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清閑 PERSONAL DIARY

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2018.3.26(月) タイ日記(4日目)

目を覚ましてしばらくしてからベッドを降り、すぐちかくにあるデスクの灯りを点けると、きのう外してそこに置いてあった腕時計は2時40分を指していた。可もなく不可もない時間である。

朝食は7時からにて、その前に大部分の荷造りは済ませておく。きのう買った2本のラオカーオの片方は、2本の空のペットボトルに移して荷物を軽くする。

8時20分にベルボーイを呼ぼうとして、しかし部屋に備えつけの電話機は、その使い方がまったく分からない。説明書も見あたらない。よってふたつのスーツケースは部屋に残し、ロビーに降りる。そして愛想良く笑いかけてきたベルのオジサンに、部屋から荷物を運ぶよう頼む。

「あー、もう帰るのかぁ」と、家内は未練がましい。日程はいまだ、ちょうど真ん中にさしかかったばかりだ。しかしこの、フアヒンでもっとも古いホテルの別世界ぶりを振り返ってみれば、その慨嘆も分からなくはない

フロントからベルの場所を振り返ると、オジサンは黄緑色の陽光を背負いつつ、クルマは既に来ていることを教えてくれた。早い分には有り難い。即、そのクルマをロビーの真下まで呼んでもらい、荷物を載せてもらう。

08:47 ホテルの正門を去る
09:13 運転手がコーヒーを買うため小休止をする。「眠気を抑えるため」という弁明が僕を不安にさせる。
09:30 ペチャブリーを通過
10:00 パクトーを通過

タイの幹線道路は僕が知る限り、片側三車線の広いもので、山間部でもない限り、どこまでも真っ直ぐに続いている。その広くて真っ直ぐな道を、クルマは時速120キロほどで走る

このようなタイの道路は、ドミノ的に共産化するインドシナの現状を恐れたアメリカの援助によるとの文章を読んだことがある。しかしそれを、複数の資料により確かめたことはない。

10:08 サムットソンクラー県でメークローン川を渡る。
10:15 出発してはじめての渋滞に遭う。「ポリー」と運転手が苦笑いをする。左手に台貫所が見える。警察の検問らしい
10:27 サムットサコーン県の、多分タージーン川を渡る。当方は詳細な地図を持たないため「多分」としか書けない。

11:00 バンコク県に入って高速道路に上がる
11:05 チャオプラヤ川を渡る橋の上からバンコクのビル群が見えてくる
11:08 BTSの高架とブアアットステイトタワーが間近になる
11:10 いつも賑わっているチャルンクルン通りに入る
11:15 マンダリンオリエンタルホテルに到着する。運転手はここに来る2時間30分のあいだ、シートベルトは締めず、あくびを繰り返していた。よってチップは300バーツに留める。

チェックインは素早く終わる。

このホテルではむかしから、客を部屋に案内するのはコンシェルジュだ。彼女の説明が終わる前にベルボーイが荷物を運んでくる。ベルボーイが去ると、客室係が冷たいお茶を持って来る。そのたび100バーツのチップを手渡す。「オリエンタルホテルでも、他のホテルとおなじくチップは20バーツで構わない」とウェブログに書いた人がいた。しかしそれは、僕の流儀ではない。

チャルンクルン通りとオリエンタルホテルのあいだにある、初めて訪ねた1991年から数年前までは、籐の大きなカゴなどが埃をかぶったまま積み上げられていたから「乱雑屋」と密かに呼んでいる店で少々の買い物をする。それから部屋に戻り、ズボンを”Patagonia”のバギーショーツに履き替える。プールまでガウン姿で公共の場所を歩きたくない人は、プールサイドの地下にある部屋を使うことができる。

午後のほとんどは、そのプールサイドで本を読む。そして部屋に戻り、シャワーを浴びて服を着る最中にドアをノックされる。客室係が届けに来たものは、綺麗な色をしていたため菓子のたぐいとばかり考え口に入れると、それは小さな海老を使った洒落た酒肴だった。一瞬、家から持参したシェリー酒で口を漱ごうとして、しかしそれは止めておく

ロビーから朝食の会場へと続く、つまりバンブーバーなどのある廊下を抜けて舟の乗り場へと向かう。ホテルの舟は具合の良いことに接岸をしたばかりで、我々が乗り込むとすぐに岸を離れた。その舟でサトーンの桟橋までチャオプラヤ川を下り、ここですこし待って、今度は同級生コモトリケー君の住むコンドミニアムの舟で川をさかのぼる

そのコンドミニアム「バーンチャオプラヤ」に着いて知った道を歩いて行くと、我々の到着を待ちかねたコモトリ君が夕陽を背に近づいて来た。そして3人で、いつもの料理屋の席に着く。

数ヶ月前に、シンガポールからのお客様で店の賑わったことがある。その団体さんが大量に買ってくださったのが「日光味噌ひしお」だった。伺ったところ、これを魚の清蒸に添えることを教えてくださった。そのときから、今回の旅先には「ひしお」を持ち込むことを僕は決めた。

真っ先に注文したのは、鱸の柑橘蒸しである。テーブルに届いたそれに「ひしお」を添えて食べてみれば、なるほど美味い。しかし「ひしお」は、タイの香辛料や香草の効いた蒸し魚より、やはり広東式の清蒸にこそ、より似合うだろう

オリエンタルホテル横の公共の桟橋には、バーンチャオプラヤ19:30発の舟で戻った。そしてシャワーを浴びてガウンに着替え、枕元に本とメガネを用意して、しかしその本は開かないまま眠りに落ちる。


朝飯 “Centara Grand Beach Resort & Villas Hua Hin”の朝のブッフェの1皿目2皿目コーヒーパン
晩飯 “YOK YO MARINA & RESTAURANT”のプラーガッポンヌンマナーオ「ひしお」添えクンオップウンセントードマンクン緑貝のミント炒め、”TIO PEPE”


美味しい朝食のウェブログ集は、こちら。

2018.3.25(日) タイ日記(3日目)

目を覚まし、小一時間ほどと思われる時を闇の中で、横になって休む。それから床のゴム草履を足で探り、履き、デスクの灯りを点ける。時刻は1時35分だった。きのうの日記は一昨日ほどの長文にはならないから、書くに際しての苦労はそれほど無い。

部屋のベランダからは、木々を透かしてシャム湾が望まれる。その、東の空が紅く染まるころ2階から1階への階段を降り、更に階段を下って庭に出る。園丁により早朝から動かされているスプリンクラーの水を避けつつ小径を辿り、海辺に出る。今朝は雲が多く、朝日は望めない。砂浜からホテルの敷地に上がったところに係が用意してくれた冷たい胡瓜水を飲み、部屋に戻る。

きのうよりもすこし早く、7時すこし過ぎに朝食の場所へと向かう。日の出の時間には多かった雲はあらかた去って、広大な庭の緑を日の光が鮮やかにしている。その庭を、きのうとおなじくガウンで散歩してる白人の老人がいる。「まるで温泉場の浴衣じゃねぇか」と呆れるけれど、リゾート地であれば、ホテルもあまりうるさいことは言わないのかも知れない。

8時30分にプールサイドに降りる。係に寝椅子を整えてもらい、そこで昼すぎまで本を読む。僕の旅の愉しみのほとんどは、プールサイドでの本読みにあるかも知れない。天動説で言えば太陽が動き、顔を直射するようになるたび、車輪付きの寝椅子を動かして、ふたたび影を作ることを繰り返す。日曜日だからだろうか、浜辺では多くの人たちが思い思いに寛いでいる

シャワーはプールサイドで浴びた。しかし部屋に戻れば戻ったで、またまたシャワーを浴びる。ガウンに着替えて天井の扇風機をゆっくりと回す。そうしてベッドに横になり、しばらくのあいだ涼む。

落ち着いたところでフロントに行く。そして街の、僕の手持ちのものより広いところまで載せた地図をもらい、同時に、自転車を借りたい旨を申し出る。

ここの貸し自転車は、これまであちらこちらのホテルで借りた、整備不良のものとは明らかに違う。係は3台ある”SPECIALIZED”の自転車のうち1台を選び、ブレーキの具合を確かめた。自転車が良ければ無料というわけにはいかない。貸出時間のうち最短の「1時間」を係に告げ、100バーツの料金に対して署名をする。そして先ほどの地図を取り出し、テスコロータスの場所を訊く。

係は「500メートルか1キロ」と僕に答えた。「そんなに近いのか」と僕は喜び、しかし本気にはしなかった。12時55分にホテルを出て、教えられた近道を通ってしばらく行くと間もなく、巨大な複合施設”Hua Hin Market Village”が右手に見えてきた。ホテルからの所要時間は6分ほどだったから、まさか500メートルということはないものの、やはり遠くはなかった

きのうの日記に書いた、ホテルちかくのスーパーマーケットには大量のワインがあったけれど、ラオカーオは1種類しか置いていなかった。買って不味ければ後悔をする。それゆえのテスコロータスである。酒の売り場をひとまわりすると、果たして僕の一番好きな”BANGYIKHAN”が充分に在庫されていたから喜び勇み、2本をキャッシャーに持ち込む。

ホテルに戻る幹線道路は大渋滞をしていた。すこし遠回りをしてフアヒンの駅へ行き、その日影で小休止をする。ふたたび走り出して、今度はホテルのちかくから”NARESDAMRI ROAD”に入る。この狭い道を、不法駐車のクルマや、それを避けようとして道をふさぐクルマのあいだをすり抜け、1階に魚屋を併設する料理屋を見つける。2階への階段を上がると、昼食を摂る地元の人たちの向こうは砂浜である。

ここの店員らしいオニーチャンに予約を頼もうとすると、専用の窓口を教えてくれた。よってその、駅の切符売り場のようなところまで歩き、18時に席ふたつを確保するよう係のオバチャンに伝える。来た道を戻り、ホテルの正門から、アンセリウムが寄生する大木の脇を走って自転車を戻す。時刻は13時50分。上出来の時間配分である。

部屋に入れば即、シャワーを浴びる。汗に濡れたポロシャツはベランダに干した。そしてコンピュータを起動し、今日ここまでの日記を書く。庭の、初日とおなじスパにかかろうとした家内は、しかし今日は18時30分まで満員とのことにて、部屋で休んでいた。

今日こそは、しなくてはならないことがある。明日の、バンコクまでの足を確保することだ。長い回廊を歩いてロビーに降り、フロントのオネーサンに、スワンナプーム空港までのバスについて訊く。オネーサンは、バスステーションまでのトゥクトゥク代は300バーツ、バスの予約は自分でして欲しいと、ベルトラベルサービスのURLを教えてくれた。

部屋に戻り、教えてもらったばかりのサイトであれこれ調べる。バスの行き先はスワンナプーム空港しか選べない。運賃はひとり269バーツに予約手数料が50バーツが加わって319バーツ。空港からホテルまでのタクシー代は、概ね400バーツくらいか。とすればふたりで1,300バーツ強。そのことを家内に伝えると「ここからバンコクまでタクシーで行けるの」と、もっとも楽な方法を探りはじめた。「そりゃぁ、金さえ出せば、何でもできるよ」と答えて、今度はふたりでフロントへ行く。

「ここからバンコクまでタクシーってのは、どうでしょう」と、先ほどのオネーサンに訊く。「それならホテルのリムジンがございます」と、今度は先ほどとは異なって、誰にも確かめることなくオネーサンは即答をした。しかし「リムジン」という言葉の響きが僕をひるませる。

「5,000バーツだって」と、ソファで休む家内に振り向いて告げる。「いいじゃない」と、家内は涼しい顔である。街のそこここにブースを設けている観光タクシーに交渉をすれば、バンコクまでの価格は多分、2,000バーツくらいのものだろう。しかしリムジンであれば、整備されたクルマと優秀な運転手が約束されている。リムジンとは畢竟、金で安全を買う仕組みである。

「イヤだよー、トゥクトゥクでバス停まで行って荷物を降ろして、今度はバスに荷物を載せて。それで行き先は空港でしょ。空港からホテルまで、また1時間くらいかかるでしょ」と、もはや家内はバスなど眼中にない。僕はふたたびオネーサンに向き直り、明朝9時のリムジンを予約した。代金はいずれ、家内が払うのだ。

午後の強い日差しがいくらか弱くなる。16時20分にホテルを出る。夜が明ける前からホウイッ、ホウイッと啼く鳥はいつも、濃い樹影の中に潜んで観察することが能わなかった。その鳥を遂に、路上から家内が見つける。葉の疎らな木の高いところで啼くその鳥は、尾長よりすこし大きく、真っ黒な体に細い嘴だけが黄色かった。

きのうのマッサージ屋は大繁盛で、マッサージ師は、きのう見知ったオニーチャンしか空いていない。「10分だけ待って」と、そのオニーチャンは我々を店内に招き入れた。もうひとりのマッサージ師はすぐに現れた。そして足のマッサージを1時間だけ受ける。ここでも家内は料金払い係、僕はチップ渡し係である。

巨大なヒルトンホテルの客をあてにしてるのかどうかは不明ながら、多くの飲食店やインド系の仕立屋が軒を連ねる”NARESDAMRI ROAD”を北へ歩く。そして昼に予約をした料理屋の階段を上がり、ちかくにいた客席係のオニーチャンに名を告げる。

オニーチャンは、砂浜に張り出すようにして伸びる、まるで桟橋のような客席に我々を先導し、奥に立つ、別のオニーチャンに僕の名を大声で伝えた。用意されていた席は、もっとも海側の南の角だった。予約係のオバチャンは、愛想こそ悪かったものの、良い仕事をしてくれたものだ。

その店の、注文したものはすべては美味かった。すっかり日の落ちた盛り場を抜け、駅から伸びる目抜き通り”DAMNOENKASEM ROAD”まで戻る。それを渡ればホテルの正門はちかい。ロビーに達するまでの巨木のどこかでは、またまたホウイッ、ホウイッと鳥が啼いている

家内に乞われてロビー脇のエレファントバーの席に着く。バーテンダーは、細身でショートカットのオネーサンだった。家内はモヒート、そして僕は、昼に買ったラオカーオ2本分にほぼ等しい価格の、しかし量はグラスの底にほんの少しのグラッパを飲む。

勘定を頼み、カードキーを納めた厚紙の部屋番号を見せる。伝票の署名欄のすぐ上に”TIP”の文字が見える。「どうしようかなぁ」と一瞬、考え、そこには何も記さず、財布から取り出した100バーツ紙幣1枚を伝票に添えてオネーサンに渡す

部屋を出入りするのは、朝から何度目になるだろう。服を脱いでガウンに着替え、すこしだけ休むつもりでベッドの布団に潜り込む。そして結局は、シャワーも浴びないまま眠りに落ちる。時刻は多分、20時にも達していなかった筈だ。


朝飯 “Centara Grand Beach Resort & Villas Hua Hin”の朝のブッフェの1皿目2皿目コーヒーパンパイナップルジュースとオレンジジュースの混ぜ合わせ
晩飯 “CHAOLAY SEAFOOD”のヤムウンセンタレーハマグリのミント蒸しホタテ貝のにんにくバター焼き海老焼きそば“TIO PEPE”(ソーダ割り)

2018.3.24(土) タイ日記(2日目)

目を覚まし、ゴム草履を履いてデスクに近づく。そして電気スタンドのスイッチを入れて、コンピュータを起動する。時刻は3時だった。先ずはデジタルカメラからコンピュータに画像を移す。その中から昨日の日記に必要な画像26枚を選ぶ。26枚とは、aからzまでのアルファベット26文字を画像のファイル名にするからだ。それ以上の枚数が使いたくても、どうにかして26枚に抑えるのが、ここ数年の僕の決まりである。

3時30分を過ぎたところでホウイッ、ホウイッという、この国の主に南部で耳にする鳥の声がベランダの向こうから聞こえてくる。きのうの日記は長すぎて、なかなか書き終えない。疲れてベッドに横になり、またデスクに戻って書くことを明け方まで繰り返す。

7時を過ぎたところで朝食の会場へとおもむこうとする。このホテルは藩王の屋敷というより宮殿と表現をすべきだ。きのうの日記にも書いたことだが、ロビーへ出るには、庭に面した回廊を数百メートルほども歩く必要がある。その途中に見つけた図書室には、国別に区切られた書棚が整えられ、過去の宿泊者が置いていったものだろう、日本の本も数十冊はあった

部屋のカードキーは、チェックインの際に厚紙に挟まれた状態で手渡される。その厚紙を開くとホテルの見取り図になっている。その図の”Railway Restaurant”が朝食の場所とは、今朝はじめて知ったことだ

朝食の豊かなホテルに泊まり、その朝食を時間をかけて摂る。そして昼食は食べない。というか、腹が減らないので食べられない。家内と旅に出たときには、その1日2食が常態となる

コテイジのそれを含めれば、一体全体どれほどの数があるか分からないプールのうち、部屋に最もちかい”Railway Pool”で昼の数時間を本読みに充てる。寝椅子の脇には、料理や飲物を注文するためのボタンが用意されている。近づいて来た係から、トマトとチーズの串にジェノベーゼソースをかけたピンチョス1本をもらう。

14時すぎにタイパンツを履き、帽子をかぶって家内と部屋を後にする。きのう駅から歩いたときには気づかなかった正門を目指す。部屋からここまでのあいだに、既にして4、500メートルは歩いている気分だ。

先ずは”DAMNOENKASEM ROAD”と”NARESDAMURI ROAD”との交差点の南西角にあるスーパーマーケットをひやかす。元は酒屋だったのだろうか、酒の点数が異常に多い。ラオカーオは残念なことに1種類しか置いていなかったが、バンコクに移動する際には買っていこうかと思う。

そのスーパーマーケットから駅に向かっていくらも離れていないマッサージ屋にて、肩と背中と足のマッサージを1時間だけ受ける。金を払いながら痛みに耐え、最後はチップまで渡すタイのマッサージについては、僕は「安い店でなら暇つぶしに受けても良い」くらいのところだ。今日のマッサージは家内のおごりにて、チップのみ僕が二人分を払う。

フアヒンの日中の気温は30℃ほどだろうか。しかし日差しがきついため、街では日影を選んで歩く。飲食店やバーの多い”POONSUK ROAD”から”DECHANUCHIT ROAD”に出て、夕食を摂るべき繁盛鍋屋を探す。そして迷った挙げ句、ようようその店を見つける。

荷物を減らすため、ガイドブックは必要なページのみ引きちぎって持参する。よって何年号かは不明ながら「地球の歩き方」の地図は、この鍋屋ソンムージョームの位置を間違えている。正しい場所は、街の真ん中を南北に走る”NAEBKEHARDT ROAD”と東西に伸びる”DECHANUCHIT ROAD”が交わる南東の角、である

そこから目抜き通りの”DAMNOENKASEM ROAD”まで戻るPHETCHKASEM ROAD”には、タイでは珍しくない、その真ん中に木が植えられ、電話ボックスがあり、あるいはがれきだらけの「歩けない歩道」が続いている

部屋に戻って即、汗に濡れたポロシャツを脱いでベランダの物干しにかける。そしてシャワーを浴びる。タイにあっては、帳面にでも付けておかない限り覚えていられないほど、日に何度も沐浴をする。

兎に角、部屋から門まで4、500メートルはあろうかというホテルだから、本日2度目の外出では、もう歩く気はしない。目抜き通りに出たところでトゥクトゥクに声をかける。鍋屋の交差点まで100バーツという値を確かめて席に着く。僕の知るトゥクトゥクは多く3人乗りだ。しかしこの街のそれは席が向かい合って、6名は乗れる仕様になっている

ソンムージョームの夜の部は17時30分からと、店先には札が出ていた。しかし我々が着いた17時20分には、既にして幾組もの客が入っていた。幸いにして空いていた外の席に着き、肉と魚貝類のチムジュム、クンオップウンセン、レモンティー、ソーダ、そして氷を注文する。

繁盛店らしく、料理が席に運ばれるまでに15分ほどは待っただろうか。家内はチムジュムのスープにいたく感心をしてたが、僕はむしろ、クンオップウンセンの美味さに心を奪われた。大きな海老が3尾も入っているのは、シャム湾に面した土地柄だろうか。

店は暗くなる前から、既にして満席である。代金は415バーツだった。そこから目と鼻の先のナイトマーケットをそぞろ歩く。正面には、駅の北側にある山が見えている。明日はこのあたりで夕食を摂っても良いかも知れない

帰りはふたたびトゥクトゥクを拾う。ホテルの正門までとばかり考えていたトゥクトゥクは、しかし門柱と車止めのあいだをすり抜け、ロビーの前に横付けをしてくれた。これこそサバイ、サヌック、サドゥアックの三拍子である。そのロビーには、これから街へ出ようとしていた白人の団体がいた。トゥクトゥクの運転手が効率よく稼げて何よりである

名状しがたい風情の明かりが点された回廊を辿って部屋に戻る。そしてシャワーを浴び、ベッドで本を読むうち、メガネをかけたまま眠ってしまう。時刻はいまだ、19時台だったと思われる。


朝飯 “Centara Grand Beach Resort & Villas Hua Hin”の朝のブッフェの1皿目2皿目コーヒーパンテンモーパン
晩飯 「ソンムージョーム」のクンオップウンセンチムジュム(ミックス)ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)

2018.3.23(金) タイ日記(1日目)

「成田から早朝バンコクに着きました。ウボンラチャタニーでの夕食は…」というような、途中経過を欠く日記は読む気がしない。当方が知りたいのは、その人のバンコクからウボンラチャタニーまでの経路や、バンコクからウボンラチャタニーへ至るまでに必ずあっただろう、諸々の階調の変化なのだ。しかしてまた、僕が旅の初日に記すような長い文章はハナから読まない人も、いてしかるべきとは思う。

“BOEING747-400″を機材とする”TG661″は、定刻に15分遅れて0時35分に羽田空港を離陸した。馬が喰うほどオフクロの遺したデパスとハルシオンのうちの各1錠ずつは、ベルト着用のサインの消えた0時45分に飲んだ。効くときには一瞬にして眠りに落ちるこの組み合わせだが、今回はなかなか寝付かれない。

人の気配がすることには数分前から気がついていた。それが徐々に近づいてきたため、アイマスクを外す。客室乗務員が熱いおしぼりを配っている。それを僕ももらって目頭を拭く。おしぼりとはいえ不織布のため、熱さがすぐに失われるのは味気ない。機は海南島の東方洋上を南西へと向かっている。

05:35 朝食が配られる。
05:55 ダナン上空を通過。ここからバンコクまでは1時間の行程である。
06:30 客室乗務員のアナウンスを受けて、記入済みの古い入国カードを棄て、受け取った新しい入国カードに情報を書き直す。

“TG661″は、定刻より24分はやい日本時間07:01、タイ時間05:01にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。

05:22 パスポートコントロールの列に並ぶ。
05:49 パスポートコントロールを抜ける。
06:16 エアポートレイルリンクの車両が空港駅を発車。マッカサンまでの運賃は35バーツ
06:40 マッカサン着
06:45 ラチャダーピセーク通りの歩道橋を渡ってMRTペチャブリー駅に向かう

06:49 MRTペチャブリー駅を発車。ファランポーンまでの運賃は30バーツ。
07:06 MRTファランポーン駅着
07:14 地下道を歩いてファランポーン駅の構内に入る

今回の目的地であるフアヒンへの最も合理的な経路は、スワンナプーム空港からバスに乗る手だ。しかし合理的な経路と面白い経路が等号で結ばれることは少ない。タイでの長距離移動は、線路が通じてさえいれば鉄道が一番、というのが僕の感想である。

タイの鉄道は夜は二等寝台、昼は三等車に限る。その三等車の切符を、どのような理由によるものか、国鉄職員は外国人にはあまり売りたがらないという情報をウェブ上で目にした。フアヒン行きは、”Special Express”が08:05発のフアヒン11:26着。それに対して三等車の”Ordinary”は09:20発のフアヒン13:30着である。朝の7時台に駅に着きながら、発車の遅い、しかも三等車に乗るのはいかにも不合理、不自然だ。

よって当方は「冷房車は窓に遮光のための色が付いているから景色が綺麗に見えない」だの「タイの冷房は寒すぎるから風邪をひく」だのと理論武装をして窓口に進む。しかし案に相違してオニーチャンはにこやかに、僕の頼んだ切符を二つ返事で発券してくれた。バンコクからフアヒンまでの距離229Kmに対して三等車の運賃は44バーツ。実に汁そば1杯分の料金である

7時30分に来ると言っていた同級生コモトリケー君は8時がちかくなってからファランポーン駅に姿を現した。日光味噌梅太郎の白味噌を1kg朝露を1本、それに家内の買った酒肴を手渡すと、僕のスーツケースは一気に軽くなった。そのできた隙間に背中のザックから出したコンピュータを納める。

08:00 駅の構内に国王賛歌が流れたため、周囲のタイ人と共に起立をする
08:05 仕事に行くコモトリ君と別れ、プラットフォームの7番線でベンチに座る
08:10 ラチャブリー発バンコク行きの9両編成が7番線に入線
09:00 その9両編成が7番線からどこかに消える。
09:07 我々の乗る3両編成の261番列車が7番線に入線してくる

タイ国鉄の駅は日本のそれのように、乗車位置をプラットフォームに示すような親切なことはしていない。乗客は、ちょうど昇降口が自分の前に来るだろう場所を想像してプラットフォームのあちらこちらに個人あるいは小さな列を作って列車を待つ。

僕の脇に立っていたオジサンはその賭けに負け、しかし何とか席を確保しなくてはならない。そして焦ってプラットフォーム上に転倒した。そのオジサンの立ち上がるのを確認して僕もタラップを駆け上がる。そうして進行方向左側の2席を死守する。それからようやく、家内が車両の下まで転がしてきたスーツケースを車内に持ち上げる。僕の小さなスーツケースは網棚に、家内の大きなそれは他の乗客に倣って通路に置いた。

09:20 フアヒン行き261番列車は驚くことに定時にファランポーン駅を発車
09:33 サムセン停車
09:40 バンスージャンクション停車

チャオプラヤ川を渡ると列車はようやく速度を上げた。ディーゼルエンジンはときおり航空機用レシプロエンジンのような排気音を発して快調に回る。線路の継ぎ目を越える音がいきなり高くなる。ファランポーンのプラットフォームで20バーツで買った鶏のガパオと目玉焼きの弁当を食べようとして、プリックナムプラーをズボンに散らす。

09:49 バンバルム停車。
10:00 タリンチャンジャンクション停車
10:16 サラヤー停車
10:22 ワットスワン停車
10:25 クロンバンタン停車

バナナと椰子の木、そして疎らな民家ばかりが見える。天候は曇り。気温は26度くらいだろうか。窓はファランポーン駅を出る前から全開にしている。

10時30分、ワットニューライで白人の中年男女ふたり組が降車しようとして降りられない。脇のボタンを押さなければ扉の開かないことを知らなかったらしい。地元の乗客がそのボタンを押してくれたため開いたドアから降りようとして、しかしそのことに気づかなかった車掌がドアを閉めるスイッチを入れたのだろう、女の人は閉まりつつあるドアに頬を叩かれ、車両はそのまま何ごとも無かったように発車をしてしまう。

10時05分、駅に着くたび席から中腰になり、外の駅名看板を確かめる僕に、いま停車中の駅はナコンチャイシーであることを、おなじボックスに座るオニーチャンが自分のiPhoneで教えてくれる。

10:44 トンサムロン停車
10:48 ナコンパトム停車
10:51 サナムチャンドラパレス停車
10:57 プロンマドゥア停車

11時01分、クロンバンタンを過ぎたあたりから雲行きが怪しく、風も涼しくなってくる。

11:06 ノンプラドゥックジャンクション停車

11時10分、左手に大きな役所、間もなく大きなキリスト教会が見えてくる。やがて停まった駅はバンポンだった。

11:17 ナコンチュム停車
11:20 クロンターコット停車
11:25 パックナーラン停車

用を足すため席を立って隣の車両へ行く。こちらの席はアルミニウムをプレスしただけのもので、クッションは付いていない。自転車を持ち込んでいる白人もいれば、床にあぐらをかくオバチャンもいて、僕の乗る車両よりも景色は賑やかだ。

11:31 チェットサミアン停車

11時41分、幅の広い川を渡ると間もなく駅に停まる。確認はできなかったが多分、チュラロンコーンブリッジと思われる。

11:44 ラチャブリー停車

雨が降ってきたため、目の前に座ったオニーチャンとの共同作業にて窓を閉める。途端に車内が蒸し暑くなる。有り難いことに間もなく雨が止む。即、窓をふたたび全開にする。

11:59 パクトー停車

この列車は鈍行ではなさそうだ。しかし数分おきに停車を繰り返す。かと思えば長い距離を一気に駆け抜けることもある。左手には遠くの森まで水田が広がっている。右手は水田の先に、地面からいきなり盛り上がったような、タイ特有の山々が連なっている。

12:29 ペチャブリー停車
12:35 ペチャブリー発車

いきなり涼しくなったのは、シャム湾が近づいたためだろうか。

12:44 カオターモン停車
12:48 ノイマイルアン停車
12:53 ノンチョック停車

未明の機内食と小さな駅弁しか口にしていないため小腹が空く。よって日本から持参した干し柿を食べる。右手はるかにあった山々が、ずいぶんと近いところまで迫ってくる

12:59 ノンサラー停車

13時10分にチャアムに着く。ここまで来ればフアヒンは指呼の先である。旅行者を含めて結構な数の乗客がここで降りる。オレンジ色のベストを着た、これまた結構な数のモータサイの運転手が、プラットフォームで客に声かけている。軽井沢に対する北軽井沢のように、ここもリゾート地として人を集めているのかも知れない

チャームを出ると、3両編成の三等車は鞭を当てられた競走馬のように一気に速度を上げた。

13:23 フアヒンの直前にあると聞いていたトンネルを過ぎる。
13:24 左手に飛行場の管制塔らしいものが見える。
12:29 タイ国鉄の仕事としては奇跡的と思われる、定時の6分前にフアヒン着

フアヒンの駅前はこぢんまりとして美しい。先ずは人力車のオヤジが声をかけてくる。「ふたりじゃ無理だよ」と答えると、別の一台を指して「分乗すれば」と言っているのだろう。料金は訊く気もしない。次は観光用の写真パネルを持ったオヤジが「タクシー?」と近づいてくる。ホテルの名を告げると「150バーツ」と英語で答えたので「高い」とタイ語で返す。客引きはそのままどこかに消えた。まける気はさらさらないらしい。

数百メートル先の高いところにヒルトンホテルの”H”の印が見えている。予約をしてあるセンタラグランドビーチリゾート&ヴィラズフアヒンという長い名のホテルは、そのヒルトンホテルの向かい側にある。よって嫌がる家内を説得するまでもなく、家内の大きなトランクを曳き、タイ特有の、車道から高さのある、しかも敷石の平坦でない歩道を歩き始める。

駅からホテルまでは、やはり数分の距離だった。ホテルの守衛に予約してある旨を伝える。芝や樹木のよく手入れされた庭の道を往くと、守衛から連絡を受けたベルボーイが満面に笑みを湛えて近づいてくる。これでひと安心である。

地元の人には「センタラ」と略して呼ばれるここは、1923年に建てられた、フアヒンでもっとも古いホテルだ。ロビーで冷たい飲物を受け取り、チェックインを済ます。そのフロントの女の人と会話を交わしつつチーク作りの湾曲した階段を上がる。庭の緑を眺め降ろす廊下は200メートルほども続いていただろうか。

案内をされた部屋に入って右側はウォーキングクローゼットと化粧のための部屋、左手は床に大理石を奢ったバスルーム、その奥の寝室の床はもちろん、磨き込まれたチークだ。間もなくふたつのスーツケースが部屋に届く。ベルボーイに100バーツを渡す。数百メートルの移動に150バーツを要求するタクシーには「冗談じゃねぇよ」ではあるけれど、祝儀については、僕は割と鷹揚である。

汗まみれの体をシャワーで洗う。ガウンを羽織ってベランダに出る。そして寝椅子にバスタオルを敷き、目の前に迫った木々の葉、プールに集う人々、その向こうのシャム湾を眺めれば、もう何をする気も起こらない

「アフタヌンティーに行こう」と家内が言う。15時からそんなものを腹に入れては夕食が不味くなる。しかしひとり旅でなければ、多少は人に合わせる必要もある。アフタヌーンティーも出す”The Museum Coffee & Tea Corner”へ降り、そこで家内は甘いものと甘い飲物、僕は冷たい茉莉花茶を飲む。

その足で階段を降りて庭に出る。このホテルの敷地は広大すぎて、その全容はなかなか掴めない。部屋のベランダから間近に見えていた赤い屋根は、一戸建てのスパだった。そのスパで家内は90分のマッサージを頼んだ。僕は目と鼻の先の”COAST Beach Club & Bistro”へ寄り、夕食の予約をする。「今夜はブッフェのみになります」と係のペペ君は言った。望むところである。

ふたたび長い廊下を辿って部屋に戻る。楕円形のテーブルには3個の柑橘が届けられていた。家内のいない90分間は、日記を書くことに充てる。途中でメイドが部屋を整えに来る。彼女はすべてのタオルを新しいものに換え、アイスバケットを氷で満たし、ベッドの掛け布団を斜めに折り返した。よって50バーツを手渡す。

予約をした19時すこし前に庭に降りる。白服のペペ君は我々を認め、午後に指定した席に案内をしてくれた。すぐそばには7つか8つのブースがしつらえられ、それぞれに生野菜やサラダ、貝類、握り鮨、ローストビーフ、巨大な鱸のオーブン焼き、炭火を熾したグリル、デザートなどが置かれている

僕はそれらをすこしずつ皿に盛り、白ワインの肴にする。ステージでは、ギターの男二人組と女性の歌手がスタンダードの曲を静かに演奏し始めた。しごく気分の良い夕べである。料理を皿に取って戻るたびに椅子を引いてくれ、またグラスにワインを注ぎ足し続けてくれたオジサンには「少しね」とタイ語で伝えつつ100バーツを手渡す。

以降のことは何も覚えていない。


朝飯 “TG661″の機内食
昼飯 ファランポーン駅7番線プラットフォームで買った弁当
晩飯 “COAST Beach Club & Bistro”の生牡蠣と茹で烏賊と蒸しムール貝、サラダ、マカロニグラタン、蒸した蛤、鱸のオーブン焼き羊の網焼き、ニュージーランドのソーヴィニヨン・ブラン、アイスクリーム、ティラミス、バナナの飴煮、”JOHNNIE WALKER BLACK LABEL”(生)


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2018.3.22(木) きのうの雪

きのうの雪により、店の犬走りが著しく汚れた。モップで拭えるたぐいのものではない。よって、こういうときのために充分な長さの採ってあるホースを奥から伸ばし、乾いてこびりついた泥を水とデッキブラシにより洗う。その仕事を途中から長男と事務係のカワタユキさんに任せる。店の床は別途、販売係のタカハシリツコさんが綺麗に水拭きをしてくれた

冬に北国に旅して雪が無いと気落ちをする。しかし雪は、旅先だけでたくさんである。

18時の終業から15分だけはレジの精算に当たる。以降はその仕事を長男と嫁に任せる。18時40分に長男の運転するホンダフィットで駅まで送ってもらい、下今市18:57発の上り特急スペーシアに乗る。僕なら終点の浅草で降りて都営浅草線に乗り換え、羽田空港国際線ターミナルを目指す。しかし今回は家内とふたりで、その家内は、都営線浅草駅の階段の上り下りは避けたいという。

よって初めての、東武日光線を北千住で降りて日比谷線で人形町、そこから都営浅草線で羽田空港国際線ターミナル、という乗り換えを試してみた。浅草で夕食を摂らないなら、この経路もなかなか悪くない。

21:37 羽田空港国際線ターミナル着
21:44 チェックイン完了
22:10 飛行機に乗る直前の食事は、酒に合わないものを最上とする。
22:41 保安検査場を抜ける。
22:44 パスポートコントロールを抜ける。

23:01 105番ゲートに達する。
23:43 搭乗開始


朝飯 生のトマト、ひじきと梅干のふりかけ、納豆、鰯の梅煮、五目白和え、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、筍の土佐煮、しその実のたまり漬、メシ、油揚げと万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「つるとんたん羽田空港店」の「カレーのおうどん」

2018.3.21(水) 栓抜き

きのうの天気予報では、春分の日に雪の降りそうなところとして、甲信越から相州、武州のあたりが色分けされていた。よって「なんだ、里雪か」と高を括りつつ今朝になると、雪の範囲は北に広がって、日光もその中に含まれていた。「そろそろスタッドレスタイヤをノーマルタイヤに戻す時期だ」との考えが数日前に浮かんだ。すぐに実行しない方が良いこともあるらしい。

11時のころより雪がちらついてくる。その降る量が頂点に達したのは14時くらいだっただろうか。しかしそこからは急に勢いを弱め、店を閉める18時にはほとんど上がった。

それはさておき旅の準備である。僕の旅の荷物は一般のそれにくらべて小さい。いくら長い日程でもスーツケースは機内持込サイズで、重さは8キロ内外だ。しかしそこに収まる点数は少なくない。

昨年の秋にチェンコンでラオカーオを割るためのソーダを買い、その栓をホテルの食堂で抜かせてもらったところ、泡が吹き出しキャッシュレジスターを濡らした。「どうということはない」と係のオネーサンは笑ってくれたが迷惑をかけ続けるわけにはいかない。

次の日に街道筋で栓抜きを探した。缶切り兼用の大きなものしか見あたらなかった。仕方なしに手に入れた。タイから持ち帰ったそれを今回の荷物には含めたくない。しかし誰でも一度は見たことのあるだろう、ビール会社の名などが刻印された簡素なものは家に無い。

栓抜きとして使えそうなものを食器棚から複数、取り出す。そしてそれらの重さを逐一量り、もっとも軽かった一丁をスーツケースの隙間に入れる。


朝飯 筍の土佐煮、納豆、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、鰯の梅煮、五目白和え、しその実のたまり漬、メシ、豚肉と葉玉葱の味噌汁
昼飯 「麺屋ききょう」のネギ塩ラーメン
晩飯 水菜と人参と鰯の南蛮漬けのサラダブロッコリーのオムレツパン豚すね肉のコンフィ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”無花果の砂糖煮アイスクリームとアップルパイ、”GRAPPA Stravecchia 18 MESI”(生)


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2018.3.20(火) 寒さふたたび

男子の休憩室では心臓の検査、女子の休憩室では視力と聴力の測定、1階の通路では身長と体重の測定と、社内の各所を利用して、8時20分より健康診断が始まる。社員はその時間を待ちかねていたように、みずからの書類を次々と受付に提出する。しかし僕は店舗や製造現場を歩きまわっていつまでも受付を済まさない。血を採るための血管注射が怖いのだ。

歯医者では、口の中で道路工事まがいのことをされても平気である。胃カメラ、鼻カメラのたぐいも苦にしない。バリウムを飲むなどは平気の平左である。ただ血管注射だけが、苦手なのだ。

いつまで逃げているわけにもいかない。遂に受付の人に書類を手渡し、あちらへ行ってくれ、次はどこそこと指示をされるまま、各々の場所を巡る。そしていよいよ採血のテーブルに着く。

「採血の際にご気分の悪くなったことはありますか」と訊かれて「それはありませんが、そして歯医者とかは平気なんですが、ただ、血管注射だけが苦手なんです」と答える。

「ちょっとチクリとしますね」と看護師がひとこと断って、僕の左腕の血管に針の先を侵入させる。チクリとするなどは屁でもない。痛みが怖いのではない、血管に針を刺すということが、僕にはひどく不気味に感じられるのだ。その不気味さとは、たとえばまな板の上に仰向けに寝かされ、腹を割かれたカエルの活き作りを食べろと強要されているような気味の悪さである。

針を抜いた皮膚から血の球が盛り上がってくることも、また不気味である。看護師は脱脂綿でその血を2度ほど拭い、白い絆創膏を素早く貼った。なんとは無しの気味の悪さは、僕の左腕から、しばらくは消えないだろう。

夜は日本酒に特化した飲み会「本酒会」に参加をするため、自転車で日光街道を下って「食堂ニジコ」へ行く。今日の1本目は「喜久水酒造」の「一時」である。宮中晩餐会の食前酒にしても恥ずかしくないと僕の信じるこの生酒は、暴発すればあたりを著しく汚す。よってイチモトケンイチ本酒会長は外へ出て、長い時間をかけて栓を抜いた。その白く濁った酒がしごく美味かったことは言うまでもない。


昼飯 ラーメン
晩飯 「食堂ニジコ」のあれやこれやそれや締めのあんかけチャーハン。5種の日本酒(冷や)


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2018.3.19(月) 問診票

問診票の「就寝前の2時間以内に夕食をとることが週3回以上ある」の「はい」に印を付けながら「これは『いいえ』に印を付けた方が健康的、ということなんだろうな」と考える。しかし僕の「就寝前の2時間以内に夕食をとる」は早寝早起きの励行によるもので、むしろ褒められるべきではないのか。あるいは睡眠時間を削っても、夕食の終了から2時間は起きていた方が良いのだろうか。

そのような質問を医師または看護師にしても、曖昧な答えしか返ってこないだろう。また、そのような質問は敢えてしないのが大人と僕は考えている。よって明日の健康診断でも、医師または看護師から質問があったときのみ口を開こうと、今から決めている。

そういえば以前の問診票には「どちらかといえば塩味のものが好き」と「どちらかといえば甘いものが好き」の二者択一があって、その前者に印を付けたところ、看護師はその脇の「減塩」という文字を、ボールペンを持つ手に力を込めて丸で囲んだ。

バターと砂糖をたっぷり効かせたフレンチトーストよりケチャップ抜きのホットドッグの方を好むことによりそのような回答をするに至ったわけだけれど、どうにも釈然としない気持ちになったことは言うまでもない。しかしそのときも、僕は特に、言葉は何も発しなかった。

夕食を終えてのち、いつものようにミルクパンに水350ccを入れる。そしてそこに煮干し4尾を投入しようとして「そうだ、明日は健康診断で、朝飯は抜くように言われていたんだった」と思い出す。


朝飯 蓮根のきんぴら、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、納豆、油揚げの網焼き、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、生のトマト、しその実のたまり漬、メシ、豆腐と油揚げと茎若布の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 “TIO PEPE”2種のサラダ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”スパゲティを添えた煮込みハンバーグ“GEVREY CHAMBERTINE DOMAINE DUJAC 1985”


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2018.3.18(日) 暑さ寒さも

朝、家内、長男、嫁、孫との5人で墓参りに行く。そのとき偶然、聖ヨゼフ幼稚園から今市中学校までの同級生イトーカツユキ君に遭遇をする。2012年に病没をした同級生ババトモユキ君に線香を上げてきたと、イトー君は言った。よって帰りかけていたイトー君に案内を請い、僕もババ君の家のお墓に手を合わせる。

「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、このところは手袋をしなくても、自転車に乗れる。フリースで裏打ちした上着を着なくても、外へ出て行ける日が増えてきた。これからは冬枯れを脱し、行楽のお客様が増えてくるだろう。きのう店では「らっきょうのたまり漬」のうち「浅太郎」が売り切れてしまった。そういう次第にて、今朝は道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の在庫も厚くしておく。

店舗の閉店時間はきのうから、通常の18時に戻った。その閉店を待つことなく18時前に、春日町1丁目公民館への階段を上がる。そして瀧尾神社の春の大祭について、町内の役員15名たちと23時20分まで会議を持つ。5時間20分とは、これまでの最長記録かも知れない。


朝飯 納豆、スペイン風目玉焼き、ほうれん草のソテー、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、蓮根のきんぴら、メシ、三つ葉の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 「やぶ定」のカツ丼、公民館にあった芋焼酎「黒霧島」(お湯割り)


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2018.3.17(土) 花粉の季節

子供のころ、特に小学生のときには、運動性喘息とアトピー性皮膚炎に悩まされた。にもかかわらず、花粉症には縁がなくて助かっていた。しかしその安楽も、1990年代の中ごろまでのことだった。ある風の強い日、杉の多く植えられた里山ちかくで数時間を過ごすうち、たちまち花粉症の患者に仲間入りをした。

花粉症とはいえ、目玉をくり抜いて流れる水でゴシゴシと洗いたくなるような、極端な症状ではない。朝、目覚めたときの眼球の違和感により「今朝はどうも、花粉が多く舞っているらしいな」と気づく程度のものである。

店舗の犬走りには、黒い石が敷き詰めてある。その色の具合により、黄色い花粉はよく目立つ。今朝のそれは、モップで撫でたくらいでは払いきれない。そう判断をしたのだろう、家内と販売係のタカハシリツコさんは、その黄色い粉をホースの水で洗い流し、水はゴムべらで駐車場に掻き落とした。春の到来は嬉しいものの、なかなか一筋縄ではいかないのだ。


朝飯 ひじきと人参の甘辛煮、蓮根のきんぴら、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、温泉玉子、生のトマト、メシ、豆腐と長葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」のタンメン(バター載せてね特注)
晩飯 イナダ吸い物鯛の酒蒸し、莫久来、若布と三つ葉の酢の物、ほうれん草の胡麻和え、イナダの刺身、揚げ薩摩芋の砂糖和え、「富士錦酒造」の「しぼりたて原酒」(冷や)、チョコレート、”Old Parr”(生)


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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