2016.10.8(土) 今日から日常
目を覚ますと3時35分だった。往路とおなじく朝食を運ぶワゴンが目の前まで来ている。その朝食は、オムレツの固さに我慢をしつつ、全体の9割ほどを平らげる。機は四国の上空を東北東に向かっている。窓の外は既にして明るい。羽田空港への着陸は、定刻より18分はやいタイ時間04:37、日本時間06:37だった。ここからの時間表記は日本時間とする。
荷物が出てきたのは7時31分と遅かった。7時34分に税関検査を抜ける。7時36分に浅草行きの京浜急行に乗る。都営浅草線の浅草には8時19分に着く。東武日光線の浅草まで歩き、09:00発の特急スペーシアの切符を買う。その切符売り場から階段を降りた右側の喫茶店で、タバコの煙にまみれてコーヒーを飲む。「タバコの煙にまみれて」とは、喫煙に厳しいタイではなかなか経験のできないことである。
下今市には10:39に着いた。東京には降っていなかった雨が降っている。家内の運転するホンダフィットに乗り、帰社して仕事に復帰する。
行った先の諸々が美味ければ、いくら海外に滞在しても日本食が恋しくなることはない。帰国して「それっ」とばかりに和食を求めることもない。夜はスパゲティを肴にして赤ワインを飲む。
朝飯 “TG682″の機内食
昼飯 ラーメン
晩飯 ミートソースのスパゲティ、プリン、“Cadette Rouge LUMIERE”
2016.10.7(金) バンコク日記(2日目)
バンコクの宿は今回”Centre Point Silom”の、リバービューの部屋にした。窓に近づくと、しかし所詮は川沿いに建っていない悲しさで、目の前にはシェラトンのコンドミニアムをはじめ大きな建物があり、チャオプラヤ川はその一部しか望めない。「だったら3年前の、シティビューの部屋の方が眺めは良かったわな」と後悔しても遅い。ただしベランダに出れば、サトーンの船着き場から下流の、大きく湾曲した川面を見晴らすことはできる。
宿泊は食事を含まないプランにて、朝はチャルンクルン通りを北に歩く。ことし2月、「洽記珠宝行」の向かって右側にクイティオの名店を発見した。ちかくまで行くと幸い店は開いていた。よって席に着いて「センヤイナム」と店員に注文すると、別のオバチャンが入口の調理場から僕を手招きする。そばに立った僕に「ルークチンはないの。代わりにこれでいいかしら」と、オバチャンは油揚げの煮びたしを指す。望むところである。
席に戻り、ほどなくして運ばれたドンブリを見ると麺はセンヤイではなく太めのセンミーで、椎茸がやたらに浮いている。汁をひとさじ飲んで「2月と全然、違うじゃねぇか」と驚く。そしてここでようやく店先の黄色い旗に気づき「なるほどギンジェーか」と腑に落ちる。というか残念さを感じる。ギンジェーの期間中は、ダシから具に至るまで動物性のものは一切、使わないのだろう。路上のおかず屋台にも「齋」の旗が目立つ。
今日はタイの最終日だ。時間は無駄にしたくない。無駄にしたくないとはいえ、あくせくと歩きまわるわけではない。上は白いポロシャツ、下は”Patagonia”のバギーショーツを身につけプールへ行く。そして寝椅子の上にパラソルを広げ、11時30分まで本を読む。
チェンライにいるときとは打って変わって朝食は軽い。腹を空かせて外へ出る。チャルンクルン通りを、BTSの高架をくぐって南に歩く。1960年代の東京ならそこここで見ることのできた、異臭を放つ黒い水の川を渡る。しばらく行くとソイ57が左手に伸びている。これを過ぎると間もなく左手に、タイ語と共に”YAN NAWA FIRE & RESCUE STATION”と書かれた消防署が見えてくる。この消防署に向かって右側にあるのがカオマンガイの”Meng Pochana”だ。鶏肉も炊き込みごはんも美味い。というか、ごはんの脂のコクがただものではない。レモングラスの香るスープは辛く酸っぱく爽やかだ。
「来年はラオカーオを持って、また来てぇなぁ」と思わないでもない。しかし夜のバンコクにいながらカオマンガイのみを肴に酒を飲むのも味気ない。だったらどうするか。来年までの宿題である。
午後はサトーンからフェリーボートで対岸に渡り、知ったマッサージ屋で足マッサージ1時間を受ける。本当はタイマッサージ2時間にしたかったけれど、夕方が忙しくなることは避けたかったのだ。
18時までのレイトチェックアウトには1,500バーツの追加料金がかかる。しかし外から帰るたび何度でもシャワーの浴びられることを考えれば、僕にはそう高くは感じられない。落ち着いて荷造りをすると、きのうはスーツケースからはみ出した草履も何とか収まった。フロントに降りてチェックアウトをする。荷物はベルボーイに預ける。そして先ほど船着き場から戻る途中でバンラックのフードセンター裏に見つけ「5時に来る」と約した海鮮屋台へ行く。
「あ、本当に来た」とばかりに、料理担当のオニーチャンは僕に握手の手を差し伸べた。「プラーヌンマナーオ」と声を大にして言う。オニーチャンはすかさず写真入りのメニュを僕に見せた。プラーニンには200バーツ、鱸には250バーツの値が付いている。ここはやはり鱸だろう。その鱸の柑橘蒸しも、また海老のニンニク揚げも美味かった。とどめのガイヤーンは胸に染みた。タイとも今夜でお別れである。イスラム寺からコーランの詠唱が流れはじめる。時刻は18時05分だった。
ホテルに戻り、ベルボーイに50バーツを渡してタクシーを呼ぶよう頼む。間もなく来た朱色のタクシーに荷物を積んでくれた別のベルボーイには40バーツを渡す。時刻は18時18分。タクシーはポーチの奥で回頭すると、チャルンクルン通りに出て高速道路の入口を目指す。
右手数百メートルの距離にある大きな駅を指し「ノーンアライ」と訊くと「マッカサン」と運転手は答えた。時刻は19時41分。普段なら1時間もかからず空港に着くところ、金曜日の今夜はホテルを出て1時間23分も経って、いまだダウンタウンの真ん中にいる。自分の持つ多くの悪癖のひとつに「危機に及んで何もせず平然としている」というものがある。赤く光る数千個のテールランプを眺めつつ「間に合わなかったらそれまでだ」くらいの気持ちでいるとは、明らかに人間失格である。間もなくふたつ目の料金所を過ぎる。
渋滞とは不思議なもので、あたかもこの料金所が狭い水門ででもあったかのように、車間はまたたく間に広がり、スピードメーターは遂に100キロを超えた。やがて空港の青い明かりが見えてくる。その明かりが見る間に近くなる。運転手は停まっている車列のあいだに朱色の鼻先を突き入れた。時刻は20時07分。メーターは389バーツ。祝儀を兼ねて500バーツを手渡すと、そこで運転手ははじめて笑った。
20時15分にタイ航空のカウンターでチェックインを完了する。20時25分に手荷物の検査場を抜ける。20時43分にパスポートコントロールから出国をする。C3ゲートへ向かう途中の免税店では、僕がチェンライで買ったとおなじ品に4.6倍の価格を付け、そこに「特価」の札を添えている。
“BOEING 747-400″を機材とする”TG682″は定刻に25分おくれて23:10に離陸をした。海の上に出て右に旋回すると、ほどなくしてベルト着用のサインが消える。デパスとハルシオン各1錠ずつを、空港の自動販売機で買ったミネラルウォーターで飲む。椅子の背もたれを後ろに倒す。ウインドブレーカーの胸ポケットから取り出したアイマスクで目を覆う。来たときとは異なって、すぐには眠れない。
朝飯 チャルンクルン通りのクイティオ屋のセンミーナム
昼飯 “Meng Pochana”のカオマンガイ
晩飯 バンラックフードセンター裏の海鮮屋台のプラーガポンヌンマナーオ、海老のニンニク揚げ、ガイヤーン、ラーカーオ”Black Cook”(生)
2016.10.6(木) チェンライからバンコクへ
相撲で言えば「時間いっぱい」までコンピュータにかじりついている悪癖がある。朝食のブッフェ会場に降りたのは7時20分のころだった。その30分後に部屋に戻り、荷造りを始めるものの、きのう酔った勢いで買った土産がかさばり、苦労をする。”KEEN”のサンダルはスーツケースに収まらず、仕方なしにザックに入れる。
8時30分に頼んだ迎えのクルマはいつものように、その数分前にはドライバーがロビーに現れた。きのうホテルの出口まで電動カートに乗せてくれたベルボーイには40バーツを渡す。
日本への郵便物は、チェンライ市内ならエジソンデパート1階にある、郵便局の出張所から出せば、先ずは間違いなく着く。しかし今回は、これまでその存在に気づかなかったことが不思議でならないけれど、空港内の郵便局から投函をする。1通あたり15バーツの切手代は、今回も変わらなかった。
“AIRBUS A320-200″を機材とする”TG2150″は、定刻に10分遅れて10:10に離陸をした。チェンライの緑が徐々に遠くなる。そして雲の上を30分ほども飛べば、機は早くも降下を始める。11時03分、バンコク近郷に特有の、極端に細長い長方形の農地が見え始める。バンコクには定刻に8分はやい11:12に着陸をした。
バックパッカーだった時代の価値観から離れられない僕も、徐々に贅沢になってきている。昨秋は微熱があったため、空港からホテルまではリムジンを頼んだ。今年2月こそ空港からフアランポーンまですべて鉄道で移動をしたものの、6月の早朝にはホテルまでタクシーを使った。今回は迷った挙げ句、やはりタクシーに決める。空港からのエアポートレイルリンクをパヤタイでBTSスクンビット線に乗り換える際の、スーツケースを提げたまま階段を降りることに気が進まないのだ。
バゲージクレームでは11時41分に荷物が出てきた。エスカレータで1階に降り、自動発券機からのチケットを手にタクシーの座席に収まったのが11時46分。サトーンの船着き場やサパーンタクシンの駅にほどちかいホテルには、12時28分に着いた。メーターは283バーツを示していた。それに空港手数料の50バーツ、更に色をつけた340バーツを手渡された運転手は、しばし暗算ののち、大して面白くもなさそうな顔で去った。
タイスマイル航空の機内スナックは、昼食としては少ない。しかし今からクイティオなどを食べれば夜まで腹の減らない気がする。“trippen”の革靴を”KEEN”の草履に履き替えチャルンクルン通りに出る。そしてシーウィアン通りとの角にある繁盛店で少々の点心を買う。
午後はプールサイドで2時間ほども本を読む。空は晴れていても、僕の寝椅子はビルの陰になって日は当たらない。涼しい風が吹き抜ける。チェンライのプールには、鳥のさえずりが絶えなかった。バンコクのプールに絶えないのは、クルマや雑踏による騒音である。それはそれで、悪いものでもない。
サトーンの船着き場に行くと、通常は舟の中で買うはずの切符を売るオバチャンがいた。これはすこぶる便利だ。ターチャーンまでの運賃は14バーツだった。来たオレンジ船では左舷最後尾の船べり側に座った。移動に舟を多用するバンコクに、新橋と柳橋が「新柳二橋」と呼ばれたころの東京を感じるのは、僕くらいのものだろうか。
「ここだ」と確信して降りた右手の桟橋は、しかし目的のターチャーンではなく、ひとつ手前のターティアンだった。左舷の端にいたため、舟の庇が邪魔になって桟橋の名がよく見えなかったのだ。桟橋に取り残されてそのことを係に告げると「ここでも大丈夫」と答える。「ここでも大丈夫」とは「隣の桟橋くらい歩いて行ける」ということなのだろうか。しかしそれを言っているのは、歩くことを極端に嫌うタイ人である。
王宮が近いせいか、あるいはカオサンが遠くないせいか、とにかく白人の観光客ばかりとすれ違いつつ外へ出る。そして道を探すも一瞬で「馬鹿くせぇ」と、きびすを返す。
先ほどのいい加減な係員は無視して、下流から近づいて来た新たなオレンジ船に乗る。船尾に立ったままでいると「どこまで」と、切符係らしいオネーチャンが訊く。先ほどの切符を見せつつ「ターチャーン」と答えると、彼女は何も言わず、船内への階段に立つ白人たちに「早くキャビンへ降りろ」と、なかなか威勢の良い英語で命令をした。
そしてようやく当初の目的だったターチャーンで舟を下りる。そのまま真っ直ぐ歩き、通りに出たら右に折れる。右側には”NAVY CLUB”の堅固な壁が続いている。しばらく行くとその壁が途切れて門衛が立っている。海兵クラブの建物に入り、従業員らしい人にレストランの場所を訊く。「禁煙。半ズボン、ミニスカート、サンダルお断り」の絵看板の脇のドアから奥へと進む。左手ではバンドをバックに歌手が歌っている。更に進んで外の席に着く。そして川風に吹かれつつチアビアに付き合いシンハビール1本を飲む。以降は手持ちのラオカーオをすこしずつ味わう。
さきほど料理を注文したウェイトレスに、舟の最終の時間を訊くと、どうも英語は得意でないらしい。ちかくの黒服に彼女が振る。おなじ質問をすると彼は腕の時計を見て「20時」と教えてくれた。
改修の始まった2013年9月には3年と工期の伝えられていたワットアルンは相変わらず足場に覆われ、今夕の往路では、その表面は灰色一色に見えた。完成にはいまだほど遠いのだろうか。しかしライトアップだけはされていて、ときおり色を変えては闇に浮く。その姿を船上右手に眺めつつ20時すぎにサトーンに着く。
部屋に戻ってシャワーを浴び、21時前に就寝する。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、中華粥、コーヒー
昼飯 “TG2131″の機内食、チャルンクルン通りとシーウィアン通りの角にある食堂の肉まん、海老蒸し焼売
晩飯 “Khun Kung Kitchen”のヤムウンセンタレー、トードマンクン、シンハビール、ラーカーオ”Black Cook”(オンザロックス)
2016.10.5(水) チェンライ日記(7日目)
朝から日が差している。雨でも降らないかぎり、午前中の数時間をコンピュータに向かうなどは勿体ないと、きのうつくづく感じた。よって今日は、朝食の食休みもそこそこにプールに降りる。そして2時間ほども本を読む。
このホテルは、ロビーを出て車寄せの坂を下り、庭を抜けて外の道へ達するまでに、銀座でいえば晴海通りを築地に向かって数寄屋橋の交差点から歩き始め、歌舞伎座を通り越して昭和通りまで出るほどの距離がある。今日はその道のりを、ベルボーイが電動カートに乗せていってくれた。そのまま街まで行ければこんなに楽なことはないけれど、そういうわけにはいかない。
「カオソーイポーチャイ」で汁麺を食べる。そのまま店の前の、白人向けのバービヤが並ぶチェットヨット通りを南に歩く。ワットチェットヨートの門前で左に折れれば、マッサージ屋”PAI”のある交差点に出る。昨日おとといと休んだせいか”PAI”は昼から混み合っていた。運良く先日のジェップさんに当たり、タイマッサージ2時間を受ける。
僕は、年賀状や暑中見舞いなど、時候の挨拶ハガキは出さない。いただいたそれに対しては旅先から返信を送る。ことし2月はバンコクの「グランドサトーンホテル」で年賀状への返信12通を書いた。1通あたりの文字数は200から300。書き終えるまでに2時間がかかった。この投函をホテルに頼み、しかしそのうちの1通も日本には届かなかった。僕の労作は遂に、郵便局へは持ち込まれなかったのだ。
今日は帰りに「ドイチャーンコーヒー」でエスプレッソをふたくちみくちで飲み干してから、暑中見舞いや残暑見舞いへの返信7通を書く。この店はケーキも美味い。しかしとても甘いそれを胃に収めれば多分、夕刻になっても食欲は訪れないだろうと踏んで、注文はしなかった。
午後もプールへ行き、iPhoneに設定した17:15のアラームが鳴るまで本を読む。あるいは泳ぐ。今日のプールサイドバーの担当者は商売熱心でなく、音楽もかけなければ飲み物の注文も取りに来なかった。そのお陰で居心地はとても良かった。対岸の森では鳩がずっと啼いていた。
18時のシャトルバスで街に出る。いつものように、ナイトバザールの黄色いペコペコ椅子の広場へ行く。たらいに大量の豚の臓物を用意した店のオバチャンに「ガオラオか」と訊くと「バミーも入れられるよ」と、オバチャンは黄色い麺を指した。「バミーは要らない。スープも少なめで」と、そのモツ煮を買う。流石の僕もチムジュムには飽きた。いつものオバチャンの店ではソムタムを頼んだ。
広場のステージに踊り子が現れるのは、今回の旅では今夜が初めてではなかったか。そしてその伴奏は、いまや鼻で歌えるほど僕の耳には馴染んでしまった。
ところでこの広場では毎晩、小さな子供が落花生を売り歩いている。そして大抵のテーブルで断られている。おかっぱ頭の色の黒い子が来たので「いくら」と訊くと「イーシップバー」と、その女の子は僕の目を遠慮がちに見ながら答えた。彼女の手には2袋が提げられていた。日本への土産にしてもいいやと、ふたつとも買う。そうして中を見たら、それは茹で落花生だった。これでは土産にならない。テーブル片づけ係の赤いTシャツのオニーチャンを呼び「これ、食べて」と、苦笑いをしながら頭を下げる。
この広場とも、今年は今夜でお別れである。ナイトバザール前20:15発のシャトルバスに拾われ、部屋に戻って21時前に就寝する。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとベーコンとオムレツ、トースト、中華粥、コーヒー
昼飯 「カオソーイポーチャイ」のバミーナム
晩飯 ナイトバザールのフードコートのソムタム、ガオラオ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(オンザロックス)
2016.10.4(火) チェンライ日記(6日目)
夜が明ける前は雨の音がしていた。夜が明けても雨は依然として降っていた。それが止んだのは8時ごろ。薄雲の間から日が差すと、西の空には虹が出て、しばらく消えなかった。今朝もロビーに降り、しかし今日はそこからの階段ではなく、外の菜園の小径を歩いてブッフェの会場に行く。
午前中はほとんど部屋で本を読むか、コンピュータに向かっている。今日もその最中にメイドが部屋掃除に来る。洗濯はこれまで、翌日午後の仕上がりと思ってきた。しかしクリーニングの伝票をよく読んでみると、急ぎは4時間、通常は10時間で当日中の完成と書いてある。即、旅のデータベースに加える。
炎天下、2キロ弱の道を歩いて街に出る。昼食は軽めに、今日は「カオソーイポーチャイ」のガオラオにして、ライスは頼まない。このガオラオ、通常はメシのおかずにするためのものだから塩味は濃い目ではあるけれど、特に豚の血の煮こごりが美味い。朝は豚の臓物入り中華粥。昼はおなじく豚の臓物入りスープで、臓物好きの僕は大満足である。
行きつけのマッサージの”PAI”の入口には、きのうから”3-4″という数字と共に短いタイ語を書いた紙が貼ってあり、中は無人である。左手のソイに回ってみると、2階で工事が行われていた。”3-4″は「10月3日と4日はお休み」ということなのかも知れない。
マッサージは諦め「ドイチャンコーヒー」で冷たいコーヒーを飲んでひと息を着く。そしてまた、人が歩くようにはできていない、今どき誰も使わない公衆電話2台が並んで道をふさいでいるタイの典型的な歩道を歩いて、否、歩道から降りたり、また上がったりしながらホテルに戻る。毎日4キロも5キロも歩いて昼食を摂りに行くなどは、日本では絶対にできないことである。
午後はプールで2時間ほども本を読む。プールには昨年までとは異なり、バーに置かれた装置から西洋のポップスが流れている。そのポップスが、きのうはプールサイドに中国人があらわれるなり中国の曲に変わった。海外まで来て自国の音楽を聴かされて嬉しがる人間がいるのだろうか。しかし2013年7月、ネパールの古都バクタプールには、中国人観光客におもねるため中国の音楽を流す店がたくさんあった。僕は海外においては、その国の音楽だけを聴きたい。また、プールサイドの音楽は僕には迷惑だ。せっかくの鳥の声が台無しではないか。
毎日のことながら、今日も18時のシャトルバスに乗ってナイトバザールへ行く。バスから降りた際に、一緒に乗り合わせたふた組のファラン夫婦が、バスの運転手に街についてあれこれ訊いている。運転手は大まかなことしか答えない。よってその4人組には「ナイトバザールの食事場所は大きく分けて2個所。ここを進んで左手はデラックス、その先に市民用のフードコート」と僕が教える。空港からいきなりホテルに運ばれれば、街についてはなにも分からなくて当然である。
僕はといえばやはり、チーク材をふんだんに使ったデラックスなところは素通りをして、奥の「黄色いペコペコ椅子」の広場へ行く。空は夕刻の明るさを残している。客席はいまだ閑散としている。広場の両側に並ぶ店の中にイカ焼きを見つけ、ここで烏賊の足ひと串を炙るよう頼む。それから31番ブースの前の席に着き、きのうとおなじオバサンにチムジュムを注文する。
烏賊の足の炭火焼きにはパクチーがたっぷりとのせられていた。きのう買ったラオカーオ”BANGYIKHAN”が美味い。すっかり酩酊し、ステージの前まで歩いて振り向くと、空は既にして夜のそれになっていた。広場はいつの間にか満員の盛況である。
目抜き通りまで歩くと警察が検問を敷いていた。ホテルを20時に出たシャトルバスが停まる。乗客すべてが降りたところで乗り込もうとすると「今はポリスがいる。20時50分にまた来る」と、僕にはそう聞こえることを運転手が発した。警察官がいて何の問題があるのかは不明だったけれど僕は頷き、道を隔ててはす向かいのマッサージ屋に入る。そして足マッサージを30分のみ受ける。
20時50分にシャトルバスの停車場所に行くと、しかしバスはいつまで待っても来ない。21時17分、ようやくその白い車体が見える。運転手は、先ほどは慌てていて”nine fifteen”を”eight fifty”と言い間違えたのだろうか。ふたりの小さな子供を連れたファラン夫婦の夫の方は、無事バスに乗れたことがよほど嬉しかったらしく、車内で小さくガッツポーズをした。
ホテルには21時30分に戻った。即、シャワーを浴びて22時に就寝する。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとベーコンとオムレツ、トースト、中華粥、コーヒー
昼飯 「カオソーイポーチャイ」のガオラオ
晩飯 ナイトバザールのフードコートのチムジュム、烏賊の足の炭火焼き、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(オンザロックス)
2016.10.3(月) チェンライ日記(5日目)
南の国の夜は一気に明ける。6時を迎えようとするころから急に明るくなる。地軸の傾きや緯度が関係しているのだろうか。プールで泳ぐ人がいる。南の国とはいえ気温は20℃をすこし超えるくらいのところだろう。この時間から、その気温にも拘わらず水に浸かるなどは、ファランにしかできないことである。
クリストファー・ロビンではないけれど、チェンライには「なにもしないでいること」をするために来ている。もっともその僕も、日にいくつかのことはする。毎日することはメシ食い、歩行、日記書き、本読み、酒飲みである。そこに毎日ではないけれど、あれこれのよしなしごとが加わる。
今日も未明は日記書きである。そうして朝を迎え、しばらくしてから朝食会場へと降りていく。外の席には、大きなテーブルにしかナプキンと食器が置いてなかったため、小さなテーブルにもそれを用意するよう、ウェイターに言う。朝食の内容は、ここに来て以来、変わらないものだ。朝日はいまだ、低いところにある。
きのうと打って変わった好天にて、強い日差しの下を2キロほど歩いて街に出る。髪も髭も伸びている。目抜き通りの、昨年かかった床屋の扉を引く。「髪と髭と耳掃除」と伝えると、店主らしい男に奥から2番目の席を示される。言われるままそこに座る。僕の後ろには若い人が立った。バリカンは1番か2番かと訊かれても意味が分からない。「5ミリ」と伝えると「だったら2番」と、店主らしい男は若い職人に伝えた。
料金は昨年とおなじ180バーツだった。髪が70バーツ、髭が60バーツ、耳掃除が50バーツといったところだろう。入国をする前からタイの物価は身についている。だからシャンプーは頼まない。若い人は僕の頭と頬とあごにドライヤーの風を当て、それに相当する日本語はないからどう書いて良いか分からない、とにかく髪や髭のカスを吹き払った。
チェンライで僕がいちばん好きなメシ屋「シートラン」が、いつになく繁盛している。店先の硝子ケースを指さし、おかず2種と冬瓜のスープ、そしてライスを注文して店に入る。先ほどまでは食器の準備に使っていたらしい、本来は客用のテーブルを店主は店員に命じて片づけさせ、そこに僕を案内した。
今年のギンジェーつまり菜食旬間は10月1日から9日までと聞いた。この町には9月29日に着いたのだから、ここにはギンジェーの始まる前に来ておけば良かった。僕はこの店の、キャベツと豚三枚肉の煮込みが好きなのだ。店に「齋」、これは斎戒沐浴のひと文字と思われるけれど、この黄色い旗の派手にひるがえる下で、肉の代わりに豆腐や湯波を使ったおかずを昼食とする。
朝に続いて昼も満腹である。その腹を鎮めるため「日本にこんな美味いコーヒー、あるかね」と飲むたび感動する「ドイチャンコーヒー」にてエスプレッソ1杯を飲み、おとといともきのうとも違う道を歩いてホテルに戻る。
床屋の帰りに買ったラオカーオを部屋のテーブルに置く。窓の外には陽光が満ちている。着替えてプールに降り、そこで2時間ほども本を読む。
夜はきのうに引き続きホテルのシャトルバスで街に出る。そしてきのうに引き続きナイトバザールの、きのうのオバチャンにチムジュムを注文する。
昨年のオバチャンの画像をオバチャンにiPhoneで見せる。するとオバチャンはみずから親指と人差し指で画像を拡大して、しかし老眼のため判別が付かず、それを隣の店の若い人に見せに行った。若い人はディスプレイを凝視して「オバチャン本人だよ」と教えたらしい。このオバチャンが、なぜ極端に若返ったかは不明である。オバチャンはソムタムを小皿でサービスしてくれた。
となりの席では家族が日本と同じハッピーバースデーの歌を歌いながら、子供の誕生日を祝っている。洒落た祝いの席ではないか。子供たちは多分、今夜はケーキしか口にしないだろう。
昨年はなかった猫カフェの角をまわって通りに出る。ホテルのシャトルバスが帰りの客を迎えに来るまでにはいまだ45分もある。おとといのトゥクトゥク代100バーツは「外人プラス雨」の特別価格だった。いまトゥクトゥクを頼めば今度は「外人プラス夜」でやはり100バーツだ。前述のとおり、タイの物価はタイに来る前から身に染みついている。
トゥクトゥクのたまり場を過ぎて歩いて行くと、シーローの運転手が徐行をしながら僕の顔を覗き込んだ。「ドゥシットまでいくら」とすかさず訊く。「40バーツ」と運転手は答えた。即、その荷台に乗り込みホテルを目指す。
今日の就寝はきのうよりも早い19時台だった。極端な早寝早起きによる、これも昼夜逆転である。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、中華粥、コーヒー
昼飯 「シートラン」の厚揚げ豆腐ともやしの炒め煮、グリーンカレー、ライス、冬瓜のスープ
晩飯 ナイトバザールのフードコートのチムジュム、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(オンザロックス)
2016.10.2(日) チェンライ日記(4日目)
今回の日記では1日の画像数が26点を超えないことを目標にしている。26点とは画像のファイル名に使うアルファベットの文字数である。きのうはその枠に収まりきれず何点も削除した。今日は余裕である。
きのうの部屋掃除は、僕が部屋から出るのを待ちかね、待ちきれない様子で正午に部屋の呼び鈴を押した。今日もそれくらいの時間とたかをくくっていたら11時に呼び鈴が鳴った。よってそれをしおにコンピュータから離れ、着替えて外に出る。
マッサージの”PAI”の扉を開くと、客のためのソファでオネーサンが洗い髪を扇風機で乾かしていた。僕も座るとそれに気づいたオネーサンが振り向いた。オネーサンはおとといマッサージをしてくれたジェップさんだった。僕を見て「あぁ」と声を出して笑う。僕も「あぁ」と言って笑う。髪が乾くとジェップさんは扇風機のスイッチを切って奥の階段を上がっていった。扇風機の冷風には僕も当たりたいのだ。即、スイッチを入れ直す。
この店のマッサージは誰に当たっても揉みがきつい。「タイマッサージは寝ながら他人まかせでできる運動」と言った人がいる。揉まれたあとのからだの痛みはまさに、運動の後の筋肉痛を思わせる。今日のオバサンも大変な強揉みだった。治療と思って我慢をしているけれど、これは癒やしなどではない、なかば修業のようなものである。
今日の雨は首尾良く、僕がマッサージを受けている2時間のあいだに強烈に降り、そして止んだ。その雨上がりの街を歩きながら、傘を持ったファランとすれ違う。そのファランはすこし考えて引き返したのだろう、後ろから僕に話しかけてきた。
「失礼ですが、そのサンダルは爪先を守るアイディアが素晴らしいですね、どちらの…」
「キーンです。K、E、E、N」
「タイ製ですか」
「いえ、アメリカ製です。南の国の歩道はしばしば壊れていて危ないでしょ」
「おっしゃる通り。有り難うございました」
僕よりすこし年下と思われる男はそのまま、僕が歩いてきた方へと去った。タイの歩道は人が歩くようにはできていない。タイの歩道にはしばしば「オマエなぁー」となじってやりたい気持ちを抱く。敷石は割れ、あるいは踏んだ途端にぐらついて溜まり水を飛び散らす。途中で切断された電信柱が切り株のように立ち上がり、あるいはその真ん中に街路樹や道路標識がズラリと並んで行く手をふさぐ。歩行者は、まるで山のガレ場を往くように、足元には気をつける必要があるのだ。
ふと気になってシリコーン市場の、昨年、そのとなりに大きな屋根のかけられつつあったガイヤーン屋を訪ねてみる。するとその店は新しい屋根の下にちんまりと収まっていたから安心をした。コンクリートパネル製のテーブルに着き、昼食中の太った娘にトムセーップを注文する。米袋を持って途中からあらわれたオカミを見て「やっぱりおなじ店だ」と再確認をする。そのオカミに「カオニャオはどうする」と訊かれる。朝食をたっぷり摂っているため空腹ではない。よって餅米は断ってスープのみを飲む。
これまで使ったことのない道を辿ってホテルに戻る。すると間もなく、右手にきのうの広場が見えた。きのうあれだけの露店が立ち並び、あれだけの人が集まったにもかかわらず、広場にも道にも塵ひとつ落ちていない。大した管理である。
夕刻がちかくなるころ、ようやく日が差しはじめる。「この時間から行ってもなぁ」と思わないではなかったけれど、きのうの日中はほとんど雨に閉ざされていた。明日も晴れる保証はない。”Patagonia”の水着兼用の半ズボンを穿き、プールへと降りていく。
空の様子はめまぐるしく変わる。つい先ほどまでは真っ青だった空の全面を薄雲が覆う。と思えばまた晴れて、遠くに入道雲が立ちのぼる。僕に声をかければ断られないと知っているプールサイドバーのオニーチャンが注文を取りに来る。3日前はミックススムージーだったから今日はテンモーパンを頼む。それで喉を潤しつつ90分ほども本を読む。
18時10分前にフロントでシャトルバスの切符を買う。そこには片道60バーツ、往復120バーツの数字があるけれど、実際には60バーツで往復できる。復路のみならタダで乗れる。しかしそれがいつでも誰にでも通用するかどうかは知らない。
雨が続いたせいか、それとも明日からまた1週間がはじまるせいか、ナイトバザールのフードコートは閑散としていた。席を決め、先ずはラオカーオをオンザロックスにするための氷を10バーツで買う。氷のバケットを手に席へ戻ると、初日木曜日の夜には見つけられなかった、昨年は何度もチムジュムを頼んだ店の、優しそうなオバチャンが目の前にいた。即、昨年とおなじくチムジュムを注文する。
「しかし待てよ」と、日本から持参したステンレスのコップに氷を入れつつ考える。オバチャンは昨年のオバチャンにそっくりだ。しかし今年は隨分と若く見える。昨年のオバチャンは訥々としていた。しかし今年のオバチャンは綺麗な英語を話す。昨年のオバチャンの画像をiPhoneに送り、明日は「この人の妹さんですか」とでも訊いてみよう。
ホテルにはナイトバザール前20:15発のシャトルバスで戻った。そしてシャワーを浴びて即、就寝する。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、中華粥、コーヒー
昼飯 シリコーン市場のガイヤーン屋のトムセーップ
晩飯 ナイトバザールのフードコートのチムジュム、ラオカーオ”YEOWNGERN”(オンザロックス)
2016.10.1(土) チェンライ日記(3日目)
今日もまた暗闇の中で目を覚ます。枕頭の時計は02:36と表示されている。腹の中で苦笑いをする。前夜の就寝が20時台であれば、この時間に目を覚ましても不思議ではない。
きのうの日記を書きながら、強い雨音に気づく。カーテンを開いて外を見る。川面の様子は覗えないものの、プールの水は大量の雨滴に粒立っているように思われる。その雨音が弱まって夜が明ける。対岸の森で鳩が鳴いている。その声をより明瞭に聴くため窓を開ける。
部屋の机で仕事をするうち正午が過ぎる。ノックの音がする。ドアの外にはリネン類を積んだワゴンと共にメイドが立っていた。掃除をしても構わないかと訊かれて「はい、どうぞ」と答える。ベッドの上の洗濯袋を示しつつ、洗濯物を記入する伝票が1枚しかなく、だから今日の分でそれが無くなってしまうことを伝える。メイドが部屋の電話で洗濯係を呼ぶ。すぐに洗濯係が来て僕の洗濯物を引き上げ、且つ新しい伝票を所定の位置に納める。遅滞のない連携である。
朝食はたっぷり摂っているから腹が空いているわけではない。しかしこのまま夜まで何も食べないわけにもいかない。朝食以外をホテルで食べる気にはならない。空の低いところに黒い雲があり、椰子の葉は風に揺れている。それが驟雨の予兆であることは、ここに住む者でなくても容易に想像がつく。
「そうと知りつつみすみす」という持病が僕にはある。12時40分にホテルを出る。既にして遠雷が聞こえている。街までの、雨宿りのできそうなところは知っている。そこまで達する前に雨の降ってこないことを祈るばかりだ。
南の国にはスコールが多いから、商売をする家は大抵、庇を歩道に張り出させている。その下を辿ってバンプラカン通りに出たところで大粒の雨が落ちてくる。雨は瞬く間に勢いを増す。
チェンライに来たら必ず複数回は行くおかず飯屋「シークラン」は、ほぼ満員の盛況だった。いまだ空席はあったけれど、今日は汁麺の食べたい気分だ。よって庇と庇の途切れるところは走り抜けつつ汁麺とワンタンの店「フイミン」に入る。そうしてここでワンタン麺を食べる。店の奥にガスボンベを運ぼうとしている燃料屋の雨合羽から、水がしたたり落ちて床を濡らす。
いつまで雨宿りをしていては店も迷惑だろう。そう考えて50バーツを支払い外に出る。ホテルには結局のところ、トゥクトゥクで帰った。運転手の言い値の100バーツは「外人プラス雨」の特別価格である。
時刻はいまだ14時を過ぎたばかりだ。雨は先ほどよりは小降りになっている。しかし止んだわけではない。ロビーのラウンジで本を読む手もあったけれど、やはり部屋にいる。夕刻が近づくころにようやく雨が上がる。
チェンライで土曜日といえばサタデーナイトマーケットだ。昼のポロシャツはトゥクトゥクの車体に触れて汚れてしまったため、アロハに着替えて外へ出る。そうして市の立つタナライロードへと入って行く。
お守り屋、ケーキ屋、カイピン屋。足ふきマット屋、毛糸の帽子屋、飲みもの屋。寿司屋、アイフォンカバー屋、ピカチュードラエモンキティ屋。
タナライロードから直角に南へ向かう道に入ると、屋台は食べ物屋ばかりになる。そのうちの鹵味屋で鶏モツを60バーツで買う。すぐちかくの汁無し麺屋で焼きそばを15バーツで買う。セブンイレブンでシンハビールの350CC缶を39バーツで買う。頭上の梢にはおびただしい数の鳥がいる。その啼き声の凄まじさに圧倒されるのは毎年のことだ。
毎週、土曜日がくるたび、よくもまぁこれだけの人が集まるものだと、ほとほと感心する広場を歩き、空席を探す。ふたつのテーブルで首を横に振られ、3つめの、つつましやかなカップルの着く場所にようやく席を得る。そうしてステージのバンドによるタイの演歌ルークトゥンにひたる。きのうよりも、おとといよりも、ラオカーオが進む。
時々まわってくるゴミ係のオジサンの袋に鹵味と焼きそばの器、そしてビールの空き缶を捨てさせてもらう。カップルに礼を述べて席を立ち、ステージの前まで行く。カウボーイハットの歌のオジサンは相変わらず絶好調だ。その歌に合わせて踊る市民の輪の中には、知った顔がいくつもある。彼らは毎週土曜日、つまり大雨でも降らないかぎり、年に50数回はここで踊っているのだ。
市民みずからこれだけ盛り上がってくれるなら、行政は楽だろう。というよりも、行政主導とか、広告代理店主導とか、そういう「主導」の匂いがここには感じられない。屋台、露店はみずからの金儲けのために商売をする。市民はみずからの楽しみのためにここに来る。演歌バンドはシロートやセミプロの自己満足ではなく、市民に支持をされている。そんな感想を抱きつつ、ホテルまで歩いて帰る。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとベーコンと目玉焼き、トースト、中華粥、コーヒー
昼飯 「フイミン」のバミーギィアオナム
晩飯 サタデーナイトマーケットの屋台の鶏モツの鹵味、焼きそば、シンハビール、ラオカーオ”YEOWNGERN”(生)
2016.9.30(金) チェンライ日記(2日目)
目を覚ましても、すぐに起きるわけではない。布団の中で寝返りを打ったり、あるいは手足を伸ばしたりしつつ徐々に、睡眠というなかば死んだ状態から蘇生をするように、からだを馴らしていく。そうして枕元の、部屋の灯りやエアコンディショナーの操作盤を兼ねた時計に目を遣ると、時刻はいまだ2時44分だった。
部屋の、机の灯りのみを点けてきのうの日記を書くも、長すぎて、いつまでも書き終えない。「こんなに長い文章を誰が読むか」と考えないでもないけれど、自分のための覚え書きという側面もあるから、つい細かいところまで筆を及ばせてしまうのだ。
疲れてベッドに横になり、またコンピュータに向かい、またベッドに腹ばいになって、しかし今度は本を読んだりする。そんなことを繰り返すうち、夜が明けてくる。
8時を過ぎようという頃合いを見計らって、6階の部屋からコック川に面した朝食会場へと降りる。オムレツは、皿に大盛りにした野菜に「全部」と中身を指定したそれを添えるのが好きだ。お粥は、これを調理するブースに併設されたスープ係に、本来はスープの具にする豚の内臓を入れてもらう、いわゆる「及第粥」が好みだ。コーヒーは、ポットを手にした給仕がテーブルに注いでまわるものではなく、やはり戸外の専用ブースまで行き、カップの底にコンデンスミルクを沈ませた、ネルドリップによる濃いものを淹れてもらう。この朝食を、このホテルに泊まっているあいだ、だれに邪魔をされることもなく、ずっと続けられるのは嬉しい。
夜はきのうに引き続き、ホテルのシャトルバスでナイトバザールまで行く。ここでふと、興味に駆られて目の前の、今にも走り出しそうなシーローの客になってみる。どこへ行くとも知れないシーローはパフォンヨーティン通りを南へ進む。そのあたりは僕には未知の地域にて、このチェンライが、実はかなり大きな街だったことにようやく気づく。
もうすこし進めば旧飛行場ではないかと思われるあたりでシーローは左に折れた。あたりがとたんに暗くなる。不安な気持ちが増していく。シーローは間もなく、ひとりの客を降ろすために停まった。屋根だけの、壁のないバーがちらほらと見えている。よって僕も運転手に50バーツを手渡し荷台から降りる。
すぐそばに見えた薄暗い店に、飛び石を踏んで入っていく。案内をされるまま、小さな池のほとりの席に着く。ビールの銘柄をデザインした、からだに張りつくようなワンピースを着たチアビアが来る。手にはラオカーオの入った袋を提げていたけれど、つき合いで生ビールを頼む。店の名前は「バーンビヤソル」だという。訳せば「生ビールの家」だろうか。そうしてそこで小一時間ほども過ごす。
ホテルまでは流しのトゥクトゥクを拾った。冒険をしたつもりでも、部屋に帰って時計を見ると、時刻はいまだ20時37分だった。服は下着も含めて3枚しか身につけていないから脱ぐのは簡単だ。シャワーを浴びて即、就寝する。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、中華粥、コーヒー
昼飯 名前を知らない麺屋のカオソーイガイ
晩飯 「バーンビヤソル」のパックブンファイデーン、プラームックヤーン、生ビール、ラオカーオ”YEOWNGERN”(オンザロックス)
2016.9.29(木) チェンライ日記(1日目)
前々回2月のタイ行きでは、羽田で飛行機に乗り込むなりデパスとハルシオンを各1錠ずつ飲んだ。するとそれは、まるでボクシングの選手から受けたフックかアッパーのように効き、背もたれも倒さずアイマスクもしないまま眠ってしまった。無論、離陸をしたことも覚えていない。
「いくらかでも楽な姿勢で寝るべき」と今回は、まるで馬が食うほどの量をオフクロが遺した睡眠導入剤は、すこし遅らせて飲むこととした。
“BOEING 747-400″を機材とする”TG661″は、定刻に12分おくれて00:32に離陸をした。ここで先ほどの薬を、持ち込んだペットボトルのお茶で飲む。そしてベルト着用のサインが消えた頃合いを見計らって背もたれを倒し、眠る体勢に入る。
目を覚ますと、ふたつ前の席まで朝食を運ぶワゴンが来ていたから「これはいけねぇ」と即、化粧室に行って顔を洗う。席に着いて時計を見ると5時5分だった。目の前のディスプレイによれば、機は既にしてインドシナ半島の中央に近づいている。バンコクには、あと数十分で着くだろう。そそくさと朝食を済ませると、またまた化粧室に行って歯を磨く。
定刻より48分はやく、機は日本時間06:02、タイ時間04:02に、スワンナプーム空港に着陸をした。ここからの時間表記はタイ時間とする。
“minimum connecting time”という言葉を知ったのは、おととしのことだ。これは最低乗継時間と訳され、その長さは1時間15分と聞いた。羽田からチェンライへ飛ぶときの、バンコクでの乗り換え時間は3時間。かてて加えて日本からの便は大抵、予定よりも早く着くから、いくらスワンナプーム空港が広大とはいえ、当方はのんびりしたものである。”GREGORY”のデイパックを背負って、ただ”Transfer to Chiangmai,Chiangrai,Phuket,Krabi,Samui,Hatyai”と案内される方へと歩いて行く。移動距離が1キロを超えても、いわゆる「動く歩道」があるからどうということはない。
パスポートコントロール、また、そのすぐそばにあるタイスマイル航空のカウンターは、5時にならないと開かない。正体不明の男が横になって眠るベンチに腰かけ待つうち僕も眠ってしまい、気がつくと5時20分になっていた。ひとりで旅をするときの大敵は、この居眠りである。寝ているあいだに乗るべき飛行機が飛んでしまうということも、あり得ないことではないのだ。
タイスマイル航空のカウンターにパスポートとeチケットを出す。今朝のオネーサンには「バゲージクレームのタグをお見せください」は当然としても「Address in Thailandにお書きくださっているのはホテルの名前ですか」などと、まるで入国審査官がするような質問を受けた。プラユットによる良く言えば几帳面な統治の影響が、こんなところにまで及んでいるのかどうかは知らない。
05:40 入国
05:48 搭乗ゲートA4に着く。
05:50 ようよう夜が明けてくる。
07:05 きのうの日記を書き終える。
07:27 搭乗開始
“AIRBUS A321-200″を機材とする”TG2131″は、定刻に5分おくれて07:55に離陸をした。上空には雲が目立った。出発前に調べた天気予報は、タイの北部を雨続きとしていた。しかし機窓の下に見えるチェンライは晴れていた。着陸は定刻より15分はやい09:00だった。
田舎の小さな空港ということ、僕の荷物は”Priority”の扱いを受けていること、このふたつの条件によりスーツケースは着陸からわずか15分後には受け取ることができた。そうして空港ロビーにあるタクシーのカウンターに近づき、オネーサンに声をかける。
「ドゥシットまで」
「ただいまクルマが出払っていますので、30分ほどお待ちいただけますか」
「クルマが来たら声をかけてくれるのかな」
「はい」
というやり取りがあって、目の前のコーヒーショップで飲み物を買いながら、運転手に手渡すチップのための小銭を作ろうとしているところに後ろから声をかけられる。運転手のうちのひとりがちょうど戻ってきたのだ。早くも彼は僕のスーツケースを曳いて空港の出口を目指している。僕も足早にその後を追う。
日本から持って出た現地通貨は20,918バーツ。チップのための小銭を得ることはできなかった。空港からホテルまでの6、7キロの距離に対して100バーツのチップはいかにも多すぎるけれど仕方がない。ホテルのポーチに続く坂をタクシーが登り切ると、すかさずベルボーイが近づいてくる。高きから低きに水の流れるような、何の滞りもない旅である。
フロントの、タヌキ顔のオネーサンも、またナマズ顔のオネーサンも、いつもと変わらない笑顔を僕に向ける。誤解の無いよう付け加えれば、タヌキ顔もナマズ顔も、僕においては褒め言葉である。そしてタヌキ顔の方に頼んで100バーツ札を細かくしてもらう。
ロビー階にいて、客がちかづくたびエレベータの開ボタンを押す係のオジサンには20バーツを渡す。部屋まで荷物を運んでくれたベルボーイには50バーツを渡す。深夜00:20に羽田を発って、2時間の時差があるとはいえ次の朝にはタイの最北部で国境の山々を眺めている。いつものことながら、まるで夢を見ている気分だ。
机上に並べられた案内のたぐいは、目につかない一個所にまとめる。ベッドに6個も積み上げられた枕は、そのうちの5個をソファの上に移す。そのように部屋を自分ごのみに整えてからシャワーを浴びる。そして服はそのまま、”trippen”の革靴を”KEEN”のサンダルに履き替え外へ出る。
“Dusit Island Resort”はコック川の中州に建つ古いホテルだ。チェンライでは街の中心にあるブティックホテル”Le Patta”も綺麗で便利で好きだ。両者を天秤にかければ、しかし街まで遠い不便さを差し引いても、景色の良さと朝食の豊かさを以て、どうしても前者に軍配が上がる。
ホテルのロビーを出てから門衛のいる橋の手前までだけで、既にして数百メートルの距離がある。ホテイアオイの浮く川を渡る。不思議な声で鳴く鈴虫のいる崖の下の道を往く。そこから先はいくつかの道があるけれど、今朝は”OVERBROOK HOSPITAL”を脇に見て右に折れ、また左に折れする。
スーパーマーケットと女性衣料品のアーケードがひとつになった建物には冷房が効いているから、買い物はしなくてもこの中を歩く。そこを抜けると市場に面した旧時計塔の交差点に出る。チェンライは、田舎とはいえ商売ごとに街区を形成する一角をいくつも持つ商都でもある。その街区のうちの電気街を抜け、更に左や右に折れるうち、けばけばしく金色に塗られた新しい時計塔が見えてくる。
この時計塔の交差点からパフォンヨーティン通りを東へ歩くと間もなく、ナイトバザールに続く交差点が目に入る。その交差点を右に折れても通りの名前はやはりパフォンヨーティン通りなのだから、何やらややこしい。
ここで腕の時計を見ると、ロビーを出てから25分が経っていた。ホテルから街までは、やはり2キロ弱はありそうだ。街に入ればあれこれの用事のため更に動く。ホテルと街のあいだを日に2往復することもある。つまり”Dusit Island Resort”に泊まれば1日に10キロくらいは歩く勘定になる。大した運動である。
タイは日本ほど酒とタバコに寛容でない。酒は日中は11時から14時までの3時間しか買うことができない。パフォンヨーティン通りの西側の歩道に”JOHNNIE WALKER”の看板を提げた酒屋に入り、昼食中のオバチャンには申し訳なかったけれど、ラオカーオ2本を確保する。
そのまま通りを南下し、”LONELY PLANET”では隨分と褒められている、しかし僕は食事は一度も摂ったことのない料理屋ムアントーンとおなじ交差点にあって、何年か前に地元の人から薦められたマッサージ屋”PAI”でタイマッサージを2時間、受ける。今日の担当はジェップさん。その丁寧な仕事ぶりには大いに驚いた。「ジェップ」と僕が発音をしても通じるわけはない。次の機会に備えて彼女にはメモ帳にタイ語でその名を書いてもらった。
ジェットヨット通りの麺屋「カオソーイポーチャイ」で鶏のカオソイを昼食としたのは14時。そして午前に来た道を逆に辿ってホテルに戻る。
15時から18時すぎまではプールサイドの寝椅子で本を読む。あるいはうたた寝をする。本のページから視線を外せば高い椰子の木があり、その向こうには青い空に入道雲が真白く立ちのぼっている。僕にとっての天国である。
夜はホテルのシャトルバスで街に出る。ナイトバザールではいつものとおり、観光客向けの、チーク材を多用した高級な区域ではなく、鉄製の黄色い机と椅子を並べた庶民向けの広場へ行く。そしてこの広場を囲む、それぞれ間口1間、奥行き2間半ほどの食べ物を売る店の中に、昨年は何度も注文をした優しそうなおばちゃんの姿を探したけれど見つからない。よってそのおばちゃんの店とおなじあたりの若い人の店からチムジュムを取り寄せる。そしてそれを肴にラオカーオを飲む。ただただ、気分は楽である。
朝飯 “TG661″の機内食、“TG2130″の機内スナック
昼飯 「カオソーイポーチャイ」のカオソーイガイ
晩飯 ナイトバザールのフードコートのチムジュム、揚げ物の盛り合わせ、ラオカーオ”YEOWNGERN”(オンザロックス)







































