2026.8.9 (日) 雷雨ふたたび
朝4時の空は穏やかに晴れていた。昨夜の豪雨により地表が冷まされたせいか、蒸し暑さはまったく感じない。「かくあるべし」という、夏の朝である。
食堂にコンピュータを開いて先ずすることは「汁飯香の店 隠居うわさわ」にインターネットを通じていただいたご予約の承りだ。今日もきのうに続いて満席。明日はひと枠のみが、いまだ空いている。グリーンカーテンの朝顔は、またすこし、丈を伸ばしたことだろう。
きのう思いがけず、自由学園男子部35回生のグループラインで、同級生のオーハシシンイチ君と、およそ半世紀ぶりにことばを交わした。オーハシ君が健在であることに、僕は非常な嬉しさを感じた。
オーハシ君とは「うわさわ、おおはし」と、出席番号が隣り合っていたことから、二人一組での宿直をすることがしばしばあった。自由学園は自治を重んじる学校で、18歳を過ぎれば学生が夜の見回りを任されたのだ。
そんなある晩、男子部から紅葉坂を下って女子部へ向かうテニスコートの脇を懐中電灯を手に歩きつつ、ヒマラヤの村々で食材を調達しながら氷河をたどる旅ができると、オーハシ君は教えてくれた。僕は大いに興味をそそられたものの、現実味は薄いとも考えていた。
そのオーハシ君はあるとき、僕に先んじてネパールに入った。僕はオーハシ君の滞在するカトマンドゥのトゥクチェピークホテルに宛てて、1980年の年明けに、先ずはカルカッタへ行く旨の手紙を書いた。
当時のカルカッタの惨状を話せば今は信じる人も少ないだろうけれど、とにかく僕はカルカッタでは数日を過ごしたのみにてビルマ航空の切符を手に入れ、カトマンドゥへ逃げた。そしてトゥクチェピークホテルに辿り着いてみれば「オーハシさんは、あなたの手紙を読んで勇躍、カルカッタへ下った」と知らされた。
のちに判明したところによれば、オーハシ君はカルカッタではパラゴンホテルに落ち着いていたという。当時そのホテルはバックパッカーのあいだでは有名で、僕もそこへ来ることを、オーハシ君は当然のように信じた。しかし僕は、別のホテルを選んでいた。
結局のところ、オーハシ君とは行き合うことができなかった。ほとんどすべての人がスマートフォンを持つ現在からすれば、まるで江戸時代、である。
それはさておき今日も夕刻より雷を伴う豪雨。それが小一時間で収まると、北の空に得も言われない青空が出現した。「秋にはなってほしくねぇなぁ」と、切に思う。
朝飯 納豆、生玉子、鰯の網焼き、なめこのたまり炊、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、茗荷と若布の味噌汁
昼飯 きのうの夜のざるうどんとおなじ味噌つゆの素麺
晩飯 「夏太郎」らっきょう、親子丼、「山本酒造店」の「白瀧上撰純米」(冷や)、レーズンウィッチ、Old Parr(生)













