2017.7.3(月) カブトムシ
起きて仏壇にお茶と水と花を供え、食堂のテーブルに落ち着くと4時30分になっていた。僕としては、特に早い朝ではない。
この日記の更新が滞り始めたのは、昨週の月曜日からのことだ。理由は体調の不良による。今朝はおとといときのうの日記を一気に書き、最後の遅れを取り戻す。
それにしてもバンコクにいたときの、微熱が去って以降も続いた胃痛は何だったのか。どうにも得心がいかないため、帰国していくらも経たないうちに、胃カメラによる検査を消化器の専門病院に予約した。検査日は病院と僕の予定が合わず、今月13日まで延びた。むかしと違って今の胃カメラは細くなり、とても楽である。
きのう蔵の北側の通用口に、カブトムシが大人しく休んでいた。「いまだ夏の始まる前からこれほど大きな成虫がいるものだろうか」と意外に感じ、写真を撮ろうとしたものの、忙しく働くうち忘れてしまった。そのカブトムシが今日も、おなじところにいる。きのうから動いていないらしい。
子供のころは木で虫かごを作り、底におがくずを敷いて、クワガタムシの運搬用とした。採ったクワガタムシはここに入れ、学校へ持っていって友だちに見せた。同級生たちもそれぞれの虫かごを持ち、おなじことをした。
人気があったのは何と言っても「ヨシツネ」と呼ばれた本土ノコギリクワガタである。オオクワガタについては誰も知らなかった。そして僕の周囲では、カブトムシはまったく珍重されなかった。
子供のころは平気で扱ったクワガタムシやカブトムシではあるけれど、いつの間にか虫が苦手になった。よって今回のカブトムシも写真のみを撮り、手で触ることはしない。
朝飯 納豆、生のトマト、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、胡瓜のぬか漬け、明太子、揚げ湯波とひじきと人参の甘辛煮、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 「ふじや」の雷ラーメン
晩飯 「夏太郎」らっきょう、うずら豆、鶏豆腐、「しいたけのたまりだき」他の薬味と胡麻のつゆで食べる素麺、「寳焼酎極上」とラオカーオの混合(ソーダ割り)
2017.7.2(日) 八坂祭の準備(御仮屋)
土曜日は平日の2倍、忙しい。日曜日は平日の3倍、忙しい。総鎮守・瀧尾神社の一の鳥居前に大御輿を納めるための御仮屋を作るに当たって、次年度当番町には8時の集合が求められていた。しかし僕はそれには間に合うことができず、8時30分に神社へ行く。
瀧尾神社の御輿より大きな御輿が他にどれだけ存在するかは知らない。とにかくこの御輿は大きい。ガソリンスタンドの軒先を借りて休むときなどは、最上部の鳳凰がそのスタンドの雨よけを擦りはしないかと心配しながら運び入れるほどの大きさである。よってそれを納める御仮屋にも、それなりの高さが必要とされる。
2時間もあれば建つと思われた御仮屋は、しかし昼もちかくなるころにようやく完成した。午後は本殿北側の倉庫から御輿を引き出し、台車に載せ、この御仮屋まで運び納める仕事もあるけれど、そちらについては有志に任せ、午後は店の仕事に専念をする。
朝飯 納豆、昆布と豚肉の沖縄風炒め、トマトのソテーを添えた目玉焼き、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、明太子、大根のぬか漬け、メシ、揚げ湯波とトマトとピーマンの味噌汁
昼飯 当番町仲町支給の弁当
晩飯 「夏太郎」らっきょう、冷や奴、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、豚の冷ししゃぶしゃぶ、大根のぬか漬け、「寳焼酎極上」とラオカーオの混合(ソーダ割り)、“Chez Akabane”のクリームホーン、”TIO PEPE”
2017.7.1(土) 八坂祭の準備(町内飾り付け)
事務机の左にかけたカレンダーの6月を奥へめくり、次の7月を表に出す。するとその今日のところには「15:00 みこし組立」とボールペンによる書き込みがあり、更には緑色の蛍光マーカーで、その文字が目立たせてあった。総鎮守・瀧尾神社の八坂祭は7月7日から14日まで続く。このお祭のための準備の、話し合いを除けば今日がその初日である。
オヤジの時代から、春の例大祭と夏の八坂祭のときには公民館の祭壇に上げ続けている御神酒酒、また町内名義で上げる御神酒の注文書を、雨の降る中、サカモトヤ酒店まで持っていく。自作の注文用紙は配達日と配達時間帯のみ空白にして、毎年、使い回しているものだ。
15時に公民館へ行くと、朝に注文した御神酒が配達されるところだった。祭壇は既にして飾り付けが始まっていた。僕の仕事は日光街道に面した家の注連縄張りにて、脚立を持ち、オノグチショーイチさん他の面々と、先ずは日光街道西側の北から南、次は日光街道東側の南から北へと縄を張っていく。もっとも少ないときで3人のときもあったけれど、今日は7人がこの仕事に当たったため、作業はとても楽だった。
次は東の蔵へ行き、東の子供御輿、また数年前からこの蔵に入れている西の子供みこしを組み立て、公民館の倉庫へ仕舞う。公民館の入口には竹を飾り、提灯台も組み立てる。
そのころになると、祭壇はすっかり整っていた。そして弁当とお茶を受け取って閉店前の会社に戻る。
朝飯 たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、生のトマト、昆布と豚肉の沖縄風炒め、胡瓜のぬか漬け、炒り卵、メシ、豆腐と揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のタンメン
晩飯 「食堂ニジコ」のお通しの冷やしトマト、皮蛋豆腐、エビと春雨のピリ辛炒め、麦焼酎「二階堂」(お湯割り)
2017.6.30(金) 繁忙
店舗と数メートルを接した木造アパートの火事により、店舗の裏壁に這わせた電線類は、そのほとんどが焼けただれた。そしてその電線には漏電が認められたため、類焼から2日後の水曜日に、コジマ電機により新たに敷設をされた。一方ここには電話線も存在し、しかし電線とおなじく焼け焦げたこれについては、今日まで後回しにされたきた。
朝、NTTの、これまでも工事を担当してくれていた部署に電話を入れる。技術係は午前のうちに来てくれた。先ずは被害を受けた現場、次に主装置、また3階と4階の壁に埋め込まれた電話線の点検扉に彼らふたりを案内する。一方、僕の目の前には、他の業者との連絡や折衝、また日常の業務も積み上がっている。NTTの被害調査が完了したら報せるよう事務係のカワタユキさんに言い置いて、銀行へ行く。
銀行に着いた途端、カワタさんからの電話で会社に呼び戻される。複数の用事を並行してこなしているため、能率はまったく上がらない。しかし非常時であれば、仕方がない。おとといの停電に伴うものかどうかは不明ながら、店舗の冷蔵庫に不具合が生じている。これについては自分のできる範囲で状況を調べ、来週初の検査をトチギ冷暖に電話で頼む。昼食は事務室でそそくさと済ませた。
明日から7月。夏のギフトの繁忙に、いよいよ突入である。
朝飯 ほうれん草のソテー、納豆、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、昆布と豚肉の沖縄風炒め、胡瓜のぬか漬け、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、牛乳
晩飯 トマトと蛸とキウィのサラダ、パン、ソーセージと根菜類のソテー、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、笹団子、”TIO PEPE”
2017.6.29(木) 四十九日
類焼による繁忙はやまやまではあるけれど、今日は家内の、5月14日に亡くなった父親の四十九日の法要が予定されている。よって家族5人で下今市07:45発の上り特急スペーシアに乗る。北千住で乗り換えた日比谷線の銀座から、偶然、次男がおなじ車両に乗り込んでくる。そして広尾で降りて、麻布の山の上を目指して南部坂を上がる。梅雨の合間の曇りにて、気温も湿度もそれほど高くないのが有り難い。天真寺には10時30分に着いた。
それから30分のあいだに、続々と人が集まり、控えの座敷は賑やかになった。読経、説法、納骨の後は、住職、副住職と共にお寺と接する料亭に席を移し、献杯から始まる食事を楽しむ。
赤ん坊もいることから寄り道はせず、広尾から北千住を経由して真っ直ぐ帰る。下今市には17時40分過ぎに着いたから、閉店の時間にはすんでのところで間に合った。そして社員から諸々の引継ぎを受ける。
朝飯 3種のおむすび、トマトと茗荷の味噌汁
昼飯 「有栖川清水」の前菜其の一、其の二、御椀、お造り、焼き物、煮物、食事、水菓子
晩飯 トマトとモツァレラチーズのサラダ、パン、ソーセージとマッシュルームのソテー、”Petit Chablis Billaud Simon 2015″
2017.6.28(水) 類焼
26日の月曜日にウチの隣で火事が起きたことは「火事だ、上澤さんちの裏が燃えてる」との、イケダツトムさんによる、町内役員の同報ラインへのコメントで知った。その第一報により、最初は築百数十年の隠居が焼けたと思った。しかし後に送られてきた画像を見れば、それは日光街道でウチの1軒日光側にあるカシワヤさんの裏、つまりウチの店舗の裏と知れた。
会社に電話を入れると、呼び出し音が長く鳴って、事務係のツブクユキさんが出た。長男は消防団の一員として出動し、家内は消防署の人と話をしているという。そこで一旦電話を切り、メッセンジャー経由で長男にあれこれについて書き送った。
消防団での消火活動から戻った長男とやり取りを重ねるうち、当然のことながら、情報はすべて現場にあり、また長男にはこのような際に頼れる人が多くいることを知って、以降はすべて家内と長男に任せることとした。
北千住09:12発の下り特急で、下今市にはすこし遅れて11時46分に着いた。駅には長男が迎えに来てくれていた。電線が被害を受けたため、その張替工事にて、店は停電の中で営業中だった。焦げた匂いが鼻をつく。
即、長男と火事の現場を見に行く。初期消火で使った多くの消化器が、製造現場の外壁に立てかけられている。ウチの消火栓からもホースを引き出し放水をすると共に、製造現場からのバケツリレーによる初期消火も行われたという。しかしいかんせん、老朽化した木造アパートの火勢は強すぎた。
その、燃えさかる木造アパートの炎により、店舗の大屋根は、破風が炭のようになっている。壁は、ところどころが剥落している。アルミニウム製の格子に守られた窓硝子も、割れの入ってしまったところが多い。エアコンディショナーや冷蔵ショーケースのための、外壁を這わせた電線は被膜が焼けただれてしまったため、コジマ電機のコジマコージさんが、それを張り替えている。
イナバ塗装のイナバヒデオさんは被害の状況を検分し、修理の必要な個所を特定していく。エアコンディショナーや冷蔵ショーケースの室外機の被害調査のため、トチギ冷暖から技術係が派遣されてくる。復旧にどれほどの時間がかかるかは、いまだ目処が立たない。
事務室の裏には、近火見舞いの一升瓶が林立していた。見舞金も戴いている。その数の多さに僕は驚き、厚く感謝の念を覚える。また、町内のハガさんの奥さん、イワモトミツトシ前自治会長は火事に気づき、会社の中まで駆け込んで、あれこれの手伝いをしてくれたという。消防署、また消防団の方々にも、厚く御礼を申し上げたい。
もらい火などは想定していなかったから、今夜は繁忙期を前にしての、社員との食事会を予定していた。終業後は本日出勤の社員たちと4階の応接間に集まり、ゆっくり飲み食いをする。
朝飯 “TG682″の機内食
昼飯 「食堂ニジコ」の冷やし中華
晩飯 枝豆、塩キャベツ、もやしナムル、胡瓜のキムチ、冷やしトマト、梅胡瓜、らっきょうのたまり漬、牛蒡のたまり漬(試作品)、日光味噌「梅太郎白味噌」で風味付けしたマッシュドポテト、たまり漬「刻みザクザク生姜」および同「鬼おろしにんにく」による鰹のたたき、ローストビーフ、「宝焼酎極上」とラオカーオの混合(ソーダ割り)、メロンとオレンジとサクランボ
2017.6.27(火) タイ日記(6日目)
午前3時に目を覚ます。普段であればいそいそと起きて日記を書くところだ。しかし胃の痛みにより、起き上がる気力が湧かない。結局は外が完全に明るくなるまで横になって過ごす。今日は日本に帰る日だから、時間の管理はしっかりしなくてはいけない。部屋の直下に見えるタクシン橋の、トンブリー側から市内に向かう車線には、既にして大渋滞が起きている。
チャルンクルン通りの雑踏を歩いて、行きつけのクイティオ屋に入る。この店に来ると決まって「ルークチンは要らない」とか「この揚げ湯波は多めに入れて」などと注文をつける。しかし今回は気力が萎えているから、それについては何も言わず席に着く。
部屋に戻って荷造りをする。それからL階のプールへ行く。プールサイドではきのうに引き続き本は読まず、ただ寝椅子に横になっている。チェックアウトは正午。よって11時には部屋に引き上げようと考えていたところ、いつの間にか寝入り、気づくと11時30分になっていて、いささか慌てる。
正午すこし前にチェックアウトをし、スーツケースとザックをベルに預ける。パスポートと現金を納めた赤い袋はフロントに預ける。貴重品は金庫ではなく、フロント背後の壁の、腰板の出っ張りに置かれ、預かり証などは特に発行されない。あまり気持ちの良いものではないけれど、自分で持ち歩くよりは安全と考えてことである。
これから夕刻までは、どこかで時間をやり過ごさなくてはならない。先ずはチャルンクルン通りの停留所から1番のバスでリバーシティに出る。そして路上のガオラオ屋でガオラオの普通盛りを注文し、しかしライスは頼まない。「胃が痛くてもメシは食えるのか」と問われれば、ときどき襲ってくる胃痛と胃痛の間隙を縫って食べるのだ。
シープラヤの桟橋に、舟はなかなか来なかった。日中は、運行を極端に絞っているのだろう。サトーンの桟橋からふたたびチャルンクルン通りに出て、シーロム通りに行ける15番のバスを待つも、いつまでも来ない。よって”BTS”高架下のサトーン通りに回り、そこで来たバスに乗る。バスは残念ながら当方の希望を裏切り、ナラティワートラチャナカリン通りとの交差点で右折をしてしまった。仕方なく天井のボタンを押して、次の停留所で降りる。そして即、きびすを返す。
コンベント通りは街路樹の多い、バンコクにあっては洒落た通りだ。ここで何年か前に来たことのあるマッサージ屋に入り、タイマッサージを2時間、受ける。順番により割り当てられるマッサージ師は、色の黒いオバサンだった。
「出身は、イサーン?」
「そう。チャイヤプーン」
「チャイヤプーンって、どこ?」
「コラートのちかく」
「だったらそんなに遠くないね」
「バンコクから4時間」
「それはバスで?」
「そう」
「バスはエカマイから?」
「違う。モーチットマイ」
「あぁ、モーチットからね」
「田舎には年に何回かは帰るの?」
「年に2回。特に6月19日には毎年帰って、お父さんにお金を上げるの」
「バンコクの家は、どこ?」
「ラチャダー」
「駅は?」
「ファイクワン。そこから”MRT”でサラデーンまで通ってる」
「ファイクワンに大きな夜市が出るでしょ、まだ行けてないんだよ」
「あそこはもう寂れ加減。鉄道市場、知ってる?」
「うん、知ってる」
「賑わいは、あっちの方に移っちゃったわね」
ファイクワンの夜市が寂れ加減とは、残念なことだ。バンコクの夜市や屋台街は、ここ数年で離合集散が激しくなっている。
サパーンタクシンまではタクシーで戻り、雑貨の屋台が店を出し始めたsoi50を西に歩く。そして食べ物屋台の顔見知りに「ソーダと氷はあるかね」と確認をする。そこからホテルまでは、トンローあたりにある高級なそれとはまったく異なる、庶民的なショッピングセンターの中を通り抜けて戻る。
コモトリ君はコンドミニアムを17:30に出る舟で、サトーンには17時40分すこし過ぎに着いた。先ほどの屋台の席に着き、ソーダと氷を頼むと、ソーダは無いという。同じ場所で働いていても人により言うことが違うとは、タイでは良くあることだ。仕方なくセブンイレブンまで歩き、ソーダ3本を買う。
ソムタムは美味い。オースワンは大したことがない。そしてクンオップウンセンは、2度は頼む気がしない。ここではやはり、チムジュムに絞るのが良さそうだ。カオパッは僕は食べないけれど、とても量が多いので、米好きにはお薦めである。コモトリ君とはこの屋台街で別れ、僕はホテルで荷物を受け取る。
シーロム線の”BTS”がサパーンタクシンを発車したのは19時37分だった。その”BTS”をシーロムでスクムビット線に乗り換える。そして2駅先のパヤタイからは”ARL”に乗り換える。空港に向かう高速道路は、混む日はマッカサンのあたりまで渋滞する。しかし車窓から見る今日の高速道路にクルマは少ない。金曜日の午後から初更にかけて以外なら、タクシーを使っても問題は無いかも知れない。
20:38 スワンナプーム空港着
20:53 チェックインを完了
21:12 保安検査場を抜ける。
21:25 パスポートコントロールを抜ける。
21:45 僕の手持ちのカードでも使えるラウンジにてシャワーを浴びる。
22:35 ボーディング開始。最後部から2列目の”69J”の席に着く。
23:01 ”BOEING747-400″を機材とする”TG682″は、定刻に16分遅れて離陸。
23:07 ベルト着用のサインが消えたところで背もたれを最大限に倒す。
朝飯 チャルンクルン通りにある行きつけの店のセンヤイナム
昼飯 リバーシティ前の屋台のガオラオ
晩飯 バンラックの屋台街のソムタム、オースワン、クンオップウンセン、ラオカーオ(ソーダ割り)
2017.6.26(月) タイ日記(5日目)
いまだ暗いうちに目を覚ます。ようやくその気になって体温計を取り出す。結果は36.8度だった。僕は自分の平熱を知らない。暑い場所に来ると、人の体温は上がるという。今朝の36.8度は、平熱と考えて良いのだろうか。デスクのスタンドを点け、きのうの日記を一気に書く。バンコクの夜が、徐々に明けていく。
胃痛のため、食欲は無い。多分、1日まるまる何も食べなくても、腹は減らないだろう。しかしそれもまずかろうと、外へ出る。チャルンクルン通りの雑踏が、僕は大好きだ。今は正にドリアンの季節で、それを売る露店が多く目につく。
胃の具合を慮って、粥を売る店に行く。この店の繁盛の理由を僕は知らない。強いて言えば、清楚な女主人の控え目な愛想の良さが心地よいこと、肉団子が大きいことくらいだろうか。タイ人にしてみれば、また別の何かがあるに違いない。僕の注文は「サイカイ、イヤオマー、パートンコー、ナ」である。
タイにいると、何かひとつのことをするたび汗まみれになる。そのたび部屋に戻り、シャワーを浴びる。部屋のクーラーのスイッチを入れると寒くなりすぎる。スイッチを切ると、すぐに耐えがたいほど暑くなる。ちょうど良い状態を保つことが、南の国では中々に難しい。
チャオプラヤ川を運行する水上バスは、切符は船上ではなく、できるだけ地上つまり桟橋で売る方式に変えたようだ。上りと下りの中心にあたるサトーンでは、舟の乗り場もすこし変わったから、注意をしなければならない。
14バーツの切符を買い、オレンジ色の旗を立てた急行で上流を目指す。暁の寺は、いまだ修理を終わらない。特に目的地は無かったものの、ピンクラオ橋のたもとで降りてみる。階段を上がっていくと、数年前までは人っ子ひとりいなかった橋の下が、中国大陸からの団体旅行者を大型バスに乗せるための場所になっていた。銀座でいえば、中央通りと首都高速会社線の交わるあたりの感じである。大変な賑わいで、露店にはおしなべて中国語の売り文句が並んでいる。
そのまま北へ歩いてくと、先ほどバスに乗せられた団体が、中華料理屋に次々と案内され入っていく。MGでいえば、大量の「キャラメル」がジャラジャラと、左から右へと滞ること無く流れていく状態である。しかもキャラメル1個あたりのマージンは、結構、高そうだ。
そんな風景を横目に更に歩き、アルンアマリンという、非常にロマンティックな名の大きな交差点をはす向かいに渡る。船着場から既にして1キロ以上は歩いている。全身、汗まみれである。冷房の効いたパタデパートに入り、しばし涼む。
地下の食料品売り場の、調味料と酒の棚を観ていく。調味料は容量の大きなものばかりで種類は少ない。酒の売り場では驚いたことに、僕がチェンライで最も美味いと感じたもの、2番目に美味いと感じたもの、甘さは強すぎるがまぁ我慢できると感じたもの、この3種が揃っていた。さすがは場末の百貨店である。
そのときちかくから日本語が聞こえてきた。目を遣ると、30代から40代くらいの女の人3人が酒の棚の前に立って、あれこれ迷っている。そこで僕は近づき「一番美味しいのはコレです」と、自分の経験を伝えた。先方は「あ、あ、あれ、日本語…」と驚いている。
駐在員の家族は、プロンポンあたりのいわゆる「日本人村」に固まって、ピンクラオのような場末には、まず近づかない。よって彼女たちは、その駐在員の妻ではあり得ない。訊けばヤワラーの宿からバスでトンブリーのどこかを目指すうち、このあたりでバスを降ろされ、途方に暮れていたのだという。
「ヤワラーに戻るバス、分かりますか」と訊かれても、僕はバスの地図はホテルに置いてきてしまっている。「ピンクラオから舟でサトーンまで行って、そこからタクシーを使ったらどうですか」と助言をするも、彼女たちは、それはしたくないらしい。「安易な方法は採りたくない」という、彼女たちの気持ちは僕も重々、理解できる。ラオカーオ2本を買った3人組とは、そこで別れた。
ピンクラオの橋のたもとまで、また1キロ以上を歩く気はしない。よってデパート前の停留所に停まったバスに、先ずは乗ってみる。と、このバスはアルンアマリンの交差点を左折したから「あー、当てが外れた」と、いささか慌てる。しかもなかなか停まらない。思い余って天井のブザーを押す。次の停留場はどうやらラマ8世橋の下らしく、僕を降ろしたバスはUターンをして、元来た方向に去った。
すぐ来た次のバスに乗る。バスはアルンアマリンの交差点をめでたく左折し、ピンクラオの橋のちかく、中国大陸からの団体旅行者が群れていたちかくに停まった。ことによると先ほどのバスも、そのまま乗っていれば同じところまで運んでくれたのかも知れない。バカバカしい無駄足を踏んでいるようだけれど、こういうことこそが、僕の旅行なのだ。
往路とおなじ、オレンジ色の旗を立てた急行船でサトーンの桟橋に戻る。15時すぎから2時間ほどはずっと、ホテルのプールで寝椅子で横になっている。本を持参しながら読む気がしないのは、体調の不良が影響しているのかも知れない。
日の暮れるころ、サトーンの桟橋から舟に乗り、同級生コモトリケー君の家へ行く。舟の磨き抜かれたデッキが、夕空を映してオレンジ色や水色に変わる。そして川沿いの料理屋”Yok Yor Marina & Restaurant”の、黄色い明かりを目指して歩いて行く。
往きには夕空を映したデッキが、帰りにはホテルの灯りを受けて鈍く光る。舟は人が軽く走る程の速度でチャオプラヤ川を滑り、ふたたびサトーンの桟橋に戻った。バンコクの夜はいまだ始まったばかりではあるけれど、真っ直ぐ部屋に帰り、温かい湯に浸かって即、就寝する。
朝飯 「王子戲院豬肉粥」の皮蛋粥、油絛
昼飯 「パタデパート」地下のフードコートのカオカームー
晩飯 “Yok Yor Marina & Restaurant”のヤムウンセンプラームック、トードマンクン、サイクロンイサーン、ウォッカ(ソーダ割り)
2017.6.25(日) タイ日記(4日目)
午前3時のころに目を覚ます。快方へは向かっていない。水を飲み、外が明るくなるまでベッドの上で静かにしている。日記を書く気力は無い。部屋のポットで湯を沸かし、持参した即席のスープを飲むと、大量の汗をかいた。体温計は持ってきているものの、怖くて計る気がしない。
ホテルのメシは美味くないが、外へ出る気もしない。空腹で薬を飲むことは避けたい、ただそれだけの理由により1階の食堂へ行く。目的のカオトムは、今日は無かった。仕方なく、トーストと紅茶のみ摂る。
「アスピリンだけじゃ無理なんだわな」と、以前、セキネ耳鼻科に処方された解熱剤を飲む。胃も痛むため、きのうに引き続き胃痛の薬も飲む。
MGで引くリスクカードに「社長、病気で倒れる。1回、休んでください」というものがある。しかしまさかバンコクまで来て「具合が悪いので休ませてください」というわけにもいかない。ホテルから歩いて数分の会場には、9時すこしすぎに入った。
09:30 タナカタカシさんによる利益感度分析の講義
11:40 第4期終了(自己資本は第3期終了時の204から大幅に下げて107)
15:30 第5期終了(自己資本は第4期終了時の107から大幅に下げて64)
決して弱くない陣容を作り上げながら自己資本を下げるのは、明かな気力不足である。「1回1錠、1日に2回を限度とする」とか「服用する間隔は、最低5時間は空けること」というような薬を飲みながらのMGは、どうにも辛かった。原稿用紙2枚ほどの感想文では体調のことには触れず、その他の気づいたことを記した。
MGは2日間で5期分の経営を盤上に展開する。そして来期への準備を一定の水準以上に整えた上で、第5期終了時の自己資本の高い順に3名が表彰をされる。
今回の優秀経営者賞は、兵庫県から参加のオーサトユーイチさんが389で、2位の優秀経営者賞は、359を上げたスズキタカノリさんが主催者側ということから表彰を辞退したため、神奈川県から参加のヒラオケンタローさんが354で、また3位はおなじく神奈川県から参加のタダジュンさんが349で、それぞれ獲得をした。こうして第5回バンコクMGは、無事に完了した。
本日は流れ解散とのことにて、タナカさんに挨拶をした後は即、メジャータワーの10階からエレベータを降りて外へ出る。そしてホテルに戻り、仕上がった洗濯物を受け取って、代金を支払う。
“Nantra Retreat & Spa”は、数日前の日記にも書いたけれど、ホテルとゲストハウスのあいだほどの宿泊施設だった。頼まなければ部屋の掃除はしないからチップも必要なく、経済的である。僕は3泊をするあいだ、同じタオルを使い続けた。セイフティボックスは棚に固定されていなかったため、これを使うことはしなかった。1日目に出した洗濯物を届けに来た人は、それを部屋の中に入れるすべを知らず、外の階段の手すりに載せたままにした。そんなホテルでも、場所は便利だ。極端に安ければ、次のバンコクMGの際にも泊まるかも知れない。
背中にザックを背負い、スーツケースを曳いて、soi8からトンローの大通りに出る。北の方から来たタクシーを停め、後席に荷物を積む。時刻は17時45分だった。
「バンラックのロビンソンまで」
「あー?」
「ホテルはセンターポイントシーロム。チャルンクルン通り」
「知らない」
「バンラック市場の近く。サパーンタクシンの近く」
「…」
「ラマ四世通りを真っ直ぐ」
運転手と会話を交わしつつ、タクシーはトンローの大通りを南下し、スクムビット通りを突っ切る。スクムビットsoi40に入ってさらに南下を続け、ラマ4世通りへと右折する。この時間にラマ4世通りを西へ進むと、ほぼ真正面に夕陽が見える。ラジオから国王賛歌が流れる。時刻は18時ちょうどである。
「チャルンクルン通りに突き当たったら右、左、どっち?」
「左」
「ホント?」
「そう」
右手にルンピニー公園を過ぎると運転手はハンドルを左に切り、サトーン通りへと入った。この運転手は道を知っている。タクシーは最短距離で目的地を目指している。
「ゴメン、チャルンクルン通りに出たら、右折だわ」
「右折ね。ところでタイに住んで1年? 2年?」
「オレはただの旅行者だよ」
僕の拙いタイ語に対して「タイに住んで1年か、2年か」とは、最大級の賛辞である。僕のタイ語は多分、タイの二歳児にも劣る。
サパーンタクシンの高架下を右折すると間もなく、ホテルへの誘導路が見えてくる。
「おー、センターポインッ」
「そう、ここ」
トンローsoi8からの所要時間はちょうど30分。初乗り35バーツのメーターは111バーツまで上がっている。120バーツを手渡すと、運転手はにっこりと笑った。
タクシーのドアを開けたベルボーイがスーツケースをロビーに上げる。”Comeback Sir”を声かけてくれるボーイがいる。略をしすぎた英語だけれど、意味は分かる。「お部屋はリバービューにアップグレードさせていただきました」と言ってくれたフロント係には、礼を述べる。
ベルボーイに案内された部屋は20階の北西の角部屋だった。ベランダに出てみると、すぐ下にはサパーンタクシンの駅が、また下流に向けて湾曲するチャオプラヤ川が一望できる。バンコクに泊まるなら、僕はやはり、川沿いを選びたい。
コンドミニアムを19時の舟で出るというコモトリ君とは、19時12分にサトーンの桟橋で落ち合えた。すぐに”BTS”で、ふた駅先のチョノンシーまで移動をする。そして小籠包と中華麺をすこしだけ食べ、飲酒は避けて、熱いお茶を飲む。
サパーンタクシンには、ほんの小一時間ほどで帰った。そして部屋に戻り、風呂桶に湯を張って、久しぶりに体を温める。
朝飯 “Nantra Retreat & Spa”の朝のブッフェのトーストと紅茶
昼飯 MG会場に仕出しの弁当
晩飯 「永和豆漿」の小籠包、牛バラ肉のうどん、お茶
2017.6.24(土) タイ日記(3日目)
「年に4回を開催する」と決めて、昨年の6月にその第1回が開かれ、僕も参加をしたバンコクMGの、今日は第5回目、つまり1周年の日である。
早朝からきのうの日記を書く。朝食はきのうの昼とおなじガオラオ屋へ行き、更にはホテル1階の食堂でカオトムを食べる。シャワーを浴びてゆっくりしているところに「会場へはみなで一緒に行きましょう」との同報メッセージが入る。いまだガウン姿だった僕は慌てて身繕いをする。
09:30 タナカタカシさんのインストラクションによる第5回バンコクMG開始
14:30 第2期終了(自己資本は第1期終了時の283から少し上げて293)
16:30 第3期終了(自己資本は第2期終了時の293から大幅に下げて204)
参加者21名中の初心者は7名だっただろうか。タイで起業をした、あるいは働いている優秀な人たちもさすがに、初めてのマトリックス会計表には悪戦苦闘をする。トンローsoi10のメジャータワー10階に設けられた会場から眺めるバンコクの空は、夕刻から夜に移りつつある。交流会の場所を19時に設定した事務局のニノカタトモヒロさんは、気が気では無い。決算の終わらない人は、それを明朝に回すこととして、みなで外へ出る。
日系居酒屋での交流会は、多いに盛り上がった。一方僕は、その最後のころに、体温が平熱より上がってくる気配を感じた。夜にはもともと強くないため、二次会には勿論、加わらず、トンローの通りを渡ってホテルに戻る。
シャワーなど浴びては余計に症状が悪化しそうだ。というよりも、そもそも寒気がしてシャワーを浴びる気がしない。服を脱ぎ捨てガウンを着る。そしてアスピリン1錠を飲んで即、就寝する。
朝飯 エイトトンロー真向かいのセブンイレブンに向かって右側の隙間にあるガオラオ屋のガオラオ(大盛り)、“Nantra Retreat & Spa”の朝のブッフェのカオトム
昼飯 MG会場に仕出しの弁当
晩飯 「隠れ家・離れ」のあれや、これや、生ビール、焼酎(ソーダ割り)







































