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清閑 PERSONAL DIARY

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2019.9.25(水) タイ日記(7日目)

窓の外でイモリが鳴いている。イモリが泣き止んでしばらくすると、鳩が啼き始める。夜の明ける知らせである

この街での滞在中に土曜日を迎えると、夜はほとんどサタデーマーケットに出かけていた。ウッタラキット通りに並ぶ露店は数え切れないほど多く、公園に集まった市民たちは、その露店で買ったあれこれを食べ、飲み、舞台ではいつものオジサンが達者な歌を聴かせ、その歌に合わせて市民たちは輪になって踊る。それはそれは壮観な眺めで、日本全国の観光協会は、この、毎週末に開かれる庶民の宴を、通訳を仕立てて見学に行くべきと思う。しかし今年はその場所へ行かなかった。多分、体力の衰えによるものと思う。”Diamond Park Inn Chiang Rai Resort & Hotel”から往復3キロの道を歩く気力が湧かなかったのだ。

いま泊まっている”THE RIVERIE BY KATATHANI”はコック川の中洲に建つ立地により風景は絶佳ながら、街の中心部まではやはり1キロ半はある。昨年までは、昼食を摂るためだけに往復3キロを歩いていた。しかしサタデーマーケットについてとおなじく、今やそれだけの距離を歩く気はしない。

きのうに引き続いて今日も、朝は多めに食べておく。ドゥシットからカタタニになって消えたとばかり思っていたネルドリップ式のコーヒーは、食堂の奥に健在だった。10時35分から16時10分までプールサイドにいる。そして本を読み、泳ぎ、今年いただいた年賀状に返事を書く。先方は印刷だから楽でも、こちらは手書きだから大変に苦しい。ようようの思いで15通を書き上げたところで遂に根を上げる。多分、数千文字は書いただろう。右手の指は、棒のようになっている。

きのうより1時間はやい5時のシャトルバスで街に出る。運転手に帰りの時間を訊かれて「今日は自分で帰ります」と答える。そして先ずは、目抜き通りの床屋に入る。バリカンで髪と髭を短くし、洗髪と耳掃除を含めて料金は260バーツ

そこから、バンパプラカン通りとイスラム寺のある道の角にある、先週の土曜日にも来たぶっかけメシ屋まで歩き、おかず2品を選ぶ。ソーダの用意は無いというので、隣のセブンイレブンで買って戻る。席に着いて間もなく、西側のシャッターが降ろされる。驚いて訊くと「どうぞごゆっくり」と、サモア人のように大きなあるじはにこやかに答えてくれた。若い店員たちは奥のテーブルに、まかないによる夕食の準備を始めつつある。できればこののんびりとした空気の中に、3ヶ月ほどはひたっていたい気分だ

時計塔から北に延びる道の、例の酒屋”PHORN STORE”で、先日とおなじラオカーオを買う。そしてその袋を提げて、ナイトバザールの先のマッサージ屋”PAI”で2時間のオイルマッサージを受ける。日焼けによりひどく乾燥した肌には、いくらかでも油を染み込ませた方がよろしいのではないか。マッサージ代は600バーツ、オバサンへのチップは100バーツ。最後にナイトバザールに立ち寄って、社員への土産を買う。

ホテルまでのトゥクトゥク代は、ここ数年かわらない100バーツ。ホテルの名は、旧名の「ドゥシッ」の方が通じやすいと街では聞いていたものの、運転手はタイ風に語尾を上げて最後に下げる英語で「リバリー?」と僕に確かめた。次回からは、僕もそのように言うことにしよう。

トゥクトゥクの切る風には、涼しさを通り越して寒ささえ感じた。部屋には21時35分に戻った。折角のオイルの膜をぬぐい去らないよう、更には夕刻からの涼しさにより汗をかいていないこともあって、シャワーは浴びず、すぐに就寝する。


朝飯 “THE RIVERIE BY KATATHANI”の朝のブッフェ其の一其の二其の三其の四
晩飯 「シートラン」の2種のおかず、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


美味しい朝食のウェブログ集は、こちら。

2019.9.24(火) タイ日記(6日目)

きのうの就寝は22時だった。よって今朝は「3時台の起床」というわけにはいかなかった。きのうの日記を書かないまま部屋を出る。エレベータの扉が開くと、早くもいつものオジサンがいた。よって挨拶をしながら、一緒に写真に収まってもらう。朝な夕なにロビーの片隅に立ち、エレベータの「開」ボタンを押すだけで何十年もメシを食べているオジサンは、多分、このホテルには欠かせない存在なのだ。こういう人は、AIの時代になっても職は失わない。

以前と変わらない、広い階段を降りて朝食の会場へ行く。テーブルはもちろん、外のそれを選ぶ。中身を選んで注文する式のオムレツと、ネルドリップによるコンデンスミルクのたっぷり入ったコーヒーが消えたのは残念だ。ベーコンと野菜の味は変わらない。

食後にきのうの日記を完成させ、諸方への連絡を済ませると、時刻は10時を過ぎていた。11時ちかくにプールサイドに降りて15時まで本を読むことと泳ぐことを繰り返す。朝に充分以上を食べているから昼食の必要は無い。部屋に戻って鏡の前に立つと、傘の下にいたにもかかわらず、顔まで日焼けをしていて驚いた。日除けからはみ出しがちの脚には、明日はサンオイルを塗る必要があるように思う。

きのうとおなじ18時のシャトルバスに、客は僕ひとりだけ。ナイトバザールの入口に着いたところで運転手が後席を振り向いて「何時の便でお迎えに上がりましょうか」と訊きつつ”except seven fifteen.”と添える。部屋の案内には19時の便もあるように書いてあったものの、その時間の運行は廃止をされているのだろうか。「だったら20時15分に」と答えてワゴン車を降りる。

いつものフードコートでの飲酒活動の最中に、白い花で作った首飾りを少女が売りに来る。価格は10バーツ。即、これを買って首にかける。僕は50バーツの焼きそばを食べている。ならば300バーツの鍋を食べているオヤヂ連中は、5本も6本も買ってしかるべきだ

食後はナイトバザールを抜け出し、きのうとおなじく”PAI”で1時間の足マッサージ。オバサンには60バーツのチップ。20時15分発のバスは、僕を乗せると20時12分に走り出した。タイではありがちなことだ。部屋に戻ったのは20時22分。シャワーを浴び、コンピュータとiPhoneを電源に繋いでから就寝する。


朝飯 “THE RIVERIE BY KATATHANI”の朝のブッフェ其の一其の二其の三
晩飯 ナイトバザール奥のフードコートのママーパッキーマオ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2019.9.23(月) タイ日記(5日目)

きのうの日記を書いていると、鳩の声が聞こえてきた。時刻は5時50分。新しい蚊取り線香に火を点け、ベランダへの戸を開く。雨期とはいえ、雨は数日前に一瞬、気まぐれにパラついたのみだ。朝食の前に、荷物をまとめておく。

今朝のフロント係は丸メガネをかけた、愛想が良くて英語の上手なオネーサンだったので嬉しかった。11時前にチェックアウトをする、そのとき荷物を預かって欲しい、そして13時30分にタクシーを使いたい旨を伝える。行き先については「ドゥシッ」と答える。

今回でのべ11回目の宿泊になるそのホテルは昨年、それまでの”Dusit”から”Katathani”に経営が移った。それでもいまだ「ドゥシッ」の方が理解されやすいと、街では聞いた。「あ、あそこの」と、それらしい方向を差してオネーサンが理解を示したので「カタタニー、チューカオペンドゥシッ」と言うと、ロビーにいた警備とベルのふたりのオニーチャンも「ウンウン」と頷く。

ひと安心をして7時50分にプールへ行く。「9時から20時まで」の金色のプレートには今朝はじめて気がついた。しかし誰にも何も言われない。寝椅子に仰向けになると、きのうより更に欠けた月が天頂ちかくに上がっている。鳩がふたたび啼き始める。

iPhoneに設定した10時のアラームが鳴る。ロビーから40段の階段を上がって3階の部屋に戻る。そして着替えて荷物を持ってロビーに降りる。チェックアウトをして、ふたつの荷物を預け、裏の柴折り戸から外へ出る。

先週の金曜日に、街の中心部で自転車を借りた。いま泊まっているホテルのちかくに貸し自転車屋のあったことは、その後に知った。その”BAMBOO TOURS”で自転車を借りる。1日分の料金は80バーツ。先日の自転車よりも整備の状態は良い。自転車を借りたのは、これからタクシーが迎えに来る13時30分までの時間を効率よく使うためだ。

10:50 「アリサラ」に着く。そして「3回は必要」とプックさんに言われた施術の3回目を受ける。オイルマッサージ2時間の料金は1,000バーツ、プックさんへのチップは3回とも200バーツ。おとといの痛みがいまだ左腕に残っていたので、今日はその二の腕を指しながら”this sen is jep yet,so today,baobao krap”と、英語とタイ語の入り交じった妙なことばで手加減を要求した。プックさんは快諾をしてくれたが、拷問のように強い揉みの方が、終わってみれば効いた気はする。僕も勝手なものだ。

13:01 「アリサラ」を去る。
13:06 「カオソイポーチャイ」にすべり込む
13:11 バミーナムニャオが席に運ばれる。
13:20 バミーナムニャオを食べ終える。
13:23 役人の一団により満席になった「カオソイポーチャイ」を去る

13:25 歩けば10数分はかかる距離を2分で走りきって”BAMBOO TOURS”に自転車を返す。
13:28 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort & Hotel”のロビーへの階段を駆け上がる。
13:35 タクシーが来る。荷物を運んでくれたベルボーイ、タクシーのドアを開けてくれた警備係に、それぞれ20バーツのチップを手渡す。タクシー代は、メーターを使わずの100バーツ。
13:45 懐かしい崖下の道を抜けながら、タクシーが”THE RIVERIE BY KATATHANI”に到着。部屋まで荷物を運んでくれたベルボーイには50バーツのチップ。
14:05 スーツケースとザックから必要なものを出して部屋の各場所に置く。

焦げ茶色の家具と漆喰の壁による、よくいえば重厚、悪くいえば古くさく感じられたドゥシット時代の部屋は、全体に白いクロスが貼られ、家具類にも白が多用されて、一気に新しく、そして明るくなった。棚や引き出しと一体になった大時代的な机は消えて、その場所には大きな荷物置きのための台が置かれた。机を撤去したとは「仕事などせず、リゾートに徹しろ」ということなのだろうか。洗面台は広くなり、しかしそれに押し出される形で便器はシャワーブースのあったところに、そのシャワーブースはバスタブのあったところに追いやられて、バスタブは消えていた。窓からの景色は、相変わらずの絶佳ぶりである

14時50分からプールで本を読む。ロビー階からプールサイドに降りていく大階段は、新設された売店とキッズルームに場所を取られて狭くなっていた。プールの形は以前とほぼ変わりはないが、プールサイドからプールの底に至るまで、タイルやコンクリートは貼り替えられ、塗り直されている。プールの一角にには東屋と子どものための大規模な遊具、その向こうには鐘楼が設けられ、ドゥシットの最後のころには客のあいだで取り合いになっていた日除けの傘も、今は充分に用意がされている

16時50分に部屋に戻って館内の案内を読む。「経営が変わって良くなくなった」と、このホテルについて言う人もいるけれど、僕は明らかに、ドゥシットの時代より魅力は増していると思う。これで貸し自転車さえ置いてくれれば満点ながら、いまのところその予定はなさそうだ。17時45分にロビーに降りる。フロントのオネーサンはドゥシットのときに見かけた顔だ。

「18時発のバスの切符をください」
「有り難うございます。60バーツです」
「値段、ドゥシット時代と変わってないね」
「リピートしてくださって有り難うございます。新しい館内は、いかがですか」

「良いと思いますよ。風呂桶は無くなくなっちゃったのね」
「バスタブは今、3階と4階のみのご用意になっています。よろしければ…」
「いえ、その必要はありません」

風呂桶のために低層階に移るよりは、現在の、眺めの良い部屋にいた方が遥かに旅を楽しめる。ホテルのワゴン車には僕とファランの男女ひと組が乗った。そして10分ほどでナイトバザールの入口に着く

きのうiPhoneに納めた麺の写真を26番ブースのオバサンにかざす。まるでミャンマーの女の人のように頬にタナカーを塗ったオバサンは、満面の笑みである。「マイペッ?」と訊かれて「ペッタマダー」と答えるのはいつものことだ。そしていよいよ席に運ばれたその、素麺に酢とナムプラーと唐辛子を和えたような、申し訳程度に鶏肉の入った麺を口に入れる。美味くはない。美味くはないけれど、僕は美味いものを食べるために旅をしているわけではない。したいことをするために旅をしている。だから今夜は、きのう食べたいと思ったものを食べられて気分は満たされた。

さて、次にホテルに戻るシャトルバスは19時15分。その時間にナイトバザールの入口に立つも、ワゴン車の姿は見えない。ホテルから19時の便に乗る客がいなければ、クルマは出さないのだろうか。そのまま立っているのもばかばかしい。すこし歩いて行きつけのマッサージ屋”PAI”の扉を押し、足のマッサージを1時間だけ受ける。マッサージ代は200バーツ、オバサンには50バーツ札が財布になかったため、20バーツ札3枚をチップとして渡す。

ホテルには、21時15分発のワゴン車で戻った。ドゥシットの時代には、往路の60バーツを支払えば、復路の60バーツは不問に付された。しかし今回はガードマンがフロントまで付き添って、しっかり60バーツを徴収された。ジェイコブ・ソールの「帳簿の世界史」を思い出さないわけにはいかない。

ロビーを突っ切りエレベータの前まで来たところで、むかしなじみの、山地民族風の服を着たオジサンの姿が見えた。エレベータの「開」ボタンを押すために立っているこのオジサンは、非番のときでも、街で会うと手を振ってくれる。思わず嬉しくなって20バーツのチップを手渡す。こういうことがあるから、50バーツや20バーツの札は常に、財布に入れておくべきと思う。

そして部屋に戻ってシャワーを浴び、僕としては異例に遅い22時に就寝する。


朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort & Hotel”の朝のブッフェ
昼飯 「カオソイポーチャイ」のバミーナムニャオ
晩飯 ナイトバザール奥のフードコート26番ブースのまかない麺、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2019.9.22(日) タイ日記(4日目)

朝食を済ませて部屋に戻ると時刻は6時50分。何かを忘れているような気がして、数秒のあいだ静かに考える。そして、ホテルの裏口から目抜き通りへ向かってしばらく行ったところの洗濯屋に、今日は洗濯物を出す日だったことを思い出す。

洗濯屋が開くのは7時。その7分すぎに店の前まで行くと、扉が閉まっている。今日が休みでないことは、きのうのうちにオカミに確認済みである。2度3度と声をかけると、中に人の動く気配があって、やがてオカミが出てきた。今の今まで寝ていた風情である。オカミが僕の洗濯物を台秤に載せる。1キロをすこし超えている。しかしオカミは「50バーツ」と、超えた分はまけてくれた。仕上がりは18時とのことだった。

7痔55分よりプールサイドに降りる。寝椅子に仰向けになって、プラスティックの袋から本を取り出す。スーパーマーケットなどでくれる袋を、日本では何と呼んでいただろう。世界標準からすれば「プラスティック袋」が正解のような気がする。とにかく今朝の空に、雲はほとんどひとつも無い。天頂に近いところには、半月よりすこし欠けた感じの月が見えている。

本は読んでいるものの、時々は視線をずらして空も見る。東の方から飛行機が飛ぶくらいの速さで、薄い雲が西へと延びていく。月も徐々に、西の方へ降りていく。雲はやがて空の半分ほどを覆い、月は見えなくなる。時刻は9時18分。

空の青いところがふたたび広くなり始める。月はプールに来たときより30度ほども降りてきている。時刻は10時15分。部屋には10時50分に戻った。

朝夕は涼しくても、日中は暑くなる。その炎天の下を歩いてジェットヨット通りの汁麺屋へ行く。この店の味については色々なことを言う人もいるけれど、僕は毎度、満足をしながら食べている。その満足は、あるいは「食べ物の味などは所詮、一期一会のもの」と考えているからかも知れない。

昼食から戻ってシャワーを浴びるのは滝のような汗を流すため。またベッドでひと休みをするのは、汁麺を食べるためだけに炎天下を往復2キロも歩いたためだ。15時前から17時前まではふたたびプールサイドに降りて本を読む。

約束の18時に朝の洗濯屋を訪ね、洗い上がった衣類を受け取る。ポロシャツ3枚、パンツ3枚、パジャマ上下、ハンカチ1枚、靴下1足の洗濯代が50バーツ、邦貨にして170円強とは何やら申し訳ない気持ちもするけれど、洗濯屋はチップを受け取る職種ではないからチップは手渡さない。

いつものフードコートでは、きのう昔ながらの小さな皿に肉を盛ったチムジュム屋を見つけたため、今夜はそこに注文を通す。あるじは僕に「マイペッ?」と訊いた。僕の答えはいつも「ペッタマダー」である。「辛さを手加減されて堪るか」という、これは僕の見栄である。

隣のテーブルには幼い姉弟を連れた母親がいて、弟の方が大声を出すと、母親は僕を気遣って「静かにしなさい」と注意をした。僕は「まったく気にしていませんよ」という意味を込めつつ母親に笑顔を返した。やがて姉弟はひと皿の、センレックよりも細い、しかしセンミーよりは太い麺による、簡素なものを分け合って食べ始めた。いかにも美味そうである。「それはセンミー炒めですか」と訊くと母親は何ごとか言いながら身振りですぐそばの26番ブースを指さした。立ってその26番ブースに近づき、同じことを訊くと、なにやら違う料理らしい。僕は母親に断って、その麺の写真をiPhoneで撮る。そして店の人には「明日ね」と声をかけてフードコートを去る。

昨年は「野犬に注意しろ」と地元の人に脅かされたり、ホテルの予約サイトのレビューには「女の一人歩きは避けるべし」とある、目抜き通りから料理屋ムアントーンの角を東に折れる静かな道を歩いて部屋に戻る。そしてシャワーを浴び、蚊取り線香に火を点け、ほんの10分か15分だけ回した冷房を切って就寝する。


朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort & Hotel”の朝のブッフェ
昼飯 「カオソイポーチャイ」のバミーナムニャオ
晩飯 ナイトバザール奥のフードコート25番ブースのチムジュム、ラオカーオ”CABALLO”(ソーダ割り)


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2019.9.21(土) タイ日記(3日目)

目を覚ますと時刻は1時をすこし回ったところだった。前夜20時に就寝したことを考えれば、大して不思議でもない。

朝からプールサイドで2時間ほども本を読む。いまだ気温は上がらず、水に入る気はしない。10時30分に部屋に戻って支度をし、おととい1回目の施術の際に予約をしたマッサージ屋”ARISARA”には10時55分に入る。そして今日も、プックさんによる拷問のような2時間を過ごす。それから時計台の先まで歩き、好きなメシ屋「シートラン」でぶっかけ飯を昼食とする

14時すぎに部屋へ戻り、滝のような汗をシャワーで流す。日本にいるときの10倍ほどの距離を、チェンライでは歩いているのではないだろうか。15時よりふたたびプールサイドに降りる。

このホテルのプールには、週末になると子どもが集まってきて、水泳教室が開かれる。僕の隣の椅子には太った女の子がいて、水着は着ているものの、水には一向に入ろうとしない。それを母親が優しく、粘り強く説得している。数十分後にようよう女の子がプールに飛び込むと、コーチは抜き手を切ってすかさず彼女に近づき、面かぶりとバタ足を教え始めた。そのとき開いていた「戦場カメラマン」は273ページ。1967年1月、南部デルタ地帯の都市カントーちかくでアメリカ軍が起こした誤爆により、何人もの子どもや赤ん坊の手足のもがれる場面。

16時30分にプールから上がる。部屋のベランダに差す日は西に傾いている。すこし早い気もしたが、着替えて裏の柴折り戸から外へ出る。ナイトバザール奥のフードコートには中国からの観光客のみがいて、宴会の真っ最中だった。彼らの姿をここに見るのは今年が初めてだ。多分、お仕着せの旅行には飽き足らなくなったのだろう。

18時55分に部屋に戻り、本日何度目かのシャワーを浴びる。そして蚊取り線香に火を点ける。以降の記憶は、無い。


朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort & Hotel”の朝のブッフェ
昼飯 「シートラン」の2種のおかずのぶっかけ飯
晩飯 ナイトバザール奥のフードコートのヤムママーサイムーサップ、ラオカーオ”CABALLO”(ソーダ割り)


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2019.9.20(金) タイ日記(2日目)

目を覚ましてからしばらくして布団の中を手探りし、iPhoneを引き寄せる。時刻は3時5分。即、起床する。

旅の初日の日記は長くなりがちだ。これを書くうち夜が明ける。301号室には広いベランダがある。消えていた蚊取り線香に火を点け直してから、このベランダへの戸を開ける。どこにいても、朝の鳥の声は爽やかだ。

団体客が去った頃合いを見計らって階段を降り、庭を横切って食堂棟へ行く。大皿に野菜を取り、目玉焼きを添えて外のテーブルに置く。そして中に戻って食パンをトースターに入れ、コーヒーメーカーに器を置いて”ESPRESSO”のボタンを押す。トーストとコーヒーを両手にして席に戻りかけたところで、野良猫が僕の皿の目玉焼きを盗む姿が見えた。取りあえずはそのテーブルにトーストとコーヒーを置く。そして皿を手にふたたび中に戻って保温容器からふたつ目の目玉焼きをトングで挟み、それを皿に載せる。

本日すべきことはふたつ。日本を発つ前日にお墓の掃除はした。しかし彼岸の入りにあって墓参りをしないとは、どうにも気分が落ち着かない。せめてお寺で線香の1本も上げたい。もうひとつは、安い宿泊費の割りに広いプールを備えるラルーナホテルの視察である。

10分ほどを歩いて、この田舎町の中心部に出る。そして昨秋に知った、ワンカムホテルちかくのホステルで自転車を借りる。1時間あたり20バーツで何時間か借りるか、それとも1日分の80バーツを払ってしまうか、しばし迷った末に80バーツを支払う。

ワットジェットヨットなら歩いても行ける。しかしそれも安易な気がしてワットプラケオを目指す。歩けばすこし億劫な距離でも自転車なら数分で着く。タンブンの箱に100バーツ札1枚を差し入れ、脇の棚からロウソク2本と線香6本を取る。そして先ずは本堂に上がる。そこで手を合わせてから階段を下り、地元の人に倣いつつ、何やら分からない仏像の置かれた2ヶ所に、それぞれロウソク1本と線香3本をお供えする。

借りた自転車はもっとも安い値段のもので、右のペダルがよじれている。その、踏みづらいペダルを漕いでバーンパプラガンロードを突っ切り、サナビーンロード、つまりむかしの空港へ向かう道を数キロ南に下る。目指すラルーナホテルは右手に見やすい看板を出していた。

「プールを見せて欲しい」と頼む僕に、山本譲二に似たフロント係はニコリともせず、訝しげな表情のまま無線機に向かって「ノンカップ」と呼びかけた。白服のボーイがすぐに現れて、コテージ型の客室を繋ぐ小径へと僕を先導する。「これで1,000バーツもしない宿泊料は魅力だ」と考えつつ辿り着いた、熱帯樹に囲まれたプールはなるほど広かった。しかしチェンライに来れば毎日のように行きたいナイトバザールへは遠すぎる。宿泊料の安さは、そのあたりも関係しているのかも知れない。帰り際に礼を述べると、フロント係は初めて笑顔を見せた。

サナビーンロードには何年も前から食べたいと思っていたクイティアオ・ルアの店がある。食べたいと思いながら食べられなかったのは、この道を食事どきに逍遥することがなかったからだ。しかし今日はまさに昼になりかかろうとするときで、条件は整っている。

通りに面して置かれた、舟を模した調理台ごしに「センレックナム」と女主人に告げてから店に入る。非常に古い造りながら女の人をふたり雇っているところからして、店は繁盛しているのだろう。料金はケープムー付きで40バーツ。食べ終えて手を洗いたい旨を伝えると、オカミは僕を奥の水場に案内した上、手に液体洗剤まで垂らしてくれた。

午後はホテルのプールに数時間ほどもいて、本を読むことと泳ぐことを繰り返す。自転車を、時間単位でなく1日まるごと借り切ったのは正解だった。夕刻、街で得た情報により、老夫婦の経営していた酒屋が時計台から北へ上がる道のチェンライホテルの中に移ったことを知る。そこまで自転車を漕いで、これまでより100倍も立派になった店に目を見張る。中に入ると僕の最も好きなラオカーオ”BANGYIKHAN”が何本も並んでいる。「最高」以外の言葉は無い。キャッシュレジスターはボタンを押す機械式からiPadに変わっていた。若い女店員に500バーツを手渡し、385バーツの釣りを受け取って外へ出る。

18時5分、ワンカムホテル近くのホステル”POSHTEL”に自転車を戻す。そしてナイトバザールの奥のフードコートへ行く。野菜ばかりが増量されたチムジュムは、いまや僕にはちと多すぎる。よって今夜はステージに向かって左側に並ぶうちの1軒に空心菜炒めとライスを頼む。もちろん酒を売るブースでソーダと氷も買う。鮨、マカロニグラタン、バターとチーズをたっぷり塗りつけたフランスパン、そして今夜のおかず… 僕は炭水化物を肴にすることが嫌いではない、というかむしろ好きだ。

フードコートでの飲酒活動は数十分で切り上げ、部屋には19時30分に戻った。そしてシャワーを浴びて蚊取り線香に火を点け、冷房を消して即、就寝する。


朝飯 “Diamond Park Inn Chiang Rai Resort & Hotel”の朝のブッフェ
昼飯 バーンパプラガンロードからサナビーンロードを数百メートル南下した右側にあるクイティアオ・ルア屋のセンレックナム、ケープムー
晩飯 ナイトバザール奥のフードコートのパックブンファイデーン、カオスアイ、ラオカーオ”CABALLO”(ソーダ割り)


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2019.9.19(木) タイ日記(1日目)

00:33 “BOEING747-400″を機材とする”TG661″は定刻に11分おくれて羽田空港を離陸。
00:40 ベルト着用のサインが消えると同時にオフクロが遺したデパスとハルシオンを各1錠ずつ服用。
04:20 不織布による蒸しタオルを配る客室乗務員の気配で目を覚ます。気分は爽快。
04:49 ダナンの海岸線からインドシナ半島の上空に入る。
05:05 朝食を完了。片づけを待っていては遅くなるため、即、洗面所で歯を磨く。

05:45 地上の明かりが見え始める。
05:56 “TG661″は、定刻より54分はやい日本時間05:56、タイ時間03:56にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。

04:14 国内線乗り換えのためのカウンターに辿り着く。ここが開く5時までに腕時計を現地時間に合わせる。昨年の9月と今年の3月には2時間を遅らせるべきところ3時間も遅らせて冷や汗をかいた。そして今回も、重々注意をしたはずが、なぜか3時間を遅らせていた。腕時計とiPhoneとの照合は僕の場合、必須である

05:12 バンコクエアウェイズのカウンターでチェックインを完了。搭乗口はいまだ示されず。
05:15 パスポートコントロールで入国を完了。
05:17 保安検査場を抜ける。
05:20 搭乗券のバーコードをスキャンさせて諸々の情報を得る機械を見つける。これにより向かうべき搭乗口はA8番ゲートと知る
05:33 薄暗く歩く人もいない通路やエスカレータを経由してA8番ゲートに達する

06:46 搭乗開始
06:52 冷蔵庫のように冷えたバスに運ばれた先で機に乗り込む
07:25 “AIRBUS A320″を機材とする”PG231″は定刻ちょうどに離陸。
07:36 飛んでいるのか飛行場に駐機しているのか分からないほどの静かな飛行
08:34 “PG231″は定刻より21分はやくチェンライのメイファールン国際空港に着陸。

バンコクは雨だったが「常春の国」は晴れ。僕の胸に貼られた”BAGGAGE CLAIM”のシールに気づいたオネーサンが、いま歩いている2階の通路から荷物の出てくる1階まで僕を案内しようとするものの、僕の歩行速度が高いため、オネーサンが僕を追いかける形になる。

08:45 回転台から荷物が出てくる

国際線から国内線に乗り換えて到着した旅客のための出口から左に進んで外へ出る。タクシー券の販売所は、昨年までのひさしの下のブースから、壁も窓もある事務室風に変わっていた。街までのタクシー代200バーツは変わらず。

スーツケースの鍵が壊されていることには、運転手がそれをクルマまで運んでくれたときに気がついた。空港へ戻って善処を求めても埒は開かないだろう、ここはタイである。運転手には、そのままスーツケースをトランクに積んでもらう。

08:53 タクシーが空港を離れる。

「どちらから?」
「日本」
「ニホンのどちら?」
「日光。東京から100キロくらいのところかな」
「チェンライには休暇で? それとも仕事?」
「休暇だね」

「チェンライに来るのは何回目?」
「12回目かな」
「休暇では何を?」
「水泳、散歩、本読み、それからナイトバザールでラオカーオを飲む」
「チェンライのオンナは綺麗ですよ」
「30年前ならいざ知らず、今は遊び場なんで無いでしょう」
「まぁ、それはそうです」

黄金の三角地帯のうち、タイ国内では阿片の栽培も置屋街も、今は昔の物語である。ちなみにクン・サは2007年にヤンゴンで死んでいる。

見覚えのある正門から”Diamond Park Inn Chiang Rai Resort & Hotel”の敷地に入る。フロント棟はいちばん奥にある。

「真っ直ぐ、真っ直ぐ」
「お客さん、タイ語が話せるかね」
「すこしね」

運転手には50バーツのチップを手渡した。

僕はホテルには贅沢を求めない。ただひとつ、プールだけは欲しい。ナイトバザールにほどちかくてプールがあって宿泊料は1泊1,400バーツ弱。至らないところも多々あるが、繰り返して言えば、僕はホテルには多くを求めない。このホテルには、そういう理由から裏を返した。ただし、昨年より5割上がった宿泊料がこれ以上高くなるようであれば、次回は使わないかも知れない。

“agoda”から予約の際には昨年とおなじ301号室に泊まりたい旨を添えたが返事は無かった。期待はしていなかったが、フロントのオネーサンが差し出したキーホルダーには”301″の数字があった。最上階の3階までスーツケースを運んでくれたオニーチャンには40バーツのチップを手渡す。

オニーチャンが去ったところでスーツケースを低いテーブルに載せて開く。中に入れたものを安定させるための、コの字型にジップを締める式の網が開きっぱなしになっている。盗まれていることを最も恐れたコンピュータの電源コードは無事だった。返事を書くための、ことしの正月に届いた年賀状こそ袋から出されていたものの、ざっと見たところ、失われたものは無さそうだ

ひと安心をしてスーツケースを閉じたところで見慣れないシールに気づく。そこには”SUVARNABHUMI AIRPORT SECURITY CHECKED”の文字があった。鍵の破損は盗人の仕業とばかり考えていたが、どうやら空港の抜き打ち検査に遭ったらしい。リモワのスーツケースはTSAロックを備えている。それでも鍵をこじ開けられたとは、一体全体どういうことだろう。またまた繰り返して言えば、スワンナプーム空港で善処を求めても、時間を無駄にするだけで埒は開かないだろう、ここはタイである。日本に帰って修理が利かなければ、新しいものを買い直すまでだ。

ところでこのホテルの部屋は、セーフティボックスを備えない。昨年は貴重品をスーツケースに収めて鍵を掛けていた。しかし今回はそれができない。フロントに降りてオネーサンに訊くと、ホテルのセーフティボックスを使うにはデポジットが必要で、その金額は何と5,000バーツだという。オネーサンが開けてくれたロビーの隠し扉の奥には、なるほど5,000バーツにふさわしい金庫が3台のみ並んでいた。

ここで時刻は10時20分。昨年「チェンライでは今ここが一番でしょうか」と地元の人に教えられたマッサージ屋”ARISARA”に電話を入れて開店時間を訊くと11時とのことだったので、昨年、2度にわたって強烈な施術を施してくれたプックさんを予約する。

“ARISARA”はホテルから歩いて10分ほどのところにある。プックさんの施術は今回も「癒やし」や「リラックス」とはほど遠い、たとえて言えば拷問のようなものだった。

「僕、マッサージ、何回、受けるべきかな」
「3回ですね」
「次は明日? それとも明後日?」
「次は明後日の土曜日、その次は月曜日です」

というわけで明後日の11時に予約を入れて外へ出る。

おととしの9月に食べて美味かったクイティオ屋をバスターミナルの近くに探して見つからない。仕方なく別の店で昼食を摂る。そのまま目抜き通りに出ていつもの酒屋の前まで行くと、老夫婦が店番をしていたその店は廃業をしていた。2本のペットボトルに詰めて持参したラオカーオが尽きたら、次の1本はどこで買おうか。

チェンライにいるあいだに1度は使わなければならない貸し自転車屋を確認するため、ワンカムホテルへ向かう横道に折れる。郵便局の出張所を備えて便利だったエジソンデパートも廃業をしている。ふたたび目抜き通りに戻って南へ歩く。昨秋、あまりに客の入っていなかったイタリア料理屋”Da Vinci”も、また廃業。チェンライの、ここ数年の新陳代謝はかなり激しい。

宿泊料は高くないものの、”Diamond Park Inn Chiang Rai Resort & Hotel”の敷地は広い。その面積はおよそ、銀座8丁目の中央通りと旧電通通りのあいだの真四角くらいはあるだろうか。広い道に面した正門は、繁華街からは遠回りになる。よって僕はいつも、裏手にある柴折り戸から出入りをしている。

シャワーを浴びて冷房の電源を入れ、ベッドに仰向けになる。知らない間に寝入って目を覚ます。時刻は14時50分。その時間からプールサイドに降りて寝椅子に本を開く。石川文洋の「戦場カメラマン」は6月に144ページまでこなしていたものの、ふたたび最初から読み返すことにする。そして日が西に傾くまで、これを読むことと泳ぐことを繰り返す

ホテルの裏口からこの街の目抜きであるパホンヨーティン通りまでのあいだの道には、新しく舗装が施されていた。ナイトバザールの入口の門が、これまでのランナー様式のものから電飾を備えたものにかけ替えられようとしている。土産物を売る露店の客はそれほど多くない。しかし更に奥に進んだ、僕が愛して止まないフードコートの席は大分、埋まっていた。

いつもの32番ブースでチムジュムを注文する。酒を売るブースでソーダと氷を買う。チムジュムの値段は昨年とおなじ100バーツでも、盛りつけは昨年のそれと全然、異なっている。2客の小さな皿に平たく並べられていた肉が、今年は大皿に高く盛り上げてある。しかしその盛りつけは、大量の野菜の上に肉を薄く載せた、見た目のみの豪勢さだった。また、店は肉の盛りつけに、団体用の大皿も用意するようになっていた。他の多くの店もしかり、だ。

それにしても大した中国人観光客の数だ。チムジュムの派手な盛りつけは、彼らを意識したものに違いない。チムジュムといえば炭火と素焼きの壺と相場は決まっていたけれど、中国人観光客のテーブルには、アルミニウムの大鍋とカセットコンロが置かれている。すべては市場の要求に従う。そして賑やかなことは良いことだ。寂れれば、人はメシが食えないのだ。

部屋に戻ったのは20時のころだっただろうか。シャワーを浴び、蚊取り線香に火を点け、今日の日記に使う画像の加工をしてからベッドに横になる。


朝飯 “TG661″の機内食“PG231″の機内食
昼飯 バスターミナルちかくの名前を知らない店のバミーナム
晩飯 ナイトバザール奥のフードコート32番ブースのチムジュムラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2019.9.18(水) 搭乗開始

ここ何日かの、facebookへの投稿より。

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あと何日かしたら、素揚げにしてガッチリ食ってやる。大人しく待ってろ

今回の滞在日数は9日間。旅先では、本読み、水泳、散歩、地元の人に交じっての飲酒喫飯で1日が終わる。手持ちの通貨は17,445.5バーツ、邦貨にして約62,000円。必要にして充分以上の金額

インドシナに出かけるときには大抵、ベトナム戦争に関係する本を読む。近藤紘一の「目撃者」、デイヴィッド・ハルバースタムの「ベスト&ブライテスト」、岡村昭彦の「南ヴェトナム戦争従軍記」、佐野眞一の「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」、ベトナム戦争に材を得ての文章ばかりを編集した「戦争×文学 ベトナム戦争」を経て、今年6月からは石川文洋の「戦場カメラマン」に入った。これは文庫ながら全990ページ、未読部分は846ページ。活字が枯渇すると焦燥する。予備の1冊は、持つべきか、否か…

飛行機の席は、最後尾の寂れたあたりが好きだ。その、高空ではひどく寒くなるところでは、長くパタゴニアのフーディニ・ジャケットを使ってきた。しかし胸にひとつだけある小さなポケットにはパスポートさえ入らない。よって今回は無印良品の、撥水素材によるスモックを用意した。これならパスポートはおろかiPhoneもカメラもすぐに取り出せる。デザインも中々

「なぜタイばかりなのか」と訊かれたときには「万事がユルくて楽だから」と答えている。そのタイは、しかし実はかなりの階級社会で、人は見た目で峻別をされる。襟の付いた白いシャツ、アイロンの効いた長ズボン(ユニクロですが)、磨き上げた黒い革靴は、そういう場所で更に楽になるための「道具」である
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18:20 東武日光線のけごん46号が下今市を発車。
20:07 同車両が浅草に到着。
20:31 浅草にて夕食を完了。
20:35 都営浅草線の羽田空港行きの車両が浅草を発車。
21:23 羽田空港国際線ターミナル着。

21:27 タイ航空にチェックインしようとする人たちの、これまで経験しことのない長い列に並ぶ
22:13 チェックインを完了。
22:17 保安検査場を抜ける。
22:20 顔認証によりパスポートコントロールを抜ける。
22:32 107番ゲートちかくの机にコンピュータを開いてfacebook活動。目の前の”NHK WORLD-JAPAN”は、自由学園の特集を放映中。

23:20 機内で飲むためのソーダ水を買いながら105番ゲートに達する。
23:44 搭乗開始。
23:50 最後尾から3列前の通路側68Jの席に着く


朝飯 だし巻き卵、グリーンアスパラガスと人参のグラッセ、厚揚げ豆腐と大根おろし添え、納豆、切り昆布の炒り煮、納豆、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、トマトと若布と茗荷の味噌汁
昼飯 「やぶ定」のかき玉蕎麦(大盛り)
晩飯 「まぐと人雷門出張所」のあれやこれや、他あれこれ、浅蜊の味噌汁


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2019.9.17(火) 藪の中

僕にとっては最も「お得感」の得られる3時台に起床する。仏壇に花と水とお茶と線香を供えてから、きのうのうちに用意しておいた1,000円札で、店のためのお釣りを作る。お釣りを作るとはどういうことかといえば、並券と新券を交互に重ねて10枚ずつまとめ、その束を10個あつめて輪ゴムで留めていくのだ。5,000円札においては、並券ばかりを10枚ずつまとめて金庫に仕舞う。今週の木曜日から来週の土曜日の午前まで、僕は会社を留守にする。いま準備をしているのは、そのあいだの釣り銭である。

「なぜそれほどの手間をかけてまで現金にこだわるか、世は電子決済へ向けて一気に雪崩を打っているではないか」と問われれば、その決済のために店側が負担しなければならない手数料が中華人民共和国のそれ並みに安くなれば、僕も電子決済には賛成である。

キャッシュカードやクレジットカードを使う人の中には「ポイントが貯まる」と喜ぶ向きが少なからず存在する。しかしカードを使われる店側は、カード会社に引かれる手数料を勘案しながら値付けをする。「カードを使えばポイントが貯まって得をする」は「カードを使えばポイントが貯まって得をしたような気分になれる」が本当のところではないか。


朝飯 穴子の佃煮、ほうれん草のおひたし、切り昆布の炒り煮、大根おろしを添えただし巻き卵、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、揚げ湯波とクレソンの味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 ローストビーフと水菜のサラダABSOLUT VODKA(ソーダ割り)人参とグリーンアスパラガスのグラッセとマッシュドポテトを添えたタンシチューCHATEAU CAMENSAC 1978チーズケーキ、Old Parr(生)


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2019.9.16(月) 厚く御礼を申し上げます。

新宿タカシマヤでの出張販売は、いよいよ今日が最終日だ。長男はその最初から最後まで、販売係のササキユータ君は前半を、おなじくハセガワタツヤ君は後半を担当し、家内は毎日、日光と新宿を往復して売り場に立った。ご来店くださったお客様には、厚く御礼を申し上げます。そのあいだ僕はずっと会社にいて、普段の仕事に当たっていた。「普段の」とはいえ毎年この時期に行われる、近隣の農家からのしその実と茗荷の買い入れ、そこに新規の取引や動画の撮影を伴う取材が重なって、なかなかの忙しさだった。

店は昼ごろに決まって客足が繁くなる。その繁忙は、社員の昼食の時間に重なる。よって今日も僕は、事務室から店舗に移動をして販売の手伝いをする。いつもはそれで一切の問題はないものの、社員がそれぞれの現場に戻る13時30分から僕が昼食のため不在になると、しその実や茗荷を持ち込む人たちの対応ができなくなる。今回は隨分と、事務係や製造係が僕の穴を埋めてくれるようになった。日々進歩、である。

これまで家内は、下今市19時18分着の下り特急で帰ってきていた。しかし今日は売り場の片づけのため、使う特別急行は最終になるという。そういう次第にて、閉店後は先週の火曜日に行こうとして雷雨に阻まれた居酒屋「和光」を目指して日光街道を下る。


朝飯 五目白和え、ほうれん草のおひたし、トマトのスクランブルドエッグ、切り昆布の炒り煮、秋刀魚の梅煮白胡麻和え、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、若布と三つ葉の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のチャーハン
晩飯 「和光」のお通しの茄子と獅子唐とスパムの味噌炒り鰹の刺身のたたき風赤魚の粕漬け牛すじのカレー煮込み、麦焼酎「吉四六」(ソーダ割り)


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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