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清閑 PERSONAL DIARY

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2017.6.26(月) タイ日記(5日目)

いまだ暗いうちに目を覚ます。ようやくその気になって体温計を取り出す。結果は36.8度だった。僕は自分の平熱を知らない。暑い場所に来ると、人の体温は上がるという。今朝の36.8度は、平熱と考えて良いのだろうか。デスクのスタンドを点け、きのうの日記を一気に書く。バンコクの夜が、徐々に明けていく

胃痛のため、食欲は無い。多分、1日まるまる何も食べなくても、腹は減らないだろう。しかしそれもまずかろうと、外へ出る。チャルンクルン通りの雑踏が、僕は大好きだ。今は正にドリアンの季節で、それを売る露店が多く目につく

胃の具合を慮って、粥を売る店に行く。この店の繁盛の理由を僕は知らない。強いて言えば、清楚な女主人の控え目な愛想の良さが心地よいこと、肉団子が大きいことくらいだろうか。タイ人にしてみれば、また別の何かがあるに違いない。僕の注文は「サイカイ、イヤオマー、パートンコー、ナ」である。

タイにいると、何かひとつのことをするたび汗まみれになる。そのたび部屋に戻り、シャワーを浴びる。部屋のクーラーのスイッチを入れると寒くなりすぎる。スイッチを切ると、すぐに耐えがたいほど暑くなる。ちょうど良い状態を保つことが、南の国では中々に難しい。

チャオプラヤ川を運行する水上バスは、切符は船上ではなく、できるだけ地上つまり桟橋で売る方式に変えたようだ。上りと下りの中心にあたるサトーンでは、舟の乗り場もすこし変わったから、注意をしなければならない。

14バーツの切符を買い、オレンジ色の旗を立てた急行で上流を目指す。暁の寺は、いまだ修理を終わらない。特に目的地は無かったものの、ピンクラオ橋のたもとで降りてみる。階段を上がっていくと、数年前までは人っ子ひとりいなかった橋の下が、中国大陸からの団体旅行者を大型バスに乗せるための場所になっていた。銀座でいえば、中央通りと首都高速会社線の交わるあたりの感じである。大変な賑わいで、露店にはおしなべて中国語の売り文句が並んでいる。

そのまま北へ歩いてくと、先ほどバスに乗せられた団体が、中華料理屋に次々と案内され入っていく。MGでいえば、大量の「キャラメル」がジャラジャラと、左から右へと滞ること無く流れていく状態である。しかもキャラメル1個あたりのマージンは、結構、高そうだ。

そんな風景を横目に更に歩き、アルンアマリンという、非常にロマンティックな名の大きな交差点をはす向かいに渡る。船着場から既にして1キロ以上は歩いている。全身、汗まみれである。冷房の効いたパタデパートに入り、しばし涼む。

地下の食料品売り場の、調味料と酒の棚を観ていく。調味料は容量の大きなものばかりで種類は少ない。酒の売り場では驚いたことに、僕がチェンライで最も美味いと感じたもの、2番目に美味いと感じたもの、甘さは強すぎるがまぁ我慢できると感じたもの、この3種が揃っていた。さすがは場末の百貨店である。

そのときちかくから日本語が聞こえてきた。目を遣ると、30代から40代くらいの女の人3人が酒の棚の前に立って、あれこれ迷っている。そこで僕は近づき「一番美味しいのはコレです」と、自分の経験を伝えた。先方は「あ、あ、あれ、日本語…」と驚いている。

駐在員の家族は、プロンポンあたりのいわゆる「日本人村」に固まって、ピンクラオのような場末には、まず近づかない。よって彼女たちは、その駐在員の妻ではあり得ない。訊けばヤワラーの宿からバスでトンブリーのどこかを目指すうち、このあたりでバスを降ろされ、途方に暮れていたのだという。

「ヤワラーに戻るバス、分かりますか」と訊かれても、僕はバスの地図はホテルに置いてきてしまっている。「ピンクラオから舟でサトーンまで行って、そこからタクシーを使ったらどうですか」と助言をするも、彼女たちは、それはしたくないらしい。「安易な方法は採りたくない」という、彼女たちの気持ちは僕も重々、理解できる。ラオカーオ2本を買った3人組とは、そこで別れた。

ピンクラオの橋のたもとまで、また1キロ以上を歩く気はしない。よってデパート前の停留所に停まったバスに、先ずは乗ってみる。と、このバスはアルンアマリンの交差点を左折したから「あー、当てが外れた」と、いささか慌てる。しかもなかなか停まらない。思い余って天井のブザーを押す。次の停留場はどうやらラマ8世橋の下らしく、僕を降ろしたバスはUターンをして、元来た方向に去った。

すぐ来た次のバスに乗る。バスはアルンアマリンの交差点をめでたく左折し、ピンクラオの橋のちかく、中国大陸からの団体旅行者が群れていたちかくに停まった。ことによると先ほどのバスも、そのまま乗っていれば同じところまで運んでくれたのかも知れない。バカバカしい無駄足を踏んでいるようだけれど、こういうことこそが、僕の旅行なのだ。

往路とおなじ、オレンジ色の旗を立てた急行船でサトーンの桟橋に戻る。15時すぎから2時間ほどはずっと、ホテルのプールで寝椅子で横になっている。本を持参しながら読む気がしないのは、体調の不良が影響しているのかも知れない

日の暮れるころ、サトーンの桟橋から舟に乗り、同級生コモトリケー君の家へ行く。舟の磨き抜かれたデッキが、夕空を映してオレンジ色や水色に変わる。そして川沿いの料理屋”Yok Yor Marina & Restaurant”の、黄色い明かりを目指して歩いて行く

往きには夕空を映したデッキが、帰りにはホテルの灯りを受けて鈍く光る。舟は人が軽く走る程の速度でチャオプラヤ川を滑り、ふたたびサトーンの桟橋に戻った。バンコクの夜はいまだ始まったばかりではあるけれど、真っ直ぐ部屋に帰り、温かい湯に浸かって即、就寝する。


朝飯 「王子戲院豬肉粥」の皮蛋粥、油絛
昼飯 「パタデパート」地下のフードコートのカオカームー
晩飯 “Yok Yor Marina & Restaurant”のヤムウンセンプラームックトードマンクンサイクロンイサーン、ウォッカ(ソーダ割り)

2017.6.25(日) タイ日記(4日目)

午前3時のころに目を覚ます。快方へは向かっていない。水を飲み、外が明るくなるまでベッドの上で静かにしている。日記を書く気力は無い。部屋のポットで湯を沸かし、持参した即席のスープを飲むと、大量の汗をかいた。体温計は持ってきているものの、怖くて計る気がしない。

ホテルのメシは美味くないが、外へ出る気もしない。空腹で薬を飲むことは避けたい、ただそれだけの理由により1階の食堂へ行く。目的のカオトムは、今日は無かった。仕方なく、トーストと紅茶のみ摂る。

「アスピリンだけじゃ無理なんだわな」と、以前、セキネ耳鼻科に処方された解熱剤を飲む。胃も痛むため、きのうに引き続き胃痛の薬も飲む。

MGで引くリスクカードに「社長、病気で倒れる。1回、休んでください」というものがある。しかしまさかバンコクまで来て「具合が悪いので休ませてください」というわけにもいかない。ホテルから歩いて数分の会場には、9時すこしすぎに入った。

09:30 タナカタカシさんによる利益感度分析の講義
11:40 第4期終了(自己資本は第3期終了時の204から大幅に下げて107)
15:30 第5期終了(自己資本は第4期終了時の107から大幅に下げて64)

決して弱くない陣容を作り上げながら自己資本を下げるのは、明かな気力不足である。「1回1錠、1日に2回を限度とする」とか「服用する間隔は、最低5時間は空けること」というような薬を飲みながらのMGは、どうにも辛かった。原稿用紙2枚ほどの感想文では体調のことには触れず、その他の気づいたことを記した。

MGは2日間で5期分の経営を盤上に展開する。そして来期への準備を一定の水準以上に整えた上で、第5期終了時の自己資本の高い順に3名が表彰をされる。

今回の優秀経営者賞は、兵庫県から参加のオーサトユーイチさんが389で、2位の優秀経営者賞は、359を上げたスズキタカノリさんが主催者側ということから表彰を辞退したため、神奈川県から参加のヒラオケンタローさんが354でまた3位はおなじく神奈川県から参加のタダジュンさんが349で、それぞれ獲得をした。こうして第5回バンコクMGは、無事に完了した

本日は流れ解散とのことにて、タナカさんに挨拶をした後は即、メジャータワーの10階からエレベータを降りて外へ出る。そしてホテルに戻り、仕上がった洗濯物を受け取って、代金を支払う。

“Nantra Retreat & Spa”は、数日前の日記にも書いたけれど、ホテルとゲストハウスのあいだほどの宿泊施設だった。頼まなければ部屋の掃除はしないからチップも必要なく、経済的である。僕は3泊をするあいだ、同じタオルを使い続けた。セイフティボックスは棚に固定されていなかったため、これを使うことはしなかった。1日目に出した洗濯物を届けに来た人は、それを部屋の中に入れるすべを知らず、外の階段の手すりに載せたままにした。そんなホテルでも、場所は便利だ。極端に安ければ、次のバンコクMGの際にも泊まるかも知れない。

背中にザックを背負い、スーツケースを曳いて、soi8からトンローの大通りに出る。北の方から来たタクシーを停め、後席に荷物を積む。時刻は17時45分だった。

「バンラックのロビンソンまで」
「あー?」
「ホテルはセンターポイントシーロム。チャルンクルン通り」
「知らない」
「バンラック市場の近く。サパーンタクシンの近く」
「…」
「ラマ四世通りを真っ直ぐ」

運転手と会話を交わしつつ、タクシーはトンローの大通りを南下し、スクムビット通りを突っ切る。スクムビットsoi40に入ってさらに南下を続け、ラマ4世通りへと右折する。この時間にラマ4世通りを西へ進むと、ほぼ真正面に夕陽が見える。ラジオから国王賛歌が流れる。時刻は18時ちょうどである。

「チャルンクルン通りに突き当たったら右、左、どっち?」
「左」
「ホント?」
「そう」

右手にルンピニー公園を過ぎると運転手はハンドルを左に切り、サトーン通りへと入った。この運転手は道を知っている。タクシーは最短距離で目的地を目指している。

「ゴメン、チャルンクルン通りに出たら、右折だわ」
「右折ね。ところでタイに住んで1年? 2年?」
「オレはただの旅行者だよ」

僕の拙いタイ語に対して「タイに住んで1年か、2年か」とは、最大級の賛辞である。僕のタイ語は多分、タイの二歳児にも劣る。

サパーンタクシンの高架下を右折すると間もなく、ホテルへの誘導路が見えてくる。

「おー、センターポインッ」
「そう、ここ」

トンローsoi8からの所要時間はちょうど30分。初乗り35バーツのメーターは111バーツまで上がっている。120バーツを手渡すと、運転手はにっこりと笑った。

タクシーのドアを開けたベルボーイがスーツケースをロビーに上げる。”Comeback Sir”を声かけてくれるボーイがいる。略をしすぎた英語だけれど、意味は分かる。「お部屋はリバービューにアップグレードさせていただきました」と言ってくれたフロント係には、礼を述べる。

ベルボーイに案内された部屋は20階の北西の角部屋だった。ベランダに出てみると、すぐ下にはサパーンタクシンの駅が、また下流に向けて湾曲するチャオプラヤ川が一望できる。バンコクに泊まるなら、僕はやはり、川沿いを選びたい

コンドミニアムを19時の舟で出るというコモトリ君とは、19時12分にサトーンの桟橋で落ち合えた。すぐに”BTS”で、ふた駅先のチョノンシーまで移動をする。そして小籠包と中華麺をすこしだけ食べ、飲酒は避けて、熱いお茶を飲む。

サパーンタクシンには、ほんの小一時間ほどで帰った。そして部屋に戻り、風呂桶に湯を張って、久しぶりに体を温める。


朝飯 “Nantra Retreat & Spa”の朝のブッフェのトーストと紅茶
昼飯 MG会場に仕出しの弁当
晩飯 「永和豆漿」の小籠包牛バラ肉のうどんお茶

2017.6.24(土) タイ日記(3日目)

「年に4回を開催する」と決めて、昨年の6月にその第1回が開かれ、僕も参加をしたバンコクMGの、今日は第5回目、つまり1周年の日である。

早朝からきのうの日記を書く。朝食はきのうの昼とおなじガオラオ屋へ行き、更にはホテル1階の食堂でカオトムを食べる。シャワーを浴びてゆっくりしているところに「会場へはみなで一緒に行きましょう」との同報メッセージが入る。いまだガウン姿だった僕は慌てて身繕いをする。

09:30 タナカタカシさんのインストラクションによる第5回バンコクMG開始
14:30 第2期終了(自己資本は第1期終了時の283から少し上げて293)
16:30 第3期終了(自己資本は第2期終了時の293から大幅に下げて204)

参加者21名中の初心者は7名だっただろうか。タイで起業をした、あるいは働いている優秀な人たちもさすがに、初めてのマトリックス会計表には悪戦苦闘をする。トンローsoi10のメジャータワー10階に設けられた会場から眺めるバンコクの空は、夕刻から夜に移りつつある。交流会の場所を19時に設定した事務局のニノカタトモヒロさんは、気が気では無い。決算の終わらない人は、それを明朝に回すこととして、みなで外へ出る。

日系居酒屋での交流会は、多いに盛り上がった。一方僕は、その最後のころに、体温が平熱より上がってくる気配を感じた。夜にはもともと強くないため、二次会には勿論、加わらず、トンローの通りを渡ってホテルに戻る。

シャワーなど浴びては余計に症状が悪化しそうだ。というよりも、そもそも寒気がしてシャワーを浴びる気がしない。服を脱ぎ捨てガウンを着る。そしてアスピリン1錠を飲んで即、就寝する。


朝飯 エイトトンロー真向かいのセブンイレブンに向かって右側の隙間にあるガオラオ屋のガオラオ(大盛り)“Nantra Retreat & Spa”の朝のブッフェのカオトム
昼飯 MG会場に仕出しの弁当
晩飯 「隠れ家・離れ」のあれやこれや生ビール、焼酎(ソーダ割り)

2017.6.23(金) タイ日記(2日目)

今日は2013年に亡くなった、おばあちゃんの祥月命日だ。そのような日に線香の1本も上げないでは、気持ちが納まらない。朝食を済ませ、一昨日から昨日にかけての服を洗濯袋に入れてフロントに預けるなどしてから外へ出る。時刻は9時をすこし過ぎていた。

お寺は、”BTS”を使うとしたらトンローの隣のエカマイにワットタートンが、”MRT”ならサムヤーンにワットファランポーンがる。しかしよくよく考えて、王宮にほど近いワットサケートまで足を延ばすことにする。

先ずは赤バスに乗って、センセープ運河の船着場ソイトンローに行く。西のプラトゥーナムまでは12バーツ。ここで船を乗り換え、更に西の終点パンファーリーラードまでは10バーツの運賃である

桟橋から階段を上がっていくと、左手に白い橋がある。橋の名前はサパーンサケートだったかも知れない。橋を渡りきって真っ直ぐに進む。間もなく左手に消防署が見えてくる。これを過ぎればワットサケートへの入口はすぐに見つかる。

入場料は20バーツと聞いていたから、最初に目についた、線香などを売るブースの箱に20バーツを入れる。すると次のブースに「旅行者の入場料は20バーツ」との英語の表記があった。お寺からすれば「さっき入れた」という僕の理屈は通じないだろうけれど、その前を黙って通り過ぎる。上への階段は、そのブースの左奥にあった

平地がどこまでも広がるバンコクには珍しく、このお寺は小山に造られている。頂上までの階段はいかにもお寺らしく、右繞をしている。階段の一段一段は低いから、2段ずつ昇る。登り詰めたところにお堂があって、その中央には4体の仏像が四方を向いていた

“iPhone”のコンパスを働かせ、丸いお堂の中で真東を探す。そこではふたりの信者が4人の僧侶を頼み、経を上げていた。その脇から真東を向いた仏像の安置されている中央部に階段を上がり、日本から持参した線香の半分に火を点ける。

一昨年の9月にチェンライ奥地の寺で線香を上げたときには、その線香立ての灰の固さに驚いた。そのことを忘れて、数十本の線香をまとめて灰に立てようとすると、今回も、まるで歯が立たない。タイの線香は細い竹が中心にあり、これを1本ずつ立てるなら、灰が固くても問題は無いのだ。それに気づいて、今度は線香を1本ずつ立てる。日本の線香は、タイの線香立てに何とか収まった。

そうして仏像に手を合わせ、深く頭を垂れていると、僕の横に黒いポロシャツを着たオバチャンが来た。オバチャンは恐縮をした様子で何やら言った。どうやら「この線香立ては、先ほどの読経のためのもので、でも、それももう終わってしまったから、片付けなければならない」ということらしい。宗教施設で下手を打ち、関係者に叱られるとは、僕がしばしば経験をすることだ。

金色の仏像の前を去り、短い階段を降りると、オバチャンはすぐ脇の台に、とりあえず線香立てを置いたところだった。「ごめんなさい」と謝ると、おばちゃんはしかし「いえ、却ってすみませんでした」という意味の言葉を、これは想像だけれど、笑顔で呟いた。

勤めを果たした気分で、南側に設けられた出入り口に向かう。見覚えのあるビルが、遠くにいくつも見えている。日影にいる限り、風はとても爽やかだ。長い階段を降りきって、来たときとは異なる出口を抜ける。僧坊なのかどうかは知らないけれど、とにかくそのような雰囲気のところをジグザグに歩いて元の通りに出る

東へ向かう舟に乗り、プラトゥーナムまでの切符を10バーツで買う。その際、まわりの人たちの声に気をつけていると、乗り換えのプラトゥーナムの先までの桟橋名を言う人が何人もいる。それが可能なことを僕は知らず、馬鹿正直に、小間切れで切符を買っていたのだ。次に機会があれば、そのときには「通し」で切符を買ってみよう。

ソイトンローで舟を下りる。時刻は11時13分だった。橋の下から赤バスに乗り、すこし高級なショッピングモール「エイトトンロー」の前で降りる。

この「エイトトンロー」の、トンロー通りを隔てた真向かいに、建物と建物の隙間を使ったガオラオ屋がある。きのう14時に訪ねたところ、売り切れにより店を閉めたところだった。よって今日は満を持して、その狭い隙間に入って行く。ガオラオの中身は豚の心臓、肝臓、腎臓、子袋、そして血の煮こごりに菜っ葉だった。この手の食べ物は、僕の大好物である。

ところでタナカタカシさんからは、18時30分にホテルのフロントで待ち合わせ、明日からのMG会場の準備をすることが、メッセンジャーにより知らされていた。その時間に階下に降りると、ちょうどsoi8を、昨年6月にも参加をしたオーサトユーイチさんと、その弟さん、また社員さんが近づいてくるところだった。

トンローsoi10にある会場は、19時30分には整った。我々は主催者のひとりタイラマサキさんのクルマでスクムビット通りまで送ってもらう。

フカヒレの「スクムビットシャークフィン」には、第5回バンコクMGに参加をする面々が、三々五々集まってきた。そこで2時間ほども歓談をし、前夜祭は無事に完了した。皆は二次会に流れる様子だったけれど、僕は夜は極端に弱い。ひとり集団を離れ、トンローのパクソイから北に進む。

金曜日の夜の渋滞は特にひどい。赤バスの乗り場には長い列がある。一旦はその最後尾に並び、しかし今夜はホテルまでの1キロちかくを歩くことにする。僕がsoi8に達するまで、赤バスに追い越されることは遂になかった。


朝飯 “Nantra Retreat & Spa”の朝のブッフェ
昼飯 エイトトンロー真向かいのセブンイレブンに向かって右側の隙間にあるガオラオ屋のガオラオ、カオスアイ
晩飯 「スクムビットシャークフィン」のフカヒレスープパックブンファイデーン焼売ヤムウンセンタレークンオップウンセンガチョウの足の蒸し物プーパッポンカリー鱸の唐揚げ鯛の唐揚げ、他あれこれ、ラオカーオ(ソーダ割り)

2017.6.22(木) タイ日記(1日目)

“BOEING 747-400″を機材とする”TG661″は、定刻に17分おくれて00:37に羽田空港を離陸した。それから6分後には早くもベルト着用のサインが消えたため、デパスとハルシオン各1錠ずつを飲み、アイマスクをする。そして座席の背もたれを倒し、寝る体勢に入る。

04:15 目を覚ます。機はいまだ、海南島のはるか東洋上を飛んでいる。
04:25 朝食の配膳が始まる
05:00 ダナンの上空を通過。バンコクはいつも、ここから1時間の距離にある。

“TG661″は定刻より47分も早い日本時間06:03、タイ時間04:03にスワンナプーム空港に着陸をした。以降の時間表記はタイ時間とする。

04:35 パスポートコントロールを抜ける。
04:37 9番の回転台からスーツケースを拾い上げる。
04:50 地下1階のエアポートレイルリンク乗り場は、いまだ真っ暗だった
04:55 何人もの人が眠る椅子に腰かけ、家から持参した新聞を読む
05:45 エアポートレイルリンクの乗り場に明かりが点る

始発のエアポートレイルリンクは06:04に空港を発車した。ここからトンローまで最短距離を選ぶなら、マッカサンで降りて歩道橋をペチャブリーまで歩き、そこから地下鉄MRTでひと駅先のスクンビット。ここで隣接の駅アソークから、今度はスカイトレインBTSに乗り換えトンロー、という手だろう。しかし駅の数では遠回りでも、間に地下鉄を挟まない方が、これは調べたわけではないけれど、時間も運賃も得な気がした。よって自分は、エアポートレイルリンクを終点のパヤタイまで乗り、ここで”BTS”に乗り換え、トンローには06:57に着いた

スクンビットsoi55、つまりトンローの通りで便利なのは、この南北に長い大通りの南端と北端を結ぶ赤バスである。この、どこででも乗れてどこででも降りられるバスの運賃は7バーツ。これに乗ってトンローsoi9の先で降りる。そして道を渡り、soi8の奥にあるホテルに着く。「正式のチェックインは14時だけど、10時に空く部屋がある」と、ゲストハウスのそれに毛の生えた程度のフロントで、夜間勤務の係は僕に説明をした。取りあえずはスーツケースとザックを預け、外へ出る。とにかく10時までは、時間をつぶさなくてはならないのだ。

ふたたび赤バスに乗ってトンローの駅まで行く。スカイトレインの階段を昇ったところで「BTSではなく、最初に来たバスに乗ってやれ」と魔が差して、向かい側つまり南側の歩道に降りる。最初に来たのは残念ながら、運賃のそれほど安くない冷房付きの黄バスだった。「プロンポン」と車掌に告げる。運賃は23バーツだから”BTS”よりも高い。

渋滞の激しいスクムビット通りをバスは西へと進む。やがて大勢の人で賑わう歩道が見えてくる。僕はそこをアソークと勘違いし、乗ったままでいる。すると右手に”soi39″の表示が見えたため「プロンポンじゃねぇか」と、すぐに立って運転席の脇まで行く。バンコクのバスは停留所を出ても、運転手に意思を示せば停まってくれることもある。そして僕も無事、プロンポン駅の階段下で降ろしてもらう。

先ほどの人だかりの方に戻ると、soi24/1に長い行列がある。人気の弁当屋ででもあるらしい。その小路を抜け、今度はsoi26を奥に進んでみる。麺の名店「ルンルアン」は、もう営業を始めていた。ちょうど小腹の空き始めたこともあって、席に着く。そして汁麺を注文する。味は「なるほど」と思わせるもので、女店員の感じも良かった

スクムビット通りを北側へ渡り、西に歩いてsoi39の先のソイを北へ進む。大抵のマッサージ屋は10時開店のところ、このソイの突き当たりにある「ワットポー」は9時に開く。時刻はいまだ8時30分にて、出勤してくるマッサージ師などに挨拶をしつつ、外のベンチで新聞を読む

ふと気づくと、入口に提げられた”CLOSE”の札が、いつの間にか”OPEN”になっている。「涼しい店内でお待ちください」も無ければ「お待たせしました、開店しました」のひと言も無い。しかし「世界標準」とは大体、そんなものである。

足の角質取り30分、足マッサージ60分、肩と背中のマッサージ30分の2時間コースは630バーツだった。時刻は11時を過ぎた。トンローまでは”BTS”で戻る。本日3度目の赤バスを「エイト・トンロー」の向かいで降り、ようやく部屋に落ち着く

今回の訪タイの目的は、昨年その第1回目に家内と参加をしたバンコクMGの、第5回目に参加をすることだ。バンコクMGのインストラクターは、広島のタナカタカシさんで決まっている。夕刻、そのタナカさんから空港に着いた旨のメッセージが届く。

おなじホテルに泊まるタナカさんとは18時に会えた。即、ホテルを出てトンローの通りを東から西へと渡る。背に腹は代えられず、2009年の9月にチェンライのスーパーマーケット「ビッグC」で買い、不味かった記憶のある、水色のレッテルのラオカーオを目の前のセブンイレブンで確保する。そして昨年も皆で行ったsoi9の「セープスッチャーイ」に入る。タナカさんも僕も、イサーンのメシが好きなのだ。

ところで「日本語はアラビア語と並ぶ難解な言語で、これを母語として使う者は、言語を司る脳の領域が満杯にちかい。よってできるだけ早く外国語を習得したい場合には、取りあえず発音は捨てろ」という意見がある。しかしこの理屈は、タイ語には通用しない。発音と声調を無視すれば、タイ語は先ず通じない。この店でも「ヤムウンセンプラームック(イカの春雨サラダ)」を3回くりかえして通じず、やむなく「ヤムウンセンタレー(海の幸の春雨サラダ」で注文を通した。「タレー」の方が色々入っていて、却って良かったかも知れない。

タナカさんとの心地よい食事で酒が進む。8年前に不味いと感じたラオカーオは、他のラオカーオで練習を積んだせいか、そこそこ飲めた。そして以降の記憶は、無い。


朝飯 “TG661″の機内食「ルンルアン」のバミーナムトムヤム
昼飯 トンローの通りがセンセープ運河を跨ぐ橋の南東のたもとにあるフードコートの2種のおかずのぶっかけ飯
晩飯 「セープスッチャーイ」のソムタムヤムウンセンタレーコームーヤーンカオニャオチムジュムチムジュムに追加する豚の内臓の盛り合わせラオカーオ(ソーダ割り)

2017.6.21(水) いつも端っこ

10時30分に荷造りを完了する。土産にする日光味噌梅太郎の、それぞれ白と赤の計1Kgを加えても、スーツケースの重さは8.67Kgだった。機内持込のための容れものは、今回は”GREGORY”の”Half Day”にした。からだの片側に重さがかかるところから、よほどのことがない限り、トートバッグは持ちたくないのだ

下今市13:35発の上り特急スペーシアに乗る。浅草から銀座線で新橋に至る。そこでスーツケースとザックをコインロッカーに入れ、パスポートと現金のみを持って、今度は表参道へと向かう。地下鉄に乗り込んでくる人はおしなべて、ズボンの膝から下をひどく濡らしている。

長男とは南青山のデザイン事務所で17時に落ち合った。先ほどまでの強い雨と風は、いつの間にか収まった。仕事に一区切りがつくと、19時が近かった。夏至には残念な曇り空の下を歩き、ふたたび表参道に出る。千代田線で帰宅の途に就く長男とは、そこで別れた。

新橋は飲み屋の宝庫ではあるけれど、酔って粗相などあっては取り返しのつかないことになる。いささか早すぎるものの、空港に直行すべく、腹を決める。

19:44 新橋のコインロッカーから荷物を取り出し、都営浅草線急行により羽田空港国際線ターミナルを目指す。
20:15 羽田空港国際線ターミナルに着く

美味いラオカーオは、タイではチェンライでしか、買えたためしがない。バンコクおよびそれ以南に赴くときにはいつも、家から酒を持参した。しかし今回はなぜか、それを用意する気がそれほど起きなかった。とはいえ酒は、僕には必須のものである。

空港ビルの異なるフロアで、ふたつのコンビニエンスストアを巡る。しかし食指の延びる焼酎は見あたらなかった。仕方なくタイ航空のカウンターへ行くと、チェックインは21:20からとの表示があった。よってロビーの椅子に座り、静かにしている。しばらくすると、タイ航空のチェックインが始まったことを報せるアナウンスが聞こえてくる。時刻はいまだ21時。即、先ほどの”I”カウンターへと戻る

21:03 チェックインを完了
21:10 手荷物の保安検査場を抜ける。
21:12 パスポートコントロールを抜ける。
21:30 フードコートの「魚がし日本一」で鮨を注文し、ブザーの鳴る端末を手渡される
22:00 夕食を済ませ、搭乗ゲートへ向かう途中のテレビで「クローズアップ現代」を観る。

免税店では、アブソリュートウォッカの1リットルに、2,300円の値が付けられている。楽天の酒屋できのう2,964円で買ったオールドパーの1リットルに、4,300円の値が付けられている。免税店で買い物をする意味とは、何だろう。

ひとり旅で怖いこと、避けるべきことは多々ある。肝心なときに、誰も起こしてくれないところで眠ってしまうなども、そのひとつだ。だから僕は、たとえその権利を持っていたとしても、ラウンジのソファには収まらない。空港ビルの最南端、いつもとおなじ105番ゲートのちかくで昨日の日記を完成させ、それをサーバに転送する

23:35 ボーディング開始
23:50 いつもとおなじ最後尾ちかくの座席”69J”の写真を撮っていると「どうぞ席へお着きください、写真は私がお撮りしましょう」とタイ人の客室乗務員に声をかけられ、その言葉に甘える。隣の搭乗ゲートでは、クアラルンプール行きのエアアジアがすこし遅れていた。「そのあおりを食わなければ良いけれど」などと考えつつ、必要なものをザックから取り出し、手の届くところに置く。


朝飯 たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、厚揚げ豆腐の淡味炊き、揚げ茄子、生のトマト、納豆、ズッキーニのぬか漬け、メシ、茄子の油炒めと三つ葉の味噌汁
昼飯 「美彩たむら」の日替わり弁当
晩飯 「魚がし日本一」の梅しそ巻き、トロタク巻き、ネギトロ巻き

2017.6.20(火) 日光味噌”梅太郎”とバルサミコのソース

「蔵」という、モノを納めておくための建物がある。街を歩きながら、その「蔵」を持つ家を目にするたび、蔵など建てず、そこに納めるべきモノを捨てた方が、経済効率としてはよほど高いのではないかという感想を持つ。ただしそのようにして効率ばかりを追うと、古いモノは残りづらい。

ウチではその「蔵」の役割を自宅2階の全フロアが果たしている。経済効率としては、ここにあるすべてのモノを捨て、空いた空間を他の用途に使った方がよほど高いことは確かだ。そして、それができれば苦労はない。

今日は朝から長男とその2階に籠もり、古い食器を整理する。食器を包んでいる新聞紙は、場所により、昭和31年と41年のものに大別をされた。前者については知らないけれど、後者は僕が生まれたときの家から次の家に建て替えた年に当たる。

案の定、食器のほとんどすべては駄物だった。それらの、大正末期から昭和30年ころにかけてのものと思われる器は、70リットルのゴミ袋で6袋になった。これらは数週間をかけて、徐々に処分をする予定である。

2階で浴びたホコリをシャワーで流し、白いシャツにネクタイを締める。そしてジャケットを着て18時35分に家内と家を出る。日光宇都宮道路といろは坂を経由して、中禅寺金谷ホテルには19時10分に着く。ホンダフィットを降りると、下界では想像もつかない冷涼な空気がそこにはあった。

フロントから食堂までは、副支配人のジガミヨシユキさんが案内をしてくださった。そして席に着き、恐らくは今月の末までと思われる内容の料理をいただく

「とちぎ霧降高原牛フィレ肉のポワレ・日光味噌”梅太郎”とバルサミコのソース春野菜添え」は想像を遥かに超える美味しさにて、僕は思わず涙を溢れさせそうになった。ウチの味噌をここまで引き上げてくださったマシコアキラ料理長には、厚く御礼を申し上げます。


朝飯 生の茗荷を添えた揚げ茄子、生のトマト、大根おろしを添えた薩摩揚げの網焼き、すぐ生を薬味にした納豆、胡瓜のぬか漬け、メシ、シジミと三つ葉の味噌汁
昼飯 鰹節のおむすび
晩飯 「中禅寺金谷ホテル」の季節のフルコース、ドライシェリー、ハウスワインの白、ハウスワインの赤

2017.6.19(月) HIDDEN TREASURES

18時に店を閉め、帰宅するすべての社員を送り出して4階の食堂に上がる。大規模なリフォームを施した2013年の秋以降、この食堂が、自宅でもっとも好きな場所になった。夏至を2日後にひかえた18時30分は、いまだ隨分と明るい。わざと明かりは点けず、冷蔵庫の氷をグラスの縁まで満たして氷水を作る。そしてそれを飲みながら、エイミー・ワインハウスの”HIDDEN TREASURES”を聴く。

エイミー・ワインハウスは早くに亡くなって、アルバムは数枚しか残されていない。最高の評価を受けたのは多分”BACK TO BLACK”だ。しかし僕は、彼女の死後に、あちらこちらから拾い集めた音源による、文字通りの”HIDDEN TREASURES”がいちばん好きだ。

長男の、先週末に来てくれた同級生のうちのひとりがフランス製のからすみをくれた。夕食は、それによるスパゲティだという。そのような内容の料理は、ウチでは長男の作ることが多い。

その調理の最中に、手を洗うべく東側の洗面所へ行く。すると遮光カーテンの隙間から、北の方に素晴らしい空が見えた。よって手を洗うことは後回しにし、廊下に回って防湿庫から”NIKON D610″を取り出す。そして北西に面した洗面所の窓を開け、その空の写真を3、4枚ほども撮る


朝飯 納豆、胡瓜のぬか漬け、スペイン風目玉焼き、ほうれん草のソテー、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 トマトとスモモのサラダニンニクとからすみのスパゲティ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”バナナとアイスクリームのグチャグチャ、”STOLICHNAYA”(生)

2017.6.18(日) モノの行方

海外で街を歩くときの持ち物は、サイフ、”RICOH GRD”、”iPhone 6sPLUS”、コクヨ5号手帳、ボールペン、そしてティッシュペーパーだ。

ズボンのポケットには、せいぜいハンカチくらいしか入れたくない。また「いかにも旅行者」という見た目になり、関わり合いたくないたぐいの人間が近寄ってくるためショルダーバッグは使いたくない。よって長いあいだ、持ち物は”ISUKA”のギヤバッグに入れてきた。ところが2016年2月、バンコクの多分ヤワラーにほどちかいあたりだったと記憶するけれど、オートバイの2人組によるひったくり未遂に遭った。

このことにより背に腹は代えられず、以降はショルダーバッグを使うこととした。

最初はグレゴリーのクイックポケット(M)を最上と考えた。使い心地は良かったものの、上記の品々を入れると容量が限界に達し、中身が取り出しにくくなるきらいがあった。このことにより、次は同じグレゴリーのパデッドショルダーポーチ(S)に換えてみた。しかしこちらは厚みがあるためか、どうも胸のあたりにしっくり来ない。今回はスパイベルトのメッセンジャーヒップを試すべく”amazon”に発注し、それは今日の午前に届いた。

こうして僕の身辺には、物を運ぶための容れものが増え続けている。それらおよびアロハは、僕が死んだら社員に分けてやっていただきたい。各々の家で、かならず役に立つはずである。


朝飯 煮昆布、生のトマト、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」を薬味にした納豆、鰯の梅煮、ズッキーニのぬか漬け、スクランブルドエッグ、茄子の煮びたし、メシ、豆腐と長葱と万能葱の味噌汁
昼飯 日光味噌梅太郎赤味噌と日光HIMITSU豚によるフリーズドライ味噌汁をつゆにして食べる素麺
晩飯 “TIO PEPE”トマトと玉葱のサラダパンベーコンとマッシュルームのソースで食べるオムレツチーズ“Petit Chablis Billaud Simon 2015”イチゴのソースのババロア

2017.6.17(土) 焼き鳥

先週は思いがけなく、商売についての非常に有力な資料が手に入った。これを長男に手渡すと、ここに含まれるふたつの数字をグラフに可視化してくれた。そのグラフを今日は包装係のヤマダカオリさんに手渡しつつ、簡単な説明を加える。来週からの展開が、大いに楽しみである。

夕刻、長男の同級生7名が、1台のクルマに鮨詰めになって来る。今夜、彼らは隠居で食事を摂り、そのまま泊まるという。19時、いまだ明るい、ツバメの飛び交う空の下を歩いて僕も隠居へと向かう。

僕はウェブ上での買い物が好きだ。刺激的な惹句に惹かれて…と書いたら「惹」の字が重複してしまったから刺激的な惹句に興味をそそられ…と書き直す。とにかく食品も含めたあれこれを諸方のウェブショップから取り寄せようとする。しかし「地元の商店を侮ってはいけない」と長男は言う。

隠居の庭では珪藻土の焼き台にて春日町2丁目の「鳥秀」が整えた鶏の串が炭で焼かれていた。これが実に美味いのだ。最も好きな焼き鳥の食べ方は、これは味噌蔵を持つ者の特権ではあるけれど、味噌のたまりを元にしたタレにドブリと漬ける手である。

そうしてその焼き鳥や諸々を肴にチューハイを飲み、21時すぎに帰宅して即、入浴、就寝する。


朝飯 胡瓜のぬか漬け、チャプチェ、納豆、生のトマト、鰯の梅煮、エリンギと小松菜の胡麻和え、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、揚げ湯波とトマトと万能葱の味噌汁
昼飯 素麺
晩飯 生のキャベツ冷やしトマトたたき胡瓜の梅干し和え冷や奴揚げ湯波と小松菜の炊き合わせポテトサラダズッキーニの炭焼き豚ガツと雑肉のトマト煮モモ(塩)砂肝(塩)椎茸(たまり)レバー(塩)皮(たまり)トマトベーコンハツ(たまり)モモ(たまり)チューハイレモンパイオレンジケーキ

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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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