2017.4.18(火) 問題は
「雨の音があまりに激しく、夜半に目を覚ましてしまった」という、日光に住む人のfacebookへの投稿を明け方、目にする。そのようなことにはまったく気づかず僕は熟睡をしていた。食堂に出て遮光カーテンを巻き上げる。雨は収まりつつあるらしい。
おとといときのうの日記を一気に書く。そのうちの、きのうのそれのみをサーバーに上げてから朝食の用意にとりかかる。おかずは家内の作り置いたものがほとんどで、冷蔵庫から取り出したそれらはすべて冷えている。しかしごはんが温かく、味噌汁が熱ければ、少なくとも僕においては不満はまったく無い。
前々から分かっている「すべきこと」は、すべてコンピュータに入っている。問題は「入っていても見ない」あるいは「見ても、しない」というところにある。今日はそのうちのひとつにつき長男から質され「そう言われてみれば」と、午後から夕刻にかけて、その仕事を一気に完了させる。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、胡瓜と蕪の浅漬け、冷や奴、切り昆布の炒り煮、らっきょうのたまり漬、梅干、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のタンメン
晩飯 トマトとレタスとポテトのサラダ、ベーコンとウィンナーソーセージとキャベツのスープ、パン、人参のグラッセとグリーンアスパラガスのソテーを添えたハンバーグステーキ、チーズ、“Jacques & Francois Lurton Gran Araucano Cabernet sauvignon 1997”
2017.4.17(月) あとひと駅
「新宿駅で線路に人が侵入した」とのアナウンスがあって、西日暮里から乗った山手線が駒込で止まる。時刻は9時37分。ひと駅先の巣鴨で10時から用がある。車両内に立ち尽くしつつ「いっそここで降りてタクシーを使おうか」と考えるうち、運行再開のアナウンスが流れる。時刻は9時44分になっていた。胸をなで下ろし、そのまま巣鴨に至る。
巣鴨から新御茶ノ水を経由して新橋に向かう。日比谷線が銀座まで来てドアが開いたところで「停電により銀座線と丸ノ内線が全線で運転を見合わせている」旨のアナウンスがプラットフォームから聞こえる。これまた目的地にひと駅と迫ったところでの頓挫である。そのまま地上に出て、徒歩で銀座8丁目を目指す。
初見のとき親切にしてくれた店で買い物をし、数年前の恩をようやく返す。新橋に行くと、銀座線は復旧をしていた。よってこれで日本橋に移動をし、いつもあれこれお送りくださる二人にお返しの品を手配する。丸善で時間を調整し、またまた銀座線に乗って今度は末広町で降りる。
傘をさすほどでもない雨が降っている。次男と決めた時間より15分はやく夕食の場所に着く。甘木庵から歩いて向かった次男は間もなく店に入ってきた。夕食に要した時間は1時間と少々。焼酎のボトルはキープしてもらった。
前売りで買った浅草21:00発の切符を、その浅草で18時55分に払い戻す。乗車変更の時間は無いとのことで、その払い戻し金を握って改札口に行く。女の駅員はそのお金を自動券売機に入れ、19:00発の切符を素早く発券してくれた。
予定より2時間も早く帰宅する。家内は今日からしばらく留守になる。テレビを点けるとちょうど、家内の観たがらない「酒場放浪記」が始まったところだった。複数で茶々を入れながら鑑賞すればより面白いこの番組を、今夜はひとりで観る。そして入浴をして早々に就寝する。
朝飯 胡瓜と蕪の浅漬け、切り昆布の炒り煮、昆布と牛蒡と蓮根の佃煮、ごぼうのたまり漬(試作品)、じゃこによるお茶漬け
昼飯 「ドトール」のトースト、コーヒー
晩飯 「神田食堂」の冷やしトマト、赤魚鯛の粕漬け、ハムエッグ、「光酒造」の麦焼酎「博多小女郎」(ソーダ割り)
2017.4.16(日) 「清楽亭寄席」
隠居の庭は、僕が子供ころにくらべれば、借地人が去ったお陰で広がり、一方、春日町の交差点から今市I.C.へのバイパスに削られ細長く形を変えた。ここに、明治43年つまり1910年生まれのおばあちゃんが大人になるまで暮らした建物がある。
こぢんまりとした、しかし材木屋などの本職によれば「今はもう手に入らない」という材料と技術をふんだんに使った古建築を、せいぜい私的な宴会くらいにしか使わないのは勿体ないと、ここで寄席をすることを長男が考えた。
「清楽亭寄席」の第1回目は昨年の5月に開かれた。ことしは桜の開花に合わせて、今日がその日に選ばれた。今回の落語は瀧川鯉白、色物は紙切りの林家花である。
僕の仕事は木戸番および、昼席と午後席の、それぞれの中入りに供するおむすびと味噌汁のうちの味噌汁つくりで、だしは今朝の3時30分から引き始めた。
隠居には10時より詰めた。昼席のお客様のご案内が済めば、後は台所に籠もり、時間割に従って味噌汁を作る。落語と紙切りは、客席と襖一枚を隔てた薄暗い四畳半、あるいは台所でその様子に聞き耳を立てるのみである。それでもときおりは、庭に面した客席を廊下から覗き込む。
「清楽亭寄席」は今年も無事、16時すぎにお開きになった。調理道具などを洗って母屋つまり現在の家に戻し、ひと息をつくと17時。17時30分から18時30分までは事務室で商談、そして19時からは春日町1丁目の会計係として町内の総会に臨む。
長男は来年も、この寄席を催すだろう。僕は粛々と、木戸番と味噌汁つくりを務めるばかりである。
朝飯 飛竜頭の淡味炊き、ほうれん草のソテー、胡瓜と蕪の浅漬け、刺身湯波、厚焼き玉子、ごぼうのたまり漬(試作品)、たけのこごはん、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 寄席のお客様とは異なる2種のおむすび、らっきょうのたまり漬、揚げ湯波とカキ菜の味噌汁
晩飯 “Parrot”からテイクアウトしたチキンカントリー、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2017.4.15(土) 傘抜き
空は晴れている。風が強く吹いている。その風に、事務室の前にかけたのれんが大きくはためき、右側へ、あるいは左側へと寄る。その片寄りを、ときおり外へ出て直す。
風は昼がちかくなっても収まらない。自転車のカゴにトートバッグを入れ、日光街道を下る。バッグが風に飛ばされ車道の真ん中ちかくに落ちる。自転車を停め、クルマの往来が途切れていることを幸いに、それを拾いに行く。道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の商業棟に入り、明日の「清楽亭寄席」に供するためのカキ菜を買う。そのカキ菜は会社に戻って即、乾燥しないよう紙に包んで冷蔵庫にしまう。
夕刻、総鎮守瀧尾神社の、春の大祭の渡御に伴った金棒引きが神の使いから人間に戻る儀式「傘抜き」に、神社の責任役員として出席をする。今年の当番町である仲町は、多くの戸数を擁していない。それでも当番町の大任を引き受けることができたのは、ひとえに町内の結束と気力による。
当番町の次の仕事は5月22日に行われる社有林の視察。僕も勿論、参加をするつもりである。
朝飯 切り昆布の炒り煮、明太子、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、ほうれん草のソテー、茹でたウィンナーソーセージ、豆腐の卵とじ、納豆、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のチャーハン
晩飯 「あさの」の宴会膳、「清開酒造」の「自然醸生酒」(冷や)
2017.4.14(金) 寄席清楽亭
あさって日曜日に隠居で開かれる寄席のことが、今朝の下野新聞で紹介をされた。ここにある「清楽亭」とは、庭に面した六畳間にむかし「清楽」と墨書した額がかかっていたことによる。その文字があまりに良いため、紛失を恐れて大切に仕舞った。その、保管した場所を忘れて現在まで発見できないとは、僕がしばしばやらかすお粗末である。
それはさておきこの「寄席清楽亭」の、正午からの昼席は既にして定員を超えているけれど、14時30分からの午後席には10席ほどの空きがあった。その空きも今朝の下野新聞のお陰で、ごく短い時間にほぼ埋まった。
この寄席における僕の仕事は木戸銭の受け取り、および味噌汁の調理である。中入りにはたまり漬を使ったおむすびと共に、味噌汁も供するのだ。だしの材料は第一級のものが準備済みだ。味噌はウチで最高級の「梅太郎白味噌」を使う。具にする揚げ湯波とカキ菜は明日のうちに揃えておかなければいけない。
夕刻には春日町1丁目の会計係として、自治会長のウカジシンイチさん、監査のサイトーヨーイチさんと共に、もうひとりの監査タケダショージさんの家に集まり、平成28年度の決算書に捺印をしていただく。
朝飯 切り昆布の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、納豆、スペイン風目玉焼き、飛竜頭とカキ菜の炊き物、明太子、メシ、揚げ湯波とカキ菜の味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 レタスとグリーンアスパラガスとハムとキノコのサラダ、ジャガイモのグラタン、茹でたカキ菜を添えた鱈のムニエルトマトソース、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2017.4.13(木) それもまた風情
日光街道と会津西街道が交わる春日町の交差点に立ち、日光街道を背にして日光宇都宮道路の今市I.C.の方向を望むと、右手に先ずはウチの店舗、工場、そこから信号機のある小さな交差点を越えると、味噌蔵のある、ウチでは隠居と言い習わしている土地に至る。
この隠居に3本の桜の木がある。以前はその倍以上の数があった。間引きをしたのは「いま以上に育って老木になったときには、塀を壊して重機を入れない限り、危なくて伐れない」と植木屋におどかされたからだ。
残ったのはソメイヨシノ、山桜、枝垂れ桜の3本だ。そのうちのソメイヨシノが、春日町の交差点から見ても、薄く色づいてきた。よってカメラを持って、そのちかくまで行ってみる。
日光街道から今市I.C.へと向かう道にちかいソメイヨシノはかなりの樹齢と思われるけれど、植木屋によれば「まだ大丈夫」とのことだ。道に張り出した太い枝は数年前に落とした。
隠居の敷地に入って築150年ほどは経っていると思われる建物を回って広いところに出ると、奥の山桜が目につく。四方八方に伸びた枝が大きく玉を描くように花を咲かせて見事だったこの木もまた植木屋の意見を容れて、数年前にかなり景気よく剪定をした。
もっとも新しい枝垂れ桜は、オフクロが植木屋に命じて植えさせたもので、このところは隨分とたくましくなってきた。3本のうちもっとも遅く花を開き、もっとも遅くまで花を残すのは、この木である。
オフクロにはすこしく空間恐怖症の気味があり、この庭に桃や梅を次々と植えさせた上、自分でも新たに桜を植えたりした。その桃は台風の強風に折れたことを幸いとして、根こそぎ掘り出し捨てた。オフクロ手植えの桜は、オフクロの死後に引き抜いた。植木屋によれば、それでもこの庭には木が多すぎるという。
今週の日曜日には、ここで落語の会が開かれる。今年の桜はすこし遅れるだろう。それもまた風情というものである。
朝飯 カキ菜の辛子和え、めんたいこ、納豆、切り昆布の炒り煮、目玉焼き、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、メシ、シジミと三つ葉の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のスーラーメン
晩飯 ごぼうのたまり漬(試作品)と朝飯のおかずを流用した酒肴、豚肉と白菜と2種のキノコの鍋、胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)、イチゴプリンパフェ
2017.4.12(水) 真反対
4時30分、東の空のもっとも下の部分はうっすらと紅く、しかし上に行くに従って薄まり、やがて水色と灰色の入り交じったようなものになる。更に上へ行くとその水色は濃さを増し、天頂に向かっては紺色から黒にちかくなっていく。
カドマル商店のキリンビールの看板の真上、空の青が紺色に近づくあたりに金星が皓々と光っている。鳥が啼く。しかしこの時間から啼き始める鳥はごくわずかだ。
「今って、朝は5時台から明るいんですね」と、真夏にfacebookに書いた人がいる。僕とは真反対に深夜にこそ仕事のはかどるタチで、だから夜明けの空を眺めるなどはしない人なのだろう。「5時台どころか、3時台から明るいですよ」と、そのとき僕は返信をした。
5時20分、ウチから見ると、今の朝日は宇都宮証券の看板の向こう側に昇る。冬にくらべれば隨分と東に寄っている。夏至に向かって太陽は、これから更に東へと、というか北へ寄っていくのだ。その、年間の角度の差には驚くべきものがある。
日の出が早くなるにつれ、有り難い気分が増すのはなぜだろう。しかし深夜にこそ仕事のはかどる人は、日の出の時間などにはハナから興味を持たないかも知れない。
朝飯 大根おろし、牛蒡と人参のきんぴら、塩豆の卵とじ、人参とピーマンとウインナーソーセージのソテー、胡瓜の古漬け、らっきょうのたまり漬、じゃこ、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 トマトとルッコラとモツァレラチーズのサラダ、ラルドとカキ菜と2種のキノコのスパゲティ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、「久埜」の草餅、おなじく桜餅、おなじく最中
2017.4.11(火) 秘宝
スネアが軽く5発、続いてテナーサックスがレゲエのリズム。エイミー・ワインハウスの”HIDDEN TREASURES”をなぜ手に入れようとしたか、その動機は忘れた。とにかくこのところ朝はずっと、この、非のうちどころのないアルバムを聴いている。
ここ数ヶ月をかけて作った書類がほぼ完成し、それに僕の自筆証明書を添付するため、宇都宮の公証人センターへ行く。約束の時間は16時。雨の中にホンダフィットを乗り出したのは15時。飛ばしたわけではなかったけれど、目的の場所には30数分で着いてしまった。
前の客が長引いたため、僕はベンチで20分ほども待った。呼ばれて部屋に入り、公証人の前で書類に署名をする。万年筆は持参したものの、備えつけのボールペンを使うよう、公証人には促された。自筆証明書は想像したよりも立派な、英文を伴うものだった。
“HIDDEN TREASURES”を聴きつつ来た道を戻る。雨は夜まで降り続くらしい。
朝飯 納豆、牛蒡と人参のきんぴら、ほうれん草のおひたし、ハムエッグ、昆布と牛蒡と蓮根の佃煮、メシ、蕪の葉の味噌汁
昼飯 朝飯のおかずを流用した弁当
晩飯 “THE FLYING-GARDEN”のミニサラダ、ハンバーグドリア、カラフの赤ワイン
2017.4.10(月) あと片づけ
10時の集合時間に対して、その15分前に神社へ行く。総鎮守瀧尾神社の春の大祭は、きのう無事に完了した。我が春日町1丁目は直前当番町として、今年の当番町である仲町の、神社の片づけを手伝うのだ。きのうおとといの、雨が降ったり止んだりの天気から一転しての好天が、皮肉と言えば皮肉である。
先ずは御輿を台車から降ろす。それを神社北側に3棟ある倉庫の、もっとも左側に戻す。次は本殿前に3本を立てた飾りの柱を分解し、真ん中の倉庫に仕舞う。渡御に際して御輿を載せた台車は、右側の倉庫に収める。
子ども相撲の土俵に用いられた俵は仲町より受け継ぎ、春日町1丁目役員シバザキトシカズさんの会社のトラックに載せる。小学生時代の僕はこの相撲では勝ったことがなく、賞品はいつも最下等の粉ジュースだった。一方、14歳で亡くなった妹は、女の子など誰も出なかった時代のこの勝負に手を挙げ、不戦勝の賞品を獲得して帰ってきたのも懐かしい思い出である。
一の鳥居では、その両脇に荒縄で結ばれた竹を外す。二の鳥居の竹も、おなじく外す。ここで春の大祭の片づけは一段落し、当番町からの弁当とビールを受け取って会社に戻った。時刻は11時20分だった。
渡御に伴った金棒引きが神の使いから人間に戻る儀式「傘抜き」は、4月15日に催される。春の大祭は、それを以てようやく、お開きとなるのだ。
朝飯 炒り卵、ほうれん草のおひたし、ウインナーソーセージとブロッコリーのソテー、じゃこ、納豆、たまり漬「刻みザクザクしょうが」、メシ、トマトと長葱の味噌汁
昼飯 当番町仲町支給の弁当
晩飯 ほうれん草のおひたし、山芋のお好み焼き風、牛蒡と人参のきんぴら、カワハギの干物、肉じゃが、「朝日酒造」の「洗心」(冷や)
2017.4.9(日) 半纏リターン
きのうに引き続き、朝6時に花火が上がる。東の空の雲には水平に薄いところがあって、そこだけがオレンジ色に光っている。晴れることを確信しつつ朝食を摂るうち、しかし雲は見る間に分厚くなって、オレンジ色の光も消えた。
霧雨が降ってるけれど、お祭の柱は犬走りの下にあるから提灯を出す。いまや季節外れになった分厚いジャンパーを着て自転車に乗り、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」のウチの売り場まで検品と掃除のために行って、また戻る。
昼ちかくに日光街道の下の方からお囃子が聞こえ始める。その音がよほどちかくなってから外へ出る。当番町仲町の屋台が瀧尾神社を目指して上がっていく。「雨が上がって良かったなぁ」と、紋付きを着たカネコトモヤス自治会長に声をかける。
15時より脚立を手に公民館へ向かう。そして1週間前に張り巡らした注連縄のうち、日光街道に沿った地域のものを、今度は外して歩く。張るには1時間を要した縄も、外すときには20分もかからなかった。
16時、明日はどれくらいの数のたまり漬を蔵出しすべきかを包装係のサイトーヨシコさんと事務室で相談しているところに「お客様です」と店から声がかかる。対応に出た家内は、その綺麗な女の人を事務室までご案内した。
女の人は春日町で棟梁をしていたワタナベキイチという人の孫で、家を片付けている最中に、そのおじいさんの半纏が出てきたと、風呂敷を解いた。半纏の襟には白い糸による刺繍でウチの印のヤマジョーと「上澤」の文字、裏地は龍に「寿」。これまで目にしたことのない仕様である。
むかしは出入りの職人に半纏を預けた。労働着としての半纏である。しかし今日のそれは明らかに違う。ワタナベキイチさんは第二次世界大戦前より、我が町内で頭を務めていたに違いない。半纏は、ワタナベキイチさんがウチに出入りをする際、それも「ハレ」の日に身につけたものだろう。僕は女の人に名刺をお渡しし、その半纏を有り難く受け取った。
17時からは公民館におもむき、町内役員の直会に連なる。
朝飯 ウインナーソーセージとほうれん草のソテーを添えた目玉焼き、トマトとレタスのサラダ、3種の刺身のヅケ、ほぐし塩鮭、たまり漬「刻みザクザクしょうが」、納豆、メシ、豆腐と長葱の味噌汁
昼飯 朝飯のおかずを流用した弁当
晩飯 スーパーマーケット「かましん」のあれこれ、ツカハラ婦人会長による差し入れの大根と人参のサラダ、同じく茄子とブロッコリーの揚げだし、同じくグリーンアスパラガスのソテー、お祭に上がった日本酒(燗)








































