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清閑 PERSONAL DIARY

2017.10.4 (水) タイ日記(10日目)

早朝に窓を開け、壁から30cmほど突き出した、これは掃除用の足場なのだろうか、そこに片足を付き、東の方角を眺める。コック川の面はいまだ暗い。しかし空は明けつつあって、朝の光が二条、三条、四条と、北に向けて伸びている。変わりやすい雨期の天気だが、今日はどうなるだろう

僕は、年賀状を書く習慣を持たない。しかし届いたものには返事を書かないと、心の居心地が悪い。返信は旅先で書く。しかし今回はどうにも気分が乗らなかった。本日は遂に意を決し、いただいた年賀状、そしてタイに来るたび買い溜めた絵はがきをショルダーバッグに納めて散歩に出る。

先日、サナムビーン通りに足を延ばした際に、大きな窓を持つカフェが目に留まった。何しろそのような店には慣れていないから恐る恐る戸を引き、席に着く。そしてアイスアメリカーノを注文する。ハガキは90分で11枚が書けた。ボールペンを握り続けた右手の指は棒のように引きつってしまったものの、気持ちは軽くなった

その11枚を持ち、きのう見つけた抜け道を通ってワンカムホテルの裏に出る。そのそばの、何とも言えない紫色に塗られたエジソンデパートに入り、郵便局の出張所を目指すと、空しいかな、そこはジュース売り場に変わっていた。店内を一巡するも、出張所の姿は見えない。そのまま外に出て、例の酒屋ちかくの土産物屋で絵はがき10枚を補充する。そして3日前にも来た、店名の最後に”2″の付くクイティオ屋で、今度はバミーナムムゥを昼食とする

床屋には、日本を出る4日前にかかっていた。しかし早くも今朝は髪に寝癖が付いていた。というわけで昼食の後は、ふたたび目抜きのパフォンヨーティン通りに戻り、一昨年、昨年と続けて世話になった床屋の扉を押す。

昨年の、店主らしい男とのやりとりから、僕の髪を刈るバリカンには2番のアタッチメントがちょうど良いことを知っていた。よって今日の係にもそれを伝えた。しかしその「2番」を使い始めた店員は「これではいくらも刈れませんよ」というようなことを言う。よって髪には更に短い1番を使ってもらい、しかし髭には昨年とおなじ2番を使ってもらう

散髪代は260バーツだった。その内訳は、丸刈り、髭、シャンプー、耳掃除がそれぞれ80バーツ、50バーツ、80バーツ、50バーツだと思う。

いつもの道を辿り、ホテルに戻る。ボーイの開く扉から、薄暗く、涼しく、タイの古い音楽の流れるロビーに入るといつも、ホッとする。ロビーにはプミポン前国王の、今月25日から5日間にわたり行われる葬儀のために、今朝は祭壇が設けられた

空はおおむね晴れている。14時30分にプールサイドに降りて、17時まで本を読む。プールでは一時、おととい街へ向かうシャトルバスに乗り合わせた、日本人に似た容姿の静かな女の人が泳いでいた。キャップとゴーグルを身につけ、とても整った平泳ぎである。多分、真面目な人柄なのだろう。

ホテル18:00発のシャトルバスに乗ると、またまたその女の人も乗り込んできた。「ずっと黙っているのも…」と考え、後ろを振り向き声をかけてみる。癌でこちらの病院に入院している親戚を見舞いに来て金曜日に戻ると、女の人は堰を切ったように話し出した。静かではあるけれど、それはひとり旅によるものだったのだ。先方にも好みや都合があるだろうから、フードコートでの夕食に誘うことはしなかった

いつものように、チムジュムを肴にラオカーオを飲む。チェンコンに入った晩には弓張り月の弦をすこし膨らませたほどだった月が、すっかり丸くなっている。鍋の中身を食べ尽くすころ、舞台ではいつもの曲に合わせて踊りが始まる。その1曲目が終わると同時に席を立ち、トゥクトゥクを拾ってホテルに戻る。

ここ数年のトゥクトゥクの相場は、昼が80バーツ、夜が100バーツだが、今夜のオジサンの言い値は80バーツだった。値切れば今でも、それくらいで乗れるのかも知れない


朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツトースト、コンデンスミルクを底に沈ませたコーヒー、中華粥
昼飯 店名の最後に”2″の付くクイティオ屋のバミーナムムゥ
晩飯 ナイトバザールのフードコート32番ブースのチムジュムその鍋で煮たママーラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

  

上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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