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清閑 PERSONAL DIARY

2017.10.15 (日) 屋台まつり

終業後、誰もいない事務室で今日の数字のあれこれをコンピュータに打ち込んでいると、お囃子の音が聞こえてきた。僕は、神輿や屋台の巡行に直に関わることからは引退をしている。しかし皆が雨まじりの空に下で屋台を曳いているのに、自分だけが屋内にいるのは気が引ける。よって社員通用口のドアを開け、日光街道の春日町交差点まで出てみる。お囃子は朝日町の屋台のもので、追分地蔵尊から日光街道を上がってきた彼らは、会津西街道に右折し、自分の町内へと帰るところだった。

我が春日町1丁目の屋台はどこにあるかと、日光街道のシモ、つまり大げさに言えば東京方面に目を遣る。次に近づいてくる屋台の提灯は、春日町1丁目のものではない。日光街道を徒歩で下りつつ、仲町の屋台を先導する自治会長カネコトモヤスさんに訊くと、我が町内のそれはいまだJR通りにいるという。そういう次第にて、遂には追分地蔵尊とは目と鼻の先まで歩いてしまう。

春日町1丁目の、安政六年製の屋台はやがて、JR通りから小倉町の交差点に出たところで停まった。そして、この日のために東京の大学から帰ってきたタシロケン君により「キリン」と呼ばれるジャッキで地面から持ち上げられ、頭を瀧尾神社へ向けた。そうしていよいよ日光街道を遡り始める。

町内の面々、また助っ人たちの多くは、半纏の下にレインコートを着ている。きのうは急なことだったけれど、まとまった数を買うことができて、本当に良かった。

しばらくは、車道を行く町内の屋台の速度に合わせて歩道を歩く。木綿のTシャツを夜気が突き抜け、二の腕を冷やす。列島はここ数日で急激に気温を下げた。家に戻り、お湯を沸かし、それで割った焼酎を飲んでからだを温める。

きのう2メートルばかりを歩いた孫は、今夜は早くも、その倍ほどは歩けるようになっていた。自転車を覚えたばかりの子供とおなじく、歩けることが楽しくてたまらない、という顔つきである。僕は、彼女が足元に近づくたび、椅子の下に置いた一升瓶を倒されないよう、その首の部分を握ることを繰り返しつつ、焼酎のお湯割りを飲む。


朝飯 納豆、切り昆布と豚三枚肉の炒め煮、玉子焼き、トマトのサラダ、胡瓜の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、なめこの味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 シメジと舞茸の吸い物、隠元豆の胡麻和え飛竜頭と海老芋の炊き物鯛の刺身鯛飯、麦焼酎「高千穂零」(お湯割り)、“Chez Akabane”の杏仁豆腐

  

上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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