多分、そのお客様のことが好きなのだ。お客様は日光味噌梅太郎白味噌1パックと、包装係のサイトーヨシコさんが特別に計った大根のたまり漬5袋をお買い上げくださった。次のご来店は、初夏のころになるかも知れない。
朝飯 大根と人参と厚揚げ豆腐の淡味炊き、生玉子、すぐきを薬味にした納豆、ふきのとうのたまり漬、なめこのたまり炊、メシ、トマトと揚げ湯波と二十日大根の葉の味噌汁
昼飯 パン、マーマレード、ヨーグルト、コーヒー
晩飯 トマトとピーマンのサラダ、おとといの夜に残った鮭とほうれん草とマカロニのグラタン、“TIO PEPE”
2019.2.23(土) 逃げようとすれば効かない
「1週間に2回の割で通院して、計8回で快方へ向かう可能性が高い。それで駄目なら、そこから更に8回」と言われたカイロプラクティックでの、本日は13回目の施術日である。
地元の整形外科で処方をされた、朝昼晩の食後に飲むこととされている鎮痛剤は、先月の末から日に1度、昼に服用をすれば何とか凌げるようになり、今週の火曜日からは、まったく頼っていない。ただし背骨と右の肩胛骨のあいだの痛みが綺麗さっぱり消えた、というわけではない。
先生は診察台にうつぶせになった僕の背骨を仙骨の上から押して行き、頸骨の下に至って「まだ固いなー」と嘆じた。そして「こんなにひどいハイブツは、私、初めてです」と続けた。「ハイブツとは廃物だろうか、背中になにか、老廃物のようなものが溜まりすぎているのだろうか」と疑問に感じて訊くと「ハイブツ」とは「背部痛」の、先生なりの発音だった。
続けて「ここまで悪くするには、からだは相当、耐え続けたはずですよ。ウワサワさん、隨分と我慢強い性格でしょ」と言われたから一瞬、虚を突かれた気持ちになった。「我慢強い」などと言われたのは、生まれてこのかた初めてのことである。
背中を優先して後回しにしていた左肩の痛みについては、しばらく前から治療が始まったばかりだ。「こちらで電子ペンを当てられた直後こそ良いんですけど、しばらくすると、また元に戻っちゃいますね」と、その症状について伝えると「そりゃぁ、長年のゆがみ、ひずみが蓄積されてますから」と苦笑いをしてから「仰向けになってください、痛いですよ」と、先生は僕の左腕を両手で握り、柔道の関節技のように固めた。
思わずうめき声を上げると「骨が折れるほど痛いですよ。でも逃げようとすれば効きません。力を抜いて」と、先生は僕の左腕を更に締め上げる。「骨が折れるほど痛い」とは、どれほどの痛さなのか。「逃げようとすれば効かない」も、なかなかの殺し文句。更にはその状況下において「力を抜け」である。
「ウワサワさん、我慢しちゃ駄目ですよ、鎮痛剤、辛くなったら我慢せずに飲んでください。予約した日より前でも、具合が悪くなったら我慢せずに電話してくださいね」という先生の言葉に送られて整体院を去る。
午後は予想したより早く会社に戻ることができた。そして以降は普段の仕事に当たる。
朝飯 蓮根のきんぴら、大根と人参と厚揚げ豆腐の淡味炊き、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、グリーンピースの炒り豆腐、ふきのとうのたまり漬、大根と胡瓜と生姜としその実の醤油漬け、メシ、なめこと二十日大根の葉の味噌汁
昼飯 「東北自動車道上三川P.A.」のカレーライス、コーヒー
晩飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、湯波の淡味炊き、グリーンピースの炒り豆腐、大根と胡瓜と生姜としその実の醤油漬け、鮭の麹漬け、なめこのたまり炊、すぐきを薬味にした納豆、麦焼酎「日田全麹」(お湯割り)
2019.2.22(金) むかし酒席で耳にした話
年長の友人ヨコタジュードーがむかし、ある経済紙に取材を受けたときのこと、すべての質問に答えてのち「今度はそちらの番だ」と、これまで仕事で出会ってきたあまたの成功者に共通することは何かと、その記者に訊いてみたという。もう数十年前のことだから、その「共通すること」について、僕はふたつを記憶するのみだ。
ひとつ。成功者は夜、眠っているときに、いきなり良案を思いついて目を覚ますという。しかしてその良案は、ひとりで眠っているときにのみ訪れるという。
もうひとつ。成功者は、目の前の扉が次々と開いていくのだという。苦心惨憺して鍵を外すでもなく、錆び付いた蝶つがいに渾身の力を振り絞るでもなく、歩いて行くに従って、扉は向こうから次々と開いていくのだという。
本日、その「扉が向こうから開く」ということを僕も経験して「興奮した。オレ、ちょっとお茶、飲んでくるわ」と事務室で立ったまま言うと「それほどのことでもないでしょ」と長男はこちらの顔も見ないまま淡々と答えた。そして結局のところ、お茶は飲まずに終業時間に至る。
朝飯 春菊の胡麻和え、納豆、「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、大根と人参と厚揚げ豆腐の淡味炊き、ふきのとうのたまり漬、大根と胡瓜と生姜としその実の醤油漬け、メシ、浅蜊と二十日大根の葉の味噌汁
昼飯 「玄蕎麦河童」の蕗のとうの天ぷら、おろしぶっかけ蕎麦(十割)
晩飯 ポテトサラダ、3種のパン、鮭とほうれん草とマカロニのグラタン、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2019.2.21(木) 「安くて直ぐ」も悪くない
「盆暮れ床屋」とは「1年に2度ほどしか床屋にかからない人」を指す言葉だという。そして実際に、そのような人を僕は知っている。髪が長ければ「盆暮れ床屋」でも、周囲はそれほどの違和感は覚えない。しかし僕のような坊主頭では、そういうわけにはいかない。まして今日は午後に商談が控えている。よって朝のうちに住吉町のカトー床屋へ行く。
カトー床屋の仕事は丁寧で、ややもすれば90分ほどはかかる。南の国の床屋とは大違いだ。10時から社員との面談が控えているため、髪を刈られ、顔を剃られつつ、ときおり壁の時計に目を遣る。散髪は幸いにして9時50分に完了した。
仕事が一段落をして小遣い帳を検索すると、前回の散髪は12月27日にしていた。坊主頭にもかかわらず7週間も床屋に無沙汰をしていたとは呆れるばかりだ。今日から3週間と2日後、つまり来月の16日には従兄弟の長男の結婚式が控えている。その直前にはまた、床屋にかかるべきと考えている。スコータイかバンコクで済ませられれば、仕事は「南の国の水準」ではあるけれど、安直は安直、である。
朝飯 生のトマト、納豆、目玉焼き、切り昆布の炒り煮、鮭の麹漬け、すぐき、ふきのとうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 すぐき、梅干し、切り昆布の炒り煮、鮭の麹漬け、なめこのたまり炊、蕗のとうのたまり漬によるお茶漬け
晩飯 「食堂ニジコ」の酒肴あれや、これや、他あれこれ、担々麺、5種の日本酒(冷や)
2019.2.20(水) あの犬は良い犬だった
4分の1に折りたたまれた新聞が、食器棚に無造作に置かれている。「はやく1階の資源ゴミ置き場に持っていかなければ」と考えつつ手に取ると、それはさきおとといの日本経済新聞だった。ウチは週のうち日曜日がもっとも忙しいから、ベランダの籐椅子でコーヒーを飲みつつ日曜版の新聞を寛いで読む、というような優雅な時は持てない。そして結局のところ、日曜日の新聞はほとんど読まない。
4分の1に折りたたまれたその新聞を何気なく2分の1まで開き、そこから更に開くと、もっとも後ろの紙面つまり第32面の真ん中に「冬のパリ」という活字が見え、その瞬間、”AGFDC”となだらかに落ちる旋律が聞こえたような気がした。言うまでもなく”Autumn in New York”の出だしの部分である。そんなことを書きながら、秋、どころかそもそもニューヨークという街に僕は行ったことがない。しかし冬のパリなら知っている。
1979年のいまだ松の内、成田空港からエアフランス機に乗った。シャルルドゴール空港とオルリー空港とのあいだをどのようにして移動したかの記憶は無い。当時、日本とスペインのあいだに直行便は飛んでいなかった。「行き先はマラガですね」と僕のスーツケースにチョークを走らせようとした職員に「違う、マドリッド」と慌てて答えたことは覚えている。当時、空港のベルトコンベアが荷物に貼られたバーコードを光電管で読み取る仕組みは無かった。
マドリッドは暖かく、グラナダは更に暖かかった。帰りはパリで数日を過ごした。朝、ちかくの公園を歩きながら「こんなところで冷たい空気を吸い続けたら、呼吸器がおかしくなるに違いない」と、紳士の連れた人なつこい犬の頭を撫でると即、ホテルへときびすを返した。
「冬のパリ」を書いた林真理子は、現地で蕪蒸しを食べたという。僕はパンと生牡蠣と鶏のワイン煮を食べ、カフェオレとワインを飲んだ。パリまで足を延ばすことは、もうないと思う。
朝飯 豆腐と菜花と若布の味噌汁
昼飯 「金谷ホテルベーカリー」の2種のパン、コーヒー
晩飯 大根と胡瓜と林檎のサラダ、“Signifiant Signifie”の3種のパン、2種の温野菜を添えた豚肉とソーセージのソテー、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、チーズのブリオッシュ、”Old Parr”(生)
2019.2.19(火) 足元を見られそうな場所
足元を見られそうな場所へ出かけるときには常に黒い革靴を履く。足元を見られそうな場所とはどこかといえば、それは大抵の場所、である。
2003年に”trippen”の短靴”sheet pull”を買った。2010年にはおなじくショートブーツ”scooter wax”を買った。
“sheet pull”はスベリを換え底を換え、何かの拍子に切れたカンヌキ止めを縫い直して、いまだ艶やかに現役を務めている。”scooter wax”はやはりスベリを換え、底は交換が必要になる前にかかとの部分のみ修理をしたから”sheet pull”より更に長く履けるだろう。
その”scooter wax”の右の甲の先端に、擦過による糸のほつれを見つけたのは先月のことだ。そのまま履き続けても問題は無いだろうが、それでは気分が悪い。よって同月の21日に、トリッペン原宿店に修理に出した。
それが本日、佐川急便により届けられた。中には店の人からの手紙と共に、見積もりより安く上がったと、返金分の1,080円が納められていた。予想された1ヶ月の納期まで1日を残しての納品だった。大いに助かる。
足元を見られそうな場所へ出かけるときには常に黒い革靴を履く僕は、だからタイとラオスの国境ちかくにも、タイとミャンマーの国境ちかくにも、またタイとマレーシアの国境ちかくにも”trippen”を履いていく。
来月はスコータイからサワンカロークを経てシーサッチャナーライの更に奥まで行く。いろいろなものがうずたかく積もっていそうなところであれば、短靴よりショートブーツの方が無難かも知れない。
朝飯 揚げ湯波と菜花の味噌汁
昼飯 パン、コーヒー
晩飯 鮭の麹漬け、「なめこのたまり炊」によるなめこおろし、切り昆布の炒り煮、大根と胡瓜のサラダ、煮奴のすき焼きのせ、塩らっきょう、麦焼酎「日田全麹」(お湯割り)
2019.2.18(月) 前とおなじ
宇都宮の消化器科は日光宇都宮道路の宇都宮I.C.から、そう遠くないところにある。胃カメラの予約は11時。「10分前までには来院してください」と説明書にはあったものの、会社からは30分もかからず、10時35分に着いてしまった。
今日は患者が多く、胃カメラのための部屋に通されたのは11時30分を過ぎたころだった。それから鼻や喉に麻酔薬を噴霧されたり流し込まれたりし、胃の動きを鈍くするための注射を打たれて11時40分。看護婦さんに指示されるまま施術台に横になると、部屋の照明が落とされた。胃カメラのモニターや警告灯のみが、あたりをほの明るくしている。
先生と看護婦さんが部屋に入ってきたのは正午。腰の低い先生は時間の遅れたことをしきりに謝るが、当方は安静にしていられる時間が大好きだから、どうということもない。
胃カメラは直径1センチほどの、喉から挿入する旧式でさえ苦にしなかったが、いつの間にか鼻から入れる細いものに進化して、劇的に楽になった。また、5年前は15分ほどかかった検査が、今日は10分ほどで完了した。しばらくして呼ばれた診察室でディスプレイに映し出された僕の食道、胃、十二指腸はとても綺麗で、ピロリ菌もいないという。
土曜日に処方をされた「消化管の運動を活発化させ、胸やけ、食欲不振などを改善する」という薬がまったく効かないことを伝えると「でしたら、そのお薬、もう止めておきましょう」とのことだった。
そういう次第にて「やっぱり前回、前々回とおなじだったかぁ」と北北西にホンダフィットの鼻先を向け、13時に会社に戻る。
昼飯 “Panification U”のナッツとベリーのパン、コーヒー
晩飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、プチトマトと二十日大根のサラダ、切り昆布の炒り煮、煮奴のすき焼きのせ、「なめこのたまり炊」によるなめこおろし、塩らっきょう、麦焼酎「日田全麹」(お湯割り)
2019.2.17(日) ことによると
目を覚ましてしばらくすると、朝食の待たれる気分になった。しかし14日に発生した5年ぶりの「腹減らない病」により、胃袋には膨満感がある。つまり、脳は食事を欲するものの、肉体は欲しないという乖離が起きているのだ。きのう宇都宮の病院で処方をされた「消化管の運動を活発化させ、胸やけ、食欲不振などを改善する」という薬はまったく効いていない。
「腹減らない病」が過去においてもかならず2月に発症していること、また消化管を対象とした薬が効かないところからすれば、この、4年から5年おきに起きる不具合は、ことによると肉体ではなく気持ちに関係するものなのかも知れない。
きのうはお粥が捗らずに苦労した。よって今日は穀物は避け、味噌汁のみを朝食とする。「味噌汁だけなんだから」と、いつもはミルクパンに250ccの水を入れるところ、今回は400ccにしてみた。すると今度は汁のみでも腹が苦しくなった。明日は胃カメラだから朝食は抜き。明後日の朝食は、普通の量の味噌汁1杯にしてみよう。
朝飯 菜花と揚げ湯波と鶏卵の味噌汁
昼飯 “Panification U”のキノコと胡桃のパン、コーヒー
晩飯 切り昆布の炒り煮、鮭の麹漬け、煮奴の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」がけ、塩らっきょう、帆立貝の淡味炊き、麦焼酎「日田全麹」(お湯割り)
2019.2.16(土) 治らないことは分かっているけれど
おととい発生した「腹減らない病」について、前回のこれは2014年2月8日から2週間以上も続いたと、おとといの日記に書いた。本日、日付を更に遡ってみると、前々回のそれは2010年2月6日から同月の19日までと記録があった。つまりこの奇病は決まって2月に起きている。
過去の経験から知る限り、この「腹減らない病」は病院に行っても治らない。2週間ほどするうち、あるとき急に腹が減って、快癒したことを知るのだ。「病院に行っても治らない」とはいえこのまま漫然と過ごすよりは医師の意見も仰いだ方が良いだろう。そう考えて今朝は、胃腸に変調を来した際には頼りにする宇都宮の消化器科を訪ねた。そうして月曜日の胃カメラを予約する。会社に戻ると時刻はいまだ10時10分。個人病院は何ごとも早くて大いに助かる。
「腹減らない病」に罹っているあいだも、食べ物は食べられる。しかし大げさに言えば猫が食うほどの量で満腹になり、そこから先は無理に詰め込んで苦しくなる。それを昨夜と今朝に痛感をしたため、昼からは食事を軽くする。
朝飯 お粥、梅干し、ふきのとうのたまり漬、トマトと揚げ湯波と菜花の味噌汁
昼飯 クロワッサン、マーマレード、ヨーグルト、コーヒー
晩飯 ふきのとうのたまり漬、塩らっきょう、鮭の麹漬け、納豆、煮奴の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」がけ、麦焼酎「日田全麹」(お湯割り)
2019.2.15(金) memento mori
日本橋高島屋の催し「老舗名店味紀行」は、今週の水曜日を初日として、順調に滑り出した。この間、売り場に立つため家内と長男は東京に滞在をする。嫁は実家から日光の本店に通勤をする。つまり僕は、今週の水曜日から来週の火曜日まではひとり暮らしである。このようなときには必ず、社員用通用口の鍵を、そのとき最も早く出勤しそうな社員に托す。僕が夜中に突然死でもしたら、会社を開けられなくなるからだ。
僕が15歳のとき、妹は13歳で病没をした。オヤジの末弟は大学生のときにやはり病没をした。僕の高校時代の同級生は、その1割以上が既にして鬼籍に入っている。戦場に生まれ育った人ほどではないにしても、僕の死を想う気持ちは一般のそれにくらべても、いささか強いように感じている。
そういえば、ことし経済団体の新年会で長男と親しく名刺交換をしてくださった方が、その4日後に急逝する、ということがあった。「これほど驚いたことは初めてだよ」と長男は顔を青くした。そういう経験を、僕はこれまでに幾度も重ねてきている。死は、来るときには、いきなり、来るのだ。
朝飯 切り昆布の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、すぐ生を薬味にした納豆、煮奴、ふきのとうのたまり漬、鮭の麹漬け、メシ、豆腐と菜花の味噌汁
昼飯 フランスパン、マーマレード、ヨーグルト、コーヒー
晩飯 帆立貝の淡味炊き、納豆、二十日大根とトマトのサラダ、煮奴、焼叉、鮭の麹漬け、「三和酒類」の麦焼酎「日田全麹」(お湯割り)
2019.2.14(木) 奇妙な病
数年に一度「腹減らない病」という奇病に取り憑かれる。そして本日の日中、またこの病の訪れたことを知る。ただの食欲不振でないということは、自分のからだだけに分かっている。
「腹減らない病」にかかっている最中は、文字通り腹が減らない。何日ものあいだ食事を摂らなくても腹は減らないものと思われる。しかしそれではいかにもまずかろうと、食事は普段通りにする。食べようとすれば食べられるし、美味い物はそれなりに美味く感じる。酒も飲める。まったく不思議な病である。
そして「前回、この病に襲われたのはいつのことだっただろう」とこの日記に検索をかけてみると、それは2014年2月8日から2週間以上も続いていた。このときは重症で「腹減らない病」と共に「酒飲みたくない病」および「ラーメン食べたくない病」も発症し、翌3月にはラーメン好きの僕が、こともあろうに1杯もラーメンを食べないという新記録を打ち立てている。
さて今回の「腹減らない病」は、どれほど続くだろう。前述のように、この病にかかっていても「食べようとすれば食べられるし、美味い物はそれなりに美味く感じる」から、今日の夕食もワインも、それはそれで美味かった。
朝飯 切り昆布の炒り煮、帆立貝の淡味炊き、すぐきを薬味にした納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、鮭の麹漬け、ふきのとうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と菜花の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 帆立貝の淡味炊き、”TIO PEPE”、パン、トマトとピーマンとソーセージのオーブン焼き、”Salitage Pemberton 1999″、“BJORK”(生)
2019.2.13(水) 二宮翁夜話
年に1度しか収穫されない農作物を、発酵という微生物の働きにより風味と姿を調え、年間を通じて可能な限り高い質を保ちつつ蔵出しを続ける、という当方の仕事には、絶え間のない調整が必要になる。本日は「日光味噌のたまり」に漬ける前のらっきょう2種の官能試験をするようフクダナオブミ製造顧問に頼まれ、それを午前のうちに行う。結果は双方ともに合格。とても嬉しい。
夜はいそいそと料理に取りかかる。きのう買ったパンを切ってオーブンに入れる。昼のうちから解凍しておいたソーセージを包丁で縦割りにし、それを鉄板で焼く。刻んだ温野菜は、数日前の残りものだ。皿にはあらかじめ熱湯を注いで温めておく。ワインは澱を完璧に落とすため、数週間前から寒い部屋に立ててあった。
そうして暖房の効いた部屋で、ひとり夕食を摂る。一度では到底やっつけられないだろうと予想したパンは、切っては焼き、切っては焼きを繰り返すうち、結局は丸ごとを食べ尽くしてしまった。
酔えば後片付けが面倒になる。「明日の朝にまわそうか」という思いが一瞬、頭に浮かんだのち、高等学校のときに読んだ「二宮翁夜話」を思い出す。「たとえ明日の糧食が無かろうと、今夜の食器は今夜のうちに洗うべし」という意味のことが、その本のどこかにはあったはずだ。
挽き肉のこびりついた鉄板を洗い、使い終えた風呂を洗い、僕としては結構おそい時間に寝室に入る。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、煮奴の「椎茸のたまり炊き」のせ、生玉子、切り昆布の炒り煮、ふきのとうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とトマトと二十日大根の葉の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のサンラーメン
晩飯 牡蠣のウースターソース炒り、”TIO PEPE”、パン、温野菜を添えた焼きソーセージ、“Salitage Pemberton 1999”
2019.2.12(火) パン屋の検索
「1週間に2回の割で通院して、計8回で快方へ向かう可能性が高い。それで駄目なら、そこから更に8回」と言われたカイロプラクティックでの、本日は10回目の施術日にて、朝、ホンダフィットの鼻先を宇都宮へ向ける。家を出るときカーオーディオに突っ込んだエイミー・ワインハイスの”HIDDEN TREASURES”が12曲目の”A SONG FOR YOU”にさしかかろうとするころ目的地に着く。本日の往路に要した時間は40分。
診療を終えて、2度目の回数券を買う。この整体院の先生が「8」という数字にこだわるのは「東洋医学の深淵から浮かび上がった定理」というようなものではなく、ことによると「超~得割」と印刷された回数券が8枚綴りだからかも知れない。
ところでウチは明日から日本橋高島屋の催し「老舗名店味紀行」で、1週間の出張販売をさせていただく。売り場に立つ家内と長男は、今日から東京に8泊をする。そのあいだの僕の食事はおよそ3分の2が自炊になるだろう。朝は和食で譲れない。それに対して夜はワインが飲みたい。
そういう次第にて治療を終えた後は、整体院の駐車場でiPhoneにより宇都宮のパン屋を検索し、もっとも美味そうな画像の見えた店までgoogleマップに案内をさせる。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、もやしとニラのソテー、切り昆布の炒り煮、薩摩揚げの網焼き、ふきのとうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と二十日大根の味噌汁
昼飯 すぐき、昆布と椎茸と蓮根の佃煮、梅干し、蕗のとうのたまり漬、塩らっきょう、しいたけのたまり炊によるお茶漬け
晩飯 牡蠣のウースターソース炒り、”tio pepe”、“Panification U”のパン其の一、”Petit Chablis Billaud Simon 2015″、パン其の二、”Brunello di Montalcino Riserva Mastrojanni 1985″
2019.2.11(月) ある豆板醤のこと
この日記に「百徳食品公司」でサイト内検索をかけると、およそ10日分の日記が現れる。この会社の豆板醤と辣椒油を僕は哀惜して止まない。なぜ哀惜かといえば、その上出来の調味料を手に入れることが、今では能わないからだ。否、能わなくはない、これらの品物を置いている九龍醤園は、今でも香港島にあるはずだ。しかしまさか豆板醤と辣椒油を手に入れるためだけに香港へ行くわけにはいかない。それ故の哀惜である。
夜、嫁の用意した鍋を目にして「これ、百徳食品公司の豆板醤で食いてぇな、でも、もうホンコンには行けねぇからな」と口にすると「ホンコン、行こうよ」と家内が言う。
香港の啓徳空港にはじめて降りたのは1978年11月のことだ。世界の多くの国とおなじく、日本もまたアメリカの文化に濃厚に影響を受けつつ第二次世界大戦後の数十年を経てきた。その日本から香港へ飛んだ僕は、その異国情緒に強く惹きつけられた。”Love is a many splendored thing”を観たアメリカ人とおなじである。
それほど魅了された香港ではあったけれど、旅に時間を割くなら更に南のインドシナ、それもタイで、今は過ごしたい。誰かあの、香港島の狭い坂を昇って九龍醤園まで行ってくれないか。豆板醤と辣椒油を買ってきてくれれば鮨くらいおごるのだから。
朝飯 切り昆布の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、焼きトマトを添えた目玉焼き、すぐきを薬味にした納豆、大根の麹漬け、メシ、揚げ湯波ともやしの味噌汁
昼飯 朝食のおかずを流用した弁当
晩飯 厚焼き玉子、胡瓜とトマトとレタスのサラダ、チーズの「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、豚三枚肉と厚揚げ豆腐と春雨の鍋、麦焼酎「ひゅうが晴」(お湯割り)、いちご
2019.2.10(日) 上澤梅太郎商店の蔵見学
「北海道に観測史上最強の寒気。東京23区でも最大5センチ、関東北部および山沿いでは8~10センチの積雪」と、テレビの天気予報はきのうから注意を喚起してきた。
今日の仕事は雪かきから始める必要がある、そう考えつつ早朝、洗面所のカーテンをすこしずらして店の駐車場を覗うと、そこにはスノーダンプで雪かきをしたことを示す、幾重もの筋が見えた。長男はきのうの最終特急で東京から帰宅をする予定だった。とすればそれからひとり、雪かきをしたのだろう。その労力の甲斐あって、今朝はすべての社員が始業時から本来の仕事に当たることができた。
長男はまた、昼前に隠居の飛び石の雪かきもした。13時から蔵見学の予約が入っているのだ。
12時50分に隠居の門を開けて店に戻ると、ご一行はちょうどお着きになったところだった。
上澤梅太郎商店の蔵見学は、隠居の築150年の旧宅にお上がりいただくところから始まる。ひととおりのご説明を終えると「アカデミックだな」の声が9名様の中から聞こえた。僕の解説のどこかアカデミックなのかは知らない。続いて隠居に隣接する蔵の中に皆様を招き入れ、先ほどより更に細を穿ったご案内をする。蔵から外へ出たら店まで皆様を先導して蔵見学は完了。今日は35分間の行程だった。
蔵見学のご予約は専用ページにて承っています。日曜日や祝日にお出かけのお客様は、ぜひお試しください。
朝飯 納豆、細切り人参の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、薩摩揚げ、大根の麹漬け、塩らっきょう、メシ、シジミとニラの味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 トマトとベビーリーフとモッツァレラチーズのサラダ、キャベツと玉葱とハムのスープ、たまり漬「国産にんにく」と同「鬼おろしにんにく」を添えたビーフステーキ、“Brunello di Montalcino Riserva Mastrojanni 1985”、いちご
2019.2.9(土) “facebook page”の不思議
“facebook”についてのすべてのことを、その都度、的確に教えてくれる人がどこかにいないか、いれば駆けつけて、まぁ、それほど遠くまでは駆けつけられないけれど、授業料を払って指導を受けたい。”facebook”は仕様の変更が頻繁だ。きのうできたことが今日はできず、あるいは知らないうちに旧に復したりすることが多すぎる。
またこれは多くのサイトに共通することかも知れないけれど、”facebook”もまた、コンピュータとスマートフォンでは見えるものがまったく異なることがままある。
今日は閉店後にスマートフォンで上澤梅太郎商店の”facebook page”を閲覧する最中に「らっきょうのたまり漬」を、言葉を尽くしてお褒めくださっている”facebook page”のあることに気づいた。日付は2017年7月29日とあるから、何と1年半も気づかずにいたことになる。
僕は大切なコメントをつける際にはスマートフォンは使わない。指先に粗相を生じておかしな文章を先様のタイムラインに残し、修正も削除もできないとなれば失礼になるからだ。よって前述の記事については明早朝の落ちついた時間にご返事することとする。
朝飯 ほうれん草のソテー、細切り人参の炒り煮、「しいたけのたまりだき」の玉子焼き、納豆、じゃこ、しもつかり、メシ、豆腐と若布と二十日大根の葉の味噌汁
昼飯 「丸亀製麺」のかしわ天うどん
晩飯 タイ風春雨炒め、ほうれん草のタイ風炒め、オースワン、麦焼酎「ひゅうが晴」(ソーダ割り)
2019.2.8(金) 引継ぎ会議
「14:45 神社」というカレンダーへの書き込みにしたがって、昼食後に普段着を白いシャツとツイードのジャケットに着替える。今日は本殿への昇ったり降りたりはないからメレルのジャングルモックではなくトリッペンの紐靴を履く。
総鎮守瀧尾神社のお祭を、年間を通して運営する当番町を次の当番町に引き継ぐいわゆる引継ぎ会議は、昨年までは宮司を中心として、日光市今市旧市街の各町内自治会長、神社総代、神社世話人、それから責任役員の見守る中で行われていた。しかし今年からは時世に合わせて、今年度当番町の春日町1丁目、次々年度当番町の大谷向町の各三役。次年度当番町の春日町2丁目においては、それに加えて会計と大膳。更に責任役員はひとりのみと、大幅に簡略化された。本日の僕の出席は、責任役員としてではなく、今年度当番町の役員としてのものだ。
引継ぎ会議には直会がある。責任役員になって以降、この宴会には昨年まで休まず出ていたような気がする。しかし今日は社内の人員が少ないため、夕刻からは会社に籠もり、直会には欠席をさせていただく。
朝飯 すぐき、「しいたけのたまりだき」と牛肉と里芋のすき焼き風、しもつかり、納豆、柴漬け、塩らっきょう、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、ホットミルク
晩飯 ポテトサラダ、ほうれん草の胡麻和え、細切り人参の炒り煮、刻みキャベツを添えた牡蠣フライ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2019.2.7(木) 挨拶まわり
6,600ボルトの高圧電力を外部から引き込み、それを社内で使える100ボルトや200ボルトまで落とす、いわば変圧器が通称キュービクル、縮めずに言えばキュービクル式高圧受電設備である。製造現場の北西に四畳半ほどの面積を占めて置かれているこのキュービクルを新しいものに置き換えようとは、昨年のはじめころに決めたことだ。
工事が開始をされたのは11月1日。これは、新旧のキュービクルを交換する際に避けられない停電を、真冬に当てるための日程である。真冬であれば、たまり漬を長期熟成させるための冷蔵庫が停まっても、いささかの心配もないからだ。
新しいキュービクルは、これまでとは異なって工場外に設置をされ、新旧のつなぎ替えは1月24日に行われた。旧いキュービクルの一部、また旧い電線の撤去作業は残っているものの、屋外の工事は1月中に、そのすべてを終えた。
そういう次第にて今日は、この屋外での工事においていろいろと協力してくださった近隣のお宅に、工事完了の報告およびお礼を述べて歩く。
朝飯 納豆、しもつかり、「しいたけのたまりだき」と牛肉と里芋のすき焼き風、大根の麹漬け、すぐき、柴漬け、塩らっきょう、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 しもつかり、ほうれん草と海苔のおひたし、冷やしトマト、水餃子、麦焼酎「ひゅうが晴」(お湯割り)
2019.2.6(水) 筋肉のこわばりはほぼ解けたものの
オリオン通りといえば宇都宮で随一の繁華街と認識をしていた。しかし14時ちかくに歩いた限りでは、およそ半分ほどの店にシャッターが降りている。夜になれば、いくらかは賑やかになるのだろうか。人通りもまばらなこの通りから外れて昼食の摂れそうな店を探して見つからず、ふたたび戻ると、珍しく、少なくない客の姿がガラス越しに窺えるところがあった。よってこの、夜は飲み屋になるらしい定食屋に試しに入ってみる。
今日は「1週間に2回の割で通院して、計8回で快方へ向かう可能性が高い」と言われたカイロプラクティックでの、8回目の施術日である。
地元の整形外科で処方をされた、朝昼晩の食後に飲むこととされている鎮痛剤を、およそ55時間ほど抜いても背中の痛みに耐えられるまでに回復したのは先月末のことだ。しかしその後は症状がぶり返し、今日は昼食を待たずに最初の薬を服用した。
オリオン通りちかくの駐車場からクルマで10分ほどのカイロプラクティックでは、2回目からずっと受けている電子ペンでの治療により、筋肉のこわばりはほぼ解けたことが分かった。だったらなぜいまだに痛みを感じるか。先生の見立ては神経痛とのことで、それは地元の整形外科の診断と等しい。
「ということは」と、このカイロプラクティックで初回に受けた低周波、それも高い電圧による治療を再開することになった。僕のすぐあとに来て、おなじくこの電極をからだに繋がれたオバサンはカーテンの向こうで「痛いっ」とか「切れるっ」とけたたましく悲鳴を上げている。しかし僕にはこの低周波が非常に気持ち良く感じられ、しまいには眠ってしまうほどだった。
夕刻の宇都宮にホンダフィットを走らせる。今の整体院には、もうしばらくは、通うことになるだろう。
朝飯 「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦、ライス
昼飯 「出世街道」のハムカツ定食
晩飯 カキ菜と薩摩揚げの炊き合わせ、マカロニサラダ、しもつかり、3種の揚げ物、大根の麹漬け、すぐき、豆腐と若布と長葱の味噌汁、麦焼酎「ひゅうが晴」(お湯割り)
2019.2.5(火) 今日の彼らを思い出せ
「まつやあたりでゆっくり酒が飲みてぇなぁ」と、年末の忙しいときにふと思った。今日はその、連雀町の蕎麦屋には来られたものの、仕事が控えているから飲酒はできない。
入って右奥、蕎麦打ち場の手前の席でカレー南蛮蕎麦を食べ終えようとするころ、白人のオニーチャンふたりが来て相席になった。ひとりは赤毛の髭など生やしているが、肌の具合や表情からすれば、ふたりとも、いまだ二十歳になるかならないかの年ごろだろう。
彼らは先ず、英語のメニュの左上の”CASH ONLY”の文字を指して顔を見合わせた。そして各自、小さなサイフを取り出して、その中身をテーブルに並べ始めた。500円玉が1枚、100円玉が1枚、2枚、3枚…。
このまま彼らが席を立つようであれば、1000札1枚を喜捨してやろうかと考えるうち、ふたりはやがて意を決したようにダウンパーカを脱いだ。そしてメニュのすべてのページを行きつ戻りつして、しかし何も決められない。持ち合わせが数百円であれば、元より天ぷら蕎麦などは食べられないのだ。
見るに見かねて”The best is…”と声をかけると、メニュから顔を上げた彼らの目に喜色が浮かんだ。僕は盛り蕎麦の写真を差して「ベストは盛り。いちばん安いし」と、ふたたび口を開いた。
やがて若女将が近づいて「ご注文はお決まりですか」と流暢な英語で訊ねた。オニーチャンふたりは声を合わせて”MORI!”と注文を通した。「盛り蕎麦、おふたつですね」と若女将は今度は日本語で答えて奥に去った。
酒でも飲んでいればもうすこし相手もしてやれただろうけれど、僕は自分のどんぶりを既に干している。よって目の前の蕎麦湯の桶に軽く触れつつ「後で、つゆにこのポットの中身、注いで飲むんだぜ」と伝えて席を立った。
日本の食べ物によほど興味があるのだろうか、気楽さを採れば立ち食い蕎麦で済むところ、神田の老舗を選ぶなどは大した根性だ。海外で何か逡巡をするようなことがあれば、そのときには僕も、今日の彼らを思い出すことにしよう。
朝飯 すぐきを薬味にした納豆、しもつかり、生玉子、大根の麹漬け、柴漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、昆布と牛蒡と蓮根の佃煮、メシ、なめこと長葱の味噌汁
昼飯 「まつや」のカレー南蛮蕎麦
晩飯 「ビストロペイザンヌ」の牡蠣のチーズ焼き、羊のロースト、他あれこれ、白のグラスワイン、カベルネソービニョン系のハーフボトル
2019.2.4(月) 僕の日記には朝のみで終わるものが多い。
「朝の5時から1時間は勉強に充てよう」と決めた。どこで決めたかといえば、夢の中で決めた。決めたのは、今朝の夢によれば数日前のことらしい。数日前に決めたとはいえ、それは今朝の夢の中でのことだから、もちろん「朝の5時からの1時間を勉強に充てる」ということが現実に行われたわけではない。今朝の夢の中ではまた「このことを今日の日記の冒頭に使おう」とも考えていた。日記の更新がよほど気にかかっているのだろうか。
起きて食堂に出て、今は白菊の活けられている花瓶の、きのうの夜に換えた水を捨てて、新しい水を満たす。仏壇の、おととい空になった線香入れには、きのう新しい線香を満たしておいた。マッチの残りが2本になっていたので、やはりきのう、そのかたわらに新しいマッチ箱を置いた。
食堂の遮光カーテンを上げると、東の空には低いところに濃い帯状の、高いところには薄くほどけて雲がある。ようよう赤味の差してきたその空に、ISO3200に感度を上げた”NIKON D610″を向ける。
朝飯 すぐきを薬味にした納豆、ピーマンと人参のきんぴら、しもつかり、「しいたけのたまりだき」と牛肉と里芋のすき焼き風、生のトマト、大根の麹漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、なめこと長葱の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のエビ春雨丼
晩飯 しもつかり、薩摩揚げと大根の炊き合わせ、大根の麹漬け、豆もやし、冷やしトマト、豆腐と大根の葉の味噌汁、豚肉の「日光味噌カレーひしお」炒め、麦焼酎「ひゅうが晴」(お湯割り)
2019.2.3(日) 節分
社員名簿を調べてみると、1959年に製造係として入社したヒラノショーイチさんは、2003年の12月に退職をしていた。ヒラノさんが会社にいるあいだは、ヒラノさんが節分の豆まきを担当してくれていた。いくら強力な鬼でも、あの大音声と共に豆を投げられては尻尾を巻いて逃げるしかない、そんなヒラノさんがいなくなって以降の豆まきは、僕の役目になった。
長男が結婚をしてからは、豆まきは嫁のモモ君にしてもらっている。そして今年からは孫のリコが、そのかたわらに着いた。僕は気楽になるばかりである。
ところで3月中に、お得意様に宛てて葉書をお送りする。その手紙の部分には僕の肉筆を用いることとして、午後、事務係のカワタユキさんに、縦書きの便せんに薄く鉛筆で罫線を引いてもらう。4回の推敲を経た文章はなかなかに長く、便せんは3枚を要した。
夕食のお膳には節分にふさわしいものを並べるべきと考えたものの、今夜は僕しか家にいない。更にはなぜかウィスキーのお湯割りが欲しい。よって2種のパンを肴にその温め酒を飲み、早々に就寝する。
朝飯 大根の麹漬け、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、しもつかり、ピーマンと人参のきんぴら、生のトマト、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、なめこと揚げ湯波の味噌汁
昼飯 「ふじや」の広東麺
晩飯 「ポンヌッフ」の2種のパン、”Old Parr”(お湯割り)
2019.2.2(土) 初午
本日は初午にて、日光市沢又地区のサイトートシコさんが、赤飯、しもつかり、大根の麹漬け、ほうれん草のおひたしを届けてくれた。ウチでは家の中のお祭はほとんど旧暦で行うので、しもつかりも、そのときに作る。よって今日のところはお稲荷さんより1ヶ月以上も早く、人間である僕が赤飯としもつかりをいただく。有り難いというか申し訳ないというか、まぁ、そんな感じだ。
しかしこれを書いている今になって「とはいえ、赤飯は重箱のまま、しもつかりはタッパーウェアに入れられたままでも、取りあえずはお供えをした方が良かっただろうか」という思いが頭をよぎった。そして即、このことを忘備録に残す。
昼のしもつかりは赤飯のおかずにした。夜のしもつかりは酒の肴にした。普段は焼酎またはワインを飲むことが多いものの「今日ばかりは日本酒だろう」と考え、2階の酒蔵に降りていく。飲みさしの四合瓶は、いかにも冷やが似合いそうだったけれど、敢えてお燗にして2合ばかりをゆるゆると飲む。
朝飯 ピーマンと人参のきんぴら、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、「しいたけのたまりだき」と牛肉と里芋のすき焼き風、柴漬け、薩摩揚げ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、なめこと揚げ湯波の味噌汁
昼飯 赤飯、しもつかり、大根の麹漬け
晩飯 ほうれん草のおひたし、しもつかり、大根の麹漬け、ニラの「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、白菜と豚三枚肉の重ね鍋、「山本合名」の「ピュアブラック純米吟醸」(燗)
2019.2.1(金) 夜のいまだ明ける前に
夜のいまだ明ける前に、洗面所の遮光カーテンをずらして外の様子をうかがう。水銀灯に照らされた瓦屋根は、うっすらと白い。視線をすこし移すと、地面は黒く光っている。降る雪は着地をするそばから融けたらしい。
昨年2月2日の売上金額が極端に低いのは、明らかに雪のせいだ。雪が積もるとその日だけでなく、後遺症のようにして、数日はお客様の足が鈍る。社員の大部分は仕事よりも先に、雪かきに当たらなくてはならない。今日はまた「なめこのたまりだき」を完成させる日に当たっている。雪が積もらなくて本当に良かった。
朝食を食べ終えて食器を洗うころ、太陽が見る間に上がってくる。冬の朝日を斜めから浴びて、景色が青く輝き始める。夜の闇の中を抜けてきたらしいクルマは、その青い光の中を、明かりを点けたまま走り去っていく。それを見届けてから応接間を抜け、廊下に出てエレベータの扉の「開」ボタンを押す。そうして張り切って、仕事場へ向けて降りていく。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、「しいたけのたまりだき」と牛肉と里芋のすき焼き風、ピーマンと人参のきんぴら、柴漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、なめこの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 トマトとジャガイモと鶏肉のスープ、スパゲティサラダ、パン、チーズとパセリのオムレツ、イチゴ、”Petit Chablis Billaud Simon 2015″
























































































































