2018.6.13(水) 着るもの
今市小学校に通っていた当時、校庭の標高は405メートルと聞いた。行きつけのカトー床屋の前にアーケードがあった時分には、そこに「標高400メートル」の札が提げられていた。そのことからすれば、ウチの標高は400メートルと405メートルのあいだ、ということになる。
今日は東京で仕事がある。iPhoneの天気予報によれば、東京の今日の最高気温は27℃だという。服は半袖シャツ1枚が妥当だろう。しかし夜、標高400メートルの土地に帰ってくれば、それだけでは寒い。しかし半袖シャツの上にセーターを着て家を出れば、東京に着いた途端、それを脱がなくてはならない。脱げば荷物になる。荷物は嫌いだ。つまり東京へ行くときにはほとんど常に、着るものに困るのだ。
普段は使わない、下今市08:32発のスペーシアきぬがわ号に乗る。終点の新宿で山手線に乗り換え原宿に出る。原宿の駅に降りたのは、多分、30数年ぶりのことと思う。明治神宮前から千代田線で表参道へ向かいつつiPhoneのgoogleマップに目を遣ると、表参道と明治通りとの交差点に地下鉄の駅ができている。「さて、こんなところに駅があっただろうか」とその画面をじっと見て、それが地下鉄副都心線の駅であることを知る。まるで浦島太郎だ。
南青山の、ほとんど高樹町といっても差し支えのないあたりで行われた話し合いは、2時間たらずで完了した。北千住14:42発の下り特急に乗って、16時09分に下今市に着く。半袖シャツの上に重ねた長袖のシャツは、結果からすれば、着ていく必要はなかった。難しいものである。
朝飯 ブロッコリーと人参のスープ煮、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、生のトマト、なめこのたまりだきのフワトロ玉子、切り昆布の炒り煮、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 「珍来」の冷やし中華
晩飯 春雨サラダ、ほうれん草の豆味噌炒め、明太子、焼き餃子、”Nep Moi”(ソーダ割り)
2018.6.12(火) 演歌巡礼
「今、一番うまいと感じるものは何か」と先日、考えた。真っ先に浮かんだのは、朝、自分で作る味噌汁だった。その味噌汁を、5日ぶりに口にする。
家以外のところにいるときには、その時、その場の朝食で一向に苦にならない。しかし家にいる限り、朝は和食、そして夜は、まぁ毎日である必要はないけれど、洋食が嬉しい。そしてこれは正に、僕の幼児期からの、朝食と夕食の組み合わせである。
5月の連休が過ぎて、日光市東郷町の「ふじや」に冷やし味噌ラーメンが出始めると「さて、この夏は、これを何回、食べられるだろう」と、大げさに言えばワクワクする。しかし今日の気温は、冷たいラーメンが欲しくなるほどには高くない。13時45分に豆板醤入りの熱いラーメンを食べている最中に、まるでインドシナに降るような豪雨の音を背中に感じる。
「いずれ15分ほどで止む」と予想したその雨は、10分足らずで上がった。そのすきを突いて会社に戻ると、雨と風を避けるためだろう、ノレンは犬走りの軒下から外されて、事務室の中に入れられていた。
物忘れの激しいたちだから、必要なことはあらかじめ、事務机の左に提げたカレンダーに書いておく。今日のそのところには「演歌巡礼 忘れずに行く」という赤い文字がある。
栃木県塩谷郡船生村出身の作曲家・船村徹先生とは縁あって、幾度か酒席をおなじくさせていただいた。芸能の世界で長く生きていれば、さぞかしアクの強い人物だろうと、なかば及び腰でお目にかかった先生は、案に相違して、おっとりとして上品な”humorist”だった。その先生の遣いとして10年半のあいだ、日光市の楽想館から数え切れないほどウチの店に通ってくださった内弟子が村木弾の芸名を得て凱旋するとなれば、これは訪ねていって、楽屋見舞いのひとつも差し入れなければ気が済まない。
そういう次第にて、らっきょうのたまり漬の入った箱を抱え、15時30分に道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の船村徹記念館におもむく。
朝飯 人参とブロッコリーのスープ煮、じゃこ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、切り昆布の炒り煮、ベーコンエッグ、納豆、ごぼうのたまり漬、メシ、浅蜊と三つ葉の味噌汁
昼飯 「ふじや」の雷ラーメン
晩飯 ニース風サラダ、トースト、鶏とマッシュルームのグラタン、“TIO PEPE”、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2018.6.11(月) その時間には食べられない。
「台風5号による揺れを避けますため、朝食は離陸の2時間後にお出しいたします」とのアナウンスがある。その時間に目を覚ましている可能性は限りなく低い。よって客室乗務員が近づくのを待って、朝食は不要と伝える。
00:24 “BOEING 787-9″を機材とする”JAL752″は、定刻に19分おくれて離陸。
00:50 ベルト着用のサインが消えたところでデパスとハルシオン各1錠を飲む。
03:45 着陸は40分後とのアナウンスで目を覚ます。機は愛媛県の上空を東に飛んでいる。
03:50 「よろしければご朝食をお持ちしますが…」と客室乗務員のオネーサンに声をかけられる。その朝食は断って、緑茶のみもらう。手洗いで歯を磨き、席に戻ってうつらうつらする。
04:40 胴体から車輪の降りる音で目を覚ます。
定刻より35分はやいベトナム時間04:45、日本時間06:45に成田空港に着陸。以降の時間の表記は日本時間とする。
06:58 パスポートコントロールを抜ける。
07:05 ターンテーブルからスーツケースを引き上げる。
07:10 7時50分発のマロニエ号の切符を買う。
09:57 マロニエ号が柳田車庫に着き、ジンボタカシさんのクルマに乗せていただく。
10:41 帰社。
4階に上がり、きのうの朝から着たままの、ハロン湾でたっぷり汗を吸い込んだポロシャツを脱ぐ。おなじ形と色の、ただし洗いたてのポロシャツに着替えて即、仕事に復帰する。
朝飯 成田空港のセブンイレブンで買った3個のおむすび
昼飯 ラーメン
晩飯 ポテトサラダ、セロリと2種のパプリカのピクルス、ピーマンの肉詰め、“GEVREY CHAMBERTINE 1er CRU AUX COMBOTTES DOMAINE DUJAC 1985”
2018.6.10(日) ベトナム日記(4日目)
目覚めてしばらくは横になっている。「5時は過ぎただろうか」と、漠然と考える。ようやくその気になってサイドボードに置いたiPhoneを取り上げ見ると、時刻はいまだ2時22分だった。ことほど左様に僕の目覚めは早いから、朝食までに腹が空く。それを幾分かでも和らげるため、旅先にはインスタントのスープを持参する。
そのスープのための湯沸かしポットはあるものの、それが置かれたデスクのちかくにコンセントは無い。部屋の中のコンセントは、ベッドのサイドボード、ベッド足元の床の上、そして洗面所の3個所のみだ。
ポットを洗面所まで運んでコネクタをコンセントにはめ込もうとすると、コンセントの位置が高すぎるのか、はたまたポットのコードが短いのか、とにかくそのままでは湯が沸かせない。よってテレビの脇からティッシュペーパーの箱を持って来て、それをポットの台にする。このような間抜けな仕事ぶりは、どうやらタイだけのものでもないらしい。
と、こういう余計なことを書いているから日記が長くなる。旅行中は何時何分に何をしたというメモを付けている。今回の日記は、そのメモを転記したのみの箇条書きに徹しようとも考えたが、そういう訳にはなかなかいかない。
このホテルには「バーはあっても、バーテンダーも客もいない」とか「マッサージルームはあっても、マッサージ師も客もいない」などちぐはぐなところが多々あるものの、wifiの速度は高い。おとといの日記のための画像はたちまち、ワードプレスのライブラリに追加をされた。
08:13 専用車でホテルを出る。
08:20 富豪のドゥエンさんが山を削り、その土で本土との間をつないだドンチャウ島に入る。ドゥエンさんはこの道路を作った功により、島のかなりの部分の開発権を得たという。
08:23 観光船の切符売り場に入る。
08:50 430艘ある観光船のうちの1艘に乗って出港
ハロン湾はおとといのチャンアンとおなじく、石灰岩による台地が気の遠くなるような時間を経て沈降し、あるいは浸食されてできた、奇景を誇る地域だ。今回のツアーでは、この世界遺産を見物するため、ハノイから4時間もかけて、それも豪雨を突いて来た、というわけである。
09:41 このハロン湾を象徴する「闘鶏岩」に達する。なにもこんなものを「象徴」にしなくても良いではないかと感じるけれど、あるいは「象徴」とは「作っておけば、何かと便利」なものなのかも知れない。
10:06 1993年に鍾乳洞の発見された島に近づく。
10:13 洞窟嫌い、鍾乳洞嫌いとしては気が進まないものの、鍾乳洞”DONG THIEN CUNG”に入る。僕以外に気づいた人がいたかどうか、小さく茶色いネズミがそこここにうごめくため、齧歯目の不得意な人は入らない方が無難と思われる。
10:45 数百人の観光客が牛歩する巨大な鍾乳洞から抜け出す。
10:55 鍾乳洞の島を離れる。
11:05 船上での昼食が始まる。いくら世界遺産の奇景とはいえ、すこし眺めれば珍しくもなくなる。食べ物が出てくれば尚更のこと、窓の外に目を遣る人はいない。
12:00 蝟集する船と船との隙間に舳先を突き込みつつトンチャウ島に着岸。チャンアンの小舟といい、ここの観光船といい、いくら世界遺産とはいえ、いささか供給過剰ではないか。
12:07 専用車でトンチャウ島を離れる。
13:30 ジャコウネココーヒーを売るお土産屋で30分の休憩。
サイゴンが陥落したのは1975年4月30日。ガイドのヅォンさんが生まれたのは同年の9月。1975年から1990年までは配給制で、庶民の生活は苦しかった。1990年にようやく、輸出できるところまで米の生産量が回復をした。インフレーションが最も更新した年は750パーセントの物価高騰。そのハイパーインフレーションは、2度のデノミネーションによりようやく落ち着いた。貸出金利が20パーセントを超えた年には倒産件数が増えた。1993年、1994年あたりからようやく、海外の資本がベトナムにも入ってきた。現在の預金金利は6パーセントで貸出金利は9パーセント。そんな話をヅォンさんに聴きつつ、専用車はようやくハノイの街に入る。
15:34 2年前にできたイオンモールに入店。日曜日とあって、巨大な店内は大変な賑わいようで、特に子供の多さが尋常でない。本の紀伊國屋には大きな机が用意され、売り物の本であっても自由に読むことができる。フードコートで食べられているのはほとんど、鶏の唐揚げである。
「アジアは生きよう、生きようとしている。それに対してヨーロッパは死ぬまい、死ぬまいとしている」と木村治美は「曙のイスラマバード」に書いた。「死ぬまい、死ぬまいとしている」のは、今や日本も同様ではないか。
17:28 夕陽に浮かぶホーチミン廟に近づく。僕は今回、ホーチミンの家に行きたくて行けなかった。平日の午後なら、そのホーチミンの家は割と楽に見られるらしい。しかし自分がハノイに裏を返すことは、あまり考えられない。続いて近くの一柱寺も見る。
18:18 きのう昼食を摂った”Sen Xanh”とおなじく洒落た雰囲気の店で夕食。雰囲気は洒落ているものの、後から店内の螺旋階段をゾロゾロと昇っていったのは、我々とおなじ日本人観光客である。
22:38 ノイバイ空港着
ビジネスクラスラウンジの隣にマッサージルームを見つける。施術表の価格はドルのみだったが、訊けばドンでも払えるという。
奥に案内されて60分のコースを受けていると、白いズボンに青いアオザイの、つまり空港の職員が近づいて「間もなくボーディングの時間です」と言う。「えっ、ちょっと待って」と慌てる間もなくオネーサンは去った。そしてふたたび来て、同じことを口にする。よってポーチからボーディングパスを取り出し「僕の搭乗時間は23時30分ですよ」とそれを見せると「申し訳ありません、人違いでした」と、オネーサンは頭を下げた。一体全体、誰と僕とを間違えたのか。
僕が受けたコースのドルによる価格は30ドル。ドンなら685,050ドンと言われる。50万ドン札2枚を差し出すと、釣り銭として手渡されたのは30万ドンのみ。残りの14,950ドンは戻ってこない。マッサージのオネーサンにチップとして手渡した10万ドンは、まったく惜しくない。しかしベトナムのこの「端数切り」は、僕には結構なストレスになる。
ドンを持っていなければ、市民の生活に浸透していくことはできない。しかし今回のような団体旅行では、そもそもそのような機会はほとんど無い。そうであれば円からドンへの両替はせず、外国人の来店を想定した施設や店ではドルを、そしてドルを受けつけないスーパーマーケットではキャッシュカードで支払うことが、今のところはベトナムでの、もっとも上手な支払い方法であることが分かった。帰る直前に分かっても遅い。サイフにはいまだ、481,000ドンが残っている。
22:47 マッサージルームを出て、となりのビジネスクラスラウンジのソファに収まる。
23:50 ボーディングが開始をされる。
朝飯 ”Mithrin Hotel”の朝のブッフェのオムレツ、サラダ、パン、コーヒー
昼飯 観光船”BAI THO JUNK 37″の鶏挽き肉と椎茸のスープ、茹で海老、青梗菜のスープ、蟹の甲羅揚げ、揚げ春巻き、白身魚のトマト煮、烏賊と玉葱と人参のソテー、空心菜炒め、ライス、バナナ
晩飯 “INDOCHINE”のフォーガー、生春巻き、焼き飯、その焼き飯を添えた豚のカツレツ、鶏の照り焼き、茄子と挽き肉の炒め煮、海老と玉葱のトマト煮、緑豆のぜんざい、ビール”333″
2018.6.9(土) ベトナム日記(3日目)
目を覚ますと時刻は5時18分だった。洗面を済ませ、二日酔いに抗いつつ、きのうの日記を書く。本日の出発は10時15分と、きのうの夜にヅァンさんから伝えられていた。持ち時間は充分のため、1階の朝食会場にはすこし遅めに降りる。フォーとジュースしか胃には収まらない。
10:10 専用車にてホテルを出発。午前中は、ホーチミン廟のお参りと一柱寺の見学が予定に入っていたものの、ホーチミン廟に入ろうとする人たちの行列があまりに長かったため、今日のところは諦める。ちなみに行列のほとんどは観光客ではなく、建国の父にお参りをしたいベトナム人とのことだった。
10:50 きのうに引き続いて旧市街で解散。
11:20 雷鳴が聞こえてきたため、ホアンキエム湖の噴水を臨む水上人形劇場1階の喫茶店に逃げ込み、アイスコーヒーを注文する。請求の55,000ドンに対して60,000ドンを店員に手渡して、お釣りは無し。
11:50 その喫茶店の前から専用車に乗る。
12:00 昼食場所の”Sen Xanh”に着く。パリの小さな邸宅のたたずまいを持つ洒落た店。きのうの夕食の場所とおなじく、日本人のツアー客が目立つ。
12:55 “Sen Xanh”からハロン湾へ向けて出発。雨期に特有のスコールは小降りになっている。
14:38 ベトナム戦争時にアメリカの撒いた枯れ葉剤の影響は孫の代まで残ることもあり、現在の身体障害者はベトナム全土に100万人。そのうち障害が軽く、且つ運の良い人は仕事に就くことができる。そのような人たちの手による細密な刺繍などを売る国営の施設とヅォンさんに説明された店で30分の休憩。
16:10 行く手に見えていた黒い雲の真下に入る。前を行くクルマのハザードランプを目印に進むしかない豪雨の中を、小一時間ほども走り続ける。
16:54 ハロン湾を訪れる観光客のために急ごしらえされつつある街のホテルに着く。
17:25 「MTVハロン水上人形劇場」に入る。ガイドさんに支払った観劇代は45万ドン。
17:35 水上人形劇が始まる。舞台の上手には解説、歌手、擬音の発声を受け持つ7名、下手には楽器を演奏する8名が控える。筋は農村に伝わる伝統的なもの。面白おかしい演技が多い。
18:10 すだれの後ろから8名の人形遣いが挨拶に現れて劇は終了。
18:20 ホテルのロビーの一段高くなっているところにテーブルが並べられている。そこが夕食の場所である。急増する観光客に対して街の開発が追いつかず、レストランの数が極端に少ないことによる一時的な措置だろうか。あるいはできるだけ合理的に客を捌くための工夫だろうか。我々以外の観光客のほとんどは中国人と韓国人。
19:05 夕食を完了。今日の昼食のときとおなじく、客席係は急かすように料理を運び、できるだけ1枚の皿ですべての料理を食べさせようとする。そして空いた食器は、これまた急かすようにして下げていく。2011年に次男とホーチミンシティやフーコック島を訪ねた際には、このようなことは経験しなかった。南部と北部の違いなのか、8年のあいだに時代が変わってしまったのか、あるいは個人で行く店と団体を扱い慣れた場所の違いなのかは不明。
ところで初日に空港で1万円から両替した2,054,000ドンのうち、サイフにはいまだ半分以上の1,456,000ドンも残っている。ガイドのヅォンさんに連れて行かれる店に欲しいものはない。
部屋の机の引き出しからホテルの案内を取り出し、2階にマッサージルームのあることを知る。営業時間は22時まで。よって部屋のある11階から2階に降りると、ジムやビューティサロンの並ぶそのフロアには人気がまったく感じられない。奥にマッサージの受付カウンターを見つけたものの、あたりには誰もいない。ふと後ろを振り向くと、紺色の制服を着たオジサンが椅子に座っていた。英語は通じないものの、どうやらこのフロアには、彼以外、誰もいないらしい。よってふたたびエレベータに乗り、ロビーから外へ出る。
雨はほとんど上がっている。ホテルの周囲を1キロ半ほど歩いた結果、このあたりにはホテルと観光土産物屋とカラオケ、そしてフットサル場と空き地しかないことを確認する。仕方なく部屋に戻り、風呂に入って即、ベッドにもぐり込む。
朝飯 “BAOSON INTERNATIONAL HOTEL”の朝のブッフェのフォーボー、レモンジュース
昼飯 “Sen Xanh”の海老煎餅、ブンチャー、空心菜炒め、厚揚げ豆腐の唐辛子煮、秋刀魚の生姜煮、他あれこれ、アイスクリーム
晩飯 “Mithrin Hotel”の生春巻きとサラダ、白身魚の生姜煮、海鮮鍋、鍋の締めの麺、ウォッカハノイ(生)、西瓜とマンゴー
2018.6.8(金) ベトナム日記(2日目)
半覚半生という沼の中から水面に浮かび上がるようにして目を覚ます。時刻は4時47分だった。起きて、出国前に出だしの部分のみ書いておいたきのうの日記に、その後のことを加える。次に画像を追加しようとすると、エラーが出て、それが叶わない。「wifiでは画像の重さに対して通信の容量が追いつかないのだろうか」と考え、備えつけのLANケーブルを使ってみる。画像は無事に、ワードプレスのライブラリに追加をされた。
08:57 専用車にてホテルを出る。
ホテルは新市街にある。このあたりは、ガイドのヅァンさんが結婚して親に家を建ててもらった1997年には田畑の目立った地域で、そのころの土地の価格は日本円にして1平方メートルあたり2万円、それが今は35万円。やはり新市街のマンションは1平方メートルあたり17万円。ドイモイが実施されたのは1995年、その効果が現れはじめたのは2000年。というような話を聴きつつクルマは渋滞を抜け出すと南へ向けて一気に速度を上げた。
10:53 ベトナムが中国の支配を脱して初めて王朝を打ち立てたホアルー着。
11:05 初代皇帝ディン・ティエンホアンの霊廟を見学。
11:30 ホアルーを出る。
11:50 お土産屋とレストランの複合施設”ANH DZUNG”に着。
13:00 “ANH DZUNG”での昼食を完了。
13:10 石灰岩の山と洞窟が奇怪な景色を作るチャンアン着。
13:20 鉄製の小舟に4名が乗って岸を離れる。
僕は湖沼も鍾乳洞も好きではなく、だからこのような場所は二重苦ながら、コースに含まれている以上は、それに従わなくてはならない。ベトナム特有の三角帽をかぶったオネーサンは、後方で櫂を静かに動かし、たくみに舟を操る。
洞窟をくぐると見上げるばかりの奇岩の山。そしてまた洞窟をくぐることを繰り返す。蝉の声、鳥の声、櫂が水をかく音の他は、何も聞こえない。舟は人が地上を歩くよりもすこし高い速度で水の上を滑っていく。
14:25 舟のツアーを完了。オネーサンは手こぎの舟を、5、6キロは走らせたのではないか。この景勝の地に舟の数は1,500艘。漕ぎ手に仕事が回ってくるのは、繁忙期を除いては1週間に1度程度。それ以外の日は農民をしているとは、後からヅァンさんに教えてもらったことだ。
14:43 専用車がチャンアンを出発。汗にまみれたシャツは1時間を経ても乾かない。
16:30 ハノイの旧市街でクルマを降りる。
しばらくはヅァンさんと共に、活気にあふれる旧市街を散策する。このあたりの土地の価格は1平方メートルあたり400万円。商売がしやすく、またベトナムでは固定資産税も相続税も安いことにより、ここに住む人たちは、ほとんど他所には移らないという。
17:05 スーパーマーケットでウォッカハノイ2本を買う。300cc入りの価格は42,900ドンだから、邦貨にすれば1本あたり209円。2011年に次男とフーコック島へ行った際にも、僕はこればかりを飲んでいた。
18:50 お土産屋を経由してベトナム風フランス料理の店に案内をされる。客のほとんどは日本人。旅行社が便利に使っている店と思われる。
20:55 ホテルに戻る。汗をたっぷり吸い込んだシャツを脱ぎ、熱い風呂に入る。
22:30 隣の部屋のジンボタカシさん、続いて理事長のアオキナオキさんから電話が入り、理事長の部屋での飲酒に誘われる。
23:35 理事長の部屋のバランタイン、続いて僕のウォッカハノイを飲むうち、いつの間にか眠ってしまう。何度目かに目を覚ますと「無理せずお帰りください」とアオキさんに言われたため、部屋に戻る。通りを往くクルマのクラクションも、8階の部屋で聞く限りは、それほどうるさいものでもない。
朝飯 “BAOSON INTERNATIONAL HOTEL”の朝のブッフェのオムレツとサラダ、2種のパン、コーヒー、フォーガー
昼飯 “ANH DZUNG”の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七
晩飯 “Maison Vie”のパン、サラダ、ブロッコリーのポタージュ、白身魚のポワレ、バナナのクレープ、ダラットの白ワイン、同赤ワイン
2018.6.7(木) ベトナム日記(1日目)
目を覚まして枕の下からiPhoneを取り出す。時刻は2時25分だった。そのまま起きて服を着る。クローゼットの扉を開き、チェストの左手からスーツケースを引き出す。整頓が為されていれば、真っ暗闇の中でも行動は円滑である。
旅行中の着替えはきのうの夜のうちに応接間に出しておいた。必要な持ち物も、おなじくきのうのうちに紙に印刷をして応接間のテーブルの上に置いておいた。そして3時10分より、その紙の一覧表に従って荷造りを始める。栃木県味噌工業協同組合が隔年で開催する親睦旅行の、今日は出発日である。
12:00 ジンボタカシさんのクルマに乗せていただき会社を出る。
12:40 柳田車庫着
13:12 マロニエ号で柳田車庫発
15:17 成田空港第2ターミナル着
15:55 チェックインを完了。スーツケースの重さは6.8キロ。
16:00 保安検査場を抜ける。
16:18 サクララウンジに入る。幾枚もの皿に山盛りの食べ物を取り分け「ここぞ」とばかりに頬張る人がいる。当方の胃袋には昼のおむすびが居座って、水しか飲めない。
17:05 そのサクララウンジで席を移し、きのうの日記をサーバに上げる。
18:10 ボーディング開始
初めて経験するプレミアムエコノミーの席は、予想した以上に幅が広かった。足元の余裕も充分である。リクライニングの構造もよく考えられていて、後席の乗客にはほとんど迷惑のかからないよう工夫がされている。
18:48 “BOEING 787-9″を機材とする”JAL751″は、定刻に23分おくれて離陸。
19:15 飲物を勧められてトマトジュースを飲む。
19:30 機内食の配膳が始まる。
21:42 目を覚ますと機内の明かりが落とされている。機は景徳鎮のちかくを飛んでいる。
23:00 ふたたび目を覚ます。機内の照明が点けられている。南寧のちかくを飛んでいる。
定刻より28分はやい日本時間23:42、ベトナム時間21:42にノイバイ空港に着陸。以降の時間の表記はベトナム時間とする。
21:59 「ノーヴィザ」と訊かれたので「ノーヴィザ」と答えてパスポートコントロールを抜ける。入国カードは不要。
22:10 ターンテーブルからスーツケースを引き上げる。
可及的速やかにタバコを吸いたい同行者3名には先に外へ出ていただき、ロビーの両替所を素早く見ていく。声をかけてきたオネーサンにレートを訊くと1万円あたり201万ドンというので、先ほど”205″の数字が目に付いたブースに戻り、1万円のみ両替をする。レシートには2,054,500の数字があるものの、手渡された紙幣は2,054,000ドンのみ。500ドンつまり邦貨2.43円ははした金、ということか。
22:25 外で出迎えてくれたのは40代くらいの女の人で、名前はヅォンさん。漢字で書けば「江」。この旅で唯一、行きたかったのはホーチミンの家。しかしヅォンさんによれば、ホーチミン廟は訪ねるものの、ホーチミンの家は予定に入っていないという。ホーチミンの家が開いている間の自由時間は、ほぼ皆無。このあたりが団体旅行の限界である。
22:52 “BAOSON INTERNATIONAL HOTEL”着。
ホテルは中級。チェックインはヅォンさんが代行してくれた。パスポートの提示は不要。部屋に入って荷物を整理し、貴重品はセイフティボックスに収める。
革靴をゴム草履に履き替えて外へ出る。ホテルのちかくの様子は、ホテルに着く前にクルマの中から観察をしておいた。”Nguyen Chi Thanh“という、どう発音して良いのか分からない通りを東へ歩く。時刻は0時がちかい。
プラスティックの椅子を歩道に並べた食堂では、地元の人がお粥を食べている。冷蔵庫の中には鉈で形を整えた椰子の実が並んでいる。椰子のジュースは要らない、アルコールが欲しい。
3件目の店は、ジュースのほかにビールも置いていそうな雰囲気があった。店に居着いているらしい、2頭の大きな犬の脇を通ってテーブルに着く。すると地元のオニーチャンが「こちらに来たら…」という感じで手招きをする。よって3名が酒盛りをするソファに僕も座り、ビールを注文する。
オニーチャンのうちのひとりが何ごとか僕にベトナム語で話しかける。僕はベトナム語を解さない。オニーチャンはベトナム語しか話さない。意思の疎通の無いままニコニコと笑って過ごす。
ややあって、椰子の実を並べた冷蔵庫の影から10代から20代はじめと思われる女の子が出てくる。「これで足りるかなー」と考えつつ5万ドン札を手渡す。女の子はその場を一旦離れ、奥へ行く。「お釣りはあるだろうか」と待っていると、ややあって、女の子は先ほどの札をそのまま僕に返して寄こした。どうやら3名いたオニーチャンのうち、僕に盛んに話しかけてきたひとりがご馳走をしてくれるらしい。誠に申し訳なし。万国共通の、手を合わせる仕草で礼を述べて店を出る。
「旅に出れば、何かしらのカードを必ず切らされる」、そんなことを感じながら、南の国によくある、敷石の割れた歩道を辿ってホテルに戻る。
朝飯 納豆、トマトとマカロニのサラダ、ベーコンエッグ、芥子菜のおひたし、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と芥子菜の味噌汁
昼飯 3種のおむすび
晩飯 “JAL751″プレミアムエコノミー席の機内食
2018.6.6(水) 収穫の前
明日はあまり時間がない。よって9時から銀行まわりを始める。これが思いのほか手間取って、10時がちかくなる。10時には来客の予定がある。会社に電話をすると都合の良いことに、30分おくれる旨の連絡が先方からあったという。遅刻も場合によっては大歓迎である。
きのうは中国地方と近畿地方が梅雨入りをした。先週末の智頭町は、やはり梅雨の前の最後の晴天だったのだ。その鳥取県で、ことしの梅雨は空梅雨と聞いた。本当だろうか。
ここ数年のあいだ、九州は毎年のように、梅雨時に豪雨に見舞われている。この雨が、収穫直前のらっきょう畑を直撃するのだ。少ない雨量のまま6月が過ぎてくれれば、今年のらっきょうは豊作のはずだ。しかし「豊作のはずだ」と関係者と会話を交わした直後から大雨が降り続く、ということを我々は何度も経験をしている。
一方、生姜は雨を好む。もちろん豪雨になっては元も子もないけれど、生姜は空梅雨を嫌う。すべての作物に、そこそこ都合の良い天候が続いてくれれば有り難い。
朝飯 炒り豆腐、トマトと玉葱とマカロニのサラダ、鯛のあら煮、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、メシ、豆腐と茗荷の味噌汁
昼飯 「ふじや」の雷ラーメン
晩飯 胡瓜の浅漬け、空豆のおひたし、冷や奴、ニラと炒り卵のソテー、茹で牛、素麺、芋焼酎「愛子」(ソーダ割り)、バナナとマンゴーの杏仁豆腐
2018.6.5(火) 着の身着のまま
朝、目を覚ますと、ほとんど着の身着のままで寝ていた。きのうの就寝は多分、22時すぎ。現在時刻は5時48分。7時間ちかく眠り続けた計算になる。先週末の深夜バスによる寝不足を、からだが一気に取り戻そうとしているのだろうか。
「あした、どこに行くんだっけ」と新婚旅行の前夜に訊いて、新妻に叱られた男の話は前にも書いた。そして団体旅行に臨んでは、僕もその男のことを嗤えない。
事務机の左手に提げたカレンダーによれば、ハノイへ向けて発つのは明後日だ。空港は成田と知っている。しかしどのターミナルへ行くべきかは知らない。飛行機の時間も知らない。知らないづくしはとても危ない。よって旅行社から送られてきた日程表を確かめる。
持ち物の準備はいつしようか。昼は仕事をしている。夜は酒に酔っている。残りは早朝ということになる。だったら木曜日の当日でもかまわないだろうか。
現地ガイドの手間を省くため、団体旅行の夕食は大抵、昼の観光の後、ホテルに帰る前に設定をされている。汗をかいた服のままメシを食べるについては気が進まないものの、着替えは最低限で済むだろう。
朝飯 筑前煮、湯波焼売、空心菜の豆味噌炒め、炒り豆腐、生のトマト、油揚げと小松菜の炊き合わせ、らっきょうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とナメコと三つ葉の味噌汁
昼飯 梅干し、ごぼうのたまり漬、なめこのたまりだき、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、じゃこによるお茶漬け
晩飯 トマトと玉葱のサラダ、鯛のサラダ、チーズパンとバゲット、鶏モツのオリーブオイル焼きバルサミコかけ、田舎パン、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2018.6.4(月) マサヒデさんの黄色い本を学ぶ会
鳥取へ行っているあいだに「本物のワインで漬けた本物のワインらっきょうリュビドオル」が売り切れていた。包装係のシバタミツエさんとは先週、月曜日の午後に次のロットを瓶詰めしようと決めていた。よって昼すぎに倉庫へ行き、ビンとフタを台車に積んで、瓶詰めのための場所へと運ぶ。僕の仕事はそこまでで、後はシバタさんにお任せである。
近隣の有志を集め、稀代のデータベースソフト「マイツール」の教則本「逆引きマイツール基本コマンド編」を紐解きつつ「マイツール」への理解をより深めようとする「マサヒデさんの黄色い本を学ぶ会」は、今回で何度目になるだろう。夕刻、その会場の二宮尊徳記念館に、長男の運転するホンダフィットで行く。
今日は20時までに84ページの「61.ずれた入力データを直したい」から86ページの「63.数値と文字を分けたい」までをさらった。いつもに変わることなく今夜も「急がず休まず」の進捗である。そして7月の下旬には、この会で学んだヌマオケンタ君が、自身の活用事例を東京の学会で発表する。その日が今から楽しみでならない。
勉強のあとは、都合のつく参加者のみ街の食堂に再集合をする。そして1時間と少々の交流会を持つ。
朝飯 筑前煮、油揚げと小松菜の炊き合わせ、巻湯波の淡味炊き、炒り豆腐、納豆、らっきょうのたまり漬、芹のおひたし、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 「食堂ニジコ」の春雨サラダ、胡瓜の辛子和え、海老マヨ、皮蛋、鶏の唐揚げ、サンラーメン、麦焼酎「二階堂」(お湯割り)








































