2022.4.25(月) 開放された気持ち
夕刻から小雨の降ったきのうとは一転して、また青空が戻ってきた。空気も乾いている。「まるで5月のような」と書きたくても書けないのは、そこまで気温が上がらないことによる。
8時の朝礼の後、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に厚めの納品をすると、9時がちかくなっていた。「ゴールデンウィーク前線」などと天気予報はイヤなことを伝えているものの、弱気は避けたい。
夏の贈答の季節へ向けて、お得意様にはお知らせをお送りする。そのお送り先の特定は、今月10日の日記に書いた通りだ。10時より、その宛先の印刷にかかる。すべてがプリンターから出力をされると、なにやらとても開放された気持ちになった。銀行や昼食には半袖シャツ1枚で、自転車で出かけた。
終業後、4階の食堂に戻っても、カーテンはしばらく降ろさずにいる。空は、昼よりも薄く、しかしいまだ青さを留めている。ウイスキー1合に水1合を加えて燗をつける。そしてサラダとカレーライスを肴にして、それを飲む。
朝飯 ひじきと梅肉のふりかけを薬味にした冷や奴、ベーコンエッグ、納豆、スナップエンドウ、しいたけ、ごぼうの各たまり漬、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、トマトとピーマンと若布の味噌汁
昼飯 「やぶ定」の冷やしたぬき蕎麦(大盛り)
晩飯 冷やしトマト、胡瓜とレタスと玉蜀黍のサラダ、カレーライス、Old Parr(水割りのお燗)、自由学園のクッキー
2022.4.24(日) 小さな寄席
2016年以来、隠居では毎年、桜の時期に落語会を開いてきた。「私」の場における小さな寄席は多く、落語のみで構成をされる。しかし隠居のそれにはかならず色物が付く。一汁一菜の「一汁」は、汁に飯と香が加わってはじめて完成する。松に鶴、梅に鶯、月に雁。寄席には色物が必須と我々は考えている。
この寄席は2020年、2021年と、新型コロナウイルスと社会との関係により中断を余儀なくされた。それが今日はようよう再開をされた。落語はおなじみ瀧川鯉白。そして今回の色物は奇術の小泉ポロンが務める。
僕は小さな寄席が好きだった。それらは講談の本牧亭や渋谷のジャンジャンで開かれた。無くなる前の本牧亭は畳席だったから、子規、漱石の時代を彷彿させた。ジャンジャンでは片岡鶴八の芸に触れることができた。声色の鶴八はもちろん色物だ。志ん生の禿げ頭が高座でピカリと光るたび「あの頭を毎日、銭湯で磨いているのはオレだ」と誇らしく感じていたという円菊は、定席ではできない噺をした。
小さな寄席が好きだった、とはいえ日曜日は本業が忙しい。隠居のことは長男に任せ、鯉白とポロン先生には、僕は挨拶をするくらいしかできなかった。
夜は町内の総会に会計係として出席をする。そして2021年度の決算報告、および2022年度の予算発表をして承認を得る。
朝飯 焼き鮭、揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮を薬味にした納豆、ひじきと梅肉のふりかけを薬味にした冷や奴、めかぶの酢の物、柴漬け、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、若布と玉葱の味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」のサンドイッチ、ミルク番茶
晩飯 トマトとレタスのサラダ、鶏とマカロニのグラタン、パン、TIO PEPE、マドレーヌ、Old Parr(生)
2022.4.23(土) 狸ビール
同級生コバヤシヒロシ君の家の別荘は野尻湖の国際村にあった。欧米人ばかりが保養するこの場所の、ほとんどの家は山の斜面に建っている。しかしコバヤシ君の家のそれは23番という区画で湖畔に接していた。そこから両側に熊笹の密生する蛇行した道をすこし登ると「冬はさぞかし寒かろう」と心配されるほど広いガラス戸を湖側に持つ家があった。コバヤシ君によれば、それは伊藤整の別荘とのことだった。
「非常に知的な文章を書く人」とは、高校時代の国語教師ヤマグチヒカル先生の伊藤整評である。教科書に伊藤整の文章は無かったように思う。だからそれは授業とはいえ雑談のようなときに為されたものだったのだろう。僕には人の話は本論に関係のない一言半句、片言隻句のみを記憶に留める癖がある。ちなみに伊藤整の文章を読んだことは無い。
今朝の日本経済新聞の読書欄に、久しぶりに伊藤整の名を目にした。伊藤整の、47歳だった1952年から64歳で亡くなる69年までの日記が完結したというその記事を読むうち「編集した息子でエッセイストの伊藤礼氏は」という下りに行き当たって「あっ、狸ビール」と、腹の中で小さく叫んだ。「狸ビール」の著者が伊藤整の息子だったことを、僕は知らなかった。それを本棚から引き出し裏表紙を開くと、見返しには「1992.7.19-7.21」の覚え書きがあった。
来週の火曜日は諸般の事情により夕食は外で摂る。だったらいま読んでいる「氷川清話」は一旦、脇へ置き、この「狸ビール」を飲み屋へ持ち込もうかとも考える。「狸ビール」の内容は一切、覚えていない。
朝飯 タケノコごはん、生玉子、スナップエンドウのたまり漬、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、鶏肉団子とトマトとピーマンの味噌汁
昼飯 タケノコごはん、ひじきと梅肉のふりかけ、スナップエンドウのたまり漬、しいたけのたまり漬、柴漬け、他社製のフリーズドライ味噌汁
晩飯 トマトとベビーリーフとモッツァレラチーズのサラダ、「月日堂製パン」のパンドカンパーニュ、それに塗るための生ハムのムース、グリーンアスパラガスの網焼きを添えた鶏とマッシュルームのクリーム煮、TIO PEPE、Chablis Billaud Simon 2015
2022.4.22(金) 好きなことのひとつ
目を覚ましてから起床するまでの数十分のあいだに「疲れたー」と4回ほども嘆声を発する。僕は朝、目を覚ましたときがいちばん疲れている。その疲れは起きると同時に霧消する。寝て疲れ、起きて復活するとは、異なこともあるものだ。時刻は4時32分。
既に完成しているおとといの日記をサーバに上げる。これまた既に書けているきのうの日記に食事の画像を加えて保存する。メールや会社の掲示板に目を通し、ひとつふたつ返信を送る。ここで時刻は5時45分。家内が食堂に来てテレビをつける6時30分までが勝負とあれば、コンピュータを閉じ、代わって「氷川清話」を食卓に開く。
黄金週間は来週の金曜日から始まる。5月の第1金曜日を休みにすれば10連休、という声も聞かれる。上澤梅太郎商店は、人が休んでいるときにこそ忙しい。販売係は様々な案を練り、製造係はそれにより売れることが期待される商品の準備に取りかかろうとしている。”anniversary”にとんと興味のない僕は母の日がいつなのかも知らないけれど、店にはその飾り付けもされた。
とにかくお客様には上澤梅太郎商店を楽しんでいただきたい。人が休んでいるときに働くことが、僕は好だ。
朝飯 ポテトサラダ、菠薐草のおひたし、玉葱を薬味にした納豆、揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、スナップエンドウのたまり漬、しいたけのたまり漬、メシ、若布と菠薐草の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「やぶ定」の酒肴あれこれ、盛りそば、7種の日本酒(冷や)、家に帰ってからのシュークリーム、Old Parr(生)
2022.4.21(木) いましめ
きのうホンダフィットの代車として借りたスズキウィットのエンジンのかけ方が分からなかった件について。
1930年代のライレーの変速機「プリセレクター」は知っているし、使ったこともある。しかし現在の、いわゆるオートマチックのいくつかある構造については何も知らない。路上に駐められたテスラの、ハンドル脇に巨大なディスプレイをはじめて目撃したときには「何だ、これは」と、しばし目を疑った。
知り合いがメルセデスベンツの新車を買ったところ、自動運転の仕組みが備わっていて、特に夜のトンネルなどではとても気が楽だと教えてくれた。ホンダフィットには10年以上も乗っているけれど、1度も使ったことのないスイッチが複数ある。
計器は速度計と回転計、燃料計に水温計があれば、それで充分だ。自動変速機は要らない。ラジオも要らない。そういうクルマが欲しくても、現在、そんな新車は売っていない。
自分のクルマを最後に買ったのは1980年代から1990年代にかけてのことで、それらのほとんどは1960年代のものだった。個人のクルマは一生買うまいと決めてから20年以上が経つ。それを忘れて「人生最後のクルマ」などと2座の古典的スポーツカーを衝動買いするような老人にはならないよう、自らを戒めていきたい。
朝飯 筑前煮、納豆、揚げ湯波とアスパラ菜の餡かけ、揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、柴漬け、メシ、豆腐と絹さやの味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のラーメン
晩飯 ポテトサラダ、TIO PEPE、エリンギと菠薐草のソテーを添えた鮭のバターレモンソース、Chablis Billaud Simon 2015
2022.4.20(水) 今のクルマ
活字中毒でありながら、家で本はほとんど読まない。仕事に関するものは別として、家では新聞、コンピュータ、スマートフォンでしか文字は読まない。そしてその理由については、よく分からない。しかし今朝は、きのうからの勢いにより、またまた「氷川清話」を食卓に開き、朝食までの数十分を、これを読むことに充てる。勝海舟の立身出世には、文武両道に加えて子供時代の貧困および庶民との交流により「人間」に詳しくなったことが大きく働いているように思う。
午前、ホンダフィットのスタッドレスタイヤをようよう、EBエンジニアリングのタシロジュンイチさんに頼んで普通のタイヤに戻してもらう。毎年のように書いていることかも知れないけれど、満開の桜に雪の積もる年もあるから、油断はならないのだ。午後はそのフィットを車検のためナンタイ自動車に預ける。代車はスズキウィット。
このスズキの軽自動車で道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ午後の配達に赴こうとして、エンジンのかけ方が分からない。取扱説明書が収められているだろうグローブボックスの開け方も分からない。車内で5分ほども試行錯誤をしながらようやくエンジンの始動に成功する。
夕刻はその代車の運転手役として、家内のスーパーマーケット行きにつき合う。
朝飯 揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、納豆、焼き鮭、ひじきと梅干のふりかけ、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、胡瓜のぬか漬け、メシ、レタスと若布の味噌汁
昼飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬
晩飯 アスパラガスの網焼き鰹節かけ、めかぶの酢の物、アスパラ菜と揚げ湯波の餡かけ、こごみの天ぷら、牛蒡と人参のきんぴら、菠薐草の胡麻和え、柴漬け、鶏肉団子、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)、苺のババロア、Old Parr(生)
2022.4.19(火) ゆえん
おとといときのうの日記は早くから書けていた。しかし頭に置く画像が決まらなかった。それにより日記の公開の遅れることが、僕にはしばしば、ある。今朝はその画像をようようコンピュータの奥底から探し出し、とりあえずはおとといの日記の公開ボタンをクリックする。時刻は4時50分。ふと右手に目を遣ると、カーテンの向こうが明るくなり始めている。空は僕の好きな夜と朝のあいだをとうに過ぎて、朝のそれになっていた。
食堂の照明は、暗いうちから本を読むには適さない。しかし今朝は窓からの光がある。よって半ばほどまで進んだ「氷川清話」を食卓に開き、これを1時間とすこし読む。
8時16分、事務机に就いているところに大きめの地震を感じる。僕の知る限り、地震の情報を最も早く知れるのはtwitterだと思う。震源地は情報源により福島県中通りまたは茨城県北部。規模はマグニチュード5.4または4.9。正確な位置と規模は、そのうち明らかになるだろう。
ウチのエレベータはほとんど家族しか使わないものの、場所としては会社の建物の中にある。よって定期の点検が義務づけられている。今日は偶然、その日に当たっていた。よって地震による不具合がどこかに出ていないか、というところまで診てもらえて幸運だった。「日立ビルシステム」は、東日本大震災のとき望外の疾さで駆けつけてくれた。今でも感謝をしている所以である。
朝飯 揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、菜花と揚げ湯波の餡かけ、筑前煮、納豆、らっきょうのたまり漬、柴漬け、蕪と胡瓜のぬか漬け、メシ、若布と玉葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 レタスとルッコラのサラダ、「月日堂製パン」のパンドカンパーニュ、焼きトマトを添えたポークソテーマッシュルームソース、Chablis Billaud Simon 2015、エクレア、Old Parr(生)
2022.4.18(月) 春眠不覚暁(続)
きのうの日記の「多少」については、おととい朝食を摂りながら、マルヤマタロー君にも訊いてみた。北京語の専門家として役所を勤め上げたマルヤマ君によれば、中国語の「多少」は「多い」よりも、むしろ多寡を意味する言葉だという。
有名な「春暁」の日本語訳を見ると、4の句の「花落知多少」には「花はどれくらい落ちてしまっただろうか」とあって、この場合の「多少」は確かに多寡をあらわしている。
一方「江南春」の4の句「多少楼台烟雨中」の訳には「たくさんの寺の楼閣が春の霧雨にけぶっている」が見受けられて、これなら「多少」はやはり「多い」ということになる。
それにしても「江南春」の2の句「水村山郭酒旗風」とは、酒飲みには堪えられない風景だ。杜牧の生きた時代は9世紀。蒸留器の誕生は紀元前でも、それが中国に伝わったのは宋代とのことだ。よって杜牧の見た「酒旗」の下では白酒ではなく、黄酒が飲まれていたのだろう、多分。
いま、家に黄酒の買い置きはない。そういう次第にて、夜はカレーライスを肴にして白酒を少しばかり飲む。
朝飯 煮奴、納豆、筑前煮、揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、柴漬け、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と玉葱の味噌汁
昼飯 スパゲティ
晩飯 キャベツと人参のサラダ、らっきょうのたまり漬、カレーライス、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)
2022.4.17(日) 春眠不覚暁
「春眠不覚暁」とは中国古代の詩人のみでなく、万人の経験するものなのだろうか。きのうは21時40分に寝に就いた。その時間に寝れば3時台に起きられる。しかし今朝、目を覚ましたのは4時26分だった。7時間も眠り続けるとは、この齢にしては珍しいことと思う。
孟浩然の「春暁」は「花落知多少」で終わる。「多少」は日本では少ないことを意味するが、中国では逆に多いことを意味すると、高等学校のとき古文のヤマグチヒカル先生に教わった。そのときのテキストは杜牧の「江南春望」で、当該の個所は「多少楼台烟雨中」である。
僕はこの唐代の詩が好きだ。とはいえ暗唱はできない。中学2年のときには、三島由紀夫の辞世2首を、テレビのニュースを見ただけで覚えられた。しかし冴えていたのはそのころまでで、それを過ぎると僕の脳は坂を下り始めたのだ。
同級生で学者のアリカワケンタロー君は英語の苦手な弟子に、中学3年間の英語の教科書すべてを暗記するよう命じた。それに応えた弟子は以降、英会話が不自由でなくなったという。義務教育とは、良く言ったものだと思う。
朝飯 揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、納豆、焼き鮭、メカブの酢の物、沢庵、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、メシ、トマトと若布と揚げ湯波の味噌汁
昼飯 揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、焼き鮭、沢庵、柴漬け、塩鰹のふりかけのお茶漬け
晩飯 トマトサラダ、筍と椎茸の中華風、揚げ春巻き、鮭の酒粕味噌漬け焼き、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2022.4.16(土) いちばんのご馳走
伊豆の2日目つまり木曜日から降り始めた霧雨は、そこから数百キロ北の日光でもおなじほどの量で、僕の知る限り、きのう夜まで降り続いた。それが今朝は止んで、薄日が差しはじめている。
朝礼、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の掃除と納品を済ませると、時刻は8時20分。庭に咲き始めた野の花を撮ろうとして隠居へ行く。4人の同級生は、8時30分に店に来ることになっている。5分ほどで戻れば彼らを迎えることができるだろう。そう考えていたところ、きのうの面々は長男に案内をされて、早々と隠居の石の橋を渡ってきた。時刻は8時26分だった。
若いときは若いときで、話題は色々とある。実社会で何十年も生きていれば、それはそれで、また歴史や経験に裏打ちされた話がお互いから聴ける。きのうの夜の飲み会は楽しかった。そして今朝も隠居にて、話の続きをする。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」の一番のご馳走は時間、だと思う。しかしいつまで話をしているわけにもいかない。
4人の乗ったオギノヒロツグ君のクルマをホンダフィットで先導し、先ずは東武日光駅へ行く。手ぶらで歩きたいマルヤマタロー君が、コインロッカーに荷物を預けるためだ。そこから東照宮の社務所へ回り、細かい説明は避けるが特別拝観券を受け取る。それを一行に手渡したところで僕の案内は終了。8キロの道を下って会社に戻る。
午後は臨時の場長会議。夜は長男の作った夕食を食べ、それほど遅くならないうちに就寝する。
朝飯 「汁飯香の店 隠居うわさわ」の「上澤の朝食」のおかず、土鍋炊きごはん、ズッキーニと豚薄切り肉の味噌汁、苺、桜葛餅
昼飯 ラーメン
晩飯 苺と春菊のサラダ、「月日堂製パン」のブリオッシュペイザンヌ、豚の足と牛の脚と豆と南瓜スープ、Chablis Billaud Simon 2015