2016.10.3(月) チェンライ日記(5日目)
南の国の夜は一気に明ける。6時を迎えようとするころから急に明るくなる。地軸の傾きや緯度が関係しているのだろうか。プールで泳ぐ人がいる。南の国とはいえ気温は20℃をすこし超えるくらいのところだろう。この時間から、その気温にも拘わらず水に浸かるなどは、ファランにしかできないことである。
クリストファー・ロビンではないけれど、チェンライには「なにもしないでいること」をするために来ている。もっともその僕も、日にいくつかのことはする。毎日することはメシ食い、歩行、日記書き、本読み、酒飲みである。そこに毎日ではないけれど、あれこれのよしなしごとが加わる。
今日も未明は日記書きである。そうして朝を迎え、しばらくしてから朝食会場へと降りていく。外の席には、大きなテーブルにしかナプキンと食器が置いてなかったため、小さなテーブルにもそれを用意するよう、ウェイターに言う。朝食の内容は、ここに来て以来、変わらないものだ。朝日はいまだ、低いところにある。
きのうと打って変わった好天にて、強い日差しの下を2キロほど歩いて街に出る。髪も髭も伸びている。目抜き通りの、昨年かかった床屋の扉を引く。「髪と髭と耳掃除」と伝えると、店主らしい男に奥から2番目の席を示される。言われるままそこに座る。僕の後ろには若い人が立った。バリカンは1番か2番かと訊かれても意味が分からない。「5ミリ」と伝えると「だったら2番」と、店主らしい男は若い職人に伝えた。
料金は昨年とおなじ180バーツだった。髪が70バーツ、髭が60バーツ、耳掃除が50バーツといったところだろう。入国をする前からタイの物価は身についている。だからシャンプーは頼まない。若い人は僕の頭と頬とあごにドライヤーの風を当て、それに相当する日本語はないからどう書いて良いか分からない、とにかく髪や髭のカスを吹き払った。
チェンライで僕がいちばん好きなメシ屋「シートラン」が、いつになく繁盛している。店先の硝子ケースを指さし、おかず2種と冬瓜のスープ、そしてライスを注文して店に入る。先ほどまでは食器の準備に使っていたらしい、本来は客用のテーブルを店主は店員に命じて片づけさせ、そこに僕を案内した。
今年のギンジェーつまり菜食旬間は10月1日から9日までと聞いた。この町には9月29日に着いたのだから、ここにはギンジェーの始まる前に来ておけば良かった。僕はこの店の、キャベツと豚三枚肉の煮込みが好きなのだ。店に「齋」、これは斎戒沐浴のひと文字と思われるけれど、この黄色い旗の派手にひるがえる下で、肉の代わりに豆腐や湯波を使ったおかずを昼食とする。
朝に続いて昼も満腹である。その腹を鎮めるため「日本にこんな美味いコーヒー、あるかね」と飲むたび感動する「ドイチャンコーヒー」にてエスプレッソ1杯を飲み、おとといともきのうとも違う道を歩いてホテルに戻る。
床屋の帰りに買ったラオカーオを部屋のテーブルに置く。窓の外には陽光が満ちている。着替えてプールに降り、そこで2時間ほども本を読む。
夜はきのうに引き続きホテルのシャトルバスで街に出る。そしてきのうに引き続きナイトバザールの、きのうのオバチャンにチムジュムを注文する。
昨年のオバチャンの画像をオバチャンにiPhoneで見せる。するとオバチャンはみずから親指と人差し指で画像を拡大して、しかし老眼のため判別が付かず、それを隣の店の若い人に見せに行った。若い人はディスプレイを凝視して「オバチャン本人だよ」と教えたらしい。このオバチャンが、なぜ極端に若返ったかは不明である。オバチャンはソムタムを小皿でサービスしてくれた。
となりの席では家族が日本と同じハッピーバースデーの歌を歌いながら、子供の誕生日を祝っている。洒落た祝いの席ではないか。子供たちは多分、今夜はケーキしか口にしないだろう。
昨年はなかった猫カフェの角をまわって通りに出る。ホテルのシャトルバスが帰りの客を迎えに来るまでにはいまだ45分もある。おとといのトゥクトゥク代100バーツは「外人プラス雨」の特別価格だった。いまトゥクトゥクを頼めば今度は「外人プラス夜」でやはり100バーツだ。前述のとおり、タイの物価はタイに来る前から身に染みついている。
トゥクトゥクのたまり場を過ぎて歩いて行くと、シーローの運転手が徐行をしながら僕の顔を覗き込んだ。「ドゥシットまでいくら」とすかさず訊く。「40バーツ」と運転手は答えた。即、その荷台に乗り込みホテルを目指す。
今日の就寝はきのうよりも早い19時台だった。極端な早寝早起きによる、これも昼夜逆転である。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、中華粥、コーヒー
昼飯 「シートラン」の厚揚げ豆腐ともやしの炒め煮、グリーンカレー、ライス、冬瓜のスープ
晩飯 ナイトバザールのフードコートのチムジュム、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(オンザロックス)
2016.10.2(日) チェンライ日記(4日目)
今回の日記では1日の画像数が26点を超えないことを目標にしている。26点とは画像のファイル名に使うアルファベットの文字数である。きのうはその枠に収まりきれず何点も削除した。今日は余裕である。
きのうの部屋掃除は、僕が部屋から出るのを待ちかね、待ちきれない様子で正午に部屋の呼び鈴を押した。今日もそれくらいの時間とたかをくくっていたら11時に呼び鈴が鳴った。よってそれをしおにコンピュータから離れ、着替えて外に出る。
マッサージの”PAI”の扉を開くと、客のためのソファでオネーサンが洗い髪を扇風機で乾かしていた。僕も座るとそれに気づいたオネーサンが振り向いた。オネーサンはおとといマッサージをしてくれたジェップさんだった。僕を見て「あぁ」と声を出して笑う。僕も「あぁ」と言って笑う。髪が乾くとジェップさんは扇風機のスイッチを切って奥の階段を上がっていった。扇風機の冷風には僕も当たりたいのだ。即、スイッチを入れ直す。
この店のマッサージは誰に当たっても揉みがきつい。「タイマッサージは寝ながら他人まかせでできる運動」と言った人がいる。揉まれたあとのからだの痛みはまさに、運動の後の筋肉痛を思わせる。今日のオバサンも大変な強揉みだった。治療と思って我慢をしているけれど、これは癒やしなどではない、なかば修業のようなものである。
今日の雨は首尾良く、僕がマッサージを受けている2時間のあいだに強烈に降り、そして止んだ。その雨上がりの街を歩きながら、傘を持ったファランとすれ違う。そのファランはすこし考えて引き返したのだろう、後ろから僕に話しかけてきた。
「失礼ですが、そのサンダルは爪先を守るアイディアが素晴らしいですね、どちらの…」
「キーンです。K、E、E、N」
「タイ製ですか」
「いえ、アメリカ製です。南の国の歩道はしばしば壊れていて危ないでしょ」
「おっしゃる通り。有り難うございました」
僕よりすこし年下と思われる男はそのまま、僕が歩いてきた方へと去った。タイの歩道は人が歩くようにはできていない。タイの歩道にはしばしば「オマエなぁー」となじってやりたい気持ちを抱く。敷石は割れ、あるいは踏んだ途端にぐらついて溜まり水を飛び散らす。途中で切断された電信柱が切り株のように立ち上がり、あるいはその真ん中に街路樹や道路標識がズラリと並んで行く手をふさぐ。歩行者は、まるで山のガレ場を往くように、足元には気をつける必要があるのだ。
ふと気になってシリコーン市場の、昨年、そのとなりに大きな屋根のかけられつつあったガイヤーン屋を訪ねてみる。するとその店は新しい屋根の下にちんまりと収まっていたから安心をした。コンクリートパネル製のテーブルに着き、昼食中の太った娘にトムセーップを注文する。米袋を持って途中からあらわれたオカミを見て「やっぱりおなじ店だ」と再確認をする。そのオカミに「カオニャオはどうする」と訊かれる。朝食をたっぷり摂っているため空腹ではない。よって餅米は断ってスープのみを飲む。
これまで使ったことのない道を辿ってホテルに戻る。すると間もなく、右手にきのうの広場が見えた。きのうあれだけの露店が立ち並び、あれだけの人が集まったにもかかわらず、広場にも道にも塵ひとつ落ちていない。大した管理である。
夕刻がちかくなるころ、ようやく日が差しはじめる。「この時間から行ってもなぁ」と思わないではなかったけれど、きのうの日中はほとんど雨に閉ざされていた。明日も晴れる保証はない。”Patagonia”の水着兼用の半ズボンを穿き、プールへと降りていく。
空の様子はめまぐるしく変わる。つい先ほどまでは真っ青だった空の全面を薄雲が覆う。と思えばまた晴れて、遠くに入道雲が立ちのぼる。僕に声をかければ断られないと知っているプールサイドバーのオニーチャンが注文を取りに来る。3日前はミックススムージーだったから今日はテンモーパンを頼む。それで喉を潤しつつ90分ほども本を読む。
18時10分前にフロントでシャトルバスの切符を買う。そこには片道60バーツ、往復120バーツの数字があるけれど、実際には60バーツで往復できる。復路のみならタダで乗れる。しかしそれがいつでも誰にでも通用するかどうかは知らない。
雨が続いたせいか、それとも明日からまた1週間がはじまるせいか、ナイトバザールのフードコートは閑散としていた。席を決め、先ずはラオカーオをオンザロックスにするための氷を10バーツで買う。氷のバケットを手に席へ戻ると、初日木曜日の夜には見つけられなかった、昨年は何度もチムジュムを頼んだ店の、優しそうなオバチャンが目の前にいた。即、昨年とおなじくチムジュムを注文する。
「しかし待てよ」と、日本から持参したステンレスのコップに氷を入れつつ考える。オバチャンは昨年のオバチャンにそっくりだ。しかし今年は隨分と若く見える。昨年のオバチャンは訥々としていた。しかし今年のオバチャンは綺麗な英語を話す。昨年のオバチャンの画像をiPhoneに送り、明日は「この人の妹さんですか」とでも訊いてみよう。
ホテルにはナイトバザール前20:15発のシャトルバスで戻った。そしてシャワーを浴びて即、就寝する。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、中華粥、コーヒー
昼飯 シリコーン市場のガイヤーン屋のトムセーップ
晩飯 ナイトバザールのフードコートのチムジュム、ラオカーオ”YEOWNGERN”(オンザロックス)
2016.10.1(土) チェンライ日記(3日目)
今日もまた暗闇の中で目を覚ます。枕頭の時計は02:36と表示されている。腹の中で苦笑いをする。前夜の就寝が20時台であれば、この時間に目を覚ましても不思議ではない。
きのうの日記を書きながら、強い雨音に気づく。カーテンを開いて外を見る。川面の様子は覗えないものの、プールの水は大量の雨滴に粒立っているように思われる。その雨音が弱まって夜が明ける。対岸の森で鳩が鳴いている。その声をより明瞭に聴くため窓を開ける。
部屋の机で仕事をするうち正午が過ぎる。ノックの音がする。ドアの外にはリネン類を積んだワゴンと共にメイドが立っていた。掃除をしても構わないかと訊かれて「はい、どうぞ」と答える。ベッドの上の洗濯袋を示しつつ、洗濯物を記入する伝票が1枚しかなく、だから今日の分でそれが無くなってしまうことを伝える。メイドが部屋の電話で洗濯係を呼ぶ。すぐに洗濯係が来て僕の洗濯物を引き上げ、且つ新しい伝票を所定の位置に納める。遅滞のない連携である。
朝食はたっぷり摂っているから腹が空いているわけではない。しかしこのまま夜まで何も食べないわけにもいかない。朝食以外をホテルで食べる気にはならない。空の低いところに黒い雲があり、椰子の葉は風に揺れている。それが驟雨の予兆であることは、ここに住む者でなくても容易に想像がつく。
「そうと知りつつみすみす」という持病が僕にはある。12時40分にホテルを出る。既にして遠雷が聞こえている。街までの、雨宿りのできそうなところは知っている。そこまで達する前に雨の降ってこないことを祈るばかりだ。
南の国にはスコールが多いから、商売をする家は大抵、庇を歩道に張り出させている。その下を辿ってバンプラカン通りに出たところで大粒の雨が落ちてくる。雨は瞬く間に勢いを増す。
チェンライに来たら必ず複数回は行くおかず飯屋「シークラン」は、ほぼ満員の盛況だった。いまだ空席はあったけれど、今日は汁麺の食べたい気分だ。よって庇と庇の途切れるところは走り抜けつつ汁麺とワンタンの店「フイミン」に入る。そうしてここでワンタン麺を食べる。店の奥にガスボンベを運ぼうとしている燃料屋の雨合羽から、水がしたたり落ちて床を濡らす。
いつまで雨宿りをしていては店も迷惑だろう。そう考えて50バーツを支払い外に出る。ホテルには結局のところ、トゥクトゥクで帰った。運転手の言い値の100バーツは「外人プラス雨」の特別価格である。
時刻はいまだ14時を過ぎたばかりだ。雨は先ほどよりは小降りになっている。しかし止んだわけではない。ロビーのラウンジで本を読む手もあったけれど、やはり部屋にいる。夕刻が近づくころにようやく雨が上がる。
チェンライで土曜日といえばサタデーナイトマーケットだ。昼のポロシャツはトゥクトゥクの車体に触れて汚れてしまったため、アロハに着替えて外へ出る。そうして市の立つタナライロードへと入って行く。
お守り屋、ケーキ屋、カイピン屋。足ふきマット屋、毛糸の帽子屋、飲みもの屋。寿司屋、アイフォンカバー屋、ピカチュードラエモンキティ屋。
タナライロードから直角に南へ向かう道に入ると、屋台は食べ物屋ばかりになる。そのうちの鹵味屋で鶏モツを60バーツで買う。すぐちかくの汁無し麺屋で焼きそばを15バーツで買う。セブンイレブンでシンハビールの350CC缶を39バーツで買う。頭上の梢にはおびただしい数の鳥がいる。その啼き声の凄まじさに圧倒されるのは毎年のことだ。
毎週、土曜日がくるたび、よくもまぁこれだけの人が集まるものだと、ほとほと感心する広場を歩き、空席を探す。ふたつのテーブルで首を横に振られ、3つめの、つつましやかなカップルの着く場所にようやく席を得る。そうしてステージのバンドによるタイの演歌ルークトゥンにひたる。きのうよりも、おとといよりも、ラオカーオが進む。
時々まわってくるゴミ係のオジサンの袋に鹵味と焼きそばの器、そしてビールの空き缶を捨てさせてもらう。カップルに礼を述べて席を立ち、ステージの前まで行く。カウボーイハットの歌のオジサンは相変わらず絶好調だ。その歌に合わせて踊る市民の輪の中には、知った顔がいくつもある。彼らは毎週土曜日、つまり大雨でも降らないかぎり、年に50数回はここで踊っているのだ。
市民みずからこれだけ盛り上がってくれるなら、行政は楽だろう。というよりも、行政主導とか、広告代理店主導とか、そういう「主導」の匂いがここには感じられない。屋台、露店はみずからの金儲けのために商売をする。市民はみずからの楽しみのためにここに来る。演歌バンドはシロートやセミプロの自己満足ではなく、市民に支持をされている。そんな感想を抱きつつ、ホテルまで歩いて帰る。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとベーコンと目玉焼き、トースト、中華粥、コーヒー
昼飯 「フイミン」のバミーギィアオナム
晩飯 サタデーナイトマーケットの屋台の鶏モツの鹵味、焼きそば、シンハビール、ラオカーオ”YEOWNGERN”(生)
2016.9.30(金) チェンライ日記(2日目)
目を覚ましても、すぐに起きるわけではない。布団の中で寝返りを打ったり、あるいは手足を伸ばしたりしつつ徐々に、睡眠というなかば死んだ状態から蘇生をするように、からだを馴らしていく。そうして枕元の、部屋の灯りやエアコンディショナーの操作盤を兼ねた時計に目を遣ると、時刻はいまだ2時44分だった。
部屋の、机の灯りのみを点けてきのうの日記を書くも、長すぎて、いつまでも書き終えない。「こんなに長い文章を誰が読むか」と考えないでもないけれど、自分のための覚え書きという側面もあるから、つい細かいところまで筆を及ばせてしまうのだ。
疲れてベッドに横になり、またコンピュータに向かい、またベッドに腹ばいになって、しかし今度は本を読んだりする。そんなことを繰り返すうち、夜が明けてくる。
8時を過ぎようという頃合いを見計らって、6階の部屋からコック川に面した朝食会場へと降りる。オムレツは、皿に大盛りにした野菜に「全部」と中身を指定したそれを添えるのが好きだ。お粥は、これを調理するブースに併設されたスープ係に、本来はスープの具にする豚の内臓を入れてもらう、いわゆる「及第粥」が好みだ。コーヒーは、ポットを手にした給仕がテーブルに注いでまわるものではなく、やはり戸外の専用ブースまで行き、カップの底にコンデンスミルクを沈ませた、ネルドリップによる濃いものを淹れてもらう。この朝食を、このホテルに泊まっているあいだ、だれに邪魔をされることもなく、ずっと続けられるのは嬉しい。
夜はきのうに引き続き、ホテルのシャトルバスでナイトバザールまで行く。ここでふと、興味に駆られて目の前の、今にも走り出しそうなシーローの客になってみる。どこへ行くとも知れないシーローはパフォンヨーティン通りを南へ進む。そのあたりは僕には未知の地域にて、このチェンライが、実はかなり大きな街だったことにようやく気づく。
もうすこし進めば旧飛行場ではないかと思われるあたりでシーローは左に折れた。あたりがとたんに暗くなる。不安な気持ちが増していく。シーローは間もなく、ひとりの客を降ろすために停まった。屋根だけの、壁のないバーがちらほらと見えている。よって僕も運転手に50バーツを手渡し荷台から降りる。
すぐそばに見えた薄暗い店に、飛び石を踏んで入っていく。案内をされるまま、小さな池のほとりの席に着く。ビールの銘柄をデザインした、からだに張りつくようなワンピースを着たチアビアが来る。手にはラオカーオの入った袋を提げていたけれど、つき合いで生ビールを頼む。店の名前は「バーンビヤソル」だという。訳せば「生ビールの家」だろうか。そうしてそこで小一時間ほども過ごす。
ホテルまでは流しのトゥクトゥクを拾った。冒険をしたつもりでも、部屋に帰って時計を見ると、時刻はいまだ20時37分だった。服は下着も含めて3枚しか身につけていないから脱ぐのは簡単だ。シャワーを浴びて即、就寝する。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、中華粥、コーヒー
昼飯 名前を知らない麺屋のカオソーイガイ
晩飯 「バーンビヤソル」のパックブンファイデーン、プラームックヤーン、生ビール、ラオカーオ”YEOWNGERN”(オンザロックス)
2016.9.29(木) チェンライ日記(1日目)
前々回2月のタイ行きでは、羽田で飛行機に乗り込むなりデパスとハルシオンを各1錠ずつ飲んだ。するとそれは、まるでボクシングの選手から受けたフックかアッパーのように効き、背もたれも倒さずアイマスクもしないまま眠ってしまった。無論、離陸をしたことも覚えていない。
「いくらかでも楽な姿勢で寝るべき」と今回は、まるで馬が食うほどの量をオフクロが遺した睡眠導入剤は、すこし遅らせて飲むこととした。
“BOEING 747-400″を機材とする”TG661″は、定刻に12分おくれて00:32に離陸をした。ここで先ほどの薬を、持ち込んだペットボトルのお茶で飲む。そしてベルト着用のサインが消えた頃合いを見計らって背もたれを倒し、眠る体勢に入る。
目を覚ますと、ふたつ前の席まで朝食を運ぶワゴンが来ていたから「これはいけねぇ」と即、化粧室に行って顔を洗う。席に着いて時計を見ると5時5分だった。目の前のディスプレイによれば、機は既にしてインドシナ半島の中央に近づいている。バンコクには、あと数十分で着くだろう。そそくさと朝食を済ませると、またまた化粧室に行って歯を磨く。
定刻より48分はやく、機は日本時間06:02、タイ時間04:02に、スワンナプーム空港に着陸をした。ここからの時間表記はタイ時間とする。
“minimum connecting time”という言葉を知ったのは、おととしのことだ。これは最低乗継時間と訳され、その長さは1時間15分と聞いた。羽田からチェンライへ飛ぶときの、バンコクでの乗り換え時間は3時間。かてて加えて日本からの便は大抵、予定よりも早く着くから、いくらスワンナプーム空港が広大とはいえ、当方はのんびりしたものである。”GREGORY”のデイパックを背負って、ただ”Transfer to Chiangmai,Chiangrai,Phuket,Krabi,Samui,Hatyai”と案内される方へと歩いて行く。移動距離が1キロを超えても、いわゆる「動く歩道」があるからどうということはない。
パスポートコントロール、また、そのすぐそばにあるタイスマイル航空のカウンターは、5時にならないと開かない。正体不明の男が横になって眠るベンチに腰かけ待つうち僕も眠ってしまい、気がつくと5時20分になっていた。ひとりで旅をするときの大敵は、この居眠りである。寝ているあいだに乗るべき飛行機が飛んでしまうということも、あり得ないことではないのだ。
タイスマイル航空のカウンターにパスポートとeチケットを出す。今朝のオネーサンには「バゲージクレームのタグをお見せください」は当然としても「Address in Thailandにお書きくださっているのはホテルの名前ですか」などと、まるで入国審査官がするような質問を受けた。プラユットによる良く言えば几帳面な統治の影響が、こんなところにまで及んでいるのかどうかは知らない。
05:40 入国
05:48 搭乗ゲートA4に着く。
05:50 ようよう夜が明けてくる。
07:05 きのうの日記を書き終える。
07:27 搭乗開始
“AIRBUS A321-200″を機材とする”TG2131″は、定刻に5分おくれて07:55に離陸をした。上空には雲が目立った。出発前に調べた天気予報は、タイの北部を雨続きとしていた。しかし機窓の下に見えるチェンライは晴れていた。着陸は定刻より15分はやい09:00だった。
田舎の小さな空港ということ、僕の荷物は”Priority”の扱いを受けていること、このふたつの条件によりスーツケースは着陸からわずか15分後には受け取ることができた。そうして空港ロビーにあるタクシーのカウンターに近づき、オネーサンに声をかける。
「ドゥシットまで」
「ただいまクルマが出払っていますので、30分ほどお待ちいただけますか」
「クルマが来たら声をかけてくれるのかな」
「はい」
というやり取りがあって、目の前のコーヒーショップで飲み物を買いながら、運転手に手渡すチップのための小銭を作ろうとしているところに後ろから声をかけられる。運転手のうちのひとりがちょうど戻ってきたのだ。早くも彼は僕のスーツケースを曳いて空港の出口を目指している。僕も足早にその後を追う。
日本から持って出た現地通貨は20,918バーツ。チップのための小銭を得ることはできなかった。空港からホテルまでの6、7キロの距離に対して100バーツのチップはいかにも多すぎるけれど仕方がない。ホテルのポーチに続く坂をタクシーが登り切ると、すかさずベルボーイが近づいてくる。高きから低きに水の流れるような、何の滞りもない旅である。
フロントの、タヌキ顔のオネーサンも、またナマズ顔のオネーサンも、いつもと変わらない笑顔を僕に向ける。誤解の無いよう付け加えれば、タヌキ顔もナマズ顔も、僕においては褒め言葉である。そしてタヌキ顔の方に頼んで100バーツ札を細かくしてもらう。
ロビー階にいて、客がちかづくたびエレベータの開ボタンを押す係のオジサンには20バーツを渡す。部屋まで荷物を運んでくれたベルボーイには50バーツを渡す。深夜00:20に羽田を発って、2時間の時差があるとはいえ次の朝にはタイの最北部で国境の山々を眺めている。いつものことながら、まるで夢を見ている気分だ。
机上に並べられた案内のたぐいは、目につかない一個所にまとめる。ベッドに6個も積み上げられた枕は、そのうちの5個をソファの上に移す。そのように部屋を自分ごのみに整えてからシャワーを浴びる。そして服はそのまま、”trippen”の革靴を”KEEN”のサンダルに履き替え外へ出る。
“Dusit Island Resort”はコック川の中州に建つ古いホテルだ。チェンライでは街の中心にあるブティックホテル”Le Patta”も綺麗で便利で好きだ。両者を天秤にかければ、しかし街まで遠い不便さを差し引いても、景色の良さと朝食の豊かさを以て、どうしても前者に軍配が上がる。
ホテルのロビーを出てから門衛のいる橋の手前までだけで、既にして数百メートルの距離がある。ホテイアオイの浮く川を渡る。不思議な声で鳴く鈴虫のいる崖の下の道を往く。そこから先はいくつかの道があるけれど、今朝は”OVERBROOK HOSPITAL”を脇に見て右に折れ、また左に折れする。
スーパーマーケットと女性衣料品のアーケードがひとつになった建物には冷房が効いているから、買い物はしなくてもこの中を歩く。そこを抜けると市場に面した旧時計塔の交差点に出る。チェンライは、田舎とはいえ商売ごとに街区を形成する一角をいくつも持つ商都でもある。その街区のうちの電気街を抜け、更に左や右に折れるうち、けばけばしく金色に塗られた新しい時計塔が見えてくる。
この時計塔の交差点からパフォンヨーティン通りを東へ歩くと間もなく、ナイトバザールに続く交差点が目に入る。その交差点を右に折れても通りの名前はやはりパフォンヨーティン通りなのだから、何やらややこしい。
ここで腕の時計を見ると、ロビーを出てから25分が経っていた。ホテルから街までは、やはり2キロ弱はありそうだ。街に入ればあれこれの用事のため更に動く。ホテルと街のあいだを日に2往復することもある。つまり”Dusit Island Resort”に泊まれば1日に10キロくらいは歩く勘定になる。大した運動である。
タイは日本ほど酒とタバコに寛容でない。酒は日中は11時から14時までの3時間しか買うことができない。パフォンヨーティン通りの西側の歩道に”JOHNNIE WALKER”の看板を提げた酒屋に入り、昼食中のオバチャンには申し訳なかったけれど、ラオカーオ2本を確保する。
そのまま通りを南下し、”LONELY PLANET”では隨分と褒められている、しかし僕は食事は一度も摂ったことのない料理屋ムアントーンとおなじ交差点にあって、何年か前に地元の人から薦められたマッサージ屋”PAI”でタイマッサージを2時間、受ける。今日の担当はジェップさん。その丁寧な仕事ぶりには大いに驚いた。「ジェップ」と僕が発音をしても通じるわけはない。次の機会に備えて彼女にはメモ帳にタイ語でその名を書いてもらった。
ジェットヨット通りの麺屋「カオソーイポーチャイ」で鶏のカオソイを昼食としたのは14時。そして午前に来た道を逆に辿ってホテルに戻る。
15時から18時すぎまではプールサイドの寝椅子で本を読む。あるいはうたた寝をする。本のページから視線を外せば高い椰子の木があり、その向こうには青い空に入道雲が真白く立ちのぼっている。僕にとっての天国である。
夜はホテルのシャトルバスで街に出る。ナイトバザールではいつものとおり、観光客向けの、チーク材を多用した高級な区域ではなく、鉄製の黄色い机と椅子を並べた庶民向けの広場へ行く。そしてこの広場を囲む、それぞれ間口1間、奥行き2間半ほどの食べ物を売る店の中に、昨年は何度も注文をした優しそうなおばちゃんの姿を探したけれど見つからない。よってそのおばちゃんの店とおなじあたりの若い人の店からチムジュムを取り寄せる。そしてそれを肴にラオカーオを飲む。ただただ、気分は楽である。
朝飯 “TG661″の機内食、“TG2130″の機内スナック
昼飯 「カオソーイポーチャイ」のカオソーイガイ
晩飯 ナイトバザールのフードコートのチムジュム、揚げ物の盛り合わせ、ラオカーオ”YEOWNGERN”(オンザロックス)
2016.9.28(水) 羽田空港国際線ターミナル
きのうの夜に残したメモに従い、きのうまで着ていた服、バスタオル、今朝まで着ていたパジャマ、洗面所のタオル、朝食の準備と後片付けに使った布巾など、とにかく出かける前に洗っておいた方が良かろうと思われる布類すべてを洗濯機に放り込む。そしてその洗濯機が動き出したことを見届けてから、社員を迎え入れるため事務室に降りる。
旅先から戻ったばかりの家内に終業後、雨の中をホンダフィットで下今市駅まで送ってもらう。18:53発の上り特急スペーシアでは活字を読むことはせず、おとなしくしている。車窓から眺めた限りでは、東京に雨は降っていない。よって家を出るときに持った粗末な300円傘は、車内のゴミ箱に捨てる。
20:40 浅草の立ち食い鮨屋にて握り6貫、巻物1本、浅蜊の味噌汁を夕食とする。
21:09 都営浅草線の浅草から羽田空港国内線ターミナル行きに乗る。
21:52 羽田空港国際線ターミナル着
22:02 ”I”のカウンターにてチェックイン
22:09 出国
タイ航空機の出発ゲートは僕の知るかぎり常に、パスポートコントロールを出て右へ進んだ先の、もっとも奥にある。その105番ゲートで、しばしうつらうつらする。今年に入って視力が極端に衰えたせいか、光量が抑えられた場所では活字を読む気がしないのだ。
搭乗は定刻の23時40分に始まった。その列に慌てて並ぶことはしない。”UNITED ATHLE”の半袖ポロシャツの上に”UNIQLO”の木綿のセーターを着る。その上に今度は”Patagonia”のウインドブレイカーを重ね、首元までジップを締める。
僕の席は機体右側、最後尾ひとつ手前の通路側。このあたりは売れ残った航空券を安値で買った人たちのたまり場という説があるけれど、本当だろうか。その場末の席を、僕は好んで予約するのだ。「機内という世間」から隔絶された感じが、何とも好きなのである。
朝飯 青唐辛子の炒め煮、大根のぬか漬け、トマトとソーセージのオーブン焼き、たまり漬「七種きざみあわせ(だんらん)」、しいたけのたまり炊、メシ、里芋と大根と若布の味噌汁
昼飯 「ニジコ食堂」のスーラーメン
晩飯 「まぐろ人雷門出張所」のあれこれ、浅蜊の味噌汁
2016.9.27(火) まぁまぁの首尾
結婚式に呼ばれるなど特別な理由がないかぎり、旅先に持参する服は普段着だ。いま仕事着にしているのは白いポロシャツで、この洗濯には計画を以て当たってきた。きのう夜、その仕事着を洗濯機に入れたのは、そのうちの一部を今早朝、旅の荷物としてスーツケースに納めるためだった。
今朝は4時20分に目を覚ましたことを幸いとして、着替えて即、洗濯場へと向かった。すると暗い廊下の先のガラス戸がほの明るかったから不安に駆られてドアを開けると果たして、洗濯機は途中で停まり、操作盤にはエラーメッセージが光っていた。
食堂に戻り、電化製品の説明書、保証書のための引き出しを上から下までひっくり返して、しかし洗濯機のそれは見あたらない。そしてその引き出しに取りあえず突っ込まれたらしい、説明書や保証書以外のすべてを捨てる。
ふとひらめいて洗濯機の製造元、洗濯機の型番を検索エンジンに入れると、その取扱説明書がインターネット上に見つかった。PDFによるそれを読んで、いまウチの洗濯機に出ているエラー番号”C-06″は、乾燥機のフィルターの目詰まりであることが分かった。対処の方法としては、綿ぼこりや糸くずのたぐいを電気掃除機で吸い取るよう書いてあるけれど、重い掃除機を洗濯場で使う気はしない。
フィルターは、取り外せる部分は台所で水洗いし、外せない部分には粘着テープを押しつけ、ホコリを除いた。60分をかけて洗濯機はようやく復旧した。そして荷造りのための時間は失われた。
夕食は簡単に済ませることとして、その前に荷造りを完了させる。スーツケースの重さは8.3キロ強。まぁまぁの首尾である。
朝飯 ベーコンとピーマンのソテー、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ(だんらん)」を添えた生玉子、青唐辛子の炒め煮、大根のぬか漬け、メシ、里芋と若布の味噌汁
昼飯 カレーライス、たまり漬「七種きざみあわせ(だんらん)」
晩飯 3種の野菜のスープ煮、チーズ、“Chablis Billaud Simon 2014”
2016.9.26(月) もったいなくて
「アラキとアミとパリ」と題された、大竹昭子による文章に目が留まった。載っていたのはきのうの、日本経済新聞の文化面である。視野をすこし広くすると、その題字の左に「旅の目的はパリで開催中の荒木経惟の写真展を見ることだった」とあったから「これは朝の忙しい時間に流し読んでは勿体ない」と、四折にして温存した。それを読んだのは1日を置いた、今日の昼食時のことである。
「彼の写真で唯一、理解に苦しむのはこれだったから」と大竹が書いているのは、女を荒縄で縛り天井から宙づりにする、荒木が繰り返し用いる形式についてで、それには僕もおなじ感覚を持っていたから「ふんふん」と、興味深く先に進んだ。
荒木の写真には長く、頻繁に接してきたに違いない大竹に対して、しかし今回、その写真を初めて目にした、パリで大竹が親しくしている若い女性、そして会場に展示された巨大な緊縛写真のそばに毎日、何時間も座り続ける若い男性の監視員は、前者は直感により、後者は何日もかけて積み重ねられた内省により、等しく称揚する。そしてそこから大竹の、自らに対する問いかけが始まる。
僕はこの、日本経済新聞の第40面を切り取った。そして本棚まで歩き、これを荒木のどの写真集に挟み込むかを考えて、しかし結論は出なかった。アラーキーの写真の中では、ヨーコとの共作とも言える、いわゆるセンチメンタル系が僕は好きで、緊縛系は一切、持っていないのだ。
そしてふたたび食堂へと戻り、夕食のためのスープを仕込み始める。
朝飯 ゆかり、たまり漬「七種きざみあわせ(だんらん)」、青唐辛子の炒め煮、山椒の佃煮、胡瓜のぬか漬け、ベーコンのソテー、メシ、長葱とピーマンの味噌汁
昼飯 胡瓜のぬか漬け、明太子、梅干し、青唐辛子の炒め煮し、ゆかり、山椒の佃煮、たまり漬「七種きざみあわせ(だんらん)」によるお茶漬け
晩飯 パン、ソーセージと野菜のスープ煮、チーズ、“Chablis Billaud Simon 2014”
2016.9.25(日) 千灯供養
朝の空の美しさの頂点は、日の出の数十分ほども前にある。その「数十分」は季節ごとに変わる。今朝もその気配を感じて屋上に上がる。エレベータの機械室の庇から蜘蛛が、きのうとおなじ高さに糸を垂れている。
仏壇に2本の線香を上げて、線香入れが空になる。線香は有り難いことに、オフクロの初彼岸や初盆でいただいたものがいまだ潤沢にある。そのうちのひとつの箱を開け、中身のすべてを、食堂のテーブルの上で線香入れに満たす。線香入れはオヤジの、学生時代に亡くなった弟サブローが生前に作った陶器製で、多分、50数年間は、その勤めを果たし続けているはずだ。
夕刻、仕事の合間を縫って、日光市今市旧市街の南端にある追分地蔵尊におもむく。そしてひと月ほど前からお願いをしてあった、千灯供養の引換券を窓口に差し出す。僕の名の書かれた四角いぼんぼりは、その内側に蝋燭による灯りが仕込まれているけれど、いまだ夜に至らなければ、闇に浮かぶ、というわけにはいかない。
今年の夏は、これまでになく水を飲んだ。無意識のうちにからだが熱射病を避けていたのかも知れない。今日の夕刻は1週間ぶりか10日ぶりに蒸し暑く、それで2杯の冷水を飲んだ。そのためかどうか夜になっても腹が減らない。それを幸いとして食事は遅らせ、旅の荷物を造りはじめる。
朝飯 山椒の佃煮、ピーマンの焼きびたし、大根のぬか漬け、ゆかり、たまり漬「だんらん」、青唐辛子の炒め煮、メシ、里芋と長葱の味噌汁
昼飯 山椒の佃煮、胡瓜と大根のぬか漬け、唐辛子の炒め煮、明太子、ゆかり、たまり漬「だんらん」によるお茶漬け
晩飯 生ソーセージの中身とトマトとバジルのスパゲティ、”GEVREY CHAMBERTIN PIERRE ANDRE 2010″、チョコレートケーキ
2016.9.24(土) つい先日までは
つい先日までは、寝る前にエアコンディショナーを「除湿」にして、朝まで部屋の温度を26℃に保った。しかしきのう今日あたりは寝室の温度を下げるどころか、風呂に浸かってからだを充分に温めて寝たい、という気分が強い。
たまり漬にするための茗荷の手当は、日光近郷の農家からすこしずつ集めるものはそろそろ収束に向かい、これからは秋田県能代産のものが一度にまとめて届くようになる。こちらについては今週から来週にかけてが勝負になるだろう。
納入された茗荷は製造係の女の人がひと粒ずつ手で水洗い、それを今度は男の人が塩と混ぜる。こちらについても手作業のため、担当者はひたすら、平泳ぎかバタフライのように腕を動かし続ける必要がある。
「みょうがのたまり漬」は、おととしの不作により昨年は数ヶ月のあいだ品切れをした。昨年は充分に確保をし、今年もまた必要な量を超えて漬け込みができそうな塩梅にて、すこしばかり豊かな気分になる。
そうして夜は、きのうの晩に考えたとおりの料理を作り、赤ワインを飲む。
朝飯 納豆、たまり漬「だんらん」、山椒の佃煮、ベーコンエッグ、人参のぬか漬け、青唐辛子の炒め煮、ゆかり、メシ、里芋と若布の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 イチジクのパン、「辛ひしお」とディジョネーズソースを添えたトマト、長葱、ピーマン、牛肉のオーブン焼き、“GEVREY CHAMBERTIN PIERRE ANDRE 2010”







































