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清閑 PERSONAL DIARY

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2017.3.26(日) 天気予報で知っていた

長袖のヒートテックのシャツに、分厚い木綿による、これは何と説明すべきだろう、シャツというかセーターというか、とにかく襟の高い服を重ね、薄手のコートを羽織っている。汗はかきたくないから、僕の服装は常に、周囲にくらべて薄着である。

今日の東京の気温が低いことは、きのうテレビで観た天気予報で知っていた。それにしても寒い。きのう家を出たときの服装では防ぎようのない寒さである。

北千住から乗った始発の特急スペーシアが、新鹿沼を出て下今市を目指して北上している最中に家内から電話が入る。雪がちらついているから駅まで迎えに行くべきか否か、というのがその内容だった。僕はコートも帽子も持っていることを理由に、ひとりで帰ることを告げた。

東京から100キロとすこし北の下今市で列車を降りると、しかし寒さは東京のそれと変わらなかった。降っているのは雪というよりは疎らな小雨にちかく、大したことはない。

午後、防寒ジャンパーのポケットに入れたiPhoneが、店の駐車場で前かがみになった途端に地面に落ちる。画面を下にしてではあったけれど、革製のカバーに覆われたそれは平らに着地をしたため、小さなキズさえ付いてはいないだろうと感じた。そうしてそれを拾い上げてクルリと裏返して画面を見ると、案に相違してヒビが走っていた。

それでもディスプレイには保護フィルムが貼ってあるため、スワイプをするたびそのヒビに指が引っかかる、ということはない。しばらくは、このまま使い続けようと思う。


朝飯 「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦、ライス
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、ホットミルク
晩飯 ビスクドオマールパントマトとレタスのサラダ、生ハム、3種のチーズ、”Petit Chablis Billaud Simon 2015″クレームカラメル

2017.3.25(土) 居酒屋にて

思いに任せず焦燥をつのらせる、そのような気分の状態を、ウチのあたりでは「いじをやく」という。漢字で「意地を焼く」と書くかどうかについては知らない。

きのうセキネ耳鼻科では、抗生物質と消炎剤による2種の薬を朝昼晩の各食後に飲むよう言われた。また高熱や強い痛みに見舞われたときのための頓服も処方をされた。

早朝に目覚めると、喉の痛みはきのうセキネ耳鼻科へ行く前と変わっていなかった。抗生物質と消炎剤による2種の薬をきのうの昼と夜に飲んだにもかかわらず、である。ここで僕は前述の「いじをやく」状態になり、平熱で、かつ喉の痛みも耐えがたいほどではなかったにもかかわらず、食堂に置いた薬袋から頓服を取り出し飲んだ。時刻は4時20分だった。

8時30分を過ぎると、明け方に飲んだ、セキネ先生の説明からすれば僕には不要不急の頓服が効いたらしい、喉の痛みは隨分と弱くなっていた。自分を実験台にしたこのことは、どこかに記録をして覚えておくことにしよう。

所用にて午後、巣鴨へ行く。そこから池袋に移動をし、本を読むため2軒の喫茶店をはしごする。途中で店を変えたのは、1軒目が喫煙者の巣窟だったからだ

17時、自由学園男子部35回生の幹事役であるノリマツヒサト君が手配をしてくれた、北口ちかくにある居酒屋の階段を降りていく。指定された時刻よりすこし早かったものの、今夜の世話役であるアケミツシ君は既にして、座敷のもっとも入口に近いところに控えていた。

昨月25日は、大病からの緩解中に急逝した同級生サカイマサキ君の初めての祥月命日にて、サカイ君の自宅に同級生はじめ上下級生が集まった。今日はそれから1ヶ月を経ての、同級生だけの「偲ぶ会」である。そうして静かに、しかしときには少し賑やかな、しみじみとした時間を過ごす。


朝飯 筍とぜんまいと油揚げの炊き合わせ、独活のきんぴら、五目白和え、キャベツのおひたし、鰯の梅煮、メシ、大根とサニーレタスの味噌汁
昼飯 「美彩たむら」の「笹巻おむすび3個入り」
晩飯 「鞍」のあれやこれやそれや。麦焼酎「吉四六」(お湯割り)

2017.3.24(金) 過信と反省

「花粉症で喉はイガイガ、目は痒い」と、朝のテレビで誰かが言っていた。僕の喉も今朝からいがらっぽい。「これも多分、花粉のせいだろう」と、テレビで聞いたこともあって思い込んでいた。しかしその喉の違和感は次第に強くなり、昼すぎには「これは花粉のせいではなく、風邪の症状なのではないか」と感じ始めた。

14時にセキネ耳鼻科へ行く。案の定、喉が少し赤いと先生は言う。「うがいをすれば治る」などとそのまま帰されては堪らないから「できるだけ強い薬をください」と頼む。風呂上がりに、腰にタオルを巻いただけの姿で、食堂でうたた寝を繰り返したことが悪かったのだ、多分。

インフルエンザで寝込む人が周囲に増えるたび「オレは頑健だ」と、根拠の無い自信にひたってきた。しかし過信をすると、今回のようなことになる。旅先で、いきなり具合の悪くなる可能性も、加齢と共に高くなるだろう。

浮き石に気をつけながら、山のガレ場を一歩、また一歩と登っていく。実際には、そのような気持ちと態度で生活をしなければいけないのだ。それを分かっていながらいつの間にか忘れてしまうのは、人間の持つかなしみのひとつである。


朝飯 納豆、ウインナーソーセージとキャベツのソテー、目玉焼き、焼きトマト、独活のきんぴら、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、玉葱と三つ葉の味噌汁
昼飯 朝飯のおかずを流用した弁当
晩飯 若布とチョレギのサラダ、もやしナムル、キムチ鍋、黒糖焼酎「浜千鳥乃歌」(お湯割り)

2017.3.23(木) 残ったお金

イギリスがEUを脱退するか否かの是非を問う国民投票が行われ、離脱を支持する人が僅差で多数と判明した昨年6月24日、僕はたまたまバンコクにいた。為替の乱高下は週が明けても続いた。27日の月曜日、有事に備えて持参した10万円を街の両替屋でバーツに換えた。レートは1万円が3,430バーツだった。

その日の夕方から夜にかけて、BTSの駅などで電光掲示板を見ると、円高とバーツ安は更に進んだ。日本に帰る28日、スワンナプーム空港の、街の両替屋よりよほどレートの悪いサイアム商業銀行の両替所には、1万円あたり3,601バーツの表示があった

今月9日にタイへ行く直前の、手持ちのバーツは58,824バーツだった。ここから僕は20,824バーツのみを封筒に収めた。16日に帰ると、封筒には3,704バーツが残っていた。つまり今回タイで使ったお金は17,120バーツ、ということになる。

その17,120バーツは、昼はゴルフ、夜はクラブ活動やバーホッピング、という人なら一昼夜で蕩尽してしまう金額である。それで僕は7日間を楽しく過ごした。現在の手持ちは41,704バーツ。今後もおなじ17,000バーツを使えば3度は保たない。

それを何とか保たせるべく、6月のタイ行きでは、使うお金は6日間で10,000バーツに絞ろうと考えている。バックパッカー気質のいまだ残る僕であれば、それほど難しいことではないだろう。


朝飯 トマトのスクランブルドエッグ、チャプチェ、しもつかり、厚揚げ豆腐と小松菜の炊き物、納豆、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、揚げ玉と長葱の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の海老のお粥
晩飯 茄子の牡蠣油炒め、揚げ春巻き、春雨サラダ、玉子炒飯、バインミー、豚ハツと支那竹のクミン炒め、”TIO PEPE”

2017.3.22(水) 理由

地平線まで見渡せる広大な平原に、直径100メートル、高さもやはり100メートルほどの柱状の台地が、ポツリとひとつだけ垂直に盛り上がっている。台地は、細くて長い、芝生のような草で覆われている。吹きわたる風が、その草を、まるで動物の毛のように波打たせている。

台地の端にはラマ教のゴンパが建っている。そこでは複数の僧が修業をしているに違いない。しかし耳に届くのは風の音のみだ。

2012年6月に亡くなったはずのおばあちゃんが、そのゴンパに向かって歩いて行く。台地の端は直角に切れて、その先は100メートル下まで遮るものはない。スタスタと、その端に向かっていくおばあちゃんが草に足を取られれば命は無い。

早足でおばあちゃんに近づくと、おばあちゃんはクルリときびすを返した。草に足を取られたのは僕の方である。

両手で草を掴み、断崖からなんとか這い上がろうとする。しかし草は滑り、あるいは1本ずつ千切れていく。その脇の草をつかみ直しても、やはり草は滑り、プチプチと切れていく。

恐怖にかられてうなり声を上げる。その声ははじめ夢の中のものだったけれど、そのうち現実のものとして耳に認識をされ始める。やがて自分が夢を見ていることに気づく。一方、不思議なことに、このまま眠っていたい気持ちもある。

それでもやがて目を覚ます。枕の下からiPhoneを取り出し見ると、時刻は2時50分。外には強風が吹き荒れている。

高いところから落ちそうになる夢は怖い。落ちそうになるどころか落ちてしまう夢もある。地面に墜ちた瞬間は実際に、からだに衝撃を感じる。しかしその衝撃は「コツリ」というほどの軽いもので、半覚半醒の中で案外、気持ちが良かったりする。

高いところから落ちそうになる夢、高いところから落ちてしまう夢。このふたつの夢とは、子供のころからの長い付き合いだ。それを見る理由は分からない。

8時30分より会社の健康診断が始まる。体重は昨年と変わらない59.5Kgだった。


昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 干し納豆、“TIO PEPE”春雨サラダキャベツと豚肉の酒蒸し「奄美大島酒造」の黒糖焼酎「浜千鳥乃歌」(お湯割り)胡麻汁粉

2017.3.21(火) 急がず休まず

僕が会社で熱心に取り組んだひとつは、社員の平均年齢を下げる、つまり若い人に多く来てもらう、ということだ。昨年は大学を新規に卒業した女子1名を事務係として採用した。今年はそれぞれ大学と定時制高等学校の新規卒業者である男子2名を製造係として採用した。採用の仕事は僕の手を離れ、今は長男が行っている。

その、製造係として採用したふたりの、今日は入社日だ。この日はなぜかいつも、すこし緊張をする。あいにくの雨の中を、ひとりは自転車で早々と、もうひとりもクルマで出勤をした。

今日からのために、関係部署の場長とは打合せを重ねてきた。他の社員にも、逐次、必要なことを伝えてきた。

8時15分、本日出勤の社員全員に、蔵に集まってもらう。そして先ずは僕から自己紹介を始める。新入社員のふたりには短く励ましの言葉をかけ、皆には親切に指導をしてくれるよう頼む。

17時45分、ふたりは事務室に来て、就業初日の業務日報を書き始めた。今は手書きでも、やがては他の社員とおなじく、コンピュータに直接、データベースとして残せるようになるだろう。

二人には今の落ち着かない気持ちを希望に変えて、急がず休まず、人生を歩んでいって欲しい。


朝飯 細切り人参のソテー、納豆、ハムエッグ、厚揚げ豆腐と小松菜の炊き物、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、豆腐と長葱の味噌汁
昼飯 朝飯のおかずを流用した弁当
晩飯 パンチーズやサーモンやコンビーフと山葵菜のサラダロールキャベツ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”“CAMUS XO”の瓶に入れたイタリアの甘い酒(生)

2017.3.20(月) なぜタイなのか

訪タイ15回目にして初めてのことながら、今月15日には、バンコクの中心部から空港まで、クルマではなく電車を乗り継いで行ってみた。

MRTのペチャブリーから歩道橋を歩いてマッカサン。そのプラットフォームには人が溢れていた。自分もその群衆の最後尾に並んで列車を待つ。

様子を見ていると、始発のパヤタイから来る列車の編成は、4両のこともあれば3両のこともある。次に来た編成が3両だと、4両目が停まるはずだったところに並んだ人たちは待ちぼうけを食らう。

これがインドや中国であれば、4両目に並んだ人たちは恐らく、押し合いへし合い、小競り合いをしながら3両目に殺到するだろう。韓国や日本なら「正義」を身にまとった乗客が大声で抗議をしつつ駅員に詰め寄るだろう。しかしタイの人たちは、そのまま静かに待っている。

僕は個人の旅行としては、ほとんどタイにしか行かない。この駅で見られるような人たちと淡く交わりつつ、神経を休めたいからかも知れない。


朝飯 切り昆布の炒りつけ、ほうれん草と海苔のおひたし、しもつかり、ウインナーソーセージと2種のピーマンのソテー、たまり漬「おばあちゃんのふわふわ大根」、メシ、揚げ湯波とほうれん草の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のオムライス
晩飯 3種の焼売、チャプチェ、麻婆豆腐、エビのフワフワ揚げ、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)、いちご

 

2017.3.19(日) 日本は、春

僕の、盛夏から厳冬へ向けての仕事着は、以下のように枚数が増えていく。

半袖ポロシャツ
半袖ポロシャツ+長袖Tシャツ
長袖ヒートテックシャツ+長袖Tシャツ
長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター
長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター+ダウンベスト

今月9日に日本を出てタイへ行き、16日に戻ると日本は春になっていた。出発するまで着ていたベストは、早々にクリーニングに出そうと思う。「暑さ寒さも彼岸まで」は、やはり本当のことなのだ、多分。

本日は三連休の中日だ。そのベストを着ない仕事着で、ほぼ1日中、店に立つ。閉店時間はきのう、冬期の17時から平時の18時へと戻った。


朝飯 しいたけのたまりだきと長葱の玉子焼き、切り昆布の炒りつけ、ポテトとツナとレタスのサラダ、しもつかり、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、メシ、揚げ湯波と白菜の味噌汁
昼飯 じゃこ、めんたいこ、たまり漬「おばあちゃんのふわふわ大根」によるお茶漬け
晩飯 「コスモス」のトマトとモツァレラチーズのサラダカツレツドライマーティニ、グラスの白ワイン

2017.3.18(土) 満席

家内と北千住に来て、特急スペーシアの切符を買うべく券売所へ行くと、07:42発の始発の座席が”1″と、掲示板には出ている。このような数字を目にしたことは過去に無かった。何のことか分からず自動券売機を操作して特急券2枚を求めようとした途端、切符は売り切れた。

券売機から離れ、いまいちど掲示板を見上げる。先ほどまで”1”と数字の出ていた場所が”×”に変わっている。その周辺をまじまじと見ると、次の08:12発も、またその次の09:21発も満席になっている。

僕の経験上、東武日光線の特急が何便も続いて満席になるのは、5月の連休、お盆、秋の紅葉時の週末、そして年末年始くらいのものだ。今日の満席は東照宮の、4年をかけて大規模な修復を受けていた陽明門が3月10日から公開をされた、それが関係しているのだろうか。

週末の帰社を遅らせるわけにはいかない。窓口の駅員に訊くと、快速は07:21に出るという。ひとつ上のフロアで朝食を調達し、ふたたびプラットフォームに戻って指定の場所に並ぶ。快速に座席指定は無い。始発の浅草から北千住へ来るまでに満席になっていれば、最悪で2時間は立っていなければならない。

戦々恐々として待った快速には、しかし幸いにして空席が目立った。そして始発の特急スペーシアより7分はやい、9時3分に下今市に着く。

夜は春日町1丁目青年会の、なぜか時期を逸して今日まで延びてしまった新年会に参加をする。「息子の都合がつかない」と、代理でアンザイ畳屋のアンザイさんが来てくれたのは嬉しかった。酒席で聴くアンザイさんの話は”oralhistory”そのものだ。長老が元気なのは、喜ばしい限りである


朝飯 「権米衛」の2種のおむすび
昼飯 「麺屋ききょう」のネギ塩ラーメン
晩飯 「一葉亭」のあれこれ。芋焼酎「赤霧島」(お湯割り)

2017.3.17(金) 映画「新地町の漁師たち」

午後、湯島天神下から歩いて本郷三丁目に至る。所用を済ませて喫茶店に入り、きのうの日記を書く。iPhoneの乗り換え案内で本郷三丁目から新橋までの経路を調べると、意外や近い。新橋に移動して用を足し、今度は東中野へと移動をする。

駅前をひとまわりしてから駅に戻り、アトレの3階で本を物色する。そのうち家内と連絡が取れたため、2階の喫茶店で待ち合わせる。

長男のふたつ先輩のヤマダトール君が監督をした映画「新地町の漁師たち」をポレポレ東中野で観る。切符は1月14日に自由学園へおもむいた際、しののめ茶寮で長男の同級生キノシタタカオ君から求めてあった。ヤマダ君の仕事に大いに感心をすると共に、今後にも期待をしたい。

東中野からお茶の水まで一直線に来て、さて飲酒活動ということになるけれど、神保町には詳しくても、駿河台の坂の上の店は、僕はほとんど知らない。初見の店に入って席に着き、ようやく神経をほどく。


朝飯 なめこのたまりだきのフワトロ玉子、切り昆布の炒りつけ、しもつかり、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、胡瓜の古漬け、メシ、浅蜊と三つ葉の味噌汁
昼飯 「神勢。」の醤油ラーメン
晩飯 「区民酒場」のあれやこれやそれや、チューハイ、それを濃くするためのナカ

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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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