2017.10.8(日) 庭の小径
タイから戻ると即、ホテル予約サイト”agoda”のページには「おかえりなさい 次の旅行を計画しませんか?」という文字が現れた。次の旅行は来年の3月になるだろうか。しかしいまだ計画をする段階ではない。
それはさておき、チェンコンで泊まったホテルを去るとき「agodaのレビュー、よろしくお願いします」と、フロントの太った愛想の良い係に頼まれた。勿論、僕は快諾をした。”agoda”のレビューはもともと、いつも書いている。
今回の旅では3軒のホテルに泊まった。そのうちチェンコンとバンコクのホテルのレビューは日本語で書いた。チェンライで泊まったホテルのレビューのみ、ホテルの人も直に読めるよう、英語で書いた。その、日本語による内容は以下だ。
「プールサイドと庭は、喫煙の可能な場所か、否か?」
「プールサイドと庭は、痰を吐くことの可能な場所か、否か?」
「プールサイドの茂みや庭に、煙草の吸い殻を捨てる客が存在する」
「自分はホテルの全面禁煙を望み、また行儀の良い客を望む」
すぐには改善をされなくても、ホテルに僕の意見が伝われば幸いである。朝食のテーブルとは目と鼻の先の、庭師が手入れを欠かさない小径で「カーッ、ペッ」と痰を吐かれては、折角のオムレツも台無しではないか。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、牛肉と車麩と牛蒡の炊き物、スペイン風目玉焼き、納豆、ズッキーニのぬか漬け、メシ、揚げ湯波とほうれん草の味噌汁
昼飯 「ふじや」の雷ラーメン
晩飯 鰯の梅煮、若布と玉葱の味噌汁、大豆と人参と昆布の淡味炊き、トマトと「らっきょうのたまり漬」を刻み込んだポテトサラダ、麦焼酎「高千穂零」(お湯割り)
2017.10.7(土) 帰国
02:35 周囲の物音で目を覚ます。朝食の配膳が始まっている。
03:17 機は沖縄と九州の間を飛行中。
04:07 トイレで歯を磨く。ノックをされて外に出ると、客室乗務員さえ着陸に備えて席に着いていた。
04:22 ”TG0682″は定刻より33分も早く羽田空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。
06:43 パスポートコントロールを抜ける。
06:56 バゲージクレームの回転台に荷物が出てくる。
06:57 税関検査を抜ける。
07:00 京浜急行空港線の羽田空港国際線ターミナル駅のプラットフォームに出る。
07:06 泉岳寺行きの車両が発車をする。
泉岳寺で乗り換えた都営浅草線の車両の中で、浅草08:00発の下り特急スペーシアの特急券を調べると満席だった。よってその次の、08:30発のそれを買う。下今市駅には家内に迎えに来てもらった。
家を出てから13日が経っている。そのわずかな間にも、「らっきょうのたまり漬」は今年の新物になっていた。新商品「ごぼうのたまり漬」が蔵出しされていた。ヤマトの送料が上がって、お客様からの地方発送のご注文には、暗算での応答ができなくなった。そして昨年11月7日に産まれた孫は、何かに掴まらなくても立てるようになっていた。
晩飯はチムジュムでも良かったけれど、用意をされたのは日本の食事だった。不覚にも日本酒に酔い、食堂の固い椅子でうたた寝をする。
朝飯 “TG0682″の機内食
昼飯 10月4日にチェンライのセブンイレブンで買い、麺だけチムジュムの鍋で煮たタイのインスタントラーメン「ママー」の残りのスープによるうどん
晩飯 チーズの「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、鮭の親子漬け、胡瓜の若布の酢の物、ほうれん草の胡麻和え、銀鱈の西京焼き、大根とズッキーニのぬか漬け、薩摩芋の飴煮、「丸山酒造場」の「雪中梅純米原酒」(燗)
2017.10.6(金) タイ日記(12日目)
バンコクの朝はいまだ暗い。枕元の明かりを点け、起きて部屋を一巡する。洗面所の歯ブラシがシャワーブースの石鹸置きに寝かせてあるということは、覚えてはいないものの、昨夜はシャワーを浴び、歯も磨いたということだ。ふとデスクの引き出しを開けると、見覚えのあるシールが貼ってある。そのことから、今回の2015室が、6月に泊まったと同じ部屋であることを知る。
きのうの午後、つまり酒を飲む前に「明日にすべきこと」としてメモしてデスクのスタンドに貼りつけたポストイットに目を遣る。そしてコンピュータを立ち上げ、日本時間で9時になったら連絡すべき電話番号の、頭に+81を付けてiPhoneに再登録する。
朝食は、チャルンクルン通りを北へ向かって左側の歩道を歩き、すこし行った左側の馴染みの店でバミーナムを注文する。タイの食べ物屋では、客は帳場まで歩いて金を払うことはしない。店の人を席に呼んで金のやり取りをする。この店も、今年の6月に来たときはそうだった。しかし今回まわりを見まわしてみれば、タイ語と英語と中国語による写真付きのメニュがある。ステンレス製の箸入れにも英語の表記がある。そして今日はじめて見る息子らしい人の座るボックスには”Cashier”のシールが貼ってある。若い人が店に帰ってくると、それだけで、色々なことが変わってくるのだ。僕もこれまで通りではなく、その”Cashier”で50バーツを支払う。
きのうフロントで交渉をした結果、ホテル側はチェックアウトの時間を通常の正午から14時に延ばしてくれた。よって午前中はずっとプールサイドで本を読む。隣の寝椅子のファランは”JOE BURNER – MY STORY”を読んでいた。
昼食はやはりチャルンクルン通りの老舗「新記」の扉を押す。ローストダックを商って数十年のこの店もまた、朝のクイティオ屋と同様、昨年2月に来たときより諸々が進化していた。
13時45分にロビーに降りてチェックアウトをする。きのうチェンライからバンコクへ飛ぶ機内で書いた絵はがき8通を投函するため郵便局の場所を訊くと、ホテルから出して上げるとフロントのオネーサンは請け合い、1通あたり20バーツの価格を提示した。切手代は15バーツで間違いはないものの、細かいことは言わずに160バーツを手渡す。
以降はそれほど暑くない今日の天気を幸いとして街歩きをしたり、喫茶店で本を読んだり、あるいはマッサージを受けたりする。そして17時を前にホテルに戻り、ベルに預けた荷物からラオカーオを取り出し、セブンイレブンでソーダを買う。
バンラック市場ちかくの屋台街は、高速道路に激しい渋滞の発生する金曜日に空港へ向かうときには、特に使いやすい夕食の場だ。ここに席を得て、先ずはヤムウンセンと氷を注文する。コモトリ君はサトーンの桟橋で舟を下り、17時45分ころに合流をした。
「せっかく旅行に来てんだ、もっとマシなところでメシ、
コモトリ君は空港に向かう僕と共に、サパーンタクシンから”BTS”に乗った。そして口直しのため、サラデーンで降りていった。サイアムで乗り換えパヤタイに移動をすると、空港までの”ARL”はプラットフォームに人が溢れることを防ぐため、改札規制をしていた。時刻は19時38分。やがて僕もプラットフォームに上がる。空港行きの車両は19時45分に発車をした。
20:17 スワンナプーム空港着。
20:30 チェックインを完了。
20:44 手荷物の保安検査場を抜ける。
20:59 パスポートコントロールを抜ける。
21:24 自動販売機で、35バーツの高い、しかし売店の90バーツよりは安い水を買う。
21:26 C4ゲートに達する。
22:22 搭乗が開始をされる。
22:27 背もたれを最大に倒しても、誰にも迷惑をかけない最後尾の席に着く。
22:52 ”BOEING 777-300E”を機材とする”TG0682″は定刻に7分を遅れて離陸。
23:10 ベルト着用のサインが消えたところでデパスとハルシオン各1錠ずつを飲み、座席の背もたれを最大に倒す。
朝飯 チャルンクルン通りの馴染みのクイティオ屋のバミーナム
昼飯 「新記」のバミーヘンペッ
晩飯 バンラック市場ちかくの屋台街のヤムウンセンプラームック、ソムタム、チムジュム、パッタイ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2017.10.5(木) タイ日記(11日目)
今朝は8時に迎えのクルマが来る。よって食堂には、いつもよりずっと早い 6時30分に降りた。そのお陰で、朝食会場は、この時間にはとても空いていて快適なことを知る。
07:45 ホテルをチェックアウトする。
07:55 迎えのクルマに乗る。
08:13 メイファールアン空港着。
08:15 空港内の郵便局から13通の絵葉書を投函する。切手代は1通あたり15バーツ。
08:55 チェックインを済ませ、出発のための待合室に入る。
タイスマイル航空のボーディングパスに印刷されている搭乗口は3番ゲート。それが直前で2番ゲートに変わる。珍しいことではない。
10:18 “AIRBUS A320-200″を機材とする”WE131″は定刻に18分遅れて離陸。
10:45 年賀状の返信8枚を機内で書く。
11:27 ”WE131″は定刻に7分遅れてスワンナプーム空港に着陸。
12:04 バゲージクレームの回転台からスーツケースが出てくる。
12:09 空港ビル1階からタクシーに乗る。
「ホテルはセンターポイントシーロム。バンラック市場の近く」と、運転手にタイ語で告げる。運転手は脱力感満点の静かな男だった。ワイパーを最高速で動かしても充分な視界の得られない豪雨がいきなり降り始め、タクシーはそれまでの時速90キロを70キロに落として西へと走る。その土砂降りはいくらも経たずに上がった。ホテルに着いた時刻は記録していない。
社員への土産はチェンライで半数は確保しておいた。なぜすべてを一度に買わなかったかといえば、数が揃わず買えなかったのだ。残りは他ものになっても仕方がない。各々にも好みがあれば、同じものである必要はないだろう。ジャルンクルン通りを南へ歩き、消防署となりの店でカオマンガイを食べる。その帰り道でようやく、土産の残り半数を買い足す。
業界の旅行で海外へ行った折などに見ていると、社員に土産を買う社長は皆無だ。しかしウチにはむかしから、経営者が社員に土産を買って帰る習慣がある。僕は買い物をそれほど好む方ではないけれど、社員にも旅の土産をもらうことはあるから、まぁ、お互い様である。
チェンライに引き続き、夕方まではプールサイドで本を読む。チェンライのプールサイドには、鳩の声が届いていた。それがバンコクでは、バスやクルマやオートバイ、トゥクトゥクなどの排気音に変わる。
17時にサパーンタクシンの船着場へ行く。舟に乗るための浮き桟橋が、待合所の椅子に腰かけ待つ人の胸の高さまでせり上がっている。大変な水の多さである。同級生コモトリケー君の住むコンドミニアムの専用船に乗り、チャオプラヤ川を遡上する。巨大な商業施設アイコンサイアムが、徐々にできあがりつつある。
取りあえずはコモトリ君の家に上がり、そこから川沿いにある料理屋に降りる。雨期であり、十五夜の次の日であり、上げ潮ということも関係しているのだろうか、大型船が行き交うたび木の床には波が押し寄せ、時によっては我々の足元を濡らした。
帰りは料理屋の専用船でサパーンタクシンまで送ってもらう。客は僕ひとりにて、船頭には駄賃をはずんでおいた。
ホテルまでの道すがら、スーパーマーケットのトップスに寄る。その酒売り場には”the End of Buddhist Lent Day”のため木曜日の0時から金曜日の0時までは酒を売れない旨の張り紙があった。先ほどの料理屋でコモトリ君がビールを頼むと「カオパンサーだから酒は出せない」とウェイトレスに教えられた。なるほど今日は、タイではどこもかしこも酒を売れない入安居だったのだ。もっともいつものようにラオカーオを持参した当方には、特段の不便は無かった。
部屋に戻り、出る前に回しておいた洗濯機から洗い上がったシャツや靴下を出す。それを外のベランダに干して以降の記憶は無い。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、コンデンスミルクを底に沈ませたコーヒー、中華粥
昼飯 “Meng Pochana”のカオマンガイ(トムトーパッソム)
晩飯 “YOK YO MARINA & RESTAURANT”のサイクロークイサーン、プラームックパッポンカリー、トードマンクン、パックンガティアム、プラーガッポンヌンマナオ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2017.10.4(水) タイ日記(10日目)
早朝に窓を開け、壁から30cmほど突き出した、これは掃除用の足場なのだろうか、そこに片足を付き、東の方角を眺める。コック川の面はいまだ暗い。しかし空は明けつつあって、朝の光が二条、三条、四条と、北に向けて伸びている。変わりやすい雨期の天気だが、今日はどうなるだろう。
僕は、年賀状を書く習慣を持たない。しかし届いたものには返事を書かないと、心の居心地が悪い。返信は旅先で書く。しかし今回はどうにも気分が乗らなかった。本日は遂に意を決し、いただいた年賀状、そしてタイに来るたび買い溜めた絵はがきをショルダーバッグに納めて散歩に出る。
先日、サナムビーン通りに足を延ばした際に、大きな窓を持つカフェが目に留まった。何しろそのような店には慣れていないから恐る恐る戸を引き、席に着く。そしてアイスアメリカーノを注文する。ハガキは90分で11枚が書けた。ボールペンを握り続けた右手の指は棒のように引きつってしまったものの、気持ちは軽くなった。
その11枚を持ち、きのう見つけた抜け道を通ってワンカムホテルの裏に出る。そのそばの、何とも言えない紫色に塗られたエジソンデパートに入り、郵便局の出張所を目指すと、空しいかな、そこはジュース売り場に変わっていた。店内を一巡するも、出張所の姿は見えない。そのまま外に出て、例の酒屋ちかくの土産物屋で絵はがき10枚を補充する。そして3日前にも来た、店名の最後に”2″の付くクイティオ屋で、今度はバミーナムムゥを昼食とする。
床屋には、日本を出る4日前にかかっていた。しかし早くも今朝は髪に寝癖が付いていた。というわけで昼食の後は、ふたたび目抜きのパフォンヨーティン通りに戻り、一昨年、昨年と続けて世話になった床屋の扉を押す。
昨年の、店主らしい男とのやりとりから、僕の髪を刈るバリカンには2番のアタッチメントがちょうど良いことを知っていた。よって今日の係にもそれを伝えた。しかしその「2番」を使い始めた店員は「これではいくらも刈れませんよ」というようなことを言う。よって髪には更に短い1番を使ってもらい、しかし髭には昨年とおなじ2番を使ってもらう。
散髪代は260バーツだった。その内訳は、丸刈り、髭、シャンプー、耳掃除がそれぞれ80バーツ、50バーツ、80バーツ、50バーツだと思う。
いつもの道を辿り、ホテルに戻る。ボーイの開く扉から、薄暗く、涼しく、タイの古い音楽の流れるロビーに入るといつも、ホッとする。ロビーにはプミポン前国王の、今月25日から5日間にわたり行われる葬儀のために、今朝は祭壇が設けられた。
空はおおむね晴れている。14時30分にプールサイドに降りて、17時まで本を読む。プールでは一時、おととい街へ向かうシャトルバスに乗り合わせた、日本人に似た容姿の静かな女の人が泳いでいた。キャップとゴーグルを身につけ、とても整った平泳ぎである。多分、真面目な人柄なのだろう。
ホテル18:00発のシャトルバスに乗ると、またまたその女の人も乗り込んできた。「ずっと黙っているのも…」と考え、後ろを振り向き声をかけてみる。癌でこちらの病院に入院している親戚を見舞いに来て金曜日に戻ると、女の人は堰を切ったように話し出した。静かではあるけれど、それはひとり旅によるものだったのだ。先方にも好みや都合があるだろうから、フードコートでの夕食に誘うことはしなかった。
いつものように、チムジュムを肴にラオカーオを飲む。チェンコンに入った晩には弓張り月の弦をすこし膨らませたほどだった月が、すっかり丸くなっている。鍋の中身を食べ尽くすころ、舞台ではいつもの曲に合わせて踊りが始まる。その1曲目が終わると同時に席を立ち、トゥクトゥクを拾ってホテルに戻る。
ここ数年のトゥクトゥクの相場は、昼が80バーツ、夜が100バーツだが、今夜のオジサンの言い値は80バーツだった。値切れば今でも、それくらいで乗れるのかも知れない。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、コンデンスミルクを底に沈ませたコーヒー、中華粥
昼飯 店名の最後に”2″の付くクイティオ屋のバミーナムムゥ
晩飯 ナイトバザールのフードコート32番ブースのチムジュム、その鍋で煮たママー、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2017.10.3(火) タイ日記(9日目)
早朝は日記を書き、日が昇ったらコック川の水面を間近に臨む食堂で豊かな朝食を摂る。昼は街の散歩、水泳、プールサイドでの本読み、夜は地元の人に交じっての飲酒喫飯。毎日これを繰り返して一向に飽きない。
今日はサナムビーン通りからジェットヨット通りへの抜け道を見つけた。個人の屋敷の庭に、なぜこのような古い、しかしランナー様式でもなさそうな建物を作ったのだろう、と感じる不思議な家が、その抜け道にはある。ひとけのまったく感じられないところが不気味だ。
ジェットヨット通りには新しいタイ語の学校ができていた。チェンライに長く滞在し、タイ語の会話を学びたい気持ちが僕にはある。そのジェットヨット通りからパフォンヨーティン通りに抜ける道に長期滞在型のゲストハウスがある。生意気ながら、僕にはプールサイドでの本読みが欠かせないから、この手のところには泊まる気がしない。
ロンリープラネットでは隨分と褒められている料理屋「ムアントーン」とおなじ交差点にある、先日も来たマッサージ屋”PAI”で、2時間のマッサージを受ける。左肩を叩きながら「ここが痛い」と言うと、ジェップさんはそこにオイルを入念に擦り込みながら、強い力で押し、揉んでくれた。
正午から2時間ほども回っていたため、おかずメシ屋「シートラン」では従業員が遅い昼食を摂っていた。そのすぐ脇で2種のおかずのぶっかけメシと厚揚げ豆腐とキャベツのスープ煮を食べる。
チェンライの中心部ではもっとも交通量が激しいと思われる交差点の角から消えた「ドイチャンコーヒー」が諦めきれず、ホテルにいるときgoogleマップで調べたところ、タナライ通りにも同じ名の喫茶店のあることが分かった。よって遠回りをしながら向かうと、先ずは改装中らしい建物に”DOI CHAANG COFFEE”の名を大書したシートが垂らされていた。そこから東にすこし行くと、そこにもまた「ドイチャンコーヒー」があった。ベランダの席に着き、昼食より高い価格に逡巡しつつエスプレッソを注文する。やはり消えた「角の店」のそれの方がよほど美味い。「角の店」が、いま改装中の建物に移ってくるなら嬉しい。
市場の場外を巻き、田舎のデパートというおもむきのスーパーマーケットの中を通り抜けて、崖下の道へと向かう。雨が降り始めている。一般道からドゥシット島に架けられた橋を渡ると、警備小屋の庇の下で待つよう警備員に言われる。間もなくホテルから電動自動車が迎えに来てくれる。
今日もまた、ホテル18:00発のシャトルバスでナイトバザールへと向かう。そのゲート前から来た道をすこし戻り、いつもの酒屋でラオカーオ”BANGYIKHAN”1本を補充する。チェンコンの”TESCO Lotus”では156バーツだったこれが、この店では165バーツで売られていた。日本から持参した分も含めれば4本目のラオカーオである。
チェンライでは、庶民が集まるオープンエアのフードコートでさえ全面禁煙だ。よって食事の最中に喫煙者の吐き出す煙が当方の鼻孔に届き「ちょっと、勘弁してくれよ」という不愉快な思いはせずに済む。チムジュム美味し。ラオカーオ美味し。
舞台の踊りの1曲目が終わり、踊り子が裏に引っ込んだところで席を立つ。そしてトゥクトゥクに乗ってホテルに帰る。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、コンデンスミルクを底に沈ませたコーヒー、中華粥
昼飯 「シートラン」の2種のおかずのぶっかけメシ、厚揚げ豆腐とキャベツのスープ煮
晩飯 ナイトバザールのフードコート32番ブースのチムジュム、ヤムママー、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2017.10.2(月) タイ日記(8日目)
日本の常識とは異なり、南の国では太陽の光の直に差し込まないことが、居心地の良い部屋の条件である。ほぼ北に面した窓の外が、徐々に明けてくる。雲間にうっすらと橙色が差しているのは、東の空の朝日を映しているのだろうか。
タイでこれまで足を運んだ街は、バンコク、南端のナラティワート、東端のウボンラチャタニー、北はチェンマイ、プレー、チェンコン、そしてチェンライだ。このチェンライ以外の街を巡って、またチェンライに戻ってくると、この街の良さを改めて、つくづく感じる。田舎の落ち着きと、街の賑やかさの双方が、高い次元で均衡しているのだ。そして特筆すべきは食べ物が美味い。
昼はバンパプラカン通りからジェットヨット通りに折れて南に歩き、ワンカムホテル裏の麺屋「カオソイポーチャイ」へ行く。この店ではこれまで店名にもあるカオソイやバミーナムを食べてきたが、今日は初めてバミーナムニャオを注文する。そしてその美味さに驚く。これからは、この店に来るたび、僕はこればかりを注文するかも知れない。
空は曇っているものの、部屋にいては勿体ないため、本を持ってプールサイドに降りる。きのうの夕方プールに群れていた白人たちは、ホテルの中から綺麗さっぱり消えている。白人とはいえ、日本人と同じような慌ただしい旅をする人たちも存在するのだ。
夜はきのうに引き続き、ホテル18:00発のシャトルバスに乗る。日本人と見まがう容姿の、しかしそうでもなさそうな、とても静かな女の人も乗る。ひとりで旅しているところからして、大陸の中国人ではなさそうだ。
目抜き通りでバスを降りる。白地に”CHIANG RAI NIGHT BAZZAR”と紺色で大書した門をくぐり、ナイトバザールに入って行く。そしてそのいちばん奥の、黄色く塗った鉄製の椅子とテーブルのフードコートに席を占める。32番ブースのオバチャンのチムジュムは、先ずはすべての野菜を鍋に入れ、それが煮えたところで豚肉を加える。鶏卵は溶き卵にすると雲のように散ってしまうため、炭の火が弱まってからポーチトエッグにする。
セブンイレブンでは9バーツのシンハソーダが、このフードコートの酒売り場では10バーツだから、とても良心的だ。ウェイター役のオニーチャンたちの制服は、昨年の赤いポロシャツから、今年は黒いTシャツに変わっている。今日は月曜日のため、舞台の踊りはなく、客の数もきのうほどではない。
そうしてふたたび目抜き通りに出てトゥクトゥクを拾い、ホテルに帰って20時台に就寝する。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、コンデンスミルクを底に沈ませたコーヒー、ガオラオ
昼飯 「カオソイポーチャイ」のバミーナムニャオ
晩飯 ナイトバザールのフードコート32番ブースのソムタム、チムジュム、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2017.10.1(日) タイ日記(7日目)
チェンライは北方の田舎とはいえ街の規模は小さくない。食事をするところは夜になっても数え切れないほどある。よってチェンコンにいたときのように19時台に就寝するようなことはない。それが幸いして朝も、午前0時台に目を覚ますようなことはなくなった。今朝の起床は5時台である。
タイに来て何が有り難いかといえば、自らを時間の枠に収める必要が無い、というところがいちばん有り難い。もちろん、このホテルの朝のブッフェは5時30分から10時30分までのあいだしか供されない。夕方までに洗濯物を受け取ろうとすれば、それを朝のうちにメイドに手渡す必要がある。バスは運行時間が決まっている。それでも1日のほとんどは自由時間だ。
午前中は仕事と思っていたけれど、空は晴れ、窓から見るプールに客はひとりもいない。よって10時にプールサイドに降り、11時20分まで本を読む。
街で昼食を摂るべく外に出ると「お車ですか、歩きですか」とベルボーイのひとりに声をかけられる。このホテルに泊まりながら街まで歩く客は希なのだ。「歩きです」と答えると、ベルボーイは僕を、外の道の手前まで電気自動車で送ってくれた。
バンパプラカン通りを時計塔から東へ歩き、右手にホテル”Le Patta”を過ぎたあたりで左に折れる。そこからすぐの左手にある、タイ語だから読めないけれど、看板の店名の最後に”2″の付くクイティオ屋に入る。そしてバミーヘンを食べる。
タイ料理の特徴は甘さと辛さと酸っぱさと聞く。僕は必ずしもそうとは感じないけれど、この店のバミーヘンのタレは甘かった。もっとも日本の炸醤麺の味噌も甘いといえば甘いから、驚くようなことでもないのかも知れない。
コーヒーは、日本にいるときには時間調整のため喫茶店で本を読む、というようなときにしか飲まない。つまり特に好きなわけではない。そんな僕の感想だから信用は得られないかも知れないけれど「これほど美味いコーヒーを出す店が日本にあるだろうか」と、常々感心をしていたのがドイチャンコーヒーだ。その、バンパプラカン通りとラタナケット通りの交差点にあった店が消えている。赤い土の空き地には”Green Hill Bizhome”という看板が立てられている。貸事務所のようなコンドミニアムが建つのだろうか。チェンライに来る楽しみが、ひとつ減ってしまった。
ホテルへの帰りはすこし寄り道をして、バンパプラカン通りから旧飛行場へ南下するサナムビーン通りに入ってみる。30年前までは数十軒もの置屋が紅灯を連ねていたというこの通りだが、今は洒落た店も多い。そんな中に昔ながらのクイティオルア屋を見つける。この店にはいつかかならず来たい。
旧時計塔のある市場のいわば場外を回り込み、ホテルに戻る。シャワーを浴びて以降はきのうの日記を書き、また長男とメールで諸々のやり取りをする。
プールには夕刻になって、白人の数がいきなり増えた。このホテルとしてはすごい人数だ。団体客が到着をしたのかも知れない。そういえば国慶節は今日からではなかったか。このホテルで目立つのは何といっても白人で、中国人はそれほどでもない。
ホテルと街を結ぶシャトルバスの、18:00発の切符を60バーツで買う。切符には「往復120バーツ」の表記があるけれど、実際には、帰りに乗っても運賃は往路の片道分しか取られない。ミニバンの客は僕ひとりだった。
パフォンヨーティン通りからナイトバザールのゲートをくぐる。色とりどりの露店のあいだを抜け、左に右に折れながら、チークによる重厚な普請の観光客用ではなく、テーブルも椅子も黄色い鉄製の、庶民用のフードコートに席を得る。そして多分、3年前からはこの店のものしか食べないチムジュムを、いつものオバチャンに注文する。
「タイに帰ってきたの?」
「うん、おととい、チェンコンからね」
「辛さは無し? それとも少し?」
「ふつう」
ガイジンだからといって、料理の辛さを手加減されることを僕は好まない。
舞台では6人の踊り子による踊りが始まった。音楽は聞き慣れたいつものそれだ。日はいつの間にか暮れている。そして来たときは疎らだった客が、気づけばほとんどのテーブルを満たしている。チムジュムを食べ終え、酒を飲み終え、最初のステージを終えた踊り子たちの後ろを歩いてフードコートを去る。
時刻は19時20分、帰りのシャトルバスは、ナイトバザールのゲート前を、19時を除く毎時15分に出る。目抜き通りを南に歩き、行きつけのマッサージ屋”PAI”の扉を押す。そして足と肩のマッサージを受け、21:15発のバスでホテルに戻る。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、コンデンスミルクを底に沈ませたコーヒー、中華粥
昼飯 店名の最後に”2″の付くクイティオ屋のバミーヘンムゥ
晩飯 ナイトバザールのフードコート32番ブースのチムジュム、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2017.9.30(土) タイ日記(6日目)
“Dusit Island Resort”はコック川の中洲に建ち、街とのあいだには1.5キロの距離がある。街で用を足すためには往復3キロを歩かなければならず、不便といえば不便だ。しかし木と漆喰による重厚で落ち着いた屋内、部屋からの良好な眺望、朝食の豊かさなど、他のホテルには代えがたい良さがある。
オムレツは、コンロの右側に用意されている6種の具すべてを入れてもらう。お粥も、生玉子を除くすべての具を入れてもらうつもりでいたが、僕の説明不足から、全部入りは全部入りでもガオラオ、つまりスープになってしまった。しかしそのスープも、もちろん悪くない。
今日は朝からどんよりとした空模様だった。やがて雨も降ってきた。よって午前中は部屋にいて、きのうの日記を書いたり、あるいは調べごとをしたりする。昼がちかくなるころ、降ったり止んだりしていた雨が上がる。身支度を調え、街に出る。昼食はいままで入ったことのない店で、僕としては珍しく、カレーライスを食べた。
チェンライの酒屋は品揃えが少ないところから、好みのラオカーオ”BANGYIKHAN”は、チェンコンの”TESCO Lotus”で見かけて2本を確保しておいた。本日、行きつけの酒屋の店の中を通りから覗いたら、今回に限ってはその”BANGYIKHAN”が何本も並んでいるのだから皮肉なものである。
ホテルに戻る途中で晴れてくる。それと同時に、一気に蒸し暑さが増す。部屋に入ってシャワーを浴び、ベッドに横になる。そして窓から緑の疎林、青い空、白い雲を眺める。いつまで部屋にいては勿体ない天気だ。タイパンツをパタゴニアの短いパンツに履き替え、プールサイドに降りる。そして16時30分まで本を読む。
旅先で便利や不便を感じるたび、そのことを忘備録に箇条書きする。「チェンライのサタデーマーケットでは、17時から通りに入り、18時に広場へ行かないと良い席は取れない」というのも、そのひとつだ。その注意書きの時間にすこし遅れて外へ出る。途中の、旧時計塔が17時17分を指している。
土曜市の開かれるタナライ通りには、今すぐにでも商売の始められる露店もあれば、準備中の店もある。その驚くほど長いにわか作りのマーケットを通り抜け、セブンイレブンで氷を買う。昨年は見かけなかった、生の状態で選び、店の奥で焼いてもらう式の串焼き屋に目が留まる。ここで7本を購入し、更に別の店でホイトードを買う。そしていよいよ広場に入っていく。
「18時に広場へ行かないと良い席は取れない」という僕の覚え書きは甘かった。広場の椅子は、そのほとんどが埋まっていた。モーラムでもルークトゥンでもなさそうだけれど、しかしポップスでもない歌のライブが行われる舞台からはかなり離れたところにようやく席を見つけ、ここに今しがた買った肴と氷、持参したラオカーオとソーダを広げて晩酌を始める。
30分ほども経つと日は落ち、広場には人が満ちる。右に左に視線を泳がせつつ席を探す親子を手招きする。椅子に座れると座れないとでは大違いだ。帰りぎわ「あなたもお礼を言いなさい」と両親にうながされ、長男は僕にに合掌をしながら「コップンクラップ」と頭を下げた。思わず僕も立ち上がり、手を合わせる。間もなく、男ふたりを引き連れたオネーチャンを、これまた手で招く。彼らにもまた、感謝の意を伝えられる。
同席者を得ると、そこから安心して離れることができる。ペットボトルには不覚にも、きのう飲んだ後にラオカーオを足しておくことを忘れていた。よって通りを隔てたセブンイレブンまで缶ビールを買いに行き、串焼き屋で4本を追加注文する。
チェンライのこの土曜祭には、指折り数えてみれば僕は5年連続で来られている。有り難いことだ。歌のオジチャンは今夜も絶好調であり、その歌に合わせて踊るオバチャンたちも、また絶好調である。それにしても、土曜日の夜にタナライ通りに出る屋台の種類と数の多さ、また広場での踊りや食事を楽しむ人たちの数には圧倒されるばかりだ。そして昨年、実際に目にしたことだけれど、明日になれば、この広場は綺麗に片付けられ、ひとつのゴミも残さないのだ。見事と言う他はない。
チェンライに、これほど素晴らしい週末夜市を実現させたのは、どこの誰だろう。そしてそれを今なお続けられている理由は何だろう。できることなら関係している人から話を聞いてみたい。
帰り道では、中学生と思われる年ごろのブラスバンドが演奏をしていた。上手とは言いがたかったが、20バーツを箱に入れる。旧時計台のある市場まで戻ってくると、時刻は20時を過ぎていた。そこから更に10分ほどを歩いてホテルに戻り、シャワーを浴びて即、就寝する。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、コンデンスミルクを底に沈ませたコーヒー、ガオラオ
昼飯 名前を知らない店のゲーンハレー、ごはん
晩飯 サタデーナイトマーケットの屋台のモツ焼き、小さな貽貝のホイトード、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)、チャンビール
2017.9.29(金) タイ日記(5日目)
目を覚まして枕頭のiPhoneを取り上げ、ホームボタンを押して時刻を見ると、0時36分だった。極端な早寝早起きによる昼夜逆転である。今日は移動日で時間に追われるため、きのうの日記を完成させる。また、荷造りも済ませてしまう。チェンコンに来た日に買った6本パックのソーダの残り2本、またきのう2本のペットボトルに移し替えたラーカーオが荷物を重くしている。
チェンコンからチェンライへ帰る道中で何かあった場合に備え、朝食はメニュからオレンジジュースのみ断り、他はすべて食べた。部屋に戻って忘れ物がないか調べ、8時15分にフロントに降りる。そして8時20分にホテルを出る。今にも雨の降り出しそうな雲である。橋を渡り坂を上がって、市場の入口には8時29分に着く。あまりの空の暗さに、二輪車はヘッドランプを点けて走っている。強く風が吹き始める。
「ベンチで待つうちチェンライ行きのバスは来るだろう、そうしたら乗り込んで、9時の出発を待つばかりだ」と考えつつ奥へ進んでいくと、いま正に8時30分発の、チェンライ行きではあるけれど、かつての山道を辿り、メーフォン経由でチェンライに至るバスが走り出したところだった。
「ウォイ、ウォイ、ウォイ」と、市場で働くひとりがバスに向かって大声を上げる。「待て、乗客がもうひとりいるぞ」という意味だろう。メーフォン経由は時間がかかると聞いていたため、当方にその意思はなかったものの、親切なタイ人には義理立てをしなくてはならない。背中にザック、右手にスーツケースを持ち上げ、後ろのタラップから車内に駆け上がる。バスが街道に出るまでの数十秒のあいだに、遂に雨が降り始める。それもいきなり強く。
最後部の席の男の人に「これは直行便ではないですよね」と、念のため確かめる。相手は山道を表すように、右手の人差し指で空中に曲線を描いた。そして「どちらから」と訊いた。僕は”JAPAN”と答える。ここまでは英語の会話である。すると相手は「えっ、日本の方ですか、私も日本人です」と、驚いたように声を上げた。数えるほどしか客の乗っていない田舎のバスで、珍しいこともあるものだ。
男の人は僕よりひとつ上で、タイにはじめて来たのは僕とおなじ20代のはじめ。今は引退をして、チェンライとチェンコンのアパートを交互に行き来しつつ、タイの北部を歩いて楽しんでいるという。以降はずっと、その男の人と会話を続けた。
メーフォン経由の道は時間がかかると聞いていたものの、バスは10時59分にチェンライのバスターミナル1に着いた。所要時間は2時間29分。強雨の中を走り続けたにもかかわらず、直行便による往路に4分しか遅れていない。チェンコン発08:30発に飛び乗ったのは正解だった。
古いバスターミナルが改装中とは月曜日の日記にも書いた。現在の待合所は、ぬかるみに椅子を置き、テントを立てただけの粗末なものだ。道中、雷を伴うこともあった雨は、いまだ続いている。テントの横にはトゥクトゥクが”tail to nose”の状態で並び、客を待っている。ここでトゥクトゥクに乗れば濡れずに済む。乗ればホテルに行くしかない。ホテルと街のあいだには1.5キロの距離がある。当然、昼食はホテルに頼ることになる。しかし朝食はとにかくとして、昼食や夕食をホテルで摂る気はしない。
痩せ我慢をしてテントの外に出る。幸いなことに、雨は弱まり始めた。清潔そうな汁麺屋の前を通り過ぎ、すこし考えて、その店に引き返す。そしてバミーナムと告げる。女の人が「豚か牛か」とタイ語で訊く。「豚」と答えておもむろに、外の雨の様子を眺める。
いつもの崖下の道をトゥクトゥクは軽快に走り、ホテルには11時45分に着いた。予約時に書き送った希望のとおりではなかったけれど、ベルボーイには、そのふたつ奥の部屋に案内をされる。眺望はこちらの方が良さそうだ。雨は止み、日が差しはじめている。
風呂桶の湯に、5日ぶりに浸かる。チェンコンにいたときには、外から部屋に戻るたび、シャワーで汗を流していた。今日は朝からの雨が地表を冷やしたのだろうか、部屋にいても、靴下と靴を身につけたいほどの涼しさである。午後はずっとコンピュータに向かう。
部屋の周囲では、僕の知らない言葉を話すヨーロッパ系の白人が、しごく騒がしい。一族郎党で旅に出れば、それも仕方の無いことなのかも知れない。
18:00発のシャトルバスで街に出る。チェンライにいるときの夕食は大抵、ナイトバザール奥の、ほとんど地元の人しかいないフードコートで摂る。ここへ来たら、何と言ってもラオス風の土鍋チムジュムである。しかし、それをひとりで食べきれるほど腹は空いていない。よって今日のところはその手前にある観光客のためのオープンレストランにて、肉を避けつつ肴を選ぶ。
朝飯 “FORTUNE RIVER VIEW HOTEL”のトースト、ハムとソーセージを添えた目玉焼き、コーヒー、タイの標準語ではファラン、北部の方言ではマッキャオと呼ばれる果物と西瓜
昼飯 バスターミナルちかくの汁麺屋のバミーナム
晩飯 ナイトバザールの観光客用オープンレストランのソムタム、プラームックヌンマナオ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)







































