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清閑 PERSONAL DIARY

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2018.4.5(木) 訳ありシート

6月の最初の週末に、鳥取県智頭町の同級生ヨネイテツロー君の家で同窓会がある。この幹事を僕がするよう、先般、クラス委員のアカギシンジ君に頼まれたので「切符の購入や宿の手配まではできないが、それ以前のところまでなら」と、その仕事を引き受けた。

以降は同級生のメイリングリストで意見や希望を募り、A君は往きは飛行機で帰りは電車、B君は往復とも電車、C君とD君はひとりで来て復路はE君のクルマに同乗、またF君は東京と智頭のあいだを自家用車で往復しつつ往路はG君とK君を乗せ、2日目はL君およびM君と共にゴルフをしてから帰京など、その交通手段のみを明らかにした。

ところで自分はどうするか。パッと行ってパッと帰りではつまらない。僕は昔から、どこかへ行く場合、目的地でのあれこれとおなじくらい、そこまで達する道中が楽しみだった。そしてその性向は、いまだに残っている。

「乗り換え案内」は、僕の好むところの不合理な経路は教えてくれない。ところが今日は、青春18切符に特化した経路検索のサイトを発見した。そしてこれで今市駅から智頭駅までの行き方を調べてみると、その所要時間は30時間を超えた。

僕が最も長いあいだ鉄道に乗り続けたのは多分、インドのマドラスからヴァラナシまでで、所要時間は36時間ほどだっただろうか。しかしそのときにはマドラス駅のポーターに座席の頭上にある荷物棚を確保させ、そこに寝ていったから、窓外の景色は望めないものの、体力的な苦労は無かった。しかし座りっぱなしの30時間超、しかも現在の年齢でのそれはいささかきつい。

ふと思いついて、夜行のバスを調べてみた。すると東京駅を21:30に出て、翌朝07:30に姫路駅に着く、3列独立シートでトイレ付きの便が見つかった。そこで早速これを予約すべく、ブラウザに向かう。価格は通常が10,300円のところ「訳ありシート」は10,100円というので、その「訳あり」を選んだ。

そうしてしばらく進んで目を凝らすと、その「訳ありシート」とは最前列の真ん中で、衝突安全装置により足元が狭いとの説明があった。この席には過去に一度、東京から京都まで乗って辟易した覚えがある。よって尻尾を巻くようにして元に戻り、通常の席を10,300円で確保する。

ここで、姫路駅から智頭駅までの、青春18切符による経路検索をしてみる。すると素直に「スーパーはくと」を使えば1時間03分で行ける距離に5時間以上もかかって料金は却って高い。安い経路を見てみれば、こちらは8時間もかかる。ここは素直に「スーパーはくと」に乗る手だろう。当日の集合時間は「午後の中ごろ」だから、時間の余裕は充分である。


朝飯 茹でたブロッコリー、切り昆布の炒り煮、スクランブルドエッグ、茄子とピーマンの「日光味噌梅太郎赤味噌」炒り、納豆、みょうがのたまり漬、生のトマト、揚げ湯波と茄子と万能葱の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 ひじきと梅干と白胡麻のふりかけ、茄子とピーマンのカリカリソテー、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ほうれん草の胡麻和え、お多福豆、鶏肉の松かさ焼き、たけのこごはん、豆腐と三つ葉の吸い物、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)、夏みかん


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2018.4.4(水) 3本の桜

朝、食堂の窓から見える庭の桜が、いよいよ開いてきた。「いますぐその真下に行かなければ最盛期の姿は撮れないのではないか」と考え、仕事場に降りる際には、カメラの保管庫からニコンD610を取り出すことを忘れなかった。

そして先ずは、味噌蔵を背にして、国道121号線の歩道に張り出すようにして咲くソメイヨシノを見上げる。これは七分咲きなのか八分咲きなのか、いまだ数日は、花吹雪を散らすことなく咲き続けるように思われる

「桜伐る馬鹿」と言われるものの、先のソメイヨシノは歩道に張り出した太い枝を数年前に落とした。2005年に亡くなったオヤジは、それが折れて歩行者を傷付けることを恐れていた。その後、10年ちかくもそのままにしていたのは「まだ大丈夫」という植木屋の言葉を信じたからだ。

「これ以上、大きくなって枯れたときには、塀を壊して重機を入れるしかない」と、おなじ植木屋に脅かされたことにより、仕方なく剪定を任せたのは山桜だ。本居宣長が「朝日に匂ふ」と詠んだその匂いはもちろん、鼻で感じるものではないだろう。あるいは鼻で感じようとしても、山桜の花は高いところにあって、手折るなどは到底、できない。

味噌蔵のある庭でもっとも遅くまで花を残すのは枝垂れ桜で、これはいまだ五分咲きといったところだった。しかしまぁ、この庭に建つ古い家で朝食を供する今月22日までは、残念ながら保たないような気がする

ところで今日は、1歳5ヶ月になる孫のリコの、保育園の初登園日だった。いまだ慣らし運転で1時間の在園だが、泣かずに戻ってきたので「おりこー」と褒める。


朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、切り昆布の炒り煮、トマトのソテーを添えた目玉焼き、カキ菜のたまり浅漬け、ひじきと梅干と白胡麻のふりかけ、メシ、揚げ湯波とカキ菜の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 グリーンアスパラガスの胡麻和え、うずら豆、みょうがのたまり漬を薬味に「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」をかけた冷や奴、カキ菜のおひたし、肉じゃが、銀鱈の西京焼き、「須藤本家」の「郷乃譽純米吟醸」(冷や)、スポンジケーキ、”Old Parr”(生)


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2018.4.3(火) コロモガヘ

仕事着に限れば、僕は年間で、以下8回の衣替えをしている。

春:長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター
晩春:長袖ヒートテックシャツ+長袖Tシャツ
初夏:半袖ポロシャツ+長袖Tシャツ
盛夏:半袖ポロシャツ
初秋:半袖ポロシャツ+長袖Tシャツ
秋:長袖ヒートテックシャツ+長袖Tシャツ
初冬:長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター
真冬:長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター+ダウンベスト

昨年はゴールデンウィークまで、上記の「春」の組み合わせを着ていた。ところが今年は本日より「晩春」の組み合わせにした。一方、現在はまた、花粉が盛んに舞っているときでもある。外出の際に用いていた裏地付きのジャンパーは、今朝、クリーニングに出してしまった。しかし何かを羽織らなければ、木綿のTシャツが花粉にまみれるかも知れない。

そういう次第にて、夜はほとんど非常用の、薄くて小さなPatagoniaのウィンドブレーカーを着て、日光街道を自転車で下る。


朝飯 3種のおむすび
昼飯 ラーメン
晩飯 「食堂ニジコ」のお通しのスパゲティサラダ皮蛋豆腐あんかけ焼きそば、麦焼酎「二階堂」(ソーダ割り)


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2018.4.2(月) おなじ行動

朝、この4月から有料となったゴミを、日光市が指定した袋で外に出す。ゴミをきちんと分別し、その処理を有料で行政に依託する、その風景は、人が美しく老いていく姿を僕には連想させる。思いがけず、ことし初めてのツバメを見る。

下今市15:33発の上り特急スペーシアに乗る。僕としては珍しく常磐線のプラットフォームに降りる。しばらくして来たのは品川行きの快速だった。よってこれに乗って17時43分に品川に至る。

勉強仲間との交流会は、18時30分からの予定だ。会場の名をiPhoneのgoogleで検索し、その地図に示された方へと歩いて行く。途中、港南口から中央改札に向かう、仕事を終えたばかりと思われる人の量に圧倒をされる

品川の、港南口の近辺に来るのは、およそ35年ぶりのことになる。今や大きく綺麗なビルが林立し、僕はまるで浦島太郎である。

ニシジュンイチロー先生を囲む会には、およそ30名が集まった。席は、同じ顔ぶれが最後まで固まらないよう、ときどき移動をした。最後の小一時間ほどは、両脇をひとまわりかふたまわりほど若い人に挟まれて、非常に有意義な話を聞く。その話は家に帰ったら家族に伝えるべく、しっかりと頭に納める。

僕は夜に弱い。夜の集まりからは素早く抜け出し、早く眠りたい。周囲に別れを告げればどうしても目立つ。デザートを食べ終え、参加者が腰を上げ始めるか否かのあたりでショルダーバッグを手に持ち、黙って共用の廊下に出る。しばらく歩いて下りのエスカレータに乗ろうとして、不意に声をかけられる。僕とおなじ行動をとる人が、ひとりだけいたのだ。

そのサトーマサヒデさんとは品川駅の北改札まで共に歩き、そこで西と東とに別れる。


朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ほうれん草のソテーを添えた目玉焼き、切り昆布の炒り煮、焼きトマト、しその実のたまり漬、メシ、玉葱と三つ葉の味噌汁
昼飯 蕎麦
晩飯 「はなたれ品川店」のあれやこれやそれや。たくさんの種類の日本酒(冷や)


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2018.4.1(日) 桜

早朝に製造現場に降りる。彼岸前にはダウンベストの上に白衣を羽織っていた。そのダウンベストを今朝は着ていない。意識してそうしたわけではない、なにも考えることなく薄着になったのだ。

朝食を済ませ、4階の応接間から味噌蔵のある庭を何気なく眺めると、左手東側のソメイヨシノと右手西側の山桜がピンクに色づいていた。そのことに今朝まで気づかなかったのは、多分、きのうまでは幹の黒や葉の緑の方が目立っていたからだ。

道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場の掃除と検品のため、自転車で日光街道を下る。彼岸前まではダウンベストの上に裏地つきのジャンパーを重ね、手袋を嵌めていた。今朝はダウンベストもジャンパーも、また手袋も、その必要はなかった。一気に春が来たらしい。

「あしたの晩ごはんはカスレだよ」と、きのうの夕食時に長男から聞いて喜んだ。肉や臓物を煮込んだものは大抵、好物である。しかしその直後に、日曜日の夜は、総鎮守瀧尾神社の春の大祭へ向けての町内の話し合いがあったことに気づく。

その話し合いは、春日町1丁目公民館にて19時から23時すぎまで続いた。そして帰宅してようやく、カスレとパンと白ワインにありつく。


朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、温泉卵、ひじきと梅干と白胡麻のふりかけ、切り昆布の炒り煮、しその実のたまり漬、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 「美彩たむら」の日替わり弁当「日光のひみつ豚」のフリーズドライ豚汁
晩飯 パン、カスレ、”Petit Chablis Billaud Simon 2015″、「マンダリンオリエンタルホテルの」バトラーが部屋に置いてくれたチョコレート、”Old Parr”(生)


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2018.3.31(土) あと4回は

午後、ひと息をついてメーラーを回す。すると「カード利用のお知らせ」という表題のメールが届いていた。主な内容は以下の通りだ。

■利用日:2018/03/26
■利用先:CENTARA GRAND HUA HIN
■支払方法:1回
■利用金額:52,071円
■支払月:2018/04
■カード利用獲得ポイント:520 ポイント

フアヒンのホテルで精算をするとき、家内は手持ちの現金が少なくなっていた。僕の方は、元より大して持ち合わせていない。よってこのときの支払いには、僕のクレジットカードを使った。

翌3月27日、家内はバンコクのタニヤで日本円をタイバーツに替えた。そのときのレートは1万円あたり2,945タイバーツ。翌日ヤワラーの両替所には、1万円あたり2,950タイバーツの表示があった。

ホテルの請求書を取り出し見ると、請求は18,097.09タイバーツ。それに対する円換算は52,071円だから1万円あたり2,899タイバーツとなり、損をした気分になる。しかしここにカードのポイントが加わると、今回に限ったことかも知れないが、カードで払ったことは、結果としてわずかに得だったようだ。

ところで現在の、僕の手持ちの現金は32,109タイバーツ。ひとり旅なら両替なしに、あと4回はこなせそうな気がする。


朝飯 納豆、切り昆布の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、温泉卵、ひじきと梅干と白胡麻のふりかけ、しその実のたまり漬、メシ、浅蜊と万能葱の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のサンラーメン
晩飯 トマトとレタスと玉葱のサラダ、人参のグラッセ、ほうれん草とエリンギのソテー、マッシュポテトを添えたビーフステーキたまり漬「青森県田子町産のにんにくです。」同「おにおろしにんにく」“CHARMES CHAMBERTIN DOMAINE DUJAC 1985”ケーキ“Old Parr”(生)


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2018.3.30(金) 覚えていない行動

0時を過ぎると、飛行機の中のアナウンスは”Good morning”で始まることを初めて知った。しかしいつも使う羽田空港00:20発の機内では、”Good morning”は聞いた覚えが無い。何とも不思議な気分だ。

ペットボトルの水を買い忘れていたため、客室乗務員に頼んで水をもらう。そのコップは、いつまで手に持っているわけにはいかない。デパスとハルシオンはベルト着用のサインが消えてから服用するのが理想ではあるけれど、今夜ばかりは早々に飲んでしまう。

“BOEING 707-400″を機材とする”TG682″は00:23に離陸をした。間もなくベルト着用のサインが消える。「待ってました」とばかりに椅子の背を後ろに倒す。

03:20 人の気配で目を覚まし、通路が空いているうちに洗面所へ行く。
03:37 「酢豚かクレープのどちらよいか」と訊かれてクレープによる機内食を選ぶ。

タイ時間05:27、日本時間07:27に羽田空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。

07:47 荷物のターンテーブルが回り始める。
08:18 荷物が出てくる。31分間も待たされるなら、次回の荷物は機内持込だけにしようかと考える。
08:34 羽田空港国際線ターミナルから上りの列車に乗る。
09:33 人形町を経由して北千住に着く。
11:39 東武日光線の特急スペーシアで下今市に着く。駅には長男に迎えに来てもらう。

夕食は嫁のモモ君が用意をしてくれた。その春雨サラダと水餃子を肴に白酒を飲む。以降の記憶は無かったものの、この日記を書くため画像をコンピュータに取り込むと、オリエンタルホテルのバトラーが毎日、届け続けてくれたうちの、チョコレートを肴にウィスキーを飲んだらしいことを知って大いに驚く。


朝飯 “TG682″の機内食
昼飯 「大貫屋」のチャーハン
晩飯 トマトと春雨のサラダ水餃子「紅星」の「二鍋頭酒」(生)イチゴと杏仁豆腐


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2018.3.29(木) タイ日記(7日目)

目を覚ましてベッドから降り、洗面所の灯りを点すと同時に、寝室と洗面所とのあいだのドアを素早く閉める。灯りのスイッチが洗面所の中にあれば、寝ている者に気を遣うこともない。洗面所の灯りのスイッチが洗面所のドアの外にある、というところが問題である。

きのうの修理のお陰で冷房は快調に動き続けている。しかし今朝はそれが効き過ぎて寒い。よってスイッチを切ろうとすると、きのうは入れても入らなかったスイッチが、今朝は切ろうとしても切れない。殿様でもあるまいし、夜が明ける前にバトラーを呼ぶなどは、申し訳なくてできない。そのまま部屋の片隅の灯りを点け、きのうの日記を書き始める。

プールにはこれまで、下はPatagoniaのバギーショーツ、上はポロシャツという、外で着る服と変わらない恰好で行っていた。しかし今日は帰宅日のため、シャツはできるだけ汗で汚したくない。よってタイに来て初めて、ショーツの上にガウンを羽織った恰好で廊下に出る。

僕の泊まっているガーデンウィングの部屋からプールまでは、ロビーを避ければどうしても、アフタヌーンティーで有名なオーサーズラウンジを横切らなければならない。おとといこのラウンジのオネーサンに訊ねたところ「ガウンでもかまいません」とのことだった。そこで「しかし真ん中を突っ切るのは、さすがにまずいでしょう」と更に訊くと、オネーサンはしばし考えてから「ご案内します」と、アーケードちかくの手洗いからプールサイドに最短距離で出られる順路を教えてくれた。今朝は9時すぎに、その抜け道を辿ってプールへ行く。

きのうにくらべて今日は、朝食の客が急に減っていた。プールサイドの寝椅子も、ほとんどが空いている。選び放題のその中の、傘の影に隠れれば太陽には絶対に直射されない場所を選んで横になる。

いつもかどうかは不明ながら、今回は、その寝椅子に着くとすぐに、係が大きなグラスに満たした氷水を持って来てくれた。今日は更に、スナックとジュースのセット次はアイスクリームとジュースのセットまでサービスをされた

このホテルの、客に接触する可能性のある社員のほとんどは、無線の端末を身につけている。その端末に部屋番号を入力すれば、そこにはたちどころに客の情報があらわれる。今日のふたつのセットが、その情報を受けてのものかどうかは分からない。

名所に案内されて「へー」くらいの感想で、次の名所に連れて行かれて「へー」の繰り返し。そういう日本式の観光には、僕は一切の興味を持たない。プールサイドには、13時30分までいた。チェックアウトの時間を15時にしてもらって本当に良かった。月曜日から読み始めた500ページの本は、おかげで256ページまで捗った。

なお「チェックアウトは無料で午後3時まで延ばせると、日本人のウェブログで読んだぞ」とこのホテルの人に言っても、その希望が叶えられるか否かは知らない。すべてはその客の宿泊者としての履歴、そのときのホテルの規則、そしてそのときの係の判断次第だろう。

部屋にはバトラーを呼ぶボタンがあるものの、それを押すことはどうにも機械的、あるいは偉そうに僕には感じられる。部屋から短い階段を伝って廊下に降り、突き当たりにある係の控え室に近づくと、僕の姿を認めてバトラーが出てくる。これから帰るのでポーターを呼んで欲しいとの僕の頼みに、彼はみずからスーツケース2個を部屋から運び出した。「だったらあなたに」と、チップ100バーツを手渡す。

チェックアウトを済ませ、ロビーのソファでしばし休む。コモトリ君は約束の15時よりすこし前に、迎えに来てくれた。コモトリ君の会社のクルマにはポーターでなく、ヘルメットをかぶったガードマンが荷物を積んでくれた。よって彼にも100バーツを手渡す。

「クロントイ・シーカーアジア財団」は、スラムや辺境の子供たちが苦境から脱するための教養を身につけるべく、タイや周辺国に読書を広げる活動をしている。コモトリ君も影ながら応援するこの財団の場所はクロントイにあって、普通のタクシーでは、行き先を告げた途端に断られることもある。

図書室や遊戯室を備えるここでは、またスラムのお母さんたちによる手芸品も売っている。それを購って幾分かの寄付に充てたいとの考えが、家内にはあった。家内が品物を選ぶあいだに僕は瀬戸正人の写真による絵はがきを見つけ、これを30枚だけ買う。

コモトリ君が夕食の予約を入れてくれた料理屋には、約束の18時より1時間もはやく着いてしまった。「早い分には」と、開いたばかりのそこで席に着く。窓の鎧戸からは差し込む光は、いまだ昼さがりのそれである。

今夜の便は22:45発だから、空港にはその2時間前まで行けば良い。コモトリ君の今夜の集まりがあるプロンポンまで移動し、時間調整として足マッサージを30分だけ受ける。

クルマはプロンポンを19時08分に出て、空港には20時に着いた。「何番ゲートに着けましょうか」とコモトリ君の運転手が訊く。タイ航空のカウンターがどのあたりにあったか、僕は覚えていない。「任せます」と答えると「多分、2番」と、運転手はタイ語で呟いた

荷物を降ろしてくれた運転手には100バーツを進呈する。空港に入っていくと、タイ航空のカウンターは目の前にあった。なかなか優秀な運転手である。

20時10分にチェックインを完了する。手荷物検査場へ向かう途中の掲示板には、僕の乗るTG682に”DELAY”の表示が出ていた。何気なくボーディングパスに目を落とすと、23:10の搭乗時間が印刷されている。既にしてカウンターを離れていたため、遅れの理由を訊くことはしなかった。

20:40 保安検査場を抜ける。
20:50 パスポートコントロールを抜ける。
21:20 ひとり旅では決して入らない喫茶店で西瓜ジュースを家内におごってもらう
22:50 搭乗口D6へ降りる扉がようやく開く。


朝飯 “Mandarin Oriental Hotel”の朝のブッフェのコーヒーオムレツと生野菜トースト焼き野菜とベーコン2種のチーズマンゴー西瓜
晩飯 “Kua Kling+Pak Sod”(PRASARNMIT店)のクアクリンムーサップパッサトーガピクンパッウンセンムーバイリアンパッカイパッタイクン“MAISON DU SUD CHARDONNAY PAYS D’OC 2016”


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2018.3.28(水) タイ日記(6日目)

きのうの夜が遅かったため、今朝の目覚めはさすがに5時台だった。朝食会場は7時から開く。きのうはその直後に会場に降りた。今日はすこし遅らせて8時に川沿いに出る。

今朝のテーブルには卵料理の小さなメニュが載せられていた。よってそこから家内はエッグベネディクト、僕はエッグフロレンティーンを注文する。

南の国では、植物は大抵、巨大になる。しかし鳥類は、おしなべて小さい。インドのカラスは日本のカラスとオナガの中間くらいの大きさだ。我々の足元でパンくずを探す鳥は、雉鳩に見える。しかしいくら南国とはいえ、その鳥は雉鳩にしてはいかにも小さい。博覧強記の人と共に旅をしたら、このような時に何でも教えてくれて楽しいだろうか。あるいは教えられすぎて、却って煩わしくなるかも知れない。

朝食から戻ると、部屋の温度は隨分と上がっていた。冷房はきのうの夜から効いていない。今朝、部屋のドアを開けると、部屋から廊下に降りる短い階段の下にたまたま部屋係がいた。よって冷房について伝えると、彼は部屋に入ってそのスイッチを触り、自分の力ではどうにもならないことを悟って「技術者を呼びます」と、深刻そうな顔をした。

家内は暑さに耐えかねてアーケードに降りた。部屋にはふたりの修理係が来る。係はこのホテルのガーデンウイングに特有の、高い床の鎧戸を解放する。そこにはこの部屋のあれこれを制御する機械が入っていた。次は脚立を立て、天井付近の冷風の吹き出し口を調べながら「ホントに暑いですね」と、紺色の作業着を身につけたオニーチャンは笑った。

「女房は堪らずアーケードに逃げたよ」と答えると、オニーチャンはしきりに謝るので「気にすることはない」と慰める。冷風は間もなく元のとおりに流れ始めた。「ご親切に感謝します。どうぞ奥様をアーケードから呼んで差し上げてください」と、オニーチャンは笑顔で去った。ホテル側の不備に対する修理のため、オニーチャンふたりにチップは渡さない。

旅行中に最も嬉しいのは「予定が無い」ということではないか。何もしないことこそ旅行の醍醐味と、僕は感じている。旅行中にすることといえば「してもしなくても構わないこと」がほとんどだ。

きのうの日記を完成させ、しかし公開ボタンはクリックしないまま、昼をすこし過ぎたあたりでプールサイドに降りる。そして15時過ぎまで本を読む。今日のプールは割と空いている。運良く木の下に無人の長椅子があった。日影は本を読みやすくする

ところでこのホテルにチェックインをしたとき、部屋まで案内をしてくれたコンシェルジュは、チェックアウトの時間を正午と我々に伝えた。しかし前回のそれは15時だった。念のため、その日の日付2016年6月28日をノートに書いてロビーに降りる。そして初めて見る顔のフロント係に「今回のチェックアウトも15時まで遅らせることは可能か」と訊いてみる。フロント係の叩くキーボードは、我々の過去の履歴を検索しているのだろう。そしてそれほど待たせることなく「今回も15時にさせていただけます」と、確約をした。その旨をコンピュータに残すよう、僕は彼に頼む。

そのまま家内と外へ出る。16時を回っている。そしてホテルに隣接する、こちらは公共のための桟橋オーリエンテンで、オレンジ旗の舟を待つ。オレンジ旗は快速で、昼はほとんどこれのみがチャオプラヤ川を上り下りしている。

その舟に乗り込み、料金係のオネーサンにサパーンブットまで二人と告げる。料金はひとり15バーツだった。舟がサパーンブットに着く。舟は混み合って、立っている人もいる。家内を急がせると「メモリアルブリッジって書いてあるよ」と、桟橋の標識に目を遣って不審がる。グズグズしているヒマはない。「現地語の名前はサパーンブットなんだよ」と答えつつ人をかき分け、舟を下りる。

その桟橋から外の通りに出て北へ歩くと間もなく”YODPIMAN RIVER WALK”と大きく書いた門が見えてきた。「何だろう、行ってみよう」と進むと、そこには花市場の川沿いのみを小ぎれいにした、ケンタッキーフライドチキンやスターバックスコーヒーなどが入る建物があった。それを脇目にしつつ、花市場の中に入って行く。狭い通路を手押し車が何台も我々を追い越していく。築地の外国人のように、地元の人の邪魔をしてはいけない。前ばかりか右も左も後ろも気にしつつながら、その市場を足早に出る

家内が行きたいと言ったショッピングモール「オールドサイアム」は、地図によれば、サパーンブットから歩けなくはないものの、炎天にその距離をこなすのはすこしつらいと思われる位置にあった。しかし「オールドサイアム」という英語の名を、トゥクトゥクやタクシーの運転手に理解できる発音で伝える自信は僕にはなかった。何しろこちらでは”central”が「センタン」、”oriental”は「オリエンテン」なのだ。よって「オールドサイアム」については、その場所のタイ語による地図を、iPhoneに予めスクリーンショットしておいた。

先ずは1台のトゥクトゥクに声をかけ、地図を見せる。しかしその爺様は、地図をちらりと眺めて「分からない」という顔をした。それを見ていた、すこし若い別の運転手が我々を呼ぶ。またまたiPhoneの地図を差し出すと、彼はそれをしばらく見つめて「分かった」という風に頷いた。料金は100バーツ

1階は鶏卵素麺などお菓子の実演販売、2階は生地屋の並ぶ、その古いショッピングモールから通りに出る。本日の僕の失敗は、こんなこともあるだろうと、ガイドブックから引きちぎってきたこのあたりの地図を、ホテルの部屋に置き忘れてしまったことだ。

走ってきたトゥクトゥクを呼び止め、ヤワラーのソイテキサスへ行くよう言う。このあたりには一方通行が多く、よってトゥクトゥクに乗るにも、そのことをよく考える必要がある

先ずは広い床を持つ鍋屋「テキサス」のもっとも奥まで進み、18時30分に予約を入れる。次はこの通りにあって、もっともまともそうなマッサージ屋を選んで足のマッサージを1時間だけ受ける。タイに来て手入れを怠っていたため切れたカカトのアカギレも、数度のマッサージにより油を塗り立てられるうち、治ってしまったようだ

客が入っていない時間には蛍光灯の明かりも寒々しい「テキサススッキー」だが、時間が経つにつれ満席に近づき賑やかになってきた。我々は日本式に、煮えづらい具やダシのでる具から先に鍋に入れていく。しかしタイ人は概ね、何でもかんでも一度に投入をする。だから周りのテーブルのそれにくらべれば、我々の鍋の中身は景気の良さには欠ける。この店の甘めのナムチムに対して、僕は醤油とナムプラーを混ぜ、更にニンニクと唐辛子とマナオの絞り汁を調合し、自分ごのみのものを作った

1982年の僕の定宿「楽宮大旅社」は、この中華街にありながら、あのころは、構内に両替所のあったファランポーンと宿を往復するばかりで、今夜のような賑やかなところには、ほとんど出ることがなかった。それが今としては、とても不思議に感じられる。

路上の屋台に観光客の群がるヤワラーの一方通行は、宿に戻るには不利だ。よってすこし北に歩いてチャルンクルン通りでタクシーを拾う。ホテルまでのメーターは47バーツ。これに対して運転手には70バーツを手渡す

部屋に戻ると花と手書きのカードが届いていた。部屋の果物は、当方が食べるに従って、1日のあいだに何度でも補給をされる。そしてシャワーを浴びてガウンに着替え、即、就寝する


朝飯 “Mandarin Oriental Hotel”の朝のブッフェのコーヒーサラダその1エッグフロレンティーンサラダ2皿目ドーナツとチーズソムオージュース
晩飯 「テキサススキ」のタイスキラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2018.3.27(火) タイ日記(5日目)

きのうとそれほど変わらない時間に目を覚ます。日記を書きながら5時を過ぎると、外にときおりストロボのような光が走る。それほど気に留めていなかったものの、その光はそのうち音も伴うようになった。雷である、雨も強く降ってくる。

7時をすぎて朝食会場の”The Verandah”へ行き、なかなか良い席に案内をされる。しかし客席とチャオプラヤ川のあいだには、雨を避けるための透明の幕が降ろされている。雨は既にして上がっている。家内が頼んで係にその幕を巻き上げてもらう。すると、途中まで巻き上げられた幕のすぐ下、ホテルと川とを隔てる手すりに白人の子供が近寄って、ホテルの人から手渡されたパンの耳を川に投げ始めた。

そのパンを、水の中から上がってきた鯉か鱸のような姿の大魚がすかさず呑み込んでいく。「水に魚あり、田に米あり」と謳われたのはいにしえのスコータイではあるけれど、温帯や寒帯に住む者からすれば、インドシナの自然は信じがたいほど豊かだ

午前にホテルを出て、チャルンクルン通りからシーロム通りに出たところで15番のバスに乗る。そしてサラデーンへ行く。運賃はひとり9バーツだった。ここから昼すぎにかけて、有馬温泉で足マッサージと耳掃除、ジムトンプソンでお土産の購入、そしてBTSでサイアムへ移動してマンゴータンゴーで三種盛りをおやつにするという、ベタというか王道というか、とにかく観光らしいことをする

サイアムからサパーンタクシンまでは”BTS”を使う。ここからホテルの専用船に乗ると、助手はチーク製の椅子にしか見えない、しかし実は冷蔵庫から冷たいミネラルウォーター2本を取りだして我々に手渡してくれた。大したサービスぶりである

ホテルの桟橋から部屋へ向かう家内と別れて外へ出る。そうして舟から川沿いに見えた、庶民的な、あるいはすこしばかり粗末な、つまり僕ごのみの食堂の場所を探しに行く。その食堂”Jack’s Bar”は、ボソテルホテルやシャングリラホテルのあるチャルンクルン通りソイ42/1のどん詰まりに位置していた。今秋には、この食堂で飲み食いをする機会があるやも知れない

ソイ42/1からチャルンクルン通りへ出て、すこし歩いてスーパーマーケットのトップスに入る。そして唐辛子入りの醤油1本を買う。地下1階のトップスから上りのエスカレータに乗りつつ「あぁ、ここまで来るなら溜まった洗濯物を持ってくれば良かった」と後悔しても遅い。こんなことを言ってはけち臭いが、マンダリンオリエンタルのクリーニング代は隨分と高いのだ。

部屋に戻ると15時が近かった。先ずはシャワーで汗を流す。それからプールへ行く。寝椅子で本を読むうち、対岸のペニンスラホテル右側にあった夕陽がプールサイドの木々の下に見えなくなる。それでも本を読み続け、18時前に引き上げる

今夜の食事はビールの醸造施設を備え、レビューを見せるビヤホール「タワンデーン」で摂ると決めていた。先ずはホテルの舟でサトーンの桟橋まで行く。そこからチャルンクルン通りに出て南にすこし歩く。停まっていたトゥクトゥクの運転台からオニーチャンが顔を出す。「タワンデーンまでいくら」と訊くとオニーチャンは左腕の時計に目を遣ってからすこし考え「サームローイバー」と答えた。

メーターを備えたタクシーの方が安いことは明白だ。しかし300バーツは正に僕が予想した通りの価格で、しかも遊びと考えれば高いことはない。僕と家内を乗せたトゥクトゥクは時に渋滞に閉じ込められ、あるいはまるで首都高速道路のような高架道路を飛ばしに飛ばし、25分かかってタワンデーンに着いた。

案内された席でメニュを渡される。僕はビールはほとんど飲まない。しかしビヤホールであれば、まったく飲まないというのも憚られる。僕はラガーの0.5リットル、家内は0.3リットルを選ぶ。続いて7年前の秋に来たとき美味かった野菜炒め、それからそのときには頼まなかった豚足揚げを注文する。

タワンデーンの席は時間が経つにつれて埋まり、タイの古典楽器を使ったロック、豪華な衣裳による歌謡ショー、ルークトゥン、ラップ、曲芸と、テンポ良く運ぶ出しもの共に、客の気分も盛り上がってくる。タイでは20時前後に就寝することを続けて来た。しかしタワンデーンでは、早々と帰っては損なのだ。

ビールをチリ産のソービニョンブランに変えて飲んでいると、聞き覚えのある前奏が聞こえてきた。舞台の奥では次のショーに備えて模様替えが行われているのだろう、臙脂色の幕の前に若い女の歌手が出てきて歌い始めたのは「北酒場」だった。

海外で、こちらを日本人と認めるやいなや、日本の曲を歌ったり演奏したりする歌手やバンドを僕は好まない。しかしこのとき、僕は客席の暗がりにいたから、舞台の上から僕の姿は見えない筈だ。それになにより僕は周囲のタイ人たちに紛れている。そんなこともあって僕はその勢いのある「北酒場」に感動し、舞台の下から歌手のオネーサンに1,000バーツを進呈した。オネーサンは「北酒場」を歌いきると、僕の席まで挨拶をしに来てくれた。

そうこうするうち、今度は三線による前奏が聞こえてくる。「なだそうそう」である。繰り返して言えば、周りの客はほとんどタイ人ばかりだ。良い曲は、スタンダードとして他の国にも根付くのだろう。しっとりと歌い始めたのは網タイツに短髪のオバチャンだった。このオバチャンの達者な歌いぶりには先ほどから感心をしていた。よってこのオバチャンにも1,000バーツを進呈する

インドシナにはカフェーという遊び場がある。屋根だけで壁のない、駐車場のような広い場所にテーブルと椅子が並べられている。客は飲食をしながら歌を聴く。お気に入りの歌手があらわれれば、その値段の一部が歌手へのチップになる花の首飾りをフロア係に金を渡して歌手に贈る。贈られた歌手は歌を終えると舞台を降りて客に礼を言い、あるいはその席にしばし侍る。

カフェーは、その国が後進国から中進国、そして先進国を追撃するところまで力を伸ばし始めると、なぜか廃れていく。カンボジアではいまだ健在なカフェーは、しかしタイでは今や、田舎にしか残っていない。僕はオバチャンの「なだそうそう」を聴きつつ「そうか、タイのカフェー文化は、タワンデーンに生き続けていたんだな」と納得をした。

出しものの最後は、ここの従業員も多く舞台に上がってのダンス大会だ。その大フィナーレの最中に勘定を済ます。2,100と少々の請求書を持って来た、色の浅黒い、タイ人特有の細身のウェイトレスに、家内は2,200バーツを渡した。

さて、混み合う前にタクシーを拾わなくてはならない。係へのチップとして100バーツ札1枚を胸のポケットに用意して駐車場へ出て行くと、空車の赤いランプを点したタクシーが1台、路上に停まっていた。駐車場係の水色ではない、白いシャツを着た男が「タクシー?」と訊く。「チャーイ、ミータータクシー」と答えると、その男は頷いてタクシーを指す。帰りの足は難なく確保することができた。

色の黒い、痩せた、大人しそうな運転手にタイ語で行き先を伝える。運転手はクルマを静かに発進させた。往きとは異なって、10分ほどでホテルに着く。71バーツのメーターに対して運転手には100バーツを払い、釣りは要らないと言葉を添える。

部屋のエアコンディショナーが、なぜか効かない。しかしシャワーを浴びればそれほど寝苦しい夜でもない。そして部屋に備えつけの絹のガウンを着て0時前に就寝する


朝飯 “Mandarin Oriental Hotel”の朝のブッフェの1皿目2皿目コーヒーとマンゴージュースペストリーとチーズヨーグルトセンミーナムマンゴー
晩飯 “Tawandang German Brewery”の野菜炒め豚足の関節揚げラガービール、チリのソーヴィニョンブラン


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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