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お買い物かご

清閑 PERSONAL DIARY

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2017.3.19(日) 日本は、春

僕の、盛夏から厳冬へ向けての仕事着は、以下のように枚数が増えていく。

半袖ポロシャツ
半袖ポロシャツ+長袖Tシャツ
長袖ヒートテックシャツ+長袖Tシャツ
長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター
長袖ヒートテックシャツ+長袖フリースセーター+ダウンベスト

今月9日に日本を出てタイへ行き、16日に戻ると日本は春になっていた。出発するまで着ていたベストは、早々にクリーニングに出そうと思う。「暑さ寒さも彼岸まで」は、やはり本当のことなのだ、多分。

本日は三連休の中日だ。そのベストを着ない仕事着で、ほぼ1日中、店に立つ。閉店時間はきのう、冬期の17時から平時の18時へと戻った。


朝飯 しいたけのたまりだきと長葱の玉子焼き、切り昆布の炒りつけ、ポテトとツナとレタスのサラダ、しもつかり、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、メシ、揚げ湯波と白菜の味噌汁
昼飯 じゃこ、めんたいこ、たまり漬「おばあちゃんのふわふわ大根」によるお茶漬け
晩飯 「コスモス」のトマトとモツァレラチーズのサラダカツレツドライマーティニ、グラスの白ワイン

2017.3.18(土) 満席

家内と北千住に来て、特急スペーシアの切符を買うべく券売所へ行くと、07:42発の始発の座席が”1″と、掲示板には出ている。このような数字を目にしたことは過去に無かった。何のことか分からず自動券売機を操作して特急券2枚を求めようとした途端、切符は売り切れた。

券売機から離れ、いまいちど掲示板を見上げる。先ほどまで”1”と数字の出ていた場所が”×”に変わっている。その周辺をまじまじと見ると、次の08:12発も、またその次の09:21発も満席になっている。

僕の経験上、東武日光線の特急が何便も続いて満席になるのは、5月の連休、お盆、秋の紅葉時の週末、そして年末年始くらいのものだ。今日の満席は東照宮の、4年をかけて大規模な修復を受けていた陽明門が3月10日から公開をされた、それが関係しているのだろうか。

週末の帰社を遅らせるわけにはいかない。窓口の駅員に訊くと、快速は07:21に出るという。ひとつ上のフロアで朝食を調達し、ふたたびプラットフォームに戻って指定の場所に並ぶ。快速に座席指定は無い。始発の浅草から北千住へ来るまでに満席になっていれば、最悪で2時間は立っていなければならない。

戦々恐々として待った快速には、しかし幸いにして空席が目立った。そして始発の特急スペーシアより7分はやい、9時3分に下今市に着く。

夜は春日町1丁目青年会の、なぜか時期を逸して今日まで延びてしまった新年会に参加をする。「息子の都合がつかない」と、代理でアンザイ畳屋のアンザイさんが来てくれたのは嬉しかった。酒席で聴くアンザイさんの話は”oralhistory”そのものだ。長老が元気なのは、喜ばしい限りである


朝飯 「権米衛」の2種のおむすび
昼飯 「麺屋ききょう」のネギ塩ラーメン
晩飯 「一葉亭」のあれこれ。芋焼酎「赤霧島」(お湯割り)

2017.3.17(金) 映画「新地町の漁師たち」

午後、湯島天神下から歩いて本郷三丁目に至る。所用を済ませて喫茶店に入り、きのうの日記を書く。iPhoneの乗り換え案内で本郷三丁目から新橋までの経路を調べると、意外や近い。新橋に移動して用を足し、今度は東中野へと移動をする。

駅前をひとまわりしてから駅に戻り、アトレの3階で本を物色する。そのうち家内と連絡が取れたため、2階の喫茶店で待ち合わせる。

長男のふたつ先輩のヤマダトール君が監督をした映画「新地町の漁師たち」をポレポレ東中野で観る。切符は1月14日に自由学園へおもむいた際、しののめ茶寮で長男の同級生キノシタタカオ君から求めてあった。ヤマダ君の仕事に大いに感心をすると共に、今後にも期待をしたい。

東中野からお茶の水まで一直線に来て、さて飲酒活動ということになるけれど、神保町には詳しくても、駿河台の坂の上の店は、僕はほとんど知らない。初見の店に入って席に着き、ようやく神経をほどく。


朝飯 なめこのたまりだきのフワトロ玉子、切り昆布の炒りつけ、しもつかり、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、胡瓜の古漬け、メシ、浅蜊と三つ葉の味噌汁
昼飯 「神勢。」の醤油ラーメン
晩飯 「区民酒場」のあれやこれやそれや、チューハイ、それを濃くするためのナカ

2017.3.16(木) と反射的に返事をしつつ

洗面所へ行ったり来たりする人が提げているらしい、プラスティック製の買い物袋のカシャカシャという音が気に障る。徐々に眠りから覚めていく。目を開けると、朝食を配るワゴンは前の席まで来ていた

機は九州の上空を飛んでいる。いまだ喉が渇いている。朝食は、先ずパイナップルジュースを一気に飲み干す。白身魚のフライとライスは喉を通らない。ヨーグルト、果物、パンのみを食べ、コーヒーをお替わりする。

“BOEING 747-400″を機材とする”TG682″は、定刻より30分早いタイ時間04:25、日本時間06:25に羽田空港に着陸をした。以降の時間は日本時間とする。

06:53 パスポートコントロールを抜ける。
07:14 ようやく回転台でスーツケースを受け取る。
07:36 羽田空港国際線ターミナルからエアポート急行に乗る。
08:19 都営浅草線の浅草に着く。
09:00 浅草から特急スペーシア発。

顧客サービスに資するためのアンケート調査を車内で行う旨のアナウンスを、スペーシアが走り始めて間もなく耳にして、しかしすぐに忘れる。

客席のひじ掛けから引き出した机にコンピュータを載せ、きのうの日記を書いているところにやおら”excuse me,do you speak English?”と、後ろから声をかけられる。”Yes,but I’m Japanese.”と反射的に返事をしつつ振り返ると、そこには真面目そうなオバサンと、付き添いらしい男の人がいた。「あ、申し訳ありませんでした」とオバサンは恐縮をして、男の人と共に前方へと去った。

「顧客サービスに資するためのアンケート調査」とは、外国人旅行者を対象にしたものらしい。果たして僕は、地球のどこいらへんの人間と思われたのだろう。なお、外国人旅行者にアンケートをするなら、日本語の他に英語、北京語、朝鮮語でアナウンスのあるスペーシアよりも、案内は日本語のみの、快速の中で行った方が良さそうな気もする。

下今市には10時39分に着いた。家内の迎えにより駅から帰宅し、着替えと荷物整理の後、日常に復帰する。


朝飯 “TG682″の機内食
昼飯 「つけ汁うどんあくつ」のきのこ汁、合い盛りの大盛り、黒糖プリン
晩飯 ほうれん草の胡麻和え、椎茸と若布の酢の物、独活のきんぴら、鮪の刺身、牛肉のたまり漬け焼き、「名手酒造店」の「黒牛純米」(常温)、いちご

2017.3.15(水) タイ日記(7日目)

「ピーッ、ピーッ」と鳴って止まり、しばらくするとまた繰り返す、その音で目を覚ます。きのう寝る前にスイッチを入れた洗濯機の、それは洗濯が終わったことを知らせる信号だった。それにしても大きな音で、隣の部屋が気にかかる。中の洗濯物を調べると、いまだ湿っぽい。よって以降、2度にわたり乾燥を延長するも、湿り気は変わらず、また、音もうるさい。よって部屋の隅に置かれた物干しを組み立て、そこにすべての洗濯物を吊してベランダに出す。時刻は0時17分だった。

ビルとビルの隙間から朝日が差し始めるころ、またまた洗濯物に手を触れると、いまだ完全には乾いていない。日が中天に昇るまで放っておくことにする

8時までかかっても、きのうの日記を書き終えない。今日は日本に帰る日だから、時間の管理はきのうよりも大切だ。日記はそのままにして外へ出る。そしてチャルンクルン通りを北上し、右側の歩道から奥に入る路地の粥屋へとおもむく

昼は蒸し暑いバンコクも、朝のうちは過ごしやすい。露店には、枇杷に似た果物が旬を伝えている。しかしこれは枇杷ではない。ひとりで一把を買っても無駄にしてしまうため、食べたことはない

ホテルの入口に侍るベルボーイにロビンソン百貨店の開店時間を問うと「10時」と、みな口を揃える。社員への土産を調達しなくてはならない。僕はこの、土産を買うという行為を大いに苦手にしている。しかし特に海外などへ出たときには社員に土産を買って帰る、それがうちの習慣であれば、従わないわけにはいかない。

9時05分からプールサイドで本を読む。パンツを濡らしては荷造りができないから、泳ぐことはしない。9時55分に部屋へと戻る。シャワーを浴び、服を着て1階に降りる。外に回ることなくロビンソン百貨店に入れるドアの開ボタンを押すも、ドアは開かない。

「10時30分からだよ」と、後ろから来たフランス人が教えてくれる。ボタンのそばの案内板を見れば、なるほど開店は10時30分となっている。とすれば先ほどのベルボーイたちの「10時」という答えは何だったのか。まぁ、タイでは良くあることだ。

10:30 ロビンソン百貨店から地下のトップスに降りる。選んだ品は意外や高い。
10:35 追加のお金をセーフティボックスから出すため部屋に引き返す。
10:55 買い物を終えて部屋に戻り、荷造りを始める。
11:17 荷造りを完了する。
11:45 チェックアウト。荷物をベルに、貴重品をフロントに預ける。

チャルンクルン通りを、BTSの高架下から南に歩く。5分ほども進むと左手に消防署が現れる。この消防署に向かって右側にある店のカオマンガイが美味い。ここで昼食を摂り、来た道を戻る。プミポン前国王の喪に服するためのものだろう、喪服の露店が出ている

きのうに続いてトンローに移動をするスクンビット通りとのパクソイちかくから赤バスに乗り、きのう予約したマッサージ屋へ行く。そしてきのうとおなじく90分の苦行に耐える。マッサージのオバサンは、今日は僕の左肩に湿布薬2枚を貼ってくれた。

マッサージ屋の前からバイクタクシーに乗り、センセーブ運河にかかる橋のたもとまで送ってもらう。運賃は20バーツ。ここから水上バスで適当なところまで遡上したり、あるいはまた戻ったりして午後のひとときを過ごす。水上バスの舳先や舷側が、どぶ川のしぶきを容赦なく乗客の顔に飛ばす。そのような環境にあって、僕の前に座った女の人は、食べかけのおむすびの写真をiPhoneで撮っている。SNSにでもアップをするのだろうか。このおむすびにも、どぶ川のしぶきは満遍なく吹きつけているはずだ

センセーブ運河にかかるトンローの橋の下は衣類の露店、そこから上流側には食材の露店が広がっている。買いたい物はたくさんあるけれど、日本への持ち帰りは難しい。結局はひやかすだけである

サパーンタクシンに戻り、ロビンソン百貨店地下のトップスでウォッカの200cc瓶を買う。それを手に提げ”BANGRAK FOOD CENTER”裏の屋台街へ行く。昨秋に見知ったオニーチャンの店の前に座り、しかし今回はスズキの柑橘蒸しではなく、チムジュムを頼む。メニュの179バーツという値段を一瞥して「さすがはバンコク。チェンライの100バーツよりだいぶ高いな」と感じたものの、いざ目の前に運ばれたそれを見れば、その量からして決して高くはない。そしてその鍋を肴にウォッカを飲み干す。

それにしても、昨年の秋に見つけたこの新しい屋台街は、昨年こそ「お酒はどこかで買ってきてください」と言われたものだが、今やチアビアまで常駐して大した発展ぶりである。6月も、また10月も、帰国の日はここで飲酒活動をしたい

ところで昨年の10月7日には、ホテルから乗ったタクシーが高速道路上で渋滞に巻き込まれ、1時間23分もかかってようやくマッカサン、ということがあった。当日が金曜日だったからかも知れないけれど、二度と経験するつもりはない。屋台街からホテルに戻ると、荷物と貴重品を受け取って、そのまま外へ出た。そうして40ディグリーのウォッカ200ccをこなした脳と体で、サパーンタクシンの駅を目指して歩いて行く

18:52 サパーンタクシン発。BTSのサラデーからMRTのシーロムまでは歩道橋ができたから、乗り換えは楽だ

19:10 シーロム発。
19:19 ペチャブリー着。1番出口から外へ出てマッカサンの駅を目指す。
19:35 マッカサンの駅で空港までの切符を買う。ここまで来れば、鬼の首を取ったも同然である
19:35 乗客多数のため、2本をやり過ごして3本目のARLにようやく乗車
20:18 スワンナプーム空港着

昨年はタクシーを使って1時間49分の行程を、今日はBTS、MRT、ARLを使って1時間26分でこなせた。大した差ではないものの、高速道路上での渋滞には逃げ道がないから心臓に悪いのだ。

今日のサパーンタクシン、サラデーン、シーロム、ペチャブリー、マッカサン、スワンナプームの乗り換えを、次回はマッカサンのラッシュを避けて、サパーンタクシン、サイアム、パヤタイ、スワンナプームに変えてみよう。

20:53 タイ航空の、大賑わいのカウンターにてチェックインを完了
21:05 セキュリティチェックを抜ける。
21:12 パスポートコントロールを抜ける
21:41 A6の搭乗口で席に着く。喉が異様に渇いていても、付近に飲物の販売機は無い。

22:50 搭乗開始。
22:55 客室乗務員にペットボトルの水を所望して「この便には載せていない」と断られ、コップの水をもらう。
22:58 満員の機内で水の入ったコップを持ち続けるのも危ないため、離陸を待たずにデパスとハルシオン各1錠を飲む。

数分後に昏睡をしたらしく、離陸の時間は記録していない。


朝飯 「王子戯院猪肉粥」のお粥(生玉子、豚の臓物入り)、パートンコー添え
昼飯 “Meng Pochana”のトムトーパッソム
晩飯 バンラックフードセンター裏の屋台のチムジュム、”Smirnoff Vodka”(生)

2017.3.14(火) タイ日記(6日目)

タイでの時間も残り少なくなってきた。より時間を管理して生活をしなくてはならない。きのうの日記を書くうち8時を過ぎる。すこし焦る気持ちになって外へ出る。

このあたりで美味いと感じる汁麺屋は、チャルンクルン通りをロビンソン百貨店からステイトタワーの方面に北上した左側と記憶している。しかし見つけられないままシーロム通りとの丁字路に達したため、反対側の歩道に渡り、今度は逆に南下をしていく。「”VISA”と大きく書かれた庇の向かって右側」とこれからは覚えていた方が良さそうだ。敢えて具を簡素に頼んだバミーナムの価格は50バーツ。首都の物価はやはり、プレーのそれにくらべると高い。

ホテルのエレベータの中には、昨年10月13日に崩御したプミポン国王の若いころからの動画が、ピアノによる静かなワルツと共に流されているL階には祭壇と記帳台も設けられている。この6日間、簡素、豪華の違いはあっても、街のあちらこちらでこの祭壇を目にしてきた。我々旅行者も幾分かは、タイの人たちの気持ちに添うべきと思う。

10時よりプールサイドに出る。そして寝椅子で本を読む。聞こえるのはチャルンクルン通りを往くバスやオートバイの排気音だ。そのうち醤油と砂糖による甘くてしょっぱい香りがやはり、チャルンクルン通りから数十メートル上まで上ってくる。時刻は正午を過ぎていた

外で昼食を摂り、部屋に戻り、シャワーを浴びる。バンコクの暑さはプレーの爽やかなそれとは異なって、東京の暑さに似ている。タイパンツを普通のズボンに、ゴム草履を革靴に履き替える。そして”BTS”でトンローに出る

2014年3月に2泊3日のバス旅行をした。バスの中ではずっと、ジムトンプソンの分厚い伝記を読んでいた。重い本を左手で支え続けたせいか、以降、左の肩がひどく凝るようになった。その肩こりはその後も治まらず、このところは特に気になっていた。

昨夜の、リバーシティのマッサージ屋のマッサージはまったく効いていない。昨年6月、家内に2度もおごってもらった、トンローのマッサージ屋の仕事は立派だった。最早、あのマッサージ屋を頼るほかはない。

赤バスに乗ってトンローの通りを北上する。見覚えのあるソイ8ちかくでバスを降りる。当該のマッサージ屋はすぐに見つかった。フロントの店主に左肩の凝りのひどいことを伝える。店主の薦めるコースの90分を選ぶ。これまた店主が「お薦め」という技術者は、額に老眼鏡を乗せたオバチャンだった。

左の肩胛骨付近に容赦なく繰り出される、拷問にも似た指圧に耐えているところにコモトリ君から着信がある。シーロムでの仕事が早めに終わったため、18時30分の待ち合わせは1時間、繰り上げるという。了承して電話を切り、ふたたび苦行の世界へと入って行く。そして明日のマッサージを予約して店を出る。

“BTS”でサパーンタクシンに着いたのは17時28分だった。桟橋には既にして、スーツ姿のコモトリ君が待っていたトンブリー側にあるコモトリ君の家までは舟で渡る。ひと休みしてからいつもの海鮮料理屋へ行く。猛暑期が近づいているとは思えない、川風の涼しさである

ふたたび舟に乗り、昔は朝からアルコール中毒患者とおぼしきオヤジが倒れていた、しかし今は洒落た海鮮料理屋などが建って様変わりしたサワディーの桟橋から中華街へと入っていく

タイ特有の、洪水の際には容易に水を飲み込むよう設計された目の粗いマンホールからゴキブリが出たり入ったりする暗い道をしばらく行くと、目の前にいきなりまばゆいネオンが現出する、そこがヤワラーだ。歩道から車道にまではみ出した屋台には、東アジアのどこから来たかは知らないけれど、とにかく東洋人の観光客、そして白人の観光客が、数百人ほども蝟集して飲み食いを楽しんでいる。そしてその観光客の群れは、かつての売春宿「百楽滙大旅社」の前まで及んでいる

屋台街の代名詞だったトンローソイ38の屋台は、昨年のうちに綺麗さっぱり消えた。「百楽滙大旅社」も、今やもぬけの殻だ。バンコクの他の地域でも、昨年から今年にかけて消えた屋台街は少なくない。これらすべては、プラユット政権による浄化作戦なのだろうか。とすればヤワラーの、この屋台の伸張ぶりは、どう説明されるべきなのか。

ヤワラーから離れて片側6車線の、しかし夜はそれほど賑やかではない道に出てみると、そこにはここまで観光客を連れてきて、しばらく後にはホテルまで送り届けるための大型バスが、片側3車線を占領して大挙して停まっていた

今日はさすがに歩き疲れた。裏道を辿ってリバーシティまで来ると、コモトリ君の住むコンドミニアムの舟が折良く近づいて来た。それに乗って先ずはコンドミニアムの船着き場で降りる。そしてしばらく後にコモトリ君に見送られ、おなじ舟でサパーンタクシンまで運んでもらう

部屋に戻り、シャワーを浴びる。冷房の温度を高めに設定し、風量は最低にして即、就寝する。


朝飯 チャルンクルン通りの名前を知らないクイティオ屋のバミーナム(ルークチンは入れないでイカは入れてね特注)
昼飯 「盛悦飯店」のバミーラートナー
晩飯 “YOKU YO MARINA & RESTAURANT”のヤムウンセンプラームックソムタムサイクロイサーンプラームックパッポンカリー日本から持ち込んでコモトリ君の家の冷蔵庫に保管してもらっていた”TIO PEPE”

2017.3.13(月) タイ日記( 5日目)

隨分と長く感じられた悪夢から覚める。「あ、夢だった」ということと「あ、タイだった」ということを同時に、瞬時に悟る。時刻は夜中の1時24分だった。二度寝をして寝過ごすわけにはいかない。iPhoneの目覚ましを05:30に設定してから荷造りを始める。それからきのうの日記に取りかかり、これを書き終える。

きのう部屋のキャビネットの扉を開いたところ、そのガラスの部分が机の角に当たってひび割れた。その後、ひびはガラスの端から端まで広がり、遂にはその上半分が落ちかけたので、取り除いて脇に置いた。

姑息な人なら黙って済ますだろう。弁の立つ人なら「そもそも、このような関係に家具を配置した宿側が悪い」と、堂々の論陣を張るかも知れない。僕はその双方も好まないため即、階下に降りて、弁償するからオカミに知らせておくよう、客にコーヒーを淹れていたオニーチャンに頼んだ

今朝、8時の国王賛歌が鳴っているときには、3部屋しかないこの宿の、僕にあてがわれた1号室の隣のギャラリーから「勝利の門」の方を眺めていた。宿の前の通りが「勝利の門」まで上り坂になっているのは、そこが防塁の名残だからだ

8時45分、すべての荷物を持って階下に降りる。割ったガラスの代金と3日分の洗濯代をオカミに支払い、チェックアウトをする。プレーの街に来るに当たって立てた目標が易々と達成をされたのは、まったくもって、このオカミの親切心のお陰である

08:52 バイクタクシーの運転手はオバチャンだった。空港までの料金は50バーツ。
08:57 空港着小さなロビーは病院の待合室を思わせる
09:20 ノックエアのカウンターで荷物を預ける。15kgまでなら追加料金は発生しない
09:50 セキュリティチェックを受けて搭乗口に進む。
10:20 バンコクからの便が着陸をする。

10:42 滑走路を歩いて機に乗り込む
10:49 ”ATR 72-500″を機材とする”DD8003″は定刻より6分も早くに離陸。LCCの国内線は特に「えっ、もう」と驚くほど素早く離陸をするところが好きだ。
11:55 定刻より20分も早くドンムアン空港に着陸
12:10 機内に預けた荷物が回転台から出てくる。

昨年の2月はここからローカルバスにて市中心部に向かった。今回は空港バスを使うこととする。確実に座りたいため、国際線の6番出口まで空港内を歩く。A1のバスが絶妙の間合いで始発の停留所へと近づいてくる席に着き「モーチッ」と車掌に告げる。運賃は30バーツ。バスは12時28分に発車した。

12:49 高架鉄道BTSモーチット最寄りの停留所に停車
12:58 モーチット発。
13:14 サイアムでスクンビット線からシーロム線に乗り換えサパーンタクシン着
13:20 ホテル着。

昨年の2月12日は、おなじドンムアン空港への着陸から、今日とおなじホテルまで、ローカルバスを使いながら2時間54分を要した。それが今日は1時間25分と、前回の半分より短かった。A1の空港バス偉大なり、である。

定宿センターポイントシーロムのフロントでは「3,000バーツ足していただければ、本当に広いお部屋にご案内できます」と提案をされたけれど、ここはただでさえ部屋は広い。コンラン卿の”small spaces”にうっとりするような僕に、更に広い部屋は要らない。3,000バーツも大金である。

ベルボーイに案内された部屋は、シャングリラホテルと対岸のペニンシュラホテルのあいだにチャオプラヤ川の望める不思議な位置にあった。もちろん何の不満も無い

シャワーを浴び、革靴からゴム草履に履き替え外へ出る。チャルンウィアン通りに入って少し歩く。昼時から外れていたためか「カームートロックスン」は空いていた。テレビ用の撮影が行われる中、夕食に障らないよう普通盛りの豚足飯を食べる

夕刻、ちと調べたいことがあって、BTSにてアソークへとおもむく。そこからまたBTSに乗り、ひと駅プロンポンまで進む。同級生コモトリ君は本日、このあたりで仕事をしているという。僕は駅から直結の百貨店エンポリアムの4階で石鹸を買う。

コモトリ君とはエンポリアムのM階で落ち合った。またまたBTSにて今度はナナまで戻り、タイではほとんど現地食しか摂らない僕にしては珍しく、生ハムやピッツァを肴に白ワインや生ビールを飲む

20時30分、サパーンタクシンからコモトリ君の住むコンドミニアムの舟で、リバーシティまで送ってもらう。そしてタイマッサージ2時間を受け、ひとりタクシーに乗ってホテルに帰る


朝飯 “Gingerbread House Gallery”のアメリカンブレックファスト
昼飯 “DD8003″のパウンドケーキ「カームートロックスン」のカオカームー
晩飯 “Viva Tapas Bar and Restaurant”の生ハム、パン、4種のチーズのピッツァ、グラスの白ワイン、“Hoegaarden”の生ビール

2017.3.12(日) タイ日記( 4日目)

現在のプレーの気温は30℃をすこし超えるくらい。そして夜は、冷房を必要としないところまで凌ぎやすくなる。

タイでは街にも駅にも、朝の8時と夕方の18時に国王賛歌が流れる、という話は耳にしていた。しかしその場面に出くわすことは無かった。昨年2月、列車でスンガイコーロクへ行く途中のハジャイの駅でたまたま、ちょうど午前8時になった。タイ国民は、この歌が流れているときには、たとえ自転車に乗っていても、降りて立ち止まらなくてはならないとは、どこかで目にしたか耳にしたかで知っていた。しかしハジャイ駅構内の、それほど目立たないとろには、結構、いい加減なタイ人もいた。

次に国王賛歌に気づいたのはこのプレーの街でのことだ。その時間にベランダから外の様子を窺っていると「たとえ自転車に乗っていても」は嘘であることが分かった。

夕食にはそれほどの量は摂らない。朝は日本にいるときとおなじく、夜明けの何時間も前から起きている。腹の減らない道理がない。宿の朝食は、8時から10時のあいだに食堂に来るよう言われている。その8時、国王賛歌の流れている時間に2階から降りようとすると、宿の掃除のオバチャンだけは真面目に起立をしていた。よってその邪魔をしないよう、僕も階段の上で、同様に起立をして音楽が止むまで待つ

「今日のご予定は」と朝食の席でオカミに訊かれ「午前は日記を書いて、午後からは水泳ですね、きのうとおなじメーヨムパレスに行こうと思って」と答えると「もっと良いところ、ありますよ」と、僕がテーブルに置いた、チェックインをしたときにもらった絵地図に”PHOOMTHAI GARDEN”と、書き入れてくれた。それはきのうの夕刻、目的もないまま自転車で足を延ばしたあたりだったから、付近の風景まで目に浮かんだ。無駄な行いも、たまには報われるものである。

明日のノックエアのチェックインをiPhoneで済ませてから、Patagoniaのショートパンツの上にタイパンツを穿く。そして自転車にまたがり、先ずはチャロンムアン通りを南下する。数百メートルを往くと右側に、客で鈴なりのクイティオ屋が目についた。すかさずUターンをし、店の前に自転車を停める。

2、3段の階段を上がってガラスケースの中を覗くと、豚の挽き肉はじめ材料はどれも新鮮そうだ。その脇にはワンタンもある。「バミーナムギァオ」とお運びらしいオバチャンに告げて、先客が2組ほどいる大きなテーブルに相席をする

間もなく届いたワンタン麺は、調理職人の矜持と善意がありありと窺われる盛りつけで、味も良かった。食べ終えて値段を訊くと、田舎の水準に照らしても安い30バーツ。流行る店にはやはり、それなりの理由のあることをあらためて知る

“PHOOMTHAI GARDEN HOTEL”はすぐに見つかった。自転車を停め施錠をしてフロントに上がる。民族衣装の制服を身につけた女の子に声をかけると、すぐに、金色の名札を付けたオネーサンを裏から呼んできてくれた。

「いま泊まっている宿のオカミが、ここのプールがすごく良いと教えてくれたので来ました。お金、払えば泳げますか?」
「お客様は、これからこのホテルにお泊まりですか」
「いえ、それはありません。明日はバンコクに戻るので」
「ここにお泊まりになれば、プール代は無料なのに…」
「まぁ、それはそうでしょう」
「次にこの街にいらっしゃったときには必ず、ウチに泊まってくださいね」
「勿論、約束しますよ」

と、出だし以外は定型文のような会話をする。オネーサンの、笑いを含んだなじるような目つきもまた、テレビのドラマなどで良く目にする、いわゆる既定のそれである。

それはさておきこのホテルは、チェンライのブティックホテル”Le Patta”をすこし大きくしたような、やはり趣味の良さで、プールも小さめながら申し分のないものだった。そしてここの寝椅子で17時まで本を読む。南の国に旅をすれば、その時間が僕はどうしても欲しいのだ

宿に戻ると、朝食の際に頼んだ洗濯物が部屋の外に届いていた。少ない着替えでも充分に着まわしの効く点において、洗濯の面倒を見てくれる宿は本当に有り難い

今日は日の落ちる前から外へ出るそしていつもの屋台街の、2日目の晩からずっと来ている注文屋台に行く。注文屋台とは、品書きなどはなく、注文すれば大抵のものは作ってくれる屋台を指す。そして2種の料理を肴に飲酒活動をし、数十分で席を立つ。

日曜日の今日は、屋台街の客もことのほか多く感じられた。帰り道の、古い木造の家と、それよりは新しいだろうけれど、これまた年季の入ったコンクリートの家のあいだに丸い明かりが見える。「あれは高いところにある電灯だろうか、それとも月だろうか」と判断のつかないまま、とりあえずはカメラを向ける


朝飯 “Gingerbread House Gallery”のサラダブレックファスト其の一其の二
昼飯 チャルンナコン通りの繁盛店のバミーナムギァオ、薬味盛り合わせ
晩飯 「勝利の門」前の屋台街の注文屋台のミーラートナー豚肉とトマトと2種の葱の強火炒め、シンハビール、ラオカーオ”Black Cook”(生)

2017.3.11(土) タイ日記(3日目)

3部屋しかない小さな宿が、きのうは満室になった気配があった。朝8時をすぎて階下の食堂に降り、4種のメニュの中からきのうとおなじ”ABF”を選ぶ。ややあって、その食堂に小さな男児を連れたタイ人の若夫婦が入ってきた。静かで行儀の良い親子に心を癒やされる

僕がプレーに来た目的は、環濠と土塁により守られた旧市街をひとまわりしてみること、本場の藍染めによる品物を手に入れること、プールサイドで本を読むことの3つである。自転車は使い放題らしく、宿の親切なオカミの案内もあって、ひとつ目、そしてふたつ目の目的の半分は易々と達成された。ふたつ目の目的のもう半分は、「アーティスト」がかった人による藍染めではなく、一般大衆のための藍染め製品を手に入れることである。

藍染めを売る店は、プレーから4Kmほど離れた、英語の表記によれば”Bann Tung Hong”という場所にあるという。よって初日に宿で手渡された絵地図を指しつつ、その場所をオカミに確かめる。”Indigo hotel”から4軒目の”Natural Mild Shop”がお薦めと、オカミは教えてくれた。

11時31分に自転車でホテルを出る。11時42分にテスコロータスの前まで来る。オカミによれば”Bann Tung Hong”はこの交差点から1kmとのことだった。それくらいの距離を走ってみて、しかし周囲は見わたす限りの、田舎の広い道でしかない。

不安を覚えつつ走りながら、左手に大きな地図を見つける。近づいて注意深く読む。サイアム商業銀行のマークの先に”Mohom market”の文字がある。「この道で間違いない」と、ふたたび自転車にまたがる。すると、近視と遠視と乱視の入り交じった僕の目にも、800メートルほど先の右側に、サイアム商業銀行の紫色と黄色による看板が見えた。

11時55分、左手に”The Indigo House Phrae”というホテルがあらわれる。オカミの言っていた”Indigo hotel”とは多分、ここのことだろうあたりにはなるほど藍染め屋が集まっている。そして”Natural Mild Shop”はホテルの数軒先に難なく見つかった。

店に入り、ジンジャーブレッドからの紹介で来たことを告げる。他のものには脇目もふらず、タイパンツを出してくれるよう頼む。念のため試着をして即、これを買うことを告げる。価格は900バーツだった。宿を出てから30分も経っていない

バンコクからデンチャイまでの列車こそまともに走らなかったけれど、プレーに来てからは主に宿のオカミの親切心により、すべては順調だ。

「交通量が多いから気をつけてください」とオカミが注意してくれた街道を、心を軽くして戻る。途中左手に、木の柱とトタン屋根だけの、さっかけ小屋のようなクイティオ屋に客の満ちているのを見る。即、その店の前に自転車を停める。

調理場の材料棚を一瞥して「センヤイナム」と注文をする。あるじらしいオバサンは、隙間の空いた前歯に舌を押しつけながら「センヤイナム」と、確認のため繰り返した。タイ語の発音は、日本人にはまったく難しいのだ。

席に届いたセンヤイナムには、煮込まれた鶏の手羽と足がたっぷりと入っていた。味も良い。オバサンが僕に何ごとか言う。その意味を分からずいると、皿に山盛りの生野菜を従業員のオネーサンが持ってきてくれた。もちろんすかさず、それらすべてを汁麺に投入する。

食べながら見ていると、入ってきた客は先ず、調理場の横のバットから生野菜を好きなだけ取っている。また、プラスティックのコップに氷と水を満たしている。なるほどこれは素焼きの水瓶を家の前に置いて「どなたでも飲んでください」とした、タイの古い美風とおなじではないか。僕は勝手に、この店を「ナムジャイ屋」と名付けた

あとは一路、宿へ戻るのみである。市の中心部に入ってからは、知らない道にわざと迷い込み、街の地理をより深く知ろうとする

シャワーを浴び、ベッドで休むうち14時を過ぎる。それから更に30分ほど経ったところで服を着る。代金を払えばプールが使えることを確かめておいた「メーヨムパレス」のロビーには、団体客が溢れていた。フロントできのうのオネーサンに60バーツを支払い、受け取った切符を手に奥のプールへと行く。そうして17時まで寝椅子で本を読む

夕刻の街には、調理のための炭火の香りが漂っている。その匂いを頼りに自転車を走らせると、そこはきのう「まるで昼寝でもしているような」と感じた一角だった。「今日の晩飯はここにするか」と考えつつ奥へと進む。しかしここは持ち帰り専門の屋台街らしく、机や椅子の用意は無かった。また、きのうの昼に美味いバミーヘンを食べさせてくれた店には「11日から15日までお休み」と書いてあるらしい案内があった

日が落ちるのを待ってペットボトルに小分けしたラオカーオとコップを持ち「勝利の門」前の屋台街へと向かう。そうしてきのうとおなじ注文屋台にて、目玉焼きを載せた海老炒飯を頼む。このあたりで英語を使う人はほとんどいない。屋台のオヤジが何ごとか訊くので、とりあえず「日本人だよ」と答える。そしてまた、調理場の黄色い麺を指し「ラートナー」と訊くと、オヤジは頷いた。「明日も来るよ」と、これは英語で告げて、夜の街を宿へと戻る


朝飯 “Gingerbread House Gallery”のアメリカンブレックファスト其の一其の二
昼飯 「ナムジャイ屋」のセンヤイナム薬味盛り合わせ
晩飯 「勝利の門」前の屋台街の注文屋台のカオパックンカイダーオ、ラオカーオ”Black Cook”(生)

2017.3.10(金) タイ日記(2日目)

「ホーウィ、ホーウィ」と、昨年ナラティワートで啼いていた鳥の声を、ここでも聴く。朝の街を托鉢の僧が往く。ベランダから戻り、このゲストハウスの主人がよかれと考えて置いただろう調度品を片づけて、部屋を自分の好みに変える。古いミシンを改造した机は、コンピュータを使うにはうってつけの高さである

朝食は4種の中から選べる。もっともカロリーの高そうな”ABF”を僕は選ぶ。3つある部屋に対して泊まっているのは僕ひとり。通りに面したガラス張りのカフェスペースで、しばしゆっくりする

きのうオカミが教えてくれた藍染めの工房について、更に詳しく訊く。”Kaewwanna”という工房の名は、日本にいるときの下調べにより、既にして聞き覚えたような気もする。その場所は、宿の面するチャロンムアン通りをひたすら南東へと直進し、空港を過ぎて、スーパーハイウェイの手前の左側。距離にして3、4キロだという。

1982年のカトマンドゥには、貸し自転車といえば中国製の、大きく重たいものしかなかった。僕はそれで、1日に30キロほどは走り回った。しかし35年もむかしのことだ。いまの僕に、炎天下の8キロをこなすことはできるだろうか。モータサイを使うことも考えたけれど、自由度を考え、宿の自転車を借り出す。

変速の効かないギヤはかなり高く設定されているにも関わらず、自転車の漕ぎ心地は悪くない。空港を過ぎたあたりから「本当に行き着けるだろうか」と不安になってくる。そして遂にスーパーハイウェイの手前まで来てしまう。仕方なく戻ろうとして、安全な横断場所を探しているとき、左手の林の中に”Coffee Park”という看板を見つける。気になって数十メートルを進んでみると、その林が果たして藍染めの工房”Kaewwanna”だった

宿のオカミによれば、今日はオーナーは不在。明日ならオーナーもいるし、ちょうどランナースタイルを専門にするアーティストも来るとのことだった。しかし人との交流をあまり好まない僕にとっては、今日の方が好都合である。

工房には女の人がふたり、留守番をしていた。タイパンツをあれこれ見せてもらうも、僕の気に入るものは無い。僕が欲しいのは一般大衆が身につけるそれで、いわゆる「デザイン」や「アレンジ」は要らないのだ。しかし何も手に入れずに帰れば、何やら後悔をしそうな気もする。よって女物のシャツ1着を買う。価格は、僕が日本から持って出たバーツの1割を超えた。「本物は顧客を選ぶ」ということなのだろうか

来た道を快調に戻る。途中で左側に市場を見つける。自転車を、日本から持参したワイヤーロックで道ばたの道路標識に繋ぐ。そしてその、中へと入ってみればかなり清潔で広い市場の奥まで歩き、ひと回りして戻る

心配が先に立った自転車での行動だったが、それほど大変なものでもない。当方には勢いがついているから、宿の前を通り過ぎ、そのまま旧市街に直進する。更にはそこも通り抜けて、ヨム川を渡ったところでようやく引き返す。

プレーに来た目的は3つある。

僕は中世以前から戦乱を繰り返したインドシナの、環濠と土塁により守られた古い、それも小さな街が好きだ。瓢箪型の旧市街がぐるりと土塁に囲まれたプレーの地図を”LONELY PLANET”で見たときから「この旧市街をひと回りしないわけにはいかない」と考えてきた。

ヨム川からチャロンムアン通りを旧市街の北の入口まで引き返すと「ナーン、パヤオ、チェンライは左」の標識が見えた。よってこの小さな交差点を起点として、旧市街を右回りに一周することにする

“LONELY PLANET”でも、また「地球の歩き方」でも地図には示されていない、しかし古いお寺を右手に見ながら進む。やがて旧市街の東端、瓢箪の小さな玉の先にあたる場所に達する。ここからしばらく行くと、右手に刑務所らしい建物が見えてくる。そのすこし先に自転車を停め、土塁に上がってみる。旧市街の北東側である。環濠は空堀のところもあるけれど、このあたりではいまだ満々と水を湛えている

土塁から降り、自転車を押しながら、その環濠に掛けられた橋を渡る。ちかくで見るとその環濠には、インドシナの例に漏れず、魚が押し合いへし合いをしていた。釣りをする人がいる。釣れなければ不思議なほどの魚影の濃さである

「勝利の門」つまり夜には屋台街になるところから、今度は旧市街の西側に銀輪を向ける。その西端、つまり瓢箪の大きな玉の先にあたるところには、これまた地図には示されていないものの”WAT SRIBUNRUEANG”という名の大きなお寺が、旧市街の端を守るようにしてあった。ふたたび土塁に上がると、涼風はこの高さにのみ吹きわたっていた

旧市街を更に右へと巻いて行く。途中、洗濯を生業としている家が左手にある。土塁下部のレンガの壁を使って干されているタイパンツを見て「そう、オレが欲しいのは、こういう普通のやつなんだ」と、顔も名前も知らない、このパンツの持ち主を羨ましく思う。

そうして遂に先ほどの、「ナーン、パヤオ、チェンライは左」の小さな交差点に戻る。旧市街を周回する道の延長は、5Kmほどではなかったか。

時刻は正午にちかい。ホテルに戻り、冷えた水300ccほどを一気に飲む。シャワーで汗を流し、ベッドで休む。

プレーはまた、藍染めの産地でもある。プレーに来た目的のふたつ目は、本場の藍染めによるタイパンツを手に入れることだ。これについは明日にでも捲土重来を期すこととする。

最後のみっつ目は、プールサイドでの本読みである。僕は南の国においては、プールサイドで本を読まないことには気が済まない。しかし今いる宿は3部屋のみの小さなもので、プールなどは望むべくもない。

午後、ふたたび自転車にまたがり、この街でもっとも大きいと思われるホテル「メーヨムパレス」を訪ねる。「僕、ここに泊まってるわけではないんですけど、お金、払えばプール、使えるんですかね」と訊いてみる。オネーサンはにっこり笑って「はい、大丈夫です。料金は60バーツです」と答えてくれた。明日と明後日は雨でも降らない限り、ここに来ることにしよう

今日はここまでで15km以上は自転車で走ったように思われる。しかし腹は減らない。それでもやはり、昼食は抜かない方が良いだろう。チャルンナコン通りを帰る途中の右手に「閣心紫堂善心一府巾白挽」という赤い看板が目につく。すこし感じるところがあって、その、まるで昼寝でもしているような一角に足を踏み入れてみる。果たしてその突き当たりの右側に、割と大きな食堂があった。席に着き、バミーヘンを注文する。そのバミーはかなり美味かった。「プレーの昼飯は、帰るまでずっと、ここでいいや」という気分になる。

ふたたびチャルンナコン通りを戻りつつ、中華旅社のあることに気づく。名前は”TEPWIAN”。壁の銘板には「天宮両合公司」とある。フロントのお婆さんは、英語は解さないだろう。その娘らしい人に案内を請うと、部屋を見せてくれるという。2階に上がってはじめて、ここがかなり大きな旅社だということを知る。部屋に冷房はなく扇風機のみ、そして冷水によるシャワー。料金は1泊120バーツとのことだった。1980年代はじめの為替に照らしてみても、あの楽宮大旅社より3割も安い。しかも楽宮と異なり、掃除はかなり行き届いている。今より30歳ほど若ければ、大喜びで泊まっているところである

宿に戻ってシャワーを浴び、またまた休む。そして18時をかなり回ったところで外に出る。プレーを田舎と感じるのは、この時間にして既に人の姿のほとんど見えなくなることによる。先ほど”TEPWIAN”の若オカミが教えてくれたマッサージ屋”HAPPY HEALTH SPA”の前まで行くと、あるじらしい女の人が声をかけきた。

2時間400バーツのタイマッサージにしようとしていたところ、特殊配合のハーバルオイルを用いるコースは2時間1,000バーツが、現在はキャンペーン中で700バーツだと薦める。特殊配合のハーバルオイルになど興味はないものの、僕も日本人であれば、妙に格好を付けるところがある。よってその700バーツのコースを、物静かで太ったオネーサンに受ける。

特殊配合のハーバルオイルはやはり、どうということもなかった。それはさておき、100バーツのチップを差し出されて、これほど驚き、嬉しそうな顔をしたマッサージ嬢は、今日のオネーサンが初めてである。

“HAPPY HEALTH SPA”とは目と鼻の先の宿には寄らず、そのままきのうの屋台街まで歩く。そして今夜は父と息子で営んでいるらしい注文屋台にてガパオ飯を頼み、これを肴にしてラオカーオを飲む


朝飯 “Gingerbread House Gallery”のアメリカンブレックファスト
昼飯 名前を知らないクイティオ屋のバミーヘン
晩飯 「勝利の門」前の屋台街の注文屋台のカーオパッガパオムーカイダーオ、ラオカーオ”Black Cook”(生)

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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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